カワイイがクールジャパンの標語のように0年代から多様され
アートや原宿系文化として発信されているが、その数十年前
に今のカワイイ文化どころでない社会現象というか潮流と言
ってもよい流れがあった。
私自身も、保育園や小学低学年だったのだが、やぼったい
聖子ちゃんカットの女子大生や気味の悪い丸文字、観光地
のマグカップなどを覚えている。
最初の写真は廃墟でなく、清里のランドマークである清泉寮
であるが、元々はアメリカ人牧師ポールラッシュによって建て
られたキリスト教の青年道場のような施設であった。
そのような正統派の施設が、名物の濃厚ソフトクリームや清
泉寮から見える山々の風景が70年代後半に女性誌に注目
されると、どっと女子大生を中心とした若者が押し寄せるよう
になった。
ちょうどそのころはカワイイファンシーなものがあふれており、
女子大生が集う観光地にカワイイファンシーな土産屋を建て
てしまえと清里駅を中心に開発も進んだ。
また、今はあまり聞かないが、高原のペンションにステキな
先輩や友人と出かける私というのが80年代前半女子の一
つのステータスでもあった。
清里と同じく、高原の避暑地として有名な軽井沢などは、
様々な時代の影響を受けつつ今も新陳代謝があるが、
ここ清里は、80年代前半からバブルまでという短い時代
が凍結されたような空間と言える。
そうこの短い期間の様々な潮流に乗ったのが清里である。
清里ファンシーを象徴するようなゆるキャラ的な牛
みうらじゅんが提唱するゆるきゃら、自治体や企業がイメージ
キャラとして生み出した脱力キャラであるが。
そんなことが言われる以前に地方のおみやげやを中心に
独自のキャラビジネスがあった
そういうファンシーお土産を研究しているファンシー学園という
サイトもあるが、このドメインがfancy80s.comというのも良い。
ここ清里はそのような手作りファンシーが街ごとだと思ってもら
えばよい。
牛さんのいたおみやげや、土日は営業している様子
おみやげはぬいぐるみが一番ョ! 星の王子様
現役時代はさぞかしファンシーの殿堂であっただろう。
安普請な建物が、売っていたぬいぐるみも想像させる。
しかしョってなんだョw
ファンシー城。
この手の西洋の城を真似したような施設や土産屋は全国
にあったのであろうが、本物のエンターテインメントディズニー
が上陸した後はどこもさびれたことでしょう。
パチモノ城だが、見積もりはバブル価格だったんだろうな。
ミルクポット廃墟
ここも何度カワイイと言われ撮影されたのだろうか。
往時は数十分並んだそうです。ちなみに清泉寮のソフトを食べ
るためだけに3時間かかったとか。
こちらも素晴らしい。時計台付きのフランスの田舎にありそうな
建物のお土産屋。ただし、素材は普通にある建材というのも
このファンシー廃墟群の特徴
ワンハッピープラザ
特にやっつけファンシー感が強い施設
土産屋のモールだったようだが、むろん一軒も営業しておらず
侵入するのは危険な状況。
この展望台からカップルが山々を眺めたのであろうか。
彼らはもう還暦ですかね。
こういう施設には時計台がつきもの
ワンハッピープラザのキャラクター
この数分で考え付いたようなキャラの商品もたくさんあったの
だろうな、
いい加減な動物グッツが多いのもこの時代の特徴。
ワンハッピープラザ下に鎮座する森の精霊
ううむ・・・
こいつらが一番ディズニー開業の影響をうけたのかもな。
キモカワイイも当時の女子大生が好んだ文化w
廃土産屋CABIN
入居していたのが北野印度会社
そう北野武のカレー屋です。こうしたタレントの副業ショップが
多いのもこの手の観光地の特徴です。
むろん廃墟
清里駅から南下するとあるワンハッピーパークという
土産屋モールがw
あのワンハッピープラザと同系列の施設だが、
ここまでくると清々しいハリボテ具合である。物置小屋のような
箱にイミテーション窓の板を張り付けましたとwww
さすがに当時もここより駅前のファンシー施設に流れたのでは
ないだろうか。
日本では、メディアに取り上げてもらえそうな建物や観光施設
を建てたり、その時のブームに乗るのが常道と言えるが、
街ごと乗ってしまったらどうなるかの見本のような街が清里
です。
まだこちらは民間の資金でこうなってしまったので、笑われたり
廃墟マニアが集うだけですが、最近はいいかげんな町おこし
振興策に税金も投入されていると聞きます。
まあ清里化してきたら、私はマニアとして見に行きますが
さてさて、受益を受けていない納税者はどうおもうでしょうかね。
一度行政関係者商店街関係者は行くべき街ですね。