「こいつマジでシークエルの文句しか言わねぇな、本当にファンかよ?」と思われている気がしないでもないswgmです。
エピソード1が評価されないのは理解出来ると先述しました。
確かにシークエルのファンでは無いです。しかし...
ルーカスの6作のファンです‼︎だからこそ語りたい、低く見られがちなプリクエルトリロジーがいかに素晴らしい作品なのかを‼︎
1.なぜ低く見られがちかは理解できる
僕がもしep4〜6をリアルタイムで観た世代だったとしたら、ep1を好きになれたかどうか怪しいと思います。
なぜなら...
過去作と雰囲気がかなり違うから。
そして...
過去作ほどの面白さは無いから。
プロモーションで大々的に扱われたモールはまさかの即退場、ファズマと違い活躍しただけマシですが、当時の人たちは困惑したと聞きます。
しかし、「エピソード1を観た事がキッカケとなってswファンになった」という人は少なくありません。それはなぜでしょうか?
過去作から通じる「観たことない物を創造しよう」という精神があるから‼︎だと思います。エピソード1に登場する新惑星はどちらもこれまでのどの星とも似ていません。
ライトセーバーのアクションは一新されカッコよさが格段に上がっています。
そこに新規ファンは引き込まれたのでは無いでしょうか?
さらにエピソード1が当初評価されなかったという事実が「プリクエルトリロジー」というものの特殊性を表しているように感じます。
オリジナルトリロジーは1作1作が1つの話でした。
プリクエルトリロジーはそれとは違うように感じます。最初の2作は前座なのです。全ては「シスの復讐」へと繋げるための一部分でしか無いのです。言うなれば...
オリジナルは2時間×3
プリクエルは6時間×1という異質のものなのです。
「シスの復讐」はプリクエルで唯一評価が高い作品です。
なぜか?
それは物語が最高潮に達するクライマックスの部分のみで構成された贅沢な一本だから‼︎
エピソード1は普通の映画に例えると最初の40分で間しかないのです。そこだけを観て十分に楽しめる作品が無いとは言いませんが、それほど多くは無いでしょう。「ローグ・ワン」だって最初の40分間だけで判断すれば駄作です。
しかし、最初の40分を観ずに楽しめる作品があるでしょうか?何がなんだかサッパリという感じになるでしょう。
それを踏まえて見てみましょう。
物語の最初の40分でしか無いにも関わらず「起・承・転・結」が1本筋で通っており、魅せ場も随所にある「ファントム・メナス」
途中の40分という中だるみしかねない部分にも関わらず、迫力の映像と丁寧な心情描写で終盤に向けてどんどん盛り上がっていく「クローンの攻撃」
これらが駄作だと言い切れるでしょうか?
映画評論家になら駄作だと言い切られても仕方ないかもしれません。彼らはスターウォーズとしてでは無く映画として評価しています。
しかし、我々スターウォーズファンは?これらをスターウォーズとして評価すべきでしょう。
一見繋がらないように見えた世界が完璧な形で、不自然に感じないよう繋がるのです。
全ての伏線が回収され、ついに見慣れた世界が帰ってくるというこの構成、素晴らしいとは思いませんか?
僕がスターウォーズにのめり込んだ理由はここにあります。1作目を観ただけでは全体像が全く掴めないほどにストーリーが練りに練られているのです。ここまで丁寧に政治を描く娯楽作品が他にあるでしょうか?僕は世界史の授業の度に「ルーカス凄すぎる...」と感じます。現実の様々な要素を自分のイマジネーションと融合させて誰も見たことの無い新たな世界を創り出すという1作目からの「ルーカスメソッド」が確かにプリクエルにもあるのです。
2.子供はプリクエルを理解出来ない?
「ピープルvsジョージ・ルーカス」で「ルーカスはswを子供向けと豪語しているが、自分の子供は私がep1のストーリーを説明しても理解出来てない」というような趣旨の発言をしているファンがいました。
あくまでも個人の意見ですが、それは「細部の細部まで分からないとダメだ‼︎」というオタク特有の考えによるものでは無いでしょうか?
オタク同士の会話ならそれで良いでしょう。しかし、このような子供に説明するというケースを考えるといかに噛み砕くかが重要になってきます。「悪い奴らが自分の利益のために平和な星を攻撃した‼︎ジェダイがそこから王女様を助け出したんだけど途中で船が壊れちゃった。それを奴隷でフォースが強いアナキンがレースに勝って助けてくれた、だからジェダイはアナキンを仲間に...」こんな感じで何となく楽しむのには十分でしょう。
もっと突き詰めてみましょう。
子供はウルトラマンや仮面ライダーを観るとき、ストーリーを完璧に把握して見ているでしょうか?
少なくとも幼少期の僕は違いました。もちろん多少の内容は把握してましたが、ヒーロー達が悪い奴をカッコよくやっつけるのを観て楽しんでいただけでした。ストーリーまで含めて楽しんでいたのは一緒に観ていた父親でした。
今子供の頃に観ていた特撮を見返すと、「あっ、こういう話だったのか」と分かります。例を挙げると...
「何回身体をバラバラにされても復活する氷の怪獣が出現。ウルトラマンが一度そいつの身体をバラバラにして1個辺りの質量を小さくした後に、戦闘機から超高温の熱風を当てる。すると質量が小さくなったために氷の怪獣の体温はみるみる上昇し、溶けた‼︎」「バラバラになって質量が小さくなったから熱が溜まりやすくなって溶けた」
これを幼稚園児が理解出来るでしょうか?なかなか厳しいと思います。
スターウォーズも同じでしょう。子供に税金だの議会だのという話は通じませんが、戦闘機のドックファイト、ジェダイのアクションのカッコよさは分かります。
細部はオタクが楽しめば良いのです。そうでないなら、必要なのは大筋だけでしょう。
3.世界で最も誤解されている悪役「ダース・ベイダー」
エピソード1が評価されないのは理解出来ると先述しました。
しかし、エピソード2については全く理解出来ません。映像、ストーリー、デザイン、音楽、どれを取っても素晴らしい作品だとしか思えません。
ep2否定派が最も良く言うのはアナキンの描き方に対しての不満です。
これらの主張を聞くたびに、僕はこの疑問が浮かびます。
ダース・ベイダーはいつから最強になったのか?「帝国の逆襲」までのベイダーのみを見ればそう思えるかもしれません。
しかし、「ジェダイの帰還」では2時間を通して彼が最強ヴィランでは無いことが描かれています。
ヨーダはep5からルークにベイダーの心の弱さを説いてきました。ep6のオビ=ワンもです。
「心に隙があるから暗黒面が入り込む」
ヨーダの教えからこのことは自明です。
暗黒面に堕ちたアナキンの心が不安定なのは当然の事実でしょう。
ダース・ベイダーが暗黒面に染まった理由、それは「彼が最強じゃないから」でしょう。
もっと言うと、まともな奴がすぐに人の首を絞める奴にはならないでしょう。
最強ヴィランは人の心を知り尽くし、戦闘能力も高いダース・シディアスです。間違いなく。
ep2のアナキンを「おかしい‼︎」と感じるのはダース・ベイダーをep5までの「絶対悪」のイメージのみで見ているからです。「I am your father.」という一つのセリフによって否定されたイメージを未だに持ちながら評価しているのです。
エピソード2は素晴らしい作品です。旧作の雰囲気に近付いたビークルデザイン、丁寧な心理描写、印象に残るクリーチャーやエイリアン、魅力的な新惑星、前作とは比べ物にならないスケールの戦闘シーン、最高な音楽、ギャグシーンは真面目なシーンの合間に気休め程度でまあまあ面白い...
全ては「ダース・ベイダー」を正しく理解しているかだと思います。
「セリフが多いからダメ」って言われると...それは好みの問題ですとしか...別に多くない気が...
4.スターウォーズ世界は架空の「社会」プリクエルの良さを語る上でこれは必要不可欠でしょう。
オリジナルトリロジーで描かれたのは銀河の中心から逃げ回りながら戦う人々です。
プリクエルは違います。銀河の中心にいるジェダイ達の話です。そこには反乱軍がいた銀河の端とは全く違う光景が広がっているのは当然の事です。
コルサントのような都会には高層ビルが並び、飲食店があり、犯罪者のいる感じ悪い通りがあり、豪華な内装の政府施設があり格差が目立つ
一方で、タトゥイーンのような中央の目が届かない超ど田舎は地元の権力者のやりたい放題
ナブーのように芸術作品に溢れた地域もあり、一般人にはイマイチ良さの分からないデザインもあったりする...
ジオノーシアンのように政府に不満を持つ集団もいる
カミーノアンのような金のためならどんな危険な代物も作る連中もいる
現実と何が違うでしょうか?何も違いません。しかし現実と同じに見えるでしょうか?否。
先述した通り、スターウォーズは現実の様々な要素を自分のイマジネーションと融合させて誰も見たことの無い新たな世界を創り出すという1作目からの「ルーカスメソッド」によって成り立っているのです。
ルーカスはプリクエルの製作について、「新しいネタが思い浮かばないので旧作のボツ案に戦闘シーンを足した」という発言をしたと聞いた事がありますが、スターウォーズの製作過程を知っている人なら分かりますが、彼の「旧作のボツ案」は普通とは事情が違います。もちろんただダメだからボツになったものもありますが、「映像技術がイマジネーションに追いついてなくてボツになった」ものも相当あります。
ダメだからボツになった案で映画を作る人なんて普通いません。
「ルーカスメソッド」が実現出来ないからこそep1の公開は1999年まで叶わなかったのです。20世紀中に九部作を完結させると述べていたにも関わらず。そこまでのこだわりをルーカスは持っていたのです。
今だからこそプリクエルを讃えよ‼︎ルーカスにとって重要なのはスケジュールでは無く納得行くものを作ることだった。
三部作全体を見通して1作ずつを作ったからこそ、伏線も丁寧だった。
描きたいものが明確だからこそ外の意見に踊らされ話を破綻させたりしなかった。
しかしファンの声を聞く耳も持ち、自分のビジョンの範囲内でそれに応じた。
この「鉄の意志」と「ルーカスメソッド」によってスターウォーズは成り立っている。
もし彼がep1の批判に恐れを為してep2以降の内容を大幅に変更していればプリクエルの最大のウリである「3作のまとまり」は存在したか?
彼が自分が思いついたシーンを「あれも入れよう!これも入れよう!全部入れよう!」と話の整合性も考えずに詰め込んでいたらここまで評価される作品を作れただろうか?
プリクエルトリロジーほどスターウォーズが「現実的だが非現実的」であることを示すのに相応しい作品は無い。史実に乗っ取りながらも未知のストーリーを作り出し、想像上の世界に現実社会を投影することで新たな社会を創造、ジオノーシスやマイギートーのような既存の惑星に近いものもそうで無いように見せる...
スターウォーズ、それは「創造」の元に成り立つ‼︎このことを考えると、彼が作った6作の中に駄作など無いように思えてならない。
written by SWGM
「ハン・ソロ」日本公開まで残り97日‼︎