モデルは西部劇か
今回は、群馬県令楫取素彦の、明治10年(1877)ころの活躍が中心に描かれる。粗悪品のせいで生糸相場が暴落し、これに対処するために楫取は仲買人を無くし、生産者に組合を設立させようと奔走。史実では群馬県では明治11年から、いわゆる「組合製糸」が始まるのだが、そこに、ドラマのような形で楫取が関与したというのはフィクションだ。さらにドラマは合間を縫うようにして、西南戦争勃発、木戸孝允の死、西郷隆盛の死、そして群馬の船津伝次平による農業改革などが描かれる。
僕はこの「群馬編」が始まるさい、明治初期の地方行政が大河ドラマで描かれるのは画期的であり、期待したいと述べた。モンスターのような内務省という役所が、力任せに「地方」を「中央」に吸収してゆく過程は、ある意味日本近代化の「闇の歴史」だ。学校の教科書などでは「政府は中央集権を進めました」のひと言で片付けられてしまうのだが、そこにはさまざまなドラマが存在する。現代の沖縄県が抱える多くの問題なども、この時の強引さから端を発しているものが少なくない(詳しくはお調べ下さい)。
ところがドラマの作り手たちは「中央」対「地方」の問題などには、まったく関心が無いようだ。わざと避けて通っているというよりも、歴史の枠組みを理解していないような描き方である。
まず、群馬県の頑迷固陋を象徴する「阿久沢権蔵」という架空の人物を設定(なんちゅう、けったいな名前だろう。センス最悪だ)。そこに、楫取という先見の明に富んだ「ヒーロー」が、美和という「ヒロイン」を伴い舞い降りる(楫取も美和も実在の人物だが、ドラマに描かれた姿はほぼ架空の人物と思ってよい)。
そして、楫取&美和は日本のため、群馬のためなどと、相変わらず中身スカスカの大義名分を叫びながら、既得権を守ろうとする阿久沢を打ちのめし、人々を解放し幸福にしてゆく。阿久沢が抱えているであろう「地方」の側の言い分には、まったくと言っていいほど興味、理解を示さない。
これでは明治初期の地方行政のドラマ化ではなく、勧善懲悪のありきたりなストーリーである。先住民のインディアンを一方的な悪役とする、安っぽいアメリカの西部劇がモデルなのかも知れない。ただしハリウッドも、理解出来ないものは力づくで叩き潰すという、アメリカという国家のやり方に疑問を投げかけた作品も作っている。明治日本に乗り込んだアメリカが、理解出来ぬ「武士道」を潰そうとする「ラストサムライ」なども、そうしたひとつだろう。強者に潰される弱者は当然ながら抵抗するから、テロが起こったりもするのだ。
そう思うと、ドラマの楫取が現代のアメリカや日本政府に見えて来なくもない。どこぞの国のプロパガンダドラマみたいなのは、御免蒙りたいものだ。
内務卿の紐付き県令
何度も言うが、楫取という群馬県令は中央政府の内務省(内務卿・大久保利通)の意向を受け、群馬の地に派遣されて来た。
たとえば、今回のドラマで描かれた明治10年で言えば、内務省が群馬県緑野郡の新町の地に、屑糸紡績所を建設したことがある(それ自体は、ドラマでは描かれなかったが)。政府が蚕糸業振興対策として、富岡製糸場につづき群馬県に設けた施設だ。だから同年10月20日に行われた開所式には、東京から内務卿大久保はじめ大蔵卿大隈重信、工部卿伊藤博文ら錚々たる面々が駆けつけて来ている。
その日、大久保、つづいて県令の楫取が朗読した祝辞も残っている(萩原進『明治時代群馬県史』)。楫取のそれは、
「上野ノ国タル地勢高燥、山脈峻峭、空気ノ流通頗駛地ニ蚕糸ノ利アリテ民産略足リ、況ヤ維新ノ政府殖産ノ業ニ汲々タルヲ以テ広ク技術器械ヲ外国ニ講究シ、日ニ新ニ月ニ進ム…」
に始まる。言い方は悪いが、完全に内務卿の紐付きの県令なのである。ドラマの作り手たちはどうも、このあたりを現代の県知事と同様にお考えのようだ。
社会科見学レベルの説明
あと、ドラマにつき、細かい気づきをいくつか書いておく。
水沼製糸場の主である星野長太郎が黒板に「生産者 仲買人 問屋 横浜商」と書き、訪ねて来た楫取に流通の仕組みを説いて聞かせる珍妙な場面があった。あれでは、小学校(低学年)社会科見学のさい、工場のおじちゃんが子供相手に行うレベルの説明である。それを、真剣に聞いている大の大人の楫取は、よほど頭が悪いのかとさえ思えて来る。この点などはナレーションで処理するとか、あるいは子供に大人が説明してやる場面にするとか、別の描き方があったと思うのだが…。
そしてタイトルにもなっている「二人の夜」。昼メロとして、この「大河」を真剣に楽しんでおられる視聴者には「ついに来たかっ!」と、ハラハラドキドキさせる思わせぶりなタイトルかも知れない(そんな殊勝な方が、何人おられるのかは知らないが)。作り手たちも、そこを狙ったのだろう。
それは、土砂崩れで道が塞がれ、「町(前橋か)」に帰れなくなった楫取と美和が、旅館の一つ部屋で蒲団を並べて寝るというエピソード。楫取は静かに眠っており(相変わらず天井を真っすぐ向いたまま、硬直したようにお行儀良く寝ているから、リアリティに乏しい)、それをじっと見つめる美和が、出会ったころのことなど思い出す。もちろん濡れ場なんてあるはずもなく、何事も起こらずに、おしまい。
まあ、どうでもいいけどねっ! 残すところ、あと5回である。
>洋泉社歴史総合サイト
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。