僕が小学生の頃に印象深かった経験がある。それは、小学4年のときの担任の先生とのやりとりだ。小学生は担任が体育も教えるので、僕は担任の先生から体育を教わる。僕はいつものように見学をしようとしていた。皆が体操服を着てグラウンドに出ている中、いつも通り僕だけは私服でグラウンドに出た。

できることからやってみよう

僕が私服でグラウンドに出ると、担任の先生が寄ってきた。担任の先生は言った。

「今日はサッカーだけどできないかな?」

僕は答えた。

「足が痛いのでできません」

担任の先生は続けて答えた。

「できることだけでもいいからやってみよう。さぁ体操服に着替えておいで。」

僕は無言になった。実際に自分は足を痛めている。持病の影響である。だから、体育は休んで当たり前。そう考えていた。渋々僕は体操服に着替え、体育に参加することになった。

できることはある

担任としては勇気ある声かけだったと思う。実際に自分は通院しているし、正直そんなに軽い病気でもない。もし何かあれば担任のせいとなることも可能性としては否定できない。無理やりやらせて、病気が悪化した。そんなことになったら、いいことなんて一つもないのだ。でも、担任は挑戦させたのである。実際、他の人よりうまくは出来ないけれど、多少痛みもあるけれど、体育の授業を受けることができた。できることはあったのだ。

言い訳しない

僕はこの出来事を振り返って思うことがある。人間は何かを言い訳にして、多くのことを諦めているのだ。そして、自己を正当化する。僕は恋愛でも自分自身を縛っていた。自分はどうせ重度障害者。彼女なんてできるはずないし、それは仕方がないことだ。僕が悪いのではなく、病気になったから仕方がないのだと。

しかし、全ては幻想だ。障害者は理由にならない。乙武さんのように手脚がなくてもモテている人もいる。僕も今は女の子に困っていないし、寧ろお誘いを断らなければならない立場である。言い訳をしない。今回は当たり前のことを長々と書いてしまったが、実は何より大事なことかもしれない。ヤリチンになるためには。

僕は小学生の頃、持病の影響で常に痛みと戦ってきた。落ち着いているときは良かったけれど、体調が悪いときは辛い。何もしなくても身体中に痛みが走る。痛みで眠ることも出来ない。体育は多くは見学。見学といってもクラスメイトから何を学ぶわけでもない。ひたすら隔離された自分と向き合う。そんな日々が続いた。

痛みを痛みとして認識しなくなる

僕は痛みを体験しすぎた。なんだろう、今の僕は痛みを痛みとして感じなくなった。毎月行っている点滴も採血も痛みをほとんど感じない。どこかで転んでも恐らく他人よりも痛みを感じないのだろう。いいことなのだろうか、わからない。恐らく、脳の痛みに関する増幅機能がおかしくなったのだと思われる。

ただし心の痛みは別

ただし、心の痛みはそう簡単に麻痺してはくれなかった。寧ろこちらのほうを麻痺させてくれたほうが生きやすいとも思われた。だけど、心の痛みは消えなかった。他人と同じように出来ない自分を責め続けた。そして、自分の痛みをさらに自分自身でえぐっていったのである。もちろん、そんな男に惚れる女はいない。

心の痛みを消してくれたのは恋愛工学

様々な薬やリハビリなどで、僕の肉体的な心の痛みは昔よりずっと楽になった。でも、それらのテクノロジーでも心の痛みは消してくれなかった。だが、僕の心の痛みはもう無い。恋愛工学が僕の心の痛みを消してくれたのだ。恋愛工学に出会わなければ、僕の心はまだ傷だらけだった。でも、今は違う。傷つくときは自分のためではなく、女の子のために傷つくことにした。立派なヤリチンとして、これからも生きて生きたい。

僕は小学生ときから障害を持っている。小学生や中学生のときは入退院を繰り返した。今日は学生時代のことについて少し話を聞いて欲しい。

助けを求め続けた小学生時代

小学生のときは、本当に寂しかった。母親が毎日のように見舞いに来てくれたものの、寝る前には帰ってしまう。夜、静かな病室のなかで一人泣いたこともあった。ほろりと涙が溢れるのだ。なぜ僕だけがと何度も考えた。薬の副作用で顔がパンパンに腫れていた。病気による痛みは薬では消えなかった。モテとかそういう以前の問題だった。普通に生活できるだけで羨ましかった。クラスのみんながメッセージを書いて定期的に送ってくれた。それを見て、何故かまた悲しくなるのだ。自分は誰かから助けを求め、応援されなければならない存在なのだと改めて感じさせるのだ。

無力さを自覚する中学生時代

中学生のときは、院内学級に入るため、一時的に転校をした。院内学級にいる子は、様々な事情を抱えている。体調によっては院内学級であっても来ることができない。僕はそんな一人なのだと感じた。転校前、僕は卓球部に入っていたのだが、卓球部の顧問に卓球はやはり難しいと言われた。比較的激しくないスポーツならと思って入ったのだが、顧問はバッサリと切り捨てた。僕は卓球さえまともにできない体なのだ。

何もできない僕

僕は何もできないんだと自覚した。運動もできない。女の子にモテることもできない。自殺しようと考えたことも何度もある。それでも自分の体は正直だ。本当に自殺したいわけではない。本当はいろんなことにチャレンジしたいし、女の子にモテたいのだ。生き続けたいのだ。だが、そのときの僕はなんとか生きながらえることしかできなかった。

恋愛工学との出会い

それからしばらくして僕は恋愛工学に出会う。そして、めでたくヤリチンになった。今まで溜め込んでいたものを全て捧げる気持ちで、恋愛工学を学び続けたお陰だ。何度も地蔵しながら、ナンパを続けた。ナンパをして断られる度に落ち込んだこともあった。でも、昔を思い出せばどうってことない。僕に恐るものはもうないのだ。
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