ヤマトよ永遠にREBEL 3199 第2章の巻(ネタバレあり)

オリジナルのヤマトよ永遠にとはかなり異なる展開で面白かったです。
古参アニメオタク視点だと、ストーリーの骨子は伝説巨神イデオンに近く、デザリアムの設定は竹宮惠子先生の「地球(テラ)へ…」に酷似したものだったと思います。

以下、つらつらと書いていきます。

ヤマト視点だと、イデオン的なスペース・ランナウエイ(宇宙の逃亡者)でした。また宇宙戦艦での白兵戦はヤマトの定番とはいえ、イデオン発動篇そのものなシークエンスがあったので、福井総監督はほんとにイデオン好きなんだなって思いました。
サーシャがまるっきりカララ・アジバのポジションなんです。それにヤマトは艦底が弱いんだから下にワープアウトしろよって思うでしょう?そうではなくて、直上にワープアウトして足が生えたゾロメカが上から降ってくるのがイデオンで開発された様式美なので、それに則ったわけです。もっと小さいメカにしろって思うんだけどね(攻撃が当たりにくいので)。相変わらず宇宙が狭いし、ゴルバを一発で仕留められてるのにヤマト拿捕という難度が高い作戦をかなり小さな兵力でやろうとするデザリアムの甘さとか、ツッコミどころ満載なのも実にヤマトでした。

デザリアムの素体に人格がダウンロードできるのは予想の範疇でした。当初は弐瓶勉的なものを想像していたのですが、第2章の演出を見るとデザリアム人の記憶の多くは首に装着するゴーストハック装置による偽記憶(©攻殻機動隊)なのかもしれないと感じました。あと潘恵子がしゃべりすぎで黒幕感が消えてしまった。これらはあからさまな演出だったので、ミスリードを狙ってるのかもしれないです。

またデザリアム人の設定が「地球へ…」と共通する要素が多かったのですが、スカルダートから末端の分担までマザー・デザリアムにコントロールされているのは「地球へ…」以上に徹底された管理社会だと感じました。デザリアム人の製造方法が「地球へ…」そのものだとか、懐かしい故郷である地球へ帰還したがる行動も、地球へ…と同じなんですけど、それはおそらく第三者によってプログラムされコントロールされた行動というのが気味が悪いです。

演出面については、デザリアムのメカが黒いのに宇宙空間でも視認できるのは視聴者にやさしい演出ですね。明度やコントラストの調整が難しそう。庵野さんのように暗くて見えないのも演出として済ませてしまうこともできるのに、逃げないでちゃんと見せてくるのは偉いです。さらばヤマトの超巨大戦艦が真っ黒でほとんど見えなかったことを思うとホントありがたい。
地球・デザリアム・ガミラス・ボラーと4つの勢力が入り乱れるのはZガンダム超えを目指すブンゴーのチャレンジだと思いました。いろいろな要素を90分弱でギュッとまとめつつ、駆け足感がないのはカット割りが上手いからでしょう。このあたりはブンゴーが総監督になったことが大きいのかもしれない。自分でコントロールできたらしいガンダムNTは尺の使い方が良かった。ところがヤマト2202では明らかに詰め込みすぎ&説明不足+それを補う説明ゼリフという状況に陥ったし、2205も映像への落とし込みに苦慮している感はあった。3199を見て当初は『ブンゴーの無茶なシナリオを映像に落とし込む術をようやく会得したな』と思ったんだけど、総監督になってそのあたりまでコントロールできるようになったとすれば、納得感があります。

第2章で少々まずいと思ったのが劇伴です。旧作にない新しい展開が続いたためか、劇伴の付け方に迷いが感じられるシーンが散見されました。劇伴が良い場面も多かったので、合ってない場面の違和感が際立っていた感じです。第1章は旧作のヤマトよ永遠にと同じ展開だったから劇伴には一切の迷いがなかったので気になりました。

ギャラクシティ シンフォニーコンサート『交響組曲 宇宙戦艦ヤマト』の巻

10月6日(日曜)の演奏会のレポートです。いまごろになってしまい申し訳ありません。

<この演奏会が開かれた経緯>
宮川彬良先生のトークタイムで経緯がたっぷりと語られましたので要約します。

  • ギャラクシティの館長がヤマトファン(そもそもギャラクシティ自体が天文オタク&松本零士オタク感に満ちている理由)。ちなみにパンフレットに載っている特濃な曲目解説を書いたのもこの館長さんという話し。
  • 指揮者の池田開渡さんが親の影響でヤマトファン。子供の頃から英才教育を受けてしまう。初めて聞かされたオケ曲が『交響組曲 宇宙戦艦ヤマト』
  • これは自慢だが、自分は交響組曲 宇宙戦艦ヤマトのレコードを発売前に聴いている。父親(宮川泰)が聞かせてくれた。父は反省点などを語っていた。
  • 第1作の交響組曲の演奏を考えたこともあるけれども譜面がないので諦めていた。ところが、ヤマト3199の作業のためスコアが無いかと実家に行ったところ、交響組曲ヤマトのスコアが出てきた(ヤマトよ永遠に、ヤマト3のスコアではなく!)
  • スコアと実際の演奏には異なる箇所もあるので、池田さんとチェロの飯島さんが耳コピで修正した
  • その結果が、今日の演奏会!

前置きはここまでで、演奏会の模様に入ります。

まずオーケストラは弦楽器が10型でチェロ6、コントラバス4でした。にも関わらず、金管は4-4-3-1なので金管が強めになります。もう少し弦楽器が多いほうが(14型程度)バランスが良くなるはずですが、オリジナルの交響組曲ヤマトも10型程度であることと、ステージ上にチェレスタやシンセサイザーなどいろいろな楽器が置かれているうえに、合唱もしっかり12人加わるということで人員配置的にもギリギリだと感じました。

次は演奏について。

まず第1部は若干リハーサル不足感やバランスの悪さがありました。第2部のリハーサルに重点を置かなければならない演奏会ではわりとよくある現象です。特に1曲目の「ニュルンベルク~」は特定のパートが出たり引っ込んだりしていて、アンサンブルが不安定でした。おそらくリハーサル時とホールの音響が変わってしまったためと思われます。「幻想序曲 ロメオとジュリエット」は宮川泰先生が影響を受けたと思われる曲です。ロミジュリのストーリーを20分少々で表現するという意欲作です。1曲目のニュルンベルク~と同じ「序曲」という言葉は入っていますが、これ1つで完結する曲です。クラシックの曲で標題に「幻想」と入ったら「形式感は重視していません」という意味になるので、とらえどころがない演奏になりやすいのですが、ロミジュリのストーリーをなかなかうまく表現していたと思います。

第2部はお待ちかねの交響組曲ヤマトです。

この演奏で素晴らしかったのが、ポリシーが一貫していたことだったと思います。自分が聞き取れたポリシーは3つです。それは、

1.ディテール(細部)は極力オリジナルを尊重し、完コピを目指す
2.その一方で、演奏表現のスケール感はオリジナルを超えたその先を目指す
3.自分が愛する音楽を大勢の聴衆と共有し、後世につなぐ矜持を示す

ということです。
1番目は誰でも考えることですが、再現芸術としては2番目以降の姿勢がとても大切であることはいうまでもありません。自分たちにはヤマトの音楽をさらなる未来へ音楽をつなぐ使命がある。このことを自覚したら、50年前の演奏の再現だけで済むはずがない。これはクラシック音楽界隈でも重視されていることです。再現芸術と言えば聞こえは良いですが、同じ曲を何度も演奏するとどうしてもルーチンに陥ります。また同じ音楽を聞きたいなら録音を聞けば良い。わざわざ生演奏で聞く意義は、毎日熱くベスト記録を更新する勢いで演奏に臨む姿を目の当たりにするところにあると思います。

そして、この日の演奏は見事にベスト記録を更新してくれたな、と思いました。

だからスコア的には完コピといって差し支えない内容でしたが、演奏解釈はオリジナルとはかなり違っていました。
オリジナルの交響組曲ヤマトは質の高いインストゥルメンタルではありますが、それほど肩肘張って聞くようなものでもないと考えて企画されたと想像します。またリズムの足取りが軽く、先へ先へと前に進むのが宮川泰先生の音楽の特徴が存分に発揮されていました。ところが、この日に披露された演奏はヤマトへの思い入れがこれでもかとばかりに注入されていて、とにかく演奏表現が濃かったです。テンポは大胆に変化するし、強弱のレンジも原曲よりかなり大げさになっていました。ただ単に楽曲を再現するのではなく、継承するという想いやヤマト音楽の魂を再現していると感じました。

ということで各曲の演奏についてコメントしていきます。

  1. OVERTUE-序曲
    おなじみサスペンスAから始まりますが、冒頭のヴァイオリンのポルタメントが原曲より粘っこいので、おや?と思いました(これが前フリだった)。なおサスペンスAの演奏上のポイントは最後のフレーズの最後の音(レ♭)をどのように鳴らすか?というところだと思います(譜例参照)

    クラシックの作法だとレ♭の直前のソでちょっと溜めてからレ♭を鳴らします。自分がYouTubeにアップしているサスペンスAもそうやって弾いています。これはもう、クラシック音楽を演奏する人の性(さが)みたいなものです。今回の演奏も一瞬溜めてからレ♭を鳴らしていたので『そうなるよね!』と深く同意した次第です。なおオリジナルの演奏はまったく溜めずにレ♭を鳴らします。これが宮川泰流です。
    サスペンスAが終わるとおなじみ「無限に広がる大宇宙」です。実はこの部分は音楽的にほとんど禁忌とされる接続になっていて、歌い出しがとても難しいです。なにが禁忌かというと…と解説していくと本が書けてしまうので、割愛します。(なにしろ言いたいことが山ほどあるので、交響組曲宇宙戦艦ヤマトの解説本を作ることにしました。笑)
    それで、とにかく歌いだしが難しいのです。しかしとても自然にスキャットが始まりました。声や歌い方が川島和子さんに似ているので驚きましたが、指揮者の方のリクエストだと思います。
    スキャットが終わると音楽の様相が展開部的なものになります。木管楽器がヤマトのテーマを奏でて弦楽器がピチカートで合いの手を入れます。この部分でホルンがものすごく難しいフレーズを吹かされます。ちょっと失敗して悔しそうでした(ホルンの失敗はここだけ)
    そしてティンパニロールからオーケストラで盛大に「無限に広がる大宇宙」が奏でられますが、オリジナルの演奏より遥かに壮大なスケール感になっていて、もうこの段階で私は滂沱の涙でした。この曲はそれで終わらなくて、終盤にも一捻りのユニークな展開が入ります。このユニークさをオリジナルよりも強調していたのが印象的でした。
  2. THE BIRTH-誕生
    この曲は「さらば宇宙戦艦ヤマト」におけるヤマト発進シーンで使われたので、始まった瞬間に聴衆全員が「微速前進0.5」と心のなかで呟いたと確信しています。
    重苦しいテンポから始まって、対位法的展開でテンポを上げて、「ヤマト乗組員の行進」に入ります。原曲はリズムが先走り気味でヴァイオリンがついていけないところがあるなどかなりスリリングな演奏になっていますが、普通にバッチリでした。最後にヤマト主題歌に入るところでドカンと音量を上げてきたのでまた涙です。そうだよね、ここで音量上げるよね、と深く同意するのでありました。
  3. SASHIA-サーシャ
    これはかなり演奏が難しい曲なので、一発勝負の本番はかなり怖いと思います。原曲は例によってスーッと流れるように演奏していますが、この日は拍節感(4拍子)を明確に表現していました。これもクラシック的な解釈です。なお2回入っているハープのグリッサンドは開始音やフレーズの弾き方まで完全に原曲をコピーしていましたし、弦楽器の弱音器を付けた音色もそっくりでした。まことにあっぱれです。
  4. TRIAL-試練
    冒頭から溜めまくりでした(笑)。サントラだと3曲分のメドレーで曲調もテンポも違います。この違いをオリジナルより明確に表現していると感じました。難しいのは後半の「ヤマトのボレロ」のパートだと思いますが、やはりクラシック音楽の解釈で強弱をよりダイナミックに表現していました。
  5. TAKE OFF-出発(たびだち)
    冒頭の難しいホルンは今度はバッチリ決まりました。この曲はテンポが徐々に速くなるのが特徴だと思います。原曲よりテンポアップ感が遥かにアグレッシブだったのでドラマティックでありながら華やかな聞き映えの演奏になりました。みなさんも爆炎の中を飛び立つヤマトが見えましたよね(集団幻覚)
  6. REMINISCENCE-追憶
    「悲しみのヤマト」です。トランペットソロが完コピでした。
  7. SCARLET SCARF-真赤なスカーフ
    冒頭の弦楽合奏パートはオリジナルよりも深く掘り下げ、後半のダンサブルなパートはオリジナルより遥かに躍動感がありました。ここまでは「オリジナルと違ってどちらもいい」という感じだったのですが、この曲に関しては今回のコンサートの勝ちです。やっぱりこういう曲は生演奏でこそ盛り上がりますね。「二人のヤマト」のアンコールで演奏されたときもそう思いました。
  8. DECISIVE BATTLE-決戦(CHALLENGE-挑戦~SALLY-出撃~VICTORY-勝利)
    サウンドトラックの4曲がメドレーで起承転結の構成になっています。内容が盛りだくさんなうえカタストロフ的な展開の楽曲が多く難度が高いと思われます。この日の演奏は構成の表現が見事でした。2番目の「敵宇宙船の襲撃」で緊張感を煽って、コスモタイガーでは原曲を凌駕するような躍動感を聞かせ、最後の大河ヤマトのテーマは壮大な大音量で締めくくります。わかってるな~とひたすら感心しまくる演奏でした。
  9. ISKANDALL-イスカンダル
    ヤマトの旅もいよいよ終盤。イスカンダルに到着します。アンコール前にも登場した彬良さんが言っていたのですが「本当に気持ちよさそうに演奏していた」。
    この曲が終わった後で合唱団が入場します。
  10. RECOLLESTION-回想
    「ショッキングなスカーフ」は思い切りショッキングに演奏されます。ここまでくると、そういうふうに演奏するだろうと思っているのですが、その想像を上回ってきます。「沖田の死」ではヴァイオリンソロがこれまた原曲を上回るのではないかと思うほど情感豊かに演奏されますが、ヴァイオリニストの方もヤマト大好きだったようです(笑)
  11. HOPE FOR TOMORROW-明日(あす)への希望〈DREAM―夢~ROMANCE―ロマン~ADVENTURE―冒険心〉
    まず、この曲が生演奏で聞ける喜びが大きかったです。ここまでの曲の多くは、ヤマト2199関連のコンサートで演奏されることがありましたが、「明日への希望」を生で聴く機会がありませんでした。合唱も入るので、今後も聞ける機会はまずないだろうと思っていたのですが、しっかり再現してくれました。しかもオリジナルの演奏よりずっと熱かったです。聴衆もすっかり盛り上がってしまっているので、演奏する方も乗せられている感がありました。
  12. STASHA-スターシャ
    弦楽器が弾き始めた瞬間にオリジナルと同じ弱音器の音色が出てきます。壮大な「明日への希望」のあとに、アンコールのようにこの曲を追加することを要求した西崎義展氏は、音楽のセンスは本当に抜群だったと思います。またそれに応えた宮川泰先生も素晴らしい。そんな奇跡のアルバムがこの『交響組曲 宇宙戦艦ヤマト』だったことを改めて実感しながら聞き終えました。

アンコール1

宮川彬良氏が「交響組曲を演奏したあとに、アンコールを求められなくても絶対やるっていってた曲がある」と言っていたので何が来るかと思ったら、まさかの「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」のラストシーンの再現でした。

  1. M-69
    「明日への希望」を歌った合唱隊がステージにいたので、そのままアカペラで歌いだしました。この瞬間はヤマト主題歌が始まるかな?と思った人も多いと思いますが主題歌とM-69はキーが違います。自分はM-69ということに気づかずに「あれ?低いな?」と思っていました。
  2. M-70「大いなる愛」
    そしてこの曲が始まります。ピアノは完コピです。最後の金管楽器のロングトーンは原曲にはありませんが、これは入れて正解だと思います。素晴らしかったですよね。

アンコール2+3

お約束の「宇宙戦艦ヤマト」です。ヤマトのイベントの締めの定番で全員で歌うことになります。この締めを何度も経験していますが、間違いなくこの日が最高の盛り上がりでした。

アルフレッド・パールのベートーヴェン ピアノ曲全集Vol.1の巻

届きました&聞きました。
ピアノソナタに関しては、基本的な解釈は30年前の録音からまったくといってよいほど変わっていません。変わったのはピアノの調整と拍節感、そしておそらくそれに伴うアクセントの弾き方です。

まずピアノは30年前より若干やわらかい音質に調整されています。30年前はかなりピーキーな調整でぎりぎりを攻めていると感じましたが今回は穏当な調整です。
拍節感は変化といってもわずかです。30年前は初期のソナタでテンポの速い楽章では前のめり気味に演奏することもありましたが、今回は前のめり感は微妙に抑制されています。とはいえこの差は本当に微妙で、30年前に感じられた若々しさや瑞々しさはまったく変わっておりません。
アクセントの弾き方は明らかに変わりました。30年前の録音で唯一疑問に思えたのがアクセントでした。とりわけ「タターンタ」というようなシンコペーションのフレーズにおいて、太字で書いた裏拍アクセントの弾き方が単に「アクセント記号やsfが付いているので強く弾きました」というような印象で、若干即物的に感じられました。今回はそこが全面的に改められています。つまりアクセントが付いた音を強く弾くだけでなく、その前の音を若干軽いニュアンス(わずかに弱く、なおかつ短い)で弾くことで「タ・ターンタ」というアーティキュレーションになりました。この部分は割と徹底しているので、パール先生の中で明らか解釈が変化したと考えられます。またピアノの調整が抑制的になったことと合わさり、耳に刺さるようなアクセントになっていません。急迫的なアクセントを好む人には少々物足りないかもしれません。しかし自分としては、こういう弾き方のほうがベートーヴェンの意図を反映していると感じます。

この全集は3分割でリリースされます。今回リリースされたVol.1にはピアノソナタ1番~11番と19、20番(ともにop.49)のほかにベートーヴェンが創作初期に作曲した変奏曲がかなりたくさん収録されています。この変奏曲の多くは習作と思われ、ピアニスティックなフレーズの書き方を実験しているように感じます。また書法はクレメンティの影響を強く感じます。長い楽章が多い上に技巧的な難度が高めピアノソナタと比較すると、1つの変奏がとても短く(多くても2ページ)ツェルニー30番~40番程度の難度におさまる初期の変奏曲は練習曲としてもよいと思います。

ベートーヴェンのピアノソナタは今年は相当聞いていますし、自分で演奏もしてきたのでいずれ詳しく解説を書きたいと考えています。(32曲もあるから大変!)

なおパールの以前の全集に関する紹介は下記をご覧ください。

harnoncourt.hatenablog.com

 

アルフレッド・パールがベートーヴェンのピアノソナタを再録音中の巻

以前とりあげたアルフレッド・パールがベートーヴェンのピアノ曲を全部(たぶん)録音するプロジェクトを開始していました。今回は作曲年代順にある程度まとめて3セットでリリースされることが決定しており、第1弾としてソナタ1番~11番までと、同時期に作曲された変奏曲(かなり多い)に加えロンド2曲が収録された5枚組CDが先月末にリリースされています。実はすでに注文しているのですがまだ届きません。さらに今月はディアベリ変奏曲が単体でリリースされる予定です。これも注文済みです。

このプロジェクトをピアノ独奏曲全集と紹介しているサイトもありますが、写真を見れば分かる通りComplete "Piano" Worksつまりピアノ曲全集なので、珍しい4手作品も収録されます。あと若い時期の習作も収録されることになっています。

前回の録音が1990年代半ばでしたからおよそ30年経過したことになります。前回の全集を聞いたときはその完成度に本当に驚き、21世紀はこのレベルが標準になるんだろうな、と感じました。実際、21世紀になってからポール・ルイスやエル=バシャ(2度目)といったピアニストによる極めて質の高い演奏のCDが発売される契機になったのではないかと思います。ルイスもエル=バシャも愛聴盤になっており、三者+四様の演奏を楽しむ日々にもうひとつ追加されるのが楽しみです。

ざっくりとした特徴は以下のようになります。

アルフレッド・パール(1990年代盤):瑞々しい音色を生かしたフレーズ表現を重視
ポール・ルイス:繊細で奥深い表現を企図
エル=バシャ:楽譜を再現する正確さと精度の高さ、対位法的書法を意識した表現

なお以前の日記は下記になります。13年も前です!

harnoncourt.hatenablog.com

 

勇気爆発バーンブレイバーン 勇気爆発祭の巻

すごかったです(語彙力喪失)

改めて好きな作品だということを思い知らされました。休養中だった鈴村さんはこのイベントに合わせて休養を終えることになったようですが、休養明けの最初のイベントが昼夜2回のダブルヘッダーなのは大変だったと思います。とはいえ主題歌とEDの生歌最高でした。

あとサントラ発売が決定したので予約しました。CyStore特典目当てでCyStoreと、メガジャケ目当てでAmazonと、フラゲ目当てでヨドバシの計3枚分なので、自分用・保存用・布教用ですね!イサミ(CV:鈴木崚汰)が歌う「ババーンと推参!バーンブレイバーン」が入るのが嬉しいです。たぶん解説本も作りますw

ベートーヴェン ピアノソナタ全集(1度目) エル=バシャの巻

エル=バシャがFORLANEレーベルで録音した1度目のベートーヴェン ピアノソナタ全集が届いたのでレビューです。こちらはスタインウェイでの演奏になります(2度目はベヒシュタイン)

このCD BOX、だいぶ前に届いていたのです。しかし当初は新旧の差異がわからず、レビューを控えておりました。なにしろ新旧ともに全曲完璧に弾ききっているので「わー、すごい」という感想にしかならないんですよ(笑)。

それで両方の全集を通しで何度も聴いたり、1つの楽章を新旧で比較するようなことをやって、旧録音はこうだ、一方で新録音はこうだ、というそれぞれの全集の特徴をつかもうとしました。その結果、間の取り方や時間の使い方が変わった曲がある、ということがわかりました。またデュナーミク(強弱表現)のうち、2度目の録音はフォルティッシモが抑制されていて、熱苦しいアクセントが付いた表現が減っています。ただこれはピアノの違いも影響していると思います。大きな違いがあるのはピアノソナタ1番です。この曲は1度目の録音ですら全体的にテンポが遅めでかなりユニークな演奏です。しかし2度目はさらに遅くなる上に溜めを強調する仕草を多用しますので、これが本当にエル=バシャか?と疑いたくなりました。しかしそういう曲はわずかでして、1番以外は新旧を交互に聞き比べないと明確な差異がわかりません。なお曲目には差異があります。1度目の全集にはソナタ以外に幻想曲op.77が入っていますが、2度目は入っておらずソナタだけです。

ということで、後は1度目の録音に関してのレビューです。
エル=バシャらしいディテールの完成度の高さが光る録音です。まず付点音符が正確です。熱情の5:1の付点も律儀に5:1です。音価(音符の長さ)を正確に、明確に表現するために全曲にわたってテンポが抑えられているのも新旧ともに変わりません。ここにエル=バシャの主張が明確に現れています。速いアルベルティ・バスやトレモロなど、他のピアニストが和声の流れとして表現しがちなフレーズも1つ1つの音を明確に分離するように弾きつつ、特定の音符をわずかに強調して対旋律など対位法的な書法を表現します。無窮動なフレーズに対してさりげなく、しかし明確な意味を与えるテクニックがめちゃくちゃうまいです。
op.49やテンペスト、かっこうなど、演奏難度が低い楽曲はどうしても音楽的に軽くなる傾向がありますが、他の曲と同じ重みになるようにしっかりした演奏表現を盛り込んでいます。ショパンの葬送ソナタのもとになった12番は、ショパンの葬送ソナタ以上に楽章の関連性が希薄で表現が難しい曲なのに、精緻な強弱表現を用いることでそれぞれの楽章をしっかりと掘り下げることで、心地よい緊張感を維持しつつ4つの楽章をつなげることに成功しています。重苦しくなりがちな第3楽章の葬送行進曲も沈痛という表現がぴったりの内容にまとめているため、第4楽章に入った瞬間にふっと音楽が浮上します。こういった楽章単位での重さ・軽さの表現も絶妙なバランスです。

技術的に鮮やかだなと感心したのがワルトシュタインのオクターブグリッサンドとハンマーグラグーア第4楽章のフーガです。ハンマークラヴィーアはいろんなピアニストの演奏を聴きましたけど、エル=バシャが最高峰だと思います。特に1度目の録音はみずみずしくて良い(FORLANE時代のエル=バシャの特徴でもある)。これはぜひ聴いていただきたいです。なんとYouTubeで聞けちゃう。

ワルトシュタイン第3楽章:グリッサンドは8分30秒あたり。

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ハンマークラヴィーア第4楽章:フーガは2分すぎから

www.youtube.com

 

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※エル=バシャのネタはまだあるので、しばらく続きます(笑)

ヤマトよ永遠に REBEL3199 第一章における福井晴敏の「反抗」の巻 <ネタバレあり>

公開日に見てきました。
以下ネタバレありで感想というか私見を書きます。

本作は福井晴敏さんがヤマトに関わり始めて3作目となります。ただヤマト2205新たなる旅立ちとニコイチの企画ということなので実質2作目という話もあります。ニコイチ企画ということを考慮すると、旧作では独立エピソードだった「新たなる」が、リメイクヤマトシリーズでは大きなターニングポイントになります。このあたりのシリーズを俯瞰した視点とともに書いていきます。

 

1.「ヤマトよ永遠に~ヤマトIII」を再構築する

ヤマトよ永遠に REBEL3199(以下、ヤマト3199と書きます)は、福井晴敏による「ヤマトよ永遠に」~「宇宙戦艦ヤマトIII」の再構築かつ再定義であることを確信しました。なぜそんなことをするのかというと、福井さんが初めてリアルタイムでヤマトを体験したのが他ならぬ「ヤマトよ永遠」にであり、さらに彼がシリーズで一番好きな作品だからです。そして、ヤマトシリーズが変な方向に転換したのも「ヤマトよ永遠に」だからです。

 

2.オリジナルの「ヤマトよ永遠に」および「ヤマトIII」について

まずオリジナルの「ヤマトよ永遠に」の基本的な設定や流れを押さえておきたいと思います。これがヤマト3199第一章の重要な再構築ポイントになるからです。

  • 正体不明のエイリアン(暗黒星団帝国)が突然地球に侵攻します。
  • 組織的あるいは散発的な抵抗も虚しく、地球は瞬く間に制圧されれます。
    これらのことから暗黒星団帝国側には綿密な計画性が伺えます。しかしその件に関しては劇中では一切説明されません。計画性に関しては地球側も同様で、無人艦隊をあらかじめ配備しておくなど平時としては過剰ともいえる防衛体制が敷かれていますが、その背景は一切説明されません。
  • 暗黒星団帝国はヤマトの所在を徹底的に調べます。まるでヤマトの存在を怖がっているようにすら見えます。
    ヤマトファン的には、ヤマトは強いから怖がられてるんだろうと思いがちですが、旧作では直前のエピソードにあたる「新たなる旅立ち」においてガミラスもヤマトもゴルバの装甲にダメージを与えることもできず一方的にやられています。つまり地球侵攻開始時点において、暗黒星団帝国がヤマトを恐れる要因は一切ないにも関わらず、ヤマトに対して異常な執着を見せます。これについての説明も一切ありません。
  • しかし反攻したヤマトによって中間基地が破壊され、複数のゴルバでも敵わないという事態が明らかになって暗黒星団帝国はヤマトが母星にまで到達することを予見し対策を取ります。
    そしてニセの美術品やヤマト撃沈MAD動画といった陳腐な偽装から、母星すべてを地球に偽装するという大規模な目眩ましを用意し、なんとかして時間稼ぎをしようとします。これだけの対策を短時間でやってのけるのは異常です。(たとえば時間断層でもない限りは不可能でしょう)
  • 重核子爆弾について
    スカルダートいわく「聞き分けのない一部の人間に対する脅しにすぎない」。ということは、暗黒星団帝国の言い分(もちろん欺瞞です)を聞き入れていた人間もいた可能性があります。しかしこれに関しても何の説明もありません。

以上のごとく肝心な設定は何も説明されないまま、ヤマトが暗黒星団帝国を完膚なきまでに叩き潰して終わります。オリジナルの「ヤマトよ永遠に」はあまりにもご都合主義的な作品だったと言えるでしょう。もちろん想像の余地があるという評価もできます。しかし自分はいまでも「ヤマトよ永遠に」は、単にヤマトを救世主的な英雄扱いするための舞台装置としてストーリーや設定が安易に作られるような体質に変えてしまった、悪しきターニングポイントであると認識しています。

そうなった背景として、オリジナルの前2作(「宇宙戦艦ヤマト2」と「新たなる旅立ち」)において、ヤマトが最終的には負けたことが影響していることは明らかです。ガミラス戦争においてたった一隻で地球を救ったヤマトが、続編においてはテレサ、スターシャという女性の献身によって救われる立場になってしまいました。エンタメとしてカタルシスのあるストーリーにするためには、やはりヤマトが救世主でなければならない。その結果として作られたのが「ヤマトよ永遠に」ということは今となっては容易に想像ができます。

ついで「宇宙戦艦ヤマトIII」の件になります。
「ヤマトよ永遠に」でもサーシャの犠牲があった上に、やはりあまりにもご都合主義であるという批判は当然ありました。そこで原点回帰ということで「宇宙戦艦ヤマトIII」が企画されます。ヤマトIIIの特徴として、下記の事が挙げられます。

  • ガルマン・ガミラスとボラー連邦の2大勢力の狭間で翻弄される地球
    当時の世界情勢、つまり東西冷戦に巻き込まれた日本の立場が容易に想像される状況です。
  • ガルマン・ガミラスが抱える問題の掘り下げ
    急激な版図拡大政策のため情報共有や命令・指示の徹底がなされない状況が描かれるなど、政治的な描写も重視してご都合主義からの脱却を図っていることがわかりました。
  • 新キャラによるテコ入れ
    古代と雪を始めとする第一作から継続しているキャラクターの成長を描くのは難しいので、土門、揚羽という2人の若い新キャラを軸に第一作で見られた若者の成長ストーリーを描くという意図です。
  • 地球滅亡の危機
    これは第一作と同じ舞台装置です。(ただ必然性に乏しい上に科学的な整合性がまったく取れないひどい設定だと感じました)

当初は全52話、丸1年かけての放映ということでエピソードをじっくりと掘り下げた演出が多かったです(ただし進行が遅いという弊害もあった)。ところが途中で放映話数を半分に減らされ、短期間でストーリーを完結させるため極めて強引な展開になります。その結果、終盤は急に駆け足状態になって最後はボラー連邦が一方的に壊滅して終わりました。その内容の歪さに関しては当時の声優さんたちも苦言を呈するほどで、ヤマトシリーズの中でも惨憺たる様相を呈した一作ともいえます。しかし今となっては欠番を生じさせず終わらせたこと自体が奇跡ではないかと感じます。

 

3.福井さんの再構築について

福井さんは「新たなる旅立ち」から始まるシリーズをそのまま作り直したら、リメイクヤマトシリーズもオリジナルのヤマトシリーズと同じ運命を辿る可能性が高いと考えたと思います。リメイクヤマトシリーズはおそらく完結編に相当するエピソードまで計画されていると思われ、そこでは沖田艦長も復活するはずです。リメイクシリーズではすでに沖田艦長の復活に関しても理屈付けができるようになっていますが、どんなに理屈をこねても沖田艦長復活はご都合主義的なのは否めません。そもそもヤマト2202でも時間断層や終盤の展開などには相当に無理がありました。なので、福井さんは新たなる旅立ち~ヤマトよ永遠に~ヤマトIII相当のエピソードをリメイクするにあたり、完結編を見据えた上で3作を一貫するナラティブを用意ことでストーリー展開に整合性と説得力を持たせようと考えたと思われます。

そこで原作(旧作)のご都合主義な設定や展開に対して可能な限り意味のある都合を用意し、ヤマト2205~3199を企画したと思われます。このあたりは、宇宙戦艦ヤマト第一作において整合性が取れていなかった描写や演出に対して、意味のある設定を与えることで一貫性を整えたヤマト2199とよく似ています。
REBELというのは反抗という意味があるそうですが、福井さん的には旧作のご都合主義に対する反抗ではないかと思います。ヤマト2205~3199第一章を見る限り、旧作の映像表現やその演出意図は肯定した上で、制作の進め方や根拠のない設定については批判的な立場を貫いているように感じました。

 

4.ヤマト2205新たなる旅立ち~ヤマト3199第一章で明確に意味づけされたもの

(1)デザリアムの侵攻が極めて用意周到な計画に基づくことを匂わせる
(2)デザリアムの言い分に対して「聞き分けのある人」の存在
(3)デザリアム侵攻を予見した「オペレーションDAD」
(4)旧ヤマト関係者をオペレーションDADの対象者にした理由

まずヤマト2205新たなる旅立ちにおいて、デザリアムが明確にある意図をもってイスカンダルを鹵獲しようとしたことが示され、さらにはデザリアムが未来の地球であるかのような情報も示されました。もちろん、この情報がブラフである可能性は否定できません。(2)~(4)はヤマト3199第一章で示され、オリジナルの「ヤマトよ永遠に」ではまったく触れられなかった裏事情が確かに存在することとして表現されました。
とりわけ(4)については「イスカンダル事変で命令違反した連中を閑職に回す」とも見られる体裁を取ることで整合性をもたらしたのが印象的です。この結果、親デザリアム勢力と分断し、オペレーションDADを遂行しやすくしたと考えられます。といってもオペレーションDADも親デザリアム派には漏れていたわけで、双方にスパイがいることが伺えます。南部は大っぴらにスパイしていましたが、あれも第三者がもたらした情報に基づいてやっていると思われます。父親の執務室に乗り込んでやっていたのは、すでに切羽詰まった状況になっていることもわかっていたからです。この情報提供者が誰なのか非常に気になるところではありますが、おそらく星那の関係者ではないかと推測します。藤堂さんたちがオペレーションDADの対象者に事前連絡をしなかったのもスパイ対策と思われます。以前のヤマト乗組員たちをオペレーションDADの中核とした理由も、おいおい説明がなされると思います。