研究生活の覚書

研究していて、論文にするには届かないながらも放置するには惜しい話を書いていきます。

デモクラシーを愛す

2006-10-29 04:32:05 | Weblog
アレクシス・ド・トクヴィルの『アメリカのデモクラシー』の最初の巻は、1835年にフランスで出版された。同書は、その年のうちにヘンリー・リーヴ(Henry Reeve)が英訳したので、すぐに英仏の読書会の話題をさらうことになったが、それが当のアメリカ合衆国に流通したのは、ずいぶんあとのことになった。理由は、当時の米仏関係が極めて険悪であったことに加えて、同書に示される主張が、ホイッグ(イギリスのそれではなく、フェデラリストの系統を引く保守勢力。ここにも保守とリベラルの大西洋両岸の違いが見られる)の社会観・歴史観が強いということで時のジャクソニアンたちが反感をもったためであると言われている。ちなみに、同書の最初のアメリカ版は、リーヴの英訳を無断でコピーしたもので、どうやらトクヴィルは終生アメリカからは印税をまったく受けられなかったようである。

彼の『デモクラシー』の中で、アメリカ人たちが特に反発を覚えたのは、「多数者の専制」と「デモクラシーは高度な芸術を生み出せない」という二つのテーゼであろう。前者については、ジェイムズ・マディソンが悪魔のような筆遣いでその匡正策を『ザ・フェデラリスト』の中で論じていて、トクヴィルもそれを読み、大いに興味をそそられていた箇所だが、ジャクソニアンたちには、何か言いがかりのようにしか感じられなかったようである。後者についてはいうもさらなりであろう。

結論から言えばトクヴィルの言ったとおりなわけだが、アメリカ人が凄かったのは、それに対して、「反知性主義」で居直ったところである。この言葉は、リチャード・ホーフスタッターの『アメリカにおける反知性主義の伝統』という著作で有名になった分析概念だが、ここで注意しなければならないのは、「反知性」とは、「バカ」という意味ではないことである。ここでいう「知性」とは、「ヨーロッパ人のような考え方」という意味である。だから、「反知性主義」とは、「ヨーロッパ人のようには考えない」という決意である。ここまでいうと、「古いヨーロッパ」というブッシュ政権の言葉が、単純に笑えない迫力ある内容をもっていることが分かるだろう。

「知性」がなぜ「ヨーロッパ人のような考え方」ととらえられたのか。これを明らかにするには、アメリカ建国の歴史を正確に追わなければならないが、さしあたり、歴史と伝統に関するヨーロッパ人のとらえ方と、そこにおける自己の位置づけをイメージするしかない。結局、「インテレクチュアルズ」というのが、アメリカ社会の中で、「よそ者」と感じられるのも、こういうことが理由なわけで、アイヴィーリーガーというのは、どこの国の連中か分からない不愉快な人々なわけである。調子に乗って、乱暴な類比をするなら、本居宣長の「漢心(からごころ)」を弄するのが知識人で、しかしながら、そういう考え方を排するのが「大和心(やまとごころ)」という「反知性主義」みたいな感じであろうか。ただ、それでもアメリカに決定的にかけているのがやはり「歴史」なわけである。

ボストン美術館にある、アメリカン・アートのコーナーで私は笑いをかみ殺すのに苦労した。確かにあれは小学生の工作のレベルである。カンバスに何かプラスチックの破片がたくさん貼り付けてあるのだが、糊が乾いていくつかがはがれ落ちているのもある。その横で厳しい顔で立っている黒人のガードマンみたいな男に、「いいのか?」と問うと、彼は慌ててその断片を拾い上げ大事そうにポケットにしまった。私は急に自分はひどく品のないことをしたと思った。気づかないフリをしてやるのが「知性」だったのだ。

チェスタトンは、『正統とは何か』の中で、「それは少年の頃に見あげた大木の大きさ」であると表現した。私ごときの文章でその言葉の意味を説明するのは不可能である。ただ、大木の下に立って、その神秘的な大きさを感じていただくしかない。彼はそれを、「正統という名のロマンス」と呼んだ。エドマンド・バークは、『崇高と美に関する我々の思惟の起源についての哲学的探究』の中で、「崇高とは、美の堆積した伝統から醸成される圧倒的な支配力」であるという趣旨のことを述べ、また彼は『フランス革命の省察』の中で、マリー・アントワネットの輝きをこうした文化的観点から表現している。

しかしである。
実は私は、こういう崇高と美を破壊する権利は、常に民衆に留保されるべきであると考えている。考えても見て欲しい。崇高と美にまつわるものが、どれだけそれに預かり損ねた者たちに不愉快な思いをさせてきたかを。私は、困ったことに個人的資質としてはトーリーである。一方、子供のころから漁師のこ汚い友達と遊びぬいてきたが、はっきりとああいう連中にはどうしようもないのが多いと断言できる。しかし、私は彼らと同じ一票しかもたない事実をとても愛している。それゆえ、個人的には恵まれて育っているくせに、政治的見解がリベラルな人間が大嫌いである。そういうわけで、私は実はデモクラシー万歳の人間である。なぜなら、デモクラシー下では、リベラルな見解は、絶対に支配的にはならないからである。そして、歴史を検討するかぎり、隠微なアリストクラシーよりもポピュリズムが特に悪かったという証拠はどこにもない。穏健な私は、それゆえデモクラシーこそが理想的な体制だと確信しているのである。例え、デモクラシーの帰結があからさまなアリストクラシーを生み出したとしても、隠微で非公式なアリストクラシーよりは、何百倍もマシである。公式的なアリストクラシーならば、いつでも転覆できるからである。

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僕もトーリー的ホイッグなのかも知れません (standpoint1989)
2006-10-31 11:22:59
この記事にはまったく同感なのですが、オッカムさんのようなきちんとした知識人の方とわが身を同列にみなすのもおこがましいのですが、境遇的に似たものがあるように感じます。
やっぱり生まれ育った故郷を捨てられないということでしょうか(笑)。
マリー・アントワネットのロココ的洗練は、ヴェルサイユ行進での激昂した民衆を沈静化させる効果はありました。それは正統への畏怖であったのかも知れません。
しかしその正統は必ずしも全体への奉仕を内包していたわけではなく、ロココ的洗練に対する破壊衝動の帰結が、ボナパルティズムの暴威であったとしても、ロココ的洗練が民衆への視線を欠いていたからこその帰結だとは思います。
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Unknown (オッカム)
2006-10-31 16:45:27
いや、お恥ずかしい(笑)。
たぶん、年も同じくらいですよ。私は、大学に入学したのがちょっと遅かったのですよ。公務員のセガレですから貧しくはなかったのですが、高校卒業後、プロレタリア生活を少しだけやりまして、それから今のコースに入ったので。団塊の世代の子供でしょうね、お互い。あの世代の偽善と現実の矛盾の帰結を成人してからモロに受けたのです(笑)。

あと、故郷については、「記憶」によって先鋭化されるんでしょうね。これを私にうながしたのは「東京」の存在ですねえ。東京大学じゃなくね(笑)。東京です。東京がどれだけ怪物かということは、それ自体議論の世界でしょうね。辺境の秀才少年が(笑)どれだけ、屈辱をうけたかね。この屈辱の中に、いろいろ一般化できる何かがあるんだと思うんですけどね。

ロココ的洗練。確かにおっしゃるとおりですね。これは、平城京建設以来、「バルバロイ」を屈服させる手段で、私は実は、そういうのが好きなのですよ。トーリーですから。でも、これが全体への奉仕への気概がなくなった瞬間に、実に頭にくるものになるんですよね。エリート教育に失敗した日本は、実に人のルサンチマンを刺激します。
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