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形に対抗するにはやはり形だなあ(靖国神社)

2006年08月22日 | よしなしごと
色々と話題の多い靖国神社ですが、設立の過程はともかく、れっきとした宗教法人。つまり今の政府がとやかく口を出そうにもそれはまあ、信教の自由の侵害ということになるのでしょうね。早い話が民社党政権になろうが、共産党政権になろうが、オウム真理教の様に解散させるまでの強権を発動するにはちょっと抵抗があるのではないでしょうか。

解散させるにしても、それはあくまで靖国神社の自主的な意思以外には方法が無い。A級戦犯の合祀問題にしても、極端に言えば他人がとやかく言う問題でもない。いや、言ってもいいんですが、つまるところ靖国神社の自主性の問題。なかなか難儀なものですが、プラスの面マイナスの面それぞれ考えてもやはり宗教法人の自主性は守るしかないでしょう。片方で信教の自由をかざしながら、片方で靖国神社を解散させろじゃあ、宗教人は自分で自分の首を絞めるようなもの。聞くところによると最近は靖国神社も財政的にかなり厳しいとか。政府のひも付きではないようです。

ま、死んだ人の意向を無視してという問題もありますし、いくつか訴訟もあるようですが、やはり盾になるのが宗教法人格ということらしいです。沖縄を旅して思ったのですが、歴史的に無理やりに日本に併合され、日本国民だからという理由で戦争への協力を強制され、人口の3分の1が亡くなった、靖国に祭られたくない故人も多いと思います。

儀式には儀式、法人には法人、宗教には宗教です、この際仏教でもキリスト教でも、新興宗教でも、神道でも、土着宗教でも何でもいい、宗教界全体というわけにはいかないと思いますが、せめて各宗派が団結して靖国に乗り込み、それぞれのやり方で魂を抜く儀式でもとりおこない、魂を返してもらえばいい。絢爛豪華な袈裟でもガウンでもいい、なるべく派手にそういう儀式を執り行う。そういった目に見える形でのイニシエーションというか、デモンストレーションが靖国神社をまっとうな神道へと立ち戻させる機会にはなると思います。

偶像崇拝否定だとか、心の問題だとか言うのも、管理人自身一宗教人ですので、よくわかります。しかし相手が目に見える威圧的な形を保っているのですから、同じ土俵で勝負しないと、最初から勝負になりません。神道はそもそも、日本人の心情によくマッチする、「形」を重んじる宗教なのです。口に悪い人(管理人じゃあありません)など、「形」への信仰だと言うくらいです。