太田市長とれたて日記

清水まさよしが太田の元気をお届けします

借金は自治体だけの責任か

2008å¹´03月11æ—¥ | Weblog

「嬬恋村 財政に黄信号」という記事があった。
収入に対する借金返済額の割合を示す指標が25%を超えたという。他人事のような気がしない。いつ、わが身に降ってくるか。

 

国が健全財政の指標をあれこれつくる。あれこれのなかでも、とりわけ「借金」はまちに重くのしかかる。そのすべてがまちの責任か、というとそうでもない。国が借金のまちに仕立ててきたところも多い。
「借金をしてもいい、こんなメニューがあるからやりませんか」と誘いをかける。
新しい事業をやれば市民が喜ぶ、こんなことは首長ならだれでも思う。「後年、交付税でめんどうみますよ」なんてささやかれれば「じゃ、そうゆうことに」となる。
これが借金まちの元凶になる。
夕張市が再建団体になって苦しんでいるが、その責任の一端は国にあると思っている。その苦しみを市民だけに押し付けているが、それはあまりに気の毒というほかはない。

 

国も800兆円とか900兆円とか、よくわからないほどの借金をしている。
国が借金をして地方に補助金を出して事業をすすめる。まちとくつわを並べて借金していくのだ。表(一般会計)で借金ができなくなれば、裏(特別会計など)で借金していく。
これからは、自治体には連結決算で借金がどれほどかを示せ、という。
それは大切なことではある。だが、同じように国でも連結ですべての借金を国民に示して、対応策を具体的に説明すべきだ。でないと、共倒れになる。
それは「もう、国には頼れない」ということを自治体に分からせる有力な方法ではないか。
今は「破綻したまちが悪い。市民が苦しむことは仕方がない」と放っておくのではなく、その責任の一端を担ったのは国であるし、手を差しのべなければ市民が気の毒である。
夕張市の温水プールの屋根が雪で崩落した様子をテレビで見て、「いずれ同じようなことが日本中どこでも起こる」と予感した。
あれは市民だけの責任ではない。再建団体までにした国や北海道にも責任がある。
雪下ろしくらいの支援はすべきではなかったか。

 

「農産物のブランド化」とか「観光」ということがいわれる。そうすればまちが元気になる、そう思っている人もいる。なかなかそうはいかないのである。
嬬恋はキャベツであまりにも有名である。富士宮市に行った折、ある牛丼チェーンの大手、食材センターを視察した。「これは嬬恋のキャベツです」私が群馬から来たからか、「群馬のブランド物を使っていますよ」と案内いただいた方がいっていた。
夕張メロンもあまりに有名ブランドである。近隣のまちに行ったときメロンを食べさせてもらった。夕張メロンとまったく同じ味である。肌色に熟れたメロンは舌に快い甘さを感じさせてくれた。
「夕張メロンは格別ですね」
「これは夕張メロンではないんですよ。あれはブランドで名前を使わせてもらえません」
そういうものか、と思った。
「とちおとめ」がある。群馬で「とちおとめ」をつくっても別に訴えられることもない。
話はそれたが、ブランド化することによってまちが豊かになるというわけでもない、ということの事例である。

 

国が「財政健全化法」をつくったが、シンポジウムで私なりの健全であるかどうかの指標を別の視点で話をしてきた。体験からの指標である。
「自分のまちで得られた収入で職員の給与が払えるか」
これであった。あまり科学的でないので「にやにや」されるだけだったが、今でもそう思っている。分かりやすくはないか。
今、代議士になっているある町長さんに言ったことがある。
「交付税で人件費を払うようではまずいよ。得た収入で払わなければ・・。自治ってそういうものじゃないかな」と。いやみに聞こえたかもしれない。
払えなければ人を減らすしかない。5億円しか税収入がなければ、5億円以内で経営すべきである。家庭と同じである。
そこまで切り詰めて再建団体になるようだったら、それは国の地方自治体への施策が間違っているのだ。

 

人件費を交付税で払ったり、借金に頼ったりするのは「限界自治体」だと早く気づかねばならない。再建団体は市民を困惑させることにしかならないからだ。

 


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