あるコリア系日本人の徒然草

反日・嫌韓が言われて久しいですが、朝鮮民族として、また日本人として、ありのままの感情を吐露していこうと思います。

在日とは、どういう外国人か? (国籍取得条件とからめて)

2005å¹´02月08æ—¥ | ãƒ¡ã‚¤ãƒ³ã®ãŠè©±
昨日の「在日とは、どういう外国人か? (歴史とからめて)」の続きです。今回の話はかなり長くなりますが、我慢してお読みください。世界には、国籍取得条件として、出生地主義を採用している国と血統主義を採用している国の二種類があります。おおまかにわけて、アメリカ・カナダ・オーストラリアなど伝統的に移民の国では出生地主義をとり、そうでない国では血統主義を取ってます。しかし、血統主義を取っている国でもまちまちで、純粋に血統主義をとっている国としては日本・韓国・中国などで、状況により出生地主義も取り入れている国は、大半のEU諸国です。

例えばドイツでは、片親が8年以上ドイツに住んでいると、子供は無条件にドイツ国籍が与えられますし、フランスは限りなく出生地主義に近いです。昔に比べ、現在は単一民族として国が存在できないようになってきており(国際化による)、血統主義が基本でも、部分的に出生地主義を取り入れている国が増加してきています。二重国籍を認めるかどうかについては、国によってばらばらで、どれがスタンダードか、というのは一概に言えない状況です。

さて、在日の日本国籍取得を論ずるにおいて、切り離せないのが、旧植民地(朝鮮と台湾)と旧宗主国(日本)という関係です。まず、海外において植民地が宗主国から独立したとき、国籍がどうなったのかを見ていこうと思います。

≪イギリス≫

大英帝国の支配権はかつて例を見ないほど大きく、それがゆえに植民地の独立後の市民権の変遷はあまりに複雑で、正直に言ってよくわかりません。しかも、独立後もイギリス連邦に所属しており、形式上元首はイギリス女王ということになっています(例えば、オーストラリアなども未だに元首はイギリス女王であり、現在大きな議論になっているようです)。こうした日本の場合との違いはさておき、在イギリスの植民地出身者に対しては、イギリス連邦の市民権・かつ後に居住権を与えたようです。もっともイギリス外に住んでいる植民地出身者に対しては、市民権はあるが居住権は与えないようにして、イギリスへの移民流入を防いだようです。

イギリスにおいてもっとも分かりやすい例は、インドの独立だと思います。この独立時、在英インド人は国籍選択権を与えられました。この例を在日に当てはめると、戦前日本内地に渡ってきて、内地で生活をしていた朝鮮出身者に対しては、無条件に日本国籍を与えられることになります。一方朝鮮戦争時に不法入国した韓国・朝鮮人に対しては、日本国籍は与えられません。

≪フランス≫

次はフランス・アルジェリアの関係について見てみます。1962年のエビアン協定にてアルジェの独立が認められるのですが、在仏アルジェリア人はやはり国籍選択権が与えられます。ただし、このとき相互協定があり、在アルジェリアフランス人に対しても、国籍選択権が与えられました。

≪ドイツ≫

最後にドイツ・オーストリア併合について見てみます。1938年、ナチスドイツによってオーストリアはドイツ第三帝国に吸収合併されます。敗戦後ドイツ第三帝国は、アメリカ合衆国・イギリス・フランス・ソビエト連邦による分割統治が行われ、1955年に西ドイツ・オーストリアが主権を回復します。1956年5月、国籍問題規制法により、ドイツ国内に居住するオーストリア人は、「国籍選択権」が認められました。日本・朝鮮半島の関係は、このドイツ・オーストリアの関係に最も近いと考えられます。

さて、一方日本における在日の誕生は、どういういきさつがあったのでしょうか?敗戦後の有力者の発言を引用します。

<堀内内相>1945年12月5日、衆議院選挙法改正委員会
「内地に在留する朝鮮人に対しては、日本の国籍を選択しうることになるのがこれまでの例であり、今度もおそらくそうなると考えています」
<川村外務政務次官>1949年12月21日、衆議院外務委員会
「(国籍選択については)だいたい本人の希望次第決定されることになるという見通しをもっている」

おそらく1948-49年頃までは、日本政府も国籍選択権を与えることを考えていたのではないかと思います。ところが1948年に大韓民国・朝鮮民主主義人民共和国が建国され、1950年ついに朝鮮戦争が勃発します。この間に済州島における赤狩りの名を借りた虐殺事件(四・三事件)などがあり、朝鮮半島からの不法入国(事実上の難民)の問題が発生します。こうした事態を受けて、日本政府の態度が急変化し、最終的に国籍選択権が与えられないことになりました。また日本を反共の砦にしたいGHQ側にとっても、スパイ防止の観点から慎重になったことは、容易に推測されます。

以下の発言に、当時の日本政府の対応がよく現れています。

<西村条約局長>1951年11月5日、衆議院平和条約特別委員会
「かって独立国であったものが、合併によって日本の領土の一部になった。その朝鮮が独立を回復する場合には、朝鮮人であったものは当然従前持っていた朝鮮の国籍を回復すると考えるのが通念でございます。」
「日本に相当数の朝鮮人諸君が住んでおられます。これらの諸君のために、特に日本人としていたいとの希望を持っておられる諸君のために、特別の条件を平和条約に設けることの可否という問題になるわけです。その点を研究しました結果、今日の国籍法による帰化の方式によって、在留朝鮮人諸君の希望を満足できるとの結論に達しましたので、特に国籍選択というような条項を設けることを(連合国側に)要請しないことにしたわけです」

こうして1952年のサンフランシスコ平和条約を機に「民事局長通達」により、旧植民地出身者は「日本国籍」を無条件に喪失することになり、「在日」と言う存在が誕生することになりました。かつ、上の西村条約局長発言の中で、「今日の国籍法による帰化の方式によって、在留朝鮮人諸君の希望を満足できる」としているのですが、戦後非常に長い間、帰化申請の却下率が極めて高かったことから、帰化方式が国籍選択方式に代わり得るものにならなかったのは、明らかです。

では一体この時の日本政府に問題点はあったのかどうか、上述した海外の例と比べながら、また「国籍選択権付与反対(基本的に日本政府の対応に問題はなかったとする意見)派」の主張を引用しながら分析してみようと思います。以下に、この反対派の主張をいくつか提示したいと思います。

≪その一≫
日本がまだGHQの施政権下にあった1949年10月7日、駐日大韓民国代表部はマッカーサー連合国司令官に「在日韓国人の法的地位に関する見解」を伝え、「在日大韓民国国民の国籍は母国の韓国であり、日本国籍は完全に離脱した」という趣旨の宣言を行ったので、日本政府が国籍を一方的に剥奪したと言うのは誤りだ。

≪その二≫
国籍選択権は、フランス・アルジェリアのように相互に与えられるべきだ。

≪その三≫
ドイツ・オーストリアの併合は、非常に似通った民族同士の場合であり、日韓併合と同様に論じられるものではない。

≪その四≫
日韓併合のほかの例の場合すべて、旧植民地若しくは併合国が当時の支配を、結果として合法と認めている。ところが韓国・台湾に関しては、旧植民地が「併合自体が不法であり無効」ということになっており、この論理で行くと、旧植民地出身者に関しては日本国籍を持っていたことすら無効、ということになり、国籍選択権が入る余地はない。

私が見たことのある主張は大体こんな感じです。それでは一つ一つ私の個人的意見を述べたいと思います。あくまで私の個人的意見(私は専門家でもないので)であり、異論のある方はどんどんご指摘ください。

「主張≪その一≫に対する反論」
これは韓国(民団)側の完全に一方的な通告であり(同様の通告は総連側にも見られる)、こんなものを認めるほうがおかしい。実際、上述した1949年12月21日の川村外務政務次官の発言においても、国籍選択権を認めるような発言が見られる。またドイツ・オーストリアの例でも見られるように、こういう問題は一方的通告では何の拘束力もない。そのような点で、国籍喪失に関しては、民団(韓国側)・総連(北朝鮮側)・日本政府三者とも責任があると思われる。

「主張≪その二≫に対する反論」
私の知る限り、イギリス・ドイツの例において、相互に国籍選択権が与えられた、と言う話は聞かない。むしろフランス・アルジェの例が特殊だと思われる。逆に言えば、フランスの外交力の強さを示しているのかもしれない。

「主張≪その三≫に対する反論」
日本政府は、「一視同仁」「内鮮一体」という建前のもとに、日韓併合を行った。一方ナチスドイツは、同じ民族としてドイツ・オーストリア併合を行った。別に何ら変わらない。

「主張≪その四≫に対する反論」
少なくとも1952年の時点では、日本は日韓併合が無効などという主張は受け入れていない。仮に無効を受け入れたとしても、事実旧植民地出身者が日本に住んでいるし、この事実は明らかに植民地時代と関係しているのだから、併合の有効性と国籍選択権は何ら関連性がない。

さて、総合した私の意見は、当時の日本政府・韓国政府+民団・北朝鮮政府+総連の三者すべてに責任があったと思います。戦後ちゃんとした話し合いも持たずに決定し、結局一番の犠牲者は、日本人として生きていきたかった在日本旧植民地出身者です。もちろん当時は冷戦真っ只中で、GHQの意向が働いたのは容易に想像できます。また、オーストリアはうまく永世中立国となった一方で、朝鮮半島は完全に分断されてしまったという、非常に大きな違いがあります。

しかし、現在classicalな冷戦構造は終結し(もちろん北朝鮮問題はありますが)、韓国とも日韓基本条約で国交が結ばれているので、もう一度「在日」といった世界的に見てもよじれた変てこな存在を、誕生時から見直して考え直す時期だと思います。では、今現実にどうすべきか。これは高度に政治的判断になると思いますが、少なくとも現在国交のある国の在日外国人(特別永住資格の持っている外国人に限定、すなわち在日韓国人と在日中国人)に関しては、国籍選択権を与えるべきだと思います(私の個人的意見では、二重国籍には反対)。そうして外国の国籍を取得した人に関しては、普通の永住資格に戻すべき(単なる永住外国人)だと思います。

一方在日朝鮮人に関しては、北朝鮮が日本との国交を樹立した後に、同様のことをすべきだと思います。それ以前に国籍を選択したい人は、在日朝鮮人から在日韓国人に切り替える必要があると考えます。もっとも、現在の極東情勢を鑑みるに、安全保障上の問題が懸念されるのは理解できるので、在日問題を処理する前に、出来る限り早急にスパイ防止法・国家反逆罪などの制定が望まれると思います。長期的に考えたときは、日本もそろそろ限定的でいいので、出生地主義(例えばドイツのような)を取り入れてほしい、と思います(一部の保守系議員も提唱しているようですが)。そうすれば、少なくとも在日の子孫の問題は簡単に解決するでしょうし。

考えてみれば、私の祖父母たちは朝鮮人として生まれ、日本人になり、戦後また韓国人になりました。両親は、逆に戦前日本人として生まれ、戦後韓国人になり、帰化した後また日本人になりました。出生地主義だったらこんなごちゃごちゃになってなかったのに、とも思います。

友達の数人の在日と話していても、出生地主義を支持する人間のほうが多いです。私が帰化した頃よりはるかに楽になったとはいえ、今でも提出書類が多いし、行政書士に頼めばお金もかかる(このあたりは、らーさんの日記にも書かれていますね)。また在日の政治運動として、血統主義を改め出生地主義を謳うとか、帰化条件の大幅な緩和を謳うなどのほうが、本来業務だと思うんですが。でも民団・総連は絶対にこれはしないでしょう。

ということで、結構deepな話になりました。このような話をする時は、感情的になることほど無意味で非生産的なことはないので、今後も理性的な話をしていこうと思いますし、皆さんと冷静な議論が出来ることを望んでおります。

追伸:コメントにおける議論の一部として、「ささやかな戯わ言 | 誰が国籍を奪ったか」も読んでいただけたら、幸いです。

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すごいですー (よんひゃん)
2005-02-08 22:39:45
すごい労作ですねー。しかもわかりやすい。日本以外の国籍処理について説明したいときに、こちらを参照してください、ですみそうです。(^^)

Trackback も、どうもありがとうございました。

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再登場させていただきました。 (Count)
2005-02-08 23:38:32
こんばんは。よんひゃんさんも書いていらっしゃいますが、解かりやすく、かつ客観分析がなされている点に於いて評価いたします。

加えて前回、私の稚拙なコメントにわざわざお答えいただいたこと、感謝いたします。



閑話休題

私へのコメントの中に書き込まれていたようにスパイ防止法の成立と国籍法の整備を挙げておられましたね。

どちらも成立にかなりの困難を伴う法律と思われるので、先行き不透明というのが現状でしょうか?一昔前に比べると安全保障論を考える際に「軍事要素も考えねばならない。」との考えをもっているだけで、軍国主義者のレッテル貼られましたものねぇ。



ともかく周辺国のお陰で日本という国が本当の意味での「民主統治国家」として目覚めるきっかけができたので、勝負は今からかと。



いや、しかし、勉強させてもらいました。
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文章の訂正です。 (Count)
2005-02-09 00:08:52
一昔前に比べると→一昔前は

もうしわけございません。
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こんにちは (Strawberry)
2005-02-09 00:13:34
 以前の質問に対し、丁寧に答えてくださってありがとうございます。なかなか在日の方々自身がどのように感じていらっしゃるのかということを直接伺う機会が無かったので、とても興味深かったです。



 また、この国籍に関する問題についてですが、pontakaさんが書かれている意見は非常に論理的であり、その通りであると思いました。

 日本政府が、旧植民地国出身者の国籍を喪失するよう決定したのは問題であったと思います。さらに、その後在日の人たちが「朝鮮」籍に移行せざるを得なくなり、その「朝鮮」が分断されて「朝鮮」籍が実体を伴わないものになったというところにも他の場所にはない問題の複雑さがあるのだろうと思います。



 ところで、あちらこちらで話題になっているサッカーの対北朝鮮戦についてですが、安英学選手などが出場しますね。彼は、国籍は「朝鮮」籍となっているようです。この場合、朝鮮籍=北朝鮮の国籍ということになるのでしょうか。

 ついつい、毎回本筋とずれた質問ばかりになってしまって申しわけありません。
返信する
ご返事 (pontaka)
2005-02-09 00:54:32
>よんひゃんさん



私も別に専門家ではないので、これは単なる素人の一意見として皆に見てもらいたいと思います。とにもかくにも、よんひゃんさんのお役に立てれば幸いです。



>Countさん



国籍法はまあ外国人の問題なので後回しになるのは仕方ないかなあ、とも思いますが、スパイ防止法はどう考えても大至急の話だと思いますよ。破防法なぞどう考えてもじゃじゃもれの法ですしね。今話題の北朝鮮人権法の脱北者受け入れだって、スパイ防止法がないからこそ、法務省が難を示しているのだし、国際組織から非難されている日本の難民受け入れの極度の少なさだって、元をたどれば結局こういった法がないのが最大の原因だと思います。



私がドイツを非常に好きなのは、過去との付き合い方が非常にうまい(しっかり向き合って謝罪するところと、完全に決別するところの見極め方が非常にうまい)からです。彼らは日本と違って、戦後自主憲法を作成し、統一後改憲まで行ってます。当然スパイ防止法もあり、防諜機関も持っています。



その点、日本の政治家は残念ながら情けないですね。少し前も何かのTV番組で、スパイ防止法が成立できなかったのはマスコミのせいだ、などとんちんかんな事を言ってました。自分の信念をうまく伝えるのが政治家の役目であり、マスコミは基本的に偏向していて(捏造ではない)権力者批判をするのが当然で、それをうまく利用しながら宣伝するのも政治家の資質でしょう。それが出来ないのなら、単なる政策シンクタンクに過ぎない。



はやく日本が真の意味でまともな(自前で安全保障可能な)、かつ人権国家(難民受け入れなど真に国際化した国家)になることを希望しています。



>Strawberry



一応、朝鮮籍=北朝鮮の国籍と考えて問題はないと思います。ただ歴史的なことを言うと、日本での総連の成立の方が、朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国の成立よりも早かったと思います。そのため、戦後当初は圧倒的に在日朝鮮人が多かったのが、日韓基本条約により在日韓国人の方がメリットが大きくなり、朝鮮籍から韓国籍に替える人が増えたと思います。最近も拉致事件の影響などから、切り替える人が多くなってますね。まだ切り替えていない人は、家族などが帰還運動で北朝鮮に残されて事実上の人質になっており、そういったしがらみがあるのかもしれませんね。
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お招きに預かりまして (ささ)
2005-02-09 01:40:47
pontakaさん、初めまして。ささと申します。お誘いありがとうございました。というか、実は以前からこちらのblogを拝見させて頂いておりました。初めての発言となります。



>これは韓国(民団)側の完全に一方的な通告であり(同様の通告は総連側にも見られる)、こんなものを認めるほうがおかしい。

1949年10月7日付でマッカーサー元帥に通達された「在日韓国人の法的地位に関する見解」は、民潭からの通告ではなく、駐日韓国代表部大使が送ったもので、すなわち当時の韓国政府の公式意見です。

以下は要旨抜粋となります。

---ここから---

「大韓民国人はその所在の如何を問わず連合国民としての待遇を正当に受けるべきであり、日本の戦争目的で強制的に渡日させられた同胞たちが誰よりも先に連合国人の待遇を堂々と保有すべきだと見るものである」

「在日同胞に対して最初から定住するという自由意志により渡来してきたという見解から第一次世界大戦時のドイツの割譲地における国籍選択問題と同一視できると言うが、これは大韓民国を故意に謀略する日本人学者の悪毒な詭弁に過ぎない」

「絶対に初めから定住意志により渡日してきたのではない。従って国籍選択権云々はやはり絶対に不当な見解であると論断せざるを得ない。そして在日大韓国民の中に日本国籍の取得を希望するものが全くないとは言えず、万一いたならばそれは単純な“帰化”問題であり、国籍選択権と混同して錯覚してはならない。」

「1948年大韓民国政府の樹立と同時に当然の事ながら在日大韓国民は母国の国籍を創設的ではなく、宣言的に回復し、国連からの承認も国際公法上確認され、日本国籍は解放と同時に完全に離脱されたのである」

---ここまで---

上記要旨とは別に、民潭の系列団体である「朝鮮建国促進青年同盟(略称・建青)」は「朝鮮人が外国人であることは明白な事実である」とし、日本国籍の保留は朝鮮人に対する侮辱、という見解を述べています。

pontakaさんが仰るところの「こんなものを認めるほうがおかしい」とは、どちらを指しているのでしょうか。

駐日韓国代表部大使の公式発言は認めるに値しない、とは私は思いません。少なくとも有志の集団である建青と違って、自主独立権を獲得した当時の韓国政府の意思です。



よんひゃん様のBlogでも同趣旨の発言をしておりますが、当時の日本にはGHQの決定に対して異を唱える能力がありませんでした。

>実際、上述した1949年12月21日の川村外務政務次官の発言においても、国籍選択権を認めるような発言が見られる。

とはいえ、駐日韓国代表部大使が日本政府の頭を飛び越す恰好で直接マッカーサー総司令に上記の見解を提出し、GHQが了承したとなれば、日本政府が何を言えるのか、と思います。

日本が「国籍選択を認めるべき」と発言しても、GHQが首を横に振ればそれまでの事です。当時のGHQが日本に対して有していた権限と発言力は絶大なものでした。



上記権限ならびにGHQが在日コリアンの方々にどのような意識を注いでいたかについては、和光大学教員ロバート・リケット氏が発表した「地域社会における在日朝鮮人とGHQ」(光大学総合文化研究所年報 東西南北 別冊01)に大変興味深い記述があります。ご紹介致します。

http://www.wako.ac.jp/souken/touzai_b01/tz_b0101.html (占領期における地域社会と在日朝鮮人――地方史から見えてくるもの)



>またドイツ・オーストリアの例でも見られるように、こういう問題は一方的通告では何の拘束力もない。

一方的通告と仰いますが、GHQが問題の「在日韓国人の法的地位に関する見解」を容認した可能性はお考えになられませんか。繰り返しになりますが、GHQの決定は日本政府の意思に優先されました。当時の韓国政府が「日本に在住する朝鮮半島出身者はすべからく我が国の国民であるべきだ」と一方的に言ったとしても、GHQが「尤もだ」と頷けば成立と考えられます。



pontakaさんは、この国籍に関する問題が起きた当時、GHQが日本を支配していた事実をどのようにお考えでしょうか。仰っておられる内容からは「当時の日本政府には、GHQの決定とは無関係に独自の方針を定める能力がある」との前提があるように受け取れるのですが、如何でしょう。



>そのような点で、国籍喪失に関しては、民団(韓国側)・総連(北朝鮮側)・日本政府三者とも責任があると思われる。

繰り返しになりますのであまりしつこく申し上げるのは気が措けますが、当時の民潭系団体・総連(正確には前身である朝連)の「我々は日本国民ではない」といった趣旨の発言に拘束力が無い事は認めますが、日本政府はこれら意思表示を受けて該当される方々から一方的に国籍を剥奪してはいません。そういう能力はありませんでした。pontakaさんのお言葉を借りるなら、当時の政府は一方的剥奪を考えてはおらず、むしろ選択権を認める意向があったのではありませんか。

それが急に方針が変更になった件をもって日本政府が気を変えた、と結論する理由が私にはわからないのです。私の理解は、共産党などの関係もあって、日本に在住する半島出身の人々を祖国に帰還させたい意志を持っていたGHQが、国籍選択権の付与に「待ったをかけた」というものです。だとしても、やはり国籍喪失は日本政府に責任があるのでしょうか。
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Unknown (Korean Japanese)
2005-02-09 11:21:32
はじめまして。朝鮮学校出身の在日コリアン3世です。

朝鮮籍=北朝鮮籍というのはどうでしょうか?10-15年前までは朝鮮籍=北朝鮮サポーターというのは当てはまると思いますが。今は北朝鮮サポーターと、サポートするつもりは無いけど変えても変えなくても一緒だし面倒くさいからほっとこうという人たちと考えるのが妥当だと思いますが。

うちの家族は、韓国籍と朝鮮籍が混ざっています。父はまだ若いころの思いを引きずっているので韓国籍に切り替える踏ん切りがつかないようです。

返信する
GHQ・日本政府の責任について (pontaka)
2005-02-09 12:29:57
>さささんへ



大変丁寧なコメント、ありがとうございます。それでは、さささんの意見を一つずつ検証しながら、私の(稚拙かもしれませんが)意見を述べさせていただきます。



≪日本が「国籍選択を認めるべき」と発言しても、GHQが首を横に振ればそれまでの事です。当時のGHQが日本に対して有していた権限と発言力は絶大なものでした。≫



もちろん、GHQの力が絶大であったのは皆が知るところです。



≪一方的通告と仰いますが、GHQが問題の「在日韓国人の法的地位に関する見解」を容認した可能性はお考えになられませんか。繰り返しになりますが、GHQの決定は日本政府の意思に優先されました。当時の韓国政府が「日本に在住する朝鮮半島出身者はすべからく我が国の国民であるべきだ」と一方的に言ったとしても、GHQが「尤もだ」と頷けば成立と考えられます。≫



日本政府とGHQの方針が異なれば、当然GHQの方針が優先されたことでしょう。ただ、さささんのおっしゃるような≪GHQが「尤もだ」と頷けば成立と考えられます≫は、単なる仮定の話で、何らそれを裏付ける文書がありません。歴史を検証するためには「実証主義」に基づかなければならない(このことは、自由主義史観グループのメンバーが最も理解しているはずです)、という大原則からすると、この異論の根拠は極めて薄いと言わざるを得ません。



≪一方的通告と仰いますが、GHQが問題の「在日韓国人の法的地位に関する見解」を容認した可能性はお考えになられませんか。≫



もちろん、可能性があるかと聞かれれば、あるでしょう(何か小泉首相のような答弁ですみません)。しかし容認した事実を立証するものがなければ、その責任は当然、最終的には日本政府に帰します。GHQの指導のもと、「日本政府」が政治運営するのですから。そして、最終結果として国籍選択権を与えられなかった、という歴史的事実だけが残っています。



≪仰っておられる内容からは「当時の日本政府には、GHQの決定とは無関係に独自の方針を定める能力がある」との前提があるように受け取れるのですが、如何でしょう。≫



そのような前提は、全く持っておりません。ただ上でも述べましたが、GHQ占領時代といえども「日本政府」が存在し、単なる傀儡であろうと「日本政府」を介して政治が行われている、という認識です。



また、さささんのおっしゃるように、≪駐日韓国代表部大使が日本政府の頭を飛び越す恰好で直接マッカーサー総司令に上記の見解を提出し、GHQが了承した≫とするならば、見解を提出したのち2ヵ月半もたって、川村外務政務次官(政治家でもなく、単なる一政務次官)の発言(国籍選択権を認めるような発言)が起こり得るはずがない、と考えます。さささんのポジションに立つならば、この頃GHQは、駐日韓国代表部の通告を無視していたことになります。



もちろん別の考え方として、この川村発言の後、GHQの方針がひっくり返った、という「可能性」はあります。しかし、たとえそのような「可能性」があっても、上述したように「GHQの関与」が立証できないかぎり、「日本政府の責任」は免れないでしょう。



仮に、さささんの主張に百歩譲ったとして、1949年において日本政府には全く責任はない、と仮定してみましょう。その仮定においては、この時点での責任の所在は、「GHQ・韓国・(北朝鮮?)」ということになります。さて、1952年のサンフランシスコ条約において、日本は主権国家となりました。しかし相変わらず、日本政府は在日に国籍選択権を与えようとはしていません(もはやGHQはいない)。しかも、1951年に西村条約局長が、「今日の国籍法による帰化の方式によって、在留朝鮮人諸君の希望を満足できる」と発言しているにもかかわらず、戦後非常に長い間、帰化申請の却下率は極めて高いままでした(言行不一致)。



この事実だけを鑑みても、日本政府は在日朝鮮人に日本国籍を与えることに全く消極的であり、サンフランシスコ条約後に限って考えても、日本政府の責任は全く免れることはできません。ちなみにドイツとオーストリアの場合、両国の主権回復後に国籍選択権に関する取り決めが行われています。ただこの主張はあくまで二次的なものであり、私のプライマリーな主張は、「日本政府ではなくGHQに責任を転嫁する」ためには、「GHQが問題の<在日韓国人の法的地位に関する見解>を容認した」ことを立証する必要がある、というものです。もしそれが立証できなければ、「GHQに責任を転嫁する」ことはできません。



誤解のないように付け加えると、私は何も日本政府だけに責任がある、と言っているのではありません。韓国・(北朝鮮?)ともども責任があり、日本政府だけが責任を逃れようとするのは、理に全くかなっていない、との主張です(こういった主張を朝鮮半島政府が受け入れるとはまったく思いませんが)。では、反論をお待ちしております。



ちなみに、北朝鮮の責任については、よく分かりません。責任があるのは朝連であり、朝連(総連の前身)と北朝鮮は別々ですから。その一方韓国政府の責任は明らかですね。





あとがき



≪和光大学教員ロバート・リケット氏が発表した「地域社会における在日朝鮮人とGHQ」(光大学総合文化研究所年報 東西南北 別冊01)に大変興味深い記述があります。http://www.wako.ac.jp/souken/touzai_b01/tz_b0101.html (占領期における地域社会と在日朝鮮人――地方史から見えてくるもの)≫



どのようにして在日が戦後日本社会から孤立していったのかを、細かく分析しており、大変興味深く読ませていただきました。在日朝鮮人をGHQからの視線で書いている点に、非常に感銘を受けました。
返信する
さささんとの議論の場所の移動 (pontaka)
2005-02-09 12:35:44
>読んでいらっしゃる皆さんへ



さささんが、Blogを作ってくださり、そちらの方で議論の続きが行われる予定です。さささんが下の方に添付されているTrackBackの「誰が国籍を奪ったか(ささやかな戯言)」を参照ください。



誰が国籍を奪ったか(ささやかな戯言)

http://feblog.rmnv.mods.jp/?eid=70261
返信する
ご指摘ありがとうございます (pontaka)
2005-02-09 13:36:56
>Korean Japaneseさん



ようこそ、はじめまして。おっしゃるとおりですね。ちょっとかなり端折って適当に書いてしまったために、誤解を生むようになって申し訳ありません。Korean Japaneseさんはご存知かもしれませんが、読んでいらっしゃる方のために、もう少し詳しく書きます。違っていたらご指摘ください。



(在日政治団体の歴史)

戦後すぐ(1945年)在日本朝鮮人連盟(朝連)が成立。翌年1946年、これに対抗して在日本朝鮮居留民団が成立(反共・反朝連)。1948年、大韓民国・朝鮮民主主義人民共和国が成立。それを受けて同年、在日本朝鮮居留民団が在日本大韓民国居留民団(民団)に改称。一方、日本共産党と強いつながりのあった在日本朝鮮人連盟(朝連)は、1949年「暴力主義的活動」を理由に強制解散させられる。翌年、朝連の後継団体として在日本朝鮮人統一民主戦線(民戦)を結成。1955年、民戦が発展的解消し、在日本朝鮮人総連合会(総連)が結成される。



戦後最初に成立した組織は朝連であり、当時は在日朝鮮人しかいませんでした。これは単に朝連が一方的に宣言した朝鮮籍であり、北朝鮮とも関係ないし、法的には彼らは依然日本人でした。1948年の韓国・民団の成立により在日韓国人が誕生。民団は完全に韓国の傘下に入ったため、韓国籍=韓国の国籍の人になりました(正式には、依然彼らは日本国籍)。総連は朝連の流れを汲む団体のため、在日朝鮮人は総連と関わりを持つことになりました。しかし、「在日朝鮮人」というのは北朝鮮が成立する以前に成立していたため、Korean Japaneseさんのおっしゃるように、厳密には朝鮮人≠北朝鮮国籍の人となります。ただ総連が完全に北朝鮮の傘下団体になった現在では、朝鮮人=北朝鮮国籍とみなされると思います。



ものすごくややこしく、複雑怪奇ですね。だからやっぱり在日の存在は、ねじれてよじれまくってるんですよ。この状態なんとかまっすぐなってほしいです。
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