
徹夜明けの週末。昼頃に急ぎ原稿をメールしたのち、渋谷へ。
ぼんちゃん&ふくちゃん(おめでたい響き)とおちあい、先日も行った「なぎ食堂」へ。
今回迎えてくれたのは、裸足キッズではなく、この方(↑)。
どうリアクションしてよいかわからないべジータ系笑顔。
ちなみに、私たちが座っていた傍らの棚にはこんなキャラも。

なんちゃってチャイニーズミッキーとはまた一線を画する確信犯的キャラ?
マウスに生まれ変わったクラウス・ノミみたいにも見える。。
あと、こんなキャラも。

例えるなら、“大人になったチャーリー・ブラウンと 百年の孤独”、みたいな。
そんなキャラをいじりつつ、婚前ぼんちゃん&猫族ふくちゃんと
久々に“ほよろい”(©ふくちゃん)でゆるゆるできてよかった!
☆☆☆
日曜は所用で久々に池袋へ。セゾン美術館がなくなって10年近く。めっきり足が遠のき。。
セゾン美術館の杮落としは確か「ウイーン世紀末展」。1989年バブル末期の開館ならではの
当時はやりの太っ腹な“メセナ”っぷりで、クリムトやシーレの大作が軒並み揃い、
池袋東口には、クリムトの『接吻』特大垂れ幕が金色に燦然と輝いていたっけ。

セゾン美術館の前身、西武美術館も懐かしい。
現代アートが今みたいにもてはやされるもっとずっと前から、ブランド絵画だけではない
20世紀アートの濃いキュレイションで突出していた。
セゾン美術館の中にあったミュージアムショップでもよくお買い物した。
エンツォ・クッキのTシャツとか、フランク・ロイド・ライトのバッグとか、
ジョージア・オキーフのモビールとか、マイケル・ナイマンのCDとか、もういろいろ。。
『接吻』垂れ幕が下がっていた池袋西武あたりを
タカセ洋菓子店のコーヒーラウンジから、眺めつつ。。
珈琲と一緒にいただいたのは、むかし母が焼いてくれたみたいな
今では珍しい菊型のマドレーヌと小さなバームクーヘン。

大正9年に創業し、戦後すぐに東口に拠点を構えたタカセ洋菓子店。
お店のHPのフラッシュで、素敵なピアノコンチェルトと共に
登場する東郷青児の絵画は、MENUや包装紙にも使われている。

タカセのショーウィンドーにあったクリーム・ソーダとレモンスカッシュ。
子供の頃、この緑色の液体が大好きだった。飲むと必ず舌が悪魔のような緑に染まって(笑)
隣のレモンスカッシュは、ちょっと宴の後のビールみたい?
☆☆
実は。。池袋の街は、東も西も微妙に苦手。
池袋をはじめ、新宿や新橋など、かつて闇市が栄えたといわれるエリアは、
年々、マーケティングの賜物みたいなカフェやショップが並ぶテナントビルが増え、
闇市的な怪しさやいかがわしさが薄まると同時に、どこにでもあるチェーン店や
大音量のBGMを外に延々流している店が増殖し、なにか落ち着かない。
(ご近所渋谷ももとは闇市の街。意外とレトロなとこが残っているけど厳しい場所も。。)
15歳の頃に池袋の闇市も体験している1930年代池袋生まれの故・種村季弘氏は、
『江戸東京 《奇想》徘徊記』で、2001年に池袋西口に久々に訪れた際、
「肝をつぶした。ここは外国だ」と、あまりの隔世の感に嘆息している。
帰りに、かつてセゾン美術館のあった場所にあるイルムスを回遊し、地下のリブロ本店へ。
ここだけ健在のよう。リブロの一角で、ブライスのアンニュイなまなざしと遭遇。

リブロといえば、かつて種村氏を取材した折、氏の行きつけのリブロ(確か小田原店)を
待ち合わせ場所に指定された記憶が。結局、ご自宅に伺うことになり、
リブロで立ち読みをする種村氏という、非常に興味深い光景は遂に見られずじまいだった。
ぼんちゃん&ふくちゃん(おめでたい響き)とおちあい、先日も行った「なぎ食堂」へ。
今回迎えてくれたのは、裸足キッズではなく、この方(↑)。
どうリアクションしてよいかわからないべジータ系笑顔。
ちなみに、私たちが座っていた傍らの棚にはこんなキャラも。

なんちゃってチャイニーズミッキーとはまた一線を画する確信犯的キャラ?
マウスに生まれ変わったクラウス・ノミみたいにも見える。。
あと、こんなキャラも。

例えるなら、“大人になったチャーリー・ブラウンと 百年の孤独”、みたいな。
そんなキャラをいじりつつ、婚前ぼんちゃん&猫族ふくちゃんと
久々に“ほよろい”(©ふくちゃん)でゆるゆるできてよかった!
☆☆☆
日曜は所用で久々に池袋へ。セゾン美術館がなくなって10年近く。めっきり足が遠のき。。
セゾン美術館の杮落としは確か「ウイーン世紀末展」。1989年バブル末期の開館ならではの
当時はやりの太っ腹な“メセナ”っぷりで、クリムトやシーレの大作が軒並み揃い、
池袋東口には、クリムトの『接吻』特大垂れ幕が金色に燦然と輝いていたっけ。

セゾン美術館の前身、西武美術館も懐かしい。
現代アートが今みたいにもてはやされるもっとずっと前から、ブランド絵画だけではない
20世紀アートの濃いキュレイションで突出していた。
セゾン美術館の中にあったミュージアムショップでもよくお買い物した。
エンツォ・クッキのTシャツとか、フランク・ロイド・ライトのバッグとか、
ジョージア・オキーフのモビールとか、マイケル・ナイマンのCDとか、もういろいろ。。
『接吻』垂れ幕が下がっていた池袋西武あたりを
タカセ洋菓子店のコーヒーラウンジから、眺めつつ。。
珈琲と一緒にいただいたのは、むかし母が焼いてくれたみたいな
今では珍しい菊型のマドレーヌと小さなバームクーヘン。

大正9年に創業し、戦後すぐに東口に拠点を構えたタカセ洋菓子店。
お店のHPのフラッシュで、素敵なピアノコンチェルトと共に
登場する東郷青児の絵画は、MENUや包装紙にも使われている。

タカセのショーウィンドーにあったクリーム・ソーダとレモンスカッシュ。
子供の頃、この緑色の液体が大好きだった。飲むと必ず舌が悪魔のような緑に染まって(笑)
隣のレモンスカッシュは、ちょっと宴の後のビールみたい?
☆☆
実は。。池袋の街は、東も西も微妙に苦手。
池袋をはじめ、新宿や新橋など、かつて闇市が栄えたといわれるエリアは、
年々、マーケティングの賜物みたいなカフェやショップが並ぶテナントビルが増え、
闇市的な怪しさやいかがわしさが薄まると同時に、どこにでもあるチェーン店や
大音量のBGMを外に延々流している店が増殖し、なにか落ち着かない。
(ご近所渋谷ももとは闇市の街。意外とレトロなとこが残っているけど厳しい場所も。。)
15歳の頃に池袋の闇市も体験している1930年代池袋生まれの故・種村季弘氏は、
『江戸東京 《奇想》徘徊記』で、2001年に池袋西口に久々に訪れた際、
「肝をつぶした。ここは外国だ」と、あまりの隔世の感に嘆息している。
帰りに、かつてセゾン美術館のあった場所にあるイルムスを回遊し、地下のリブロ本店へ。
ここだけ健在のよう。リブロの一角で、ブライスのアンニュイなまなざしと遭遇。

リブロといえば、かつて種村氏を取材した折、氏の行きつけのリブロ(確か小田原店)を
待ち合わせ場所に指定された記憶が。結局、ご自宅に伺うことになり、
リブロで立ち読みをする種村氏という、非常に興味深い光景は遂に見られずじまいだった。