玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

村上春樹とエルサレム賞(あるいは人間の三つのタイプについて)

2009å¹´01月28æ—¥ | æ—¥ã€…思うことなど
村上春樹がイスラエルの文学賞を受賞した。
受賞スピーチに出席するのか、どんなスピーチをするかについてさまざまな関心・期待・憶測が集まっている。

asahi.com(朝日新聞社):村上春樹さんにエルサレム賞 - 文化
 イスラエル最高の文学賞、エルサレム賞の09年受賞者に作家の村上春樹さんが決まった。受賞選定委員長が編集長を務めるイスラエルの有力紙ハアレツは21日付で、受賞理由について「日本文化と現代西欧文化とのユニークなつながりを描くなど、西側で最も人気がある日本人作家。読むのはやさしいが、理解するのはむずかしい」と伝えた。

 イスラエル各紙は、村上さんが来月の授賞式に出席すると報じている。(エルサレム)
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村上春樹、エルサレム賞受賞おめでとう!!! - モジモジ君の日記。みたいな。
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村上春樹氏 エルサレム賞受賞 - 無造作な雲
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村上春樹さんの「エルサレム賞」受賞に、一ファンとして言っておきたいこと
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P-navi info : 拝啓 村上春樹さま ――エルサレム賞の受賞について
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なんか疲れる。
まだなにもやってないのにいろいろ言われる村上春樹もたいへんだな、とちょっぴり同情した。

私自身はまったく村上春樹ファンではない。
もう20年以上むかしに「羊をめぐる冒険」と「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を読んだきりだ。
そのときの感想は「なかなか面白い、よくできている、でも好きになれない」というものだった。人工的でスマートでお洒落、読みやすくて「考えさせられる」ところもある。でも満足できない。足りないのが旨味なのかスパイスなのかわからないが読後感が物足りない。ダイエットコーラみたいなカロリーオフの小説だ。
その物足りなさが多くの人にとっては「もっと読みたい」となり、私には「もういいや」となったんじゃないかと想像するが、本当のところはよくわからない。

イスラエルの問題については何も言いたくない。
ガザ侵攻のニュースを見ていろいろと思うこともあるが、普通の日本人が日本語で何を言ってもまったく何の役にもたたないだろうという確信的な諦めが先にたつ。「あきらめたら負けだ」と思う人はいくらでもがんばってください。


ここでようやく本題に入る。
私が「村上春樹氏がエルサレム賞を受賞」のニュースを知り、周辺の期待や憶測を読んで思ったのは「人間には三種類のタイプがいる」ということだった。
一つは、「政治感覚の優れた人」。
ふたつめは「政治が好きな人」。
そして最後が「政治の苦手な人」である。

「政治感覚の優れた人」とは、世間でいう「政治家タイプ」と重なるけれど同じではない。
私が考えるところの「政治感覚の優れた人」とは、ことさらに政治的な動きをしなくてもいつのまにかいい位置にいる、無用に敵を作ったり憎まれたりしない、そういう賢い世渡りができる人だ。自分のことだけでなく他人や社会の問題まで解決できればもっと立派だが、それは「政治感覚に優れた人」のなかでも上級者に入る。

「政治が好きな人」は(わざわざ説明するまでもなく)政治に強い関心を持つ人のことだ。
なんでもそうだが、好き嫌いと上手下手は必ずしも一致しない。どう見ても政治感覚がなさそうで、やたらに敵を作りまずい立場に自分を追い込んでそれでも政治的に動くのをやめない人もいる。まことにご苦労様だが、誰にもやめさせることはできない。
いわゆる政治家タイプの人は、「政治感覚が優れていて政治が好きな」第一と第二のハイブリッドである。ウィザードリィに例えれば「戦士と魔法使いのスキルが両方とも高くないとサムライになれない」というところ。

「政治が苦手な人」はたぶん日本人の大部分を占めるだろう。
実際にそんなアンケートが行われたかどうか知らないが、1000人を集めて「あなたは自分に政治的能力があると思いますか」「政治問題を考えたり論じるのが好きですか」とたずねたら過半数が「どちらにもノー」と答えるはずだ。私自身もこの中に入る。
もっとも、「自分では苦手なつもりでも人から見ると上手」とか「苦手だ、嫌いだといいながら実は大好き」という人もいるだろうから、本当のところは心理テストや行動調査をしないとわからない。


村上春樹という人は、第一と第三が合わさったタイプだと思う。政治は苦手と言いながら(実際に言ったかどうかは知らない)政治的感覚には優れている。
政治的バランスを保つのが上手なのは彼のこれまでの成功を見ればわかる。セックスや死という下手に書けば政治的問題にされそうなモチーフを多用しながら問題にされたことはない。同じ村上でも村上龍とは大違いだ。オウム事件のノンフィクション(「アンダーグラウンド」)を書いたときも政治的に物議をかもすようなことはなかった。
村上春樹の政治的無色透明さ(に見える賢さ)は世界的に認められているようだ。彼の小説はどこの国でも若者に自然に受け入れられ、ことさら議論の的になったり政治的リトマス試験紙の役をさせられたという話は聞いたことがない。「右翼も左翼も、グローバリストも反グローバリストも、イスラエル人もアラブの若者もみんな村上春樹を読んでいる」というイメージ映像を作るのは簡単なことだろう。

村上氏がエルサレム賞を受けるのか、受けたとして受賞スピーチをするのか、その内容は、といったことについて私はたいして興味がもてないし、期待も心配もしていない。「村上春樹ならうまくやるだろう」「なにしろ彼は政治的感覚に優れているから」と確信している。なにか派手なことをやってくれたら野次馬としては面白いが、村上氏本人にはそのつもりがなく多くのファンも期待しないだろう。

村上氏の受賞スピーチが行われるとして、それが政治的爆弾となることを望んでいるのは「政治が好きな人」たちだ。彼らの正義感や善意を疑うことはできないけれど、正直言ってどうもズレている気がする。ファンでもない私が言うのもなんだが、「村上春樹を見くびっている」というか「勝手に期待して勝手に失望されたら村上氏も迷惑だろうに」というか。「見くびっている」と「勝手に期待しすぎるな」は矛盾しているようだが実は盾の両面である。
もっとはっきり言えば、第二のタイプ「政治が好きな人」のなかに「政治感覚の優れた人」はあまりいない。第三タイプ(政治が苦手な人)のなかで政治感覚に優れた人の割合よりもむしろ少ないかもしれない。「下手の横好き」のほうが「好きこそ物の上手なれ」よりもずっと多い。それなのに天性として政治感覚の優れた村上春樹にああしろこうしろと注文付けるのは勘違いとしか思えない。草野球選手がイチローのプレーに偉そうに文句言う姿を連想してしまう。

第二のタイプになったつもりで村上春樹に期待したり文句を言う心理を想像してみる。
「あなた(村上氏)はせっかく政治的才能があるんだから無難にすごしてるだけじゃダメだろ」「有名作家には正義のために声を上げる責任がある」「プロテストもせずにイスラエルの賞を受けるのは裏切りだ」といったところか。まことにご立派でごもっともな話だ。
逆に自分が村上春樹の立場だとして(想像するのは難しいが)「政治の好きな人たち」の期待や憶測をぶつけられたらまず「かなわないな」と思う。実際に村上氏がどうするかは私の知ったことではないが、彼が「やれやれ」と溜息をついたとしても私は批判しないし、むしろ同情する。


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Unknown (ノムさん)
2009-01-29 16:59:59
私も村上春樹氏の熱心な読者でありません。
読んだのは『ノルウェイの森』のみ。
アルコール度の極めて低いお酒を呑んだ感じで、玄倉川さんに似た読後感ではないでしょうか。それでも大江健三郎よりはずっと上と思います。
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