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野口卓也さんの「編集者は意味のないボツを出す」発言から、ネットにおける「余計な一言」について考えたぞ

2014-07-17 11:33:53 | Weblog
BULK HOMMEの野口卓也さんが、意見募集していたので、オレも書いてみますね。

「どう読もうと読者の自由!」ではない気がしてきています。※意見募集

「こんにちは。先日ブログが炎上いたしまして、Twitterをやっているあらゆる作家、マンガ家、編集者の皆さまから総スカンをくらいました。野口と申します。今日も元気です」と野口さんは挨拶を始めました。

そして、こう続けました。

「当該炎上記事では、「みんな、ブロガーの暇な女子大生をちやほやすんなよ!アイツは天狗になったら終わりだ!」という持論を述べたに過ぎないつもりでしたが、炎上材料として反感を買ったのは

>>出版社に勤める編集という仕事の人間は、相手がどんなに大御所でも、必ずまれに「意味もないボツ」を出します。

という、本論にあまり関係ない(と僕は思っている)部分でした。」


また、当該ブログエントリーでは、漫画家福満しげゆき氏の作品がつまらなくなったといい、その理由を「彼が幸せになって凡人になったから」(意訳)と説明していたのですね。

元々「暇な女子大生を甘やかすんじゃねぇよ、このオッサンども!」と言う趣旨だったのに、関係のない方面から攻撃をくらってしまったワケですが、「炎上をしないための文章」ってものはあるわけですよ。

野口さんは

(炎上のポイントは)「本論にあまり関係ない(と僕は思っている)部分でした」と説明しています。

でも、ネットの炎上って本論とはまったく関係のないディテールにこそ火種があるわけですね。私など記事を編集するにあたっては、極力裁判沙汰とかクレームメール殺到という事態を避けたいため(対応がウザく仕事にならないから)、極力炎上は回避しようと考えます。

その時に心がけるのは基本的には「スキを減らす」ということ。そのためにやってるのが以下4点。何しろネットは紙媒体とは異なり、誰が見ているか分からない。

①実名をいちいち出さない

②無駄な比喩表現をしない

③誰かの仕事を否定しない

④断定をしない

の4点です。

そして、何かを否定したいんだったら、ビシッとその主体だけを否定すりゃいいんですよ。

今回の野口さんの場合は、本心は分かりませんが

A)暇な女子大生、調子に乗ってるんじゃねぇよ、オラオラ
B)暇な女子大生をもてはやすお前ら、流行ものだからってそこに乗ってんじゃねぇよ、オラオラ。どうせいつかデートしてぇとか思ってるんだろ、このスケベジジイどもめ


みたいなことだとオレは文脈からは読み解きました。野口さんはこうして勝手な解釈をすることは「読者の自由」ではないと言っておりますので、今後はブログを執筆する際は、意図を全部箇条書きにしていただければ、と思う次第であります。

で、なんで上記①~④が炎上を誘発するか。簡単に説明します。そもそも、人間は自分及び、自分が所属する組織、自分が関係する業界、自分が好きなものが批判をされるとキーッ! と頭に血が上るものです。だからこそ、前田敦子のモノマネをしたキンタロー。と小林礼奈は前田敦子ファンから叩かれるワケですよ。殺害予告まで出てしまう。それでは説明へ。


①実名をいちいち出さない:実名を出すと、エゴサーチをしているであろう本人や、ファンから「失礼です!」「謝罪しなさい!」とクレームをつけられ「一方的被害者」の立場に彼らが進化してしまう。「おめぇのことを特定してねぇだろ。なんだよ、この自意識過剰ボケが」という反論ができなくなるからこそ、実名は出すべきではない。今回の場合は福満氏のこと。別に上記AとBの「暇な女子大生」「暇な女子大生をもてはやす人々」を叩きたいのであれば、この2つの主体だけを叩けばいい。叩くための根拠を強化するためにわざわざ「福満氏」という関係のない人物を出す必要はない。それこそ、余計なところから火の粉が降ってくる。

②無駄な比喩表現をしない:これも①と同様。何かの比喩を使ったら、それに関係している主体からクレームがやってくる。そりゃそうでしょ? たとえば目立たない友達がいて、そいつがもっと目立つようになってほしいという気持ちからこう書いたとしようか。

「田中君は本当に目立たない。まるで刺身についている大根の細切りみたいなもんだ」

 これだっていちいち「大根の細切り」という具体名を出す必要はないんですよ。もしかしたら大根農家とか、スーパーでパックの加工をしている人とか、大根の細切りを作っている人からすりゃ「チッ、大根は重要なんだよ、ボケが」と思うかもしれない。比喩は「分かりやすくしよう」という書き手の親切心から生まれるものではあるものの、大抵の場合ハズしたり、いきなり引き合いに出された主体がむかつく恐れがある。

③誰かの仕事を否定しない:今回の場合は「編集者」が「必ず意味もないボツを出す」と書いたのですが、ツイッター界に何千人もいるであろう編集業界関係者からすれば「おいおいおいおい、そんなことしたら仕事にならねぇよ!」や「おいおいおい、大御所にそんなことやったら降りられちゃうよ」「つーかそんな失礼なことしねぇよ!」と思われたのですね。だからこそ「お前、分かってねぇくせに何言っとるんじゃ、ボケ」と思われた。これは今回の件に限らず、「仕事を否定」ということはタブーなのです。もちろん、いちいち年末に役所が予算を消化するために意味のないムダ工事をやったりすることは否定していいです。

④断定をしない:③の部分で“必ずまれに「意味もないボツ」を出します”という「必ず」の一言が断定口調だったため、反発を買いました。そして、断定をすると、書き手に責任が生じます。「ということもあります」くらいにしとくべきでした。

で、基本的に議論というものは本筋で争うことはなく「あなたは過去にこんな発言をしていた」とか「日本語の誤用がある」や「それはさておき、あなた、ここの部分、女性に対して差別的なニュアンスがありますが」など、絶対に勝てるどうでもいい部分を突くものです。①~④に反することを文章に紛れ込ませておくと、ツッコミポイントが増えてしまうんですよ。

だから叩かれる。

今回野口さんが意見を求めたのは“「どう読もうと読者の自由!」ではない気がしてきています”についてでしたが、オレはこの一連の炎上騒動を見て、そこには何の興味もなく、「ネットにおける迂闊な文章の書き方」というところに一番興味がいってしまったので、こんなブログのエントリー書いちゃいました。

ごめんごめん、「意見募集」と言われていたのに勝手に書いてしまいました。でも、一応私の意見を言っておくと「どう読もうと読者の自由」が正しいと考えております。。

P.S. あのしゃがんで謝罪している風の写真、ステキですよ。「反省してまーす、チッ」って感じで。




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