「遠野」なんだり・かんだり

遠野の歴史・民俗を中心に「書きたい時に書きたいままを気ままに」のはずが、「あればり・こればり」

住田町文化産業まつり

2011-10-31 11:58:27 | åœ°åŸŸ

10月最後の日曜、相方が越境通勤している住田町へ

 

前日の遠野TVで住田TVの放送局が出来たというので、まがって見る

 

この日は、遠野で云うところの「産業まつり+芸術祭」=文化産業まつり

 

外の特設ステージでは様々なイベント

 

中では、郷土芸能の披露

柿内沢鹿踊

伊達藩内に伝わる八頭だての鹿踊りで、

寛政のはじめ陸前高田の矢作から伝授されたもの この日は六頭

2008の日出神社例祭にも参加している

 

大平梅ノ木念仏剣舞

文政年間、世田米町小府金の合地沢で金の採掘をしていた者から伝授される

遠野で、剣舞が踊られた最後の地域は来内、住田町と蕨峠で結ばれている

遠野旧事記には、元禄初期に歌舞伎が盛んで児踊りもあったが、

しし踊りと剣舞だけが在方に残ったと記されている。

踊りを見ていると、遠野のしし踊りの手踊り部分と似通ったところがあると感じる

 

休憩の合間に外へ  スタッフはご覧の様なTシャツ

 

地元をはじめ、同じ気仙地域の産物も並ぶ

この日は、高校の同級生にも出会う

卓球部のM田君、同部のセイウチ君、そして、ブラバンフルートのK沢さん

K沢さんは、既におばあちゃん稼業

 

外舘鹿踊  宝暦の頃から始まる

 

この日は、けっこう気合が入ってました!

 

いつも見入ってしまう「ながし」の文字

 

大股神楽

明治33年、岩谷堂の大償系早池峰神楽より伝授される

残念ながら、笛吹なし

 

天嶽(あまたけ)虎舞

伝承に関する詳細不知

虎舞と名乗るが、神楽の権現さまの装束にて踊る

 

小府金神楽

遠野市小友町出身の及川シゲサクが伝える

伝えた人が遠野ということもあるが、聞きなれたリズム

 

トリは、下在大名行列  世田米の代表的な郷土芸能

明治初期、室根神社へ奉納される大名行列を習い伝えれたもの

いわゆる「したに~したに~」とは違う

 

いつもは、ここで終了となるのだろうが、今年は

 

 

 

「よしもと」が各都道府県に芸人を住まわせ活動させる企画により、

岩手県在住「アンダーエイジー」なる二人

 

よしもとの芸人が来るらしいとの情報から、

陸前高田でのボランティア帰りのまごころネットの人たちも、帰るに帰れず 笑

 

「僕達を知っていますか~?」との問いかけに

「知らね~!」の合唱

でも、おもしろかったですよ!案外

滞在時間、3時間半、リフレッシュできました



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ご無沙汰しております (羚英)
2011-10-31 14:26:37
こんにちは。
お久し振りです。いつも黙って拝見しております(笑)

郷土伝統芸能がいつも身近にあるなんて、とても羨ましい限りです!
我が地域では皆無といってもいいほどで、お正月の獅子舞でさえももう舞われなくなってから25年以上になります。
川崎に多くあったという三匹獅子舞も、今は2~3ヶ所のみを残すだけとなり、披露する機会もあまりないようです。

柿内沢鹿踊さんは幕に行山が見えますが、外舘鹿踊も行山流なんでしょうか?
装束の色合いが双方とも綺麗ですね。
ながしにある万葉仮名は、それぞれ踊り組さんによって特徴がありますが、こういうところを見るのもまた鹿踊りの醍醐味のように思います。

おかげさまで、私も今月は2回も獅子躍を観る機会に恵まれました。
遠野のしし踊りも、また是非!観てみたいです。
(出来ましたら首都圏で…笑)
板沢さんの重鎮のお一人はかつて私がいろいろとお話を伺った方ですので、こちらの記事でお顔を拝見して懐かしく嬉しく思っています。

取り留めの無い話で失礼しました。
これから寒い季節が到来しますが、どうぞお体ご自愛下さい。 
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鹿躍 (笛吹)
2011-10-31 18:23:02
羚英さんへ

住田町の郷土芸能を観ながら、羚英さんをちょうど思い出していたところへメール、驚きでした!

流石は、太鼓系鹿踊りの熱烈なファンですね。

外舘鹿踊ですが、写真を見ても、何流か記されていなかったので「住田の歴史と文化」なる本を見たところ、金津流とありました。
宝暦年間に上有住の甚内という方が伝えた江刺系の鹿踊で天明・弘化にそれぞれ中断していたものを復活し、またもや明治に廃れ、昭和34年にまた復活し現在に至るようです。

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ありがとうございます (羚英)
2011-10-31 22:08:21
外舘鹿踊さんは、金津流なんですか!
踊りを拝見していないので何とも言えませんが(いえ、観てもきっと素人ですから分からないでしょうが…汗)、画像にある所作やながしに書かれている歌を見て、てっきり行山流かと思ってしまいました。
伝承される中で様々交流やその影響なりがあったのでしょうね。

それにしても岩手は何と伝統芸能の数の多いことか!
宝庫と言われる訳ですね!

ご教授ありがとうございました。
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流儀 (笛吹)
2011-10-31 23:41:29
再羚英さんへ

私には太鼓系しし踊りの違いはわかりませんが、行山流に見えるところがあるとすれば、羚英さんと同感で、度重なる衰退・復活に際して指導を受けた団体に影響を受けたのだと思います。

伝統芸能の宝庫岩手も、少子高齢化の波を真っ向に受け、宝が減りつつあります。
見られるうちに見ておかないと、そのうち、遠野物語の語り部の終わりの文句と同じ
「どんどはれ!」となる日も遠くないような・・・・それではいけませんね!

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先輩たち (chonchon)
2011-11-01 08:08:42
M田さんにセイウチさん、懐かしいですね。
M田さんに関しては、高校卒業以来あってませんね~、遠野に来ることは有るのでしょうか?
お二人とも一度飲みたいものです。
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先輩 (笛吹)
2011-11-01 14:46:05
chonchonさんへ

そうでしたね、あの人たちはchonchonさんの先輩でしたね。
M田君は、道の駅たねやまを運営している会社におり、毎日店にいると思います。イベントがあるとテントに商品を並べ、「いらっしゃいませ~!」と頑張っているはずです。(私の相方談)

セイウチ君は、某地方公務員として、大船渡勤務、相変わらずかな?

偶然とはいえ、彼の地で同級生三名に会うとはかなりの高確率、この調子で宝くじを買えば、大当たりするかも・・・。笑
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住田!頑張れ! (カニ)
2011-11-01 20:28:30
三陸に行く時は、ほぼ住田を通って行きます。
震災後、一人軽トラでノンストップ!
住田に入ったあたりから、ザワザワして来たのを、体が覚えてます。

買い物もした、たこ焼きも買った、休憩もした、車を止めて川も良く見た。
アツモリソウだっけ?見た(間違いだったら・・スミマセン)

今も、『ご支援ありがとうございます』等、個人でたくさん作って、貼ってある。
心強い住田^^遠野の皆々様には、大変申し訳ありませんが・・

ど~しても鹿踊りは、こちら2本のササラが長いのを見て、育っており、ひかれます。
そして、大名行列なんか、フンドシ?なんとなく、チラリ目線で男の色気?
感じます^^

同市でも、お世話になってる『遠野まごころネット』の皆様も、大変ご苦労様です。
友達と、登録してて、また都合と支援の種類によりますが、行く予定です^^

一緒に頑張りましょう!住田!そして遠野\(^o^)/
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住田 (笛吹)
2011-11-02 20:43:19
カニさんへ

大名行列のフンドシに目がいくとは、カニさんもお目が高い。世田米の人たちが誇りを持って演じる郷土芸能のようです。

伊達の昔から、一山越えれば江刺と住田、当然のように郷土芸能も伝わったのだと思います。

遠野も、かつては相伝で伝えらていたしし踊りですが、それを人数もきっちり守って続けている太鼓系しし踊りは大したものですね!
カニさんが惹かれるのも無理ありません。

これから寒くなりますが、「ヒジャカブ」御いたわり下さい。笑
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