馬籠(まごめ)宿は江戸時代の旧中山道の宿場町で、古い街並みが魅力の観光地である。近年は外国人観光客も増えた。すでにオーバーツーリズムになっている白川郷に変わる人気観光地となりつつある。観光地としての馬籠宿の歴史を調べてみた(出典は主に『山口村誌下巻』(1995年)による)。
江戸時代末から明治にかけての馬籠宿の様子は島崎藤村『夜明け前』に詳しい。これは馬籠宿本陣の家に生まれた藤村の父、島崎正樹の . . . 本文を読む
島崎藤村『夜明け前』第一部12章、第二部15章。この長大な大河小説の最後は主人公半蔵が亡くなったところでの葬儀の準備の場面で終わる。通夜で近親の者が文字通り夜通し故人の生前の思い出話を語り明かす場面では、自分もその場にいて故人を偲ぶ心持ちになって、思いがけず涙が滲んできた。
半蔵は中山道馬籠宿一の旧家の主人で、本陣、庄屋、問屋を兼ねる村一番の有力者であった。若い多感な . . . 本文を読む
中山間地域の農業(米作)の今後の展望について、ある程度みえてきた。1.20ha以上の作付けをまとめてできるなら採算があう。100haとかなら十分利益も出る。ただ小さな田んぼが離れ離れではムリ。見渡す限りのところが一つの事業体(集落営農か農業法人)でやること。2.それより小さいところは単価高く安定して買ってくれるお客様を見つけること。お客様からみて有機、自然農、ライフスタイル、食料安全保障などメリッ . . . 本文を読む
イスラエルという国について、私は(たぶん多くの日本人は)、ナチスドイツによるホロコーストから逃れたか生き延びたユダヤ人がヨーロッパからやってきて作った国である、という素朴な認識でいた。
ユダヤ人というと私たちは真っ先に『アンネの日記』を思い浮かべる。ホロコーストから逃れようとして最後は犠牲になってしまった少女の物語だ。『夜と霧』の著者ヴィクトール・フランクルも有名だ。彼はアウシュビッツ収容所の生 . . . 本文を読む
三重県鳥羽市を訪問、学生たちとフィールドワークを行った。鳥羽市は三重県南部、伊勢湾に面した海の街だ。市域の多くは伊勢志摩国立公園に指定されており、リアス式海岸の景色が美しい風光明媚なところである。四つの離島もある。主な産業は水産業と観光業だ。
観光業が盛んになったのにはお隣のまちに伊勢神宮があることがベースにある。伊勢神宮は江戸時代から続く日本最大の観光地と言って良い。ただ周辺には泊まる場所 . . . 本文を読む
「限られた島の生産力の上から見て、島の生産を飛躍的にのばすことはむずかしく・・・多くの島では野心的な意欲はほとんど消えて来ている。島がいたずらに年をとり若い者がいなくなったからである。そのためにも生産とは関係のない形で島の利用を考えるとすれば観光が大きくクローズアップされる。それも今までのように団体をつれて来て名所古蹟の案内をするのを観光と心得るならば、それの通用する島はごく少ない。大半の島には人 . . . 本文を読む
「貧は働く者にはつきものであり、病人でもかかえるとたちまち一家離散のうき目を見なければならないようになる。村の中ではそういう悲惨なものをできるだけくいとめようとして、いろいろの助けあいもした。助けあうといったところで、ただ物を持っていってやるというようなことは自分の生活をおびやかすことにもなるので、頼母子のような方法で持ちよって、貧家の立ちなおりをまって徐々にかえしてもらうのである。村に共有の広い . . . 本文を読む
【宮本常一との対話7】「日本人には個性の確立がないといい、とくに農民がそれが強いというが、交易を主として発達した都市社会ならば自らの利益をまもるために強い自己主張も必要だっただろう。が、そのためには一方では人間が人間を警戒しなければならなかった。だからそこにいつも信と不信の葛藤が見られた。だが農民の生活の中にはまず信頼と融和が要求せられたのではなかったか。・・・農民の家には築土をめぐらしたものは少 . . . 本文を読む
「ごく卑近な例であるが、私の家の始祖となった人は一種の田楽法師のようなものであった。・・・幼少の時ひどい疱瘡をわずらってあばた面になっており、生涯妻を持たなかった。長子であったが、そのため一生食えるだけの田畑をもって分家し、しかも自分はほとんど田畑に出て働くことがなく、人を使って耕作し、ただ遊んで暮らしていた。声がよくて歌をよくおぼえ、田植の頃になると田植しているほとりに立って太鼓を打ち田植歌をう . . . 本文を読む
「こうした仮りの親子の契りは実の親子についで大事にされ、吉凶禍福あらゆる場合に親子が行き来して助けあったものである。だから実の親に力がなくてもよい仮親をとっておいてやりさえすれば、その子が食うに困るということは少なかった。・・・ しかし子になったものは親方に対して恩はむくいなければならなかったし、また義理もはたさなければならなかったから、それでは主従的な関係も生まれたであろうと考えられるが、そうい . . . 本文を読む