ここ数年、Web2.0はその概念と造語としての価値について、大いに議論されている。これまで私はこの件についてあまり関わってこなかった。 Tim O’Reillyの意見を見聞きしたり、彼がオーガナイズしたワークショップに参加したりといった程度でしかない。巷では多くの混乱が見られるようだが、ここはひとつ(無駄かもしれないが)私なりの意見を述べてみることにする。(大部分はTimの言い分を私なりに解釈し直したものなので、賛同できない点があったら、Tim本人の言葉を信じるようにして欲しい)。

Web2.0の議論でよく混乱が起きてしまうのは、それが何なのか知らないままに話そうとしているからである。まずはWeb2.0が登場した2004年から話を始めよう。

「Web2.0」という概念は、O’ReillyとMediaLive Internationalによるブレインストーミング・セッションから生まれた。Webのパイオニアであり、O’Reillyでバイスプレジデントを務めるDale Doughertyは、ウェブは「崩壊」したどころか、かつてないほど重要な存在となっており、刺激的な新しいアプリケーションやサイトが驚くほど着実に生まれていると指摘した。また、バブル崩壊を生き延びた企業には、いくつかの共通点があるように思われた。(訳注:CNETによる翻訳を参考にした。)
Tim O’Reilly

これはWeb2.0における決定的な論文からの引用だが、非常に意味深いものだ。「Web2.0」という用語は、WWWにおける現在進行形の変化を指している。この変化こそがWeb2.0の本質である。

非専門家——つまり、普通の人々——にとって、「Web2.0」とは、インターネットで新しい何かが起こるということだ。新しい何かとは、MySpaceやYouTube、そしてFlickrといったポピュラーなサイトの登場、またblogなどの急増といったことである。オンライン上で、みんなが何かを作ったり、共有したりすることもそうだ。これは流行であり、現象なのである。
Nicholas Carr

Timは流行に名前を付けただけではない。彼がWeb2.0について議論しているのは、この流行を理解しようとする試みなのだ。この新しいWebの世界で成功するものはどんなものなのかといった点に彼はフォーカスしている。彼の論文はほぼこの点について述べられている。そして、Web2.0の7つの原則を挙げている。

  • プラットフォームとしてのWeb(The Web As Platform): デスクトップコンピュータ上で稼動するソフトウェア(Netscapeなど)ではなく、Web上のサービスとして稼動するソフトウェア(Googleなど)
  • 集合知の利用(Harnessing Collective Intelligence): 少人数のエキスパートからではなく、多数の人たちから情報を集約する(Amazonのレビューワコミュニティ、Googleがリンクを検索アルゴリズムに使用している例など)
  • データはネクスト・インテル・インサイド(Data is the Next Intel Inside): 専門的なデータベースを保有する(Amazonの商品データベース、NavTeq?の地図データ)
  • ソフトウェア・リリース・サイクルの終焉(End of the Software Release Cycle): 新しい機能を絶えずリリースする(Flickrは新しいビルドを30分ごとにデプロイしている)。
  • Lightweightプログラミングモデル(Lightweight Programming Models): シンプルな開発環境は消費者が再利用しやすい(Googleのシンプルな地図インタフェース)
  • 単一デバイスのレベルの上のソフトウェア(Software Above the Level of a Single Device): 多くのデバイスがWeb上で一緒に動く(iTunesとiPod)。
  • リッチなユーザー体験(Rich User Experiences): ユーザーインタフェースがより動的になってくると、Webとリッチクライアントのギャップが小さくなる

これらの原則が「規範的」なものではなく「記述的」であることが重要だ。 Web2.0がどういったものであるかを示したものではなく、何がWebサイトを成功させるのかというTimの考えを示したものなのだ。それに、Web2.0が意味することを理路整然と記述してある。 Web2.0とは意味のない言葉だと言ってる人をよく見かけるが、 Timの論文を読んだのかと問いたい。

「Web2.0は良いジャーゴンではない」というNicholas Carrの意見には賛成だ。なぜなら「専門家が皆同様に明確に意味を理解しているか」というテストに失敗しているからだ。しかし、明確に理解できないのは、意味の希薄化の必然的なプロセスである。理解が完全になることもないし、それを阻止することもできないのだ。

よくある間違いは、Web2.0とは全く新しいものだと思うことだ。 Web2.0を支える多くの考えは、実はとても古く、以前からWebで使われていたものだ。たとえば、AmazonのコミュニティやWikiの利用がそうだ。以前は利用者が少なかっただけなのだ。 Web2.0へのシフトとは、90年代にあまり使われなかったものが今になってメジャーになったというものなのだ。

Web 2.0という言葉によって参照されている根本的な変化とは、重要かつリアルなものだ。その点で、Web2.0の概念は健全であるといえる。「Web2.0」という言葉がこの概念を表すのに相応しいのかという議論もあるだろうが、すべての人を満足させる用語などないし、すでに定着してしまったので、この点についてはすでに議論の余地はないだろう。それよりも議論として面白いのは、これらの原則がこの現象を正しく表しているか?という点だろう。これらの原則と合わせて、パターンやプラクティスについてより具体的に議論することができるのだ。こうした議論はTimがやりたがっていたことであり、私も興味のあることである。