ラテンアメリカの先住民は、自らの航海日記に「原住民は賢そうだ。きっと良い奴隷になるだろう」と記したコロンブスの「アメリカ大陸発見」以来、500年以上にわたっての侵略・抹殺の中を、抵抗し闘い続けながら生き抜いてきた。「先住民である」ということが差別の当然の理由となり、土地を取り上げられ、投獄され、暴行され、殺され続けてきた。(今でも「サパティスタのインディオ全員をせん滅せよ」と叫んでデモをする人たちもいるという)。そしてまた、先住民の生活も未だに貧しいままだ。土地を取り上げられた先住民には、非常に低賃金の職しかないし、それさえあればまだましだとも言える状態が、今も続いている。
また、この武装蜂起した日は、北米自由貿易協定(TLC/英語表記ではNAFTA)が発効する日でもあった。「自由貿易」と聞こえはいいが、米国とメヒコとの国民総生産が25対1、賃金が6対1から8対1の現実の中では、工業と大規模農園を持つ米国の資本と商品がメヒコを席巻することにしかならない。例えば、細々とトウモロコシを作っている先住民などは自らの土地を離れることを一層余儀なくされるだろう。サパティスタ民族解放軍は「北米自由貿易協定は先住民族に対する死亡宣告だ」と述べている。
サパティスタ民族解放軍がいつもメインに掲げているスローガンは、「民主主義!」「自由!」「正義!」の3つ。
表紙に掲げてある「マルコスが同性愛者であるかどうかについて」というコミュニケは、「オウム評論傑作選」(編集・発行/オウム問題編集会議 販売元/「彼方」編集部 連絡先/東京都調布市入間町1-2-24 新井宛 [email protected])の大樹ナヲトさんの論文に引用されており、その存在を私は知りました。(彼は、ちょうど蜂起の頃合州国にいた)。邦訳本(「もう、たくさんだ! メキシコ先住民蜂起の記録1」)には残念ながら収録されていませんでしたが、サパティスタ民族解放軍のコミュニケが掲載されているサイトをインターネットで探して、そこで「FIND」コマンドで「gay」を検索して、本文を探し当てました。本文では、引用部分以外にもゲイ・レズビアンの記述はありますので、興味のある方は自分で調べてみて下さい。なお、引用した部分は、コミュニケの「追伸」としてかかれています。
武装蜂起から間もない94年1月18日、メヒコ政府がサパティスタの武装蜂起を「赦免」(罪を許すこと)をする事を発表したのに対して、サパティスタ民族解放軍は以下のコミュニケを発表した。
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なぜわれわれが許しを乞わなければならないのか? なにについて許してくれるのか?飢えで死なないことに?われわれの貧困を語るのをやめないことに?軽蔑と放置という途方もない歴史の重荷を謹んで受け入れなかったことに?他の道がいっさい閉ざれたために武器を持って立ち上がったことに?記憶するかぎりもっとも不条理かつ抑圧的なチアパス州法に従わなかったことに?メヒコや世界中の人びとに、もっとも貧しいわれわれ住民の間に人間の尊厳が存在することを示したことに?れわれが武装蜂起を周到に準備して開始したことに?戦闘に際して弓矢のかわりに銃を用いたことに?戦闘を起こす前に、まず戦闘訓練を重ねていたことに?メヒコ人であることに?大多数が先住民であることに? すべてのメヒコ人民に、自分の部署で可能なやり方で戦うよう呼びかけたことに?自由、民主主義、正義のために戦うことに?従来のゲリラ戦のやり方に従わなかったことに?降伏しないことに?自分を売り渡さないことに?それとも裏切らないことに? 誰が許しを乞わねぱならず、誰がそれを与えることができるのか?われわれが、あまりにも日常化したがゆえに恐怖を忘れるほど死ととなりあっている間に、何年もの間、食べ物で満ちたテーブルに座り、満腹してきた者たちか?われわれのカバンや心を宣言や約束で一杯にしてきた者たちか?それとも、はしか、百日咳、デング熱、コレラ、腸チフス、単核症、破傷風、肺炎、マラリア、そしてそのほかのちょっとした消化器、呼吸器疾患などによって「自然に」亡くなったわれわれの死者たちか?何もしなかったことを無念に思い、民主的に死んでいった数多くのわれわれの死者たちか?なぜなら、すべての死者、われわれの死者は、これらの死に意味を与えうる「もう、たくさんだ」という言葉に気づいてそれを発することもせず、つねに死にゆくわれわれの死者に、今一度蘇って今度は生きるために死んでほしいと要請することもなく、死んでいったからだ。自らが統治するというわれわれ人間の天与の権利を否定した者たちか?われわれの習慣や特色や言葉を尊重しなかった者たちか?われわれの土地でわれわれを外国人のように扱い、われわれが存在や効力を知るよしもない法律を発布し、それへの服従を求める者たちか?大きな土地でも小さな土地でもなく、胃をなだめるような少しばかりのものを収穫できるほんのひとかけらの土地を求めるだけだというのに、重い「犯罪」をおかしたといってわれわれを拷問したり、抑圧したり、暗殺したりする者たちか? 誰が許しを乞わねばならず、誰がそれを与えることができるのか。 メヒコ共和国大統領か。国家官僚たちか。上院議員か。下院議員か。知事たちか。行政地区首長たちか。讐察か。連邦軍か。銀行、工場、商業、土地の大所有者たちか。政党か。知識人か。「ガリオ」誌や「ネクソス」誌か。マスコミか。学生か。教師か。都市住民たちか。労働者たちか。良民か。先住民たちか。無駄な死に方しかできなかった者たちか。 一体だれが許しを乞わなけれぱならず、誰がそれを与えることができるのか。 今のところ言いたいのはこれだけだ。お大事に、そして抱擁をおくります。たとえそれが「暴力のプロ」のものだとしても、この寒さではどちらも感謝されるはず(と私は信じている)。 副司令官マルコス
(「もう、たくさんだ! メキシコ先住民蜂起の記録1」から引用) |
(前略) ラテンアメリカの武装闘争の分析家たちによりますと、サパティスタ軍は第三世代の反乱組織にあたると言われています。第一世代はキューバ革命を担った世代、つまり共産党の武装組織が権力奪取を目標に設定し、武装闘争に打って出た時代です。第二世代はニカラグアに代表される民族統一戦線、フレンテを構成して社会の変革を考えた人々です。この世代は異なる政治勢力、政党を一つの戦線に結集して、広汎な民衆反乱を一つの力として権力を取るという道筋をとった人々です。
サパティスタは第三世代にあたります。これはもはや知識人が前衛を担うという組織の仕方をやめ、先住民が主体を担うということです。また、武装闘争の道は用いますが、それを究極の目標とはしない、武装闘争によって権力を奪取するということを目標に置かない。それどころか、武装した主体それ自身が権力奪取の主人公になるのではなくて、武装した
人々が彼らの考え方、提案を市民社会、民衆に投げ返して、そこから真の、深い変革を現在の体制に突きつけるという形をとる、そういうやり方です。
もう一つ強調しておかなければいけないことは、サパティスタのやり方に特徴的なことは、あらかじめ用意された計画、目標を現体制に押しつけるという方法を採らないということです。そうではなくて、社会を構成するすべての人々が自分たちの思いを自分たちの提案として提示することを呼びかけます。その上で、解決になにが欠けているかをみんなで考えようとするのです。これは先住民の人たちのやり方です。しかし、ここでもう一つ言っておかなければならないのは、サパティスタの中で先住民は主体ではありますが、サパティスタは先住民のためだけのものではないということです。サパティスタが掲げているのは、社会のすべての人々に呼びかけるということです。(後略)
アメリカ合州国にあるホームページ
サパティスタ民族解放軍の膨大なコミュニケ(英語・スペイン語)や写真・解説(英語)があります。
もう、たくさんだ! メキシコ先住民蜂起の記録1太田昌国/小林致広・編訳 現代企画室・発行 定価・4635円 |
コーラを聖なる水に変えた人々
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エル・チチョンの怒りメキシコにおける近代とアイデンティティー東京大学出版会・発行 定価・1854円 |
「コロンブス」と闘い続ける人々
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インディアス群書・全20巻「インディアス破壊を弾劾する簡略なる陳述(ラス・カサス)」など 現代企画室・発行 |
メキシコ先住民運動支援委員会(日本)Tel・03-3293-9539 Fax・03-3293-2735 機関誌「ラカンドン(Lacandon)」を発行(季刊) 年間購読料2000円(送料とも) |