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今年の「#文学」
twitter.com/Utekido
これは愚痴なんだけどね、ちょっと尊敬していた人が、わたしに「知り合いで、子どもを3人育てているだけの、何一つ苦労をしていない専業主婦が『疲れた』とか言ってきてね」とわるくち言ってきたから「指摘事項があるからもっかい最初から言ってみろよ」ってすごいガラ悪くなっちゃった
30年くらい前か。家族病理の第一人者を謳う精神科医のサイトで無料相談を受け付けていたのを見て、《死にたいのに介護があるから死なせてもらえない、逃げられない、殴られる毎日つらい》みたいなことを真夜中にこっそり書いて送った。翌日《ご相談ありがとうございます》から始まる返信があった。
数年前に同窓生の南米人(ガタイいい)が東京に遊びに来て、互いに子連れだったので一緒にベビーカーで渋谷に出たのだが、井の頭線渋谷発吉祥寺行き最後尾に乗ろうとするから「そこは混む。ベビーカーではいくら並んでも乗れない。先頭車両に行こう」と言ったが「そんなことないでしょ」と笑い飛ばされ
その数学の先生は、日本人が嫌いなようだった。はっきりとはそう言わなかったが、たかだか14歳のわたしでも、歓迎されていないことは感じていた。彼はいい歳だったが振る舞いは幼く、「日本人は九九がインストールされているんだから電卓要らないだろ」と言ってわたしから取り上げてみたり、
《問》 日本のA市に、母親と、生後半年以上1年未満の乳児がいます。この母親が今すぐこの子を2〜3時間預けたいと考えた場合、実現するにはどうすればよいでしょうか。尚、この母子に親族はおらず、近所に知己もいません。また、母親は高熱を出… https://t.co/LxIAGqdcgB
産後ずっと在宅ワークをしていたから、保育園の順位は低かった。子どもが幼稚園に入るまでの、ふたりきりの時代は長かった。特に2歳から3歳半にかけては終始育児の泥沼に半身浸かっているようで、わたしは幼稚園の始まる日をまさに切望し、「今日も心中しないで済んだ」と夜な夜な体を震わせていた
子どもを産んでから2年ほど、忙殺されていた。子どもは雑音に敏感なタイプで、一切の生活音を嫌った。蛇口から流れる水音も、炊飯器のメロディも、子どもにとってはノイズだったようで、音がする度悲壮に泣く子にわたしは困惑して生きた。テレビを無音でつけ、雨戸を閉めて密室の長い時間を過ごした
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