「日本政府は、全ての『慰安婦』が死ねば、『慰安婦』は葬り去られて忘れ去られると考えています。しかし、そうはなりません。次の世代が知っている限り、忘れ去られることはないでしょう」
「
日本軍「慰安婦」問題解決全国行動2010」から、12月9日付で「平和碑」に関する声明が出ていた。一部にこうある。
ソウルの日本大使館前に建てられる「平和碑」は、その名の通り、平和を願う記念碑です。
日本軍「慰安婦」被害女性たちと支援者らは、1992年1月8日から20年間、雨の日も、雪の日も、炎天下でも、毎週水曜日、日本軍「慰安婦」問題の解決を願って、ソウルの日本大使館前に立ってきました。その20年という日々は、この世から戦争と武力紛争をなくし、戦時下性暴力被害者が二度と生まれない世界をつくること、あらゆる暴力を根絶することこそが問題の真の解決であることを、被害者たち自身が獲得していく過程でした。自らの被害回復を訴えてその場に立ち始め、立ち続ける過程で問題の本質を見いだし、より普遍的な平和を訴えるに至った被害者たちの願いを込めた「平和碑」、日韓の真の友好親善を願う「平和碑」を建てる場所は、当然ながら立ち続けてきた、その場所しかありません。
日本政府がすべきことは、このような被害女性たちの思いに冷や水をかけ韓国政府に「中止」を伝えることではなく、被害女性たちの20年間、1000回の思いに応えることです。
被害者のお一人、最初に紹介した発言の主、吉元玉さんは2010年4月の証言集会でこう語ってらっしゃる。
私は「慰安婦」問題について、みなさんひとりひとりが「責任」を持っているのだと思います。その「責任」とは、私たちのような辛い経験をする人がこれから先絶対に生まれないようにすることです。その「責任」をみなさん一人一人が持っているのだと思っています。これからみなさんが一生懸命努力してくださることによって、次の世代の子どもたちのために戦争のない国をつくって欲しいです。みなさんにそういう気持ちを持って欲しいと願っています。
まだまだ自分の体験を告白するのが難しい韓国社会の中で、234人の被害者が政府に申告して登録されています。その中でも、私が一番若いです。他の方は90歳を超えられたりしています。そして234名のうち、もう今では85名しか残っていません。私たちに残された時間は短いのです。
この証言集会時点で85名がご存命だったものの、2011年だけでも16名がなくなっている。
冒頭にAmnesty International Australia内のコンテンツに言及したが、2008年8月にThe Sydney Morning Herald Augustは「
Past is still present with crimes against humanity」と題した文章を公開している。抜粋した私訳を再掲しておこう。
グルジアの紛争報告では、強姦が明らかに戦争の武器として何度も用いられたと述べられている。これは驚くべき事では無い。強姦は何千年もの間、戦争の武器として用いられてきた。そして今も、国連によって人道に反する罪であり戦争犯罪であると宣言されているにもかかわらず、現在でもその方法に用いられている。何千もの女性が1990年代のバルカン紛争や、コンゴやダルフールの内戦で強姦された。
人道に反する罪や戦争犯罪の結果は、世代を超えて痛み続ける。それが、戦争犯罪者の訴追手続で出訴期限が解除されている理由だ。彼らの年齢も、どれだけ時が過ぎたかも問題ではない。
(中略)
戦時中、日本軍は政府の認可の元で、征服し占領した国で何百もの「慰安所」を設置した。これらの売春施設は、士官を含む日本軍兵士によって使用された。それら売春施設で奴隷状態に置かれた何千もの「慰安婦」のほとんどは、強制的に家族から離され、多くは何か月も、いくつかの事例では何年も拘束された十代の少女だった。
90年代の初め、何人かの「慰安婦」であった人達が、彼女らの被害を語り、日本政府に公式な謝罪を要求しはじめた。
(中略)
しかし、日本政府は謝罪を拒絶しただけでなく、売春施設が公的にに認可されたものではないし、「慰安婦」のほとんどは志願したとの主張を続けた。この否定の忌まわしさが、生き延びた『慰安婦』にもたらした痛みと苦しみは想像もつかない。
(中略)
生き残った『慰安婦』被害者女性はどんどん亡くなって逝っている。日本政府は明らかに時間が経てばうやむやになると信じている。この問題は、過去と未来の問題だ。 政府(と、彼らの市民達)が、過去の罪を認められないなら、強姦は未来でも戦争の武器となり続けるだろう。(後略)
この訳の初出と、記事が出た経緯については2008/08/28付「
オーストラリアで「慰安婦」謝罪要求決議採択をめざす活動について、28日の報道」に。
また、「女性国際戦犯法廷」が開かれた経緯として、このような説明がされている。
(略)
戦場での強かんや性奴隷制などは、戦争につきものとされ、被害者が沈黙を強いられ、世界のどこでも裁かれなかったのです。国際法そのものが、戦時性暴力を被害女性の人権侵害とは見ず、その属する集団、つまり、家族や部族や民族の名誉を傷つける行為と見なしていたからです。
(中略)
こうした戦時性暴力不処罰の流れを変えるきっかけを作ったのは、「慰安婦」たちでした。九十年代初め、アジア各地で「慰安婦」が声をあげたころ、ヨーロッパでは旧ユーゴの内戦で何万人という女性たちが、1993年ウィーンの世界人権会議で出会い、戦争や武力紛争下の女性に対する暴力反対の声を上げたのです。
相次いで設置された旧ユーゴやルワンダの国際戦犯法廷で、強かんや性奴隷制など戦時性暴力の責任者が初めて裁かれるようになり、ルワンダ法廷では、集団強かんの責任者が終身刑を宣告されました。国家の指導者を戦争犯罪や人道への罪で処罰すべきだという国際世論が高まり、常設の国際戦犯法廷としての国際刑事裁判所を作ろうと、そのための規程が1998年にローマ会議で採択されました。
このように、「慰安婦」問題と旧ユーゴやルワンダなど現代の武力紛争下の女性への暴力のつながりが認識され、 1997年に東京で開かれた「戦争と女性への暴力」国際会議には、両方の問題に取り組んでいる20カ国40人の民間の女性たちが集まりました。会議では東京裁判で、なぜ「慰安婦」制度が取り上げられなかったのかが問題になり、戦時性暴力不処罰の克服が再発防止に必要だという結論に至りました。(後略)
内容的にはかぶるが、『
「女性法廷」にはこんな意義があります』のコンテンツも、興味がある方は是非ご一読を。
と、まぁ、このあたりが「日本軍慰安婦」問題に関しては基本的な話だろう。もちろん、話の背景がこうであるからには、浮上したきっかけがどうあれ「日韓」の問題としてのみ考えては、人権感覚等、色々と疑問視されることだろう。
1000回目の水曜集会は世界同時開催であり、日本の報道機関によるレポートは、もしあったとしても私が見つけられないほど控えめであったようだが「
台北でも元慰安婦が集会、日本政府に謝罪求め[社会]/NNA.ASIA」とあるように「親日」とされる台湾でも、謝罪を要求されているのだ。日本の報道機関経由では知ることのできない詳細は、「
中国女性・ジェンダーニュース+」様よりトラックバックいただいた「
台湾でも韓国の水曜デモ1000回目と連帯するアクション」のエントリで知ることができる。ごく一部を引用させていただくと
台湾でも、同じ14日、元「慰安婦」を支援してきた婦女救援基金会(台北市婦女救援社會福利事業基金會)、アムネスティ(國際特赦組織)などが、台湾での日本の窓口機関である「交流協会」(台北市)の前で、ロウソクに火を灯し、それを「1000」の字の形に並べて、韓国の元「慰安婦」に連帯を示しつつ、亡くなった元「慰安婦」を追悼し、日本政府に元「慰安婦」たちに正式に謝罪と補償をするよう要求しました(3)。
(中略)
台湾の元「慰安婦」の方々は、昨年5人が亡くなり、今年もすでに3人の方が世を去りました。9月1日には、1992年に台湾で初めて顔や名前を出してこの問題を告発した劉黄阿桃さんも90歳で亡くなりました。台湾のマスコミは、「謝罪を待たずに亡くなった」「恨みをのんで亡くなった」と報じました(4)。その際のテレビ報道もネットに上げられています。
(中略)
下が、劉黄阿桃さんの生前の証言の一部です(「台湾のアマ――劉黄阿桃」より。他の方の証言は「阿媽の証言」参照)。
ある日、南洋で看護婦の仕事があるという貼り紙を見た友人が一緒に応募しないかと誘ってきました。戦争中だったので、田舎では仕事もなく、男も女もいつ海外に送られるかわからなかったので、どんな仕事でもしたいと思っていました。日本人の一組の男女が私たちを高雄から船でインドネシアへ連れていきました。現地に着いて初めて慰安婦になるのだと知り、怒りがこみ上げて私たちを連れてきた日本人に不満を言いましたが、帰ることもできず、日本人は「国のために軍を労う」という大義名分で私たちに軍人の相手をさせました。
初めての時は血が出て、悲しくて布で包み、家に持ち帰って両親に見せようと思いました。毎日20人以上の相手をさせられました。昼は兵士、夜は将校で、休むことはできません。酒に酔った日本兵から殴られることもありました。日本人の捌け口となるのは辛いことで、いつも目を閉じ、歯を食いしばって耐えました。(後略)
台湾籍の「慰安婦」被害者としては、58人の方達が名乗り出てらっしゃるそうだが、現在生存してらっしゃるのはわずかに10名、平均年齢が87歳でらっしゃるという。
というような背景の日本軍「慰安婦」問題なのだが、「平和碑」設置に関する日本の新聞社の社説が目眩のする代物だったのだ。
今回、産経と読売にはきりがないのでツッコミ略。
まず、毎日新聞。
大使館前にこうした像を建てることは、これまで慰安婦問題に理解を示してきた日本の世論にも受け入れられるものではないだろう。撤去を求めた野田佳彦首相の対応は主権国家として当然である。
はてブでツッコミ入りまくりだが、なんの冗談かと。
教科書から「慰安婦」記述が無くなる現状だけでも、「理解」って何?レベルだ。
その代わり官房長官談話で「当時の軍の関与」を認め、95年に「女性のためのアジア平和国民基金」を設立。国民各層からの寄付金を原資に韓国、台湾、フィリピンの元慰安婦に1人当たり200万円の「償い金」を渡すことなどを決め、首相の「おわびと反省の手紙」も届けることにした。基金は事業を終えて07年に解散している。
外務省ホームページにあるように「心からのお詫びと反省の気持ちを表明」してるのなら何故「平和碑」撤去を求めるのか、意味不明だ。そして、「償い金」を渡したところで、無かった無かった言い出す政治家が続出しているのでは、「謝罪は口だけ」と思われるのも無理はない。台湾からだって「慰安婦」被害者への謝罪を求められるのも宜なるかな。
従軍慰安婦のような女性の人権問題に国際世論は厳しい。政府は過去の対応をきちんと世界に説明する努力を続けるべきだし、女性の名誉や尊厳に関わる問題には一層積極的に取り組む姿勢が必要だ。
「国際世論は厳しい」とわざわざ書くのは、「国際世論」レベルの女性の人権問題への厳しさに対し、どのような見解故に出てくる表現なのだろう?と疑問を感じざるを得ない。ちなみに、
女性差別撤廃委員会第44回会期で審議されまとめられた日本への総括所見では『「慰安婦」が置かれてきた状況を永久に解決する方策(被害者への補償、加害者の処罰、この犯罪行為についての一般市民への啓発教育を含むことになるであろう)を見出す努力を緊急に行うよう、勧告を繰り返す』との一節があるので、「女性の名誉や尊厳に関わる問題には一層積極的に取り組む」のなら、まず「慰安婦」問題に取り組めという話になるのだが。
そして朝日新聞。タイトルが「
日本と韓国―人道的打開策を探ろう」
この時点で、私個人は、日韓の問題で限定しているようじゃね、と頭が拒否してしまったし、これを読む前に
scopedogさんの優れた批評を拝読したから、もういいや\(-_-;)
と手を抜きつつ、一部をお借りする。
まず絶対にありえないでしょうが、仮に今、野田政権が万難を排して、元慰安婦に対する謝罪決議と救済のための特別立法を国会に通したとしても、一般大衆が従軍慰安婦の実態について知ろうともしないし、知る機会も与えないという状況が続くなら、慰安婦問題は終わりません。「民主は売国」的という極右発言から「元慰安婦は騒ぎすぎ」的な自称中立発言まで、慰安婦問題を理解しないが故のセカンドレイプが、一般大衆の無知を土台にはびこり続けるだけでしょう。
それは行政ではなく、政治の仕事だ。
http://www.asahi.com/paper/editorial20111219.html
朝日新聞社説のこの台詞は、慰安婦問題を政治に押し付けるだけの卑怯な逃げ口上に過ぎません。
政治だけの仕事ではないのです。
恐らくはscopedogさんの念頭にはこっち方面も含まれようが、私は以前、こんなエントリを上げている。
『
なぜか日本で報じられない傾向のある出来事をメモ』(2009/05/21)
例えば、国連・自由権規約委員会による第5回日本政府報告書審査が終了したと日本の新聞社が報道する時、まるで死刑制度や代用監獄に批判が集中しただけのような報道がなされる。実は「慰安婦」問題でも批判を浴びているのに。例えば、イギリス下院外交委員会が、北朝鮮による日本人拉致問題や竹島問題にかんする報告書をだしたと報じられる時、かなりの文章量で「慰安婦」問題に関して言及したことは日本紙の報道だけでは知ることがほぼできない。
EU議会の「慰安婦」謝罪要求決議時の日本紙報道の様子も微妙だったものだ。
…ただし、この件に関しては、報道機関ばかりがアレというわけでもない。
『
「慰安婦」決議連発に、外務省が(今頃)あたふたしているらしい』(2007/12/08)
『
「慰安婦」問題に対する、外務省のこれまでの取り組みとして聞いた話』(2007/12/09)
とはいえ、この件に関する情報は、丸っきりの門外漢だった一市民が書籍やネット経由で得られる国外報道を含む情報で、この程度は知り得ることなのだ。また、主観の印象ではあるが、米国下院謝罪要求決議の際には、地方紙の社説にはこちらが勉強になる様な見解を目にした記憶があるのだが…。
あれから4年と少し? こんなものを見ると、視線が中空を彷徨ってしまう。
日本側は「未来志向の両国関係」の強化を目指していたが、李大統領は従軍慰安婦問題を取り上げ、早期解決に向けた政治決断を迫った。約1時間の会談のうち約40分が慰安婦問題に費やされたという。
(略)
歴史問題の根深さばかりが目立つ首脳会談だったのは残念だが、大局に立った行動を求めたい。
(略)
野田首相は、賠償請求権は「解決済み」との原則を強調した。1965年の国交正常化に伴う日韓請求権協定で「完全かつ最終的に解決済み」と合意しており、日本側が譲歩できないのは当然である。
韓国側は65年当時に慰安婦問題は想定されていなかったとして、90年代から請求権を主張し始めた。日本は93年に軍の関与を認め「おわびと反省」を表明する官房長官談話を発表、95年に「女性のためのアジア平和国民基金」を発足させて民間募金による「償い」を図った。
元慰安婦のほとんどはこの償い金の受け取りを拒否し、日本に国家賠償を求め続けている。両国の認識には大きな溝があり、一朝一夕では片付かない問題であることは確かだ。
(略)
いたずらに感情的な対立を深めては、未来志向の両国関係は望むべくもない。冷静な対話を続けたい。
否定発言を繰り返す政治家の存在や歴史教科書から記述を無くしたことなどには頬被り、もちろん多数の国や国連人権機関から解決を勧告されていることもガン無視で、韓国を「感情的」・大局的な判断をしていないと断じてしまうのかと呆れたので思わず魚拓採取。
あるいは。
18日、京都のホテルで開催された日韓首脳会談は、(中略)いろいろな課題が話し合われるはずだったが、直前に在韓日本大使館前に設置された慰安婦の少女時代を示す銅像をめぐる問題だけが、浮き彫りにされるという奇妙で残念な会談になってしまった。野田首相の「これまで人道的見地からさまざまな努力をしてきており、これからも知恵を絞っていく、早期に撤去してほしい」との申し入れに対する、韓国大統領の「日本の誠意ある対応が無ければ第2、第3の銅像が建てられるだろう」という発言は全く無茶苦茶な言いがかりに見える。(中略)このような像を設置する韓国人の国民性を疑いたくなる。(中略)日韓友好親善は大切だろうが、外交の原則を守り、大局的見地からの解決策に知恵を絞ってもらいたい。
小規模な新聞社であろうが、あまりな文章を公表しているので思わず注目してしまった次第。
「大局的見地」とか「未来志向」というのは、身内が「そんなことはなかった」「あったといってる奴は嘘つきだ」と公言しているのに口を拭って、「謝罪したからもういいだろう」と言い放つことではないだろうに。
地方紙記者がこれぐらいでは、特に関心を持ってこなかった「市民」では推して知るべしなのかもしれないが…。
呆れたのでおまけ;
藤村修官房長官は19日午前の記者会見で、野田佳彦首相が18日の日韓首脳会談で従軍慰安婦問題について「人道的見地から知恵を絞っていく」と発言したことに関して「何か具体的なことを想定しているわけではない」と述べた。
その場しのぎで言ってみただけ、ということでよろしいか?