「
沖縄情報うちなーぐちフェスタ」さんでは、「旧日本軍の第32軍司令部壕」をこう説明していた。
この司令部跡は首里城と弁財天の間にあるのですが、看板もなく、どのサイトでもあまり紹介されていないため、誰も訪れることが有りません。
あるいは、「
沖縄発!役に立たない写真集」さんによると、
首里城と弁財天堂との間の木々の中にひっそりと、首里にあった旧日本軍の第32軍司令部壕の痕跡が残っています。案内板も説明板も無く、首里城とは対照的に、観光客はだれも誰も訪れてはいません。
草場の中に埋もれようとしているこのコンクリートの残骸が、旧32軍司令部壕の入口の一つでした。現在戦闘による落盤の為、この入口からは入る事ができません。
そんな旧日本軍第32軍司令部壕に、説明の看板が設置されるという話を目にした。説明文案はこんなだったというのだが…。
第32軍の創設と司令部壕の構築
1944(昭和19)年3月、南西諸島の防衛を目的に、第32軍が創設されました。同年12月、司令部壕の構築がはじめられ、沖縄師範学校など多くの学徒や地域住民が動員されました。1945(昭和20)年3月、空襲が激しくなると、第32軍司令部は地下壕に移動し、米軍との決戦に備えました。
壕内は五つの行動で結ばれていましたが、現在、抗口は塞がれ、中に入ることはできません。
第32軍司令部壕内のようす
司令部壕内には、牛島満司令官、長勇参謀長をはじめ総勢1000人余の将兵や県出身の軍属・学徒・女性軍属・慰安婦などが雑居していました。戦闘指揮に必要な施設・設備が完備され、通路の両側には兵隊の二、三段ベッドが並べられました。壕生活は立ちこめる熱気と、湿気や異様な臭いとの戦いでもありました。
司令部壕周辺では、日本軍に「スパイ視」された沖縄住民の虐殺なども起こりました。
第32軍司令部の南部撤退
1945年5月22日、日本軍司令部は、沖縄東南部の摩文仁への撤退を決定しました。本土決戦を遅らせる為の、沖縄を「捨て石」にした持久作戦をとるためでした。5月27日夜、本格的な撤退が始まり、司令部壕の主要部分と抗口は破壊されました。司令部の撤退にともなう、軍民混在の逃避行のなかで、多くの将兵と住民が命を落とすことになってしまいました。5月31日首里は米軍に占拠されましたが、沖縄戦によって首里城正殿をはじめとする琉球王国の歴史を物語る貴重な文化遺産は失われてしまいました。
こちら方面の話題を追っていると、ごく普通の表現にしか見えないこの説明文に関して何かが起こっているのを知ったのは
nagonaguさんのはてなブックマーク経由で、少し前、報道は2月24日付のことだった。
県は、答申された説明文のうち「司令部壕内には、牛島満軍司令官、長勇参謀長をはじめ総勢1000人余の将兵や県出身の軍属・学徒、女性軍属・慰安婦などが雑居していました」の一文から、「慰安婦」を削除した。
さらに「司令部壕周辺では、日本軍に『スパイ視』された沖縄住民の虐殺などもおこりました」という記述全てを削除した。
またさらに、
説明板に載せる英語、中国語、韓国語の翻訳文原文から「捨て石」「女性軍属」等の表現が削られているという3/17付の報道も目にしたが、多くの抗議にもかかわらず設置された説明板を見てきた人の話では、
説明板は「住民虐殺」「従軍慰安婦」は削除されたまま。外国語は英語、中国語、韓国語。訳文では日本語にある「捨て石」や「女性軍属」などもなかったですね。
という。
そしてまた、
「従軍慰安婦」「住民虐殺」の文言が説明板から削除された第32軍司令部壕について、県は12日、2012年度に強度などを調査した上で、埋めることもあり得るとの考えを示した。
(中略)
県の壕調査には、参加者から「史実だけでなく、司令部壕まで埋められ、なかったことにされてしまう」「広く公開する方法を考えなければ」などと懸念する声が上がった。
という話まで目にした。
県は説明板から「慰安婦」の文字を削った理由として、「
「できる限り検証を行った結果、32軍司令部壕においては確証を得ることができませんでした」としているが、
鉄血勤皇師範隊として沖縄戦に動員された元学徒は、第32軍司令部壕に多くの女性がいたと証言する。
当時、鉄血勤皇師範隊の情報宣伝隊(千早隊)に所属していた元県知事の大田昌秀さん(86)は「どうして戦場の壕にこんなに多くの女性がいるのか」と不思議に思ったという。女性たちは「朝鮮ピー」という蔑称で呼ばれていたが、大田さんは「当時は意味が分からなかった」と振り返る。
県が第32軍司令部壕説明板設置検討委員会がまとめた文案から「慰安婦」などの記述を削除したことに対して大田さんは「とんでもない」と憤慨。「戦争を知らない世代が増えているからこそ、事実を事実として残す努力が必要だ。相反する事象があればしっかり調べるのが責務だ」とし、丁寧な検証をせず文言削除に踏み切った県の姿勢を批判する。
渡久山朝章さん(84)も、壕の中にいる女性たちが「朝鮮ピー」と呼ばれていたことを記憶している。
「確証」ってなんじゃいと呆然とするが、改めて報道を見て回っていると気になる記述があった。
県平和・男女共同参画課は、この文案に対して県内外から「事実と違う」「証言は捏造(ねつぞう)だ」などのメールや電話、ファクスなどの抗議・意見82件が寄せられたため、部内で再度文案を検討。県平和祈念資料館所蔵の映像証言記録に、当時壕にいた男性の「韓国女性はいたが、慰安婦とは関係ないでしょうね」とする証言などを確認したとし、同課は「県として片方だけの意見を盛り込むことはできず、削除することを決めた」と説明した。
…これってもしかして、、、またもや、、、?
ニコニコ動画他では、チャンネル桜提供の「
生き証人が語る、第32軍司令部壕の真実」なる動画がアップされており
(未見なのだが)、説明文には「第32軍司令部壕の説明看板に、歴史事実に反した、英霊を冒涜する説明文が載せられていたが、この反日プロパガンダは全国有志の抗議により削除されることとなった」という一節がある。
そして、関連情報を探すと、こちらのエントリに行き着いた。
元自衛隊員で沖縄県隊友会(自衛隊OB会)の副会長を務めたこともある奥茂治氏が、以下の文章を自らのフェイスブックとツイッターに載せている。2011年12月10日の記述である。
県に意見書を提出し、県会議員に要請するのは奥氏の自由だ。しかし、自らが求める文言の削除がなされずに説明板を〈設置した場合は器物損壊する〉というのは、申し入れや交渉、要請活動の域を超えており、暴力的破壊をちらつかせた県への脅しと言っていい。
私が電話で話した説明板の担当者は、「慰安婦」「住民虐殺」の記述を削除した根拠の一つとして、昨年11月28日にチャンネル桜で放映された番組中の伊波苗子氏の証言をあげていた。奥氏が県に意見書を提出したのは、放映3日前の11月25日である。チャンネル桜の放映後に県の担当課には、記述削除を求める電話やFAX、メールが相次いだ。そういう中で12月9日に奥氏は、〈もし設置した場合は器物損壊する旨を伝えて〉県会議員に削除の協力要請をしている。
実は11月28日のチャンネル桜の番組で紹介された伊波氏の証言は、奥氏がインタビューして録画したビデオテープをチャンネル桜に提供したものなのである。同番組ではそれだけでなく、奥氏が11月25日に県に提出した意見書を画面に提示しながら、説明板担当課の電話・FAX番号、メールアドレスを紹介して、意見を送るように呼びかけている。以下の大高未貴氏の発言(6分過ぎ)を参照のこと。
http://www.youtube.com/watch?v=j4LCYetXtF4&feature=relmfu
(中略)
第32軍司令部壕の説明板問題は、沖縄在住の元自衛隊員・奥茂治氏がチャンネル桜と連携し、伊波氏の証言映像を使って視聴者から沖縄県の担当課に抗議の電話・FAX・メールを送らせ、その上で「器物損壊」という脅しをかけて引き起こしたものであることが分かる。
仲井真知事や県幹部は、単純に脅しに屈したというよりも、奥氏らの動きを都合よく利用したと考えられる。
見落としていたのだが、またしても、このパターンだったのかとがっくり。
こんな、第32司令部壕「慰安婦」等記述削除問題に対して、「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクション・センター(VAWW RAC/バウラック)さんが沖縄県知事に抗議文を送ってらっしゃるので、ご紹介。
説明板から削除された「慰安婦」についての抗議文
沖縄県知事 仲井真 弘多 様
第32軍首里司令部壕の説明板から削除された「慰安婦」の記述復活を求めます!!
沖縄県は、那覇市の首里城公園に設置した第32軍司令部壕説明板から「慰安婦」の文言を削った。日本軍が残した陣中日誌や米軍資料、住民の証言からも、第32軍司令部壕に「慰安婦」がいたことは明らかであり、「明確にそこに慰安婦がいたという事実を証明する文献、書類がない」という削除理由は全くの嘘である。
第32軍の司令部は、「天ノ巌戸戦闘司令部」とも言い、「天ノ巌戸戦闘司令所取締ニ関スル規定」昭和20年5月(沖縄県公文書館で「日々命令綴」として公開)には、第32軍参謀本部が出していた会報「球軍日々命令」が記される。
5月10日付け球軍日々命令107號には、5月10日に壕内の女性の撤退が開始されたとあるが、これは、米軍の攻撃を受け、司令部壕を放棄し摩文仁に撤退する命令であった。
撤退はグループごとに時間差をつけて行っている。第一梯団は「筆生及打字手(タイピスト)」の平敷町子以下20名、第二梯団は「筆生及雑使」の高江洲カメ以下16名、第三梯団は徳田カメ以下26名、第四梯団は偕行社の水石一登以下13名とある。この第三梯団の女性たちは「若藤及病院」とあるが、「若藤」こそ「若藤楼」であり、「慰安婦」にされた女性たちである。彼女たちのことは、『沖縄決戦』にも、「洞窟内には・・・辻町の料亭若藤の遊女十数名が収容されていた」と記されている。彼女たちは第四坑道から出発し、輿座の第24師団(山部隊)へ移動し、引き継がれた。
この資料からも、第32軍司令部壕に「慰安婦」がいたことは明らかであり、「明確にそこに慰安婦がいたという事実を証明する文献、書類がない」というのは明らかな嘘である。
第32軍は沖縄に多くの慰安所を設置し、そこに多くの朝鮮人女性や日本人女性が「慰安婦」として入れられた。これらの事実は多くの戦記や資料で記録されているばかりか、当事者の証言もあり、否定できるものではない。
慰安所とは、「一般女性」たちを守るとの理由をあげ、いわゆる「性」の「防波堤」として用いられたものである。そもそも沖縄戦当時、沖縄県は、強くこれらの組織の受け入れを強く拒否してきた。にもかかわらず、日本軍は、沖縄県の辻遊廓の女性たちの廃業を禁止し、130か所を上回る慰安所を組織的に設置した。
慰安所は、沖縄差別を象徴する組織でもあったのである。と同時に、植民地からの女性たちを巻き込む形で強行されたアジア蔑視システムであった。沖縄差別・アジア差別の考え方を持った日本軍が沖縄で何を行ってきたのかは、他ならない、沖縄県の市町村の取り組みで明らかとなった数々の証言でも明らかである。
「慰安婦」及び「住民虐殺」の文言削除は、これまで「平和」と「人権」を掲げて沖縄県が取り組んできた努力を無にすることだ。
「慰安婦」にされた女性たちが尊厳の回復を求めて立ち上がって20年以上の歳月が流れたが、今、このような事態が沖縄で起こることは実に情けない限りである。沖縄県は一刻も早く元の説明に戻すよう、私たちは強く要望する。
2012年4月11日
「戦争と女性への暴力」 リサーチ・アクション・センター(VAWW RAC/バウラック)
〒112-0003 東京都文京区文京春日郵便局局留
Tel/fax:03-3818-5903
関連報道を資料保存;
会場から「記述は日本軍をおとしめる」と批判が出たのに対し、検討委の池田榮史委員長(琉球大教授)らは「32軍がどういう軍隊だったのか、史実を明らかにしているにすぎない」と反論した。
質疑応答の時間に、自衛隊OBでつくる県隊友会の元副会長、奥茂治さんが発言した。削除を求めて県に意見書を出したと明らかにした上で、軍命令の中で壕内に女性が居たことが明記されている料亭「若藤」楼について「慰安所なのか」と質問した。
これに対し、村上有慶委員は「若藤楼は軍命で『玉倶楽部』という民営の慰安所になった」と説明。池田委員長は「若藤楼に慰安婦にならざるを得なかった女性たちがいて、32軍壕にいたことは事実だ」と指摘した。
.
..
第32軍の創設と司令部壕の構築
1944(昭和19)年3月、南西諸島の防衛を目的に、第32軍が創設されました。同年12月、司令部壕の構築がはじめられ、沖縄師範学校など多くの学徒や地域住民が動員されました。1945(昭和20)年3月、空襲が激しくなると、第32軍司令部は地下壕に移動し、米軍との決戦に備えました。
壕内は五つの行動で結ばれていましたが、現在、抗口は塞がれ、中に入ることはできません。
第32軍司令部壕内のようす
司令部壕内には、牛島満司令官、長勇参謀長をはじめ総勢1000人余の将兵や県出身の軍属・学徒・女性軍属・慰安婦などが雑居していました。戦闘指揮に必要な施設・設備が完備され、通路の両側には兵隊の二、三段ベッドが並べられました。壕生活は立ちこめる熱気と、湿気や異様な臭いとの戦いでもありました。
司令部壕周辺では、日本軍に「スパイ視」された沖縄住民の虐殺なども起こりました。
第32軍司令部の南部撤退
1945年5月22日、日本軍司令部は、沖縄東南部の摩文仁への撤退を決定しました。本土決戦を遅らせる為の、沖縄を「捨て石」にした持久作戦をとるためでした。5月27日夜、本格的な撤退が始まり、司令部壕の主要部分と抗口は破壊されました。司令部の撤退にともなう、軍民混在の逃避行のなかで、多くの将兵と住民が命を落とすことになってしまいました。5月31日首里は米軍に占拠されましたが、沖縄戦によって首里城正殿をはじめとする琉球王国の歴史を物語る貴重な文化遺産は失われてしまいました。
こちら方面の話題を追っていると、ごく普通の表現にしか見えないこの説明文に関して何かが起こっているのを知ったのは
nagonaguさんのはてなブックマーク経由で、少し前、報道は2月24日付のことだった。
県は、答申された説明文のうち「司令部壕内には、牛島満軍司令官、長勇参謀長をはじめ総勢1000人余の将兵や県出身の軍属・学徒、女性軍属・慰安婦などが雑居していました」の一文から、「慰安婦」を削除した。
さらに「司令部壕周辺では、日本軍に『スパイ視』された沖縄住民の虐殺などもおこりました」という記述全てを削除した。
またさらに、
説明板に載せる英語、中国語、韓国語の翻訳文原文から「捨て石」「女性軍属」等の表現が削られているという3/17付の報道も目にしたが、多くの抗議にもかかわらず設置された説明板を見てきた人の話では、
説明板は「住民虐殺」「従軍慰安婦」は削除されたまま。外国語は英語、中国語、韓国語。訳文では日本語にある「捨て石」や「女性軍属」などもなかったですね。
という。
そしてまた、
「従軍慰安婦」「住民虐殺」の文言が説明板から削除された第32軍司令部壕について、県は12日、2012年度に強度などを調査した上で、埋めることもあり得るとの考えを示した。
(中略)
県の壕調査には、参加者から「史実だけでなく、司令部壕まで埋められ、なかったことにされてしまう」「広く公開する方法を考えなければ」などと懸念する声が上がった。
という話まで目にした。
県は説明板から「慰安婦」の文字を削った理由として、「
「できる限り検証を行った結果、32軍司令部壕においては確証を得ることができませんでした」としているが、
鉄血勤皇師範隊として沖縄戦に動員された元学徒は、第32軍司令部壕に多くの女性がいたと証言する。
当時、鉄血勤皇師範隊の情報宣伝隊(千早隊)に所属していた元県知事の大田昌秀さん(86)は「どうして戦場の壕にこんなに多くの女性がいるのか」と不思議に思ったという。女性たちは「朝鮮ピー」という蔑称で呼ばれていたが、大田さんは「当時は意味が分からなかった」と振り返る。
県が第32軍司令部壕説明板設置検討委員会がまとめた文案から「慰安婦」などの記述を削除したことに対して大田さんは「とんでもない」と憤慨。「戦争を知らない世代が増えているからこそ、事実を事実として残す努力が必要だ。相反する事象があればしっかり調べるのが責務だ」とし、丁寧な検証をせず文言削除に踏み切った県の姿勢を批判する。
渡久山朝章さん(84)も、壕の中にいる女性たちが「朝鮮ピー」と呼ばれていたことを記憶している。
「確証」ってなんじゃいと呆然とするが、改めて報道を見て回っていると気になる記述があった。
県平和・男女共同参画課は、この文案に対して県内外から「事実と違う」「証言は捏造(ねつぞう)だ」などのメールや電話、ファクスなどの抗議・意見82件が寄せられたため、部内で再度文案を検討。県平和祈念資料館所蔵の映像証言記録に、当時壕にいた男性の「韓国女性はいたが、慰安婦とは関係ないでしょうね」とする証言などを確認したとし、同課は「県として片方だけの意見を盛り込むことはできず、削除することを決めた」と説明した。
…これってもしかして、、、またもや、、、?
ニコニコ動画他では、チャンネル桜提供の「
生き証人が語る、第32軍司令部壕の真実」なる動画がアップされており
(未見なのだが)、説明文には「第32軍司令部壕の説明看板に、歴史事実に反した、英霊を冒涜する説明文が載せられていたが、この反日プロパガンダは全国有志の抗議により削除されることとなった」という一節がある。
そして、関連情報を探すと、こちらのエントリに行き着いた。
元自衛隊員で沖縄県隊友会(自衛隊OB会)の副会長を務めたこともある奥茂治氏が、以下の文章を自らのフェイスブックとツイッターに載せている。2011年12月10日の記述である。
県に意見書を提出し、県会議員に要請するのは奥氏の自由だ。しかし、自らが求める文言の削除がなされずに説明板を〈設置した場合は器物損壊する〉というのは、申し入れや交渉、要請活動の域を超えており、暴力的破壊をちらつかせた県への脅しと言っていい。
私が電話で話した説明板の担当者は、「慰安婦」「住民虐殺」の記述を削除した根拠の一つとして、昨年11月28日にチャンネル桜で放映された番組中の伊波苗子氏の証言をあげていた。奥氏が県に意見書を提出したのは、放映3日前の11月25日である。チャンネル桜の放映後に県の担当課には、記述削除を求める電話やFAX、メールが相次いだ。そういう中で12月9日に奥氏は、〈もし設置した場合は器物損壊する旨を伝えて〉県会議員に削除の協力要請をしている。
実は11月28日のチャンネル桜の番組で紹介された伊波氏の証言は、奥氏がインタビューして録画したビデオテープをチャンネル桜に提供したものなのである。同番組ではそれだけでなく、奥氏が11月25日に県に提出した意見書を画面に提示しながら、説明板担当課の電話・FAX番号、メールアドレスを紹介して、意見を送るように呼びかけている。以下の大高未貴氏の発言(6分過ぎ)を参照のこと。
http://www.youtube.com/watch?v=j4LCYetXtF4&feature=relmfu
(中略)
第32軍司令部壕の説明板問題は、沖縄在住の元自衛隊員・奥茂治氏がチャンネル桜と連携し、伊波氏の証言映像を使って視聴者から沖縄県の担当課に抗議の電話・FAX・メールを送らせ、その上で「器物損壊」という脅しをかけて引き起こしたものであることが分かる。
仲井真知事や県幹部は、単純に脅しに屈したというよりも、奥氏らの動きを都合よく利用したと考えられる。
見落としていたのだが、またしても、このパターンだったのかとがっくり。
こんな、第32司令部壕「慰安婦」等記述削除問題に対して、「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクション・センター(VAWW RAC/バウラック)さんが沖縄県知事に抗議文を送ってらっしゃるので、ご紹介。
説明板から削除された「慰安婦」についての抗議文
沖縄県知事 仲井真 弘多 様
第32軍首里司令部壕の説明板から削除された「慰安婦」の記述復活を求めます!!
沖縄県は、那覇市の首里城公園に設置した第32軍司令部壕説明板から「慰安婦」の文言を削った。日本軍が残した陣中日誌や米軍資料、住民の証言からも、第32軍司令部壕に「慰安婦」がいたことは明らかであり、「明確にそこに慰安婦がいたという事実を証明する文献、書類がない」という削除理由は全くの嘘である。
第32軍の司令部は、「天ノ巌戸戦闘司令部」とも言い、「天ノ巌戸戦闘司令所取締ニ関スル規定」昭和20年5月(沖縄県公文書館で「日々命令綴」として公開)には、第32軍参謀本部が出していた会報「球軍日々命令」が記される。
5月10日付け球軍日々命令107號には、5月10日に壕内の女性の撤退が開始されたとあるが、これは、米軍の攻撃を受け、司令部壕を放棄し摩文仁に撤退する命令であった。
撤退はグループごとに時間差をつけて行っている。第一梯団は「筆生及打字手(タイピスト)」の平敷町子以下20名、第二梯団は「筆生及雑使」の高江洲カメ以下16名、第三梯団は徳田カメ以下26名、第四梯団は偕行社の水石一登以下13名とある。この第三梯団の女性たちは「若藤及病院」とあるが、「若藤」こそ「若藤楼」であり、「慰安婦」にされた女性たちである。彼女たちのことは、『沖縄決戦』にも、「洞窟内には・・・辻町の料亭若藤の遊女十数名が収容されていた」と記されている。彼女たちは第四坑道から出発し、輿座の第24師団(山部隊)へ移動し、引き継がれた。
この資料からも、第32軍司令部壕に「慰安婦」がいたことは明らかであり、「明確にそこに慰安婦がいたという事実を証明する文献、書類がない」というのは明らかな嘘である。
第32軍は沖縄に多くの慰安所を設置し、そこに多くの朝鮮人女性や日本人女性が「慰安婦」として入れられた。これらの事実は多くの戦記や資料で記録されているばかりか、当事者の証言もあり、否定できるものではない。
慰安所とは、「一般女性」たちを守るとの理由をあげ、いわゆる「性」の「防波堤」として用いられたものである。そもそも沖縄戦当時、沖縄県は、強くこれらの組織の受け入れを強く拒否してきた。にもかかわらず、日本軍は、沖縄県の辻遊廓の女性たちの廃業を禁止し、130か所を上回る慰安所を組織的に設置した。
慰安所は、沖縄差別を象徴する組織でもあったのである。と同時に、植民地からの女性たちを巻き込む形で強行されたアジア蔑視システムであった。沖縄差別・アジア差別の考え方を持った日本軍が沖縄で何を行ってきたのかは、他ならない、沖縄県の市町村の取り組みで明らかとなった数々の証言でも明らかである。
「慰安婦」及び「住民虐殺」の文言削除は、これまで「平和」と「人権」を掲げて沖縄県が取り組んできた努力を無にすることだ。
「慰安婦」にされた女性たちが尊厳の回復を求めて立ち上がって20年以上の歳月が流れたが、今、このような事態が沖縄で起こることは実に情けない限りである。沖縄県は一刻も早く元の説明に戻すよう、私たちは強く要望する。
2012年4月11日
「戦争と女性への暴力」 リサーチ・アクション・センター(VAWW RAC/バウラック)
〒112-0003 東京都文京区文京春日郵便局局留
Tel/fax:03-3818-5903
関連報道を資料保存;
会場から「記述は日本軍をおとしめる」と批判が出たのに対し、検討委の池田榮史委員長(琉球大教授)らは「32軍がどういう軍隊だったのか、史実を明らかにしているにすぎない」と反論した。
質疑応答の時間に、自衛隊OBでつくる県隊友会の元副会長、奥茂治さんが発言した。削除を求めて県に意見書を出したと明らかにした上で、軍命令の中で壕内に女性が居たことが明記されている料亭「若藤」楼について「慰安所なのか」と質問した。
これに対し、村上有慶委員は「若藤楼は軍命で『玉倶楽部』という民営の慰安所になった」と説明。池田委員長は「若藤楼に慰安婦にならざるを得なかった女性たちがいて、32軍壕にいたことは事実だ」と指摘した。
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第32軍首里司令部壕の説明板から削除された「慰安婦」の記述復活を仲井真弘多・沖縄県知事に求める抗議文
沖縄の歴史について、最近次の記事を書きました。
■沖縄の仲井真弘多県知事による、沖縄の記憶の抹殺に抗議します
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-3232.html
2012-03-01
仲井...
[2012/04/30 23:44]
URL
村野瀬玲奈の秘書課広報室