京都教育大の学生が、居酒屋コンパで酒に酔った女子学生へ性的暴行を行ったとして集団準強姦容疑で逮捕された事件について、またぞろ『「男の飲み会に一人で参加するなんて」という事実誤認に基づく「誹謗」とすらいえるような』被害者へのセカンドレイプ言説を表明する人がいたと、「
土曜の夜、牛と吼える。青瓢箪。」さんが「
いい加減代替可能なロジックで被害者を責めるのはやめたらどうか。 」と、エントリを上げてらした。
毎度ながら憤りつつ、しかし、哀しくなるほど見慣れてしまった光景だ。
2008年の2月に在沖海兵隊の米兵が中学生を強姦したとして逮捕された際には、被害者に対し、花岡信昭なる人物が産経新聞に『
基本的な「しつけ」が徹底していなかった』と書いた。クライン孝子とかいう人も「
この女子中学生は基地反対派によって送り込まれたハニートラップかも」などという文章を公表した。当ブログにまで『
深夜まで遊ぼうが、うろつこうが、何も問題は起こらないと、安心していたのでしょうか? 』等というコメントが湧いた。
2007年の10月に岩国基地の米兵4人が未成年女性を集団強姦したとして逮捕された際には、藤田雄山広島県知事が「盛り場でうろうろしている未成年もどうかと思う」と発言した。この時に、とあるブログに付いたコメントでは「
熊出没注意のエリアには不用意に立ち入らないのが賢明」というのもあった。
2007年4月にあったJR北陸線の特急内で起きた強姦事件の際には、
こういう事件はレイプされる女側に責任がある・一人で電車に乗り、助けを呼ばない所かスタンガン、防犯ブザーすら持っていなかった・最近のレイプされる女は自分の非を棚にあげ、何でも加害者のせいにするなるコメントを見かけたし、『
メスが弱くて防犯道具も持たずに無防備だから悪いってのはもっともな言説』なんてのもあった。
さすがにこれはネタだろうって? ネタだから許されるレベルだろうか。しかも、同方向で類似の発言は、匿名ではない誰かも発言しているのに。
2003年7月には、後に日本国首相になった人物が「
女性にもいかにも『してくれ』っていうの、いるじゃない」「そういう格好しているほうが悪いんだ。男は黒豹なんだから、情状酌量ってこともあるんじゃないの」なんて発言していたぐらい、この社会の本音はそっちなんじゃないのか? 最近でも、
「気の毒な冤罪被害者を出さないために、世の女性には痴漢くらい大目に見て欲しい」なんて冤罪の原因を司法にでなくて被害者に向ける勘違い発言も出たそうだし、それに続いて
「どうしてレイプする権利はないのでしょうか」と言い出す人もでたぐらいだし。
そういえば、元警察署長という人物が、自身の孫が女性を監禁して性的暴行を加えていたとして逮捕された事件で、
テレビ局の取材に対して「本人のせいじゃなくて、最近は女性の肌の露出が多い。着物の国で裸の女がいたら、誘っていると思われても仕方ない」と発言したこともある。この事件、
逮捕が2005年6月頃だったと聞くが、事件被告の男が『いわゆる「調教モノ」のアダルトゲーム約1000本』を所持していたとしても知られる。
そういった犯罪に及ぶ人間はごく少数だという指摘はよくあるし、それは確かにその通りだろう。
しかし、私も以前、
2007年4月にもエントリにしたことがあるように、これらの犯罪から被害を受けるのは被害当事者だけではないことを、もっとも大きな被害を受けたのが被害者の方当人であることを当然とした上で、もっと知られて欲しい。
被害者を見せしめにしてと表現すれば表せるだろうか。少数であっても、その目立たされた出来事は他の個人の行動をも抑制する。
9/30/2008付の『
北米社会哲学学会報告5/売買春、フェミニズム哲学、承認をめぐる闘争|macska dot org』には、こんな一節があったのを見たときは、心当たりがありすぎて驚いた。
ところで、9/24 付けの The New Republic に掲載されているジョー・バイデン上院議員/副大統領候補と「女性に対する暴力法 VAWA = Violence Against Women Act」に関する記事は必読。バイデン議員が「女性に対する暴力は、被害を受けた当人に深い傷を残すだけでなく、ある時間以降特定の場所に出入りしないとか、犯罪者に狙われかねない服装を避けなければならないなど、その他の多数の女性の行動の自由も奪う、したがってこれは平等権の問題である」という信念を VAWA に盛り込み、その条項を必死で守り抜こうとしたことが書かれている。バイデンの平等権理解は、明らかにフェミニズム法哲学の影響を受けている。
(強調は引用者)
子供の頃から、いろいろと制限を受けていた。家族内でも、男に生まれついていた年長の同胞達は、好きに近所の里山に探索に行き、友達の家に遊びに行っていたが、前者は私は禁じられ
(あるいは親同伴が条件)後者は高層住宅住まいの友達の家には行けなかった。「エレベーターに痴漢がでるから」と。
もう少し育つと、門限ができた
(私限定の)。中学の部活で、護身になるからと柔道部に入れとか強制されそうになった
(もともと他に入りたいクラブがあったので断固抵抗した)。髪を伸ばすととやかく言われた。その他もろもろ。進学も就職も、兄達にはつかない限定条件が私にはついた。
今から思い返して凄い話だと自分でも思うのが、母親から、自宅で体の線が出る部屋着を禁じられたこと。さすがに理不尽だと思って理由を問うた私に、あっさり答えて言った。父と兄たちが「男だ」と。
学生時代、とある活動に毎週通っていたのだが、朝が早かったのでその通い先にごく近かった20歳ほど年上のいとこ達
(独身の姉弟による共同生活世帯)の家に泊めてもらったことがあった。しかし、二回ほど泊めてもらった後、従姉は母に泊まりに来るのをやめてもらってくれと伝えてきたそうだ。理由は、うちにも男がいるから間違いがあっては困る。…父と兄と従兄達は、身内の女性にそう評されていたなんて、多分、今でも知らないだろう。
その他にも、親戚や知り合いの誰かから聞いた、多様で大量の性暴力被害の話を、母は私に聞かせて育てた。その甲斐あって、警戒心は売る程あると断言したいぐらいだ。それでも、痴漢には遭遇する。そして、痴漢に遭遇した話を自宅ですると「ぼんやりしているからだ」と叱られる。それに加えて、自分ちにドレスコードがあった訳だが、上述のように、その理由をそれだとあっさり断言しては、意識してかどうかは知らないが、そのメッセージは「家庭でも警戒しろ」となる。
しかし、意外なほど
男性(や運良く被害に遭遇せずに済んだ女性)は実感がない様子であるにもかかわらず、痴漢を初めとする性的な加害は、いつでもどこでもすぐ隣にある
(参考:「痴漢の被害を大勢の人に知ってもらうために まとめ」)。また、痴漢でも痴漢以外の性暴力被害でも、被害者に原因があると言い出す人が多々現れるのは同じく見慣れた光景だ
(参考:『「痴漢被害が日常」という非日常的光景 - モニターの向こうは今日も透明』)。
先にあげたバイデン議員のコメントは、選択や行動の自由が制限されてきた事情が私だけではないことを裏付けるだろうが、こういった記述はしばしば目にする。このエントリを書くにあたって探してみたが、「女に生まれて損をしたと思ったことは、○浜で一人で夜風に吹かれる楽しみを味わえなかったこと」と書いてらしたのはどなたで、どの本だったか。
探し出せたのはこういう記述だった。牟田和恵氏は「実践するフェミニズム」のP.160で、深夜労働についてこう述べる。
長時間の労働は女性には過酷であるとするのも保護主義の表れだ。(略)深夜働かせて、職場への行き帰り中や仕事中に「危ない」「襲われたらどうする」という議論もあるだろうが、そんな危険が予想されるから女性はダメ、というのは、レイプ被害における「被害者を責める」ロジックと同じだ。こんな「保護」のかたちを借りた拘束がいかに女性の行動の自由や選択の自由を奪ってきたことだろうか。(略)こうした保護主義が、いかに女性の権利と平等を奪ってきたか、もういちど見直す必要がある。
さらに同じ本のP.171の欄外コラムで、牟田氏は学生時代にインド旅行したエピソードを記している。ベナレスからの旅程で、その当時によくあった「旅は道連れ」状態となって、スウェーデンから来た30歳前後の男性二人と乗り物をシェアしつつ一緒したそうだ。そうして、宿に着いた時、彼らが当然のように部屋もシェアしようとし、勢いで(?)そのままルームシェアになったという。動揺し「この人達が何かしてきたら」と内心警戒する牟田氏をよそに、さっさと安らかに眠る男性二人を見て、牟田氏は感慨にふけったという。彼らが安定した人物だと解ったからこそ道連れになったのに、どうしてこう考えるのだろう、と。
それなのに、男性と「一つ部屋に寝る」ということだけで、「襲われるのでは」という考えがまるで「条件反射」のように脳裏をよぎる。こんな風に「条件付けられてる」とはこれまで意識したことはなかったけれども、「自分の身を守るのは自分」「何かあれば落ち度は女」と、身にしみて覚え込まされてきた結果なのだ。それが自分のこれまでの人生をどれほど縛ってきただろう。そのことは自分の心にどれだけ柵を作ってきたことだろう………。
これまた、深く頷いたエピソードだった。
痴漢・強姦犯、その他の性的な加害を起こす存在が最悪なのは当然だ。だが、この社会はその最悪の存在からの
被害者を見せしめにして、他の女性、特に幼いあるいは若い女性の行動の自由を阻害し、選択の自由を制限し、自己決定権に干渉し、思考にさえ条件付けをかける。
この状況を、性的被害を受けるカテゴリーに属する「私たち」は人権侵害されている状態だと、私は呼びたいと思っているし、同様に考える人達は上記の引用のいくつかが示すように私一人ではないはず。
そして、この状態をもたらすものは何だという疑問には、ずっととりつかれている。
(このエントリ、続く予定……多分)
しかし、私も以前、
2007年4月にもエントリにしたことがあるように、これらの犯罪から被害を受けるのは被害当事者だけではないことを、もっとも大きな被害を受けたのが被害者の方当人であることを当然とした上で、もっと知られて欲しい。
被害者を見せしめにしてと表現すれば表せるだろうか。少数であっても、その目立たされた出来事は他の個人の行動をも抑制する。
9/30/2008付の『
北米社会哲学学会報告5/売買春、フェミニズム哲学、承認をめぐる闘争|macska dot org』には、こんな一節があったのを見たときは、心当たりがありすぎて驚いた。
ところで、9/24 付けの The New Republic に掲載されているジョー・バイデン上院議員/副大統領候補と「女性に対する暴力法 VAWA = Violence Against Women Act」に関する記事は必読。バイデン議員が「女性に対する暴力は、被害を受けた当人に深い傷を残すだけでなく、ある時間以降特定の場所に出入りしないとか、犯罪者に狙われかねない服装を避けなければならないなど、その他の多数の女性の行動の自由も奪う、したがってこれは平等権の問題である」という信念を VAWA に盛り込み、その条項を必死で守り抜こうとしたことが書かれている。バイデンの平等権理解は、明らかにフェミニズム法哲学の影響を受けている。
(強調は引用者)
子供の頃から、いろいろと制限を受けていた。家族内でも、男に生まれついていた年長の同胞達は、好きに近所の里山に探索に行き、友達の家に遊びに行っていたが、前者は私は禁じられ
(あるいは親同伴が条件)後者は高層住宅住まいの友達の家には行けなかった。「エレベーターに痴漢がでるから」と。
もう少し育つと、門限ができた
(私限定の)。中学の部活で、護身になるからと柔道部に入れとか強制されそうになった
(もともと他に入りたいクラブがあったので断固抵抗した)。髪を伸ばすととやかく言われた。その他もろもろ。進学も就職も、兄達にはつかない限定条件が私にはついた。
今から思い返して凄い話だと自分でも思うのが、母親から、自宅で体の線が出る部屋着を禁じられたこと。さすがに理不尽だと思って理由を問うた私に、あっさり答えて言った。父と兄たちが「男だ」と。
学生時代、とある活動に毎週通っていたのだが、朝が早かったのでその通い先にごく近かった20歳ほど年上のいとこ達
(独身の姉弟による共同生活世帯)の家に泊めてもらったことがあった。しかし、二回ほど泊めてもらった後、従姉は母に泊まりに来るのをやめてもらってくれと伝えてきたそうだ。理由は、うちにも男がいるから間違いがあっては困る。…父と兄と従兄達は、身内の女性にそう評されていたなんて、多分、今でも知らないだろう。
その他にも、親戚や知り合いの誰かから聞いた、多様で大量の性暴力被害の話を、母は私に聞かせて育てた。その甲斐あって、警戒心は売る程あると断言したいぐらいだ。それでも、痴漢には遭遇する。そして、痴漢に遭遇した話を自宅ですると「ぼんやりしているからだ」と叱られる。それに加えて、自分ちにドレスコードがあった訳だが、上述のように、その理由をそれだとあっさり断言しては、意識してかどうかは知らないが、そのメッセージは「家庭でも警戒しろ」となる。
しかし、意外なほど
男性(や運良く被害に遭遇せずに済んだ女性)は実感がない様子であるにもかかわらず、痴漢を初めとする性的な加害は、いつでもどこでもすぐ隣にある
(参考:「痴漢の被害を大勢の人に知ってもらうために まとめ」)。また、痴漢でも痴漢以外の性暴力被害でも、被害者に原因があると言い出す人が多々現れるのは同じく見慣れた光景だ
(参考:『「痴漢被害が日常」という非日常的光景 - モニターの向こうは今日も透明』)。
先にあげたバイデン議員のコメントは、選択や行動の自由が制限されてきた事情が私だけではないことを裏付けるだろうが、こういった記述はしばしば目にする。このエントリを書くにあたって探してみたが、「女に生まれて損をしたと思ったことは、○浜で一人で夜風に吹かれる楽しみを味わえなかったこと」と書いてらしたのはどなたで、どの本だったか。
探し出せたのはこういう記述だった。牟田和恵氏は「実践するフェミニズム」のP.160で、深夜労働についてこう述べる。
長時間の労働は女性には過酷であるとするのも保護主義の表れだ。(略)深夜働かせて、職場への行き帰り中や仕事中に「危ない」「襲われたらどうする」という議論もあるだろうが、そんな危険が予想されるから女性はダメ、というのは、レイプ被害における「被害者を責める」ロジックと同じだ。こんな「保護」のかたちを借りた拘束がいかに女性の行動の自由や選択の自由を奪ってきたことだろうか。(略)こうした保護主義が、いかに女性の権利と平等を奪ってきたか、もういちど見直す必要がある。
さらに同じ本のP.171の欄外コラムで、牟田氏は学生時代にインド旅行したエピソードを記している。ベナレスからの旅程で、その当時によくあった「旅は道連れ」状態となって、スウェーデンから来た30歳前後の男性二人と乗り物をシェアしつつ一緒したそうだ。そうして、宿に着いた時、彼らが当然のように部屋もシェアしようとし、勢いで(?)そのままルームシェアになったという。動揺し「この人達が何かしてきたら」と内心警戒する牟田氏をよそに、さっさと安らかに眠る男性二人を見て、牟田氏は感慨にふけったという。彼らが安定した人物だと解ったからこそ道連れになったのに、どうしてこう考えるのだろう、と。
それなのに、男性と「一つ部屋に寝る」ということだけで、「襲われるのでは」という考えがまるで「条件反射」のように脳裏をよぎる。こんな風に「条件付けられてる」とはこれまで意識したことはなかったけれども、「自分の身を守るのは自分」「何かあれば落ち度は女」と、身にしみて覚え込まされてきた結果なのだ。それが自分のこれまでの人生をどれほど縛ってきただろう。そのことは自分の心にどれだけ柵を作ってきたことだろう………。
これまた、深く頷いたエピソードだった。
痴漢・強姦犯、その他の性的な加害を起こす存在が最悪なのは当然だ。だが、この社会はその最悪の存在からの
被害者を見せしめにして、他の女性、特に幼いあるいは若い女性の行動の自由を阻害し、選択の自由を制限し、自己決定権に干渉し、思考にさえ条件付けをかける。
この状況を、性的被害を受けるカテゴリーに属する「私たち」は人権侵害されている状態だと、私は呼びたいと思っているし、同様に考える人達は上記の引用のいくつかが示すように私一人ではないはず。
そして、この状態をもたらすものは何だという疑問には、ずっととりつかれている。
(このエントリ、続く予定……多分)
No. 6038
と、碧猫様の血縁の女性陣に対して思ってしまいました。
…あたしはちょっと「恋人」が出来てから丸くなってしまいまして(^^;、
「「自分は信じて」って言えない男が被害者落ち度論を言い立てて女性に警戒を強要するのは何なの?」
(裏:「自分は信じて」って言えて、それが受け入れられるくらい親密なら、まあ分からんでもない(あたしは嫌な気分になるし、多分要求をクリア出来ないけど))
くらいに柔らかくなっております。信任を請えない男がそういうことを言うのは距離置き推奨宣言ですよね。
で、リンク先のmacska氏のエントリーを見てぽつりと愚痴。
…公正と相容れない「自由」って、何なんでしょうね。
適当な記事を、トラックバックしますね。
No. 6039
されてましたね。せっかくの良エントリなのにアホなコメントで目を汚された!と思っていたものですから。
手元にないのでどこが出したものかとかは忘れてしまいましたが、蔦森樹さんや井上輝子さんが出ていた啓発ビデオ。男女交えた学生さんたちが話をするところがあって、男子学生さんの「やっぱり女性が夜一人で歩くのは危険だし…」みたいな発言がありまして。最後の方で井上さんが、「こういう意見があったけど、加害者の方が問題なはずなのに、どうして女性の一人歩きが問題にされるのかしら」的なことをおっしゃっておられて(かなり前に観たのでうろ覚えですが)。
実際、女性が性犯罪にあった場合に女性の不用意さを責めるのに、男性の痴漢えん罪について「ラッシュ時の電車に乗るのが悪い」とか「女性の近くに立つのが悪い」ということをいう人はあまり見たことがないなあと。
ほんと、どうしても制限しろというなら、被害者予備軍ではなく加害者予備軍でしょうよ、と思うのですが。
No. 6040
私は、痴漢に間違われるのはいやなので、自分で防衛しています。
勤務先も自転車でいける範囲に変えましたし、込み合う電車にはできるだけ乗らないようにしていますし、仕方なく乗る場合においても女性の近くを避けて、なるべく電車の端っこにへばりつくようなかたちで乗るように心がけています。
そうした努力を尽くした結果それでも痴漢にまちがわれたというのであれば、痴漢えん罪に同情する余地は少々あると思います。
とにかく性犯罪は男性が悪いのは当然のことであると思います。
性犯罪は男性の方が悪いのに、女性が不自由な生活を強いられたことが、男性優遇社会で日本社会の発展を著しく妨げてきたと可也の確信を持っていえます。
女性が人間として男性同様に尊重される社会こそが真の先進国だと思います。
私はいかにみめかたち麗しき女性が隣に寝ていたとしてもぐっすりと寝てみせます。それができない男は男じゃなく雄猿であるとあえて断言します。
性犯罪は女性に責任があるという言動をネット上で見るたびに私は胸がむかむかし同時にこんな人たちと私を同じに見られてはたまらないとひどく悲しく思います。
No. 6041
>七重さん
>いっそ一貫してていい
<
前にもどこかで書いた話ですが、物心つくかどうかぐらいの小さい時、もちろん、知らないおじさんについていかない、近づいてきたら逃げろという躾が入っていたわけです。ところがある日、公園のジャングルジムに昇って降りられなくて、泣き出してしまったことがあったそうで。通りがかりの親切なおっちゃんが、降ろしてやろうと昇ってきてくれたのですが。
知らないおじさんが近づいてきて、しかも逃げられない訳でパニくって泣き騒いだそうで。通りがかった兄が家に知らせて母を呼んできて収まったそうです。で、その後、家族内でも、親戚にも、何度も何度も、親切に近づいてきたおじさんにまで泣き喚いてアホかと言われました。おかげで、普通なら記憶に残らない年頃の出来事がはっきりと(^^;
…当然、その後もずっと、男に気をつけろ教育は継続していたんですけどー。
>「「自分は信じて」って言えない男が被害者落ち度論を言い立てて女性に警戒を強要するのは何なの?」
<
自分専用の所有物(あるいはその候補)になりませんかというお申し出、ただし、自分には干渉も拘束もするなって話でしょ?
No. 6042
>debyu-boさん
最近、エロスパム米は機械的に削除しているので、どれだっけー?状態なんですが、これの前のエントリに入った理解力が残念な米は残してありますよ。「招かれた」と勘違いしていたようなので、どう転んでも勘違いのしようがないように、アク禁にしてあげましたが。
>男性の痴漢えん罪について「ラッシュ時の電車に乗るのが悪い」とか「女性の近くに立つのが悪い」ということをいう人はあまり見たことがないなあと。
<
この前の、最高裁で痴漢訴訟逆転無罪判決時に堀江貴文氏が「痴漢に間違われないように電車の中では吊革を両手で掴む」「これって、正常な世の中だと思いますか?」(
http://ameblo.jp/takapon-jp/entry-10242479990.html)と書いていたり、「痴漢「冤罪裁判」―男にバンザイ通勤させる気か!」(
http://www.amazon.co.jp/%E7%97%B4%E6%BC%A2%E3%80%8C%E5%86%A4%E7%BD%AA%E8%A3%81%E5%88%A4%E3%80%8D%E2%80%95%E7%94%B7%E3%81%AB%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%B6%E3%82%A4%E9%80%9A%E5%8B%A4%E3%81%95%E3%81%9B%E3%82%8B%E6%B0%97%E3%81%8B-%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E9%A4%A8%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%B1%A0%E4%B8%8A-%E6%AD%A3%E6%A8%B9/dp/4094048014)なる本のタイトルを見ると、もちろん、そんな心配しなくてすむ世の中の方がいいのは当たり前なんですが、行間にある種の前提が漂っているようで、何だかなぁという気分になります。
No. 6043
>谷本篤史さん
前に見かけたことがあるのですが(今、探してみたんですが探し出せなかったんですけど)横浜あたりの女性弁護士さんが、痴漢事件で、もちろん被告は無罪を訴えている訳ですが、バンザイ通勤等疑われないように努力しなかったのが悪いといった趣旨の発言をしたそうで。なんか、そういうこと言ってどうするよ、と、あれにはガックリ来ました。
>性犯罪は女性に責任があるという言動をネット上で見るたびに私は胸がむかむかし同時にこんな人たちと私を同じに見られてはたまらないとひどく悲しく思います。
<
大多数の、普通の男性方が割を食っているのは解っていて、申し訳ない思いになるんですけどね、こういうエントリを公開するのは。当方をご訪問になるのは「熊」な人達じゃないのは解っていますから。
…ブログを見始めた当初、「女性に対する暴力」に憤って被害者を気遣う意見を発する人をデフォルトで女性と勘違いしてしまいました、それもかなりたくさんの人を(^^;
(誰にともなく)ごめんなさいごめんなさい。
No. 6044
>一貫してない
………(げんなり)
事後なら何とでも言えるわけで(お兄様がお母様を呼ばなくても何もなかった保証がどこにあるんでしょ?)。碧猫様のご家族も、結構恣意的な運用されてたんですねー。親類を信用させない辺りはかなりいい方だと思ったんですけど。
…いっそ、世界全体を恨ませてくれれば迷わずに済むのに(生活度外視で言ってます)。
>落ち度論
ぱっと思いつくその人は男性の性欲そのものにむちゃくちゃ悲観的だったんですが…それなら何で現状を固定するかね、と思ったものです。
…麗しさ(哂)が迷わせるなら、そんなもの自分で破壊してやるわ!(魅力とやらが自分では敵わない暴力を呼び込むなら、それを自ら破壊するのは理に適ってますよね?)というのは制止しにかかったのに、何考えてんだか。
…あ、勿論「恋人」には
「あたしの望まぬことを強要したら、関係がどうなるか分かってんだろーな?」
ってことはみっちり刷り込みました。
No. 6045
碧猫さま、てんとうむしです。
性暴力への深いご理解を、ありがたいと受けとめています。他人事ではなく考えてくださっているところが、とても嬉しいです。
記事を拝見して、危機管理をすることで、どういう意味があるのか?意味はあるのだろうけど、危機管理をしなければいけないということ自体が傷つくことで、女性が自由に生きられないことだと思いました。
実は、性犯罪を裁判員制度の対象外にするよう、また被害者当事者として性犯罪への理解を求めていく必要を感じましたので、blogをつくりました。
「あなたは悪くない」
http://manysided.blog85.fc2.com/ です。
多面体というHNにしました。性犯罪被害者といっても、いろんな面を持っているのだという意味をこめて、です。
初心者ですし内容もまだあまり充実していないのですが、碧猫さまと、意見交換等できればと思っておりますので、コメントさせていただきました。TBもお送りさせていただきますので、よろしければ承認していただければと思います。どうか今後ともよろしくお願いいたします。
てんとうむし改め多面体より
No. 6046
>子供の頃から、いろいろと制限を受けていた。
うちの親は世代を考えればまあリベラルな方に属すると思うんですが、それでも私に科した制約と妹に科した制約はかなり違いましたね。そのほとんどがセクシュアリティーに関わる事柄でしたが。いまの私だったらかつての妹のためにもっと言ってやれることがあったのにな、というのが実はけっこう大きな個人的悔恨になってます。
No. 6047
>七重さん
>結構恣意的な運用
<
…結構抜きでいいですよ(^^; そういう育て方をして、しかも
(無駄に高い)学歴をつけさせたら必然的に蓋然性がやたら高くなってしまう結果は、それはそれで不本意だったようで、そっちでも色々ありましたから。
>…それなら何で現状を固定するかね、(略)、何考えてんだか。
<
以前、「危険な動物」エントリを書いたら、コメント欄に、男性側の立場から危険な動物だから拘束希望なんて言い出す人がでてきた困った記憶が蘇りました(^^;
>多面体さん
ブログ開設をお知らせ下さいましてありがとうございます。
結局自分に引き寄せてるだけではないかという疑問や思いはあるので、「性暴力への深いご理解」とおっしゃっていただけると面はゆいのですが、ちょっとホッとします。
>危機管理をしなければいけないということ自体が傷つくことで、女性が自由に生きられないことだと思いました。
<
そして、実際に危険は確かにあるという現実は、それはそれで否定できなくて、頭を抱えてしまうのではありますが。
akiraさんがご紹介下さってたエントリ;
http://blogs.dion.ne.jp/akiras_room/archives/8453013.htmlにあった、説教強盗な「性犯罪の被害にあわないために」、すごいですね。
裁判員制度の件も、情報を追っていきたいと思っていますので、またよろしくお願いします。
>Apemanさん
コメントありがとうございます。こういうのって、解ってくださる方は、もともと、こんな事があると指摘する必要すらもほとんどない人達(しかも、むしろこの社会で割を食っている)という巨大なジレンマを感じてはいます。
それでも「何か変」というのを発信することぐらいしかできないのですが。
No. 6048
>…結構抜きで~
………そのようですね。なんつー「股裂き」具合…。
蓋然性とか「知らねーよ」って話じゃないですか。
…恋愛させようとあたしを放流し、恋愛に耐えうる図太さを養おうとし(てデリカシーのない言動をあたしに向けてくれやがっ)たうちの親の方がまだましな気がしてきました(--;
(あたしに初めて「恋人」が出来たことで両親が安心したという話が妹から流れてくるんですが、あたしとしてはどーでもいいです。親を安心させるために恋愛してるわけでなし)
>「危険な動物」
http://azuryblue.blog72.fc2.com/blog-entry-289.html
こちらですか?
これって、「男が危険な動物と同水準の存在であり、抑えがきかないなら」という前提の話ですよね。
まあ無邪気な方々よりは「加害者が悪い」を認識してらっしゃるんでしょうけど、それにしてもあまりにも当然のものとしてしまってるのは…あたしの場合は歯がゆい、になっちゃいますね。
…諸外国で覆せた社会意識なら、日本でも何とか…とか、思えないのかなぁ。変えるよりは逃げる方が楽なのかなぁ…(寂)
No. 6049
>「股裂き」具合…。
<
わははは。
いや、いろいろと援助はしてくれたありがたい親なのは間違いないですよ。あちらも、しばられている「常識」があるわけですから、仕方ないですね。
>あまりにも当然のものとしてしまってるのは…
<
いやまったく(^^;
逆を書いて皮肉ってるんだから、せめて、うちにくる熊じゃない人達ぐらい、頼むから信用させてくれと思いました(^^;
*もう1エントリで結論まで辿り着けるかと思ったら、背景を押さえ切れなかったから、まだ遠かった…orz
No. 6050
まずこういった制約とはほとんど無縁で過ごすことになるので、実感を持つのは難しいんでしょうね。私も、知識としては持っていても、おそらく当事者ほどの切実さを感じることまではできない。
ただ、ことあるごとにそういう見方をされることは、男性にとっても不幸なことである、とは世の男性の多数派にはなれないもんでしょうか? それだって非対称性は残るんですが、今の”常識”に比べればずいぶんましになると思いますが……。
ex.)
ひとけの無い夜道を歩いていたら、前に一人で歩いている女性がいる、というときの、足を速めても同じスピードで歩いても、微妙にヤな感じのあの雰囲気はどうにかならんのか(^^;
No. 6051
>親
そう、有難いのは間違いない(あたしも、偏差値高めの大学に入れる程度には支えてもらいましたし)し、感謝してるんですが…何といいますか、「常識」の差とか、感覚差のために親密であれる気がしないというか。
…そんなこんなで心理的な距離を少し置いてるのですが、それを言うと主に妹から非難が飛んできます(^^;
>熊?
疑い続けるのも何だかんだで精神的にしんどいですからねー…場合によっては経済的な損失もありうるわけで。(夜道を歩かないために歩ける距離でもタクシー、とか、もっと露骨な行動制限による選択肢の喪失とか)
「信じさせて欲しい」という感覚を持っているのがあたしだけでもないのだと思って、ちょっと嬉しくなってしまいました。
*お疲れ様です…!
No. 6055
想像力の問題として ~沖縄の事件
http://ameblo.jp/kandanoumare/entry-10073470160.html
碧猫さんの小さいころの話って、ここにあります。
No. 6060
>うちゃさん
知識として認識していただくだけで、ずいぶん違うと思うんですよね。どうも、想像もできない人は結構居るようですから。
>男性にとっても不幸なことである、とは世の男性の多数派には
<
世の男性の多数派が得しているようにはあまり見えないんですが、誰が得してるんでしょう。。。
>ひとけの無い夜道を歩いていたら
<
え?(^^;
http://azuryblue.blog72.fc2.com/blog-entry-364.html
でも、「足を速めても同じスピードで歩いても」って人にはほとんど遭遇しませんよ? 大抵、立ち止まったりそのまま後ずさったりで、距離をとってくれる方ばかり………………orz。
>七重さん
>疑い続けるのも何だかんだで精神的にしんどいですからねー
<
信用するのが「賭」になってしまう気分があったりもするので、なんとかならんかとは思いますが(^^;
*予想通りに、地下猫さんが来ましたね。
>kuronekoさん
ありがとうございます。そちらだとは思ったのですが、何時かを忘れていたので探すのさぼってしまいました。
http://ameblo.jp/kandanoumare/entry-10073470160.html#c10101109769
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