サチモスについて、ちょこちょこツイートしてます。むちゃくちゃカッコいいバンドです。もちろん、その演奏力の高さと音の洒落っ気が、今バカ売れしてる最大の要因だとは思うのですが、なんとなく、「周りのインテリ女子」(というか頭がよくて仕事もできる文科系の女子、ということにここではしておきます)にやたらウケてるよなーと思ったので、今日は以下のツイートを基にちょっと書いてみます。

今日はこんな感じの話です。どうも、くいしん(@Quishin)です。

和製Jamiroquai(ジャミロクワイ)とも称される、EDM全盛の時代に登場した「軽薄ではない」ダンスミュージック

インテリ女子というのは、EDMで踊ろうなんて思わない人たちです。そこまで軽薄じゃない。彼女たちにとって、「私(たち)のバンド」と言えるようなバンドは長らくいなかったんです。もうちょっとチルな音楽だったらceroがいたけど(ceroもサチモスも湘南にゆかりあるなー)、ダンスミュージックとして楽しめるバンドはいなかった。

絶望的に窮屈で臭くてストレス以外に何も生まない朝の通勤電車の中で、ちゃんとお金を稼いでる女の子たちが心躍らせることのできる音楽が、なかった。そんな中で登場したのがサチモスなわけです。K-POPにもシティポップにもEXILEにも湘南乃風にもバンプオブチキンにもハマれない女子たち、「星野源が好き!」と言うとそれはそれでサブカル扱いされちゃうんだよね、と言って嘆く女子たちの行き場所のない「イラ立ち」にも似た何かが、サチモスに、そういった熱狂的なファンが多い理由なんじゃないかなあと。

歌詞の持つ知性と文学性

サチモスの歌詞は一見ダサいんです。2016年最大のキラーチューンと言ってもいい「STAY TUNE」の歌い出しは<Stay tune in 東京 Friday night>。ありがちな言葉なんですが、そういう使い込まれた言葉たちを今の時代に的確にリアレンジして発信できるのも、サチモスの大きな魅力のひとつです。「東京フライデイ・ナイト」には、真夜中に横浜から30分で東横線使って渋谷へ行く、2010年代の若者たちの享楽と退屈と憂鬱が絶妙なバランスで込められてます。

日本語と英語が混ざり合う歌詞は、YONCEさんの出身である茅ヶ崎の同郷のサザンの桑田さんや、宇多田ヒカルの影響……というほどではないけど、その文脈を汲んでいると考えるのが自然です。横浜⇔渋谷のリアリティと抽象的で文学的な色気のある歌詞はEDMで踊れない、湘南乃風ほどマイルドヤンキーしてないインテリ女子に刺さってます。

「オレと君」という距離感

ここから蛇足ですけど、サチモスの歌詞は、湘南乃風の言うところの「俺とお前」やバンプオブチキンやラッドウィンプスの言うところの「君と僕」の世界とはまた違った「オレと君」という独自性を持った世界観で展開されます。この「オレと君」という独特の男女の距離感は、「SNS以降の男女の距離」なんじゃないかな、と。

主人公は「オレ」を主張(発信)するけど、女を「お前」と呼んで自分の世界に引き込もうとはしない。「発信すること」はされてます。でも、君は「君」としてそこにただある。それぞれが単にアカウントとして存在していて、勝手に好き勝手言ってる(発信してる)ような感覚です。リアルの場所(主にクラブとか)でも、「オレ」は「君」に目を合わせるけど、ある一定の距離を保って踏み込まない。

この「俺とお前」でも「君と僕」でもない世界ってのは面白いなあ、と感じてます。

あ、でも、まあ、文科系インテリ女子に親和性高いよねって話で、ライブに行くとオシャレお姉さんがめちゃくちゃ多い。ライブに行くと、そのファン層の幅広さがよくわかります。ここ10年くらい、いわゆる「ロックバンドのライブ」に足を運んでいなかった人たちも集められるバンド、それがサチモス。

どうも、くいしん(@Quishin)でした! 最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました!