次男(定型:いわゆる普通)が成長してきて、長男や娘の自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)としての特性が、対比することで分かりやすくなることが多くなってきています。
今までは上ふたりの事で必死で、幼いころの自分がどうであったか、対比するのは難しい部分もあったのですが、次男のお陰でアプローチすべき点が見えてきたのです。
その中でもハッとしたのは、次男には【何もしていない時間がある】という事でした。
やることが特にない時は、好きなおもちゃを手元に置いて、ボケーッと見ているような見ていないような夢想の時間がある。……そう言えば自分も子供の頃、こういう時間があって、色々とその日にあったことを思い出していたり、ちょっとした想像で遊んでたっけなぁと。
では、上ふたりの場合はどうかというと、テレビが流れていても、ちょっと興が冷めると玩具やマンガなど意識を向けていられる何かを手に取りに行きます。そうして、常に何かの作業や意識の集中を自分以外の何かに向けている。次男の過ごし方を見ていて、そこに気がついてから、上二人のフリーズやパニックに関わるいくつかの謎が解けたような気がしました。
まだ、実践途中ですし、確かめながらなので正しいかどうかは分かりません。ただ、わが家のASD当事者たちには広く応用が利きそうな視点なので、まとめてみたいと思います。
※この記事はあくまでわが家の子供ふたりの特性についての記事です。全ての自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の当事者に言えることではありません。まして、似ているからといって、ASDであるという事の根拠にはなりません。
その時の心理状況などにもよりますが、コンディションとして安定していない時期であったり、不慣れな環境になどで動揺することがあった後など、急に『手持ち無沙汰』に不安を感じるようです。
この不安は面識のない距離の遠い人物より、親しくてより自分を知っている人間などがいる場合に多い気がします。
次男は現在4歳。ちょっと前までは、実はこれに似た反応が彼にも見られた時期があります。疲れていたり体調不良時には、急によそよそしくなり、常に周りの大人の出方を見るような緊張状態を作る事がありました。
しかし、彼はある一時期を境にこの反応を見せなくなります。
彼が感じる【体調不良の不安感】と【注意されたり嫌われる時の不安】など、様々に感じる不安の種類を分けて感じられるようになった辺りからです。つまり、以前は別離不安などとは関係のない別の不安感を感じた時、その不安感が何であるかを分けられずに、全てに対して不安な気持ちを持ってしまっていたのではないかと。
─── 不安感の分別不足。
そう言えば最近は大分治まっていましたが、長男と娘も体調不良になる数日前から不安症な状態に陥ったり、別離不安が大きくなったり、しなくていい気遣いをし過ぎて潰れてしまうなどがありました。
【良い・悪い】の両極にすべての物事が、それはもうハッキリと分割されていた彼らの幼児期は、“気にするほどの事でもない失敗”も激しい自責や絶望感につながっていました。
その責にばかり心奪われ、実際にはその失敗がどれくらいの事で、なにを問題視すればいいかには目が向けられていませんでした。もちろん、それは幼い子供であれば誰にでもあることですが、そこに思考の猶予や余白がなければ、理由も分からないまま失敗に怯える事になります。
そうしてふたりは自己評価を落としながら、全ての評価は相手がするものであると、繰り返しの中から学習していきました。
何が良くて何がどう悪いのかを持たなければ、採点は相手次第。そうなると必然的に出てくる行動・選択は【失敗を見せないようにする・良い事だけを紡ぐようにする】といった表面的対外的な対処です。
何もしていない時は、自分のたたずまいが合っているかどうかが分かりません。だから余計に人から評価されることが怖くなります。
それを埋めるには【やっても良いと確定している事】や【無難だと思われる事】だけを繰り返して、むき出しの自分を評価されないようにする方法が最も手軽です。しかし、そうして繰り返している間は、ただ気がそれているだけで、そこに感じている不安からは逃れられていないどころか、忘れることもできない状態になっています。
何らかの問題が未消化な時、そこに思考は向けていないはずなのに、どんどん思考のメモリを奪われてフリーズに陥っていた妻。実は彼女のこの特性も、不安の分別不足があったのかもしれません。
他への不安が分けきれずに様々な事への不安になってしまう。
彼女のこの特性に有効だったのが、全て紙に書き出して視覚的に把握し、それに対する対処をそこで決めていくというものでした。要は問題の全体把握と未解決(不安)の分化です。
同様に長男や娘が、原因不明の不安感から、急に人によそよそしくなったりしていた時にかけてきた言葉は
お家はラクにする所。家族はただいるだけでいい。何もしなくていい・考えなくていい
人は人、自分は自分。人が自分をどう思うか自由だし、自分が人をどう思うかも自由。
といったものです。分別しきれていない不安を浮上させない点において、一定の効果が見込めました。しかし、一度強い不安が生じれば、抑えきれずに一杯一杯になってしまうのも事実です。
では、どうすればいいのか。
答えは妻がこうした事を超えてこられたことにあるのではないかと考えています。彼女は不安を感じた時に、それがどうして不安で、どういう風に解釈すればいいかを積み上げてきました。
10歳になる長男にこの【不安の分別不足】を話した結果、非常に早い復帰が見られました。まだ幼い娘は、もう少し補助が必要ですが、不安のコントロールには役立って来ているようです。実際の評価はどうあれ、どんな時にどんな不安の分別不足が起こるかが分かっていれば、思いとどまるための取っ掛かりになるかもしれません。
“ああ、これは~~が不安なだけだ。今は関係ない”と。
まだ途中段階ですが、久々に大きな手応えを感じられたので、ここに書き残しておきます。
]]>人の目を気にしすぎて、【人といたいのに、人といると疲れる】という性質のあった長男。自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)としての自閉傾向はかなり軽い彼の、最も大きな峠であったと思います。
現在は小学4年生。彼にとっては人間関係の問題のほとんどが、この性質であったようで、今は逆に問題を見つけるのが難しいくらい伸び伸びと暮らしています。
ほぼ、この性質の特定から解消までが、彼の社会性の問題のまとめとしても、過言ではないかもしれません。
【人といたいのに、人といると疲れる】という性質は、外ではあまり問題になりません。衝突することが少なく、また、離れてしまえばそこまでだからです。しかし、家庭ではそうもいきません。
家族といる限り、【上手くいくか・良く思われるか】と【ダメと言われるか・どう思われているか】など両極な思考にとらわれ、そこにいる相手からの評価を気にし過ぎて、リラックスできる状態を作り出せなくなります。
全てを受け入れて安心させるなどは、全くの逆効果で【もっと刺激的なコミュニケーションを】とか、【この前の心地よかった所まで出来ないと不安】と、満ち足りることも境界線を引くこともない関係に進んでいこうとします。
逆に理想通りでない関係に終わった場合は、【どうしよう】ばかりがグルグルと回り出し、相手の動き一つ一つに関わる隙がないかを探るようになります。
【どうしよう】の流れは実際に問題が起きなくても、何らかの不安・疲れ・本人も忘れている意識外の未解決問題・体調不良などでも発動し、一度気にし始めれば自分では止められない状態に陥ります。ここまで来ると、話しかけただけでフリーズを起こすので、会話での解決は難しくなります。
思い当たる彼の言動を遡って行くと、おそらく【人といたいのに、人といると疲れる】の発端となった“何か”が始まったのは、2歳中頃くらいだったと思われます。
─── “良い”と“悪い”の間に、全く段階のない両極思考。
全ての行動・選択を“良いか悪いか”で白黒つけてしまうため、思っていた事実と少し違うだけでも、大きく【悪い】と処理されていました。そうして、それがどれだけズレている事なのかを感じることがないため、それが“許されるか・許されないか”そこにいる相手に判断させる方式に定着していきました。
もちろん、こうした両極思考のような段階のない白黒は、2歳児くらいであればほとんどの子が持っているでしょう。通常はそこから人の反応や、現実に起こったことから【どこまで・どれくらい】などの、ボーダーを獲得して自分で判断をしていけるようになっていきます。
しかし、彼の場合はここで“許されるか・許されないか”を人に預けてしまう選択を取ったため、【どこまで・どれくらい】といった自分で判断するためのスケール獲得に遅れをとりました。
人といる時に常に人の行動を気にしていて、例えば自分がテレビで笑った場合でも、一度他人の顔を見て笑っていいかどうかを確認するような、人目を気にし、人に合わせる行動・選択への偏りはここから始まっていたのではないかと思います。
そうであったと仮定すると、彼の今までの行動ほとんどに、説明がつくようになったのです。
……確かめようはありませんが、でも、本当にそうであった場合、彼は実際の環境に関係なく、ひとり【過干渉を受けているのと同じ世界】にいたということになります。
彼は自分を評価できる人物が近くに来た場合、何かジッと集中できるタイプの作業や姿勢を取りながら、とにかく相手に意識を向け続けます。
……などなど。
これらはその時、本人には自覚がありません。そうすることだけになっているので不都合は感じませんし、自覚がないのでそうする事で起こる弊害や自分の疲れにも因果関係を感じることがありません。
相手に過剰な意識を向けることに、その時は問題意識を持ってはいないのです(問題化してしまうと後悔することで気がつくが、次に備える事も起こらない)。
因果関係が成立するには、原因と結果がつながる事が前提ですが、自分がとっている行動に自覚が無ければ、頭の中で理論として分かっていても気が付かないうちに失敗になってしまいます。
ここで失敗を指摘されると、さらに自信をなくして人目が気になり、負のスパイラルに陥る場合があります。
彼に取った対策の最初の段階は【指摘】です。
今、お父さんがあっち行ったり、こっち行ったりしてるのを、ずっと感じようとしてなかった?
今、ジーっとしながら気が付かれないように、人の様子をうかがってなかった?
ここでの指摘がピンポイントであればあるほど、自分がそうしていた実感につながることが多いようです。とは言え、人の感じている感覚や無意識の行動を、言葉で言い表すのは難易度が高いものです。
タイミングは【なぁ~んか、静かだな】という時に声をかけます。違っていれば『ごめ~ん、ならいいんだわ。そうなっちゃうと疲れちゃうから一応ね?』と、声がけ自体にも断罪などの意図がない事を前に出しておきました。
何度でも言い方を変えながら、時には【正解? ハズレ? 近い? 遠い?】など、どれくらいかを聞きながら精度を合わせていくのも有効でした。
言葉で言い表せられると、その後の自覚や実感の強さがグッと上がるようです。この特徴は妻や娘でも多く見られたポイントでした。
どんなに思いとどまれるキーワードを見つけても、最初の思いつきや発想が刺激的で、それだけになってしまえばそれを思い出す事もできなくなる危険性があります。
こればかりは両極思考や表面思考など、自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の特性も関わってくるので、長い時間が掛かるかもしれません。
しかし、問題として起こりやすいタイミングに、より強く理由が明確な発想が先にあれば、無意識のうちに気を奪われるタイプの習慣に刺激が勝る場合があります。
【相手が部屋に入ってきた時、顔を見ない】
長男にはこれを短期集中的に行なってもらいました。出会い頭での両極端な感じ方が、そのまま人間関係の距離として、それ以上の刺激が来ない限り続けられてしまうからです。
まずは意識をすぐに向けて、その一瞬で事実を決めてかかってしまう性質に楔を打った形です。
期間は2週間程度、明らかに スタート時からの失敗が減りました。同時にスタート時のつまづきがなくなるだけでも、かなり人目を気にする性質が大人しくなる事が分かりました。
対策2でスタートの失敗が減ったものの、これだけでは体調不良時やメモリが低下している時の、彼の性質は止めきれませんでした。
そんな中、彼を見ていて浮かんだ仮説がありました。
人目をただ気にしてしまうのも確かにあるが、余裕が無い時に悪化するのは、思考メモリが低下して他人との距離感をハッキリできなくなっているからではないか?
今まで妻がこういったメモリ関連での問題を超えてきた時は、【意識すべき項目の明確化・ルール付け】が大きなポイントとなってきました。
メモリを奪っているのはひとつのことだとは限らず、本人がそれらを認識していないことが多かったからです。そういう場合はひとつひとつの対策を練るのは不可能です。
そういう時は、なんらかのルールを強く意識しておくことで、思考に方向性を持たせる様にして、混乱を防ぐのが最も早く効果的な対策となりました。
長男の場合もこの対策に当てはめ、いくつかのルールを含めたキーワードを設定したのです。
人は人、自分は自分
ただし、相手が嫌がる場合は止めるべき
これらのお互いが確保されるべき自由のルールを説明し、納得がいった所で、【人は人、自分は自分】という言葉でまとめられることを説明。ふと、人の行動が気になってしまった時に、【気にしてしまった!】ではなく、【人は人、自分は自分】と頭で唱えることをルールとしました。
さらに、いきなりは難しいかもしれないとも思ったので、最初に追加で条件を付けました。
気にしちゃったり、勝手に不安に考えても、10分以内に【人は人、自分は自分】を思い出せればよい
この追加条件は、思い出した途端にゴールが見えるので、かなり大きな安心感につながったそうです(本人談)。
これも【出会い頭】のルールと同じく、短期間に行なった対策の一つです。
どうしても人目が気になってしまう期間が続き、精神的にも追い詰められている時に、彼は何か集中できる遊びや作業に没頭しようとします。
しかし、実際は没頭しているわけではなく、意識はどこか【気にする】ことからは離れられておらず、その作業を中断した途端に“さっきまで、昨日まで、いつもは、どうやって相手の前で過ごしていたんだっけ?”と、急転直下のパニクに陥る危険性が高くなります。
……眠れない時に視線の置き方や、舌の置き方、意識の置き方を意識してしまって、余計に眠れなくなるほどの集中力を生み出してしまうのと似ているかもしれません。
短期集中的に、そういった集中に逃げるのを抑えるわけですが、その時にもひとつのキーワードがポイントになります。
“何もしていない”事に慣れてしまえ
これもわが家の自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)当事者の3人に共通していたことなのですが、とある感覚が実際に不安を感じていると取り違えている様子が合ったのです。
人といる時の【何か追われる様な使命感】は、もしかしたら間が持たない時や、やることがない時の手持ち無沙汰を、不安な気持ちと勘違いしているのではないか
3人共、この観点に気がつくか、この観点に陥らない様なキーワード付が成功した時に、人目を気にしすぎる性質が治まった気がします。そして、家でクリア出来ると、そのまま外の生活でも同調して行きました。
]]>以前、妻の疲れの原因について、記事にまとめたことがありました。その中の項目で“【疲れ】の定義が曖昧”(アスペルガーの人は疲れやすい?│体調の変化と認知の対策 より)という部分に関して、何度かご質問をいただいたことがありました。
実際の肉体的・精神的な疲れではなく、それ以外の何らかの身体の変化や、モヤモヤに不快感を感じ、それを疲れだと誤認していたケースです。
今現在、娘がちょうど突入し始めた時期なので、そこのジャッジに携わる自分のリハビリ目的に。妻とのやりとりで起こったことや、娘に考えられるポイントとタイミングを、出来るだけ具体的に思い返してまとめてみたいと思います。
例えば妻の場合、最も疲れと取り違えられやすく、気分の低下や落ち込みを作っていたのは【気が抜けた】という感覚でした。
何かの作業が終わったり、帰宅してソファに座った瞬間に“ストン”と気が抜ける事で、【自分は疲れている】と感じ、【休まなければならない】と言う使命感や【どうしてこんな事で疲れているんだろう】と自分を薄っすら責める事がありました。
夕方以降の落ち込みが激しく、その後の活動が億劫になったり、本当に動けなくなる様な日が続いていたようです。
妻の場合はまず口数が減り、眉間に力が入った不安そうな不機嫌そうな顔になり、あらゆる返答が滞るのでパッと見はただの【不満の塊】の様にしか見えない時期もありました(こちらが一緒に過ごす場合、原因分からないままこれが続くと、“この不機嫌な感じ、もしかして自分が何かしたのかな?”と自分を責め始めた時が苦痛を感じやすい)。
【その疲れは、本当に疲れているという感覚なのか?】
他人がここまで踏み込めば、その認知のズレが分かりますが、長年それが常識である状態で過ごしていた本人は、その感覚に実感がある状態で指摘でもされない限り、まず気が付きにくいものです。
【今、○○って気持ちになってない? それって、~~って感覚じゃない?】
【~~ってなってない? それは○○って事だと思うんだけど、どう?】
などの声がけが効果的で、一度その認知のズレに気がつけば、すぐに思い直しが利くので短期間での変化が見られました。
どの感覚を何であると感じているかは分かりませんが、感じている感覚に違いはありません。今起きているであろう感覚を、擬音や手振りも交えながら、なるべく具体的に投げかけるのです。
例えば妻がソファに突っ伏していた時に掛けた言葉は次のような感じでした。
『今、“終わったー”って、ソファに座った時、肩の力が一気に抜けなかった? それは“気が抜けた”なのかもしれない。それなら動けないって事じゃないから安心して。
それとも、ソファに腰掛けた時、腰の辺りからズンっと重たくなる様な感じがした? それだと本当に身体が疲れてるのかも、その場合はちょっと横になって休んだ方がいい
……で、どっちに近い感じ? それとも全く遠い?』
娘の大きな特徴は両極思考です。良いか悪いか、0か100か、白か黒か。人間関係にもそれは注がれていて、【良い=褒められる・なんでもできる・好きなようにしても許される・完璧・特別】であり、【悪い=知らない・分からない・出来ない・注意される・怒られる】とバッチリ分かれています(ただし、安定している時はそれほどでもない)。
彼女は疲れてくると特に【悪い】を避けようとするため、【教える・指摘・アドバイス・提案】なども全てが悪い事になるため、極力自分を隠しながら【目立たないよう・ふつうでいるフリ】に最大の集中を向けるようになります。
つまり、少しでも疲れを感じた瞬間から、【目立たない・ふつう】という定義の曖昧な事に集中するため、オープンクエスチョンと同じく困惑を繰り返すことになるのです。
現在、小学校1年生。疲れやすいのは当たり前ですし、様々に認知のズレでハンデを負っているのですから当然といえば当然なのですが……。
しかし、ここにも単純に【疲れている】と言い切ってしまっては、本人が気が付けない多くのズレがあるようです。
娘が小さな疲れから一気に両極思考に傾く理由は、妻に投げかけていたような、とある声がけで解明できました。
【疲れた時の身体の感じが、不安な時や困惑している時の、胸が窮屈な感じに似ている】
彼女は疲れを感じた瞬間から、【注意されている時】などに感じる、両極思考の【悪い】に陥っている時の感覚と誤認してそのまま呑まれていたのです。
だから行動や言動は【目立たないよう・ふつうでいるフリ】など、他人の評価を気にしたものに偏りきっていたのです。
さらに妻と同じく【気が抜けた】という感覚をはじめ、様々な感覚が【疲れた】と誤認させていることも分かってきました。
複数の処理するべき項目がある時、その考え事にどれも一定の完了を作らず、複数同時に先送りしてメモリ不足に陥った時の思考の閉塞感。
どんな立場でいればいいのか確かめず、表面的にその場を取り繕い続けた時の、緊張感からの解放。
過集中から猫背になり、呼吸が浅くなることで生じた閉塞感に後から気がついた時。
長時間の外出で日焼けをしたり、肌が埃っぽい状態になっている時など、不快に感じていてもその因果関係に思い及んでいない場合。
何らかの緊張から、姿勢や表情などがこわばっていて、ふと気が脱けた瞬間にその周辺の筋肉の突っ張った感じに気がついた瞬間。
など、様々な場面と理由があるのですが、これらが疲れの原因となったり、誤認されるにはわが家の自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)当事者たちの場合、一定の条件があるようです。
【不快感とその理由が結びついていない】
【その不快感や疲れと感じているものが“どれくらい”なのか見当をつけていない】
この2つの決着がついていないまま、ただ不快感だけが渦巻いている時です。
認知にアプローチする場合、共通することですが【自分がこういう時、どうなっているか】を理解することが第一歩だと思います。
1:いつも夕方になるとどういう状況になっていたか
2:それによってどんな影響が起きていたか
3:その時、身体や心に何らかの感覚はなかったか
4:あるとすればどう言葉に表現できそうか
5:その感覚は【疲れである】と定義できるのか
という最初に感じた不快感の詳細から、それを表す言葉を見つけ、疲れの定義と比較してきました。ほとんどの問題は【気が抜けた】という感覚が、疲れそのものだと誤認していた部分が解消された時に解消されました。
その他の体感覚や状況によって変化した、過敏さなどの影響をこの流れで明確に定義付け出来たことが大きかった様です。
運動などで肉体的な疲れを、明確に理解した時も、大きな進歩が見られました(最下部の関連記事参照)。
さて、娘の場合ですが、今、娘はまだ自分の気持ちを、つぶさに言葉に出来るほどの年齢ではありません。
しかし、長男が同じく一年生の頃、自分の体感覚の変化に気がつけず(感覚鈍麻)、不安感に飲み込まれてパニックを起こしていたり、薄っすらとフリーズし続ける状態が起きた時もこの問題にぶち当たっていました。
長男は表情に余裕が無い時、『具合が悪いんだね、休んだら?』とか『疲れた? お部屋で休む?』などの声がけをすると、何も考えずに従ってしまいました。結局、なぜ自分が不安になったのか分からないままなので、具合が悪くなる度に理解できないまま押し潰されていました。
その時も
【不快感とその理由が結びついていない】
【その不快感や疲れと感じているものが“どれくらい”なのか見当をつけていない】
ここは娘と長男も共通している所で(長男は今はもうクリアしているが)、“助けて”を言えないのは、何から助けて欲しいのか本人が理解できていないからではないかと。
何度かメールでお問い合わせを頂いていて、その都度お返しする機会がありましたので、今回は【小ノート法】の具体的な使用例をご紹介したいと思います。
小ノート法とは、様々なやるべきことが頭の中で雑多になり、ワーキングメモリを超えてしまうケースへの効果的な対応方法です。
自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の当事者の方の場合、メモリを超えてしまうと、なんて事のない会話が頭に入らなくなったり、ボーっとして実感すら失う離人感が起きたり、不安定感から両極思考が強く出て、自分の責任が大きくなり他の意見や提案を躍起になって止めようとしてしまうといった状態に陥ることがあります。
そうしたメモリの解放を行うために、常に持ち運べるような小さなノートを、ワーキングメモリの代わりに活用する目的です。特に視覚優位の傾向がある方は有効かもしれません。
妻が使用しているのは、幅7cm程度のリング式のノート(100均で3冊入りだった)。
気になっていること
不安になっていること
何か上手くいっていないこと
焦っていること
言われて気になったこと
その日にあった印象的なこと
買い物リスト
近々会う人などの住所・連絡先など(後々にパパっと調べずに見返せるように)
付き合いの始まった人の名前や連絡先
をノートの後ろ側から書き込み、日常のメモと分けながらも一冊で済むように工夫しています。特に下2つの連絡先などは、スマホなどに登録してあっても、あえて手帳に書いておいています。
これは“調べる・確かめる”といった行動を思考する時に挟まないようにするためです。
妻はスケジュール帳も持っていますが、そちらを【仕事・家事・育児・生活全般】のスケジュール管理のみに絞り、そちらはシンプルに見やすく活用するために分けています。
直近で出来るようになりたい・注意しておかなくてはいけない事や、開眼・発見・戒めだと感じたこと等々。自分に今大事だと感じた事を一言もしくは短文でメモしています。
例えば子供の教育や関わり方で書いていたメモは
「4歳の次男には3回ルール!(同じ注意3回以上したら叱る)」
「やるべきことをやらす→夜、歯磨きか中の遊びのパターンができているのを崩す」
「出した指示は最後までやらせる(遂行させる)」
「夕ご飯の準備中でもしっかり子供を意識する(準備に全ての意識をもっていかない)」
「仕事と仕事の切れ間で休憩する」
「子供にしっかりぶつかれ!」
「相手に判断を任せない」
こうした大きめなスローガンともなる大事な項目は、ノートを見開きに使い、そのことだけを書き残こしています。特集のように他のメモから切り離して、ハッキリと眼に入るようにするためだそうです。
また、基本的には雑多な印象にならないように黒一色でメモをとりますが、こういった重大事項は時に赤を限定的に使い、すぐに目が行くようにしています。
「何か友達と上手くやりとり出来なかった(気がする)」
「言われて気になったこと」
「言われたけどよく意味が分からなかったこと」
など、対人関係で起こったふとした疑問や引っ掛かりも、そのまま頭に残しておかずに、文字としてメモに具現化します。
あった事を日記のように記入
自分が何でそうしたか(思ったか)
相手に何をして欲しいと思っていたか
特にこの3つを意識して、ひな形のように当てはめて書くことで、未消化な案件にすることを避けます。完全な解決というよりは、モヤモヤしている状態から、原因や対象を見つけて落ち着く狙いです。
自分の気持ちや感情の生まれたポイントが分かると、例え起きたことに説明がつかなくても、【自分の手で形(文字)にする】事で一区切りつく効果があるそうです。
また、【視覚として情報を捉える】事で急に気がつく事があったり、「記したのだから、もう、忘れてしまってもいい事」として処理できる様になる効果も見込めます。
人に相談する場合の、聞くポイントのヒント集にもなるのだとか。
大きく動揺するような事件や、自己評価を下げるような失敗があった時のまとめ方です。
日記的に書く
人に話す事を意識する
誰かに話そうとする意識は、ポイントを整理するのには持ってこいな方法で、書きながら出来事を理解する事になります。実際、人に話そうとすると、話の組み立てや印象操作にメモリが割かれますが、文字にすることで前後関係を把握しながら整理できます。
締めくくりとして、考察でまとめると効果的な様です。「~~だから、今後、これには注意する」など。
不安に思っている事がないか、焦っている事がないか、心のゆとりを失っている原因を探します。身体的な疲れや体調不良、スケジュールへの不安、具体的に思い浮かべられる未解決や気になっている問題などです。
PTAで上手くできるか不安だ
娘が落ち着いてきているが完全じゃない気がする
最近疲れやすい気がする
寝不足かも?
アレルギーかも?
など。これらのメモに対して、余裕のある今、出来る対処を考えておくと、余裕確保につながります。
PTAで……⇒○○さんは話せそうだから聞いてみよう
娘が……⇒夫に話そう・軽く誰かに愚痴ろう
寝不足?⇒今日は早く寝て既成事実を作る!
アレルギー⇒薬を飲む
と言った感じで直接的な原因を見つけたり、予めの解決策を講じることで、安心感を得る効果があります。
ただし、もうパニック状態に陥っている時に、【何か最近上手くいかない】となっている場合は、すぐに思い浮かぶ原因の後ろに、ちょっと思い出しにくい問題が放置されていたりします。
パニック状態でそういったことを、メモだけで思い出すのは難しいので、そういう場合はB5サイズ以上の大きな紙に、思い出せる限りの思い当たるフシを箇条書きで書き、ニュアンスが難しい物は文章として書き出しています。
【メモリを奪ってたのはこれだったんだな】というのを見つけると、あっという間にすっきりするそうです。
まずありがちな妻のパニック化のパターンは、以下の様な特徴があります。
1:Aに対して自分の中でちょっと失敗だと思っている
2:もうすぐBやCも始まる
3:Aの失敗は恥ずかしいが、とても些細な事なので気に病む事も無いハズ
4:あ~BやCも不安だな~とAの気分にBとCが引っ張られる
BやCの事が大きく頭の中を占領しているのでAの失敗を恥じている自分にも気づかず(無意識に知らんぷりしようとしている?)、勝手にBやCに対して大きな不安を持ってしまい、パニックになっていくケースです。
妻の場合は紙に書いていて、「実はAの事をすんごく気にしていたんじゃない?」と気付いた事を、私に話し「君はイベントAのプロになるつもり? 殆どの人がアマなのに?」とAへの気持ちを成仏させることで、BやCにも気楽に取り掛かれるようになるのだとか。
最近はこれを繰り返した成果か、私の言葉がなくとも【プロにでもなるつもりか?】と、自分で突っ込めるようになったとか。
少ノート法を使う頻度は、調子がいい時は全く使わなかったり、大変な波の時期はダダダーーーっと記入しまくっておいて、読み返さないページが続く時もある。
楽に生活できるようになったら、【明日やること・今日やること・忘れちゃいけない事】など、本当の意味での生活メモ帳になる。バックアップがあるから、こちらはメモリを消費できずに生活できる。
……というのが妻にとっての小ノート法の存在だそうです。
感じたことを忘れないで済む時間内。これがライブでの基本で、何となく色々重なってきている時は、例えば仕事の場合【仕事前、現場に着いて気が抜けた後、これからやる事を考える時】など。
“これから”の時の方が、問題意識もあって良いそうな。
ちなみに活用出来てくると【これが大事!】が自然と分かり書き記せる用になる様です。妻の場合は習慣に取り入れて3ヶ月くらいだったそうです。
運動会といえば不安定。不安定といえば運動会。
娘の過去を振り返ると、実に運動会は様々な問題の引き金となる、魔の摩耗期間であった。保育所最後の運動会で、【自分の立ち位置】を明確にすることで、競技中のぐずりを完封できたものの、やはり練習期間中の不安定感は対応し切ってあげられなかったというのが正直な所。
そして、小学校はじめての運動会が迫る中、やはり娘は“なんらかの引っ掛かり”が生じ、今までの【生活の仕方】を忘れ始めてしまった。
いや、生活の仕方などはないのだが、まるでそういうものがあったかのように、ひとつひとつの行動に戸惑いや不自然な様子が見られ、やがて緊張状態から軽いフリーズを起こすようになっていた。
そして、とうとう腹痛と熱が始まり、彼女の顔色は灰色一色にとあせていった。
⇒逃場を失わないとやらない・出来ないと思い込む│AS見えにくい完璧主義
自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)であり、まだまだ一年生は幼い時期。それもまだ入学してから1ヶ月と少し。環境の変化に疲れてしまうのは当然といえば当然です。
ただ、これも彼女独特な性質で、だからこそ放っておいてあげられない理由のひとつが、今回も大きく出て来ていました。
【純粋に“出来ない”とか“苦手”で辛いのではなく、何か余計なことをしようとしていて辛くなっている】
という明らかにぎごちない様子です。その何かが本人の中で整理がついていないために、説明できないどころかただ困惑していて、疲れを助長したり認知を大きく歪ませて、後々にいわれのない苦手意識にしてしまう流れ。
この【何か余計なこと】が斜め上の発想だったり、思いもよらぬ事を大きく捉えている事が多く、それを実感を持って理解しない限りは時間を負うごとに苦痛ばかり積み重なっていくのです。
そして、それが何かを突き止めるのが一番難しい。
特に子供は自分の気持ちを理解する経験値が少ないですし、それほどの発達を迎えるのはまだまだ先です。
さて、『苦しむのも本人の自由。いつか自覚できる様な成長を遂げる事を信じて、本人の自由意志にまかせて祈りましょう』と考えるか、『本人が苦しむのはかわいそう。極力そう言うことから引き離してあげなきゃ』と考えるか、『じゃあ、【何か余計なこと】が何なのか、分かる時期になるまでは一緒に、もしくは変わりに考えてやればいいじゃん』と考えるかで、教育方針は大きく変わります。
わが家の場合は『じゃあ、【何か余計なこと】が何なのか、分かる時期になるまでは一緒に、もしくは変わりに考えてやればいいじゃん』です。
娘本人の本当の意思は分かりません。本人は“辛い”か“そうではない”か“楽しい”かでしか、まだ自覚して言葉にできないのですから。しかし、今までにその原因を見つけた時に見せてきた彼女の顔色の変化は、彼女自身の言葉よりも明白です。
【灰色⇒桃色に顔色が変化する瞬間】
いろんな情報に恵まれ、やや早足で駆け抜けてきたわが家だからこそ分かる、あの顔色どころか発する空気まで変化する瞬間。時に大きなため息を吐きながら、人心地を取り戻す弛緩の瞬間は、どれだけ本人が辛く張っていたのかがヒシヒシと伝わり、また一歩、彼女を理解できる瞬間でもあります。
運動会の練習が始まり、本番が近づくに連れて始まったのは、【いい子でいようとする】傾向。
必要以上に気を引く行為であったり、逆に注意をされないように大人の前では露骨に大人しくしたりなど、常に表情もそれに合わせて作っているので、どこか演技がかった顔のまま、目を合わせないようにする時間が増えていきます。
人の会話にも聞き耳をじっと立てつづけていたり、ただ部屋を歩くだけなのに誰かを意識したようにぎごちない。生活全てが【誰かの目】を気にした言動に支配されていくのです。
こういう時はリラックスすることはありませんし、どうして自分がそうしているかの理由も、そうしている自覚すらもなかったりします。自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の特性である、両極思考(0か100か・白か黒か)でとらえた、人間関係の質への白黒も現れます。
原因は何であるか。多くの場合は環境の変化への疲れや、体調の変化に鈍くて薄っすらと困惑し始めている時に集中しますが、表情も行動も毎回同じなので、原因にたどり着くのは毎回至難の業です。
いきなりピンポイントで当てられるのは、本人でもない限りは不可能なので、ひとつひとつの行動に注視し、明らかに本人に無理が見られる場合や、周囲が不快に感じた場合は【どんな行動をとったか・こちらの目にはどう映ったか・どういう時に取る行動である場合が多いか】を説明しています。
一発で解決することはありません。このパターンは声をかける度に緩和しつつ、結局超えられないため、再発を繰り返しながら段々と実際の問題が膨らみ、暴発することで露呈する流れが基本です。
今回もそのパターンで、結局運動会の前日の夜、ようやくこの不自然で消耗を繰り返す原因を突き止めました。
フタを開けてみれば、長男の入院の時と同じ、【完璧主義と葛藤を煩わせた】状態でした。
運動会前夜の実際の会話より一部始終
私『今、お父さんは怒った顔をしている? していない?』
娘『……してない』
私『じゃあ、今から話す事は、君が【悪い子】って言いたいんじゃなくて、【こうするとラクになるよ】って話だから、そういう風に聞いてもらえると助かるんだけど、いいかな?』
娘『…うん』
私『聞いてる顔とか、わかっている様に見せようとかもしないで、自分のことだって分かろうとして聞いてね』
娘『うん』
※ここまで前振りの儀式
私『ここのところ何日間か、娘はお父さんの前で失敗しないようにしたり、注意されることがないように頑張っちゃってない?』
娘『あ……うん』
私『家族は? 家族はどうしているのがいいんだっけ?』
娘『家族はただいるだけでいい』
私『【注意されないように】とかって、【いい子でいようと頑張ってる】ってことだよね。それは【家族はただいるだけ】になってると思う?』
娘『……ない』
私『言葉はちゃんと全部いおう』
※言葉の省略や短縮・意味合いの曖昧処理回避のため
娘『……家族はただいるだけになってない』
私『そうだね。頑張っちゃっているんだから、【お家はラクにするところ】も忘れちゃってるよね』
娘『……うん』
私『それがただ悪いって言いたいんじゃあないんだ』
娘『……ふぇ?』
私『そうやって【いい子でいようと頑張ってる】君をお父さんが褒めて、仲良くなったとしよう。で、それだとさ、【お父さんが好きなのは頑張っていい子になってる君】であって、ふつうの君には興味がないってことにならない?』
娘『…………!』
私『家族はただいるだけ、放っておいても近くにいて、お互いの思ってることや気持ちがわかってくると、自然と仲良くなるんだよ。【お父さんが好きなのは頑張っていい子になってる君】になっちゃったら、本当の君のことをお父さんが分かって、そのままの君を大好きになる日はくると思う?』
娘『……こない』
私『そうだね。お父さんは人に“好きになるように”とかコントロールされたり、無理やり仲良くなるのは嫌だ。みんなそうやってコントロールされるのは嫌なんじゃないかな? 君も自分の自由に仲良くなったりしたくない?』
娘『うん』
私『でもね、こういう風に家族に無理しちゃったり、【いい子でいよう】って頑張っちゃうクセは、これが初めてじゃないんだけど、前にこういう話になったのを憶えてるかな?』
娘『……うん』
私『ああ、“またやった”とかそういう事を言いたいんじゃないんだ。今、君がこうなっている理由を知りたいんだよ。だって、こういうの、もうやらなくなっていたでしょ?』
娘『あ……うん』
私『なにかうまく行ってない事とか不安な事とか、学校で起きてない? そういうことがあるんじゃないかって思ってるんだ』
娘『……うんどう会が……けっこうちょっと……だいじょうぶかなっておもってる』
私『(……!)ああ、上手くできるかなって?』
娘『……うん』
私『それはちゃんと練習通りできるかとか、ボーっとしちゃわないかとか?』
娘『……うん(涙目)』
私『……娘。大丈夫だよ。それお兄ちゃんもやってたよ。ほら、お兄ちゃんが前に入院したの憶えてる?』
娘『うん。おなかいたくなったときでしょ?』
私『そう、お兄ちゃんはその時、【マラソン大会がうまくできるか不安や…】って考えすぎた後、続けてやることになった器械体操発表会で、【うまく鉄棒出来るか不安や…】って考えすぎてお腹痛くなったんだわ』
娘『おにいちゃんが?』
私『うん。君もお腹痛くなったでしょ? あれを何日も続けて、とうとう身体がたえきれなくなっちゃったんだ』
娘『…………』
私『ねえ、お兄ちゃんが治った時の話、聞きたい? ちょっとした言葉を言ってあげただけなんだけど』
娘『しりたい!』
私『で、君はマラソン選手になりたいんか?』
娘『え?』
私『あと、【君は鉄棒が出来なかったら死ぬんか?】』
娘『ええ?』
私『あとは【君は恐竜博士になりたいって言ってたけど、それにはサッカーで優勝しなくちゃならんのか?】』
娘『あははははh』
私『そんなわけないよね。でもね、お兄ちゃんはその時、そういうことが分からなくなるくらい必死でやってたんだよ。それは君の運動会への不安と同じじゃないかな?』
娘『あ……うん、ああ……』
私『あのさ、学校に何しにいってるんだっけ?』
娘『べんきょう』
私『うん。勉強は【分かるようになるため】にするんだよね? で、お父さんや先生は【100点を取るために】って一言でも君に教えたかな?』
娘『ううん、いってない』
私『そうだよ。君が分かるようになってくれることが学校にいく目的だし、そうなってくれるのは先生もお父さんも嬉しいけど、大事なのは君がわかってるかどうかで、お父さんたちの喜びは関係ないよ』
娘『うん』
私『で、運動会も同じ。こういう時にこういう風にするもんだって分かってくれていればいいんだ。100点は大成功だから何としてでもとろうとしなくていいよ。70点くらい取れてたら合格なんだ。それくらいは君、ラクにしててもできるでしょ?』
娘『70点! 70点くらいでいいんだね!?』
私『うん。それで十分だ。それなら楽しもうとできるでしょ?』
娘『うん!(灰色⇒桃色)』
……とこういった感じでした。
やや疲れは残っているものの、なにかしら『70点でいい70点で』と声がけしてたら、本人も気楽になり行動範囲を取り戻しています。
娘が家族に対して完璧主義に陥る時は、何かしら外での問題が関わってくることが分かっています。以前は会話が出来ないくらいに急転直下していたので、まずはパニックを凌駕するほどの刺激が必要になったり、眠り続けるなどの一人きりの休養時間が長く必要になっていたのです。
現在はこうして本人の気になっている分野の事を、本人に投げかけて反応が見られるだけの余裕を確保したので、短期間で特別な対処がなく、会話でアプローチ出来るようになりました。
自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の特性としてはレアなのかもしれませんが、わが家の長男と娘にはちょっと独特な性質があります。
娘が往来で石を投げるなどの危険な行為を始め、それを注意している時、ふだんはそういうことを一切しない長男が横で石を投げ始める。
『ここ危ないから踏まないようにね』と長男に注意している横で、聞き耳を立てていた風な娘が、そこを踏み危ない目に合う。
また、兄妹間だけでなく、赤の他人にでも起こります。
誰かが注意されていると、その横で同じことを始めようとする事が結構あります。注意をされている人物がいなければ、全く意識をしないにも関わらず、誰かが注意されているとやってしまいます。
自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)には関係ないのかもしれませんが、ASD特性や実感の持ち方などから説明がつきそうなので、ちょちょいと書き残してみます。
ふたりとも幼い頃はその頻度が激しく、一人を注意しているともう一人がいつの間にか近づいてきていて、同じことをやり始めるシーンが連続していました。
親猫が穴の外に出てしまった子猫を戻そうとすると、他の子猫が親の動く気配を感じて出てくる。それを戻すと他の子猫が親の動く気配を感じて出てくる。それを戻すと……
なんだか猫の子育てに見るループシーンを想起させるので、【子猫なだれ現象】としておきます(注意されてる人の横で、後追いで同じ失敗をする現象を説明する、よい言葉が見つからないので)。
長男はかなりなくなって来ましたが、娘はまだ【子猫なだれ現象】が色濃くあります。結果的に注意される事が起こる場所に、いつもいるなんて事も。
長男も少なくなったとは言え、時折やらかしてはいますが、そうではない時との差が見られるようになった分ヒントをたくさんもらえるようになりました。
そうして気がついたのは、ふたりとも【子猫なだれ現象】が起きる時、自分も注意されると、だいたい【生返事か怪訝な顔】をしていて反応がとても鈍いということです。
パニックやフリーズという程でもない、この独特な反応の鈍さは、実感力が薄い離人感っぽい状態によく似ています。
離人感とは何らかの理由で現実感を失い、実感や感覚が持てなかったり、自分が自分ではないような、意識が身体から離れている様な感覚に陥ることをいいます。
自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の特性というよりは、様々な要素が絡んできて、脳の処理が追いつかない時にメモリがアップアップになると、似たような事が起こる様です。
解離性や離人症そのものではなく、そこに意識を保てない状態ではないかと。この離人状態が強く激しく起こるようなストレスや、厳しい環境下でショックを受け続けていると、やがてはそうなるのかもしれませんが……。
実際、こうした反応は定型の大人でも、処理作業の負荷が強まってくると起きているのではないでしょうか。
例えば職場でアクティブに複数の仕事をこなした後、帰宅すると毛色の違う家族との問題などを投げかけられ、頭の流れを切り替える事に困難を感じるといった、思考が交通整理できない渋滞状態とも似ています。
五感を活用したり実感を得るためには、そこからの知覚を処理して、自分の行動につなげる作業が必要です。そのためにはメモリの空きが必要です。なんらかの環境変化や、未処理の問題が残っている場合、実感が薄くなる傾向があるのは、今までの彼らの特徴を見ていても分かります。
メモリ不足から実感力が低下すると、同様に起こるのが【他人と自分との境界線の低下】です。
自分の思っていることが他人もそう思っていると考えてしまったり、自分に関係のない悪い出来事に、自分が悪いと思い込んでしまう【責任の個人化】なども、そのうちの流れではないかと思っています。
メモリが足りない状態に陥っているので、両極思考や表面思考がさらに強調されてしまう事もありますが、その逆に実感も低下していると『何に対してどう反応しているのか』が失われてしまうケースがあります。
・実感がない
・自他の境界線がない
・認知力も低下していて、自分の気持ちがわからない
ここまでそろうと、自分の中に感覚よりも、他から与えられる刺激にほのかな実感を感じてしまう様です。
普段『注意される・間違うことを忌み嫌う』、両極思考な部分が強い彼らは、思考がぼんやりとしてても、そこに実感の刺激を感じてしまう。結果的にそこに近づいてしまったり、その注意される状態に瞬間的に心奪われてしまう。
しかし、実感のある状態ではないので、静止されても癇癪を起こすほどの否定感も受けない(幼い頃は思考する階層が浅いため、この状態でも否定への感覚が近くて癇癪を起こした)。
だから怯えや怒り、不安の爆発ではなく、【生返事か怪訝な顔】という薄い反応だったのではないかと。
または、人との境界線が薄くなっているために、【子猫なだれ現象】の子猫のように、“親の動く気配を感じて出てくる”といった、本能的な人恋しさ(無意識の同調といった方が近いかも)に引き寄せられたのもあるのかもしれません。
たいてい【子猫なだれ現象】が起こる時、いつもと違う散歩コースだったり、旅行中のサービスエリアや自然の中だったりします。自宅や人の家の中では起こりにくいのも特徴でした。
スーパーやショッピングモールなどの公共の場では、通常の買い物の場合は起こりませんが、ウィンドウショッピングなどの目的意識が想定されていない場合には起こっています。
家や閉鎖的な空間では、身の振り方や立ち振舞に集中するので、ある意味メモリを割く場所が限定的になり、境界線を失うなどの自我の実感力の低下が抑えられているのかもしれません。
過去記事でも、デパートでの買い物に疲れやすい方への対策記事を書かせていただきましたが、その対策にも通じるものがあります。
【子猫なだれ現象】は直接的な声がけでは、対処していくのは難しいと思います。『やって良いこと悪いこと』『各場面での過ごし方の指針』『自分の居場所作りや立ち振舞のケーススタディ』がしっかりと深く認識されなければ、すぐにメモリを割く場所を失うでしょう。
これらは経験と知識が必要なので、どうしても本人の発達具合も関わってきます。
出来る限り本人がメモリを失いやすい環境やシチュエーションを見つけ、また本人にもそれを『こういう時に~~ってなるよね』など自覚させ、意識的に対応策を取っていくと理解が早くなるタイプの問題な気もします。
特殊な例ですし、笑ってごまかせる事も多いので、特に【子猫なだれ現象】自体が問題だとは思いません。しかし、どうしてこうなるのかを分析することで、何が関わっているかをあぶり出すのは、本人たちの将来的に重要な戦術のひとつになるかもしれません。
わが家の長男や娘は、ひとつひとつの起こす問題については非常に軽い傾向があります。だからつい、『これって、良いか悪いか微妙だなぁ』とか『うーん、これはちょっと気になるけど、子供ってこういう事あるしなぁ』と葛藤し先延ばしにしてしまうことがあります。
しかし、自身で気が付き理解する点においては、問題にされなかったやり方など、その手の内だけで繰り返していこうとする傾向もあります。小さなズレが後々に足かせになり、克服に大きなエネルギーを要したり、強い混乱や自己評価の低下につながることも。
もちろん本人が気がついて言ってくれたり、自分で失敗して学んでいくことが理想です。
それでも、どんな問題が起こるかの手がかりは、今回の様に思いもかけない小さな行動に隠れている事が多いので、理解くらいはしておくと転ばぬ先の杖だったりするのかなぁと思っています。
]]>先日、リクエストをいただきましたので、自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の長男と娘、そして定型(いわゆるふつう)の次男のここまでに見た、【お試し行動】についてまとめてみたいと思います。
【お試し行動】とは、親や大人など自分に関わる相手に対して、チラチラと伺いながら行動してみたり、わざと怒らせるような行動をして、相手の出方を確かめようとする行動です。
わが家の場合、長男と娘のお試し行動は幼児期に非常に多く見られ、やがて一定の時期に消えていきました。次男はほとんど見られなかったものの(具合が悪い時や眠い時はあった)、一定の年齢に達した時に現れ、やがてすぐに消えました。
たまに、こうした子供のお試し行動を、【虐待・親への不信感】とひとまとめにしてしまうケースが見られますが、恐怖心でのオドオドとは違い、明確な試す理由があるのがお試し行動だと思っています。
これらは定型の子供でも、発達障害のある子でも起こり得る、認知のためのれっきとした学習行動ではないでしょうか。
しかし、一方的に長く試され続けると、親は誤解を受けたり自分の愛情を疑ってしまう事があります。今回はこうしたお試し行動をわが家の子どもたちの違いと、その対処法から彼らがどんな目的で行っていたのか見つめてみます。
ハイハイ時期からお試し行動は見られました。どこかに進んでは『ここまで来たがどうか?』と言うように、何度も親の方を確認することから始まり、何かを手にとってはこちらの反応を伺ってる様子が見られました。
やがて、自分の行動を抑制される事で、不快感を表せるようになった頃、【行動⇒親の反応を見る】の連続から【行動⇒親の反応を見る⇒止められると癇癪】の連続に移行していきました。
これらは自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の子供だけに限らず、定型発達の子供にも見られる様式ですが、彼の場合はその頻度が違います。一日中、何かに夢中になっていない限りは、延々と繰り返し続けられました。
この頃はそこまでする理由がわからないため、それが緊張や不安感にしか見えず、こちらもどこかリラックスできない日々が続きました。
2~3歳の頃になると、他の大人が来た時に、親がいつもどおりに動くのか試す行動が頻発するようになりました。相手にくっついてはこちらをチラチラ伺い、いつもは止められるイタズラばかりを繰り返したり、グズグズを装いながら相手を思い通りに行動させようとし、親の出方を試すなどです。
これらの頻度も激しく、止められれば癇癪を起こし、放っておいても常に考え続けているために疲労し、急に感情を爆発させるため、来客や人に会うのが億劫になった時期です。
この長男のお試しチキンレースは、親以外の大人が現れると、そう決められているかのように始まり、いなくなるまでそこに集中していました。
不思議なことに親の前でもお試し行動は取るのですが、私だけの時や妻だけの時はガクっとやらなくなる事が多かったので、もしかしたら人ごとの反応を学習するために繰り返していたのかもしれません。
彼のお試し行動は【叱られる・怒らせる】こともセットで学習されるので、こちらが反応を返さない時は不安を感じ、癇癪を起こす上、この辺りから【失敗・間違い】に対する敏感さが顕著になっていました。
現実と思ったことがズレた時に、必要上のショックを受けたり、『0か100か』や『白か黒か』のような両極思考が表面化してきていたと思います。思考や発想も豊かになってくることで、本人は『もう、何を試しているのかも分からない』という程、お試しと癇癪がごちゃまぜになっていきました。
4歳くらいになると、ふだんのお試し行動は消えていきましたが、来客があると『もっと楽しく・もっと刺激的に』とタガが外れるため、ふだんはやらない行動に大きく偏り、親の反応をチラチラと“気にする”形に移行していきました。
同時にひと通りのデータを揃えた彼は、【自分の立ち振舞かた】に強く執着するようになり、人に合わせて行動するための観察が多くなっていきます。
また、具合が悪いとか眠たい時の『助けて』が言えない時に、わざと怒らせる事で布団に連れて行ってもらうなどの、判断を親にさせるという行動などに【お試し行動】から学習した選択を流用するようになります。
お試し反応が強いという事は、人への観察に関心が強いとも言えるのかもしれません。こうした流れの中で、現実と思ったことのズレを極端に嫌う彼の場合、誤学習が入ると非常に苦しむケースが多発していました。
【いけないものはいけない】と誰の前であっても、自発的な修正が起こらない彼には、しっかりと教えてあげない限り安定できないという個性が見え始めた頃でもあります。
ハイハイ時期から思い通りにならない事への癇癪が激しく、一度止められた事は印象に強く残るのか、その行為に執着する傾向が見られました。
長男の場合とは逆で、先に両極思考が強く出た後、段々とお試し行為が始まっていきました。しかし、長男と比べその両極思考の度合い、思ったこととズレる事への憤りが強すぎたため、この頃から自他共に【何がしたいのか分からない】日々がスタートします。
常に癇癪で大泣きしながら、しかし、刺激に強かった【ダメなこと】に心奪われ、親といる間は禁止された事しかしないという状況になっていました。
3歳くらいになると、【ダメなこと】は親がいない所でやり、親がいる時は常に反応を観察するようになります。例えば積み木ひとつを持って近くに座り、少し動かしてはこちらの顔をちら見。少し動かしてはこちらの顔をちら見。と、日がな一日でも続けました。
この時、『なぁに?』など声をかけようものなら癇癪です。彼女の思う結果ではないからです。
【失敗・間違い】に対する拒否感は長男に比べても格段に強く、さらに自分と他人が全く同じ考えや気持ちであると、境界線を理解できていないため、お試しの結果に対し、数ミクロンのズレでもあろうものなら憤り全開でした。
お試しをする回数は長男と同じかそれ以上。しかし、ほぼ100%予想がズレているため、その度に癇癪を起こしていた形です。
今だからそう言えますが、当時はなんの手がかりもないまま怒り続けているので、何が気に入らないのか全く分かりませんでした。
3~4歳になると、親以外の大人が来た時のお試し行動に、独特なパターンが現れました。親の前でその大人にベッタリくっつき、頬ずりやキスなど普段は自分から進んで絶対にしないような接触をしながら、流し目で親を伺うというもの。
もしかしたら嫉妬を知るようになり、そうした動きを親に起こそうとしていたのかもしれません。こういう時の娘は、絶対的に『いい子』であろうと演じていました。この行動は全くこちらが動じないことが分かると辞めていきました。
そのためにやはり長男と同じく、体力を使い果たして不快感を持ち、激しい癇癪へと移行していきます。ただ、長男とはそのレベルが違うため、来客があると1~2週間単位で一緒に居られないクラスの不安定に苛まれました。
4~5歳になると親へのお試し行動は消えていきましたが、新しい先生や関わりの強い大人へのお試し行動は激化していきました。しかし、その対象は常にその場にいる重要度が一番高い人物に限られ、そこに重要度が低い人物しか居ない時は、意に介さず禁止事項であろうと平気で行うという厄介なパターンが出てきました。
“【ダメなこと】は親の居ない所でやる”が、ひとつの選択として残ってしまったのかもしれません。
4歳の最初の頃に、ふだんから試すような行動はなくなりましたが、5歳の中頃に突如お試し行為と同様な行動がぶり返しました。
あくまで推測ですが、この時期は保育所などで、自分と先生とのやりとりで済んでいた社会が、少しずつ子供同士の社会形成に移行していく頃です。今までのやり方が通じなくなり、非常に不安定になっていた所に、長男と同じく【自分の立ち振舞かた】が全てになり、対人関係のバランスを崩していたのではないかと。
さすがにお試し行動で、少し結果がズレた程度で癇癪は起こさなくなりましたが、相手がどんなに不快感を感じていようが、思った通りの反応を返されることに執着していました。
これは一定以上の関係性を持つ相手には、ことごとく向けられていて、そうでない相手の前では意に介さないか、“いい子”を演じるなどパッキリと分けていました。
以前よりは言葉を聞く姿勢が出てきていたので、ここに来てイヤイヤ期くらいに教えるであろう善悪の判断やルールから、もう一度教え直しました。
最終的に【人は人、自分は自分】と改めて実感を伴った理解を持ち、人との関わり方に自分がとっている行動・選択や、【どう感じていたのか】の認知を確認することで、お試し行動はほぼ完全になくなりました。6歳の頃です。
ふだんの生活には全くといっていいほど、お試し行動は見られませんでした。疲れたり具合が悪かったり、そうした体調の変化が起きた時、自分ではそれを理解できないのでわざと親を怒らせるなどの行動で決着をつける傾向はありましたが、それも子どもとして当たり前のブレ幅にありました。
しかし、娘と同じく5歳に差し掛かった頃に、一時期変化が現れます。
突如チラチラと大人を確認する行動が始まり、また、遊んで欲しい相手やして欲しいことを、遠回しに気づかせようとする、お試し行動に似た行動が出てきました。単純に【断られるのが嫌だから相手にやってもらう】という、幼児ならではのコントロール欲求だったのですが、姉弟の不安定時期のタイミングが良くありませんでした。
本来はこの時期くらいで『ちゃんと気持ちを伝える・人に働きかける社会性』の初歩を学習をしていくはずだったのですが、娘のぶり返しや長男の不安定時期と重なり、試すような形や自分の振る舞い方にこだわるなど、行動・選択を兄と姉からトレースしてしまったのです。
見た目にはお試し行動の様な行動、しかし、行動・選択をトレースしただけなので、自分も何をして欲しいのかが分からないまま、闇雲に憶えた行動を繰り返し、不安が煽られるのでさらに没頭するという悪循環が起こりました。
そして、この行動は親だけに限らず、誰にでも行うようになりました。
長男が落着いたタイミングで、欲求からの行動・選択を分解して教えることにしました。
遊んで欲しい時は、そのまま【遊んで】って頼むか、一緒に遊べそうなおもちゃを持ってきて、【これで遊んで】って言えばいいだけ
一般的で極普通のやりとりですが、兄や姉の行動には【不安感】という強い刺激が合ったため、彼自身ではここに自力で戻ることでが出来なかった様です。改めてやり方を言葉にすることで、イメージしやすくなった様です。すぐに行動に変化が現れました。
厳密にはお試し行動とは言えないのですが、自分の直接的でない行動から、相手の反応を試したり動かすという点では似ています。
わが家の子どもたちを見ていて、お試し行動にはそれぞれのテーマとなる『欲しい情報』の違いがあったように思います。延々とされている時は辛いですが、情報がそろうと止めていきました。
通常のお試し行動は【こうすると、こうなる】の因果関係に納得がいったものから消えていったように思います。
よく『ただ抱きしめて、大好きと伝えて安心させてあげましょう』なんて解答を目にすることがあります。本当に子供自身が求めているのが『愛情』であれば済むかもしれませんが、知的好奇心や社会性の獲得のための行動であった場合はどうでしょうか。
【今、こうして欲しいって思ってる?】
長男と娘の無意識なお試し行動や、それと似た行動に対して効力が強かった、自分の欲求を自覚させる投げかけです。定型の子供であれば放っておいても自発的に理解していきますが、特定の発達障害を持っている場合、人間関係の形成にまで影響が出てしまう事があります。
この投げかけは次男にも非常に有効でした。【どうして?】と同じく、答えられることはしっかり答えて説明し、その行動自体が目的でなく、かまって欲しいだけであった場合は、その目的を確認してあげる方が憤りは産まないのではないでしょうか。
お試し行動は大人の持つ社会常識からすれば、好意的には映らない行動ですが、子供はまだそれを分かりません。今、お試し行動が多くて親としての自信が揺らいでいたら、今、必死にそういうことを知ろうとしている時期なんだと考えると、気持ちが楽になるかもしれません。
]]>安定か思い出か。以前はあまりに不安定な時期が多かったため、諦める事の多かった遊園地。
表面思考が強く、目に入ったものが欲求の全てになりやすい、わが家の自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)である娘。
その瞬間的な欲求が、思い通りにならない時、一気に憤りに集中して癇癪やフリーズにつながるため、刺激の溢れる遊園地は鬼門でした。
今回、試験的に行ってきた対処が、有効であると結果が出たのでまとめてみます。
※この対処はあくまでわが家の娘に有効であった方法です。全てのASD当事者に有効とは限りません。また、同様の性質があるからといってASDである根拠にはなりません。
今日は遊園地に行きます。でも、遊園地の乗り物には長い順番待ちがあって、無理して乗るとすぐに帰らなきゃいけなかったり、待ち切れないので、諦めなきゃいけない事もあります。
それと、身長が低いと乗れない決まりのものがあります。ジェットコースターとかの危ないやつです。
無理して乗ると死ぬほど危ないので、係員さんも凄く困ります。
諦めた場合は『何にもできない』んじゃなくて、他の簡単に出来る楽しいものを、たくさん出来るようになるので、そっちの方が楽しい事もあります。
『やりたいけど、やれない事もある』って憶えておいて下さい。忘れた時はもう一度いいますが、忘れた事は大した事ではないので、悪く思わなくていいです。
違う楽しいものを探しましょう。
と、この様に予め『うまくいかない可能性』を示唆しておきます。これだけで利かせる事は目的ではありません。これは伏線です。
それまでに気分の高揚が激しすぎたり、落ち着きがあまりにない場合は、落ち着く様に言った後、目を閉じて10秒ゆっくりカウントさせます。
楽しみにしてるのだから、本人の自由いいじゃないかとの考え方もありますが、パニックを起こしたり問題に発展した時に激しく自責を起こして、自信を喪失する方が本人にデメリットが多すぎます。
親としてのコントロールではなく、こう言うのこそ補助ではないかと。
お土産やさんなどで欲しいお土産を決めて置きます。なるべく、ぬいぐるみなどの姿形を憶えやすく、思い返しやすい物がおすすめです。
『お土産を持ったままだと乗り物にのれなくなっちゃうから、今決めたお土産は帰りに買おうね』
姿形あるものへの想起力はかなり強いものです。一見物で釣っている様に思われるかもしれませんが、『いい子でいたら』などの条件ではなく、明確な先の約束である点が違います。
本人の努力や我慢に頼る物ではないので、『それさえすれば良い』などの、思考を限定する危険性が少ないのが特徴です。
これだけでも『何か買ってもらいたい』という欲求が薄くなる場合がありますし、ひとつの欲求が片付く事で、メモリがその分解放される効果が見込めます。ただ、これも単体で効かせるのが目的ではなく、後の伏線にするのが狙いです。
思い通りにならない事に、強いショックや憤りを感じ、フリーズや癇癪が始まったら……
『家を出る前にお話ししたよね。「やりたくても、やれない事もある」って。今のこれがそうだね。
で、たったこの一つの事で「全部ツマラナイ」にしちゃっていいのかな。君はこの後、あのぬいぐるみをお土産にするっていう、楽しい事や、他の遊具でもっと遊べるっていう楽しい事がたくさんあるのだけど』
ここで伏線の回収です。表面思考から癇癪を起こす時、目の前の事に思い通りにならない点だけに支配され、他の可能性が一切消えている時に起こりやすいという事があります。
イメージしやすいキーワードがある事で、他の可能性の存在を思い出しやすくしています。
わが娘は時折、人に聞こえるように独り言を繰り返す事がある。そういう時は人といる間、一日中、誰かに聞こえるようにつぶやいている事が多い。
同じく自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の性質を浅いながらも持っている長男も、やはり非常に薄くだがそういう所がある。
最近様々な認知のズレに対応し終わり、やや感覚的な話も出来るようになったので、直球勝負を試みてみた。
『ねえ、その独り言、聞こえるように話してるよね? それは何をして欲しいと思ってやっているのか、自分で分かるかな?』
娘は少し恥ずかしそうに顔をそらした後、うなづいた。
人には様々な欲求があります。その中のひとつに『コントロール欲求(制御欲求)』というものがあります。
コントロール欲求とは、【自分の考えるとおりに現実や相手をコントロールしたい】と考える欲求です。誰にでもあるものですし、その欲求の限度も人生経験で学び、それなりに付き合っていくのが一般的です。
ただ、認知のズレや他人との境界線の置き方に、何らかのつまづきがあると、この欲求を自発的に行うものではなく、他人に頼ってしまう場合があるようです。
自身はその目的や欲求に気がついていますが、通常、相手がそれに気がつくことはありません。上手く思ったとおりに相手が動けば良いのですが、そうでない場合は憤りとなり、対人関係に遺恨を残すことになりかねません。
私『今から大事な話をするけど、君のやり方が【悪】とか、【悪い子だ】って言うんじゃないからね。もっと楽になるやり方があるから聞いて欲しいんだけどいいかね?』
娘『うん』
私『あと、よく聞いてるふりとかじゃなくて、【自分のことだっ】て解かろうとして聞いてね?』
娘『うん』
※ここまで前置き
私『もしかして、こうやって聞こえるように言えば、いい話題だった時に聞き返してくれるだろうって思ってない?』
娘『……あー、うん。やってる(笑)』
私『思い通りに聞き返してくれなかったり、話しかけてもらえないと悔しいでしょ?』
娘『うん。くやしいくなる』
私『それはコントロールって言って、相手を自分の思い通りに動かすための考え方だよ。自分は自分、人は人だから、思い通りに動くことはないんだよ』
娘『あ……、うん、そうだ』
私『それに“いい話題だった時に”って、そこも自分から失敗しないように、相手からお話する様、コントロールしてると思わない?』
娘『うん、コントロールしてる』
私『あんまりうまく行かないから、独り言をつぶやくことに、余計に必死になったりしちゃわない?』
娘『あ……、うん。なる』
私『お話したい時は、【話したいこと】を直接相手に話したらどうだろう? 話すことを思いつかないけど、なんかお話したい時は【お話しよ】って直接言ってもいいんだし』
娘『うんっ、わかった!』
とまあ、こんな感じでした。その直後からふつうの距離感に戻っていました。
【家族はただいるだけでいい。家はラクにする所】と分かってはいても、こうした何らかの行動・選択に偏っている時は、そうしている事を自覚するのは難しいものです。
ただ娘の場合、何度か繰り返すことで、またクリアしていける感じがするタイプの問題なので、特に焦りは感じていません。
欲求と行動の関係が分かりやすい一コマでした。
家庭で安定できるようになり、急速に情緒が落ち着いていきました。今までの不安定な理由が分かるに連れ、同時に彼女が耳を塞いできた部分が全く残っておらず、改めて生活のことや世の中のルールを教え直すことが増えました。
ただ、相当な理由がない限りは、以前の様に耳を塞ぐことがなくなったため、まさにスポンジのように吸収していった時期でもあります。
表面的な行動では自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)としての特性がさほど強くないように見えていた彼女ですが、彼女独自のルールや認知が緩和していくことで、ASDの特性と言われる様な部分との一致が見やすくなってきた事も特徴です。
彼女は外でそれほど問題を起こすタイプではありません。しかし、彼女にストレスがないわけでもありません。1~2週間ごとに深い疲れをみせ、人との関係にわずらわしさを見せる事がありました。
家では6歳の初めころ、彼女は【家族はただいるだけでいい。何もしなくて(考えなくて)いい】というキーワードが響き、家族でも特に親といることに対して何らかの構えを取ることがなくなりました。彼女は『家族といること・居かたや振る舞い』に意識を起きすぎ、やがて疲れると緊張したり逃げるようになるパターンを繰り返していましたが、【家族はただいるだけでいい。何もしなくて(考えなくて)いい】というキーワードが分かりやすかったらしく、突如家庭でリラックスが出来るようになりました。
しかし、彼女がなぜ家族といる時に、自分の振る舞いや、他人の存在を気にし過ぎていたのかは完全に解明は出来ていませんでした。
そのため、以前と比べれば非常に安定しているし、場合によっては普通の子よりも落ち着いて状況を見られるほどでしたが、一度でも精神状態が崩れると逆戻りする傾向がありました。
この傾向は繰り返す内に本人も認識するようになり、不安定になると親が安定させるための話しを繰り返し、【家族はただいるだけでいい。何もしなくて(考えなくて)いい】を再度聞きやすい状態で話すようになるまでをサイクルに、再現を繰り返すようになります。
再現を繰り返しているということは、まだ、そこに未解決の何かがあるのですが、ここでの娘の成長度では認知の形がつかめず、この段階ではまだこれといって手は打てませんでした(数カ月後に一気に進む事になるが)。
それでも以前は安静状態が年に1~2週間あればいい程度でしたが、6歳になりこの最初のハードルを超えた段階で年の7割近くを安定できるようになりました。
彼女が人との距離感にズレを起こしやすかった理由は、保育所卒業間際の辺りの、非常に大きな不安定の波の中から発見出来ました。
まず根本となる大きな原因は『両極思考』です。
『0か100か・全か無か』の様に、彼女は物事の良い悪いを、その中間のあそびのない、両極で捉える特性があります。通常、これも余裕があったり、把握しきれている物事であれば起こりません。何らかの理由で余裕を失った時、注目する箇所がシングルフォーカスになるため、結果的に両極的な処理判断を行っていたようです。
両極思考は人との会話や関係性にも現れ、例えば『知らない・できない・わからない』などは即『悪』だと判断し、激しく自責したりフリーズしていました。
【外では問題をあまり起こさないが、ストレスがないわけではない】
ここが大きなポイントでした。彼女は外では『知らない・できない・わからない』などの、『悪』とネガティブ判断してしまう関連の物事の際は、そこにいる多くの他の子に合わせていればよかったのです。
できる事は積極的に前に出て、褒められることで自己評価を回復させるが、『知らない・できない・わからない』を極端に恐れるため、人に合わせたり分かったフリを続け、本当に分からないまま放置するタイプの問題が山積みになっていきます。
自分を守る措置のようでありながら、じわじわと自分の足場を奪い、やがて完全に逃げ場を失うパターンを無意識に行ってしまう。
この無意識もポイントで、彼女は対人関係の結果をコントロールするために選択し、その選択の副作用で苦しんでいたわけです。だから一定期間ごとに大きな疲労感や絶望感を受け、自己評価を著しく落とす時期がやってきていたということになります。
同時に判明したのは、彼女がなぜ自分の家ではリラックスを出来なかったのかという点です。保育所などの外の社会では、周囲に合わせることで、彼女のいうところの『悪』を隠せますが、家庭では人そのものの距離感になるので隠しようがありません。
さらに保育所での問題を、家庭の中でも完全に切り離せないため、まだその問題が存在しているかのような不安感の中、必死に家族に対して『悪』を隠していたのです。
だから【家族はただいるだけでいい。何もしなくて(考えなくて)いい】というキーワードは、それに従うことで結果的に大きな安定を生みはしましたが、これだけでは根本的な彼女の心の動きを解消できていなかったという事になります。
6歳という年齢は微妙です。まだ自分のやっていることに【どう思ってやったか】などの動機や認知を持たないままに行うことがあります。また、何かしらの判断があって行動していたとしても、それを自分の言葉で説明できるスキルも難しい年齢です。
自分の認知のズレにアプローチするには、自分が【どう思ってやったか】や、そうした時に【どんな感じを受けたか】という実感が必要です。ここが娘の場合、年齢的にも自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)として持っている特性としても、自分では知覚できない部分でした。
クリアのためには、こちらがその認知をピンポイントで表せる言葉を探し出す必要がありました。
今、~~って思ってない?
こういう時、こういう風に思ってやってない?
今やったのは~~ってことでいいの?
こうした言葉で投げかけ、それがピンポイントに当てはまった時、彼女は実感とともに自分の認知を確認することになります。
例えば、娘が私に激しくよそよそしさを見せたり、どこか常に視界の端で私を意識しているような状態になっている時。彼女は『気にしてた』までは言えても、なぜそうしていたのかまでは説明できませんしたし、そうしている実感も薄かった様です。
この時、ピンポイントに合致した指摘は【これ以上、人に何か注意されたりするのが嫌だからって、目立たないようにしてない?】でした。
……これだけ聞くと、まるでいっつも注意しまくってるスパルタ的な親に勘違いされそうですが、実際に注意されるされないは関係がなく、認知のズレから不必要な防御に過剰になり、自分で疲労し、さらにそこから逃れるために防御を過剰にするという悪循環にはまっていたわけです。極端に言えば、この時の彼女は自分が褒められる言葉でもない限りは、ほとんどの言葉が『悪』を指摘する断罪の言葉だったとしても、過言ではありません。
家族との信頼関係や立ち位置などは一切関わらない所で、彼女独特の【必死さ】が招いていた事態でした。
不思議なことにこうしてピンポイントの指摘を受けると、彼女は何事もなかったように落ち着いたり、安堵の表情をみせる事がほとんどです。環境や周囲をコントロールする選択に躍起になり、自身の認知を自覚できない事は、心理的にはパニック状態と非常に似ています。
パニックやフラッシュバックは、その原因となった要因を受け入れるというより、その要因にショックを受けた自分の心の流れを理解した時に、少しずつ安定していく傾向があるような気がします。もしかしたらそういった事と似た効果があったのかもしれません。
【これ以上、人に何か注意されたりするのが嫌だからって、目立たないようにしてない?】で、自分の行動の理由を自覚したことで、それをする必要がない事もすぐに理解できるようになりました。この不理解が消えたことで、このグループの内容の会話を受け入れられるようになり、ようやく【家族はただいるだけでいい。何もしなくて(考えなくて)いい】の本当の意味を理解したようです。
この後も、何かしら表情が曇ったり、小さなフリーズやパニックが感じられた時は、ピンポイントな指摘になるように質問を繰り返しました。彼女自身もそのピンポイントの部分を探るようになり、今まで教えてきた様々な対処などともつながりが出てきた様子が見えるようになりました。
ただ、両極思考という特性は今までと比べて露出することは少なくなったものの、疲れてくるとちょっとの指摘や教えるなどの親子で起こる当たり前の軽い行為が、否定的な言葉を排除していても『怒られた』と極端な反応に出てしまうことがあります。
これらは妻の時のように、自分の関わる様々な事への理解・線引や、【~~でいいんだ】という赦しのルールが必要になるため、特に焦りは感じていません。
おそらく自分に関わる生活範囲の物事のうち、6割くらいの出来事にそうした認識ができると、一気に他の事にも応用していけるのではないかと推測されます(妻がそうだった)。
ドリルなどは元々好んでやりたがるタイプだったので、問題文や出題傾向の幅広さに慣れさせるため、ざっくばらんな内容のものに取り組ませていました。特に文章問題に慣れさせるのが目的で、先入観から入って文章を読まず、問題を解きにかかってフリーズする傾向がありました。
これらは単に問題を解く時に行う順序を、改めて説明することを何度か繰り返すだけでクリアしました。長男の時にもありましたが、問題を解く順番や、解く手順などの【知ってるだろう・分かるだろう】は鬼門でした。
『わかってるって』という態度全開でも、『大事だからちゃんと分かろうとして聞いて』と、前置きをすることで再認識してもらうと進めやすかったです。
文字や数字に関しては、遅れは見られずむしろ平均以上な部分もあったので、それほど苦労はしませんでした。
長男の時と同じく、宿題や勉強への集中力を保ちやすくするために、各教科ごと【何のためにやるか・これを極めると何ができるか・どこまでくらいできるといいか】など、目的・意義と境界線を説明しました。
一番重視したのは通学路への行き帰り練習です。長男に比べて衝動性が高く、状況認識や実感力の薄い傾向のある娘の場合、命が関わる部分でもありましたので。
数カ月前から折を見ては、歩いて学校まで往復練習をしつつ、どこで何が起きやすいか、どこを歩けばいいか、安全確認の方法や危険予知を言葉で反復しながら歩きました。
各教科ごとの目的・意義と同じく、娘の場合はひとつひとつの行動にも目的・意義がハッキリしていると、衝動的な行動やパニックなどが起こりにくい傾向になります。集団登校のルールはもちろん、なぜみんなで登校するか、なぜ一列で歩くのかなどの目的・意義、そして誰にどこまで従うべきかなども説明すると、自然と練習中の他動・転動も少なくなっていきました。
また、一応女の子ですので、【不審者対策】についてもしっかりと説明し、連れ去り等の対策を説明しました。
対策は以前ツイッターで見てうなり、すぐに教えていた方法(出典元を忘れてしまいました……)【おうちの人に聞いてくる~】の返答を再度確認した形です。
その他に、学校生活で娘の場合に想定できる問題は、【先生との距離感】の問題です。担任の先生は一般の大人と比べて関わる比重が大きいため、娘の場合は何かしらの【いい子に見せる演技】や【どこまで自分の思い通りに行動するかの試し】に傾倒していく事が考えられます。
先生とはどういう職業で、自分にどこまでしてくれる人物なのか
先生が求めているものは、自分がどうなることなのか
先生という大人に対し、自分は何をどこまで求めるのか
これらの定義を確認し、家族と同じく関係に対してコントロールを求める必要がないことも確認しました。投稿から数日の間は『褒めてもらおうといいお返事することばかりに夢中になったなかった?』など、想定できる行動の確認をとり(バッチリやっていた)、なるべく距離感の取り方を注視しました。
【こうしていればいい】が定着してしまうと修正が難しいので、早い内に補助をした形です。
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]]>小学校1年生はどれくらいの会話力があるものなのか、長男の時は語彙力が低く、また話の要点を絞れないため延々と不要な話をして居ることが多かった。
なんとなく『会話力が遅れているのかも』と気になり、お友達を連れてきた時などに耳を傾けてみた時期がある。
結果は【この時期の子は個人差が凄く大きい】───。
驚くほどしっかりしゃべる子もいれば、キャッチボールができずテンションでやり込めようとする子。子供同士の会話でもその個人差は存在している。『おじゃまします・おじゃましました』『ありがとう』『ごめんなさい』などの基本的な挨拶が出来るかどうかも千差万別。
長男の場合は本人の【言葉と表現の伝え方テクニック】が問題だったので、意図的に要点が話せるように誘導を掛けたり、適切な表現を教えて選択肢を広げる対応でクリア。理由が分かりやすかった事と、対処もしやすかったので特に苦労は感じなかった。
……が、娘の場合はちょっと様子が違う。
聞き取り・受信に関して、本人に意味は通じている(ものによって苦手はあるが)。しかし、話を聞いている時にどこか“無駄なエネルギーを浪費している感”がある。
話す・発信に関しては、いちいちと言っていいほど、表現がズレていたり“当たらずしも遠からずな言葉選び”が当たり前に起きている。
─── そして、厄介なのはこういう時に言い方を直したり、正しい言い方を教えただけでも、彼女のコンディションによっては【失敗・間違い=悪(両極思考)】となり激しく落ち込み、その後の会話が余計にそぞろになってしまう。
“無駄なエネルギーを浪費している感”
“当たらずしも遠からずな言葉選び”
特性と片付けるだけでは全く対処のとり様がない。今までも気にかかっていた部分だが、これら2つの原因と、会話中の両極思考をさらに強めていた原因がようやく分かった。
※この記事中の出来事は、わが家の娘の場合の特性や本人の偏りによるものです。全ての自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の方に当てはまるものではありません。また、似ているからと言って、それが自閉症スペクトラムであることの根拠にはなりません。
今回はわが家の娘の独特なケースですが、行動・選択の取り方に【こういうつまづき方もあるのか】と、なんかのヒントになることもあるかもしれないので書き残しておきます。
会話の最中、言い回しや言葉選びが独特で、外の大人との会話では明らかに間違って伝わっている事が多いのがよく見受けられました。
本人も間違って伝わっているのに気がついているのかどうか分からない時もありますが、間違いに気がついたとしても、そこで諦めてなあなあにしたままその場を離れたり……。
小学校低学年ではありがちな事だとは思いますが、これもわが娘のありかちなケース【違和感を感じるくらい頻度が高い】。
年齢的な部分を踏まえて考えてみても、会話のレベルは抜きに不成立なことが多く、相手に意味を拾ってもらうことで成立することに偏っているようでした。
どこか【会話をするという行動の中に、何か余計な行程が入っている】そんな感じ。
なんてことのない会話の中でも、相手の言葉に対して何かしら『~~ってこと?』と聞き返してきますが、その表現がいつもどこかピンポイントに正解しているものではない事が常です。むしろ、わざとズラしているかのような独特な外れ方をしてきます(60~70点くらいの解答)。
そして、そういった時の彼女は、会話の内容を理解をしていない事が多いのも特徴でした。
例えばいつもの就寝時間より、ちょっと早い時間に『今日は疲れてるみたいだから、今日はもう寝ようか』という提案をした時のケース
娘『はやねはやおきってこと?』
私『よく知ってるね。でも“早寝早起き”は早く寝て早く起きるって意味だからちょっと違うかな。疲れているのだから早く寝て、いつもと同じ時間に起きれば、いつもより長く寝ていられるでしょ?(紙に描いて説明)』
娘『……うん(微妙な反応)』
私『疲れているんだからどうするんだっけ?』
娘『はやねはやおきってこと?』
私『今日はもう寝ようって事』
娘『ああ……そういうことか』
私『あれ、どこいくの?』
娘『え? となりのへやにマンガをとりにいくの』
私『今日はもう寝るんだから、寝る準備をしようよ』
娘『ああ……そういうことか(歯をみがきにいく)』
……こんな感じです。いつもと予定が狂って戸惑っている様子はありませんし、疲れているからといって思考力が落ちているという様子もありませんでした。
こういう風に『~~ってこと?』と聞き返して来た時は、言葉の意味や言い回しのズレはもちろん、内容が届かない事が高確率で起こります。
自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)によく言われる特性や傾向で考えようとすると
自分の中にある材料(言葉)だけで何とかしようとする
自分の知っている言葉とピンポイントで同じではないから分からない
言葉からの意味が上手く拾えない
会話中の違う意味を補正できない
相手に好印象を与えることに意識が行きメモリ不足
会話に何かしらの理由で緊張している
などの原因が考えられましたが、どれも言い得ているようで決定的な何かが感じられません。上記に当てはまる状況でも、起こらない時は全く起こらないのです。
ある時【じゃあ、なんで言い直すんだろう?】と言う点で彼女の立場に立って考えていたところ、とある可能性が頭に浮かびました。
私『あのさ、娘のことなんだけど』
妻『ん?』
私『娘って、話ししている時に“それって、~~ってこと?”ってよく違う言葉に言い直してから聞き直して来ない?』
妻『……ああ~、あるね。あるある』
私『あれさ、それそのものの言葉を憶えるために聞き直しているんじゃなくて、自分の中にある言葉に翻訳しなおすために言葉を探してきてたりしてって思ったんだけど、どう思う?』
妻『ああ! それあるかもしれない。後さ、“自分は分かってる”って姿を見せようとしすぎて、話に頭がいってないとかもあるよね』
私『そう、それそれ、それもある! たださ、あまりノリとして“人を意識していない時”にもこの聞き返しが起こって、だいたいそういう時って会話が理解できなくなるんだよ』
ここから話はより詳細に向かい、ひとつの仮説が浮上した。
最初は【分かっている自分を演じることで、評価をあげようとする】状態からスタートするが、それらが起こる時期には波がある。
1日に何度も、何日も繰り返すうちに当初の目的が薄れていき、その【自分の中にある近い意味の言葉を上げることで自分の理解を表現する】という行動のみに偏りだす。
やがて本人も知らないうちに【自分の中にある近い意味の言葉を上げる】ことだけに集中するようになり、会話の全体の流れや今投げかけられた言葉の意味を実感を持って理解出来るだけのメモリを確保できていないのではないか?
というもの。
その日に娘に話すことがあったので、早速その仮説の元に対応してみることとなりました。
娘と学校生活について話をしていると、やはり彼女は『それって、~~ってこと?』を投げかけてきました。
そこに対してなるべく自然に切り替えしてみました。
私『ああ、今はそうやって言い直さなくていいから、聞いている言葉をそのまま使って聞いてくれる?』
─── その瞬間の娘の顔は何と言えばいいのか……。
怒られた風でも恥ずかしい風でも困惑する風でもなく、スケジュールの書かれたボードを見て、【ああ、この作業は今しなくていいのね】と極自然に認識して自分の作業に戻る感じといいましょうか……。DVDで言語選択出来るのを知らずに英語で観てて、切り替えボタンを教えてもらった瞬間といいましょうか……。
彼女にとっては『ああ、この作業やってなくていいなら楽だわ』くらいの感じだったのかもしれません。明らかにあいづちの打ち方や返答に自然さが現れ、会話が止まること無くスムーズに流れだしました。
それどころか、その後、妻と話していても飲み込みが速くなり、【ひとつひとつ説明をせざるを得ない空気】がなく、さくさくと理解しているのが目に見えるようでした。
長男や同世代のお友達に話しかけた時の、あの不安定感やズレを感じさせない、気軽な雰囲気。
特に何かを説明して理解してもらったわけでもなく、この一度きりの切り返しで、彼女は突如大きな変化を見せたのです。
もちろんここ最近の自己評価の置き方や、両極思考への対処などがあっての変化だとは思うのですが、それにしても大きな変化でした。
もし、仮説の通りだったのなら(余計な先入観を持たれたくはないので確認することはしていない)、彼女が咬み合わない会話をしていたり、言葉の意味が何かしらズレていくあの感じにも説明がつきます。
彼女は最初の目的はどうであれ、聞いた言葉を一度自分の言葉に訳すように照合する作業をはさんでいた。
だからメモリは余分に失われ、実感が薄れやすくなることで、場に相対的なボーダーも失いやすくなっていた。そうして両極思考が起こりやすくなる環境を自ら起こし、会話の度に軽くフリーズしかけるような思考の氾濫状態に陥っていた。
会話中での新たな言葉の吸収は激減し、結局、扱う言葉は自分の中にあるものだけで回そうとすることになる。印象に残るのは会話の時に思い浮かべた【自分の中にある近い意味の言葉】に、大きく偏ることとなり、自然と語彙力は少なくなっていく。
という感じでしょうか。
会話をする上で評価を受けようとする、彼女の認知自体はもう少し先の理解となりそうですが、そこで取ってしまっていた行動と選択にはアプローチできたのかもしれません。
ちなみに彼女がこうした取り違いを起こしていたのは珍しいことではありません。
【違う・間違う=悪】と両極思考が強く、また意識的に自分と他人との違いに耳と目を塞いできた彼女には、こうした『行動・選択さえ変えれば簡単に楽になるのに、なぜわざわざ迂回したやり方をするのか……』というものが数多くありました。
どうしても変えられない特性であったり、そうしないと自身の心を守りきれないのであれば触れる必要はありませんが、『こうなるのは嫌だからこうする』という程度の判断でパニックを起こすほどの歪みを生んでいるのなら手を差し伸べる必要があります。
あれから一週間近く経ちますが、彼女のフィルターがかかったような距離感のある会話は戻ってきていません。
今回はそんな彼女独特の行動・選択のひとつでした。
上手く行き始めていたのに、ちょっとした事で混乱し、せっかく上手く行き始めたものが失敗に終わってしまう。
そうなることを避けていたので、なおさらショックは大きく、取り戻すのに大きな時間がかかってしまう。
娘の自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の診断がつき、その対応に進みだした頃。また、妻にもその傾向が強いことが分かり、その対応を始めた頃によくありました。
今まで思考や行動を阻んできた、小さな認知のズレを解消しつつ、上手く行き始めた時に突如元に戻るような事が繰り返されたことがあります。
娘の言動やクセ、いたづらのぶり返しなどもそうですが、妻の家族との関わり方・仕事への取り組み方なども、同じくサイクルの様なものがみられたのです。
今回はこれらのサイクルから抜け出したり、つまずいた時すぐに復帰できる様になった流れをご紹介したいと思います。
まず上手くいくように望み、動き出す時は多くの確認事項や、注意事項の再確認の繰り返しが多くなります。
今までと流れを変えるのは慣れるまでが大変だからです。
しかし、それら確認事項が功を奏して物事が進み始めると、今までいちいち確認していたものに、それほどの注意を必要としなくなってきます。流れに余裕を持てている時期です。
こうして確認事項がそれほど必要としなくても、上手くいっているうちはいいのですが、ここで小さなミスや予定変更が置きて、今までの流れに変化が起きた時に問題が起こりやすくなります(幼いうちは上手くいったとたんに有頂天になり、その段階で確認をやめることも多い)。
慣れた頃が危ない。
この小さなミスや予定変更の時に、どう反応するかで大きく分かれていきます。
特にわが家の自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)当事者たちに見られた分岐点は、【もう一度確認から】に戻れるか、【上手く回せない自分を責める】かです。
【もう一度確認から】はベテランであればあるほど、余裕がある人であればある人ほど、自然に要領よくこなしている気がします。
確認事項も少なくなるよう、ポイントを絞って確認作業自体のコストを下げていったりします。
しかし、【上手く回せない自分を責める】場合はちょっとややこしくなります。わが家では妻と娘によく見られましたが、こうしてミスした時にすぐ『できていると思って調子に乗っていた』とか『どうして私はミスをしてしまうんだ』と、自己評価を下げることに直結した思考に陥ることです。
そしてこれは大きなミスが起きていなくても、忙しくなったり手順が変わり、上手く進んでいないと焦りを感じた段階で思いつめてしまうことがあります。
ここに至ると、『何が悪かった』などの自分の至らなかった表面的な部分に、考えを集中させたような言動が多くなります。いくら思考しても現実は変わりませんし、納得の行く答えが見つからない限りは動き出せない状態に陥ることにもなりかねません。
問題に対する不安感も大きくなりますし、自分の中に失敗の答えが見つからないので『相談』なども難しくなってしまいます。
……かえって分かり難いわ! となるかもですが、なんとなくまとめてみました。
ずっと上手く言っていた時の流れのままだったら良いのですが、現実はそうも行きません。予定の変更・作業の増加・行程の前後・他との兼ね合いでのタイミング待ち……などなど。
ここで感じた不安は、自分ができていないという責め苦になりやすく、またそうした精神状態だと【どうして上手くいっていた時みたいにできないんだ!】と焦りも生みやすかったようです。
ふだんの生活の流れ・家族や他人との接し方・仕事の回し方、それらのどれにも単純な確認作業としてシンプルにできる部分があります。
ふだんのルールを明確にしておく
ルールにグレーで迫られたら『イヤ・困る』と本心を言う
上手くしようとはせず、『して欲しいこと』と『自分の気持ち』を比べて考える
こういった明確で初歩的な確認事項を、ルーティンとして何かの始まりの前や、予定の変更などでペースが乱れた時に、ホームポジションとして戻るようにします。メモ書きや付箋などで、いつでも眼に入る所に張っておくと、普段から意識するクセがつくので良い影響が出ていました。
こぼれ話ですが、子供用にもホワイトボードに予定や確認事項を書いていますが、書いている妻自身の安定につながっていた事もよくあったようです。
これらは仕事でも勉強でも当てはめられます。確認事項をシンプルにしてルーティンに組み込んでしまう、流れが変わり始めた時に確認するクセを作ると良いようです。
あまりに混乱が激しい時は、今目の前に積み重なっている物事をメモに書き出して、『なにをどれから……』という決着のつかない物事を文字にして視覚的に確認します。
今抱えていること
頭の中にある気になっていること
よく分からないと思っていること
妻と会話している娘を見ていると、わずかだが違和感を感じる。それは彼女を知らなければ【言いがかり】に近い、違和感なのだろうと思う。
─── 人の話を聞いているようで聞いていない
極端な時は言われているそばから、注意された行動をそのまま続けていたり、同意したのに何に同意したのかわからなかったり……。
妻の言葉に要所要所、的確にあいづちを打ったり、返事を返してはいるが、やや瞳孔が開いたような不安感のある目と、【うん♡】と常に身を乗り出すような演技がかった姿勢。
そして、親がいる時はどこか【しっかりここに居られている】を演出するような仕草が、いたるところで見え隠れしている。
慣れない小学校生活で疲れている?
憶えなきゃいけない事が多くて余裕が無い?
いや、多分違うだろう。彼女は今、小学校の教室で続けていた立ち振舞や、自分なりに遂行している【人との関わり方】から、家族といる時の関係性に切り替えられていないのではないだろうか?
※これ、意外と特性によっては大人の自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の当事者や、パニックになりがちな方にも有効かもしれません。
長男の新一年生時代にも起こりましたが、今、彼女に起こっていることの要因の一つは【自分の立場とそこにいる意義】が一部欠けているからです。同時に【話を分かろうとして聞く】という、感覚的に一歩乗り出す意識が薄かった事が挙げられます。
わが家の自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)当事者たちが、環境の変化や情報の氾濫が立ちはだかると、起こりやすくなるいくつかの特性の助長があります。
自分の気持ちや体調に鈍感になったり(感覚鈍麻)、ざわつきや肌の感覚などの、普段ならある程度の選択的集中が効いているはずの感覚に敏感になる(感覚過敏)などです。
そういった自分の状況や心に気がつくのは、状況と特性とが一致して難しくなることがあるので、キーワード付けだけでは上手くいかないことがあります。
ある程度の環境の想定ができる場面では、うちでは【自分の立場とそこにいる意義】を予め確認することが有効な事が多くあります。自分の心は曖昧ですが、そこに関わる目的や意図は明確に設定できるからです。
細かいようですが、学校で先生と生徒の間に起こるやりとりを、できるだけ多く想定し、ひとつひとつ分解して明言していきます。
両極思考が強く【失敗=悪】と考えやすい娘は、人間関係でも相手からの評価を常に気にして、相手に合わせるのを再優先してしまう傾向があります。
彼女の場合、こうした環境の変化が起こると、まず先生などそこにいる大人や年長者に評価されようと、友好的な態度を表すことに躍起になります。
その初歩的な行動であり、しかし後半からどんどん人間関係の悪化や、自分の立場を失わせる行動が【しっかり聞いているふりをする】です。相づちや相手の顔を見ることなどに集中すると、“よく聞いている”と評価される事が多いので、そればかりになり話を理解できるほどの実感やメモリを確保できていない状態です。
自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の子供の場合、外で問題になるのに家ではおとなしかったり、家では問題になるのに、外では大きな問題が起こらないなどのブレが起きることがあります。
我が娘にもその傾向があり、どちらかと言えば外では大きな問題はそれほど起こりません。しかし、家では一切リラックスをできなくなったり、自分の立ち振舞を気にしすぎて押しつぶされてしまう事が常でした。
彼女の場合は両極思考が強く、失敗で自己評価が下がることを恐れ、集団にいる時は基本集団の流れに合わせて隠れ、確実に評価される時だけ前に出るという方法をとっていました。
彼女にとっては、【教えられる=できていない=悪】でもあるからです。
気分によっては教えられただけで落ち込み、気分を害するなど周囲が理解できない感情の起伏を見せることもありました。
家に帰ると紛れるための集団がありません。家族同士の行動はすぐに把握されます。【教えられる=できていない=悪】な彼女は、『そこ、壊れてるから危ないよ』などの注意すら【悪】なので、常に緊張状態を強いられることになっていたのです。(これが判明する詳細はこの過去記事⇒アスペ妻の記録~当事者意識~)
この両極思考に支配された認知も、彼女本人がピンポイントな言葉の再現によって自覚し、大きく前進しました。しかし、完全に消えたわけでもありません。
家ではリラックスしていますが、外の世界ではまだ【他人からの評価をそのまま自己評価にしている】のは変わりません。特に急な環境変化が起きた場合、この傾向は強くなり【相手の視線に合わせていればいい】に傾倒していきます。
これを帰宅時に切り替えられるほど、まだ娘は大人になっていませんし、そもそもその人に合わせる行為自体が“悪いことかどうか以前に、そうしている自覚がない”という、相手をコントロールするための行動・選択に偏っています。
今まではこの内と外での問題の違いが、正体不明の難問でしかありませんでしたが、ここまで分かれば逆に“外での対外的な行動が予測できる”というヒントだらけです。
ちょっとした表情の硬さや、不自然なイントネーションなど、そこに浮いて見える全ての仕草が、今の彼女の“外での重大事”を知るための手がかりになります。
まず、彼女がそうしている事の自覚を促す必要があります。
『今日もいろんな事をたくさん教わったでしょう? 疲れた?』
(今現在の体感覚の自覚を促す)
『先生にいいお返事するのに夢中になってなかった?』
(行動を思い起こさせる)
『それって、いいお返事すれば先生が褒めてくれるからだよね?』
(自分の欲求を思い出させる)
『ちゃんと話が分かってた? 終わった後“何すればいいんだっけ?”ってならなかった?』
(行動・選択の結果を認識させる)
『先生がしっかり教えてくれたのに、君が“出来なかった”ってなるのは、君だけじゃなくて、教える仕事の先生も辛いんじゃないかな?』
(結果から考えられる影響を明示)
『だから、先生が本当に欲しいのは、しっかり聞いているフリの君じゃなくて、話をわかってくれる君なんじゃない?』
(行動・選択の修正)
といった流れで説明をしました。彼女が理解しやすくなったのは、さらに私の幼いころの記憶を話したことが大きかったかもしれません。
お父さんも君くらいの頃、話している人の顔をじっと見たり、『聞く』ってことに必死になって、いざその後『で、何だっけ? ここで何かするのは分かるんだけど、俺、なにすればいいの?』って思ってたことがあるよ。
だから次はもっとちゃんと『聞こう』ってしすぎて、やっぱり途中で疲れてボーっとしちゃったりする。
でも、ある時ひらめいたんだ。
『これは何のための話で、誰のための話で、何させようとしてるのかを聞き出そうとすればいいんじゃないか?』って。その話で自分がどうすればいいか探そうとすればいいって思ったんだよ。
急に話を聞くのが楽になったし、ボーっともしなくなった。話す人の方を見るのも、相手の顔を見るんじゃなくて、わかろうとすると自然とそっちむくんだよね。
だからさ、頑張ってなんとかするんじゃなくて、これってスイッチじゃない? 『話を聞く時』のスイッチを決めただけなんだよ。だから凄くラクに出来るようになったよ。
“頑張ってなんとかするんじゃなくて”のあたりで、腑に落ちたような実感のある表情になってました。【話を分かろうとして聞く】という意識は、自分が困ったときに超えられるチャンスがあるのかもしれませんが、娘の場合自己評価の低下やパニックに直結してしまう危険性があるので、こちらから働きかける必要がありました。
どこか夫婦で分かり合えない。
会話が続かない。
感情的になられて触れられない問題が多い。
自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)当事者の特性や気質によって、そのパートナーが強い孤独感や不安感、また“どうにもしようのない、やりきれなさ”に支配されてしまうことがあります。それは時に激しい抑うつ状態に陥ったり、自らの存在を否定してしまうような、強い自己評価の低下を招く恐れがあります。
こうした心理的な強迫状態から起こる、様々なストレス症状群や身体的、精神的症状を指して、【カサンドラ症候群(カサンドラ情動剥奪障害)】と呼ばれています。
今回は私自身の経験を元に、自分とパートナーとの関係に何が起こっていたのか、どうして抑うつ状態を引き起こす心理状態に陥ったのかをまとめてみたいと思います。実はここを理解するだけで、あの“やりきれなさ”はかなり解消されることがあります。
そして、この“理解”はASD当事者の方にも、ちょっと肩の力を抜ける視点になるかもしれません。抑うつ状態に陥るポイントは定型・非定型もさほど違いはないと思います。
なぜカサンドラ症候群の対策の話に、いきなり抑うつの話を持ってきたかというと、精神疾患としての抑うつになっていなくても、同じような心理状態になるほどの辛い状況は、夫婦の関係のあり方で簡単に再現出来てしまう危険性があるからです。
これが思いの外、自覚しにくく、想像以上に広範囲に渡って【やりきれなさ】を生み出す素になっています。
まず、心理的に追い込まれた人間が【抑うつ状態】になる事に対して、性格的なものや精神的な弱さだとする誤解がよくあります。正しくは、抑うつ状態は正常な心理反応です。自分の気分が低下してきた時、【うつは甘え】といった誤解があると、今そうなっている自分をさらに卑下して悪化を招く危険性があります。
抑うつ状態はその一定のレベルを超えた時に、医学的な治療が必要となります。でも、そこに行くまでの精神的な低下も抑うつ状態です。そこに数値化できるボーダーはありません。
つまり、誰だって抑うつになる可能性はありますし、程度の差こそあれ、実は誰もが体験したことのあるものなのかもしれません。自閉症スペクトラムが自閉症との連続体だと言うように、精神疾患からの地続きの心理状態であると考えたほうが、【うつは甘え】などという勘違いは起こらないかと思います。
その上で、人はどんなに心が強かろうが、賢かろうが恵まれた環境であろうが、とある特定の条件がそろっていると、抑うつ状態になる可能性があるのではないかと考えられます。
例えば酷い環境でないはずの職場でうつ病を発症してしまい、退社を余儀なくされた方々のお話を聞いていると、ある共通点が感じられました。
B:仕事をはじめ、様々なことへの相談が【そんなことは自分でやれ】という空気があり、些細な事でも相談がしづらい上、重要な相談事は煙たがられる傾向がある。
この条件にプラスα、その上司や同僚が【怒鳴る・無視する・嫌そうだが指摘はしない】など、解決に結びつかない割に、その独特な表面上のこびりつきやすい印象のリアクションがついてきます。
もちろん怒鳴られるなどの感情的な対応は苦痛になりますが、実際に抑うつ状態に引き込んでいる要因は、特に上記AとB2つの条件が大きいのではないかと思います。
─── 人に話すと、大した問題のある環境ではないのに、そこにいる時にじわりじわりと辛さを感じる。でも、それを人に相談するには、それを話題にできるほど、自分でもなぜなのか解らない。
この感じは私自身が自身の夫婦関係に感じていた、また自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の長男と娘に感じていた感覚に非常に近いものを感じます。
相手の真意や趣向が掴みにくい状況は、実際に話の主題にしたい事への配慮だけでなく、その時々の相手の顔色をうかがう必要が出てきます。
夫婦も職場の同僚も、関係性を簡単に破棄できません。何らかの問題があった時、その解決が迫られるわけですが、一緒にいる環境で相手の真意が分からないと進めにくくなることが多くあります。
実際に問題解決だけで済めばラクなのですが、そこに関わる相手の真意を察しながらというのは、問題のある状況そのものが【こちらの責任】の様に重くのしかかってきます。
この【こちらの責任】の錯覚が、事態をどんどん動かしにくいものにしていきます。
例え小さな問題であったとしても、一人でなんの相談もなく進めていくのは、その環境に属している以上、なんらかの衝突や不具合を生む事があります。これは今までの経験から培ってきた社会通念の様なものです。
その社会で上手く回すことはもちろん、今現在自分が進めていることが正しいことであると、誰かに共感してもらえることは、大きな安心感を得る材料でもあります。
では、なぜ相手はあなたに真意を見せないのでしょうか?
実はここを考える時、自己評価が低下していると、考えたくなくてもイヤな錯覚を生み出していくようになります。
自分はこの環境に上手く適応できていないのではないか?
自分はこの場に必要とされるほどの貢献ができていないのではないか?
自分はこの環境からズレているのではないか?
そして、
自分は何もできない、できていない人間なのではないか?
真意を見せない(見せられない)のは、自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の場合、その特性から起こりやすいことではありますが、これは極一般的な社会において定型発達者でも簡単に陥るパターンでもあります。
例えば自分がその場にいて、その環境にいる人達と比べて、今自分が大きく劣っている設定にあったとして、あなたはどれだけ人前で発言できるでしょうか?
劣等感がある場合、まずその原因となる部分を隠そうとして、口数を減らしたり触れないようにすることはよくあることです。逆に、その劣等感を認めたくないが故に、その話題を逸そうと不機嫌を演じたり、感情的に否定することで場をコントロールする事もよく見られることです。
劣等感までとは言わないにしても、ちょっとした苦手意識でもこうした行動は起こります。
例えば人と話すのが苦手だと考えている人は、人前での発言を避けたり、発言の機会を避けようとしますが、そこに大きく関わっているのは【上手く話せなかったらどうしよう・こんなことを言ったら笑われるかもしれない】などの防御機構があると考えられます。
また、自分で教えることに対して不安があったり、その労力に今不安がある場合、人からの質問を同じような防御機構で返すことがあります。
自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の当事者の場合、まず、【0か100か】などの両極思考が原因で、相手からの疑問や質問に対して極端な反応をしてしまうことがあります。
自分に責任がないのに、その問題を解消できない時、自分に責任があるかのように捉えて苦痛を感じることを【責任の個人化】といいますが、この状態はASD当事者だけでなく、実は自己評価が低下している人誰にでも起こりがちな問題だったりします。
カサンドラ症候群に陥る最初の一歩は、実はこの【真意を見せない真意】を理解できないからこそ、いつしかパートナーも自分に責任があるかのような【責任の個人化】の発想に陥っている可能性があるのではないかと思えます。
人間関係において真意が見えないことは、現実の問題の『考えるコスト』を、何倍にも何十倍にも膨れ上がらせる事があるようです。
夫婦関係・職場・学校、どこでもそこで対人関係が起これば、相手と自分との問題です。なぜ、そこに問題が起きたかが分かれば、後はその問題を考えていくだけです。
しかし、お互いの立場がわかりづらくなると、途端に変動が激しくてややこしい感情的な問題のようになってしまいます。
相手が防御機構の様に、自分からの解決に動かず、こちらの対応に傾いている時の多くは、相手が何かしらのコントロールを望んでいる時です。
おそらくはこうした状況への表面的な対応に偏っているはずです。この思考は特に自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)当事者が特性として、無意識のうちに反応として返してしまうタイプの行動・選択です。むしろ、本人自身もこうして動いてしまうことを自身でわからず、苦痛を覚えている方もいるのではないでしょうか?
……さて、この中にはあなたという人間性を否定する内容が入っているでしょうか?
問題の構図をまとめるとこんな感じです。
④何が悪いのか・どんな立場なのか見失う
やはりこの中にもあなたという人間性を否定するものはないと思います。
自己評価が下がっていると、こうした時も【いや、でも今までがダメだったから、相手は嫌になって反応してるんだ】と思いがちですし、そうした論点で迫ると売り言葉に買い言葉でそのように返されてしまうこともあります。
これを防ぐのは案外簡単で、相手の苦手の理由を考えて当てはめれば、自分の立場がわからないまま【責任の個人化】に陥る理由がなくなります。
問題点は表面的で、しかし相談する余裕を瞬間的に確保できないため、受け取り方や返答が極端になっていることが多いのではないでしょうか(表面思考と両極思考)?
で、あればそこまでの質問が考えられる様になるのですが、今はここでそうした打開策をその場その場で考えられるようになるというより、こうした感覚を自分に浸透させるのが先かもしれません。
─── ああ、~~が苦手だから、応じないんだ!
抑うつ状態の時、色々なことがどんどん解消しがたい難問だらけになっていくことがあります。他のアドバイスや情報を耳にしても【でも、うちは~~だし】と否定する姿勢から入ってしまい、発想が極端になることでそこにあるヒントを見過ごしがちにもなります。
これも能力や性格などの、個人のポテンシャルの問題ではありません。そうなるように心理的に反応しているだけのような気がします。
問題に対し、相手の真意が見えなければ問題は大きくなり、かかわる時間が長くなります。さらに自分がそこにどうしていればいいのかも見失えば、そこに問題意識があるのに【もともと何だったか解らない】ところに押しやられます。その状態でなかなか違う立場からの言葉を認識するのは難しいですし、自分の立場や問題の真意があやふやである以上、それを比較する事も難しくなるのではないでしょうか。
人間関係は生活の重要な基板ですし、また結婚となれば経済的・将来的・そして継続することへの自己評価や世間の目がついてきます。
このただでさえややこしい中に、こうした条件に則ったややこしいコミュニケーションのハードルがあり、しかし、なんの理解もないまま穏やかに超えられる方がいれば、もう鉄人です。
まずはパートナーの【苦手】とそのリアクションを正確に知り、自分に余計な責任がないことを実感していくことをおすすめします。ひとつひとつのリアクションに対する代替案や、認知のズレの修正などに働きかけるのは、この後からのほうがスムーズかもしれません。
また、当事者の方の場合、もしこれを読まれてご自身の行動に思い当たる事があれば、それを文字にして書き出してみてください。真意を見せない真意や、そのためのコントロールは、自覚を持つだけでも苦手を自覚して乗り越えるためのキーポイントになることがあるようです。
PC整理をしていたら、以前使用していた【感情カード】のデータが出てきたのでおすそ分けです。家庭用のやっつけ作成なので、数も少ないですし、えらくクールな感じなのはご容赦ください(注意がそれやすい子は簡素なままの方がいいかも)。一緒にぬりえにしてから切ってカードにするのもいいかもですね。
感情カードとは、その名の通り感情を表現したイラストと、対応した気持ちを指す言葉が表示されています。言葉と気持ちを結び付けるための簡易なグッズです。
自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の特性として、自分の気持ちに気が付きにくかったり、感情とその表現が結びつきにくいことがあります。特に子供の場合は言葉での表現が追い付いて来ませんし、自分の気持ちを判断する事が難しかったりします。
そういう時に感情カードを提示しながら【こういう気持ちかな?】など、表現として表に出し、慣れてきたら本人に渡して【一番近い気持ちはどれ?】と選ばせるなどの方法があります。自身の中で言葉に置き換えさせたり、自分の気持ちに気がつく様にうながすのに使います。
わが家の場合は、4~5歳の頃の娘にちょくちょくと使用した事があります。彼女の場合は感情に気が付きにくい上に、パニックになるとどれがどれやらわからなくなり、なぜ泣いているのか・なぜふさぎこんでいるのか分からない事がほとんどでした。
ちなみに『おなか が ぐるぐる している』は、娘特有の不安症状です。こういう感じでその子特有の表現を入れていくのもいいかもです。
下記の【こちらからPDFダウンロード】クリックでダウンロードできます。保存する場合はブラウザで開いてから、右クリックで“名前をつけて保存”で保存できます。プリントアウトしてカットしてお使いください。プリンター用の厚紙使用をおすすめします。
うちではあまり長くは使いませんでしたが、【気持ちを言葉にしようとする】ための感覚を養うには効果的だったように思います。『ね、言葉にしたらスッキリしたでしょ?』などフォローを入れることで、比較的簡単に“聞けば答えられる”ようになりました(自発的に言えるようになるのは年齢的なものもあるので焦りは禁物)。
昨年末から今年初めにかけての、大きな不安定がまるで嘘だったかのように、娘は極々ふつうの子供の様に式の壇上にいた。
他人を意識しすぎることなく、情報の氾濫に呆然とすることもなく、練習の通りに粛々と式に参加している。
一応、朝のうちにいつもの言葉はかけてある。
今日やることは卒園式、主役は君。あと参加している子どもたち全員も主役。おとなは“卒園式を頑張る子どもたち”を見守るために来てる。だから主役は“卒園式”をしっかり頑張って
この地に越してきた時、娘はまだ生後3ヶ月だった。その頃は親が不安になるほど寝過ぎる子で、怖いくらいに手のかからない子だった。
それが生後半年くらいを境に急転直下───。
それからの問題の大半は自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の特性のうち【0か100か】の両極思考と、表面的な刺激に飛びついたりする表面思考。そして何より、他人との境界線のなさが大きかった。
両極思考から否定されることを極端に嫌うため、常に人に合わせようとする。彼女は【自分がこうすれば、相手はこう動くはず】という、意識している相手をコントロールするための選択でしか対人関係を築いてこなかった
今落ち着いているのは、単にたまたま落ち着いているのではない、人間関係の問題点の、最も大きな原因をここ1~2ヶ月で突き止められたことが大きい。
とは言え、ASDの特性として、まだまだ憶えるべきことの方が圧倒的に多いのも確かだ。これからも何かしらの認知のズレや思い込み、そして特性が関わった問題は起こるだろう。
それでもアドバイスにパニックを起こしてしまうほど、心が簡単に電池切れを起こす様な、無駄にこんがらがった回路は整理がついたといっていい。
今日、娘は卒園する───。
卒園式もつつがなく終了し、記念撮影やお世話になった方々との会話の後、私は長男と次男をつれて一足先に帰宅した。
妻と娘はこれから謝恩会。そのための打ち合わせは、保護者会で半年前から進めてきていた。
息子ふたりに昼食をとらせ、次男はお昼寝、長男は勉強を始める。私は簡単な仕事の整理をリビングのノートPCでつけながら、ふとあることに気がついた。
これだけ同時複数の判断が必要とされる時期に、妻は自分の仕事と家事もこなし、さらに妻主体の新規事業の計画も順調に進んでいる。それは妻が背負いすぎたのでも、私がサボったのでもない。
パニックはもちろん、自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の特性が見え隠れするような問題が何一つ起こっていない。そして、私はパートナーとして、隣に立つこと以上の責務を一切負っていない。
妻は今、自分の実力を正当に発揮して、それらのバランスを完全に掌握し切れていたのだ。
そして、後に謝恩会から帰ってきた妻の口から、その理由を聞くこととなる。
妻のここまでの成長は、いくつかの視点に分けて整理すると、認知と行動の再形成がどう影響を及ぼしてきたのかが分かりやすくなる。
何に対して自分の責を感じているのか、どんな時に怒り・焦り・安心を感じるか。
【良い】を考えれば際限なく先を設定し終わりがない、【悪い】を考えれば自責に終わりがない。【普通】というホームポジションを意識できているかの確認。【良い~普通~悪い】を一本の線上に置き、今事態はどこにあるのかを見える化。
1~3の時にどんな行動をとっているか、それはどんな狙いでなんのために反応しているかを確認する。そうすることで、行動・選択の誤りに気づき、メンタルを鍛えることなく、行動・選択のみ変更していくことに集中する。
概ね、この4つの確認が認知に関わる時に考えるベースのような部分となった。そして、それらをより具体的にするために役立ったのは次の手法である。
小さなメモ帳をいつも持ち歩き、一日の行動を簡単に書き起こすことを中心として、気になったこと・考えてもすぐに答えが出なかったことなど、【常時、考えている必要のない物】を文字にする。
どんな些細な事でも、疑問に思ったり、心が立ち止まればすぐにメモ。不安定な時期はそれらのメモを見返して思考の整理をする。【安定しているときは特に必要がない】というように、付き合い方は気楽にしておく。
そうすることで脳のワーキングメモリをメモ帳に負担させる。ポイントはなるべく1冊に続けて書き込んでいくこと。
副次的に上の4つの確認を、さほど意識的でなくても気がつくきっかけを生みやすい。
仕事のものとは別に、気楽に書き込める簡易なスケジュール帳を用意する。こちらには仕事のスケジュールのうち、生活時間に影響を及ぼすレベルの物であればメモをするが、基本は生活の行動中心。
どこかに行く予定があれば、その準備日まで設定をする。特定の日にまで考えておくべきことがあるのなら、その期日と期間も設定するなど、メモ帳と同じくワーキングメモリを開放するために、文字に【憶えておく】を負担させるのが目的。
【順守する!】 ためではなく、【情報を整理する】ために利用する。最も大事なポイントとしては、誰か協力を得られる様な予定や、簡単に終わる物などに目立つ印をつけ、ひと目で難易度を把握できるようにすること。
特に【誰かの協力を……】を前提に、スケジュール上で整理すると、上記2と3の確認に触れられる事がある。
謝恩会から帰宅した妻は、『ちょっと買い物から帰ってきた』といった体で、全く疲労も動揺も見られなかった。以前の妻であれば表情は固く、眉間に力が入った様な、どこか余裕のない顔で帰ってきたであろう。
そうなってもおかしくない設定の状況だった。
大勢の保護者と子供、そして先生方がいて、会を進行しながら細々と仕事をこなし、子どもたちの様子を見る。またその会を“楽しまなければならない”と背負い込んだりすれば、同じような力で同時にこなすことが多くなりすぎる。
しかし、妻の顔には一切曇がない。
妻『お疲れ様、長男たちのことありがとうね~』
私『いやいや、こっちこそありがとう。疲れた?』
妻『ううん、全然大丈夫。でも、これで一段落だねぇ』
嬉しそうに目を細めながら、お茶をすする。
私『でも、すごいね。ここまで凄くたくさんのやることが重なってきたのに、ここ最近余裕で回してるじゃん。俺、出る幕なかったよ』
妻『うん。前に比べて“参加する”ってことの距離感が分かったって感じかなぁ』
私『……と、いいますと?』
妻『仕事も家庭のことも、今日みたいなイベントのことも、前はもうちょっと【何か役に立たなくちゃ】とか【参加しないと申し訳ない】みたいのがあったんだ』
確かに今までの妻には、“どうして君がそこまで背負い込むんだ?”と、距離感のようなものを見失いがちな所があった。そう言われてみるとここ1~2ヶ月の間にそうしたアドバイスをせざるを得ない状態に陥っていない。
そう聞いた時、私の中でひとつのことに合点がいった。この大変なスケジュールになるであろう時に、妻から相談らしい相談を受けていないのに、こちらも心配にならなかった。それは彼女がこれらの事を深刻になる前に気軽に口にしていたということ。
気軽な言葉だからこそ、こちらも気軽に対応していて、さほど印象に残らない様な受け答えでも小さな解決を繰り返していたのだ。そうして彼女自身が気軽でいられたことが、余裕と行動力を生んでいた。
妻と娘がこの1~2年でクリアしてきたことは、その表面的な出方とは別に、内包している問題点は非常に似通っていた。
自己評価を適正化して自信を取り戻し、認知のズレに気がついて行動と選択を選び直す。
この2つが進むごとに、彼女たちの出来ることが増えていった様にも見えるが、ここまで大きく変化していく二人を見ていると、こんな見方が浮かんでくる。
そこにはもちろん認知のズレもあるが、“自分がこうすれば、相手はこう動くはず”というコントロールの存在も疑うべきだ。なぜなら、そうして思考と行動の交通整理がついた時、彼女たちはサクッと変化を見せる事がほとんどだ。
以前から定型発達者の成長が、緩やかな曲線で上昇するのに対し、自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の当事者の成長は踊り場の点在する階段上の成長だと感じていた。
そこには一定以上の納得や情報が揃った時に、その蓄えた分の成長をしている様な印象を受ける。
今、妻が自分の実力を正当に発揮できている理由として、自分の特性や気質に対し、自分の認知から正確に状況把握するための対抗手段が揃っている。
それは一つ一つに【ああするこうする】と対策を用意していくピンポイント対応の段階から、【自分がどう思うかで判断する】という大きく広範囲な納得を得るための方法に移行してきているからだ。
少なくとも私は今、妻と一緒に歩いていて、彼女が何に不安を持っているか分からないことに不安になることがない。ひとつの問題にお互いの違った意見を出し合うことも、お互いの協力関係を気軽に信頼し合えることもできる。
人生は長い、これからも何度もいろんな問題にぶつかることだろう。しかし、私達夫婦が到達したこの状態は、無理して維持しているものではなく、気づきを重ねてきた認知だ。これはお互いが孤独にならないための、センターラインの様なもの。
ここに宣言する。
私たち夫婦は、カサンドラ症候群の可能性を克服出来た。お互いの認知の違いが生む問題を卒業できたのだ。
【つづき】⇒アスペ妻の記録~赦しのルール~
]]>早いもので、いよいよ娘も小学校入学間近。いろいろと準備を進める中、最も重要となるであろう物の作成に入りました。
【サポートブック】です。
サポートブックとは学校の先生や習い事などの講師、また親しい支援者など、深く関わる事がある方々へ渡す、当事者を理解しやすくするためのガイドのようなもの。
保育所の頃は送り迎えなどのタイミングで、密に先生方と連携をとってこれましたが、小学校だとやや先生との距離ができるため、ちょっとそうも行かないものです。
療育の先生から薦めていただき、書式ももらえたので作成することにしました。サポートブックは小学生~高校生といった学生の間だけでなく、その後の人生にもちょっとした支えになる可能性がありますし、まとめているうちに新たな発見があったりします。
保護者や支援者だけでなく、自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)当事者自身が作成してみるのも良いかもしれません。
書式は検索するとたくさん出てきます。見本を元に本人の気質や特性、好みや趣向、対応として効果的な方法などをまとめていくのが基本形。
ただ、書き始めにちょっと戸惑うかもしれません。
【どこから話せばいいのか分からない】
……他人にその特性や行動パターンを説明するのに、相手がASDの特性を理解できていないと、伝わりにくいことがあるからです。
例えば【どこまで】の境界線が甘い場合、起きていることやパッと見の判断では、『それほど気にすることでもないのでは?』と流されてしまうことがあります。
特に年齢が低い場合など、他の子も似たような行動をしていれば、なおさら目立ちにくくなります。
しかし、ASD当事者本人の中では、切り替えが上手く行かず、過集中から疲労を溜めていってしまうなんてことも。また、一度やった事を日常化しようと、何度でも繰り返そうとし阻害されることに強く憤りを持つこともあります。
自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の特性と、本人の行動などが見えにくいところでリンクしていたりするので、まずは特性をなるべくわかりやすく伝える事を考えると整理しやすくなります。
ASDの特性だけを話せば膨大になりますし、本人の特性だけを話すのでは、個性なのか特性なのかがわかりにくい。と、いうことでザックリと生活に起こりやすい特性を3つの段階に分けて説明することにしました。
3:本人の特徴
こうして分けることで、娘の行動や特徴的な言い回しなどが、“2に近いやつ”とか“1の~~が関わっているからです”と一言を添えるだけで、特性との関連性がわかりやすくなります。
と、いうことでサポートブックに、こちらの図を添付することにしました。
PDFはこちら⇒サポートブック用3大柱
この三大柱は今までいろんな所で説明しているうちに、こう分けて説明すると伝わりやすかったと感じた手順でもあります。
長男の時は担任の先生とは別に、補佐としてもう一人先生がついてくださる【低学年サポート】という制度がありました。
やや転動気味だった長男ですが、ノートを取るタイミングや【今何するか】を、行動スタート時にサポートしていただいたのが非常に効果的でした。長男の場合は一度行動様式として頭に入れば、しっかりと集中して取り組めるのですが、入りきっていない時はボーっとしたり、集中力が切れてしまう傾向があったのです。
今回も娘が入学の際は、低学年サポートの先生にも予めお会いできればと思っていたのですが、残念ながら娘の学年は人数が少なく、規定外のためこの制度が受けられなくなってしまいました(あまりのがっくり感にアゴ外れるかと)。
なおさらサポートブックの必要性が高まった感じです。
サポートブックの前に、昨年からもうすでに2回ほど学校へは相談にいってます。
これは保育所の頃にもあったことですが、先生方も不安になりやすく、こちらが望んでいることを、やや過大に受け取ってしまわれることがありました。
こちらとしては
【家での成功パターンを共有すれば、周囲が戸惑う事が少なくなるし、本人も安定できるかもしれない】
というスタンスです。
しかし、どこか先生に緊張が見られることがありました。
【繊細な問題だし、これができなかったらクレームが出るのでは】
そんな感じの責任感の様なものが見え隠れ。
本当に先生方はいつも大変な責任感の中、頑張っておられるんだなあと思います。ただ、私の意図とはちょっと違いますので、一言添えさせていただきました。
本人がASDだから、絶対にこうやって対応して欲しいなどの特別視の要望ではなく、本人はもちろん、先生方や他のお友達を含めた周囲の環境全体が丸く収まっていくことを私達は望んでいます。
ですから、この相談の中で出てくる言葉は、要望ではなく先々を明るくするための作戦会議だと考えていただけますか?
自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)やADHD、その他精神疾患を始め定型発達者もいつでもハマり得る人間関係の依存。
先日、娘の記事で彼女が人に合わせるために“人をコントロールする”ことに陥っていた例を書いたところ、結構多くの方から反応を頂いたので、もう少し踏み込んで書いてみようと思います。
今回は自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)に限っての視点ではありませんが、自身と周囲の人間の自己評価が関わってくる問題でもあるので、もしかしたら万能タイプなヒントになるかもです(カサンドラ症候群でお悩みの方にも)。
コントロールというと、高圧的であったり打算的なイメージを持たれるかもしれません。
思い通りにならないと癇癪を起こしたり、議論よりも勢いや地位を見せるなどで立場を上に見せてのコントロールは、どこででも起こっているのではないでしょうか?
ただ、実際のコントロールはもっと当たり前に使われていて、非常に消極的な方法でコントロールする場合も多くあります。
例えば特定の相手がいる場合に、意見を隠して沈黙したりモジモジした態度を取ることによって、相手からの裁量や行動を待つ事もコントロールになります。
この観点で動いている事を基本に考え、自分の行動や周囲の人物の言動を考えてみると、仕草や言い回しの説明がつくことが多く感じるかもしれません。
─── なにより、想像以上に自分がそうしていた事に驚くかもしれません。それくらい、この遠回しなコントロールは、善悪・程度に限らず頻発しています。
【こうすれば、相手はこう動くはず】
特に過去を思い返して、“うっ”となるような恥ずかしい経験や間違えがある方は、この観点で“自分が何を要求していたのか”が見えると、急に軽くなることがあります。
自分の欲求が通らなかった事、要望通りの見せ方が叶わなかった事、場合によってはそれを見透かされた事による羞恥。
これらは結構頑固にこびりついてしまいますし、同様なシチュエーションに強い拒否感を持ってしまう事もあるでしょう。
なぜこびりつきやすいかと言えば、自分の真意として“そこにいる人物をコントロールしようとしていた”という事実が見えなければ、自己解決するにもピンポイントの正解にはならないので、こう考えてしまいがちになります。
“性格”とは非常に曖昧な指標です。だからこそ解明できない難問だったり、努力・根性・自己啓発などで“自分を否定する期間”を設けなければどうにも動かないように思えてしまいます。
【こうすれば、相手はこう動くはず】これを元に自分を分析すると軽くなる可能性があるのは、一番最初の過ちの元凶となった、自分の【選択】がわかりやすいからです。
性格を治すのは非常に難しいですが、自分の欲求とそれに対する選択を知れば、【選択が間違っていた】と重大な要因では無い事が分かりやすくなります。
“分からない”がそのまま不安になりやすいのは誰でも同じではないでしょうか。問題が分かることで、不安から引き起こされるストレスや、閉塞感、自己評価の低下を抑えられるパターンは、人生経験でも多くの場面で出会うはずです。
このコントロールは【自分の思い通りに相手を動かす】事であり、その手法は通常それほど多くの選択肢を持ちません。大抵は幼い頃に考えだした【こうすれば、相手はこう動くはず】からさほど動いてはいないはずです。
つまり万能な方法ではなく、思い通りにならない事のほうが多いわけで、その度毎に憤りをためたり自己評価を下げてしまうことになりかねません。
だからこそ、その選択方法で動いてくれる相手がいれば、その人物を動かす事で欲求が通る安心感と自尊心の回復を求めるようになるのも不自然ではありません。
表面的な選択は人それぞれに違いますが、【こうすれば、相手はこう動くはず】という目論見が、特定の人物に向けられている時、それらは総じて依存と同じ状況になっているとも考えられます。
無力を装い相手に保護してもらう
これらはどれも人の中にあり、その程度によって周囲との関係に各々のバランス感覚が存在しています。結局は相手をコントロールする系統のもので、これら全てを完全に治すのは難しいかもしれません。
しかし、思い通りにならなかった時の自己評価の低下や、それを守るための癇癪行動は抑えられる可能性があります。
性格という重たい問題意識から、選択方法の変更という軽い問題意識だと理解できれば、立場の優位性を説いて自己弁護するなどの余計なガードが必要なくなるからです。
私の持論としては、依存が長期化する傾向として、【そこから動けないと思い込む】ことがあるのではないかと思っています(依存されている側もですが)。だから移動先を示して【こういう風に言っていいんだ】を獲得すると、軽くなっていく様に感じます。
わが家の場合は娘が【こうすれば、相手はこう動くはず】にとらわれ、人によってそれぞれの方法を持つ事でのみ、人とのつながりを持つという特異性がありました。
こうした方法は、基本的に演じる必要があるので、様々んな箇所で切り替えに戸惑ったり矛盾に苛まれます。そうして本人も常時気を張っているのでしょっちゅう電池切れを起こしたり、必要以上に自己評価を下げては落ち込んだり癇癪を起こしていました。
さらに問題だったのは、次男がその方法を真似するようになってしまったこと。
それまで自分の気持ちや欲求を、しっかりと自分の言葉で表現できていた次男が、急速に娘と同様の遠回しな方法に偏ったり、場面ごとに言葉を発せないようになってしまいました。
これらを解決するには、まず娘の自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)としての特性をお互いに理解する必要がありました。
拒否は存在の否定ではない
など極端な認知が主に引っかかっていたように思います。
その上で、なるべく落ち着いている時に次のように説明しました(次男はここからスタート)。
私『“こうすれば、お父さんはこうしてくれるはず”とか、“~~先生はむくれていると助けてくれる”とか、“大人はこうすればこっちを見てくれる”とかって考えたことない?』
娘・次男『うん。ある』
私『その通りにならなかったら傷ついたり、嫌な気持ちになってない?』
娘・次男『うん』
私『それって、ちゃんと口でお願いしたのかな?』
娘・次男『ううん、ちがう』
私『言葉で教えてくれないんだったら、大人だってわからないと思わない?』
娘『!』 次男『うん』
私『そういうのって、普通に言ったらダメって断られるかもって思うから、違うやり方で気がついてもらうんだよね?』
娘『!』 次男『うん……ん? そう!』
私『で、気がついてもらえないから余計に残念になる』
娘『!』 次男『うん』
私『お願いした時にダメってされるのは、君たちが悪い子だからかな?』
娘『……あ、ちがう』 次男『ちがう』
私『それができない時だから理由があって断られたんだよね?』
娘・次男『うん』
私『だから君たちが間違っていたんじゃなくて、君たちが“やってもらおう”としてやったやり方が間違ってたんだと思わない?』
娘『うんっ!(←合点がいったらしい)』 次男『あ、うん』
私『だったら、やって欲しいことは「こうして」とか、欲しいものがあったら「これほしい」とか、一緒にいて欲しいんだったら「いっしょにいたい」ってそのまま言葉にする方が、相手も分かるし断られる理由もちゃんと聞けるから安心だと思うんだけど』
娘はこの説明だけでもかなりの変化が現れました。時折、衝動性が高い時や体調が沈んでいる時などに【こうすれば、相手はこう動くはず】が出てくることがありますが、以前ほどの癇癪は起こっていません。
次男はまだ4歳後半と年齢的に幼く、一度で説明が通るとは思っていませんでしたが、買い物中のおもちゃ売り場でモジモジグズグズが始まった時(娘の真似が始まる前には見られなかったコントロール法)、上記の話を要約し
と言うことを二度ほど繰り返し、また眠たい時や体調不良時のモジモジグズグズに対しても同様に説いた所、ようやく合点がいったようです。
【関連記事】
]]>叱られた時に黙りこんでしまうのは、自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)に限らず、定型発達者(いわゆるふつう)の方でも、また大人でも子どもでもしばしば見られることだと思います。
特にその性質上、子ども同志の集まる場所では、伝染しやすい様な気もします。そして、特性上、自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の方は起こりやすく、深刻化しやすいのではないかとも思っています。
妻は幼い頃からこの感覚を持っていた様です。結果から先に言うと、妻はこの感覚を正確に認知し、自分の意思で塗り替えに成功しました。その後、同様な状態に娘が陥っていることが分かると、自身の感覚や体験を元に娘に説明し、解消することに成功しています。
彼女たちに何が起きていたか?
悪い状況に陥った時、対話をする意思はあるものの、しゃべり出す時の喉や気道の感覚から、それに近い『(あ、泣き出しそうだ)』と言う感覚を取り違えてしまう状態だったようです。結果的に言葉をしゃべり出せなくなり、沈黙を続けてしまいました。
特に必要以上に責任を感じていたり、そこにある事実が『0か100か』などの両極思考で極大化されている時に起こりやすい傾向にありました。
妻がこれをどうやってクリアしたのかと言えば、まず自分がそう言う感覚に陥っていることを自覚した上で、それがあっているかどうかに限らず【これは泣き出しそうなんじゃない。勘違いだ】と思い浮かべて決着をつけた事にあります。
娘にそれを説明した際は
意外とこれは一般の方の中にも、時折仕草となって現れている方を見受けられます。例えば気まずい状況になり、バレた時に反射的に目を逸したり、髪に触れる様にして手を顔の前に上げ、相手と自分の間の視界を狭めるなどの仕草です。
【相手の怒りの顔を見たくない】という心理もあるのでしょうが、私の持論としては相手への視界を狭めることで、相手から目立たないようにし、【見えないからそこに問題はない】と状況を整えているのではないかと思えることがあります。
もちろんこちらが見ないようにしたからといって、相手には丸見えなのですが、これは大人でも反射的に行う矛盾として持ってるようです。大人は大きくなって精神的に強くなったり、知識が増えることで常識的に行動しているようですが、幼少期に設定した選択方法は、意識しない限りそれほど変化していきません。
自分の視界を狭めることで、相手からも目立っていないように錯覚するのは、自分と他人との境界線が甘い幼少期に陥るパターンとよく似ています。
これらの系統としては、聞こえていないふり・頑なかつ大げさに関係がない事をアピール・怒鳴ることで言葉をかき消す・超逆切れで責任ごとひっくり返す……などといった方法論が考えられます。
ここでも責任に対して、両極思考などで極大化してとらえられていると取り付く島もない様に感じられますが、そうである場合はまず責任や自体の重大さを明確にする必要があります。
まずは普段から『あなたを否定するわけでもダメだというわけでもない、もっといい方法があるから聞いてくれる?』などの前置きを多用したり、何に対して不安を持ちやすいかを確認しておくことが重要です。
実はこのパターンでの沈黙は、周囲に伝染しやすい性質があります。なぜなら、この方法は性格や人間性の問題以前の、選択方法の一つだからです。性格や人間性を変えるのは難しいですが、こうした選択を取り入れるのは簡単です。特に消極的で効果が見込めるものや、独特な刺激をもつ選択はスッと入りやすかったりします。
わが家では娘がこの傾向が強く、次男に強く影響を与えましたが、逆にただの選択であったことから、そこさえ分かれば自覚させることは容易でした。
ASD当事者の場合は、その特性や気質から問題を大きくとらえてしまい、【あやまる】などの行為が、是か非かの断罪の場であるにとらえて萎縮してしまったり、【許してもらうなんておこがましい】と自己評価を下げた状態で萎縮してしまうことがあります。
それとは抜きに、【怒らないから言ってみなさい⇒理由を告げる⇒何でそんな事したんだゴッハァ!】と、逃げ道を失わせる叱り方をしている人に、本人が諦めているなんて状況もあります。(さらに『言わないと怒るよ!』の合わせ技で、ダブルバインドを見事に形成する方法を無意識に行うマッドな方も……)
どちらも本人が何故『なにを言ってもムダだろうから』と考えるようになったのかが重要になります。
娘もいよいよ保育所を卒業する。最近は連日卒業式の練習が続いていた。
本人は非常に安定している状態で、姿勢の良さや返事の大きさが褒められることが多く、『ほめられた~』と帰宅する度に教えてくれた。
そうまで言われ、彼女は非常にやる気を見せていた。
状況的には自分のやるべき事も理解していて、かつ、努力もしている。親としては褒めるべき案件の様ではある……ただ、そこでひとつだけ気になる点があった。
よく自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)を理解されていない方からは、こうして娘がそとでハキハキと返事をしたり、周囲と同じ行動ができているのを見て
と言われることがあります。確かにそこでは褒められるほどの行動をできているし、本人も努力しているわけですから、違和感に気づくことはないでしょう。
一般的には自閉傾向自体、“物静か・しゃべらない”だと思われている方も多いので、よく間違われるのです。自閉症スペクトラムは【自閉症と連続(スペクトラム)している障害】ですので、ここを取り違えられていると大きく誤解されてしまいます。
今回の娘の場合も、家族以外では何が起きているのか、まず気が付ける人はいないでしょう。
わが家では娘と以前までの妻によく起こっていました。一見上手く立ち振る舞えているようだし、本人もそこに加わろうとするので安心していると、その後に激しく疲れていたり余裕を失ったりしてしまう。
言動も大きくズレているわけではないし、無理をしている様子もない。むしろ楽しんでいる様なのにどうして?
ここがなかなか分かり難い点でしたが、今まで彼女たちの特性を見てきて、また妻が乗り越えていく姿を見て色々と分かるようになってきました。
今回の娘の場合もここに起きていたズレについて、本人に幾つか確認しただけで抑えられたのです。
人間関係に苦しくなってしまう原因として、一般的な定型発達者も陥るポイントがあり、彼女たちの場合はASDの特性としてそこに大きくとらわれて問題となっていたようです。
人は自分の欲求に対して、どう行動するかでその社会性に個性の出現や対人問題などが起こっています。
そのほとんどが
【自分がこうしたら相手はこう動くだろうと思って行動した】
という欲求へのアプローチに、相手が思い通りに動かなかった時に起こるものだと言っても過言ではないでしょう。
今回の娘の場合は、卒業式というイベントに対して、他の子と同じ行動をさらに上回って頑張っているように見えていますが、彼女の狙いは他の子とは違っていました。
ここにばかりとらわれ、自分の卒業式というものに対し、実感すら持てていない状態でした。彼女の努力は、ただただそこにいる大人に“褒めさせる”というコントロールにとらわれていました。
こうなると思い通りに褒められなかったり、他の子が褒められた場合に彼女は焦り、“自分の方が!”とパワーゲームに陥ってしまったり“これだけやってもダメだった”と自己評価を下げる事につながる可能性が非常に高くなります。
問題は自分が行うべき行動の本懐ではなく、そこにいる周囲と自分の関係性に注意が向けられていることにあります。
上記のコントロールで考えれば、【人の目ばかりを気にする】という個性は、性格や生まれつきの物ではなく、自身の創りだした【選択】だと言えるのではないでしょうか?
性格や個性は治すのは難しいですが、その選択を改めるのであれば大したことではありません。
彼女との会話は次のように行いました。
私『最近、保育所で卒業式の練習頑張ってるんだって?』
娘『うん』
私『姿勢がいいって褒められたりしているんだよね』
娘『うん、きょうもほめられた!』
私『じゃあ、これから話すことも、君がダメだとか君が間違ってるっていうのではなくて、もっと楽になる方法があるから聞いて欲しいんだけどいいかな?』
娘『うん』
私『今、練習で姿勢やお返事を頑張ってる時、先生に褒められることだけ考えてない?』
娘『あ、うん。えへへへ……』
私『練習ってなんのためにやってるんだっけ?』
娘『うーん、じぶん……のため』
私『(あ、分かってねぇな)うん、そうだね。自分が卒業式のその時に、間違えたり次やることが解らなくて不安にならないようにするためだね』
娘『あ、そっか』
私『(やっぱりか)練習はだいたいどんなものでもそういうものだよね。間違えないように上手くなるように、解らなくて不安にならないようにするためにするんだよね』
娘『うん』
私『そこでさ、褒められることばかりになってたら、卒業式本番で緊張しちゃって“次どうしよう”ってなっちゃいそうじゃない?』
娘『うん、すごく。こまる』
私『そうだね、だから今は褒められることじゃなくて、“自分の卒業式を大丈夫にするんだ”って思って、先生の話をわかろうとしたり覚えようとすることに頑張ったほうが良くない?』
娘『うん!』
私『うん、そうなると緊張しちゃっても大丈夫かもしれないね。あと、ついでになんだけど……』
娘『うん?』
私『最近その“褒められよう”って保育所で頑張るようになってから、お家に帰ってきてもそのままになってない?』
娘『……!』
私『お家は何するところだっけ?』
娘『らくにするところ。やすむところ』
私『うん。だから君は君のまま好きなことをして、心を楽に休んでいればいいんだ。褒められようとする意味はあるかい?』
娘『ない』
私『自分の事は自分の事。人に褒めてもらう(評価される)ように考えない方が楽だよね』
になっていたわけです。これは少しでも思い通りにならなければ、他力本願なため自力で満足は得られません。その憤りを抑えるために正しい目的と選択を意識させるようにした形です。
途端に家でも引きずっていた違和感が解消され、肩の力が抜けたのが確認できました。
この形は他のイベントにも有効ではないかと思われますし、何度も繰り返すことで自分でも本懐を意識出来るようになる可能性があるのではないかと考えています。
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]]>・とにかく進めて、物事を減らしてから考えようとしてハングアップ
※現状からハッキリさせたのは、現状の異変に起こしている動揺を明確にすることで、不安感を低減できることが多いから
パターンが分かったら、『わからない・ふあん・困った』を感じた段階で本人に明言してもらったり、慣れるまではこちらから『愚痴っとく?』など補助をした
『ええー、上手くできるかなぁ』
番外:悪い人・怖い人相手なら逃げて良し
⇒逃げるべき、自分を守るべき正当な状況も一応押さえる
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]]>【1:次男もASDの可能性】
どれだけの深さを求めるか
不安感が伴うと関係にまで影響するほど神経質になる
目を合わせなくなったり会話が出てこなくなる
長男の場合【自分は自分、人は人】
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]]>“間違えたくない(否定されたくない)”と───。
娘が今回、我に返り自身の行動に自覚を持てた理由。それは“たった今、そうしている時”に薄い意識で従っている、本人独自のルールの様な物を感覚的ごと思い出せる言葉で表し、“たった今、そうしている時”の状況が擬似的に起きている中で指摘されたから
【つづき】⇒アスペ妻の記録~卒業~
]]>これは知らない人で、家族ではない。
【つづき】⇒アスペ妻の記録~当事者意識~
]]>解ってるよ。解ってる。まだ6歳なのだからわからないことも、その幼い我が子にこうして翻弄されている私が情けない大人であることも認識しているさ。だからといって、放っておいたって、それを自然と理解していくなんて保証はないし、そうされることを許さないのは君自身だろう!
そこでパニックになるとかは起きなかったんだけど、家に帰ってきたと思ったら、一気に安心して気が抜けちゃって感覚が鈍くなってたと思う』
【つづき】⇒アスペ妻の記録~人間関係のジレンマ~
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]]>【つづき】⇒アスペ妻の記録~師走の悪夢~
]]>という方がいました。
というひとつの特性の存在です。
あなたが動揺したり不安に感じた所で、体調が悪い事実は変わらないし、合理的な解決にはならない
でも、もし、~~やってくれたら早く休めるから助かる
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]]>彼らの意見には耳を一切貸さず、娘は聞こえていないふりを続けていた。
彼女の意識はボールに向けられ、普段仲良くしている子達の抗議も、今の状況の一要素(部屋の壁紙くらいの位置)程度として意識問題から遠くなっていた。ストレートに言えば、彼らの抗議に【困った】事だろう。
・こういうのは、やらなくても、結局はやることになるからやる
【褒める】よりも【認める】ということでしょうか。
ちなみに最初からルールへの感情的抵抗を必要以上にみせたり、反対意見の主張に偏っている時は、純粋にその項目を【やりたい・やりたくない】ではなく、最初に彼女が発想した意見と【異なる】ために、内容の吟味なく反射的に否定していることが多いのも特徴です(本人は表面思考でその心の動きは自覚できていないことが多い)。
この場合、何かしら実際に触れることで、今までの感情的な行動が嘘のように消えることがあります。否定するのも肯定するのも自由ですが、どちらにしろ何らかの【納得】がない限り、反抗した感情だけが残ったり、【こうすれば、こうなる】という選択になってしまう原因になります。
この【納得】が勝負どころだったりします。
どこからスタートするかは関係ない。それにボールが取りたいとかそんなんじゃなくて、外野にいたら外野の仕事、内野にいたら内野の仕事をやらなければ、ゲームにはならない。
要約すれば
※この記事はズブズブの素人がまとめていますので、科学的根拠もありませんし、データとして信頼性のある人数からリサーチしたものでもありません。あくまで私の周囲という狭い範囲での記事です。
また、これに当てはまるからといって、ASDである事の根拠にはなりません。
会話成立不安型
会話成立不安型
⇒想定不足・防衛的
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]]>【つづき】⇒アスペ妻の記録~刹那の世界~
]]>それに運動をして、体の疲れを感覚としてちゃんと憶えようとしたのも良かった。体の疲れと思い込みの疲れと違いが分かるようになった。』
そこから【今、一番何をしなきゃいけない時間なんだろう?】ってシンプルに考えるようにして、他を切り捨てられるようになった。前は使命感に追われながら、他の物事まで段取りに組み込んでてハングアップしてたから。実はその時すでに疲れを感じていたんだと思う』
(※1ジョギングについての過去記事⇒18:アスペ妻の記録~最低限の体力~)
(※2スケジュール帳についての過去記事⇒55:アスペ妻の記録~問題の先送り~)
その時は【人間やめたい】って思ったりもしたけど、その後に【これで失敗してたんだから変えなきゃ】って気がついて、変えてみるとその通り楽になっていくのを感じた。ある時から楽になる事の方が実感が強くなって、そこまで抱えなくなった。この辺りは今だから思うけど、本当に長男と娘と似ていたと思う』
不思議と“こういう時に私は不快になるけど、それはこういう風に感じていたからなんだ”と分かることが増えてきたら、耳栓とかがなくても少しずつ平気になってきている』
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⇒【WISC-Ⅳ】アスペルガーな娘が知能テストを受けて分かったこと
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]]>【つづき】⇒アスペ妻の記録~娘、ぶり返す~
]]>【合わせている事を悟られないようにする】という問題化しないための習性
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]]>※対応策と詳細はこちら
⇒注意されると極端に落ち込む│自閉症スペクトラムの両極思考のスパイラルと叱られ耐性
【そして、自分にいいことをしようとしてくれたのだから、“ありがとう”と思うのが正しいと多くの人は考えている。だから従わなくても良いから“教えてくれてありがとう”と思う努力はしよう】
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