アスペ一家 つかず離れず http://asdweb.net ─ASDでACの妻と、アスペルガーのこども2人を持つ定型夫の研究帳 Tue, 23 Jun 2015 09:54:36 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=4.8.25 何かしていないと落ち着かない│アスペな兄妹の不安処理ミス http://asdweb.net/nothing-to-do http://asdweb.net/nothing-to-do#respond Tue, 23 Jun 2015 09:54:36 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[手記]]> <![CDATA[具体策]]> <![CDATA[妄想]]> http://asdweb.net/?p=3325 <![CDATA[次男(定型:いわゆる普通)が成長してきて、長男や娘の自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)としての特性が、対比することで分かりやすくなることが多くなってきています。 今までは上ふたりの事で必死で、幼いころの自分がどうで […]]]> <![CDATA[

次男(定型:いわゆる普通)が成長してきて、長男や娘の自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)としての特性が、対比することで分かりやすくなることが多くなってきています。

今までは上ふたりの事で必死で、幼いころの自分がどうであったか、対比するのは難しい部分もあったのですが、次男のお陰でアプローチすべき点が見えてきたのです。

その中でもハッとしたのは、次男には【何もしていない時間がある】という事でした。

やることが特にない時は、好きなおもちゃを手元に置いて、ボケーッと見ているような見ていないような夢想の時間がある。……そう言えば自分も子供の頃、こういう時間があって、色々とその日にあったことを思い出していたり、ちょっとした想像で遊んでたっけなぁと。

では、上ふたりの場合はどうかというと、テレビが流れていても、ちょっと興が冷めると玩具やマンガなど意識を向けていられる何かを手に取りに行きます。そうして、常に何かの作業や意識の集中を自分以外の何かに向けている。次男の過ごし方を見ていて、そこに気がついてから、上二人のフリーズやパニックに関わるいくつかの謎が解けたような気がしました。

まだ、実践途中ですし、確かめながらなので正しいかどうかは分かりません。ただ、わが家のASD当事者たちには広く応用が利きそうな視点なので、まとめてみたいと思います。

※この記事はあくまでわが家の子供ふたりの特性についての記事です。全ての自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の当事者に言えることではありません。まして、似ているからといって、ASDであるという事の根拠にはなりません。

不安感の分別不足

その時の心理状況などにもよりますが、コンディションとして安定していない時期であったり、不慣れな環境になどで動揺することがあった後など、急に『手持ち無沙汰』に不安を感じるようです。

この不安は面識のない距離の遠い人物より、親しくてより自分を知っている人間などがいる場合に多い気がします。

次男は現在4歳。ちょっと前までは、実はこれに似た反応が彼にも見られた時期があります。疲れていたり体調不良時には、急によそよそしくなり、常に周りの大人の出方を見るような緊張状態を作る事がありました。

しかし、彼はある一時期を境にこの反応を見せなくなります。

彼が感じる【体調不良の不安感】と【注意されたり嫌われる時の不安】など、様々に感じる不安の種類を分けて感じられるようになった辺りからです。つまり、以前は別離不安などとは関係のない別の不安感を感じた時、その不安感が何であるかを分けられずに、全てに対して不安な気持ちを持ってしまっていたのではないかと。

─── 不安感の分別不足。

そう言えば最近は大分治まっていましたが、長男と娘も体調不良になる数日前から不安症な状態に陥ったり、別離不安が大きくなったり、しなくていい気遣いをし過ぎて潰れてしまうなどがありました。

もしかしたら、何らかの小さな【不安】の発生が、親しいに人物への不安症様な反応に出ていたのかもしれないと考えると、彼らの行動に腑に落ちる点が出てきます。

手持ち無沙汰の裏の不安

【良い・悪い】の両極にすべての物事が、それはもうハッキリと分割されていた彼らの幼児期は、“気にするほどの事でもない失敗”も激しい自責や絶望感につながっていました。

その責にばかり心奪われ、実際にはその失敗がどれくらいの事で、なにを問題視すればいいかには目が向けられていませんでした。もちろん、それは幼い子供であれば誰にでもあることですが、そこに思考の猶予や余白がなければ、理由も分からないまま失敗に怯える事になります。

そうしてふたりは自己評価を落としながら、全ての評価は相手がするものであると、繰り返しの中から学習していきました。

何が良くて何がどう悪いのかを持たなければ、採点は相手次第。そうなると必然的に出てくる行動・選択は【失敗を見せないようにする・良い事だけを紡ぐようにする】といった表面的対外的な対処です。

何もしていない時は、自分のたたずまいが合っているかどうかが分かりません。だから余計に人から評価されることが怖くなります。

それを埋めるには【やっても良いと確定している事】や【無難だと思われる事】だけを繰り返して、むき出しの自分を評価されないようにする方法が最も手軽です。しかし、そうして繰り返している間は、ただ気がそれているだけで、そこに感じている不安からは逃れられていないどころか、忘れることもできない状態になっています。

……そこに何もないのに、不安が生まれてくるひとつの要因ではないでしょうか。実際、それほど人は人を見てはいません。自分の感じる不安をフィルターに、他者からの視線を気にしている状態です。

不安の分別の対応

何らかの問題が未消化な時、そこに思考は向けていないはずなのに、どんどん思考のメモリを奪われてフリーズに陥っていた妻。実は彼女のこの特性も、不安の分別不足があったのかもしれません。

他への不安が分けきれずに様々な事への不安になってしまう。

彼女のこの特性に有効だったのが、全て紙に書き出して視覚的に把握し、それに対する対処をそこで決めていくというものでした。要は問題の全体把握と未解決(不安)の分化です。

同様に長男や娘が、原因不明の不安感から、急に人によそよそしくなったりしていた時にかけてきた言葉は

お家はラクにする所。家族はただいるだけでいい。何もしなくていい・考えなくていい

人は人、自分は自分。人が自分をどう思うか自由だし、自分が人をどう思うかも自由。

といったものです。分別しきれていない不安を浮上させない点において、一定の効果が見込めました。しかし、一度強い不安が生じれば、抑えきれずに一杯一杯になってしまうのも事実です。

では、どうすればいいのか。

答えは妻がこうした事を超えてこられたことにあるのではないかと考えています。彼女は不安を感じた時に、それがどうして不安で、どういう風に解釈すればいいかを積み上げてきました。

10歳になる長男にこの【不安の分別不足】を話した結果、非常に早い復帰が見られました。まだ幼い娘は、もう少し補助が必要ですが、不安のコントロールには役立って来ているようです。実際の評価はどうあれ、どんな時にどんな不安の分別不足が起こるかが分かっていれば、思いとどまるための取っ掛かりになるかもしれません。

“ああ、これは~~が不安なだけだ。今は関係ない”と。

まだ途中段階ですが、久々に大きな手応えを感じられたので、ここに書き残しておきます。

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小学3年生:よそよそしい・人を気にし過ぎ解消のまとめ│アスペルガーな長男 http://asdweb.net/1st-age9-matome http://asdweb.net/1st-age9-matome#respond Tue, 16 Jun 2015 12:23:14 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[軽度アスペルガーな長男]]> <![CDATA[長男小学3年]]> http://asdweb.net/?p=3314 <![CDATA[人の目を気にしすぎて、【人といたいのに、人といると疲れる】という性質のあった長男。自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)としての自閉傾向はかなり軽い彼の、最も大きな峠であったと思います。 現在は小学4年生。彼にとっては […]]]> <![CDATA[

人の目を気にしすぎて、【人といたいのに、人といると疲れる】という性質のあった長男。自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)としての自閉傾向はかなり軽い彼の、最も大きな峠であったと思います。

現在は小学4年生。彼にとっては人間関係の問題のほとんどが、この性質であったようで、今は逆に問題を見つけるのが難しいくらい伸び伸びと暮らしています。

ほぼ、この性質の特定から解消までが、彼の社会性の問題のまとめとしても、過言ではないかもしれません。

問題になりやすい点

【人といたいのに、人といると疲れる】という性質は、外ではあまり問題になりません。衝突することが少なく、また、離れてしまえばそこまでだからです。しかし、家庭ではそうもいきません。

家族といる限り、【上手くいくか・良く思われるか】と【ダメと言われるか・どう思われているか】など両極な思考にとらわれ、そこにいる相手からの評価を気にし過ぎて、リラックスできる状態を作り出せなくなります。

全てを受け入れて安心させるなどは、全くの逆効果で【もっと刺激的なコミュニケーションを】とか、【この前の心地よかった所まで出来ないと不安】と、満ち足りることも境界線を引くこともない関係に進んでいこうとします。

逆に理想通りでない関係に終わった場合は、【どうしよう】ばかりがグルグルと回り出し、相手の動き一つ一つに関わる隙がないかを探るようになります。

【どうしよう】の流れは実際に問題が起きなくても、何らかの不安・疲れ・本人も忘れている意識外の未解決問題・体調不良などでも発動し、一度気にし始めれば自分では止められない状態に陥ります。ここまで来ると、話しかけただけでフリーズを起こすので、会話での解決は難しくなります。

人目を気にする様になった発端

思い当たる彼の言動を遡って行くと、おそらく【人といたいのに、人といると疲れる】の発端となった“何か”が始まったのは、2歳中頃くらいだったと思われます。

─── “良い”と“悪い”の間に、全く段階のない両極思考

全ての行動・選択を“良いか悪いか”で白黒つけてしまうため、思っていた事実と少し違うだけでも、大きく【悪い】と処理されていました。そうして、それがどれだけズレている事なのかを感じることがないため、それが“許されるか・許されないか”そこにいる相手に判断させる方式に定着していきました。

もちろん、こうした両極思考のような段階のない白黒は、2歳児くらいであればほとんどの子が持っているでしょう。通常はそこから人の反応や、現実に起こったことから【どこまで・どれくらい】などの、ボーダーを獲得して自分で判断をしていけるようになっていきます。

しかし、彼の場合はここで“許されるか・許されないか”を人に預けてしまう選択を取ったため、【どこまで・どれくらい】といった自分で判断するためのスケール獲得に遅れをとりました。

人といる時に常に人の行動を気にしていて、例えば自分がテレビで笑った場合でも、一度他人の顔を見て笑っていいかどうかを確認するような、人目を気にし、人に合わせる行動・選択への偏りはここから始まっていたのではないかと思います。

そうであったと仮定すると、彼の今までの行動ほとんどに、説明がつくようになったのです。

……確かめようはありませんが、でも、本当にそうであった場合、彼は実際の環境に関係なく、ひとり【過干渉を受けているのと同じ世界】にいたということになります。

対策1:自覚と実感を促す

彼は自分を評価できる人物が近くに来た場合、何かジッと集中できるタイプの作業や姿勢を取りながら、とにかく相手に意識を向け続けます。

・笑顔で居るかどうか(笑顔でなければ友好ではないと考える)
・話しかけてくれるかどうか
・遊んでくれるかどうか
・相手は元気か(笑顔の確かめと近い)
・自分が今やっていたことは良いか悪いか
・どうしていれば良く思われるか

……などなど。

これらはその時、本人には自覚がありません。そうすることだけになっているので不都合は感じませんし、自覚がないのでそうする事で起こる弊害や自分の疲れにも因果関係を感じることがありません。

相手に過剰な意識を向けることに、その時は問題意識を持ってはいないのです(問題化してしまうと後悔することで気がつくが、次に備える事も起こらない)。

因果関係が成立するには、原因と結果がつながる事が前提ですが、自分がとっている行動に自覚が無ければ、頭の中で理論として分かっていても気が付かないうちに失敗になってしまいます。

ここで失敗を指摘されると、さらに自信をなくして人目が気になり、負のスパイラルに陥る場合があります。

彼に取った対策の最初の段階は【指摘】です。

今、お父さんがあっち行ったり、こっち行ったりしてるのを、ずっと感じようとしてなかった?

今、ジーっとしながら気が付かれないように、人の様子をうかがってなかった?

ここでの指摘がピンポイントであればあるほど、自分がそうしていた実感につながることが多いようです。とは言え、人の感じている感覚や無意識の行動を、言葉で言い表すのは難易度が高いものです。

タイミングは【なぁ~んか、静かだな】という時に声をかけます。違っていれば『ごめ~ん、ならいいんだわ。そうなっちゃうと疲れちゃうから一応ね?』と、声がけ自体にも断罪などの意図がない事を前に出しておきました。

何度でも言い方を変えながら、時には【正解? ハズレ? 近い? 遠い?】など、どれくらいかを聞きながら精度を合わせていくのも有効でした。

言葉で言い表せられると、その後の自覚や実感の強さがグッと上がるようです。この特徴は妻や娘でも多く見られたポイントでした。

対策2:出会い頭の詮索を止める

どんなに思いとどまれるキーワードを見つけても、最初の思いつきや発想が刺激的で、それだけになってしまえばそれを思い出す事もできなくなる危険性があります。

こればかりは両極思考や表面思考など、自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の特性も関わってくるので、長い時間が掛かるかもしれません。

しかし、問題として起こりやすいタイミングに、より強く理由が明確な発想が先にあれば、無意識のうちに気を奪われるタイプの習慣に刺激が勝る場合があります。

【相手が部屋に入ってきた時、顔を見ない】

長男にはこれを短期集中的に行なってもらいました。出会い頭での両極端な感じ方が、そのまま人間関係の距離として、それ以上の刺激が来ない限り続けられてしまうからです。

まずは意識をすぐに向けて、その一瞬で事実を決めてかかってしまう性質に楔を打った形です。

期間は2週間程度、明らかに スタート時からの失敗が減りました。同時にスタート時のつまづきがなくなるだけでも、かなり人目を気にする性質が大人しくなる事が分かりました。

対策3:【人は人、自分は自分】

対策2でスタートの失敗が減ったものの、これだけでは体調不良時やメモリが低下している時の、彼の性質は止めきれませんでした。

そんな中、彼を見ていて浮かんだ仮説がありました。

人目をただ気にしてしまうのも確かにあるが、余裕が無い時に悪化するのは、思考メモリが低下して他人との距離感をハッキリできなくなっているからではないか?

今まで妻がこういったメモリ関連での問題を超えてきた時は、【意識すべき項目の明確化・ルール付け】が大きなポイントとなってきました。

メモリを奪っているのはひとつのことだとは限らず、本人がそれらを認識していないことが多かったからです。そういう場合はひとつひとつの対策を練るのは不可能です。

そういう時は、なんらかのルールを強く意識しておくことで、思考に方向性を持たせる様にして、混乱を防ぐのが最も早く効果的な対策となりました。

長男の場合もこの対策に当てはめ、いくつかのルールを含めたキーワードを設定したのです。

人は人、自分は自分

この言葉には次のようなルールが含まれています。
人が何をしようと、何を考えていようと、その人の自由
自分が何をしていようと自由
人が自分をどう思おうと自由
自分が人をどう思おうと自由

ただし、相手が嫌がる場合は止めるべき

これらのお互いが確保されるべき自由のルールを説明し、納得がいった所で、【人は人、自分は自分】という言葉でまとめられることを説明。ふと、人の行動が気になってしまった時に、【気にしてしまった!】ではなく、【人は人、自分は自分】と頭で唱えることをルールとしました。

さらに、いきなりは難しいかもしれないとも思ったので、最初に追加で条件を付けました。

気にしちゃったり、勝手に不安に考えても、10分以内に【人は人、自分は自分】を思い出せればよい

この追加条件は、思い出した途端にゴールが見えるので、かなり大きな安心感につながったそうです(本人談)。

集中に逃げられる遊びや作業の禁止

これも【出会い頭】のルールと同じく、短期間に行なった対策の一つです。

どうしても人目が気になってしまう期間が続き、精神的にも追い詰められている時に、彼は何か集中できる遊びや作業に没頭しようとします。

しかし、実際は没頭しているわけではなく、意識はどこか【気にする】ことからは離れられておらず、その作業を中断した途端に“さっきまで、昨日まで、いつもは、どうやって相手の前で過ごしていたんだっけ?”と、急転直下のパニクに陥る危険性が高くなります。

……眠れない時に視線の置き方や、舌の置き方、意識の置き方を意識してしまって、余計に眠れなくなるほどの集中力を生み出してしまうのと似ているかもしれません。

短期集中的に、そういった集中に逃げるのを抑えるわけですが、その時にもひとつのキーワードがポイントになります。

“何もしていない”事に慣れてしまえ

これもわが家の自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)当事者の3人に共通していたことなのですが、とある感覚が実際に不安を感じていると取り違えている様子が合ったのです。

人といる時の【何か追われる様な使命感】は、もしかしたら間が持たない時や、やることがない時の手持ち無沙汰を、不安な気持ちと勘違いしているのではないか

3人共、この観点に気がつくか、この観点に陥らない様なキーワード付が成功した時に、人目を気にしすぎる性質が治まった気がします。そして、家でクリア出来ると、そのまま外の生活でも同調して行きました。

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アスペルガーで疲れやすい・辛くなりやすい方のチェックすべき点 http://asdweb.net/tiredness-misconception http://asdweb.net/tiredness-misconception#respond Fri, 05 Jun 2015 09:39:32 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[手記]]> <![CDATA[おすすめ]]> <![CDATA[具体策]]> <![CDATA[実際の思考]]> http://asdweb.net/?p=3309 <![CDATA[以前、妻の疲れの原因について、記事にまとめたことがありました。その中の項目で“【疲れ】の定義が曖昧”(アスペルガーの人は疲れやすい?│体調の変化と認知の対策 より)という部分に関して、何度かご質問をいただいたことがありま […]]]> <![CDATA[

以前、妻の疲れの原因について、記事にまとめたことがありました。その中の項目で“【疲れ】の定義が曖昧”(アスペルガーの人は疲れやすい?│体調の変化と認知の対策 より)という部分に関して、何度かご質問をいただいたことがありました。

実際の肉体的・精神的な疲れではなく、それ以外の何らかの身体の変化や、モヤモヤに不快感を感じ、それを疲れだと誤認していたケースです。

今現在、娘がちょうど突入し始めた時期なので、そこのジャッジに携わる自分のリハビリ目的に。妻とのやりとりで起こったことや、娘に考えられるポイントとタイミングを、出来るだけ具体的に思い返してまとめてみたいと思います。

妻の疲れの誤認のパターン

例えば妻の場合、最も疲れと取り違えられやすく、気分の低下や落ち込みを作っていたのは【気が抜けた】という感覚でした。

何かの作業が終わったり、帰宅してソファに座った瞬間に“ストン”と気が抜ける事で、【自分は疲れている】と感じ、【休まなければならない】と言う使命感や【どうしてこんな事で疲れているんだろう】と自分を薄っすら責める事がありました。

夕方以降の落ち込みが激しく、その後の活動が億劫になったり、本当に動けなくなる様な日が続いていたようです。

妻の場合はまず口数が減り、眉間に力が入った不安そうな不機嫌そうな顔になり、あらゆる返答が滞るのでパッと見はただの【不満の塊】の様にしか見えない時期もありました(こちらが一緒に過ごす場合、原因分からないままこれが続くと、“この不機嫌な感じ、もしかして自分が何かしたのかな?”と自分を責め始めた時が苦痛を感じやすい)。

その疲れは、本当に疲れているという感覚なのか?

他人がここまで踏み込めば、その認知のズレが分かりますが、長年それが常識である状態で過ごしていた本人は、その感覚に実感がある状態で指摘でもされない限り、まず気が付きにくいものです。

【今、○○って気持ちになってない? それって、~~って感覚じゃない?】

【~~ってなってない? それは○○って事だと思うんだけど、どう?】

などの声がけが効果的で、一度その認知のズレに気がつけば、すぐに思い直しが利くので短期間での変化が見られました。
どの感覚を何であると感じているかは分かりませんが、感じている感覚に違いはありません。今起きているであろう感覚を、擬音や手振りも交えながら、なるべく具体的に投げかけるのです。

例えば妻がソファに突っ伏していた時に掛けた言葉は次のような感じでした。

『今、“終わったー”って、ソファに座った時、肩の力が一気に抜けなかった? それは“気が抜けた”なのかもしれない。それなら動けないって事じゃないから安心して。

それとも、ソファに腰掛けた時、腰の辺りからズンっと重たくなる様な感じがした? それだと本当に身体が疲れてるのかも、その場合はちょっと横になって休んだ方がいい

……で、どっちに近い感じ? それとも全く遠い?』

娘の疲れの誤認のパターン

娘の大きな特徴は両極思考です。良いか悪いか、0か100か、白か黒か。人間関係にもそれは注がれていて、【良い=褒められる・なんでもできる・好きなようにしても許される・完璧・特別】であり、【悪い=知らない・分からない・出来ない・注意される・怒られる】とバッチリ分かれています(ただし、安定している時はそれほどでもない)。

彼女は疲れてくると特に【悪い】を避けようとするため、【教える・指摘・アドバイス・提案】なども全てが悪い事になるため、極力自分を隠しながら【目立たないよう・ふつうでいるフリ】に最大の集中を向けるようになります。

つまり、少しでも疲れを感じた瞬間から、【目立たない・ふつう】という定義の曖昧な事に集中するため、オープンクエスチョンと同じく困惑を繰り返すことになるのです。

現在、小学校1年生。疲れやすいのは当たり前ですし、様々に認知のズレでハンデを負っているのですから当然といえば当然なのですが……。
しかし、ここにも単純に【疲れている】と言い切ってしまっては、本人が気が付けない多くのズレがあるようです。

娘が小さな疲れから一気に両極思考に傾く理由は、妻に投げかけていたような、とある声がけで解明できました。

疲れた時の身体の感じが、不安な時や困惑している時の、胸が窮屈な感じに似ている

彼女は疲れを感じた瞬間から、【注意されている時】などに感じる、両極思考の【悪い】に陥っている時の感覚と誤認してそのまま呑まれていたのです。
だから行動や言動は【目立たないよう・ふつうでいるフリ】など、他人の評価を気にしたものに偏りきっていたのです。

さらに妻と同じく【気が抜けた】という感覚をはじめ、様々な感覚が【疲れた】と誤認させていることも分かってきました。

ありがちな疲れと誤認

複数の処理するべき項目がある時、その考え事にどれも一定の完了を作らず、複数同時に先送りしてメモリ不足に陥った時の思考の閉塞感。

どんな立場でいればいいのか確かめず、表面的にその場を取り繕い続けた時の、緊張感からの解放。

過集中から猫背になり、呼吸が浅くなることで生じた閉塞感に後から気がついた時。

長時間の外出で日焼けをしたり、肌が埃っぽい状態になっている時など、不快に感じていてもその因果関係に思い及んでいない場合。

何らかの緊張から、姿勢や表情などがこわばっていて、ふと気が脱けた瞬間にその周辺の筋肉の突っ張った感じに気がついた瞬間。

など、様々な場面と理由があるのですが、これらが疲れの原因となったり、誤認されるにはわが家の自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)当事者たちの場合、一定の条件があるようです。

【不快感とその理由が結びついていない】
【その不快感や疲れと感じているものが“どれくらい”なのか見当をつけていない】

この2つの決着がついていないまま、ただ不快感だけが渦巻いている時です。

わが家での対処

認知にアプローチする場合、共通することですが【自分がこういう時、どうなっているか】を理解することが第一歩だと思います。

妻のケースで言えば

1:いつも夕方になるとどういう状況になっていたか

2:それによってどんな影響が起きていたか

3:その時、身体や心に何らかの感覚はなかったか

4:あるとすればどう言葉に表現できそうか

5:その感覚は【疲れである】と定義できるのか

という最初に感じた不快感の詳細から、それを表す言葉を見つけ、疲れの定義と比較してきました。ほとんどの問題は【気が抜けた】という感覚が、疲れそのものだと誤認していた部分が解消された時に解消されました。

その他の体感覚や状況によって変化した、過敏さなどの影響をこの流れで明確に定義付け出来たことが大きかった様です。

運動などで肉体的な疲れを、明確に理解した時も、大きな進歩が見られました(最下部の関連記事参照)。

さて、娘の場合ですが、今、娘はまだ自分の気持ちを、つぶさに言葉に出来るほどの年齢ではありません。

しかし、長男が同じく一年生の頃、自分の体感覚の変化に気がつけず(感覚鈍麻)、不安感に飲み込まれてパニックを起こしていたり、薄っすらとフリーズし続ける状態が起きた時もこの問題にぶち当たっていました。

長男は表情に余裕が無い時、『具合が悪いんだね、休んだら?』とか『疲れた? お部屋で休む?』などの声がけをすると、何も考えずに従ってしまいました。結局、なぜ自分が不安になったのか分からないままなので、具合が悪くなる度に理解できないまま押し潰されていました。

その時も

【不快感とその理由が結びついていない】
【その不快感や疲れと感じているものが“どれくらい”なのか見当をつけていない】

この2つの決着がついていないまま、ただ不快感だけが渦巻いている時でした。

ここは娘と長男も共通している所で(長男は今はもうクリアしているが)、“助けて”を言えないのは、何から助けて欲しいのか本人が理解できていないからではないかと。

その時に自分の感覚を分析しようとするのは、自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の特性として、自分の感覚に鈍いという弱点があったのです。これに対処するには、様々な感覚をズバリ指し示す言葉があると、選択するだけで済みます。
妻と長男は問題なく無駄な誤認などが起きなくなっています。これからは娘の感覚をひとつひとつ言葉にしていく作業になりますが、今のところ妻や長男のデータがあるので、私の容量を超える難易度にはなっていないようです。
【関連記事】

アスペルガーの人は疲れやすい?│体調の変化と認知の対策

ショッピングモールなどで疲れやすい│ASDソーシャルスキル

旅行疲れが抜けない・立ちくらみが酷くなる│アスペ妻のストレスと自律神経の話

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思考力確保のための小ノート法│アスペ妻の具体例的な使用例 http://asdweb.net/mini-note-method http://asdweb.net/mini-note-method#respond Mon, 01 Jun 2015 08:20:13 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[手記]]> <![CDATA[おすすめ]]> <![CDATA[ソーシャルスキル]]> <![CDATA[具体策]]> <![CDATA[苦手]]> http://asdweb.net/?p=3301 <![CDATA[何度かメールでお問い合わせを頂いていて、その都度お返しする機会がありましたので、今回は【小ノート法】の具体的な使用例をご紹介したいと思います。 小ノート法とは、様々なやるべきことが頭の中で雑多になり、ワーキングメモリを超 […]]]> <![CDATA[

何度かメールでお問い合わせを頂いていて、その都度お返しする機会がありましたので、今回は【小ノート法】の具体的な使用例をご紹介したいと思います。

小ノート法とは、様々なやるべきことが頭の中で雑多になり、ワーキングメモリを超えてしまうケースへの効果的な対応方法です。
自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の当事者の方の場合、メモリを超えてしまうと、なんて事のない会話が頭に入らなくなったり、ボーっとして実感すら失う離人感が起きたり、不安定感から両極思考が強く出て、自分の責任が大きくなり他の意見や提案を躍起になって止めようとしてしまうといった状態に陥ることがあります。

そうしたメモリの解放を行うために、常に持ち運べるような小さなノートを、ワーキングメモリの代わりに活用する目的です。特に視覚優位の傾向がある方は有効かもしれません。

簡単な概要

妻が使用しているのは、幅7cm程度のリング式のノート(100均で3冊入りだった)。

書くことは

気になっていること

不安になっていること

何か上手くいっていないこと

焦っていること

言われて気になったこと

その日にあった印象的なこと

その他に妻がルールとして加えているのは、

買い物リスト

近々会う人などの住所・連絡先など(後々にパパっと調べずに見返せるように)

付き合いの始まった人の名前や連絡先

をノートの後ろ側から書き込み、日常のメモと分けながらも一冊で済むように工夫しています。特に下2つの連絡先などは、スマホなどに登録してあっても、あえて手帳に書いておいています。
これは“調べる・確かめる”といった行動を思考する時に挟まないようにするためです。

妻はスケジュール帳も持っていますが、そちらを【仕事・家事・育児・生活全般】のスケジュール管理のみに絞り、そちらはシンプルに見やすく活用するために分けています。

具体例1【これは大事!】

直近で出来るようになりたい・注意しておかなくてはいけない事や、開眼・発見・戒めだと感じたこと等々。自分に今大事だと感じた事を一言もしくは短文でメモしています。

例えば子供の教育や関わり方で書いていたメモは

子供に守らせる事

「4歳の次男には3回ルール!(同じ注意3回以上したら叱る)」

「やるべきことをやらす→夜、歯磨きか中の遊びのパターンができているのを崩す」

「出した指示は最後までやらせる(遂行させる)」

自分が守る事

「夕ご飯の準備中でもしっかり子供を意識する(準備に全ての意識をもっていかない)」

「仕事と仕事の切れ間で休憩する」

「子供にしっかりぶつかれ!」

「相手に判断を任せない」

こうした大きめなスローガンともなる大事な項目は、ノートを見開きに使い、そのことだけを書き残こしています。特集のように他のメモから切り離して、ハッキリと眼に入るようにするためだそうです。
また、基本的には雑多な印象にならないように黒一色でメモをとりますが、こういった重大事項は時に赤を限定的に使い、すぐに目が行くようにしています。

具体例2【対人での疑問】

「何か友達と上手くやりとり出来なかった(気がする)」

「言われて気になったこと」

「言われたけどよく意味が分からなかったこと」

など、対人関係で起こったふとした疑問や引っ掛かりも、そのまま頭に残しておかずに、文字としてメモに具現化します。

あった事を日記のように記入

自分が何でそうしたか(思ったか)

相手に何をして欲しいと思っていたか

特にこの3つを意識して、ひな形のように当てはめて書くことで、未消化な案件にすることを避けます。完全な解決というよりは、モヤモヤしている状態から、原因や対象を見つけて落ち着く狙いです。
自分の気持ちや感情の生まれたポイントが分かると、例え起きたことに説明がつかなくても、【自分の手で形(文字)にする】事で一区切りつく効果があるそうです。

また、【視覚として情報を捉える】事で急に気がつく事があったり、「記したのだから、もう、忘れてしまってもいい事」として処理できる様になる効果も見込めます。

人に相談する場合の、聞くポイントのヒント集にもなるのだとか。

具体例3【大変な事があった!】

大きく動揺するような事件や、自己評価を下げるような失敗があった時のまとめ方です。

日記的に書く

人に話す事を意識する

誰かに話そうとする意識は、ポイントを整理するのには持ってこいな方法で、書きながら出来事を理解する事になります。実際、人に話そうとすると、話の組み立てや印象操作にメモリが割かれますが、文字にすることで前後関係を把握しながら整理できます。

締めくくりとして、考察でまとめると効果的な様です。「~~だから、今後、これには注意する」など。

具体例4【何か最近上手くいかない】

不安に思っている事がないか、焦っている事がないか、心のゆとりを失っている原因を探します。身体的な疲れや体調不良、スケジュールへの不安、具体的に思い浮かべられる未解決や気になっている問題などです。

PTAで上手くできるか不安だ

娘が落ち着いてきているが完全じゃない気がする

最近疲れやすい気がする

寝不足かも?

アレルギーかも?

など。これらのメモに対して、余裕のある今、出来る対処を考えておくと、余裕確保につながります。

PTAで……⇒○○さんは話せそうだから聞いてみよう

娘が……⇒夫に話そう・軽く誰かに愚痴ろう

寝不足?⇒今日は早く寝て既成事実を作る!

アレルギー⇒薬を飲む

と言った感じで直接的な原因を見つけたり、予めの解決策を講じることで、安心感を得る効果があります。

ただし、もうパニック状態に陥っている時に、【何か最近上手くいかない】となっている場合は、すぐに思い浮かぶ原因の後ろに、ちょっと思い出しにくい問題が放置されていたりします。

パニック状態でそういったことを、メモだけで思い出すのは難しいので、そういう場合はB5サイズ以上の大きな紙に、思い出せる限りの思い当たるフシを箇条書きで書き、ニュアンスが難しい物は文章として書き出しています。

【メモリを奪ってたのはこれだったんだな】というのを見つけると、あっという間にすっきりするそうです。

妻がパニックに陥った時に復帰した例

まずありがちな妻のパニック化のパターンは、以下の様な特徴があります。

1:Aに対して自分の中でちょっと失敗だと思っている

2:もうすぐBやCも始まる

3:Aの失敗は恥ずかしいが、とても些細な事なので気に病む事も無いハズ

4:あ~BやCも不安だな~とAの気分にBとCが引っ張られる

BやCの事が大きく頭の中を占領しているのでAの失敗を恥じている自分にも気づかず(無意識に知らんぷりしようとしている?)、勝手にBやCに対して大きな不安を持ってしまい、パニックになっていくケースです。

妻の場合は紙に書いていて、「実はAの事をすんごく気にしていたんじゃない?」と気付いた事を、私に話し「君はイベントAのプロになるつもり? 殆どの人がアマなのに?」とAへの気持ちを成仏させることで、BやCにも気楽に取り掛かれるようになるのだとか。

最近はこれを繰り返した成果か、私の言葉がなくとも【プロにでもなるつもりか?】と、自分で突っ込めるようになったとか。

使う頻度や付き合い方

少ノート法を使う頻度は、調子がいい時は全く使わなかったり、大変な波の時期はダダダーーーっと記入しまくっておいて、読み返さないページが続く時もある。

楽に生活できるようになったら、【明日やること・今日やること・忘れちゃいけない事】など、本当の意味での生活メモ帳になる。バックアップがあるから、こちらはメモリを消費できずに生活できる。

……というのが妻にとっての小ノート法の存在だそうです。

書くタイミング

感じたことを忘れないで済む時間内。これがライブでの基本で、何となく色々重なってきている時は、例えば仕事の場合【仕事前、現場に着いて気が抜けた後、これからやる事を考える時】など。

“これから”の時の方が、問題意識もあって良いそうな。

ちなみに活用出来てくると【これが大事!】が自然と分かり書き記せる用になる様です。妻の場合は習慣に取り入れて3ヶ月くらいだったそうです。

小ノート法に関わる過去記事はこちら

人の話が理解できない・聞き取れない│ASDソーシャルスキル

アスペルガーでACな母の弱点【小さな不安の支配】

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http://asdweb.net/mini-note-method/feed/ 0
小学1年生:アスペルガーな娘の運動会と完璧主義の対処 http://asdweb.net/2nd-age7-perfectionism http://asdweb.net/2nd-age7-perfectionism#respond Mon, 18 May 2015 09:36:14 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[アスペルガーな娘]]> <![CDATA[娘小学1年生]]> http://asdweb.net/?p=3283 <![CDATA[運動会といえば不安定。不安定といえば運動会。 娘の過去を振り返ると、実に運動会は様々な問題の引き金となる、魔の摩耗期間であった。保育所最後の運動会で、【自分の立ち位置】を明確にすることで、競技中のぐずりを完封できたものの […]]]> <![CDATA[

運動会といえば不安定。不安定といえば運動会。

娘の過去を振り返ると、実に運動会は様々な問題の引き金となる、魔の摩耗期間であった。保育所最後の運動会で、【自分の立ち位置】を明確にすることで、競技中のぐずりを完封できたものの、やはり練習期間中の不安定感は対応し切ってあげられなかったというのが正直な所。

そして、小学校はじめての運動会が迫る中、やはり娘は“なんらかの引っ掛かり”が生じ、今までの【生活の仕方】を忘れ始めてしまった。

いや、生活の仕方などはないのだが、まるでそういうものがあったかのように、ひとつひとつの行動に戸惑いや不自然な様子が見られ、やがて緊張状態から軽いフリーズを起こすようになっていた。

そして、とうとう腹痛と熱が始まり、彼女の顔色は灰色一色にとあせていった。

※自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)にありがちな完璧主義についてはこちらの記事をどうぞ

逃場を失わないとやらない・出来ないと思い込む│AS見えにくい完璧主義

“出来ない”ではなく“何かに余計に構えた”

自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)であり、まだまだ一年生は幼い時期。それもまだ入学してから1ヶ月と少し。環境の変化に疲れてしまうのは当然といえば当然です。

ただ、これも彼女独特な性質で、だからこそ放っておいてあげられない理由のひとつが、今回も大きく出て来ていました。

純粋に“出来ない”とか“苦手”で辛いのではなく、何か余計なことをしようとしていて辛くなっている

という明らかにぎごちない様子です。その何かが本人の中で整理がついていないために、説明できないどころかただ困惑していて、疲れを助長したり認知を大きく歪ませて、後々にいわれのない苦手意識にしてしまう流れ。

この【何か余計なこと】が斜め上の発想だったり、思いもよらぬ事を大きく捉えている事が多く、それを実感を持って理解しない限りは時間を負うごとに苦痛ばかり積み重なっていくのです。

そして、それが何かを突き止めるのが一番難しい。

特に子供は自分の気持ちを理解する経験値が少ないですし、それほどの発達を迎えるのはまだまだ先です。

さて、『苦しむのも本人の自由。いつか自覚できる様な成長を遂げる事を信じて、本人の自由意志にまかせて祈りましょう』と考えるか、『本人が苦しむのはかわいそう。極力そう言うことから引き離してあげなきゃ』と考えるか、『じゃあ、【何か余計なこと】が何なのか、分かる時期になるまでは一緒に、もしくは変わりに考えてやればいいじゃん』と考えるかで、教育方針は大きく変わります。

わが家の場合は『じゃあ、【何か余計なこと】が何なのか、分かる時期になるまでは一緒に、もしくは変わりに考えてやればいいじゃん』です。

娘本人の本当の意思は分かりません。本人は“辛い”か“そうではない”か“楽しい”かでしか、まだ自覚して言葉にできないのですから。しかし、今までにその原因を見つけた時に見せてきた彼女の顔色の変化は、彼女自身の言葉よりも明白です。

【灰色⇒桃色に顔色が変化する瞬間】

いろんな情報に恵まれ、やや早足で駆け抜けてきたわが家だからこそ分かる、あの顔色どころか発する空気まで変化する瞬間。時に大きなため息を吐きながら、人心地を取り戻す弛緩の瞬間は、どれだけ本人が辛く張っていたのかがヒシヒシと伝わり、また一歩、彼女を理解できる瞬間でもあります。

見えにくい完璧主義と流れ

運動会の練習が始まり、本番が近づくに連れて始まったのは、【いい子でいようとする】傾向。

必要以上に気を引く行為であったり、逆に注意をされないように大人の前では露骨に大人しくしたりなど、常に表情もそれに合わせて作っているので、どこか演技がかった顔のまま、目を合わせないようにする時間が増えていきます。

人の会話にも聞き耳をじっと立てつづけていたり、ただ部屋を歩くだけなのに誰かを意識したようにぎごちない。生活全てが【誰かの目】を気にした言動に支配されていくのです。

こういう時はリラックスすることはありませんし、どうして自分がそうしているかの理由も、そうしている自覚すらもなかったりします。自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の特性である、両極思考(0か100か・白か黒か)でとらえた、人間関係の質への白黒も現れます。

原因は何であるか。多くの場合は環境の変化への疲れや、体調の変化に鈍くて薄っすらと困惑し始めている時に集中しますが、表情も行動も毎回同じなので、原因にたどり着くのは毎回至難の業です。

いきなりピンポイントで当てられるのは、本人でもない限りは不可能なので、ひとつひとつの行動に注視し、明らかに本人に無理が見られる場合や、周囲が不快に感じた場合は【どんな行動をとったか・こちらの目にはどう映ったか・どういう時に取る行動である場合が多いか】を説明しています。

一発で解決することはありません。このパターンは声をかける度に緩和しつつ、結局超えられないため、再発を繰り返しながら段々と実際の問題が膨らみ、暴発することで露呈する流れが基本です。

今回もそのパターンで、結局運動会の前日の夜、ようやくこの不自然で消耗を繰り返す原因を突き止めました。

フタを開けてみれば、長男の入院の時と同じ、【完璧主義と葛藤を煩わせた】状態でした。

娘の場合の完璧主義対処

運動会前夜の実際の会話より一部始終

私『今、お父さんは怒った顔をしている? していない?』

娘『……してない』

私『じゃあ、今から話す事は、君が【悪い子】って言いたいんじゃなくて、【こうするとラクになるよ】って話だから、そういう風に聞いてもらえると助かるんだけど、いいかな?』

娘『…うん』

私『聞いてる顔とか、わかっている様に見せようとかもしないで、自分のことだって分かろうとして聞いてね』

娘『うん』
※ここまで前振りの儀式

私『ここのところ何日間か、娘はお父さんの前で失敗しないようにしたり、注意されることがないように頑張っちゃってない?』

娘『あ……うん』

私『家族は? 家族はどうしているのがいいんだっけ?』

娘『家族はただいるだけでいい』

私『【注意されないように】とかって、【いい子でいようと頑張ってる】ってことだよね。それは【家族はただいるだけ】になってると思う?』

娘『……ない』

私『言葉はちゃんと全部いおう』
※言葉の省略や短縮・意味合いの曖昧処理回避のため

娘『……家族はただいるだけになってない』

私『そうだね。頑張っちゃっているんだから、【お家はラクにするところ】も忘れちゃってるよね』

娘『……うん』

私『それがただ悪いって言いたいんじゃあないんだ』

娘『……ふぇ?』

私『そうやって【いい子でいようと頑張ってる】君をお父さんが褒めて、仲良くなったとしよう。で、それだとさ、【お父さんが好きなのは頑張っていい子になってる君】であって、ふつうの君には興味がないってことにならない?』

娘『…………!』

私『家族はただいるだけ、放っておいても近くにいて、お互いの思ってることや気持ちがわかってくると、自然と仲良くなるんだよ。【お父さんが好きなのは頑張っていい子になってる君】になっちゃったら、本当の君のことをお父さんが分かって、そのままの君を大好きになる日はくると思う?』

娘『……こない』

私『そうだね。お父さんは人に“好きになるように”とかコントロールされたり、無理やり仲良くなるのは嫌だ。みんなそうやってコントロールされるのは嫌なんじゃないかな? 君も自分の自由に仲良くなったりしたくない?』

娘『うん』

私『でもね、こういう風に家族に無理しちゃったり、【いい子でいよう】って頑張っちゃうクセは、これが初めてじゃないんだけど、前にこういう話になったのを憶えてるかな?』

娘『……うん』

私『ああ、“またやった”とかそういう事を言いたいんじゃないんだ。今、君がこうなっている理由を知りたいんだよ。だって、こういうの、もうやらなくなっていたでしょ?』

娘『あ……うん』

私『なにかうまく行ってない事とか不安な事とか、学校で起きてない? そういうことがあるんじゃないかって思ってるんだ』

娘『……うんどう会が……けっこうちょっと……だいじょうぶかなっておもってる』

私『(……!)ああ、上手くできるかなって?』

娘『……うん』

私『それはちゃんと練習通りできるかとか、ボーっとしちゃわないかとか?』

娘『……うん(涙目)』

私『……娘。大丈夫だよ。それお兄ちゃんもやってたよ。ほら、お兄ちゃんが前に入院したの憶えてる?』

娘『うん。おなかいたくなったときでしょ?』

私『そう、お兄ちゃんはその時、【マラソン大会がうまくできるか不安や…】って考えすぎた後、続けてやることになった器械体操発表会で、【うまく鉄棒出来るか不安や…】って考えすぎてお腹痛くなったんだわ』

娘『おにいちゃんが?』

私『うん。君もお腹痛くなったでしょ? あれを何日も続けて、とうとう身体がたえきれなくなっちゃったんだ』

娘『…………』

私『ねえ、お兄ちゃんが治った時の話、聞きたい? ちょっとした言葉を言ってあげただけなんだけど』

娘『しりたい!』

私『で、君はマラソン選手になりたいんか?』

娘『え?』

私『あと、【君は鉄棒が出来なかったら死ぬんか?】』

娘『ええ?』

私『あとは【君は恐竜博士になりたいって言ってたけど、それにはサッカーで優勝しなくちゃならんのか?】』

娘『あははははh』

私『そんなわけないよね。でもね、お兄ちゃんはその時、そういうことが分からなくなるくらい必死でやってたんだよ。それは君の運動会への不安と同じじゃないかな?』

娘『あ……うん、ああ……』

私『あのさ、学校に何しにいってるんだっけ?』

娘『べんきょう』

私『うん。勉強は【分かるようになるため】にするんだよね? で、お父さんや先生は【100点を取るために】って一言でも君に教えたかな?』

娘『ううん、いってない』

私『そうだよ。君が分かるようになってくれることが学校にいく目的だし、そうなってくれるのは先生もお父さんも嬉しいけど、大事なのは君がわかってるかどうかで、お父さんたちの喜びは関係ないよ』

娘『うん』

私『で、運動会も同じ。こういう時にこういう風にするもんだって分かってくれていればいいんだ。100点は大成功だから何としてでもとろうとしなくていいよ。70点くらい取れてたら合格なんだ。それくらいは君、ラクにしててもできるでしょ?』

娘『70点! 70点くらいでいいんだね!?』

私『うん。それで十分だ。それなら楽しもうとできるでしょ?』

娘『うん!(灰色⇒桃色)』

……とこういった感じでした。
やや疲れは残っているものの、なにかしら『70点でいい70点で』と声がけしてたら、本人も気楽になり行動範囲を取り戻しています。

娘が家族に対して完璧主義に陥る時は、何かしら外での問題が関わってくることが分かっています。以前は会話が出来ないくらいに急転直下していたので、まずはパニックを凌駕するほどの刺激が必要になったり、眠り続けるなどの一人きりの休養時間が長く必要になっていたのです。

現在はこうして本人の気になっている分野の事を、本人に投げかけて反応が見られるだけの余裕を確保したので、短期間で特別な対処がなく、会話でアプローチ出来るようになりました。

【関連記事】

5歳:努力をしない・すぐにあきらめる癖の原因│アスペルガーの完璧主義

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注意されてる人の横で同じ失敗をする│アスペルガーな子供の距離感と実感力 http://asdweb.net/pitfall-reproduction http://asdweb.net/pitfall-reproduction#respond Tue, 12 May 2015 09:47:00 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[手記]]> <![CDATA[具体策]]> <![CDATA[実際の思考]]> <![CDATA[特徴]]> <![CDATA[苦手]]> http://asdweb.net/?p=3277 <![CDATA[自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の特性としてはレアなのかもしれませんが、わが家の長男と娘にはちょっと独特な性質があります。 例えば 娘が往来で石を投げるなどの危険な行為を始め、それを注意している時、ふだんはそうい […]]]> <![CDATA[

自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の特性としてはレアなのかもしれませんが、わが家の長男と娘にはちょっと独特な性質があります。

例えば

娘が往来で石を投げるなどの危険な行為を始め、それを注意している時、ふだんはそういうことを一切しない長男が横で石を投げ始める。

『ここ危ないから踏まないようにね』と長男に注意している横で、聞き耳を立てていた風な娘が、そこを踏み危ない目に合う。

また、兄妹間だけでなく、赤の他人にでも起こります。

誰かが注意されていると、その横で同じことを始めようとする事が結構あります。注意をされている人物がいなければ、全く意識をしないにも関わらず、誰かが注意されているとやってしまいます。

自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)には関係ないのかもしれませんが、ASD特性や実感の持ち方などから説明がつきそうなので、ちょちょいと書き残してみます。

だいたい生返事か怪訝な顔を返す

ふたりとも幼い頃はその頻度が激しく、一人を注意しているともう一人がいつの間にか近づいてきていて、同じことをやり始めるシーンが連続していました。

まるで

親猫が穴の外に出てしまった子猫を戻そうとすると、他の子猫が親の動く気配を感じて出てくる。それを戻すと他の子猫が親の動く気配を感じて出てくる。それを戻すと……

なんだか猫の子育てに見るループシーンを想起させるので、【子猫なだれ現象】としておきます(注意されてる人の横で、後追いで同じ失敗をする現象を説明する、よい言葉が見つからないので)。

長男はかなりなくなって来ましたが、娘はまだ【子猫なだれ現象】が色濃くあります。結果的に注意される事が起こる場所に、いつもいるなんて事も。

長男も少なくなったとは言え、時折やらかしてはいますが、そうではない時との差が見られるようになった分ヒントをたくさんもらえるようになりました。

そうして気がついたのは、ふたりとも【子猫なだれ現象】が起きる時、自分も注意されると、だいたい【生返事か怪訝な顔】をしていて反応がとても鈍いということです。

実感力と離人状態

パニックやフリーズという程でもない、この独特な反応の鈍さは、実感力が薄い離人感っぽい状態によく似ています。

離人感とは何らかの理由で現実感を失い、実感や感覚が持てなかったり、自分が自分ではないような、意識が身体から離れている様な感覚に陥ることをいいます。

自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の特性というよりは、様々な要素が絡んできて、脳の処理が追いつかない時にメモリがアップアップになると、似たような事が起こる様です。
解離性や離人症そのものではなく、そこに意識を保てない状態ではないかと。この離人状態が強く激しく起こるようなストレスや、厳しい環境下でショックを受け続けていると、やがてはそうなるのかもしれませんが……。

実際、こうした反応は定型の大人でも、処理作業の負荷が強まってくると起きているのではないでしょうか。

例えば職場でアクティブに複数の仕事をこなした後、帰宅すると毛色の違う家族との問題などを投げかけられ、頭の流れを切り替える事に困難を感じるといった、思考が交通整理できない渋滞状態とも似ています。

五感を活用したり実感を得るためには、そこからの知覚を処理して、自分の行動につなげる作業が必要です。そのためにはメモリの空きが必要です。なんらかの環境変化や、未処理の問題が残っている場合、実感が薄くなる傾向があるのは、今までの彼らの特徴を見ていても分かります。

メモリ不足と人との距離の喪失

メモリ不足から実感力が低下すると、同様に起こるのが【他人と自分との境界線の低下】です。

自分の思っていることが他人もそう思っていると考えてしまったり、自分に関係のない悪い出来事に、自分が悪いと思い込んでしまう【責任の個人化】なども、そのうちの流れではないかと思っています。

メモリが足りない状態に陥っているので、両極思考や表面思考がさらに強調されてしまう事もありますが、その逆に実感も低下していると『何に対してどう反応しているのか』が失われてしまうケースがあります。

・実感がない

・自他の境界線がない

・認知力も低下していて、自分の気持ちがわからない

ここまでそろうと、自分の中に感覚よりも、他から与えられる刺激にほのかな実感を感じてしまう様です。

普段『注意される・間違うことを忌み嫌う』、両極思考な部分が強い彼らは、思考がぼんやりとしてても、そこに実感の刺激を感じてしまう。結果的にそこに近づいてしまったり、その注意される状態に瞬間的に心奪われてしまう。

しかし、実感のある状態ではないので、静止されても癇癪を起こすほどの否定感も受けない(幼い頃は思考する階層が浅いため、この状態でも否定への感覚が近くて癇癪を起こした)。

だから怯えや怒り、不安の爆発ではなく、【生返事か怪訝な顔】という薄い反応だったのではないかと。

または、人との境界線が薄くなっているために、【子猫なだれ現象】の子猫のように、“親の動く気配を感じて出てくる”といった、本能的な人恋しさ(無意識の同調といった方が近いかも)に引き寄せられたのもあるのかもしれません。

以上から分かったこと

たいてい【子猫なだれ現象】が起こる時、いつもと違う散歩コースだったり、旅行中のサービスエリアや自然の中だったりします。自宅や人の家の中では起こりにくいのも特徴でした。

スーパーやショッピングモールなどの公共の場では、通常の買い物の場合は起こりませんが、ウィンドウショッピングなどの目的意識が想定されていない場合には起こっています。

家や閉鎖的な空間では、身の振り方や立ち振舞に集中するので、ある意味メモリを割く場所が限定的になり、境界線を失うなどの自我の実感力の低下が抑えられているのかもしれません。

過去記事でも、デパートでの買い物に疲れやすい方への対策記事を書かせていただきましたが、その対策にも通じるものがあります。

【子猫なだれ現象】は直接的な声がけでは、対処していくのは難しいと思います。『やって良いこと悪いこと』『各場面での過ごし方の指針』『自分の居場所作りや立ち振舞のケーススタディ』がしっかりと深く認識されなければ、すぐにメモリを割く場所を失うでしょう。

これらは経験と知識が必要なので、どうしても本人の発達具合も関わってきます。

出来る限り本人がメモリを失いやすい環境やシチュエーションを見つけ、また本人にもそれを『こういう時に~~ってなるよね』など自覚させ、意識的に対応策を取っていくと理解が早くなるタイプの問題な気もします。

特殊な例ですし、笑ってごまかせる事も多いので、特に【子猫なだれ現象】自体が問題だとは思いません。しかし、どうしてこうなるのかを分析することで、何が関わっているかをあぶり出すのは、本人たちの将来的に重要な戦術のひとつになるかもしれません。

わが家の長男や娘は、ひとつひとつの起こす問題については非常に軽い傾向があります。だからつい、『これって、良いか悪いか微妙だなぁ』とか『うーん、これはちょっと気になるけど、子供ってこういう事あるしなぁ』と葛藤し先延ばしにしてしまうことがあります。

しかし、自身で気が付き理解する点においては、問題にされなかったやり方など、その手の内だけで繰り返していこうとする傾向もあります。小さなズレが後々に足かせになり、克服に大きなエネルギーを要したり、強い混乱や自己評価の低下につながることも。

もちろん本人が気がついて言ってくれたり、自分で失敗して学んでいくことが理想です。

それでも、どんな問題が起こるかの手がかりは、今回の様に思いもかけない小さな行動に隠れている事が多いので、理解くらいはしておくと転ばぬ先の杖だったりするのかなぁと思っています。

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http://asdweb.net/pitfall-reproduction/feed/ 0
子供のお試し行動まとめ│ASの兄姉と定型次男の違い http://asdweb.net/test-people-matome http://asdweb.net/test-people-matome#respond Fri, 08 May 2015 09:53:58 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[定型な次男]]> <![CDATA[定型との比較]]> http://asdweb.net/?p=3274 <![CDATA[先日、リクエストをいただきましたので、自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の長男と娘、そして定型(いわゆるふつう)の次男のここまでに見た、【お試し行動】についてまとめてみたいと思います。 【お試し行動】とは、親や大人 […]]]> <![CDATA[

先日、リクエストをいただきましたので、自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の長男と娘、そして定型(いわゆるふつう)の次男のここまでに見た、【お試し行動】についてまとめてみたいと思います。

【お試し行動】とは、親や大人など自分に関わる相手に対して、チラチラと伺いながら行動してみたり、わざと怒らせるような行動をして、相手の出方を確かめようとする行動です。

わが家の場合、長男と娘のお試し行動は幼児期に非常に多く見られ、やがて一定の時期に消えていきました。次男はほとんど見られなかったものの(具合が悪い時や眠い時はあった)、一定の年齢に達した時に現れ、やがてすぐに消えました。

たまに、こうした子供のお試し行動を、【虐待・親への不信感】とひとまとめにしてしまうケースが見られますが、恐怖心でのオドオドとは違い、明確な試す理由があるのがお試し行動だと思っています。

これらは定型の子供でも、発達障害のある子でも起こり得る、認知のためのれっきとした学習行動ではないでしょうか。

しかし、一方的に長く試され続けると、親は誤解を受けたり自分の愛情を疑ってしまう事があります。今回はこうしたお試し行動をわが家の子どもたちの違いと、その対処法から彼らがどんな目的で行っていたのか見つめてみます。

長男の場合

ハイハイ時期からお試し行動は見られました。どこかに進んでは『ここまで来たがどうか?』と言うように、何度も親の方を確認することから始まり、何かを手にとってはこちらの反応を伺ってる様子が見られました。

やがて、自分の行動を抑制される事で、不快感を表せるようになった頃、【行動⇒親の反応を見る】の連続から【行動⇒親の反応を見る⇒止められると癇癪】の連続に移行していきました。

これらは自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の子供だけに限らず、定型発達の子供にも見られる様式ですが、彼の場合はその頻度が違います。一日中、何かに夢中になっていない限りは、延々と繰り返し続けられました。

この頃はそこまでする理由がわからないため、それが緊張や不安感にしか見えず、こちらもどこかリラックスできない日々が続きました。

2~3歳の頃になると、他の大人が来た時に、親がいつもどおりに動くのか試す行動が頻発するようになりました。相手にくっついてはこちらをチラチラ伺い、いつもは止められるイタズラばかりを繰り返したり、グズグズを装いながら相手を思い通りに行動させようとし、親の出方を試すなどです。

これらの頻度も激しく、止められれば癇癪を起こし、放っておいても常に考え続けているために疲労し、急に感情を爆発させるため、来客や人に会うのが億劫になった時期です。

この長男のお試しチキンレースは、親以外の大人が現れると、そう決められているかのように始まり、いなくなるまでそこに集中していました。

不思議なことに親の前でもお試し行動は取るのですが、私だけの時や妻だけの時はガクっとやらなくなる事が多かったので、もしかしたら人ごとの反応を学習するために繰り返していたのかもしれません。

彼のお試し行動は【叱られる・怒らせる】こともセットで学習されるので、こちらが反応を返さない時は不安を感じ、癇癪を起こす上、この辺りから【失敗・間違い】に対する敏感さが顕著になっていました。

現実と思ったことがズレた時に、必要上のショックを受けたり、『0か100か』や『白か黒か』のような両極思考が表面化してきていたと思います。思考や発想も豊かになってくることで、本人は『もう、何を試しているのかも分からない』という程、お試しと癇癪がごちゃまぜになっていきました。

長男のお試しが終わった頃

4歳くらいになると、ふだんのお試し行動は消えていきましたが、来客があると『もっと楽しく・もっと刺激的に』とタガが外れるため、ふだんはやらない行動に大きく偏り、親の反応をチラチラと“気にする”形に移行していきました。

同時にひと通りのデータを揃えた彼は、【自分の立ち振舞かた】に強く執着するようになり、人に合わせて行動するための観察が多くなっていきます。

また、具合が悪いとか眠たい時の『助けて』が言えない時に、わざと怒らせる事で布団に連れて行ってもらうなどの、判断を親にさせるという行動などに【お試し行動】から学習した選択を流用するようになります。

お試し反応が強いという事は、人への観察に関心が強いとも言えるのかもしれません。こうした流れの中で、現実と思ったことのズレを極端に嫌う彼の場合、誤学習が入ると非常に苦しむケースが多発していました。
【いけないものはいけない】と誰の前であっても、自発的な修正が起こらない彼には、しっかりと教えてあげない限り安定できないという個性が見え始めた頃でもあります。

娘の場合

ハイハイ時期から思い通りにならない事への癇癪が激しく、一度止められた事は印象に強く残るのか、その行為に執着する傾向が見られました。

長男の場合とは逆で、先に両極思考が強く出た後、段々とお試し行為が始まっていきました。しかし、長男と比べその両極思考の度合い、思ったこととズレる事への憤りが強すぎたため、この頃から自他共に【何がしたいのか分からない】日々がスタートします。

常に癇癪で大泣きしながら、しかし、刺激に強かった【ダメなこと】に心奪われ、親といる間は禁止された事しかしないという状況になっていました。

3歳くらいになると、【ダメなこと】は親がいない所でやり、親がいる時は常に反応を観察するようになります。例えば積み木ひとつを持って近くに座り、少し動かしてはこちらの顔をちら見。少し動かしてはこちらの顔をちら見。と、日がな一日でも続けました。

この時、『なぁに?』など声をかけようものなら癇癪です。彼女の思う結果ではないからです。

【失敗・間違い】に対する拒否感は長男に比べても格段に強く、さらに自分と他人が全く同じ考えや気持ちであると、境界線を理解できていないため、お試しの結果に対し、数ミクロンのズレでもあろうものなら憤り全開でした。

お試しをする回数は長男と同じかそれ以上。しかし、ほぼ100%予想がズレているため、その度に癇癪を起こしていた形です。

今だからそう言えますが、当時はなんの手がかりもないまま怒り続けているので、何が気に入らないのか全く分かりませんでした。

3~4歳になると、親以外の大人が来た時のお試し行動に、独特なパターンが現れました。親の前でその大人にベッタリくっつき、頬ずりやキスなど普段は自分から進んで絶対にしないような接触をしながら、流し目で親を伺うというもの。

もしかしたら嫉妬を知るようになり、そうした動きを親に起こそうとしていたのかもしれません。こういう時の娘は、絶対的に『いい子』であろうと演じていました。この行動は全くこちらが動じないことが分かると辞めていきました。

そのためにやはり長男と同じく、体力を使い果たして不快感を持ち、激しい癇癪へと移行していきます。ただ、長男とはそのレベルが違うため、来客があると1~2週間単位で一緒に居られないクラスの不安定に苛まれました。

4~5歳になると親へのお試し行動は消えていきましたが、新しい先生や関わりの強い大人へのお試し行動は激化していきました。しかし、その対象は常にその場にいる重要度が一番高い人物に限られ、そこに重要度が低い人物しか居ない時は、意に介さず禁止事項であろうと平気で行うという厄介なパターンが出てきました。

“【ダメなこと】は親の居ない所でやる”が、ひとつの選択として残ってしまったのかもしれません。

娘のお試しが終わった頃

4歳の最初の頃に、ふだんから試すような行動はなくなりましたが、5歳の中頃に突如お試し行為と同様な行動がぶり返しました。

あくまで推測ですが、この時期は保育所などで、自分と先生とのやりとりで済んでいた社会が、少しずつ子供同士の社会形成に移行していく頃です。今までのやり方が通じなくなり、非常に不安定になっていた所に、長男と同じく【自分の立ち振舞かた】が全てになり、対人関係のバランスを崩していたのではないかと。

さすがにお試し行動で、少し結果がズレた程度で癇癪は起こさなくなりましたが、相手がどんなに不快感を感じていようが、思った通りの反応を返されることに執着していました。

これは一定以上の関係性を持つ相手には、ことごとく向けられていて、そうでない相手の前では意に介さないか、“いい子”を演じるなどパッキリと分けていました。

以前よりは言葉を聞く姿勢が出てきていたので、ここに来てイヤイヤ期くらいに教えるであろう善悪の判断やルールから、もう一度教え直しました。
最終的に【人は人、自分は自分】と改めて実感を伴った理解を持ち、人との関わり方に自分がとっている行動・選択や、【どう感じていたのか】の認知を確認することで、お試し行動はほぼ完全になくなりました。6歳の頃です。

次男の場合

ふだんの生活には全くといっていいほど、お試し行動は見られませんでした。疲れたり具合が悪かったり、そうした体調の変化が起きた時、自分ではそれを理解できないのでわざと親を怒らせるなどの行動で決着をつける傾向はありましたが、それも子どもとして当たり前のブレ幅にありました。

しかし、娘と同じく5歳に差し掛かった頃に、一時期変化が現れます。

突如チラチラと大人を確認する行動が始まり、また、遊んで欲しい相手やして欲しいことを、遠回しに気づかせようとする、お試し行動に似た行動が出てきました。単純に【断られるのが嫌だから相手にやってもらう】という、幼児ならではのコントロール欲求だったのですが、姉弟の不安定時期のタイミングが良くありませんでした。

本来はこの時期くらいで『ちゃんと気持ちを伝える・人に働きかける社会性』の初歩を学習をしていくはずだったのですが、娘のぶり返しや長男の不安定時期と重なり、試すような形や自分の振る舞い方にこだわるなど、行動・選択を兄と姉からトレースしてしまったのです。

見た目にはお試し行動の様な行動、しかし、行動・選択をトレースしただけなので、自分も何をして欲しいのかが分からないまま、闇雲に憶えた行動を繰り返し、不安が煽られるのでさらに没頭するという悪循環が起こりました。

そして、この行動は親だけに限らず、誰にでも行うようになりました。

次男のお試しが終わった頃

長男が落着いたタイミングで、欲求からの行動・選択を分解して教えることにしました。

遊んで欲しい時は、そのまま【遊んで】って頼むか、一緒に遊べそうなおもちゃを持ってきて、【これで遊んで】って言えばいいだけ

一般的で極普通のやりとりですが、兄や姉の行動には【不安感】という強い刺激が合ったため、彼自身ではここに自力で戻ることでが出来なかった様です。改めてやり方を言葉にすることで、イメージしやすくなった様です。すぐに行動に変化が現れました。

厳密にはお試し行動とは言えないのですが、自分の直接的でない行動から、相手の反応を試したり動かすという点では似ています。

まとめ

わが家の子どもたちを見ていて、お試し行動にはそれぞれのテーマとなる『欲しい情報』の違いがあったように思います。延々とされている時は辛いですが、情報がそろうと止めていきました。

通常のお試し行動は【こうすると、こうなる】の因果関係に納得がいったものから消えていったように思います。

よく『ただ抱きしめて、大好きと伝えて安心させてあげましょう』なんて解答を目にすることがあります。本当に子供自身が求めているのが『愛情』であれば済むかもしれませんが、知的好奇心や社会性の獲得のための行動であった場合はどうでしょうか。

【今、こうして欲しいって思ってる?】

長男と娘の無意識なお試し行動や、それと似た行動に対して効力が強かった、自分の欲求を自覚させる投げかけです。定型の子供であれば放っておいても自発的に理解していきますが、特定の発達障害を持っている場合、人間関係の形成にまで影響が出てしまう事があります。

この投げかけは次男にも非常に有効でした。【どうして?】と同じく、答えられることはしっかり答えて説明し、その行動自体が目的でなく、かまって欲しいだけであった場合は、その目的を確認してあげる方が憤りは産まないのではないでしょうか。

お試し行動は大人の持つ社会常識からすれば、好意的には映らない行動ですが、子供はまだそれを分かりません。今、お試し行動が多くて親としての自信が揺らいでいたら、今、必死にそういうことを知ろうとしている時期なんだと考えると、気持ちが楽になるかもしれません。

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アスペルガーな子供の遊園地癇癪対策 http://asdweb.net/strategy-enjoy-amusement-park http://asdweb.net/strategy-enjoy-amusement-park#respond Sun, 03 May 2015 09:34:25 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[手記]]> <![CDATA[おすすめ]]> <![CDATA[具体策]]> http://asdweb.net/?p=3265 <![CDATA[安定か思い出か。以前はあまりに不安定な時期が多かったため、諦める事の多かった遊園地。 表面思考が強く、目に入ったものが欲求の全てになりやすい、わが家の自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)である娘。 その瞬間的な欲求が […]]]> <![CDATA[

安定か思い出か。以前はあまりに不安定な時期が多かったため、諦める事の多かった遊園地。

表面思考が強く、目に入ったものが欲求の全てになりやすい、わが家の自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)である娘。

その瞬間的な欲求が、思い通りにならない時、一気に憤りに集中して癇癪やフリーズにつながるため、刺激の溢れる遊園地は鬼門でした。

今回、試験的に行ってきた対処が、有効であると結果が出たのでまとめてみます。

※この対処はあくまでわが家の娘に有効であった方法です。全てのASD当事者に有効とは限りません。また、同様の性質があるからといってASDである根拠にはなりません。

出発前

今日は遊園地に行きます。でも、遊園地の乗り物には長い順番待ちがあって、無理して乗るとすぐに帰らなきゃいけなかったり、待ち切れないので、諦めなきゃいけない事もあります。

それと、身長が低いと乗れない決まりのものがあります。ジェットコースターとかの危ないやつです。

無理して乗ると死ぬほど危ないので、係員さんも凄く困ります。

諦めた場合は『何にもできない』んじゃなくて、他の簡単に出来る楽しいものを、たくさん出来るようになるので、そっちの方が楽しい事もあります。

『やりたいけど、やれない事もある』って憶えておいて下さい。忘れた時はもう一度いいますが、忘れた事は大した事ではないので、悪く思わなくていいです。

違う楽しいものを探しましょう。

と、この様に予め『うまくいかない可能性』を示唆しておきます。これだけで利かせる事は目的ではありません。これは伏線です。

遊園地到着

それまでに気分の高揚が激しすぎたり、落ち着きがあまりにない場合は、落ち着く様に言った後、目を閉じて10秒ゆっくりカウントさせます。

楽しみにしてるのだから、本人の自由いいじゃないかとの考え方もありますが、パニックを起こしたり問題に発展した時に激しく自責を起こして、自信を喪失する方が本人にデメリットが多すぎます。

親としてのコントロールではなく、こう言うのこそ補助ではないかと。

入場直後

お土産やさんなどで欲しいお土産を決めて置きます。なるべく、ぬいぐるみなどの姿形を憶えやすく、思い返しやすい物がおすすめです。

『お土産を持ったままだと乗り物にのれなくなっちゃうから、今決めたお土産は帰りに買おうね』

姿形あるものへの想起力はかなり強いものです。一見物で釣っている様に思われるかもしれませんが、『いい子でいたら』などの条件ではなく、明確な先の約束である点が違います。
本人の努力や我慢に頼る物ではないので、『それさえすれば良い』などの、思考を限定する危険性が少ないのが特徴です。

これだけでも『何か買ってもらいたい』という欲求が薄くなる場合がありますし、ひとつの欲求が片付く事で、メモリがその分解放される効果が見込めます。ただ、これも単体で効かせるのが目的ではなく、後の伏線にするのが狙いです。

いざ癇癪

思い通りにならない事に、強いショックや憤りを感じ、フリーズや癇癪が始まったら……

『家を出る前にお話ししたよね。「やりたくても、やれない事もある」って。今のこれがそうだね。

で、たったこの一つの事で「全部ツマラナイ」にしちゃっていいのかな。君はこの後、あのぬいぐるみをお土産にするっていう、楽しい事や、他の遊具でもっと遊べるっていう楽しい事がたくさんあるのだけど』

ここで伏線の回収です。表面思考から癇癪を起こす時、目の前の事に思い通りにならない点だけに支配され、他の可能性が一切消えている時に起こりやすいという事があります。

イメージしやすいキーワードがある事で、他の可能性の存在を思い出しやすくしています。

これに合わせて、なぜいけないか、もし無理を通すとどうなるかも明示すると、納得しやすくなる傾向があります。
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人に聞こえるように独り言│アスペな娘のコントロール欲求 http://asdweb.net/2nd-control-desire http://asdweb.net/2nd-control-desire#respond Mon, 27 Apr 2015 11:18:40 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[アスペルガーな娘]]> <![CDATA[娘小学1年生]]> http://asdweb.net/?p=3256 <![CDATA[わが娘は時折、人に聞こえるように独り言を繰り返す事がある。そういう時は人といる間、一日中、誰かに聞こえるようにつぶやいている事が多い。 同じく自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の性質を浅いながらも持っている長男も、 […]]]> <![CDATA[

わが娘は時折、人に聞こえるように独り言を繰り返す事がある。そういう時は人といる間、一日中、誰かに聞こえるようにつぶやいている事が多い。

同じく自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の性質を浅いながらも持っている長男も、やはり非常に薄くだがそういう所がある。

最近様々な認知のズレに対応し終わり、やや感覚的な話も出来るようになったので、直球勝負を試みてみた。

『ねえ、その独り言、聞こえるように話してるよね? それは何をして欲しいと思ってやっているのか、自分で分かるかな?』

娘は少し恥ずかしそうに顔をそらした後、うなづいた。

コントロール欲求

人には様々な欲求があります。その中のひとつに『コントロール欲求(制御欲求)』というものがあります。

コントロール欲求とは、【自分の考えるとおりに現実や相手をコントロールしたい】と考える欲求です。誰にでもあるものですし、その欲求の限度も人生経験で学び、それなりに付き合っていくのが一般的です。

ただ、認知のズレや他人との境界線の置き方に、何らかのつまづきがあると、この欲求を自発的に行うものではなく、他人に頼ってしまう場合があるようです。

【こうすれば相手はこう動くだろう】

自身はその目的や欲求に気がついていますが、通常、相手がそれに気がつくことはありません。上手く思ったとおりに相手が動けば良いのですが、そうでない場合は憤りとなり、対人関係に遺恨を残すことになりかねません。

娘が聞こえるように独り言をつぶやく理由

私『今から大事な話をするけど、君のやり方が【悪】とか、【悪い子だ】って言うんじゃないからね。もっと楽になるやり方があるから聞いて欲しいんだけどいいかね?』

娘『うん』

私『あと、よく聞いてるふりとかじゃなくて、【自分のことだっ】て解かろうとして聞いてね?』

娘『うん』
※ここまで前置き

私『もしかして、こうやって聞こえるように言えば、いい話題だった時に聞き返してくれるだろうって思ってない?』

娘『……あー、うん。やってる(笑)』

私『思い通りに聞き返してくれなかったり、話しかけてもらえないと悔しいでしょ?』

娘『うん。くやしいくなる』

私『それはコントロールって言って、相手を自分の思い通りに動かすための考え方だよ。自分は自分、人は人だから、思い通りに動くことはないんだよ』

娘『あ……、うん、そうだ』

私『それに“いい話題だった時に”って、そこも自分から失敗しないように、相手からお話する様、コントロールしてると思わない?』

娘『うん、コントロールしてる』

私『あんまりうまく行かないから、独り言をつぶやくことに、余計に必死になったりしちゃわない?』

娘『あ……、うん。なる』

私『お話したい時は、【話したいこと】を直接相手に話したらどうだろう? 話すことを思いつかないけど、なんかお話したい時は【お話しよ】って直接言ってもいいんだし』

娘『うんっ、わかった!』

とまあ、こんな感じでした。その直後からふつうの距離感に戻っていました。

【家族はただいるだけでいい。家はラクにする所】と分かってはいても、こうした何らかの行動・選択に偏っている時は、そうしている事を自覚するのは難しいものです。

ただ娘の場合、何度か繰り返すことで、またクリアしていける感じがするタイプの問題なので、特に焦りは感じていません。

欲求と行動の関係が分かりやすい一コマでした。

【関連記事】

6歳:人に合わせる事と人間関係への疲労感

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アスペルガーな娘の6歳時代まとめ http://asdweb.net/2nd-age6-matome http://asdweb.net/2nd-age6-matome#respond Tue, 21 Apr 2015 09:00:19 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[アスペルガーな娘]]> <![CDATA[娘6歳]]> http://asdweb.net/?p=3247 <![CDATA[アスペな娘の6歳時期所感 家庭で安定できるようになり、急速に情緒が落ち着いていきました。今までの不安定な理由が分かるに連れ、同時に彼女が耳を塞いできた部分が全く残っておらず、改めて生活のことや世の中のルールを教え直すこと […]]]> <![CDATA[

アスペな娘の6歳時期所感

家庭で安定できるようになり、急速に情緒が落ち着いていきました。今までの不安定な理由が分かるに連れ、同時に彼女が耳を塞いできた部分が全く残っておらず、改めて生活のことや世の中のルールを教え直すことが増えました。

ただ、相当な理由がない限りは、以前の様に耳を塞ぐことがなくなったため、まさにスポンジのように吸収していった時期でもあります。

表面的な行動では自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)としての特性がさほど強くないように見えていた彼女ですが、彼女独自のルールや認知が緩和していくことで、ASDの特性と言われる様な部分との一致が見やすくなってきた事も特徴です。

最初のハードルを超えた時

彼女は外でそれほど問題を起こすタイプではありません。しかし、彼女にストレスがないわけでもありません。1~2週間ごとに深い疲れをみせ、人との関係にわずらわしさを見せる事がありました。

家では6歳の初めころ、彼女は【家族はただいるだけでいい。何もしなくて(考えなくて)いい】というキーワードが響き、家族でも特に親といることに対して何らかの構えを取ることがなくなりました。彼女は『家族といること・居かたや振る舞い』に意識を起きすぎ、やがて疲れると緊張したり逃げるようになるパターンを繰り返していましたが、【家族はただいるだけでいい。何もしなくて(考えなくて)いい】というキーワードが分かりやすかったらしく、突如家庭でリラックスが出来るようになりました。

しかし、彼女がなぜ家族といる時に、自分の振る舞いや、他人の存在を気にし過ぎていたのかは完全に解明は出来ていませんでした。

そのため、以前と比べれば非常に安定しているし、場合によっては普通の子よりも落ち着いて状況を見られるほどでしたが、一度でも精神状態が崩れると逆戻りする傾向がありました。

この傾向は繰り返す内に本人も認識するようになり、不安定になると親が安定させるための話しを繰り返し、【家族はただいるだけでいい。何もしなくて(考えなくて)いい】を再度聞きやすい状態で話すようになるまでをサイクルに、再現を繰り返すようになります。

再現を繰り返しているということは、まだ、そこに未解決の何かがあるのですが、ここでの娘の成長度では認知の形がつかめず、この段階ではまだこれといって手は打てませんでした(数カ月後に一気に進む事になるが)。

それでも以前は安静状態が年に1~2週間あればいい程度でしたが、6歳になりこの最初のハードルを超えた段階で年の7割近くを安定できるようになりました。

両極思考と人との距離

彼女が人との距離感にズレを起こしやすかった理由は、保育所卒業間際の辺りの、非常に大きな不安定の波の中から発見出来ました。

まず根本となる大きな原因は『両極思考』です。

『0か100か・全か無か』の様に、彼女は物事の良い悪いを、その中間のあそびのない、両極で捉える特性があります。通常、これも余裕があったり、把握しきれている物事であれば起こりません。何らかの理由で余裕を失った時、注目する箇所がシングルフォーカスになるため、結果的に両極的な処理判断を行っていたようです。

両極思考は人との会話や関係性にも現れ、例えば『知らない・できない・わからない』などは即『悪』だと判断し、激しく自責したりフリーズしていました。

【外では問題をあまり起こさないが、ストレスがないわけではない】

ここが大きなポイントでした。彼女は外では『知らない・できない・わからない』などの、『悪』とネガティブ判断してしまう関連の物事の際は、そこにいる多くの他の子に合わせていればよかったのです。
できる事は積極的に前に出て、褒められることで自己評価を回復させるが、『知らない・できない・わからない』を極端に恐れるため、人に合わせたり分かったフリを続け、本当に分からないまま放置するタイプの問題が山積みになっていきます。

自分を守る措置のようでありながら、じわじわと自分の足場を奪い、やがて完全に逃げ場を失うパターンを無意識に行ってしまう。

この無意識もポイントで、彼女は対人関係の結果をコントロールするために選択し、その選択の副作用で苦しんでいたわけです。だから一定期間ごとに大きな疲労感や絶望感を受け、自己評価を著しく落とす時期がやってきていたということになります。

同時に判明したのは、彼女がなぜ自分の家ではリラックスを出来なかったのかという点です。保育所などの外の社会では、周囲に合わせることで、彼女のいうところの『悪』を隠せますが、家庭では人そのものの距離感になるので隠しようがありません。

さらに保育所での問題を、家庭の中でも完全に切り離せないため、まだその問題が存在しているかのような不安感の中、必死に家族に対して『悪』を隠していたのです。

だから【家族はただいるだけでいい。何もしなくて(考えなくて)いい】というキーワードは、それに従うことで結果的に大きな安定を生みはしましたが、これだけでは根本的な彼女の心の動きを解消できていなかったという事になります。

ピンポイントの指摘

6歳という年齢は微妙です。まだ自分のやっていることに【どう思ってやったか】などの動機や認知を持たないままに行うことがあります。また、何かしらの判断があって行動していたとしても、それを自分の言葉で説明できるスキルも難しい年齢です。

自分の認知のズレにアプローチするには、自分が【どう思ってやったか】や、そうした時に【どんな感じを受けたか】という実感が必要です。ここが娘の場合、年齢的にも自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)として持っている特性としても、自分では知覚できない部分でした。

クリアのためには、こちらがその認知をピンポイントで表せる言葉を探し出す必要がありました。

今、~~って思ってない?

こういう時、こういう風に思ってやってない?

今やったのは~~ってことでいいの?

こうした言葉で投げかけ、それがピンポイントに当てはまった時、彼女は実感とともに自分の認知を確認することになります。

例えば、娘が私に激しくよそよそしさを見せたり、どこか常に視界の端で私を意識しているような状態になっている時。彼女は『気にしてた』までは言えても、なぜそうしていたのかまでは説明できませんしたし、そうしている実感も薄かった様です。

この時、ピンポイントに合致した指摘は【これ以上、人に何か注意されたりするのが嫌だからって、目立たないようにしてない?】でした。

……これだけ聞くと、まるでいっつも注意しまくってるスパルタ的な親に勘違いされそうですが、実際に注意されるされないは関係がなく、認知のズレから不必要な防御に過剰になり、自分で疲労し、さらにそこから逃れるために防御を過剰にするという悪循環にはまっていたわけです。極端に言えば、この時の彼女は自分が褒められる言葉でもない限りは、ほとんどの言葉が『悪』を指摘する断罪の言葉だったとしても、過言ではありません。

家族との信頼関係や立ち位置などは一切関わらない所で、彼女独特の【必死さ】が招いていた事態でした。

不思議なことにこうしてピンポイントの指摘を受けると、彼女は何事もなかったように落ち着いたり、安堵の表情をみせる事がほとんどです。環境や周囲をコントロールする選択に躍起になり、自身の認知を自覚できない事は、心理的にはパニック状態と非常に似ています。

パニックやフラッシュバックは、その原因となった要因を受け入れるというより、その要因にショックを受けた自分の心の流れを理解した時に、少しずつ安定していく傾向があるような気がします。もしかしたらそういった事と似た効果があったのかもしれません。

【これ以上、人に何か注意されたりするのが嫌だからって、目立たないようにしてない?】で、自分の行動の理由を自覚したことで、それをする必要がない事もすぐに理解できるようになりました。この不理解が消えたことで、このグループの内容の会話を受け入れられるようになり、ようやく【家族はただいるだけでいい。何もしなくて(考えなくて)いい】の本当の意味を理解したようです。

この後も、何かしら表情が曇ったり、小さなフリーズやパニックが感じられた時は、ピンポイントな指摘になるように質問を繰り返しました。彼女自身もそのピンポイントの部分を探るようになり、今まで教えてきた様々な対処などともつながりが出てきた様子が見えるようになりました。

ただ、両極思考という特性は今までと比べて露出することは少なくなったものの、疲れてくるとちょっとの指摘や教えるなどの親子で起こる当たり前の軽い行為が、否定的な言葉を排除していても『怒られた』と極端な反応に出てしまうことがあります。

これらは妻の時のように、自分の関わる様々な事への理解・線引や、【~~でいいんだ】という赦しのルールが必要になるため、特に焦りは感じていません。

おそらく自分に関わる生活範囲の物事のうち、6割くらいの出来事にそうした認識ができると、一気に他の事にも応用していけるのではないかと推測されます(妻がそうだった)。

小学校入学の準備

勉強関連

ドリルなどは元々好んでやりたがるタイプだったので、問題文や出題傾向の幅広さに慣れさせるため、ざっくばらんな内容のものに取り組ませていました。特に文章問題に慣れさせるのが目的で、先入観から入って文章を読まず、問題を解きにかかってフリーズする傾向がありました。

これらは単に問題を解く時に行う順序を、改めて説明することを何度か繰り返すだけでクリアしました。長男の時にもありましたが、問題を解く順番や、解く手順などの【知ってるだろう・分かるだろう】は鬼門でした。
『わかってるって』という態度全開でも、『大事だからちゃんと分かろうとして聞いて』と、前置きをすることで再認識してもらうと進めやすかったです。

文字や数字に関しては、遅れは見られずむしろ平均以上な部分もあったので、それほど苦労はしませんでした。

長男の時と同じく、宿題や勉強への集中力を保ちやすくするために、各教科ごと【何のためにやるか・これを極めると何ができるか・どこまでくらいできるといいか】など、目的・意義と境界線を説明しました。

学校生活関連

一番重視したのは通学路への行き帰り練習です。長男に比べて衝動性が高く、状況認識や実感力の薄い傾向のある娘の場合、命が関わる部分でもありましたので。

数カ月前から折を見ては、歩いて学校まで往復練習をしつつ、どこで何が起きやすいか、どこを歩けばいいか、安全確認の方法や危険予知を言葉で反復しながら歩きました。

各教科ごとの目的・意義と同じく、娘の場合はひとつひとつの行動にも目的・意義がハッキリしていると、衝動的な行動やパニックなどが起こりにくい傾向になります。集団登校のルールはもちろん、なぜみんなで登校するか、なぜ一列で歩くのかなどの目的・意義、そして誰にどこまで従うべきかなども説明すると、自然と練習中の他動・転動も少なくなっていきました。

また、一応女の子ですので、【不審者対策】についてもしっかりと説明し、連れ去り等の対策を説明しました。

対策は以前ツイッターで見てうなり、すぐに教えていた方法(出典元を忘れてしまいました……)【おうちの人に聞いてくる~】の返答を再度確認した形です。

その他に、学校生活で娘の場合に想定できる問題は、【先生との距離感】の問題です。担任の先生は一般の大人と比べて関わる比重が大きいため、娘の場合は何かしらの【いい子に見せる演技】や【どこまで自分の思い通りに行動するかの試し】に傾倒していく事が考えられます。

先生とはどういう職業で、自分にどこまでしてくれる人物なのか

先生が求めているものは、自分がどうなることなのか

先生という大人に対し、自分は何をどこまで求めるのか

これらの定義を確認し、家族と同じく関係に対してコントロールを求める必要がないことも確認しました。投稿から数日の間は『褒めてもらおうといいお返事することばかりに夢中になったなかった?』など、想定できる行動の確認をとり(バッチリやっていた)、なるべく距離感の取り方を注視しました。

【こうしていればいい】が定着してしまうと修正が難しいので、早い内に補助をした形です。

【関連記事】

アスペ妻の記録~赦しのルール~

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小学1年生:言葉の遅れ・語彙力が低く話が通じにくかった理由│アスペな娘 http://asdweb.net/2nd-can-not-communicate http://asdweb.net/2nd-can-not-communicate#respond Thu, 16 Apr 2015 13:46:18 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[アスペルガーな娘]]> <![CDATA[娘小学1年生]]> http://asdweb.net/?p=3237 <![CDATA[小学校1年生はどれくらいの会話力があるものなのか、長男の時は語彙力が低く、また話の要点を絞れないため延々と不要な話をして居ることが多かった。 なんとなく『会話力が遅れているのかも』と気になり、お友達を連れてきた時などに耳 […]]]> <![CDATA[

小学校1年生はどれくらいの会話力があるものなのか、長男の時は語彙力が低く、また話の要点を絞れないため延々と不要な話をして居ることが多かった。

なんとなく『会話力が遅れているのかも』と気になり、お友達を連れてきた時などに耳を傾けてみた時期がある。

結果は【この時期の子は個人差が凄く大きい】───。

驚くほどしっかりしゃべる子もいれば、キャッチボールができずテンションでやり込めようとする子。子供同士の会話でもその個人差は存在している。『おじゃまします・おじゃましました』『ありがとう』『ごめんなさい』などの基本的な挨拶が出来るかどうかも千差万別。

長男の場合は本人の【言葉と表現の伝え方テクニック】が問題だったので、意図的に要点が話せるように誘導を掛けたり、適切な表現を教えて選択肢を広げる対応でクリア。理由が分かりやすかった事と、対処もしやすかったので特に苦労は感じなかった。

……が、娘の場合はちょっと様子が違う。

聞き取り・受信に関して、本人に意味は通じている(ものによって苦手はあるが)。しかし、話を聞いている時にどこか“無駄なエネルギーを浪費している感”がある。

話す・発信に関しては、いちいちと言っていいほど、表現がズレていたり“当たらずしも遠からずな言葉選び”が当たり前に起きている。

─── そして、厄介なのはこういう時に言い方を直したり、正しい言い方を教えただけでも、彼女のコンディションによっては【失敗・間違い=悪(両極思考)】となり激しく落ち込み、その後の会話が余計にそぞろになってしまう。

“無駄なエネルギーを浪費している感”
“当たらずしも遠からずな言葉選び”

特性と片付けるだけでは全く対処のとり様がない。今までも気にかかっていた部分だが、これら2つの原因と、会話中の両極思考をさらに強めていた原因がようやく分かった。

※この記事中の出来事は、わが家の娘の場合の特性や本人の偏りによるものです。全ての自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の方に当てはまるものではありません。また、似ているからと言って、それが自閉症スペクトラムであることの根拠にはなりません。

今だから分かること

今回はわが家の娘の独特なケースですが、行動・選択の取り方に【こういうつまづき方もあるのか】と、なんかのヒントになることもあるかもしれないので書き残しておきます。

会話の最中、言い回しや言葉選びが独特で、外の大人との会話では明らかに間違って伝わっている事が多いのがよく見受けられました。

本人も間違って伝わっているのに気がついているのかどうか分からない時もありますが、間違いに気がついたとしても、そこで諦めてなあなあにしたままその場を離れたり……。

小学校低学年ではありがちな事だとは思いますが、これもわが娘のありかちなケース【違和感を感じるくらい頻度が高い】。

年齢的な部分を踏まえて考えてみても、会話のレベルは抜きに不成立なことが多く、相手に意味を拾ってもらうことで成立することに偏っているようでした。

どこか【会話をするという行動の中に、何か余計な行程が入っている】そんな感じ。

なんてことのない会話の中でも、相手の言葉に対して何かしら『~~ってこと?』と聞き返してきますが、その表現がいつもどこかピンポイントに正解しているものではない事が常です。むしろ、わざとズラしているかのような独特な外れ方をしてきます(60~70点くらいの解答)。

そして、そういった時の彼女は、会話の内容を理解をしていない事が多いのも特徴でした。

例えばいつもの就寝時間より、ちょっと早い時間に『今日は疲れてるみたいだから、今日はもう寝ようか』という提案をした時のケース

娘『はやねはやおきってこと?』

私『よく知ってるね。でも“早寝早起き”は早く寝て早く起きるって意味だからちょっと違うかな。疲れているのだから早く寝て、いつもと同じ時間に起きれば、いつもより長く寝ていられるでしょ?(紙に描いて説明)』

娘『……うん(微妙な反応)』

私『疲れているんだからどうするんだっけ?』

娘『はやねはやおきってこと?』

私『今日はもう寝ようって事』

娘『ああ……そういうことか』

私『あれ、どこいくの?』

娘『え? となりのへやにマンガをとりにいくの』

私『今日はもう寝るんだから、寝る準備をしようよ』

娘『ああ……そういうことか(歯をみがきにいく)』

……こんな感じです。いつもと予定が狂って戸惑っている様子はありませんし、疲れているからといって思考力が落ちているという様子もありませんでした。

こういう風に『~~ってこと?』と聞き返して来た時は、言葉の意味や言い回しのズレはもちろん、内容が届かない事が高確率で起こります。

彼女に起こっていたこと

自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)によく言われる特性や傾向で考えようとすると

自分の中にある材料(言葉)だけで何とかしようとする

自分の知っている言葉とピンポイントで同じではないから分からない

言葉からの意味が上手く拾えない

会話中の違う意味を補正できない

相手に好印象を与えることに意識が行きメモリ不足

会話に何かしらの理由で緊張している

などの原因が考えられましたが、どれも言い得ているようで決定的な何かが感じられません。上記に当てはまる状況でも、起こらない時は全く起こらないのです。

ある時【じゃあ、なんで言い直すんだろう?】と言う点で彼女の立場に立って考えていたところ、とある可能性が頭に浮かびました。

私『あのさ、娘のことなんだけど』

妻『ん?』

私『娘って、話ししている時に“それって、~~ってこと?”ってよく違う言葉に言い直してから聞き直して来ない?』

妻『……ああ~、あるね。あるある』

私『あれさ、それそのものの言葉を憶えるために聞き直しているんじゃなくて、自分の中にある言葉に翻訳しなおすために言葉を探してきてたりしてって思ったんだけど、どう思う?』

妻『ああ! それあるかもしれない。後さ、“自分は分かってる”って姿を見せようとしすぎて、話に頭がいってないとかもあるよね』

私『そう、それそれ、それもある! たださ、あまりノリとして“人を意識していない時”にもこの聞き返しが起こって、だいたいそういう時って会話が理解できなくなるんだよ』

ここから話はより詳細に向かい、ひとつの仮説が浮上した。

最初は【分かっている自分を演じることで、評価をあげようとする】状態からスタートするが、それらが起こる時期には波がある。

1日に何度も、何日も繰り返すうちに当初の目的が薄れていき、その【自分の中にある近い意味の言葉を上げることで自分の理解を表現する】という行動のみに偏りだす。

やがて本人も知らないうちに【自分の中にある近い意味の言葉を上げる】ことだけに集中するようになり、会話の全体の流れや今投げかけられた言葉の意味を実感を持って理解出来るだけのメモリを確保できていないのではないか?

というもの。
その日に娘に話すことがあったので、早速その仮説の元に対応してみることとなりました。

予想以上の効果

娘と学校生活について話をしていると、やはり彼女は『それって、~~ってこと?』を投げかけてきました。

そこに対してなるべく自然に切り替えしてみました。

私『ああ、今はそうやって言い直さなくていいから、聞いている言葉をそのまま使って聞いてくれる?』

─── その瞬間の娘の顔は何と言えばいいのか……。

怒られた風でも恥ずかしい風でも困惑する風でもなく、スケジュールの書かれたボードを見て、【ああ、この作業は今しなくていいのね】と極自然に認識して自分の作業に戻る感じといいましょうか……。DVDで言語選択出来るのを知らずに英語で観てて、切り替えボタンを教えてもらった瞬間といいましょうか……。

彼女にとっては『ああ、この作業やってなくていいなら楽だわ』くらいの感じだったのかもしれません。明らかにあいづちの打ち方や返答に自然さが現れ、会話が止まること無くスムーズに流れだしました。

それどころか、その後、妻と話していても飲み込みが速くなり、【ひとつひとつ説明をせざるを得ない空気】がなく、さくさくと理解しているのが目に見えるようでした。

長男や同世代のお友達に話しかけた時の、あの不安定感やズレを感じさせない、気軽な雰囲気。

特に何かを説明して理解してもらったわけでもなく、この一度きりの切り返しで、彼女は突如大きな変化を見せたのです。
もちろんここ最近の自己評価の置き方や、両極思考への対処などがあっての変化だとは思うのですが、それにしても大きな変化でした。

もし、仮説の通りだったのなら(余計な先入観を持たれたくはないので確認することはしていない)、彼女が咬み合わない会話をしていたり、言葉の意味が何かしらズレていくあの感じにも説明がつきます。

彼女は最初の目的はどうであれ、聞いた言葉を一度自分の言葉に訳すように照合する作業をはさんでいた。

だからメモリは余分に失われ、実感が薄れやすくなることで、場に相対的なボーダーも失いやすくなっていた。そうして両極思考が起こりやすくなる環境を自ら起こし、会話の度に軽くフリーズしかけるような思考の氾濫状態に陥っていた。

会話中での新たな言葉の吸収は激減し、結局、扱う言葉は自分の中にあるものだけで回そうとすることになる。印象に残るのは会話の時に思い浮かべた【自分の中にある近い意味の言葉】に、大きく偏ることとなり、自然と語彙力は少なくなっていく。

という感じでしょうか。
会話をする上で評価を受けようとする、彼女の認知自体はもう少し先の理解となりそうですが、そこで取ってしまっていた行動と選択にはアプローチできたのかもしれません。

ちなみに彼女がこうした取り違いを起こしていたのは珍しいことではありません。

【違う・間違う=悪】と両極思考が強く、また意識的に自分と他人との違いに耳と目を塞いできた彼女には、こうした『行動・選択さえ変えれば簡単に楽になるのに、なぜわざわざ迂回したやり方をするのか……』というものが数多くありました。

どうしても変えられない特性であったり、そうしないと自身の心を守りきれないのであれば触れる必要はありませんが、『こうなるのは嫌だからこうする』という程度の判断でパニックを起こすほどの歪みを生んでいるのなら手を差し伸べる必要があります。

あれから一週間近く経ちますが、彼女のフィルターがかかったような距離感のある会話は戻ってきていません。

今回はそんな彼女独特の行動・選択のひとつでした。

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同じ失敗を繰り返してしまうサイクル│アスペルガーの特性と自己評価 http://asdweb.net/repeat-mistake http://asdweb.net/repeat-mistake#respond Mon, 13 Apr 2015 09:48:23 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[手記]]> <![CDATA[具体策]]> <![CDATA[苦手]]> http://asdweb.net/?p=3232 <![CDATA[上手くいき始めの壁 上手く行き始めていたのに、ちょっとした事で混乱し、せっかく上手く行き始めたものが失敗に終わってしまう。 そうなることを避けていたので、なおさらショックは大きく、取り戻すのに大きな時間がかかってしまう。 […]]]> <![CDATA[

上手くいき始めの壁

上手く行き始めていたのに、ちょっとした事で混乱し、せっかく上手く行き始めたものが失敗に終わってしまう。

そうなることを避けていたので、なおさらショックは大きく、取り戻すのに大きな時間がかかってしまう。

娘の自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の診断がつき、その対応に進みだした頃。また、妻にもその傾向が強いことが分かり、その対応を始めた頃によくありました。

今まで思考や行動を阻んできた、小さな認知のズレを解消しつつ、上手く行き始めた時に突如元に戻るような事が繰り返されたことがあります。

娘の言動やクセ、いたづらのぶり返しなどもそうですが、妻の家族との関わり方・仕事への取り組み方なども、同じくサイクルの様なものがみられたのです。

今回はこれらのサイクルから抜け出したり、つまずいた時すぐに復帰できる様になった流れをご紹介したいと思います。

失敗するパターン

まず上手くいくように望み、動き出す時は多くの確認事項や、注意事項の再確認の繰り返しが多くなります。

今までと流れを変えるのは慣れるまでが大変だからです。

しかし、それら確認事項が功を奏して物事が進み始めると、今までいちいち確認していたものに、それほどの注意を必要としなくなってきます。流れに余裕を持てている時期です。

こうして確認事項がそれほど必要としなくても、上手くいっているうちはいいのですが、ここで小さなミスや予定変更が置きて、今までの流れに変化が起きた時に問題が起こりやすくなります(幼いうちは上手くいったとたんに有頂天になり、その段階で確認をやめることも多い)。

慣れた頃が危ない。

この小さなミスや予定変更の時に、どう反応するかで大きく分かれていきます。

特にわが家の自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)当事者たちに見られた分岐点は、【もう一度確認から】に戻れるか、【上手く回せない自分を責める】かです。

失敗のサイクルと自己評価

【もう一度確認から】はベテランであればあるほど、余裕がある人であればある人ほど、自然に要領よくこなしている気がします。

確認事項も少なくなるよう、ポイントを絞って確認作業自体のコストを下げていったりします。

しかし、【上手く回せない自分を責める】場合はちょっとややこしくなります。わが家では妻と娘によく見られましたが、こうしてミスした時にすぐ『できていると思って調子に乗っていた』とか『どうして私はミスをしてしまうんだ』と、自己評価を下げることに直結した思考に陥ることです。

そしてこれは大きなミスが起きていなくても、忙しくなったり手順が変わり、上手く進んでいないと焦りを感じた段階で思いつめてしまうことがあります。

ここに至ると、『何が悪かった』などの自分の至らなかった表面的な部分に、考えを集中させたような言動が多くなります。いくら思考しても現実は変わりませんし、納得の行く答えが見つからない限りは動き出せない状態に陥ることにもなりかねません。

問題に対する不安感も大きくなりますし、自分の中に失敗の答えが見つからないので『相談』なども難しくなってしまいます。

ミスのサイクル

……かえって分かり難いわ! となるかもですが、なんとなくまとめてみました。

ずっと上手く言っていた時の流れのままだったら良いのですが、現実はそうも行きません。予定の変更・作業の増加・行程の前後・他との兼ね合いでのタイミング待ち……などなど。

ここで感じた不安は、自分ができていないという責め苦になりやすく、またそうした精神状態だと【どうして上手くいっていた時みたいにできないんだ!】と焦りも生みやすかったようです。

ベーシックな確認手順を設定

ふだんの生活の流れ・家族や他人との接し方・仕事の回し方、それらのどれにも単純な確認作業としてシンプルにできる部分があります。

例えば子供との接し方ですと

ふだんのルールを明確にしておく

ルールにグレーで迫られたら『イヤ・困る』と本心を言う

上手くしようとはせず、『して欲しいこと』と『自分の気持ち』を比べて考える

こういった明確で初歩的な確認事項を、ルーティンとして何かの始まりの前や、予定の変更などでペースが乱れた時に、ホームポジションとして戻るようにします。メモ書きや付箋などで、いつでも眼に入る所に張っておくと、普段から意識するクセがつくので良い影響が出ていました。

こぼれ話ですが、子供用にもホワイトボードに予定や確認事項を書いていますが、書いている妻自身の安定につながっていた事もよくあったようです。

これらは仕事でも勉強でも当てはめられます。確認事項をシンプルにしてルーティンに組み込んでしまう、流れが変わり始めた時に確認するクセを作ると良いようです。

あまりに混乱が激しい時は、今目の前に積み重なっている物事をメモに書き出して、『なにをどれから……』という決着のつかない物事を文字にして視覚的に確認します。

今抱えていること

頭の中にある気になっていること

よく分からないと思っていること

などを書き出していくと、もやもやをひと目で把握できるので、楽になることがあるようです。(詳しくは⇒常にパニックな人のための不安コントロール│ASDソーシャルスキル
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新一年生:人の話を聞いてるようで聞いてない│アスペルガーな娘 http://asdweb.net/2nd-not-listen-to-talk http://asdweb.net/2nd-not-listen-to-talk#respond Fri, 10 Apr 2015 09:02:51 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[アスペルガーな娘]]> <![CDATA[娘小学1年生]]> http://asdweb.net/?p=3219 <![CDATA[妻と会話している娘を見ていると、わずかだが違和感を感じる。それは彼女を知らなければ【言いがかり】に近い、違和感なのだろうと思う。 ─── 人の話を聞いているようで聞いていない 極端な時は言われているそばから、注意された行 […]]]> <![CDATA[

妻と会話している娘を見ていると、わずかだが違和感を感じる。それは彼女を知らなければ【言いがかり】に近い、違和感なのだろうと思う。

─── 人の話を聞いているようで聞いていない

極端な時は言われているそばから、注意された行動をそのまま続けていたり、同意したのに何に同意したのかわからなかったり……。
妻の言葉に要所要所、的確にあいづちを打ったり、返事を返してはいるが、やや瞳孔が開いたような不安感のある目と、【うん♡】と常に身を乗り出すような演技がかった姿勢。

そして、親がいる時はどこか【しっかりここに居られている】を演出するような仕草が、いたるところで見え隠れしている。

慣れない小学校生活で疲れている? 
憶えなきゃいけない事が多くて余裕が無い?

いや、多分違うだろう。彼女は今、小学校の教室で続けていた立ち振舞や、自分なりに遂行している【人との関わり方】から、家族といる時の関係性に切り替えられていないのではないだろうか?

自分の立場とそこにいる意義

※これ、意外と特性によっては大人の自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の当事者や、パニックになりがちな方にも有効かもしれません。

長男の新一年生時代にも起こりましたが、今、彼女に起こっていることの要因の一つは【自分の立場とそこにいる意義】が一部欠けているからです。同時に【話を分かろうとして聞く】という、感覚的に一歩乗り出す意識が薄かった事が挙げられます。

わが家の自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)当事者たちが、環境の変化や情報の氾濫が立ちはだかると、起こりやすくなるいくつかの特性の助長があります。

自分の気持ちや体調に鈍感になったり(感覚鈍麻)、ざわつきや肌の感覚などの、普段ならある程度の選択的集中が効いているはずの感覚に敏感になる(感覚過敏)などです。

そういった自分の状況や心に気がつくのは、状況と特性とが一致して難しくなることがあるので、キーワード付けだけでは上手くいかないことがあります。

ある程度の環境の想定ができる場面では、うちでは【自分の立場とそこにいる意義】を予め確認することが有効な事が多くあります。自分の心は曖昧ですが、そこに関わる目的や意図は明確に設定できるからです。

学校は何をしに行くところだっけ?
⇒勉強をする所・自分で出来るように分かるようにする所
先生は何のために前で話している?
⇒みんな一人ひとり、しっかり聞いて分かるようにするため
しっかり聞くとはどういうことか?
⇒話の意味や自分がやることが分かるように聞くこと
先生は元気なあいづちや聞いてるフリが欲しいの?
⇒先生が欲しいのは生徒がわかっていること
返事はなんのためにする?
⇒聞いた話を理解した合図・話をわかろうとしている合図

細かいようですが、学校で先生と生徒の間に起こるやりとりを、できるだけ多く想定し、ひとつひとつ分解して明言していきます。

両極思考が強く【失敗=悪】と考えやすい娘は、人間関係でも相手からの評価を常に気にして、相手に合わせるのを再優先してしまう傾向があります。

彼女の場合、こうした環境の変化が起こると、まず先生などそこにいる大人や年長者に評価されようと、友好的な態度を表すことに躍起になります。

その初歩的な行動であり、しかし後半からどんどん人間関係の悪化や、自分の立場を失わせる行動が【しっかり聞いているふりをする】です。相づちや相手の顔を見ることなどに集中すると、“よく聞いている”と評価される事が多いので、そればかりになり話を理解できるほどの実感やメモリを確保できていない状態です。

内と外で問題が異なる

自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の子供の場合、外で問題になるのに家ではおとなしかったり、家では問題になるのに、外では大きな問題が起こらないなどのブレが起きることがあります。

我が娘にもその傾向があり、どちらかと言えば外では大きな問題はそれほど起こりません。しかし、家では一切リラックスをできなくなったり、自分の立ち振舞を気にしすぎて押しつぶされてしまう事が常でした。

彼女の場合は両極思考が強く、失敗で自己評価が下がることを恐れ、集団にいる時は基本集団の流れに合わせて隠れ、確実に評価される時だけ前に出るという方法をとっていました。

彼女にとっては、【教えられる=できていない=悪】でもあるからです。

気分によっては教えられただけで落ち込み、気分を害するなど周囲が理解できない感情の起伏を見せることもありました。

家に帰ると紛れるための集団がありません。家族同士の行動はすぐに把握されます。【教えられる=できていない=悪】な彼女は、『そこ、壊れてるから危ないよ』などの注意すら【悪】なので、常に緊張状態を強いられることになっていたのです。(これが判明する詳細はこの過去記事⇒アスペ妻の記録~当事者意識~

この両極思考に支配された認知も、彼女本人がピンポイントな言葉の再現によって自覚し、大きく前進しました。しかし、完全に消えたわけでもありません。

家ではリラックスしていますが、外の世界ではまだ【他人からの評価をそのまま自己評価にしている】のは変わりません。特に急な環境変化が起きた場合、この傾向は強くなり【相手の視線に合わせていればいい】に傾倒していきます。

これを帰宅時に切り替えられるほど、まだ娘は大人になっていませんし、そもそもその人に合わせる行為自体が“悪いことかどうか以前に、そうしている自覚がない”という、相手をコントロールするための行動・選択に偏っています。

今まではこの内と外での問題の違いが、正体不明の難問でしかありませんでしたが、ここまで分かれば逆に“外での対外的な行動が予測できる”というヒントだらけです。
ちょっとした表情の硬さや、不自然なイントネーションなど、そこに浮いて見える全ての仕草が、今の彼女の“外での重大事”を知るための手がかりになります。

適正な認知とのすり合わせ

まず、彼女がそうしている事の自覚を促す必要があります。

『今日もいろんな事をたくさん教わったでしょう? 疲れた?』
(今現在の体感覚の自覚を促す)

『先生にいいお返事するのに夢中になってなかった?』
(行動を思い起こさせる)

『それって、いいお返事すれば先生が褒めてくれるからだよね?』
(自分の欲求を思い出させる)

『ちゃんと話が分かってた? 終わった後“何すればいいんだっけ?”ってならなかった?』
(行動・選択の結果を認識させる)

『先生がしっかり教えてくれたのに、君が“出来なかった”ってなるのは、君だけじゃなくて、教える仕事の先生も辛いんじゃないかな?』
(結果から考えられる影響を明示)

『だから、先生が本当に欲しいのは、しっかり聞いているフリの君じゃなくて、話をわかってくれる君なんじゃない?』
(行動・選択の修正)

といった流れで説明をしました。彼女が理解しやすくなったのは、さらに私の幼いころの記憶を話したことが大きかったかもしれません。

お父さんも君くらいの頃、話している人の顔をじっと見たり、『聞く』ってことに必死になって、いざその後『で、何だっけ? ここで何かするのは分かるんだけど、俺、なにすればいいの?』って思ってたことがあるよ。

だから次はもっとちゃんと『聞こう』ってしすぎて、やっぱり途中で疲れてボーっとしちゃったりする。

でも、ある時ひらめいたんだ。

『これは何のための話で、誰のための話で、何させようとしてるのかを聞き出そうとすればいいんじゃないか?』って。その話で自分がどうすればいいか探そうとすればいいって思ったんだよ。

急に話を聞くのが楽になったし、ボーっともしなくなった。話す人の方を見るのも、相手の顔を見るんじゃなくて、わかろうとすると自然とそっちむくんだよね。

だからさ、頑張ってなんとかするんじゃなくて、これってスイッチじゃない? 『話を聞く時』のスイッチを決めただけなんだよ。だから凄くラクに出来るようになったよ。

“頑張ってなんとかするんじゃなくて”のあたりで、腑に落ちたような実感のある表情になってました。【話を分かろうとして聞く】という意識は、自分が困ったときに超えられるチャンスがあるのかもしれませんが、娘の場合自己評価の低下やパニックに直結してしまう危険性があるので、こちらから働きかける必要がありました。

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6歳:物事に飛びつく・叶わないと癇癪を起こすパターン

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パートナーがアスペルガーの場合の抑うつ状態│カサンドラ症候群への対策 http://asdweb.net/depression-cassandra http://asdweb.net/depression-cassandra#respond Tue, 07 Apr 2015 09:45:42 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[手記]]> <![CDATA[うつ対策]]> <![CDATA[カサンドラ症候群]]> <![CDATA[コミュ障害]]> <![CDATA[実際の思考]]> <![CDATA[苦手]]> http://asdweb.net/?p=3209 <![CDATA[どこか夫婦で分かり合えない。 会話が続かない。 感情的になられて触れられない問題が多い。 自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)当事者の特性や気質によって、そのパートナーが強い孤独感や不安感、また“どうにもしようのない […]]]> <![CDATA[

どこか夫婦で分かり合えない。
会話が続かない。
感情的になられて触れられない問題が多い。

自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)当事者の特性や気質によって、そのパートナーが強い孤独感や不安感、また“どうにもしようのない、やりきれなさ”に支配されてしまうことがあります。それは時に激しい抑うつ状態に陥ったり、自らの存在を否定してしまうような、強い自己評価の低下を招く恐れがあります。

こうした心理的な強迫状態から起こる、様々なストレス症状群や身体的、精神的症状を指して、【カサンドラ症候群(カサンドラ情動剥奪障害)】と呼ばれています。

今回は私自身の経験を元に、自分とパートナーとの関係に何が起こっていたのか、どうして抑うつ状態を引き起こす心理状態に陥ったのかをまとめてみたいと思います。実はここを理解するだけで、あの“やりきれなさ”はかなり解消されることがあります。

そして、この“理解”はASD当事者の方にも、ちょっと肩の力を抜ける視点になるかもしれません。抑うつ状態に陥るポイントは定型・非定型もさほど違いはないと思います。

抑うつは精神疾患とは限らない

なぜカサンドラ症候群の対策の話に、いきなり抑うつの話を持ってきたかというと、精神疾患としての抑うつになっていなくても、同じような心理状態になるほどの辛い状況は、夫婦の関係のあり方で簡単に再現出来てしまう危険性があるからです。

これが思いの外、自覚しにくく、想像以上に広範囲に渡って【やりきれなさ】を生み出す素になっています。

まず、心理的に追い込まれた人間が【抑うつ状態】になる事に対して、性格的なものや精神的な弱さだとする誤解がよくあります。正しくは、抑うつ状態は正常な心理反応です。自分の気分が低下してきた時、【うつは甘え】といった誤解があると、今そうなっている自分をさらに卑下して悪化を招く危険性があります。

抑うつ状態はその一定のレベルを超えた時に、医学的な治療が必要となります。でも、そこに行くまでの精神的な低下も抑うつ状態です。そこに数値化できるボーダーはありません。

つまり、誰だって抑うつになる可能性はありますし、程度の差こそあれ、実は誰もが体験したことのあるものなのかもしれません。自閉症スペクトラムが自閉症との連続体だと言うように、精神疾患からの地続きの心理状態であると考えたほうが、【うつは甘え】などという勘違いは起こらないかと思います。

その上で、人はどんなに心が強かろうが、賢かろうが恵まれた環境であろうが、とある特定の条件がそろっていると、抑うつ状態になる可能性があるのではないかと考えられます。

抑うつになりやすい環境条件

例えば酷い環境でないはずの職場でうつ病を発症してしまい、退社を余儀なくされた方々のお話を聞いていると、ある共通点が感じられました。

A:上司や同僚との、プライベートもしくは私情にからむコミュニケーションが極端に少ない。腹を割った会話がない。相手がそれらに応じない体制をとっている。

B:仕事をはじめ、様々なことへの相談が【そんなことは自分でやれ】という空気があり、些細な事でも相談がしづらい上、重要な相談事は煙たがられる傾向がある。

この条件にプラスα、その上司や同僚が【怒鳴る・無視する・嫌そうだが指摘はしない】など、解決に結びつかない割に、その独特な表面上のこびりつきやすい印象のリアクションがついてきます。

もちろん怒鳴られるなどの感情的な対応は苦痛になりますが、実際に抑うつ状態に引き込んでいる要因は、特に上記AとB2つの条件が大きいのではないかと思います。

─── 人に話すと、大した問題のある環境ではないのに、そこにいる時にじわりじわりと辛さを感じる。でも、それを人に相談するには、それを話題にできるほど、自分でもなぜなのか解らない。

この感じは私自身が自身の夫婦関係に感じていた、また自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の長男と娘に感じていた感覚に非常に近いものを感じます。

相手の真意が解らない

相手の真意や趣向が掴みにくい状況は、実際に話の主題にしたい事への配慮だけでなく、その時々の相手の顔色をうかがう必要が出てきます。

夫婦も職場の同僚も、関係性を簡単に破棄できません。何らかの問題があった時、その解決が迫られるわけですが、一緒にいる環境で相手の真意が分からないと進めにくくなることが多くあります。

実際に問題解決だけで済めばラクなのですが、そこに関わる相手の真意を察しながらというのは、問題のある状況そのものが【こちらの責任】の様に重くのしかかってきます。

この【こちらの責任】の錯覚が、事態をどんどん動かしにくいものにしていきます。

例え小さな問題であったとしても、一人でなんの相談もなく進めていくのは、その環境に属している以上、なんらかの衝突や不具合を生む事があります。これは今までの経験から培ってきた社会通念の様なものです。

その社会で上手く回すことはもちろん、今現在自分が進めていることが正しいことであると、誰かに共感してもらえることは、大きな安心感を得る材料でもあります。

では、なぜ相手はあなたに真意を見せないのでしょうか?

実はここを考える時、自己評価が低下していると、考えたくなくてもイヤな錯覚を生み出していくようになります。

自分はこの環境に上手く適応できていないのではないか?
自分はこの場に必要とされるほどの貢献ができていないのではないか?
自分はこの環境からズレているのではないか?

そして、

自分は何もできない、できていない人間なのではないか?

真意を見せない真意

真意を見せない(見せられない)のは、自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の場合、その特性から起こりやすいことではありますが、これは極一般的な社会において定型発達者でも簡単に陥るパターンでもあります。

例えば自分がその場にいて、その環境にいる人達と比べて、今自分が大きく劣っている設定にあったとして、あなたはどれだけ人前で発言できるでしょうか?

劣等感がある場合、まずその原因となる部分を隠そうとして、口数を減らしたり触れないようにすることはよくあることです。逆に、その劣等感を認めたくないが故に、その話題を逸そうと不機嫌を演じたり、感情的に否定することで場をコントロールする事もよく見られることです。

劣等感までとは言わないにしても、ちょっとした苦手意識でもこうした行動は起こります。

例えば人と話すのが苦手だと考えている人は、人前での発言を避けたり、発言の機会を避けようとしますが、そこに大きく関わっているのは【上手く話せなかったらどうしよう・こんなことを言ったら笑われるかもしれない】などの防御機構があると考えられます。

また、自分で教えることに対して不安があったり、その労力に今不安がある場合、人からの質問を同じような防御機構で返すことがあります。

自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の当事者の場合、まず、【0か100か】などの両極思考が原因で、相手からの疑問や質問に対して極端な反応をしてしまうことがあります。

自分に責任がないのに、その問題を解消できない時、自分に責任があるかのように捉えて苦痛を感じることを【責任の個人化】といいますが、この状態はASD当事者だけでなく、実は自己評価が低下している人誰にでも起こりがちな問題だったりします。

カサンドラ症候群に陥る最初の一歩は、実はこの【真意を見せない真意】を理解できないからこそ、いつしかパートナーも自分に責任があるかのような【責任の個人化】の発想に陥っている可能性があるのではないかと思えます。

人間関係において真意が見えないことは、現実の問題の『考えるコスト』を、何倍にも何十倍にも膨れ上がらせる事があるようです。

立場が見えないから苦しい

夫婦関係・職場・学校、どこでもそこで対人関係が起これば、相手と自分との問題です。なぜ、そこに問題が起きたかが分かれば、後はその問題を考えていくだけです。

しかし、お互いの立場がわかりづらくなると、途端に変動が激しくてややこしい感情的な問題のようになってしまいます。

相手が防御機構の様に、自分からの解決に動かず、こちらの対応に傾いている時の多くは、相手が何かしらのコントロールを望んでいる時です。

そのコントロールとは
苦手な問題だからなかったことにしたい
非を認めるのは人間関係に亀裂が生じそうで怖いからイヤ
こちらは背負いたくないから責任がないように見せたい

おそらくはこうした状況への表面的な対応に偏っているはずです。この思考は特に自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)当事者が特性として、無意識のうちに反応として返してしまうタイプの行動・選択です。むしろ、本人自身もこうして動いてしまうことを自身でわからず、苦痛を覚えている方もいるのではないでしょうか?

……さて、この中にはあなたという人間性を否定する内容が入っているでしょうか?

問題の構図をまとめるとこんな感じです。

①何かの問題がある⇒
②相手は自分の理由で相談に応じない⇒
③その理由が解らないためにひとつひとつのリアクションまでこちらは気になりだす⇒

④何が悪いのか・どんな立場なのか見失う

やはりこの中にもあなたという人間性を否定するものはないと思います。

自己評価が下がっていると、こうした時も【いや、でも今までがダメだったから、相手は嫌になって反応してるんだ】と思いがちですし、そうした論点で迫ると売り言葉に買い言葉でそのように返されてしまうこともあります。

これを防ぐのは案外簡単で、相手の苦手の理由を考えて当てはめれば、自分の立場がわからないまま【責任の個人化】に陥る理由がなくなります。

相手の苦手を当てはめる例
なんで週末の予定を相談しようとしただけで怒鳴られたんだろう?
⇒考えるのが苦手だったか、そこに行く失敗が浮かんだか?
 ※テレビに夢中で邪魔されたくなかったなんてことも……
⇒なんで苦手なんだろう、なんの失敗が怖いんだろう?
⇒やるべき行程がわからないから余裕がないんだ

問題点は表面的で、しかし相談する余裕を瞬間的に確保できないため、受け取り方や返答が極端になっていることが多いのではないでしょうか(表面思考と両極思考)?

で、あればそこまでの質問が考えられる様になるのですが、今はここでそうした打開策をその場その場で考えられるようになるというより、こうした感覚を自分に浸透させるのが先かもしれません。

─── ああ、~~が苦手だから、応じないんだ!

限定的な思考

抑うつ状態の時、色々なことがどんどん解消しがたい難問だらけになっていくことがあります。他のアドバイスや情報を耳にしても【でも、うちは~~だし】と否定する姿勢から入ってしまい、発想が極端になることでそこにあるヒントを見過ごしがちにもなります。

これも能力や性格などの、個人のポテンシャルの問題ではありません。そうなるように心理的に反応しているだけのような気がします。

問題に対し、相手の真意が見えなければ問題は大きくなり、かかわる時間が長くなります。さらに自分がそこにどうしていればいいのかも見失えば、そこに問題意識があるのに【もともと何だったか解らない】ところに押しやられます。その状態でなかなか違う立場からの言葉を認識するのは難しいですし、自分の立場や問題の真意があやふやである以上、それを比較する事も難しくなるのではないでしょうか。

人間関係は生活の重要な基板ですし、また結婚となれば経済的・将来的・そして継続することへの自己評価や世間の目がついてきます。

このただでさえややこしい中に、こうした条件に則ったややこしいコミュニケーションのハードルがあり、しかし、なんの理解もないまま穏やかに超えられる方がいれば、もう鉄人です。

まずはパートナーの【苦手】とそのリアクションを正確に知り、自分に余計な責任がないことを実感していくことをおすすめします。ひとつひとつのリアクションに対する代替案や、認知のズレの修正などに働きかけるのは、この後からのほうがスムーズかもしれません。

また、当事者の方の場合、もしこれを読まれてご自身の行動に思い当たる事があれば、それを文字にして書き出してみてください。真意を見せない真意や、そのためのコントロールは、自覚を持つだけでも苦手を自覚して乗り越えるためのキーポイントになることがあるようです。

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恋人・夫(妻)がアスペルガーもしくは傾向ありの人にお奨めの本

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http://asdweb.net/depression-cassandra/feed/ 0
【感情カード】アスペルガーや気持ちが分かり難い子供のためのツール http://asdweb.net/feelings-card http://asdweb.net/feelings-card#respond Fri, 03 Apr 2015 09:06:14 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[手記]]> <![CDATA[おすすめ]]> <![CDATA[具体策]]> http://asdweb.net/?p=3184 <![CDATA[PC整理をしていたら、以前使用していた【感情カード】のデータが出てきたのでおすそ分けです。家庭用のやっつけ作成なので、数も少ないですし、えらくクールな感じなのはご容赦ください(注意がそれやすい子は簡素なままの方がいいかも […]]]> <![CDATA[

PC整理をしていたら、以前使用していた【感情カード】のデータが出てきたのでおすそ分けです。家庭用のやっつけ作成なので、数も少ないですし、えらくクールな感じなのはご容赦ください(注意がそれやすい子は簡素なままの方がいいかも)。一緒にぬりえにしてから切ってカードにするのもいいかもですね。

感情カードとは、その名の通り感情を表現したイラストと、対応した気持ちを指す言葉が表示されています。言葉と気持ちを結び付けるための簡易なグッズです。

自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の特性として、自分の気持ちに気が付きにくかったり、感情とその表現が結びつきにくいことがあります。特に子供の場合は言葉での表現が追い付いて来ませんし、自分の気持ちを判断する事が難しかったりします。

そういう時に感情カードを提示しながら【こういう気持ちかな?】など、表現として表に出し、慣れてきたら本人に渡して【一番近い気持ちはどれ?】と選ばせるなどの方法があります。自身の中で言葉に置き換えさせたり、自分の気持ちに気がつく様にうながすのに使います。

わが家の場合は、4~5歳の頃の娘にちょくちょくと使用した事があります。彼女の場合は感情に気が付きにくい上に、パニックになるとどれがどれやらわからなくなり、なぜ泣いているのか・なぜふさぎこんでいるのか分からない事がほとんどでした。

ちなみに『おなか が ぐるぐる している』は、娘特有の不安症状です。こういう感じでその子特有の表現を入れていくのもいいかもです。

下記の【こちらからPDFダウンロード】クリックでダウンロードできます。保存する場合はブラウザで開いてから、右クリックで“名前をつけて保存”で保存できます。プリントアウトしてカットしてお使いください。プリンター用の厚紙使用をおすすめします。

感情カード1
感情カード2

こちらからPDFダウンロード

うちではあまり長くは使いませんでしたが、【気持ちを言葉にしようとする】ための感覚を養うには効果的だったように思います。『ね、言葉にしたらスッキリしたでしょ?』などフォローを入れることで、比較的簡単に“聞けば答えられる”ようになりました(自発的に言えるようになるのは年齢的なものもあるので焦りは禁物)。

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気持ち・体調・相談を口に出せない理由│ASD当事者の自己評価ライン

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アスペ妻の記録~卒業~ http://asdweb.net/wife74 http://asdweb.net/wife74#respond Mon, 30 Mar 2015 09:05:50 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[軽度アスペ・ACな妻]]> <![CDATA[アスペ母の影響]]> http://asdweb.net/?p=3176 <![CDATA[娘の卒園式 昨年末から今年初めにかけての、大きな不安定がまるで嘘だったかのように、娘は極々ふつうの子供の様に式の壇上にいた。 他人を意識しすぎることなく、情報の氾濫に呆然とすることもなく、練習の通りに粛々と式に参加してい […]]]> <![CDATA[

娘の卒園式

昨年末から今年初めにかけての、大きな不安定がまるで嘘だったかのように、娘は極々ふつうの子供の様に式の壇上にいた。

他人を意識しすぎることなく、情報の氾濫に呆然とすることもなく、練習の通りに粛々と式に参加している。

一応、朝のうちにいつもの言葉はかけてある。

今日やることは卒園式、主役は君。あと参加している子どもたち全員も主役。おとなは“卒園式を頑張る子どもたち”を見守るために来てる。だから主役は“卒園式”をしっかり頑張って

この地に越してきた時、娘はまだ生後3ヶ月だった。その頃は親が不安になるほど寝過ぎる子で、怖いくらいに手のかからない子だった。

それが生後半年くらいを境に急転直下───。

それからの問題の大半は自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の特性のうち【0か100か】の両極思考と、表面的な刺激に飛びついたりする表面思考。そして何より、他人との境界線のなさが大きかった。

両極思考から否定されることを極端に嫌うため、常に人に合わせようとする。彼女は【自分がこうすれば、相手はこう動くはず】という、意識している相手をコントロールするための選択でしか対人関係を築いてこなかった

今落ち着いているのは、単にたまたま落ち着いているのではない、人間関係の問題点の、最も大きな原因をここ1~2ヶ月で突き止められたことが大きい。

とは言え、ASDの特性として、まだまだ憶えるべきことの方が圧倒的に多いのも確かだ。これからも何かしらの認知のズレや思い込み、そして特性が関わった問題は起こるだろう。

それでもアドバイスにパニックを起こしてしまうほど、心が簡単に電池切れを起こす様な、無駄にこんがらがった回路は整理がついたといっていい。

今日、娘は卒園する───。

卒園式~謝恩会、そして妻

卒園式もつつがなく終了し、記念撮影やお世話になった方々との会話の後、私は長男と次男をつれて一足先に帰宅した。

妻と娘はこれから謝恩会。そのための打ち合わせは、保護者会で半年前から進めてきていた。

息子ふたりに昼食をとらせ、次男はお昼寝、長男は勉強を始める。私は簡単な仕事の整理をリビングのノートPCでつけながら、ふとあることに気がついた。

妻と謝恩会のことについて話し合いを持っていない。いや、この卒園式から入学準備に関しても、私が口を出す事がほとんどなかった。

これだけ同時複数の判断が必要とされる時期に、妻は自分の仕事と家事もこなし、さらに妻主体の新規事業の計画も順調に進んでいる。それは妻が背負いすぎたのでも、私がサボったのでもない。

パニックはもちろん、自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の特性が見え隠れするような問題が何一つ起こっていない。そして、私はパートナーとして、隣に立つこと以上の責務を一切負っていない。

妻は今、自分の実力を正当に発揮して、それらのバランスを完全に掌握し切れていたのだ。

そして、後に謝恩会から帰ってきた妻の口から、その理由を聞くこととなる。

妻の今までの歩み

妻のここまでの成長は、いくつかの視点に分けて整理すると、認知と行動の再形成がどう影響を及ぼしてきたのかが分かりやすくなる。

1:自己評価の確認

何に対して自分の責を感じているのか、どんな時に怒り・焦り・安心を感じるか。

2:良い~悪いそして普通の確認

【良い】を考えれば際限なく先を設定し終わりがない、【悪い】を考えれば自責に終わりがない。【普通】というホームポジションを意識できているかの確認。【良い~普通~悪い】を一本の線上に置き、今事態はどこにあるのかを見える化。

3:問題の個人化の確認
>問題を目にした時、自分の責任ではないのに、自分の責任であるかのように【問題を個人化】していないかを確認。『一番悪いのは誰?』などのキーワード化。
4:行動の理由の確認

1~3の時にどんな行動をとっているか、それはどんな狙いでなんのために反応しているかを確認する。そうすることで、行動・選択の誤りに気づき、メンタルを鍛えることなく、行動・選択のみ変更していくことに集中する。

概ね、この4つの確認が認知に関わる時に考えるベースのような部分となった。そして、それらをより具体的にするために役立ったのは次の手法である。

メモ帳

小さなメモ帳をいつも持ち歩き、一日の行動を簡単に書き起こすことを中心として、気になったこと・考えてもすぐに答えが出なかったことなど、【常時、考えている必要のない物】を文字にする。

どんな些細な事でも、疑問に思ったり、心が立ち止まればすぐにメモ。不安定な時期はそれらのメモを見返して思考の整理をする。【安定しているときは特に必要がない】というように、付き合い方は気楽にしておく。

そうすることで脳のワーキングメモリをメモ帳に負担させる。ポイントはなるべく1冊に続けて書き込んでいくこと。

副次的に上の4つの確認を、さほど意識的でなくても気がつくきっかけを生みやすい。

スケジュール帳

仕事のものとは別に、気楽に書き込める簡易なスケジュール帳を用意する。こちらには仕事のスケジュールのうち、生活時間に影響を及ぼすレベルの物であればメモをするが、基本は生活の行動中心。

どこかに行く予定があれば、その準備日まで設定をする。特定の日にまで考えておくべきことがあるのなら、その期日と期間も設定するなど、メモ帳と同じくワーキングメモリを開放するために、文字に【憶えておく】を負担させるのが目的。

【順守する!】 ためではなく、【情報を整理する】ために利用する。最も大事なポイントとしては、誰か協力を得られる様な予定や、簡単に終わる物などに目立つ印をつけ、ひと目で難易度を把握できるようにすること。

特に【誰かの協力を……】を前提に、スケジュール上で整理すると、上記2と3の確認に触れられる事がある。

成功を産み出したもの

謝恩会から帰宅した妻は、『ちょっと買い物から帰ってきた』といった体で、全く疲労も動揺も見られなかった。以前の妻であれば表情は固く、眉間に力が入った様な、どこか余裕のない顔で帰ってきたであろう。

そうなってもおかしくない設定の状況だった。

大勢の保護者と子供、そして先生方がいて、会を進行しながら細々と仕事をこなし、子どもたちの様子を見る。またその会を“楽しまなければならない”と背負い込んだりすれば、同じような力で同時にこなすことが多くなりすぎる。

しかし、妻の顔には一切曇がない。

妻『お疲れ様、長男たちのことありがとうね~』

私『いやいや、こっちこそありがとう。疲れた?』

妻『ううん、全然大丈夫。でも、これで一段落だねぇ』

嬉しそうに目を細めながら、お茶をすする。

私『でも、すごいね。ここまで凄くたくさんのやることが重なってきたのに、ここ最近余裕で回してるじゃん。俺、出る幕なかったよ』

妻『うん。前に比べて“参加する”ってことの距離感が分かったって感じかなぁ』

私『……と、いいますと?』

妻『仕事も家庭のことも、今日みたいなイベントのことも、前はもうちょっと【何か役に立たなくちゃ】とか【参加しないと申し訳ない】みたいのがあったんだ』

確かに今までの妻には、“どうして君がそこまで背負い込むんだ?”と、距離感のようなものを見失いがちな所があった。そう言われてみるとここ1~2ヶ月の間にそうしたアドバイスをせざるを得ない状態に陥っていない。

妻『う~んとね、色々と整理していって気がついたんだけど、私なりの距離感の取り方にちょっとしたコツを見つけたんだ~。
私はふたつの状況でフリーズしてたと思うの。
ひとつは【背負わな過ぎ】、スルーしちゃう系のやつ。こういう時って自分が出ていいのかとか葛藤してたり、そんな実力ないんじゃないかとかって遠慮っていうか戸惑ってるんだけど、子供の教育に前に出るようになってわかってきたんだと思う。
【ここまでやらなきゃいけない・ここまでやっちゃっていいんだ】って、スルーしかかってることが分かったら、一歩前に出る感じでまず動くと急に肩が軽くなるの。
もうひとつは【背負いすぎ】、いっぱいいっぱいになっちゃって、動けなくなる系のやつ。【自分ひとりでやらなくていいんだ】って。相談することがただ助けてもらう事じゃないって分かったっていうのかな。
迷惑をかけないように抱え込む位なら、最初から相談しちゃった方がいいし、相談ぽくなく軽く話した方が相手も私も楽なんだなぁって』

そう聞いた時、私の中でひとつのことに合点がいった。この大変なスケジュールになるであろう時に、妻から相談らしい相談を受けていないのに、こちらも心配にならなかった。それは彼女がこれらの事を深刻になる前に気軽に口にしていたということ。

気軽な言葉だからこそ、こちらも気軽に対応していて、さほど印象に残らない様な受け答えでも小さな解決を繰り返していたのだ。そうして彼女自身が気軽でいられたことが、余裕と行動力を生んでいた。

実力を正当に発揮する

妻と娘がこの1~2年でクリアしてきたことは、その表面的な出方とは別に、内包している問題点は非常に似通っていた。

自己評価を適正化して自信を取り戻し、認知のズレに気がついて行動と選択を選び直す。

この2つが進むごとに、彼女たちの出来ることが増えていった様にも見えるが、ここまで大きく変化していく二人を見ていると、こんな見方が浮かんでくる。

能力はそこに最初からある。行動と選択にズレがあっただけ

そこにはもちろん認知のズレもあるが、“自分がこうすれば、相手はこう動くはず”というコントロールの存在も疑うべきだ。なぜなら、そうして思考と行動の交通整理がついた時、彼女たちはサクッと変化を見せる事がほとんどだ。

以前から定型発達者の成長が、緩やかな曲線で上昇するのに対し、自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の当事者の成長は踊り場の点在する階段上の成長だと感じていた。

そこには一定以上の納得や情報が揃った時に、その蓄えた分の成長をしている様な印象を受ける。

今、妻が自分の実力を正当に発揮できている理由として、自分の特性や気質に対し、自分の認知から正確に状況把握するための対抗手段が揃っている。

それは一つ一つに【ああするこうする】と対策を用意していくピンポイント対応の段階から、【自分がどう思うかで判断する】という大きく広範囲な納得を得るための方法に移行してきているからだ。

少なくとも私は今、妻と一緒に歩いていて、彼女が何に不安を持っているか分からないことに不安になることがない。ひとつの問題にお互いの違った意見を出し合うことも、お互いの協力関係を気軽に信頼し合えることもできる。

人生は長い、これからも何度もいろんな問題にぶつかることだろう。しかし、私達夫婦が到達したこの状態は、無理して維持しているものではなく、気づきを重ねてきた認知だ。これはお互いが孤独にならないための、センターラインの様なもの。

ここに宣言する。

私たち夫婦は、カサンドラ症候群の可能性を克服出来た。お互いの認知の違いが生む問題を卒業できたのだ。

【つづき】⇒アスペ妻の記録~赦しのルール~

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6歳:入学準備!サポートブックで先生との連携を考える http://asdweb.net/2nd-age6-support_book http://asdweb.net/2nd-age6-support_book#respond Fri, 27 Mar 2015 09:56:06 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[アスペルガーな娘]]> <![CDATA[おすすめ]]> <![CDATA[娘6歳]]> http://asdweb.net/?p=3152 <![CDATA[早いもので、いよいよ娘も小学校入学間近。いろいろと準備を進める中、最も重要となるであろう物の作成に入りました。 【サポートブック】です。 サポートブックとは学校の先生や習い事などの講師、また親しい支援者など、深く関わる事 […]]]> <![CDATA[

早いもので、いよいよ娘も小学校入学間近。いろいろと準備を進める中、最も重要となるであろう物の作成に入りました。

サポートブック】です。

サポートブックとは学校の先生や習い事などの講師、また親しい支援者など、深く関わる事がある方々へ渡す、当事者を理解しやすくするためのガイドのようなもの。

保育所の頃は送り迎えなどのタイミングで、密に先生方と連携をとってこれましたが、小学校だとやや先生との距離ができるため、ちょっとそうも行かないものです。

療育の先生から薦めていただき、書式ももらえたので作成することにしました。サポートブックは小学生~高校生といった学生の間だけでなく、その後の人生にもちょっとした支えになる可能性がありますし、まとめているうちに新たな発見があったりします。

保護者や支援者だけでなく、自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)当事者自身が作成してみるのも良いかもしれません。

何を書けばいいか

書式は検索するとたくさん出てきます。見本を元に本人の気質や特性、好みや趣向、対応として効果的な方法などをまとめていくのが基本形。

ただ、書き始めにちょっと戸惑うかもしれません。

どこから話せばいいのか分からない

……他人にその特性や行動パターンを説明するのに、相手がASDの特性を理解できていないと、伝わりにくいことがあるからです。

例えば【どこまで】の境界線が甘い場合、起きていることやパッと見の判断では、『それほど気にすることでもないのでは?』と流されてしまうことがあります。

特に年齢が低い場合など、他の子も似たような行動をしていれば、なおさら目立ちにくくなります。

しかし、ASD当事者本人の中では、切り替えが上手く行かず、過集中から疲労を溜めていってしまうなんてことも。また、一度やった事を日常化しようと、何度でも繰り返そうとし阻害されることに強く憤りを持つこともあります。

自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の特性と、本人の行動などが見えにくいところでリンクしていたりするので、まずは特性をなるべくわかりやすく伝える事を考えると整理しやすくなります。

特性を分かりやすく説明する三大柱

ASDの特性だけを話せば膨大になりますし、本人の特性だけを話すのでは、個性なのか特性なのかがわかりにくい。と、いうことでザックリと生活に起こりやすい特性を3つの段階に分けて説明することにしました。

1:ASD特性のうちの特徴的なもの
2:ASD当事者にありがちな行動パターン

3:本人の特徴

こうして分けることで、娘の行動や特徴的な言い回しなどが、“2に近いやつ”とか“1の~~が関わっているからです”と一言を添えるだけで、特性との関連性がわかりやすくなります。

と、いうことでサポートブックに、こちらの図を添付することにしました。

サポートブック

PDFはこちら⇒サポートブック用3大柱

この三大柱は今までいろんな所で説明しているうちに、こう分けて説明すると伝わりやすかったと感じた手順でもあります。

低学年サポートの有用性

長男の時は担任の先生とは別に、補佐としてもう一人先生がついてくださる【低学年サポート】という制度がありました。

やや転動気味だった長男ですが、ノートを取るタイミングや【今何するか】を、行動スタート時にサポートしていただいたのが非常に効果的でした。長男の場合は一度行動様式として頭に入れば、しっかりと集中して取り組めるのですが、入りきっていない時はボーっとしたり、集中力が切れてしまう傾向があったのです。

今回も娘が入学の際は、低学年サポートの先生にも予めお会いできればと思っていたのですが、残念ながら娘の学年は人数が少なく、規定外のためこの制度が受けられなくなってしまいました(あまりのがっくり感にアゴ外れるかと)。

なおさらサポートブックの必要性が高まった感じです。

どんなサポートを望むのか

サポートブックの前に、昨年からもうすでに2回ほど学校へは相談にいってます。

これは保育所の頃にもあったことですが、先生方も不安になりやすく、こちらが望んでいることを、やや過大に受け取ってしまわれることがありました。

こちらとしては
家での成功パターンを共有すれば、周囲が戸惑う事が少なくなるし、本人も安定できるかもしれない
というスタンスです。

しかし、どこか先生に緊張が見られることがありました。
繊細な問題だし、これができなかったらクレームが出るのでは
そんな感じの責任感の様なものが見え隠れ。

本当に先生方はいつも大変な責任感の中、頑張っておられるんだなあと思います。ただ、私の意図とはちょっと違いますので、一言添えさせていただきました。

本人がASDだから、絶対にこうやって対応して欲しいなどの特別視の要望ではなく、本人はもちろん、先生方や他のお友達を含めた周囲の環境全体が丸く収まっていくことを私達は望んでいます。

ですから、この相談の中で出てくる言葉は、要望ではなく先々を明るくするための作戦会議だと考えていただけますか?

大人同士の立場でも、お互いにすっぱりと言いにくい部分があったりして、妙な距離感で話が進むことがありますが、こうしてこちらのスタンスをハッキリさせるとすっきりします。
【関連記事】

6歳:療育との関わり方・保育所との連携│アスペルガーな娘の診断からの流れ

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人間関係への依存とコントロールへの対処 http://asdweb.net/dependent-people-control http://asdweb.net/dependent-people-control#respond Mon, 23 Mar 2015 09:39:52 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[手記]]> <![CDATA[おすすめ]]> <![CDATA[カサンドラ症候群]]> <![CDATA[具体策]]> <![CDATA[実際の思考]]> <![CDATA[愛着と依存]]> <![CDATA[特徴]]> http://asdweb.net/?p=3140 <![CDATA[自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)やADHD、その他精神疾患を始め定型発達者もいつでもハマり得る人間関係の依存。 先日、娘の記事で彼女が人に合わせるために“人をコントロールする”ことに陥っていた例を書いたところ、結 […]]]> <![CDATA[

自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)やADHD、その他精神疾患を始め定型発達者もいつでもハマり得る人間関係の依存。

先日、娘の記事で彼女が人に合わせるために“人をコントロールする”ことに陥っていた例を書いたところ、結構多くの方から反応を頂いたので、もう少し踏み込んで書いてみようと思います。

今回は自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)に限っての視点ではありませんが、自身と周囲の人間の自己評価が関わってくる問題でもあるので、もしかしたら万能タイプなヒントになるかもです(カサンドラ症候群でお悩みの方にも)。

人をコントロールするということ

コントロールというと、高圧的であったり打算的なイメージを持たれるかもしれません。

思い通りにならないと癇癪を起こしたり、議論よりも勢いや地位を見せるなどで立場を上に見せてのコントロールは、どこででも起こっているのではないでしょうか?

ただ、実際のコントロールはもっと当たり前に使われていて、非常に消極的な方法でコントロールする場合も多くあります。

例えば特定の相手がいる場合に、意見を隠して沈黙したりモジモジした態度を取ることによって、相手からの裁量や行動を待つ事もコントロールになります。

こうすれば、相手はこう動くはず

この観点で動いている事を基本に考え、自分の行動や周囲の人物の言動を考えてみると、仕草や言い回しの説明がつくことが多く感じるかもしれません。

─── なにより、想像以上に自分がそうしていた事に驚くかもしれません。それくらい、この遠回しなコントロールは、善悪・程度に限らず頻発しています。

そこにある問題

こうすれば、相手はこう動くはず
特に過去を思い返して、“うっ”となるような恥ずかしい経験や間違えがある方は、この観点で“自分が何を要求していたのか”が見えると、急に軽くなることがあります。

自分の欲求が通らなかった事、要望通りの見せ方が叶わなかった事、場合によってはそれを見透かされた事による羞恥。

これらは結構頑固にこびりついてしまいますし、同様なシチュエーションに強い拒否感を持ってしまう事もあるでしょう。

なぜこびりつきやすいかと言えば、自分の真意として“そこにいる人物をコントロールしようとしていた”という事実が見えなければ、自己解決するにもピンポイントの正解にはならないので、こう考えてしまいがちになります。

─── 自分はこういう性格なんだ。

“性格”とは非常に曖昧な指標です。だからこそ解明できない難問だったり、努力・根性・自己啓発などで“自分を否定する期間”を設けなければどうにも動かないように思えてしまいます。

【こうすれば、相手はこう動くはず】これを元に自分を分析すると軽くなる可能性があるのは、一番最初の過ちの元凶となった、自分の【選択】がわかりやすいからです。

性格を治すのは非常に難しいですが、自分の欲求とそれに対する選択を知れば、【選択が間違っていた】と重大な要因では無い事が分かりやすくなります。

“分からない”がそのまま不安になりやすいのは誰でも同じではないでしょうか。問題が分かることで、不安から引き起こされるストレスや、閉塞感、自己評価の低下を抑えられるパターンは、人生経験でも多くの場面で出会うはずです。

コントロールと依存

このコントロールは【自分の思い通りに相手を動かす】事であり、その手法は通常それほど多くの選択肢を持ちません。大抵は幼い頃に考えだした【こうすれば、相手はこう動くはず】からさほど動いてはいないはずです。

つまり万能な方法ではなく、思い通りにならない事のほうが多いわけで、その度毎に憤りをためたり自己評価を下げてしまうことになりかねません。

だからこそ、その選択方法で動いてくれる相手がいれば、その人物を動かす事で欲求が通る安心感と自尊心の回復を求めるようになるのも不自然ではありません。

表面的な選択は人それぞれに違いますが、【こうすれば、相手はこう動くはず】という目論見が、特定の人物に向けられている時、それらは総じて依存と同じ状況になっているとも考えられます。

依存から戻るために

感情的になることで通そうとする
沈黙することで代わりに他人が動くのを待つ
立場の優位性を掲げることで意見を通そうとする
自分を傷つけることで人に心配してもらう

無力を装い相手に保護してもらう

これらはどれも人の中にあり、その程度によって周囲との関係に各々のバランス感覚が存在しています。結局は相手をコントロールする系統のもので、これら全てを完全に治すのは難しいかもしれません。

しかし、思い通りにならなかった時の自己評価の低下や、それを守るための癇癪行動は抑えられる可能性があります。

性格という重たい問題意識から、選択方法の変更という軽い問題意識だと理解できれば、立場の優位性を説いて自己弁護するなどの余計なガードが必要なくなるからです。

私の持論としては、依存が長期化する傾向として、【そこから動けないと思い込む】ことがあるのではないかと思っています(依存されている側もですが)。だから移動先を示して【こういう風に言っていいんだ】を獲得すると、軽くなっていく様に感じます。

わが家での具体例

わが家の場合は娘が【こうすれば、相手はこう動くはず】にとらわれ、人によってそれぞれの方法を持つ事でのみ、人とのつながりを持つという特異性がありました。

こうした方法は、基本的に演じる必要があるので、様々んな箇所で切り替えに戸惑ったり矛盾に苛まれます。そうして本人も常時気を張っているのでしょっちゅう電池切れを起こしたり、必要以上に自己評価を下げては落ち込んだり癇癪を起こしていました。

さらに問題だったのは、次男がその方法を真似するようになってしまったこと。

それまで自分の気持ちや欲求を、しっかりと自分の言葉で表現できていた次男が、急速に娘と同様の遠回しな方法に偏ったり、場面ごとに言葉を発せないようになってしまいました。

これらを解決するには、まず娘の自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)としての特性をお互いに理解する必要がありました。

両極思考、マルかバツしかない訳ではない
欲求が叶わないこともある

拒否は存在の否定ではない

など極端な認知が主に引っかかっていたように思います。

その上で、なるべく落ち着いている時に次のように説明しました(次男はここからスタート)。

私『“こうすれば、お父さんはこうしてくれるはず”とか、“~~先生はむくれていると助けてくれる”とか、“大人はこうすればこっちを見てくれる”とかって考えたことない?』

娘・次男『うん。ある』

私『その通りにならなかったら傷ついたり、嫌な気持ちになってない?』

娘・次男『うん』

私『それって、ちゃんと口でお願いしたのかな?』

娘・次男『ううん、ちがう』

私『言葉で教えてくれないんだったら、大人だってわからないと思わない?』

娘『!』 次男『うん』

私『そういうのって、普通に言ったらダメって断られるかもって思うから、違うやり方で気がついてもらうんだよね?』

娘『!』 次男『うん……ん? そう!』

私『で、気がついてもらえないから余計に残念になる』

娘『!』 次男『うん』

私『お願いした時にダメってされるのは、君たちが悪い子だからかな?』

娘『……あ、ちがう』 次男『ちがう』

私『それができない時だから理由があって断られたんだよね?』

娘・次男『うん』

私『だから君たちが間違っていたんじゃなくて、君たちが“やってもらおう”としてやったやり方が間違ってたんだと思わない?』

娘『うんっ!(←合点がいったらしい)』 次男『あ、うん』

私『だったら、やって欲しいことは「こうして」とか、欲しいものがあったら「これほしい」とか、一緒にいて欲しいんだったら「いっしょにいたい」ってそのまま言葉にする方が、相手も分かるし断られる理由もちゃんと聞けるから安心だと思うんだけど』

娘はこの説明だけでもかなりの変化が現れました。時折、衝動性が高い時や体調が沈んでいる時などに【こうすれば、相手はこう動くはず】が出てくることがありますが、以前ほどの癇癪は起こっていません。

次男はまだ4歳後半と年齢的に幼く、一度で説明が通るとは思っていませんでしたが、買い物中のおもちゃ売り場でモジモジグズグズが始まった時(娘の真似が始まる前には見られなかったコントロール法)、上記の話を要約し

『買ってもらえるかどうかを、相手に言ってもらおうとするのはズルいよ。ちゃんと自分で「ほしい」とお願いして頑張るつもりがないのなら、こっちも君の願いを聞こうとは思わないな』

と言うことを二度ほど繰り返し、また眠たい時や体調不良時のモジモジグズグズに対しても同様に説いた所、ようやく合点がいったようです。

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ASDと選択理論と『自分って○○な人だからぁ』│変化を受け入れる視点

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叱られた時に黙りこむ3つのパターン│アスペルガーと定型共通の様式 http://asdweb.net/scolded-silence++ http://asdweb.net/scolded-silence++#respond Mon, 16 Mar 2015 09:05:06 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[手記]]> <![CDATA[具体策]]> <![CDATA[実際の思考]]> <![CDATA[特徴]]> <![CDATA[苦手]]> http://asdweb.net/?p=3128 <![CDATA[叱られた時に黙りこんでしまうのは、自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)に限らず、定型発達者(いわゆるふつう)の方でも、また大人でも子どもでもしばしば見られることだと思います。 特にその性質上、子ども同志の集まる場所で […]]]> <![CDATA[

叱られた時に黙りこんでしまうのは、自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)に限らず、定型発達者(いわゆるふつう)の方でも、また大人でも子どもでもしばしば見られることだと思います。

特にその性質上、子ども同志の集まる場所では、伝染しやすい様な気もします。そして、特性上、自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の方は起こりやすく、深刻化しやすいのではないかとも思っています。

今回はわが家ASD当事者たちと、定型の次男4歳のケースに見られた、3つのパターンの【叱られた時に黙りこむ】原因と対処法をまとめてみたいと思います。ちなみに学校や職場、家庭などの特定の場所で言葉を失ってしまう場面緘黙症とは異なります事をあらかじめ申し上げておきます。

“しゃべり出し”と“泣きだし”の感覚誤認

妻は幼い頃からこの感覚を持っていた様です。結果から先に言うと、妻はこの感覚を正確に認知し、自分の意思で塗り替えに成功しました。その後、同様な状態に娘が陥っていることが分かると、自身の感覚や体験を元に娘に説明し、解消することに成功しています。

彼女たちに何が起きていたか?

悪い状況に陥った時、対話をする意思はあるものの、しゃべり出す時の喉や気道の感覚から、それに近い『(あ、泣き出しそうだ)』と言う感覚を取り違えてしまう状態だったようです。結果的に言葉をしゃべり出せなくなり、沈黙を続けてしまいました。

特に必要以上に責任を感じていたり、そこにある事実が『0か100か』などの両極思考で極大化されている時に起こりやすい傾向にありました。

副次的な状況といえば、本心や気持ちなど問題のキーになる言葉を口にした途端、感情が昂ぶり実際に泣きだしてしまうなどの反応が見られました。

妻がこれをどうやってクリアしたのかと言えば、まず自分がそう言う感覚に陥っていることを自覚した上で、それがあっているかどうかに限らず【これは泣き出しそうなんじゃない。勘違いだ】と思い浮かべて決着をつけた事にあります。

そして、さらに【話さなければ状況は変えられない】と関連付けて思い出せるようにしたことが大きかったようです。

娘にそれを説明した際は

1:『しゃべったら、泣きだしちゃいそうだって思ってない?』と自分の状態を認識させる
2:『お母さんもそうだったし、他の人もあるみたいだけど』と状況を共感することで軽くする
3:『でもそれは勘違いだから。泣こうとしちゃてるだけだから』と現在の選択の誤りを指摘
4:『今はとにかくあなたが思ってることをどんどん喋らないと、嫌なものは変えられないよ』と新たな選択方法を示唆
と説明していました。娘の場合は【2】の段階でかなり表情に変化が見られ、緊張やチグハグな様子は見られるものの、自分からしゃべりだそうとする姿勢が出てきました。

見えないからそこに問題はない理論

意外とこれは一般の方の中にも、時折仕草となって現れている方を見受けられます。例えば気まずい状況になり、バレた時に反射的に目を逸したり、髪に触れる様にして手を顔の前に上げ、相手と自分の間の視界を狭めるなどの仕草です。

【相手の怒りの顔を見たくない】という心理もあるのでしょうが、私の持論としては相手への視界を狭めることで、相手から目立たないようにし、【見えないからそこに問題はない】と状況を整えているのではないかと思えることがあります。

もちろんこちらが見ないようにしたからといって、相手には丸見えなのですが、これは大人でも反射的に行う矛盾として持ってるようです。大人は大きくなって精神的に強くなったり、知識が増えることで常識的に行動しているようですが、幼少期に設定した選択方法は、意識しない限りそれほど変化していきません。

自分の視界を狭めることで、相手からも目立っていないように錯覚するのは、自分と他人との境界線が甘い幼少期に陥るパターンとよく似ています。

【見えないからそこに問題はない】ということにしているわけですから、もちろん声を出すのも危険行為になります。でも、返事もしなければもっと怒られると理解している場合、会話に合わせて返事だけは小さな声でしっかり行い、言葉は発さないという状況にも陥ります。

これらの系統としては、聞こえていないふり・頑なかつ大げさに関係がない事をアピール・怒鳴ることで言葉をかき消す・超逆切れで責任ごとひっくり返す……などといった方法論が考えられます。

ここでも責任に対して、両極思考などで極大化してとらえられていると取り付く島もない様に感じられますが、そうである場合はまず責任や自体の重大さを明確にする必要があります。

まずは普段から『あなたを否定するわけでもダメだというわけでもない、もっといい方法があるから聞いてくれる?』などの前置きを多用したり、何に対して不安を持ちやすいかを確認しておくことが重要です。

実はこのパターンでの沈黙は、周囲に伝染しやすい性質があります。なぜなら、この方法は性格や人間性の問題以前の、選択方法の一つだからです。性格や人間性を変えるのは難しいですが、こうした選択を取り入れるのは簡単です。特に消極的で効果が見込めるものや、独特な刺激をもつ選択はスッと入りやすかったりします。

わが家では娘がこの傾向が強く、次男に強く影響を与えましたが、逆にただの選択であったことから、そこさえ分かれば自覚させることは容易でした。

『そうやって、【こうしていれば見逃してくれるだろう】【こうしていれば終わらせてくれるだろう】とかって、人になにかやらせる方法を採るのは止めてくれない? 自分から喋って終わらせようとしないと嫌な時間はどんどん続くよ?』
【】の中の文章は、毎度その時の状況にあったものを挙げ共感を見せつつ、人にやらせず自分で終わらせる選択を強調したり、具体的な選択を用意したりしました。

なにを言ってもムダだろうから……

ASD当事者の場合は、その特性や気質から問題を大きくとらえてしまい、【あやまる】などの行為が、是か非かの断罪の場であるにとらえて萎縮してしまったり、【許してもらうなんておこがましい】と自己評価を下げた状態で萎縮してしまうことがあります。

それとは抜きに、【怒らないから言ってみなさい⇒理由を告げる⇒何でそんな事したんだゴッハァ!】と、逃げ道を失わせる叱り方をしている人に、本人が諦めているなんて状況もあります。(さらに『言わないと怒るよ!』の合わせ技で、ダブルバインドを見事に形成する方法を無意識に行うマッドな方も……)

どちらも本人が何故『なにを言ってもムダだろうから』と考えるようになったのかが重要になります。

対策としては
・叱る側が【何をどうするために叱っているのか】を明確にする
・結果何をすればいいのかを明確にする
・『どうして?』『気持ちを言ってみなさい』などのオープンな言い方を避け、『~~だった? それとも~~?』など選択肢を提示する
が基本的なところです。ASD当事者などの中でも、両極思考に陥りやすい性質の方へは、まず、それがどれだけの事だったのか、どこまで責任を感じるべきなのかを明確にしてからでないと萎縮に繋がってしまうことがあります。

【関連記事】
注意されると極端に落ち込む│自閉症スペクトラムの両極思考のスパイラルと叱られ耐性

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6歳:人に合わせる事と人間関係への疲労感 http://asdweb.net/2015/03/14/6%e6%ad%b3%ef%bc%9a%e4%ba%ba%e3%81%ab%e5%90%88%e3%82%8f%e3%81%9b%e3%82%8b%e4%ba%8b%e3%81%a8%e4%ba%ba%e9%96%93%e9%96%a2%e4%bf%82%e3%81%b8%e3%81%ae%e7%96%b2%e5%8a%b4%e6%84%9f/ http://asdweb.net/2015/03/14/6%e6%ad%b3%ef%bc%9a%e4%ba%ba%e3%81%ab%e5%90%88%e3%82%8f%e3%81%9b%e3%82%8b%e4%ba%8b%e3%81%a8%e4%ba%ba%e9%96%93%e9%96%a2%e4%bf%82%e3%81%b8%e3%81%ae%e7%96%b2%e5%8a%b4%e6%84%9f/#respond Sat, 14 Mar 2015 06:03:10 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[アスペルガーな娘]]> <![CDATA[娘6歳]]> <![CDATA[実際の思考]]> <![CDATA[愛着と依存]]> <![CDATA[特徴]]> <![CDATA[苦手]]> http://asdweb.net/?p=3118 <![CDATA[娘もいよいよ保育所を卒業する。最近は連日卒業式の練習が続いていた。 本人は非常に安定している状態で、姿勢の良さや返事の大きさが褒められることが多く、『ほめられた~』と帰宅する度に教えてくれた。 『娘ちゃんの姿勢はすごくい […]]]> <![CDATA[

娘もいよいよ保育所を卒業する。最近は連日卒業式の練習が続いていた。

本人は非常に安定している状態で、姿勢の良さや返事の大きさが褒められることが多く、『ほめられた~』と帰宅する度に教えてくれた。

『娘ちゃんの姿勢はすごくいいね、みんなお手本にしましょう』

そうまで言われ、彼女は非常にやる気を見せていた。

状況的には自分のやるべき事も理解していて、かつ、努力もしている。親としては褒めるべき案件の様ではある……ただ、そこでひとつだけ気になる点があった。

家での仕草や言動、返事に関してもどこか演技がかった様な、意図的な何かを感じられる様になっていた。

内と外とのズレ

よく自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)を理解されていない方からは、こうして娘がそとでハキハキと返事をしたり、周囲と同じ行動ができているのを見て

『全然そうは(自閉傾向があるとは)見えないですけど、なにかの間違いでは……?』

と言われることがあります。確かにそこでは褒められるほどの行動をできているし、本人も努力しているわけですから、違和感に気づくことはないでしょう。

一般的には自閉傾向自体、“物静か・しゃべらない”だと思われている方も多いので、よく間違われるのです。自閉症スペクトラムは【自閉症と連続(スペクトラム)している障害】ですので、ここを取り違えられていると大きく誤解されてしまいます。

【脳の一部機能の障害によって、社会性になんらかのズレや停止が起こる】と考えた方が分かりやすいかと思います。

今回の娘の場合も、家族以外では何が起きているのか、まず気が付ける人はいないでしょう。

実は彼女はこの時、疲弊していく一方の坂道を転がりだしていた状態です。以前であればそこが解らずに、1週間もしないうちにフリーズしていくばかりの彼女に頭を抱えることになったと思われます。

人は好き、でも人間関係が苦しい

わが家では娘と以前までの妻によく起こっていました。一見上手く立ち振る舞えているようだし、本人もそこに加わろうとするので安心していると、その後に激しく疲れていたり余裕を失ったりしてしまう。

言動も大きくズレているわけではないし、無理をしている様子もない。むしろ楽しんでいる様なのにどうして?

ここがなかなか分かり難い点でしたが、今まで彼女たちの特性を見てきて、また妻が乗り越えていく姿を見て色々と分かるようになってきました。

今回の娘の場合もここに起きていたズレについて、本人に幾つか確認しただけで抑えられたのです。

人間関係に苦しくなってしまう原因として、一般的な定型発達者も陥るポイントがあり、彼女たちの場合はASDの特性としてそこに大きくとらわれて問題となっていたようです。

この疲弊の原因は努力に関わる方向性が、対人に向けられ過ぎている事にあります。

人をコントロールする

人は自分の欲求に対して、どう行動するかでその社会性に個性の出現や対人問題などが起こっています。

そのほとんどが
【自分がこうしたら相手はこう動くだろうと思って行動した】
という欲求へのアプローチに、相手が思い通りに動かなかった時に起こるものだと言っても過言ではないでしょう。

今回の娘の場合は、卒業式というイベントに対して、他の子と同じ行動をさらに上回って頑張っているように見えていますが、彼女の狙いは他の子とは違っていました。

【姿勢よく、元気に返事をしていれば褒めてもらえる】

ここにばかりとらわれ、自分の卒業式というものに対し、実感すら持てていない状態でした。彼女の努力は、ただただそこにいる大人に“褒めさせる”というコントロールにとらわれていました。

こうなると思い通りに褒められなかったり、他の子が褒められた場合に彼女は焦り、“自分の方が!”とパワーゲームに陥ってしまったり“これだけやってもダメだった”と自己評価を下げる事につながる可能性が非常に高くなります。

問題は自分が行うべき行動の本懐ではなく、そこにいる周囲と自分の関係性に注意が向けられていることにあります。

これは一般的な子どもでも起こりがちですし、大人でも起こりうることですが、彼女の場合はその表面思考が災いし、“それだけ・それが全て”になり、自己評価に結びつけてしまうのです。

目的と選択

上記のコントロールで考えれば、【人の目ばかりを気にする】という個性は、性格や生まれつきの物ではなく、自身の創りだした【選択】だと言えるのではないでしょうか?

性格や個性は治すのは難しいですが、その選択を改めるのであれば大したことではありません。

彼女との会話は次のように行いました。

私『最近、保育所で卒業式の練習頑張ってるんだって?』

娘『うん』

私『姿勢がいいって褒められたりしているんだよね』

娘『うん、きょうもほめられた!』

私『じゃあ、これから話すことも、君がダメだとか君が間違ってるっていうのではなくて、もっと楽になる方法があるから聞いて欲しいんだけどいいかな?』

娘『うん』

私『今、練習で姿勢やお返事を頑張ってる時、先生に褒められることだけ考えてない?』

娘『あ、うん。えへへへ……』

私『練習ってなんのためにやってるんだっけ?』

娘『うーん、じぶん……のため』

私『(あ、分かってねぇな)うん、そうだね。自分が卒業式のその時に、間違えたり次やることが解らなくて不安にならないようにするためだね』

娘『あ、そっか』

私『(やっぱりか)練習はだいたいどんなものでもそういうものだよね。間違えないように上手くなるように、解らなくて不安にならないようにするためにするんだよね』

娘『うん』

私『そこでさ、褒められることばかりになってたら、卒業式本番で緊張しちゃって“次どうしよう”ってなっちゃいそうじゃない?』

娘『うん、すごく。こまる』

私『そうだね、だから今は褒められることじゃなくて、“自分の卒業式を大丈夫にするんだ”って思って、先生の話をわかろうとしたり覚えようとすることに頑張ったほうが良くない?』

娘『うん!』

私『うん、そうなると緊張しちゃっても大丈夫かもしれないね。あと、ついでになんだけど……』

娘『うん?』

私『最近その“褒められよう”って保育所で頑張るようになってから、お家に帰ってきてもそのままになってない?』

娘『……!』

私『お家は何するところだっけ?』

娘『らくにするところ。やすむところ』

私『うん。だから君は君のまま好きなことをして、心を楽に休んでいればいいんだ。褒められようとする意味はあるかい?』

娘『ない』

私『自分の事は自分の事。人に褒めてもらう(評価される)ように考えない方が楽だよね』

……といった感じです。
【卒業式の練習をする】
このテーマに対し、通常であれば
目的:自分がしっかり行動を取れるようする
選択:憶えることに集中し、自分の行動を意識する
となる所が、娘の場合
目的:先生に褒められること
選択:褒められる行動を見つける

になっていたわけです。これは少しでも思い通りにならなければ、他力本願なため自力で満足は得られません。その憤りを抑えるために正しい目的と選択を意識させるようにした形です。

途端に家でも引きずっていた違和感が解消され、肩の力が抜けたのが確認できました。

この形は他のイベントにも有効ではないかと思われますし、何度も繰り返すことで自分でも本懐を意識出来るようになる可能性があるのではないかと考えています。

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ASDと選択理論と『自分って○○な人だからぁ』│変化を受け入れる視点 http://asdweb.net/asd-choicetheory http://asdweb.net/asd-choicetheory#respond Wed, 04 Mar 2015 08:30:50 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[手記]]> <![CDATA[具体策]]> <![CDATA[実際の思考]]> http://asdweb.net/?p=3103 <![CDATA[今まで、わが家の自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)当事者たちと暮らし、その特性に触れて逆に人間を知るということがよくありました。 例えば自分が人に謝罪をしている時、どれだけの『ごめんなさい』を使い分けていたか。どれ […]]]> <![CDATA[
今まで、わが家の自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)当事者たちと暮らし、その特性に触れて逆に人間を知るということがよくありました。
例えば自分が人に謝罪をしている時、どれだけの『ごめんなさい』を使い分けていたか。どれだけ立場を踏まえて言葉を調整していたか。私はそれらを何となく行ってきていたので、言葉にしなおして再理解しようなど考えたこともありませんでした。
今回はこうした逆輸入の中でも、【自分のやり方・性格を変えられない】という人間の心理を、自分なりに理解しやすくなった事があったのでまとめてみたいと思います。

『自分って○○な人だからぁ』

たまに耳にする言葉ですが、こう言葉にされてしまうと、そこにイラッとしてしまうことがあります。ASD当事者の場合は『これはしてはいけない』『こうした方がいい』など、理由と共に言葉で伝えて、例え本人が納得しても実際に行動や言動に反映してくれない事があります。
わが家の場合は、特に娘がこの傾向が強く、どう砕いて説明してもイラストにしても、そこに従ってくれない事がよくありました。
どんなに本人に実害があろうと、なんとしても動かない。そんな彼女の言動を見ていて、『自分って○○な人だからぁ』と言ってしまう人の事を思い出したのがきっかけでした。
───これって同じことなんじゃないだろうか?
そして、娘の言動に頭を抱えている自分の事も、急に分かったような気がしました。おそらくこれも同じことなのだろうと。

選択理論

人が取る行動については心理学でも色々な考え方がありますが、今、上記の事を説明するのには選択理論が一番分かりやすいかもしれません。
選択理論は1965年に米国のウィリアム・グラッサー博士が提唱した心理学です。ものっすごく噛み砕いて、私の都合のいいように解釈すれば、だいたいこんな感じです(正しくはないです。ご興味のある方はぜひ調べてみてください)。
人は何かを受けてそれに合わせて行動しているのではなく、自分の中で選択をして行動している。例えば赤ちゃんが空腹を感じた時に泣きますが、そうすることで母親が来るという選択になり、やがては不安感を感じた時にも“泣く”事で、状況に自分の行動を選択していく事になります。
こうした行動は新生児期から始まり、様々な欲求や問題をそれぞれ本人が定めた【選択】で、状況に対応したり関わる人物をコントロールしようとします。そしてこの選択の方向性は、子供の頃に決めた事から、大人になってもそれほど大きくは変わっていかないのが特徴です。
お母さんを呼ぶために困らせる⇒
好きな子に意地悪して気を引く⇒
恋人を怒らせて気を引く⇒
難題を言い出してパートナーの注意を……
などなど
そこにある欲求に対して、相手を思い通りにコントロールすることで、その欲求を満たそうとしているわけです。例えそれが現実的に非合理的だとしても。そして、この【人をコントロールしようとする】ことこそが、社会的に起こる問題ではないかとされています。

自分のやり方・性格を変えられない

実際に自分が選択している事であると仮定すれば、なんらかの行動が出来ないといった消極的な行動も自らの選択です。また、【生まれ持った性格】といった、変えようのない目に見えない何かが支配しているのではなく、“そう選択したんだ”と観点を置くことで、なぜそう選択したのかが分かりやすくなります。
そしてそれは、思いの外、幼いころの自分が創りだした選択に過ぎないのかもしれないと言うこと。
そう考えると、今の自分の言動が手の付けられない何かではなく、“選択”を見直していけばいいことだと軽くなりそうです。実際に娘にこうした話を噛み砕いて説明してみました。
彼女は基本的に人との関わりは【人をコントロールしようとする】考えが強い事が分かり、また、その自分がしようとしているやり方(選択)を変えればいいだけだと理解した所、行動を見直す時の話の聞き方に、少しずつ変化が見られるようになりました。
おそらく彼女は是正を迫られた時、単純に自分がそうしていた事が理解できない不安感もあったのでしょうが、彼女は“選択”を変えることを通り越して、どこか自身の在り方や根本的な考え方を変えなくてはならないような不安を感じていたのではないかと。
もしかしたら、その選択をなぜ取っているのかが分からないから、余計に自分の中で自身の人物像に関わる大きな問題と錯覚しやすく、違う選択を試す態勢になれないのかもしれません。

自分の気持ちに気づくために

自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)当事者の中には、“自分の気持ちに気が付かない”事が社会生活の中で思わぬ壁になっている方もいるようです。実際、わが家の当事者たちもそういった傾向があり、ただただ流されるままになったり、逆に硬直して強張ってしまうなどがよくありました。
ASDだけでなく、定型発達者にも言えることですが、いきなりこれに気づけと言って出来るものではありません。“今、自分はどう感じていたんだっけ?”と不安になるかもしれません。
気持ちに気づくヒント
自分はどんな選択を取ろうとした(取った)のか
それはどうしてその選択になったのか
何かをコントロールしようとしていなかったか
を当てはめて思い起こそうとすればヒントはかなり多くなります。
これは私が時折就寝時の静かな時間にやっていることですが、過去の嫌な失敗や不快に思ったこと、また自分が何故かムキになりかけた事などを思い浮かべ、上記の“気持ちに気づくヒント”に当てはめて考えてみたりしています。
こうしていると自分の心が揺れ動いた理由が分かったり、どう見せたかったのかなどの本音が、それまでは恥ずかしいことであったのに、急に大したことのない印象にまで落ち着く事があります。そして、一度理解できた問題はその後思い出しても、なんら心が揺れない様にもなったりします(解釈的には瞑想や禅でいうところの“受けて流す”に近いのかも)。
これらは劇的な変化を生み出すというより、少しずつ振れ幅が収まるようなジワジワ系なものだと思いますが、他の意見を受け入れやすくするには効果的かもしれません。

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些細な事でいっぱいいっぱいになる・余裕が無い│ASDソーシャルスキル http://asdweb.net/social-skill-urgency http://asdweb.net/social-skill-urgency#respond Fri, 27 Feb 2015 09:43:48 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[手記]]> <![CDATA[ソーシャルスキル]]> <![CDATA[具体策]]> http://asdweb.net/?p=3096 <![CDATA[【家庭や職場で何かに追い立てられている】 【家事や仕事ですぐに疲れ果てる】 【行動する前にパニックで動けない】 わが家の自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)当事者たちの中でも、妻と娘によく見られたケースです。知らず知 […]]]> <![CDATA[
【家庭や職場で何かに追い立てられている】
【家事や仕事ですぐに疲れ果てる】
【行動する前にパニックで動けない】
わが家の自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)当事者たちの中でも、妻と娘によく見られたケースです。知らず知らずのうち、もしくは何らかのきっかけから余裕を失い、硬直・フリーズ・癇癪など情緒に響きやすくなる事がありました。
大抵の場合、本人は『どうして、いっぱいいっぱいなのか?』という理由が分からなかったり、そういう状態に追い込まれている事自体に無自覚であったりします。
特に妻の場合はこの傾向が強く、30代半ば位まで理由もなく疲れきったり、すぐに思考停止していくたび、ひとり静かに大きく自己評価を低下させていたようです。

処理しきれない問題

感覚過敏や感覚鈍麻、体調不良や気分低下などと関係がなく、また、これと言って大きな問題がない様に見えているのに、切迫感や強迫観念にも似た追い詰められ方をしている。こういう時に彼らに起こりがちだったのが、『愚痴りベタ』に陥っている状態が多かった様に思います。
例えば、新しく作業の要領を説明されている時などに、『できるだろうか?』とか『あ、めんどくさそう』などの不安や反感情は誰でもが持つものです。これがわが家のASD当事者の場合、次の様な処理をする特徴がありました。
・不安を感じたが、自分の中だけで解決しようとする
・『愚痴・相談をするほどでもない』と自分の不安度を見誤る

・とにかく進めて、物事を減らしてから考えようとしてハングアップ

未解決・未処理の問題や不安があり、それに対するストレスを受けながらも、それをどうするかの選択が抱える以外に持っていない状態です。

愚痴る自分を肯定する

突発的なショックからの劇的な反応ではないので、『わからない・ふあん・困った』をやや探ろうとできる状態であると見込めます。
わが家で妻や娘に試してもらっていた方法は、『わからない・ふあん・困った』と多少の因果関係がつかめるタイプの不安に襲われた時、それを愚痴って誰かの共感を得ることでした。
ここで言うところの【愚痴る】とは、不安を誰かにぶつけてストレス解消するのではなく、胸や頭の中で曖昧な状態で不安を増殖し続ける状態を、言葉にして現実に音として出現させることです。自分以外の誰かが共感したり、理解を示すのを確認することで、まず不安を抱えていいることを肯定されたことにするのが目的です。
いきなり【不安を感じる⇒愚痴る】は難しいので、練習し始めの様子を大まかにすると……
娘の場合
彼女がこうした状態になりやすい状況を見越して、症状が軽い段階で『今さ、君は何か胸がモヤットしたような、自分がキューっと小さくなったような感覚になってない?』など、本人が感じていそうな体感覚を示唆。
共感するようであれば『ああ、それって今何か分からなくて不安なんじゃないの?』と、その原因を提示。『そういう時は【~~がわかんない】とか【うまくできるかなぁ】とか愚痴って、近くの人に言うと楽になるよ』など、現状・原因・対策を明確に伝えた。

※現状からハッキリさせたのは、現状の異変に起こしている動揺を明確にすることで、不安感を低減できることが多いから

妻の場合
フリーズに至った段階で、『わからない・ふあん・困った』などの原因となった物事や、その前後に関わっていそうな未解決・未処理のスケジュールなどを書き出す。どの段階から自分が不安を感じていたのかを明確にし、さらに同じようなパターンに陥った時の事を合わせて思い出して比較してもらう。

パターンが分かったら、『わからない・ふあん・困った』を感じた段階で本人に明言してもらったり、慣れるまではこちらから『愚痴っとく?』など補助をした

と、まずは自分がどう不安を感じ、それによってどんな感覚を得ていたかを認識してもらい、対処には【言葉にして世に出す】事を関連付けてもらいました。
ちなみにこうした流れの中で、特に大きかったのは、『愚痴ってもいいんだ』と気づけた時だったそうです。

自主練

一人の場合や職場・公共の場などで練習する場合は、なるべく落ち着いている状態で、人間観察を一定期間意図的にするといいかもしれません。他の誰かの【不快でない愚痴のこぼし方】を耳に出来ればよいかと。
例えば
『あー、そういうの緊張する』
『これ、苦手なんですわ』

『ええー、上手くできるかなぁ』

など。
出来れば表情やイントネーション、そして関係性にも注目できるようなら、それも観察しておいて下さい。これは真似をするためではなく、一般的にはどのように“できない自分を肯定しているか”を具体的に見るためです。難しそうな人間観察も、特定の目的意識があると結構はかどるものです。
一般的に愚痴る・弱音を吐くことは、言葉を相当重くしない限りは【断固否定・断絶】などの強い意味合いにならず、むしろ物事や問題を軽くするために、ニュアンスを変えながら日常的に使われている事が分かるかと思います。

ポイント

不安を感じた場合の流れを、ふだんから簡単にまとめておくのもおすすめです。
例えば
1:不安を感じたらすぐに近くの誰かに愚痴ってみる
⇒なるべく大人や上司ではなく、当り障りのない人がベスト。できれば問題定義してきた当事者以外が良いが、その限りではない
2:不安が解消しない・共感を得られない
⇒大人や上司、もしくは問題定義してきた当事者に、『わからない・ふあん・困った』の旨をそのまま伝える

番外:悪い人・怖い人相手なら逃げて良し
⇒逃げるべき、自分を守るべき正当な状況も一応押さえる

などなど。
不安に思うこと・愚痴をこぼすこと。これらへの肯定感を持つだけでも、選択の幅は自然と広がることもあるようです。

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ASな娘が定型次男(4歳)へ与えた心の影響とは? http://asdweb.net/3rd-affected-asd2 http://asdweb.net/3rd-affected-asd2#respond Mon, 23 Feb 2015 10:01:21 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[定型な次男]]> <![CDATA[具体策]]> <![CDATA[定型との比較]]> <![CDATA[実際の思考]]> http://asdweb.net/?p=3091 <![CDATA[直接ねだらない・直接伝えない イヤイヤ期がほとんどといって良いほど見当たらなかった次男。4歳になり、段々と人との関わり方を模索していく時期に差し掛かり、自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の娘と、どこか似た様な問題が […]]]> <![CDATA[

直接ねだらない・直接伝えない

イヤイヤ期がほとんどといって良いほど見当たらなかった次男。4歳になり、段々と人との関わり方を模索していく時期に差し掛かり、自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の娘と、どこか似た様な問題が起こることが散見されました。
現在、次男のこの問題で成功した考え方が、娘に逆輸入的に効果を発揮しつつあるのでまとめてみます。
よくありがちだったのが、眠気や体調不良に大きく沈み込み、それを直接訴えずに、大人を怒らせることで決着をつけようとするパターンをはじめ、自分の気持ちをストレートに伝えず、自分の気持ち自身を分りづらくしてしまう傾向です。
もともと上手に自分の気持ちを言葉に表し、高いコミュニケーション能力を見せていた次男が、本人も知らず知らずのうちに、自分の思いや要求をストレートに伝えようとしないクセがついてきていました。
そういった事が増えていくうちに、本人もそのストレスを持て余すように。最終的に保育所でも気分を崩すことが多くなり、また、家に帰ってもいつも不安定になってしまいました。ストレスからか急な発熱なども増え、終末は毎週のように休んでいなければならないほどにまで……。
例えば以前の彼であれば、近くに大人がいて遊んで欲しいと思った時に、おもちゃを持ってけしかけてきたりして自然と気持ちを表したり要求できていました。
ところが、クセが出始めたあたりからの彼は、遊んで欲しい大人の近くに寄り、『それ、どこでかったの?』など手近な所にある何かを指さして質問する事で会話をさせようとするなど、受身な方式が急増していきました。
こうした時、彼が抱えている要求は、ピンポイントで叶えられなければ気分を害すこととなり、一時、赤ちゃん返りのような状況に陥りました。
このまどろっこしいコミュニケーション方法は、長男と娘も長いこと続けていた過去があり、成長するに従って自らの首を占める結果となっていました。

なぜ、そうなったのか?

まず私の脳裏に、複雑な思いと共に浮かんだ可能性としてはふたつ。

【1:次男もASDの可能性】

【2:親が厳しすぎて意見が伝えられない性格になってしまった】
1は今までの彼の人との関わり合い方や、複数の物事を頭で組み立てたり、前後の関係で会話をつかむなど、様々な能力を見る限り非常に考えにくいものです。2は親として自分を省みようとすれば、非常に不安になりやすい部分です。次男本人への厳しさは特に見に覚えがありませんが、他の兄姉とのやりとりを見ていて……となれば、どうしようもありません。
ただ、2に関しては、それを覆す形となっているのが長男の存在です。
どちらかと言うと三人のうちで、一番この傾向が強かった長男は、とあることを理解した瞬間からパッタリとこうした周りくどいコミュニケーションを止めていたからです。
その長男が理解した“とあること”とは、一言にすれば【人との距離感】です。そして1も2も、この問題の根本が分かってくると、【そのように彼らが動いていたのは何故なのか?】まで見えてきました。
そして、次男がここから抜け出すには、他のASD当事者の家族がそれをどう乗り越えたかが鍵となりました。

人との距離感の問題

この【人との距離感】とは、わが家のASD当事者たちの場合、曖昧であるがためにつまづきやすく、しかも平常時の会話ではなかなか実感を持って深度のある理解が難しくなる傾向にありました。
そして実は妻も近年まで、表面的な問題は違えど、子供たちと根本的には同じ問題を抱えていたのです。
例えば【人との距離感】を一般的によくある定義にすると
どこまで関わろうとするか

どれだけの深さを求めるか

などがありますが、わが家のASD当事者たちは、ことごとくこの曖昧さに翻弄され困惑していました。
結果的に
大切な人の意見に言いなりになる
大切な人に際限なく気を使ってしまう

不安感が伴うと関係にまで影響するほど神経質になる

という踏み込み過ぎな状況になってしまったり、その逆に
相手が苦しみ悩んでいる時ほど距離を置こうとする
謝罪することに大きな不安感やおこがましさを感じる

目を合わせなくなったり会話が出てこなくなる

などの疎遠な対応を取ることとなります。

距離感の指針

妻も長男も、その過程は違いますが、距離感のうち理解した部分は同じです。
現実の相手を気にしているようでありながら、自分の中の【相手にどう思われるか】を問題としていること
言葉にすると、なんてこともない様に見えますが、こればかりに偏ると思わぬ摩擦が始まります。
現実の相手の表情から、本当に気持ちを読み取ろうとしているのなら、それは不可能ではないし、不安に駆られる状況はかなり少なくなります。しかし、自分の中で【相手にどう思われるか】を考え始めると、指針は自分の中にしかないので、その要求は高くなり際限がなくなってしまいます。
実はこのハマり方は、ASDに限らず定型でも起こりえますし、大人も子どもも年齢に関係なく陥ることがある問題で、誰にでも起こったりしています。
しかし、ひとつの事実に集中しやすいASD当事者の場合、この観点に陥ると自力では抜け出すのは困難なものになりかねません。
それでも妻と長男の場合、いくつかの問題や出来事を踏まえて、この距離感の問題を自覚した後、驚くほどあっさりと抜け出しました。
そうした時のキーワードは、
妻の場合【大事な人も、もうちょっとテキトーでいい】

長男の場合【自分は自分、人は人】

が適度な指針を取り戻すヒントになった様です。

次男が距離感問題に陥った理由

なぜ定型であるはずの次男も、家族のASD当事者たちと同様の問題に陥ったのか。
まず、まだ4歳と幼ければ定型であろうがASDであろうが、人との距離感について何らかの問題を抱えても不思議ではありません。むしろ当然と言ってもいいのではないでしょうか。
ただ、彼がこうした問題に大きく躓いた原因としては、兄姉からの特に娘からの“刷り込み”だったと考えるのが自然です。
子どもは想像以上に考え、周囲を見ています。人とのコミュニケーションの取り方も同じで、他の子どものやり方などをジッと見て、その方法をやってみたりします。
例えば周囲に、叱られると意図的に黙りこむタイプの子のがいた場合、それを見ていた子も叱られた時に黙りこむのを始めたりなど、レスポンスを周囲から多く学習することがあります。
次男は同じ保育所であり、家庭でも娘といる時間が多く、言動を真似していたりする事がよくありました。
現実の相手を気にしているようでありながら、自分の中の【相手にどう思われるか】を問題としていること
などと言うことは見ていても理解はできないでしょうが(真似されている娘本人も自覚はなかったし)、話しかける論法や硬直するタイミング、駆け引きの方法などを真似していれば、味わう感想や違和感は同じはずです。
一緒にいる時間が長ければ長いほど、その時に関わる人間が多ければ多いほど、学習する機会は増え同じ心理になるケースは繰り返されていきます。
つまり、娘が感覚的に選択している方法を真似することで、次男もおなじ感覚を持ち、同じ問題にハマりこんでいったのではないかと。

次男が抜け出せた方法

これまでも何度か、次男が完全にハマりこんで混乱に陥る状況は起きていました。その度に色々な方法や言い方で気を楽にさせたり、自信を取り戻させたりは出来ましたが、結局は対処療法の様なもので、根源的な部分が改善されな限りは再発を繰り返します。
次男が大人への周りくどいコミュニケーションや、緊張感を払拭させた方法は次のとおりです。
“これなら一緒に遊べそうだ”と思うおもちゃを持って、大人に『これであそぼう』と声を掛けさせる
これを何度か繰り返させました。家庭でも私や妻に、構って欲しい時や手持ち無沙汰そうな時にそう促しました。家庭では30分ほど遊んだらさり気なく切り上げ、また本人が必要に応じて声をかけてくるのを待ちました。
自分の中の【相手にどう思われるか】から、“おもちゃを探す具体的行動”と“実際に声を掛ける”という現実の相手に直接働きかける、ポジティブな働きかけを作り出す事になります。
ポイントはセリフが簡単であること。なるべく開口一番の不安を軽減させるためです。
この方法を思いついて3日もたたずに、次男の行動は大きく変わりました。今まで気を取られていた架空の相手への緊張から、実際の相手への働きかけを再認識できたようです。ベッタリでも、よそよそしいでもなく、関わりたい時だけ関わり、そうでない時はマイペースでいられる状態に回復しました。

応用として

人によって距離感の問題は大きく違いますし、ピンポイントに響く言葉も違います。ASD当事者の場合、このピンポイントが重要な事が多く、それらを探すことでも大きな変化をつかむことがあります。
現実の相手を気にしているようでありながら、自分の中の【相手にどう思われるか】を問題としていること
この観点を中心に、【行動を振り返える・言動の根本を見つける・何から自分を守ろうとしているかを見つける】といった具体的な行動に結びつけて理解していくとわかりやすくなる事があります。

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6歳:物事に飛びつく・叶わないと癇癪を起こすパターン http://asdweb.net/2nd-age6-impulsivity-irritability http://asdweb.net/2nd-age6-impulsivity-irritability#respond Mon, 16 Feb 2015 09:50:24 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[アスペルガーな娘]]> <![CDATA[娘6歳]]> <![CDATA[実際の思考]]> <![CDATA[特徴]]> <![CDATA[衝動対策]]> http://asdweb.net/?p=3085 <![CDATA[ある朝の事。次男が妻に小さな嘘をついた。 次男『ぼく、のどがいたいから、アメがほしい』 4歳の彼が最近使う論法で、こうすることで母親が自分の思う通りに動いてくれることと、甘い思いができるという両得な謀略である。ただ、これ […]]]> <![CDATA[
ある朝の事。次男が妻に小さな嘘をついた。
次男『ぼく、のどがいたいから、アメがほしい』
4歳の彼が最近使う論法で、こうすることで母親が自分の思う通りに動いてくれることと、甘い思いができるという両得な謀略である。ただ、これは見逃せない点がある。
妻『……本当にのどが痛いの?』
次男『……イタクナイ』
と、そこで次男の言葉に被せるようにして、娘が口を開いた。
娘『ああ! わたしも! わたしものどがいたいからアメ!』
次男と妻との掛け合いを見ていたにも関わらず、娘は次男の謀略に乗り、希望に満ちた目で妻を見つめている。
妻『……本当にのどが痛いの?』
娘『……イタクナイ』
妻『アメが欲しいって言うために、具合が悪いって嘘をつくのは、騙してることと同じでしょう?』
早々に謝り、シレッとおもちゃを取りに行く次男。そして、対照的に顔面蒼白・肩を震わせて泣き出す娘。声がけにも反応がなく、そこに誰も居ないかのように空に向かって泣き続けた。
癇癪とまでは行かないものの、これは状況によっては、そうなってもおかしくはない様子が見て取れた。
■今だから分かること
単純に自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)である娘の特性として、表面思考で衝動的に反応してしまったと言ってしまえばそれまでですが、普段はそれほど衝動的ではありませんし、今回の事は『たまにある』くらいのケースです。
ただ、表には出さなくても彼女の葛藤の元になっていたり、不必要な困惑の元になっている可能性もあるので、こうした出来事は逆に彼女を理解しやすくなるとも言えます。
衝動性やシングルフォーカス由来のものとは別に、彼女に見られる飛びつく系のパターンは以下の様な物があります。
視覚に支配された
『ジュースのむ?』と聞かれて、特に意識に入り込むほどの刺激や欲求を感じなかったのに、いざ誰かが飲み始めるのを見ると、強い強迫感に苛まれる
注意に極端な反応
道路の端を歩いていて、『後ろから車が来るよ』と言われた瞬間、車を意識するより先に道の反対側に飛び出して移動しようとする。【注意⇒今すぐ変えなきゃ】などの反応で、状況を見ずに今と真逆の行動を取ろうとする
認識の混同
【思い出した・気がついた・思いついた】などが、今まで自分の念願であったかのように、強く欲求や衝動と結びついてしまう
誰の意見に従うか
複数の人間が意見を出し合ったりしていると、特に自分が動く必要はないのに、そこにいる人物の中から従う相手を探り、その意見ですぐに行動しようとする
思いも及ばない提案に自失
普段はやらない事で、やってはいけないと分かっていても、誰かの冗談や軽口を鵜呑みにし、その刺激的な発想に支配されて前後考えずにその行動を取ってしまう
こういった反応や思考、または葛藤が見られるのですが、どちらかと言えば彼女の“個性”とも表現できる範疇です。しかし、今回のように思い通りにならなかった場合に感情的になってしまうのでは、今後の小学校入学からの環境変化に心配が残るので、対策に頭を捻っている状況でした。

なぜ癇癪は起きたのか

普段、娘は朝からオヤツなどをねだることはありません。オヤツの時間ではないことを知っているし、それを言うのは不正解で自分が“バツ”をつけられてしまうことだからです。
彼女はそれが叶わない願いであることも知っていましたし、嘘をつくことがいけない事だとも知っています。
今回、これらを分かっているはずの娘が、なぜ衝動的な行動に支配されたかといえば、上記のパターン【思いも及ばない提案に自失】と同様な仕組みであったと考えられます。
問題はその後、なぜ癇癪・フリーズ泣きが起きたかです。こうなると話が通じないので、周囲は非常に困惑する事になります。これは社会性においては危険性をはらみます。
では、彼女が癇癪を起こした理由とは何なのか。それが【叶わないこと】【いけないこと】【バツがつく】と分かり切っていて、何よりバツが付くことで自己評価が低下する事を嫌う娘。しかし、次男の【思いも及ばない提案に自失】によって衝動的に行動してしまった。
この時、自分がどうしたかったのか、なぜ行動してしまったのかが分からなくなり、思考が停止。さらに“分からない”が二つ以上重なることで、解析できずただの不安として認識されてしまう、絵に書いた様なパニック状態です。
動揺や緊張から泣きだしているので、自分がなぜ泣いているのかも分かっていません。

ここから取れる対策

正直、今回のはレアケースなので、対策を講じるよりも、本人に何が起きていたのかを納得させることが大事だと考えました。
上記の『なぜ癇癪は起きたのか』の説明を、なるべく分かりやすく話し、その上で【君は、自分が本当はどうしたかったのかを見失うと、苦しくなりやすい】と言った具合に、その特徴を短い言葉にして伝えました。
彼女の場合は【分からない=不安】に処理されやすいので、場合によっては本人も無自覚の『分からない』を解消することで、緊張を解く可能性が高くなります。
今までも衝動性に対しては、幼少期には“10秒ルール”、最近までは『それ、本当にやりたかった? 気がついちゃっただけじゃない?』などの声がけで、予防や回復策としてきました。
今回は重たいパニックになりやすいパターンが見えたことがポイントです。おそらく今後、同様なパニック状況が起きた場合に【君は、自分が本当はどうしたかったのかを見失うと、苦しくなりやすい】などの自覚を促す言葉を繰り返すことで、土台ができてくるのではないかと思っています。

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小学3年生:ASな長男が人に合わせ過ぎた・人目を気にし過ぎた理由まとめ http://asdweb.net/1st-age8-worries-public-eye http://asdweb.net/1st-age8-worries-public-eye#respond Fri, 13 Feb 2015 10:01:56 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[軽度アスペルガーな長男]]> <![CDATA[不安症]]> <![CDATA[具体策]]> <![CDATA[愛着と依存]]> <![CDATA[長男小学3年]]> http://asdweb.net/?p=3082 <![CDATA[普段は全くと言っていいほど問題がなく、安定している長男。ただ、どこか親がいる時は、常時親を気にして言動を取っているような“間”があり、何らかのトラブルやブレが発生した後は、その“間”が長く長く、硬直したようになってしまう […]]]> <![CDATA[
普段は全くと言っていいほど問題がなく、安定している長男。ただ、どこか親がいる時は、常時親を気にして言動を取っているような“間”があり、何らかのトラブルやブレが発生した後は、その“間”が長く長く、硬直したようになってしまう。
本当はもう、問題としてはずっと前から起きていたのかもしれない。
─── 家族といる間は、彼が本当にリラックスする時間がないのだ。
3年生の夏休みが終わろうかという頃、その問題が爆発した。緊張が限界を超え、親がいるとフリーズするようになってしまった。
■今だから分かること
あれから半年が過ぎ、ほぼ完全解決と言っていいほど、長男の【人に合わせ過ぎる】問題が起きていません。と、いうことで解決編としてまとめたいと思います。
一緒にいる時間をリラックス出来るようになったのはもちろん。必要以上のベタベタも、よそよそしさもなくなりました。さらに私が嬉しく思っていることは、【怒れる様になった】【甘えられるようになった】という点です。
以前の彼は常に人に合わせていたので、怒るなどもっての外。甘える行為は断られた場合、別離に近い恐怖心を持つので、言葉にも出来ませんでした。
だから一見すると“優しくて物分かりのいい子”です。
しかし、それは自分の納得の上の理解ではなく、際限のない我慢の上に成り立っています。それを初見で見抜くのは不可能に近いでしょう。そして、それは本人も幼い頃から反射的にとっていて、その頃にはほぼ無自覚での行為でした。

無自覚・無闇な対処行動

『人を気にするな』と言っても、正確には『人とのズレが起きないように慎重になっている』状態で、しかし、本人にはその自覚がありません。本人にすれば、急に不安になり、常に“何かに困っているけど、何に困ってるのか分からない”といった状態になっていたようです。
本人が自覚していない・分からない不安を、どれだけ代弁しようが、意味はありませんでした。一度でも何らかの焦りを感じたら、フリーズは免れません。結果どうなるか?
一緒にいる間は顔面蒼白、“見られないように”でも“見ていなくては合わせられない”と、視界の端で常時気にし続ける集中が始まります。
そうして一緒にいたいのに、いるほどに苦痛になるジレンマが生まれ、隔離されることに自己評価を著しく下げ、また一緒にいて上手くいかないことにも自己評価を著しく下げ続ける悪循環に陥っていました。
また、この自己評価の低下が、さらに別離不安も生み出し、際限のないベタベタ……しかし、気持ちを前に出さないただただ距離感のない関係を創りだそうとしてしまいます。
自己評価を取り戻すには、無闇に何か思案し続けるか、問題にならないための行動を取り続けなければならなかったのです。

無闇矢鱈である理由

本来2~3歳児の頃のイヤイヤ期などで、他人と自分との存在が別個であるとか、自分とは違う事を認識すると言われています。また、どこまでやったら怒られる・嫌われるなどの距離感を4歳くらいで形作り、5歳からの友達同士の社会形成につながっていくわけですが、長男の場合は少し違いました。
“これ以上やったら怒られる・嫌われる”そこへの対処だけを思案し、積み重ねてはいたものの、2~3歳時期に理解するはずの【人との違い・距離】を、理解していなかったのです。正しくは、言葉や感覚では理解しているのでしょうが、そこの意識が弱すぎたために方法論に偏りすぎていました。
人間関係には自分からの働きかけをしていないと、人間関係を失う別離不安が起こり、しかし、実際に思案・行動している間は相手を相手としては見ていません。
自分の中にいる相手が、“きっとこう思うはず”と、非常に自分寄りにシミュレートしている状態です。だから相手が困っても止められはしないし、逆に困っている表情に気がついたら、それこそ働きかけへの強迫観念が襲いかかります。
何に対しての不安か自分ではよく分からない。でも、働きかけることを止めるには恐怖心がつきまとう。
良くないことと分かっていても、彼がどうしても人を気にするのを止められなかったのは、止めることの方が不条理であったからです。

憤り

おそらく、こうした処世術のズレは、社会に出て少しずつ学んでいくことでしょう。それは年齢にしたら30代くらいかもしれません(そういう話もちらほら聞くし)。
自然に成長することが、本当に全て正しいのならば見守るのですが、彼の場合は遅かれ早かれ、愛着や憤りに心支配されかねない状態でした。
彼自身の中にも上手くいかないことでの憤りや、そうしてしまう自分への嫌気のようなものを持ってはいましたが、強迫観念を払拭するだけのエネルギーや、納得できる概念は持っていませんでした。
結果的に彼がそれを凌駕したのは、こちらが逃げ道を塞ぎ、彼がそれを続けるだけ彼が苦しむ状態を敷いた事にあります。(詳しくはこちらの過去記事をどうぞ⇒53:アスペ妻の記録~人は人、自分は自分~
叱られるのが嫌で叱る親に怒るのではなく、叱られる方法に自ら縛られている自分に怒りが爆発するまで、こちらも一歩も譲りませんでした。人との関わりや生活様式について、自分から自分の行動に疑問を持たなければ、わが家のASD当事者たちはそこに関する変化を嫌います。
この時の彼もその通りで、彼は自分を縛る自分のルールに憤りを爆発させたことで、ようやく私からの話に耳を傾ける気になってくれました。それまでは、少しの違いでも、自分の考えとズレていれば、すぐにフリーズしたり聞き流してしまったのです。

自分は自分、他人は他人

ようやく自分と人との違いに、落ち着いて話を聞こうとしてくれるようになった段階から、改めて【自分は自分で他人とは違う】ということを説明しました。2~3歳の頃に学ぶであろう事を、今の彼に想像しやすいように。
そして、どこからが【気にしすぎ】で、ふつうは人がいる時にどの程度の【気に仕方】をするのかを、分かるまで説明です。
途中でひとつの言葉に気持ちがいかないように、ゆっくり紙に書きながら、こちらもキーとなる単語をそこに書くことを意識しつつ。そうして【自分は自分で他人とは違う】状態がどんな生活なのかも理解した頃、彼の独特な距離感と言うか、お互いの間にあるモヤッとした不明瞭な感じが消えました。
冒頭で触れましたが、実は彼が怒れるようになった事や、甘えられるようになったことについては、それ程目立った事はしていません。単純にこれらを理解した時に自然と起こる様になったのです。
特徴的だったのは、ちゃんと兄弟げんかが起きるようになったこと。それまで人に合わせ続けてきた長男が、妹弟にも拒否や交渉をするようになりました。

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仕事の終わりが分からない・休憩下手│ASDソーシャルスキル http://asdweb.net/social-skill-break http://asdweb.net/social-skill-break#respond Mon, 09 Feb 2015 09:24:07 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[手記]]> <![CDATA[ソーシャルスキル]]> http://asdweb.net/?p=3074 <![CDATA[【仕事があればいつまでもやってしまう】 【休憩を上手く挟めない・休憩している人が不快】 【会社にいる間、追い立てられている気がする】 これは妻と知人がそう感じていたケースなので、全ての自閉症スペクトラム(アスペルガー症候 […]]]> <![CDATA[
【仕事があればいつまでもやってしまう】
【休憩を上手く挟めない・休憩している人が不快】
【会社にいる間、追い立てられている気がする】
これは妻と知人がそう感じていたケースなので、全ての自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)当事者の特性とは言えません。個人差や性質による所が大きいと思います。ただ、現実での自分の行動に、どれだけ実感を持っているかという点において、娘や妻の普段の生活にも、いくつか応用が効く事があったのでまとめてみます。

使命感へのとらわれ

【仕事=作業(使命感あり)】になっていて、その逆となる休憩に対して、どこか“悪事”であるかの様な後ろめたさを持っている事があります。
この後ろめたさは、作業に向かうことで払拭されるので、過集中に走りやすくなったり、際限のない状態に陥ることも。よく言われる対処法としては、小刻みで具体的なスケジュール管理で、自身の一日の作業を可視化してしまう方法があります。
ただ、このスケジュール管理にも落とし穴がありますのでご注意を。
こなす事に目一杯になり、仕事に求められる切れ間や休息の意図を見失ってしまう事もあるようです。効率よく仕事を詰めたつもりが、単に仕事の時間を詰めただけで、実際の自分の集中力や体力を無視し、結局、非効率的になるなどの危険性があります。
そうしてミスを起こした場合、自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の当事者の場合、必要以上に自分を責め、その責務を過大にしてしまう事があります。
仕事をこなしているつもりが、追い立てられていたり、強迫観念に押しつぶされそうになっていたり、進行で他と協調できなくなってしまった場合。それはもしかしたら仕事への使命感が強すぎたり、実力・体力が不足しているのではなく、“使命感にとらわれている”だけかもしれません。

『楽』の自覚

上司や先輩と一緒に仕事をしてみて、手際よく切れ間を見つけては、休憩を挟んだり、仕事を切り上げていく場面を経験したことはないでしょうか。
もし、こうした場面があったら、この一息入れている時に『ああ、楽だわ』という感覚を掴もうとしてみてください。こうした場面が見込めない場合は、一度こうした休憩時間を5分ほど、スケジュール調整して意図的に作ってみましょう。
その時には席を外して静かな所で一人になってみたり、目を閉じて情報をシャットアウトして休憩することに集中して下さい。
そうしてもう一度仕事に戻る時に、『ああ、楽だわ』を実感しようと、身体の変化に意識を向けてみてください。できればデスクに戻る前に、ゆっくり伸びなどをして、肩や背中の力の抜け具合を感じやすい状態にすると掴みやすいかもしれません。
この時に感じた『楽』は、『休んでもいいんだ』への下地を作るのには、もってこいの自覚です。実は休憩する場所を創りだすのも、それなりの余裕や実感が必要になるものです。この『楽』とか『休んでもいいんだ』は、使命感から外れた場合の自分を、自分で肯定する流れにもなります。
要は【使命感と楽のバランス】が大事で、捉え方によっては“悪事”になりかねない【楽】を、肯定的に自分の中に感じようとする試みです。

休憩を挟むこと

上手な休憩は、心身ともに疲労を蓄積させず、その業務を長く担っていく上では、長期的に効率を高めていく事が望めます。同時に、休憩の概念の必要性を、自然に捉えられるようになることで、仕事の切れ間を見つけやすくもなります。
知らず知らずに余裕を失う状況にあるケースでは、『休憩が必要なのは知っている』など、言葉では分かっていても実際その場で『ああ、楽だわ』といった言葉の先の実感を持ったことがない事が考えられます。
こうした実感などはASD当事者によっては、『ピンポイントで言い表せていないと実感しにくい』という性質もあるようです。同時に『実感できないと響かない』という場合もあります。
今回の方法は、自ら実感しようとする事で、自覚を持ちやすくするためのプロセスです。理解をしているのに現実感を持てない時などに応用が効くかもしれません。100のロールプレイングや反復より、『今のこの感じ』などの1の実感の方が、大きく認識を深めることがあります。

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アスペ妻の記録~当事者意識~ http://asdweb.net/wife73 http://asdweb.net/wife73#respond Fri, 06 Feb 2015 08:27:56 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[軽度アスペ・ACな妻]]> <![CDATA[アスペ母の影響]]> http://asdweb.net/?p=3069 <![CDATA[脱輪からの復旧 朝、強烈に重たい身体を起こし、洗面所に向かう。水道の刺し込むように冷たい水で顔を洗い、自分の姿を見る。 ……一体、なんだこれは? 普段ならだいたい歯磨きが終わるまではボヤけ気味な頭が、今日は鏡に写る自分の […]]]> <![CDATA[

脱輪からの復旧

朝、強烈に重たい身体を起こし、洗面所に向かう。水道の刺し込むように冷たい水で顔を洗い、自分の姿を見る。
……一体、なんだこれは?
普段ならだいたい歯磨きが終わるまではボヤけ気味な頭が、今日は鏡に写る自分の顔を見た瞬間、一気に現実に引き戻された。はたから見れば一瞬であろうが、私の頭の中では瞬時に複数の可能性が巡った。
ムーンフェイス。
顔がボール状とまではいかないが、かなり浮腫んでいる。まぶたはプックリと膨らみ、フェイスラインも印象が変わるくらい丸くなっている。
……ああ、副作用か。
年末からのストレスもあるが、体調を壊したことで体内環境が壊されたのだろう。全身に蕁麻疹や湿疹が出るようになってしまった。先日の再発を含めれば、憩室炎で倒れるのはこれで4度目だが、実はこの湿疹や蕁麻疹もこうして体調が崩れた後に度々発生している。
今回はかなり発疹が強く出たので、強目の錠剤を服用していた。この錠剤にはこの満月のように丸くむくんでしまう副作用(ムーンフェイス)があげられている。内臓関係のダメージはもちろんあるだろうが、直接的に思い当たるものはこれだろう。
打ち合わせ、行かなきゃいけないのに、どうしようか……。
そんな中、子供たちの寝室の方から、娘と妻のやりとりが聞こえてきた。
妻『あれ、どうして自分のお部屋にもどったの?』
娘『ん? だって、おとうさんがいないんだから、“目立たないようにしない”のれんしゅうにならないでしょう?』
妻『……まあ、そうなんだけど、ね。……うん、分かった。じゃあ、今日もお昼、自分で降りてこようね』
娘『うん、わかってる♪』
前にもあったことだが、もう、顔を見なくても分かる。娘はこれで何事もなかったかのように普通にもどっているだろう。それこそまさに、手に取るようにこの後の関わり方が想像できる。
脱輪したまま軋む音を立てて、無理矢理に進もうとしていた娘が、完全に復帰したことがたったこれだけで分かる。
それだけ、声の力が違うのだった。私はそんなことを感じながら、ため息混じりにダメ元で、かつて仕入れたリンパマッサージを繰り返す。

なぜパニックに陥ったのか

娘がわが家でパニックに陥るまで、一体“何を考えようとしていた”のか、また“なぜ、そうしていた”のか。
まず、結論から無感情にまとめてしまえばこうなる。
彼女はやはり自分の評価に対して、【“マルかバツか”の両極思考】でとらえていて、その上で自分が他人の目にどう映っているのかを常に気にしていた。その両極思考のバツの方には、【わからない・しらない・できない・まちがえている】これらが度合いも段階も限度も無く、それらを対比することもないため、全てがバツと一緒くたにされていた。
この両極思考を受けてから彼女がどう行動するか。これは2~3歳の頃すでに本人が取り決めていたといっても過言ではない。それそのままの考え方で、今も物事に対しての行動を当てはめようとしている。
ただ、現実には両極しかないのではなく、様々なグレーゾーンが存在するのは言うまでもない。そこに起きていることと、自分の考えに矛盾が起きていることも感じてはいる。しかし、彼女はまず2~3歳の頃の取り決めに従って考える。

“間違えたくない(否定されたくない)”と───。

保育所などの外の社会では、自信のない時は物言わず、他の多数の中に紛れていれば問題にはならない。なぜなら、そういった多数の中であれば、バツな時の不安感も、ジッと黙っていれば先生や大人、またはお世話上手なお友達が代弁してくれてきた。
この“代弁してくれる”状況も、実は大きなズレの元になっていた。
代弁されれば自分の意見ではない。自分の気持ちではない。だから、もしそれを否定されても、自分が否定されたことにはならない。
外の社会では、他の中に隠れることも出来たのである。
これならば確かに直接、否定されることはない(最初から誰も否定はしていないのだが)。しかし、立ち回れていないことや、自分が現実に働きかけられていない劣等感や焦燥感は確実に積み上げられていく。
また、マルに関しても、彼女は自分の評価を守るために【よい・かしこい・やさしい・みとめられる】などの結果をもらおうと考える。誰かが褒められるやり方を見れば、その結果の姿だけを模倣し続けたり、相手によって非常に聞き分けよく振る舞う事ができる。
ただ、模倣の場合は、その因果関係を全く分かっていないし、分かろうとはしない。“これをすればマルをもらえる”の繰り返し。聞き分けが良い態度を装う場合は、単純に衝突を恐れて我慢しているだけである。
そうして何の前触れもなく、ある日突然にその堰は切られ、激しいパニック状態や慟哭が起こる。
一言で表現すれば【人目を気にしすぎる】となるが、生活する上でそれが焦点となる頻度が人より多いどころか、常に気にしている張り詰めた状態と同じなのだ。
だから、遅かれ早かれ、マルであろうがバツであろうが、どちらに偏っていようが、やがては疲弊しその不安感がさらに両極思考なとらえ方を加速させる。
そして、ここからが問題であるが、本来であれば外で募らせた疲れやストレスは、休息する自分の居場所で緩和・解消されるものだ。しかし、外の世界と家庭の中とでは、彼女の感覚において確実に異なる点がある。
─── 家族は、そのひとりひとりが重要な要素であるため、他の中に隠れることができない。
気力体力的に余裕があれば、マルかバツかの偏りが多少抑えられるが、マルに偏れば評価を受けようと必死になる。そして、バツに少しでも偏り始めれば、それがどんなに小さな偏りからのスタートでも、彼女は家族の中で“間違えないよう・失敗しないよう(否定されないよう)”に少しでもスポットが当たらない様に神経を張り巡らせた。
前日、娘の口からようやく発せられた彼女の自覚。『【めだたないように】してた』はここから生まれていた行動である。
最初から目立たないようにしていたのではない。結果的に目立たないようになっていたがために、彼女は自分の行動を今までどんなに近い言葉で形にされようが、ピンと来なかったのである。
と、ここまでが彼女の思考パターンをまとめたものであるが、もう一つ、これは私自身が娘をはじめ、わが家のASD当事者たちと関わる上での心構えとして、非常に慎重な判断を求められている問題定義がある。
これらの行動のどこの段階までが、自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)としての特性なのか、どこからが本人の考えとして選択した事なのかを見極めること。
自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)としての、どうしても変えられない特性なのであれば、違う考え方に迂回させるようにトレーニングや、受け止め方を軽くするための視点を一緒に考えることはできる。……と、言葉にするのは簡単だが、もし、そうなのであれば、本人の負担も考えれば、長期的な課題としてやっていくしかないし、成功する保証はどこにもない。
しかし、これが単に特性がきっかけとなっただけの、彼女の思い込みの問題であったのなら、それが長引くだけ失敗と自己評価の低下を招く危険性が高い。二次障害への足がかりを作るだけなのではないかと。

なぜ娘は我に返ったのか

話を聞く状態になるまでを抜きに、今回、娘が我に返った理由はなんだったのか。
娘は自分にしっくり来る表現を見つけ、あっという間に自分の取っていた行動と、その利害関係とを合わせて自覚した。
家庭内で硬直していく時、彼女自身が取っている行動を言い表す際に、本人がしっくり来た表現は『目立たないようにしてた』だったということ。
そうして常にそれを続けている事が苦痛になっていたと、彼女は自覚できていなかったのだ。ただ、ここまでにも『怒られないようしている』とか『失敗しないようにしている』とか『良い子でいるにはどうしてればいいか考えている』など、意味合いとしては同じだったり繋がっている様な非常に近い言葉を何度も何度も投げかけてきていた。
しかし、本人の中で自身の行動や思考と繋がることはなかったのである。本人もそれらの言葉の意味を理解していたのにも関わらず。
では、なぜ娘は今回そこから抜けて、我に返ることができたのか?
これも簡単にまとめれば───
“怒られないようにしている・気にしすぎている”そうするとどうなるかは、言葉では分かっている。でも、自分が今そうしていると言う実感や自覚は非常に薄い。
たった今自分が取っていた行動や思考に、その場で指摘されでもすれば実感しやすいが、タイミングがズレたり後で言われているのでは、自分の事だと実感や現実味を持った強い認識を持てない。
だから、現実に結びつかない実感よりも、手慣れた自分のやり方を無自覚にトレースする方が、脳の反応としてはストレートになる。

娘が今回、我に返り自身の行動に自覚を持てた理由。それは“たった今、そうしている時”に薄い意識で従っている、本人独自のルールの様な物を感覚的ごと思い出せる言葉で表し、“たった今、そうしている時”の状況が擬似的に起きている中で指摘されたから

───と、こうなるのかもしれない。
まず、人同士の認知の違いを正確に見つけるのは難しい。大人に増して、自我を捉えきれていない子どもとなれば、それを見つけることも違いを説明することも非常に難しくなる。
あまつさえ、わが娘はその独特な性質とルールから、それを指摘されんがためにひた隠しにしていたのだから、混乱に混乱を重ねるのは当然だろう。何より、その独自ルールに触れる事については、話を聞くだけの状態に持って行くことだけでも至難の業となる。
まあ、何はともあれ、彼女は『目立たないようにしてた』という言葉から、立ち行かなくなるようにしていた自らの思考パターンを、実感をともなって理解できたようである。
これは昨年の始め、突如理解してから未だかつてない安定を見せた『家族はただいるだけ。なにもしなくていい』という立場に加え、家庭外でのマニュアルの基礎ともなる自らの仕様書を手に入れたことに等しい。

雨上がり

さて、反省会である。娘の結果はどうであったか。私が本来の体調であったら、祝杯をあげているところであったが、流石に今回は淹れたてのお茶で我慢だ。
つまり、それだけ彼女は見事に復帰を果たし、極自然な意識に戻れていたということである。
ここまでのまとめを妻と確認し合った後、段々と娘の今までの行動の詳細へと話は流れた。
私『あの娘は【目立たないようにしてた】って、言葉にはできなくても、意図的にそうしてた意識はあった。そうしている事で問題が起きていたのも分かってた。でも、直すまでの必要性や危機感を持つほど、落とし込もうとはしてなかったって事でいいんだろうかね?』
妻『そうだと思う。で、そこまで追い詰められてやっと“マズイ”ってなって、ちゃんと考えようと思ったから話を聞ける様になったんだろうね。それまでは目立たないようにしては失敗して、もっと目立たないようにして躍起になっていたというか……ドツボにはまるっていうか……』
ここまでの数年間、娘がよそよそしいなどの不穏な雰囲気をまといだすと、確実に今回のように自分の殻に閉じこもるまで、ガチガチの硬直へと突き進んでいった。こうした流れを繰り返していたからだと考えると、その理由も非常に分かりやすくなる。
ドツボにハマる悪手を打っても、それが悪手だと分からず、上手く行かなくなればそれを連打しまくっていて、さらにその実感が薄かったとなれば……こうにしかならなかったのではないだろうか。
私『去年のほぼ一年間、年末まで安定したのは、今回と同じように追い詰められて話を聞こうとした時に、【家族はただいるだけ、何もしなくていい】って言われて、タイミングも合ったから本当に考えるのも止めたんだろうね。でも、どうしてそうしてたかまでは、自分でどうしてか分からなかったし、分かろうともしなかったんじゃないかな』
妻『きっかけは何だったんだろう?』
私『“コレ”ってハッキリしたものはないと思うよ。子どもは成長していくし、その度毎に環境は変わっていくんだけど、特性とあの娘の性質も合わさって自分のやり方にこだわり過ぎたのかもね。【他に隠れる】とかのやり方に頼ってきたら、どうしたって小さなズレとか違和感を感じていくだろうし。そうしていなかったら、自分の事として起こることの連続になる訳だから、成功体験と失敗データが積み重なって、手の内は増えていくはずだよね。
だけど、両極思考の強い2~3歳の頃のやり方に従い続けたのはあの娘だ。ASDとしての両極思考とか、自分で変えていけない性質があったりするのは分かる。でも、その後の対応で耳を塞ぐかどうか、それと、そのやり方に何処までとらわれるかは、本人次第なんじゃないかって思うんだよ。
今回は年齢的に外の環境とのズレが出始めていて、さらに家での対応方法もバージョンアップされていなかったから落ちたってところだと思う。』
さらに保育所でも、娘の特性や性質とその対応について、家庭との連携が出来上がってきてしまった。理解されることで楽になることがある一方、娘にとっては隠れるための“他”を、上手く利用しにくい環境になっていたこともあるのかもしれない。
どちらにしろ壁が来るのなら、向こう側に道が続く壁をぶち抜く方がいい。
私『あの娘にとって、基本的に人といる時はいつだって自分の評価と“どう見られているか”が問題だったんだね。構ってもらおうとか、可愛がられたいとかよりも、自分がどう見られているのかが大きかったんだ。
だからコンディションが良くて自己評価が高い時は、必要以上に“よく見られよう”と頑張りすぎて、自己評価が低い時は“目立たないようにしよう”と躍起になってた。
保育所に行けば隠れられるから、自己評価が低い時は表面的な安心感は得られる。けど、家に帰ると隠れられないから、ただでさえ自己評価が落ちているのに、余計に自分を追い込む形になってたと。
でも、保育所にいたって結局は隠れることに疲れるし、そういうやり方にこだわる時間が、起きている間中ずっと続く。表向き、気を抜いたように見えた所で、そんな状態じゃあ気分転換なんて出来るはずもないんじゃないか?』
妻『ああ、だから今までも途中で保育所とかいかせたり、楽しめそうな所に連れて行ったりしても【それはそれ】って感じでスイッチ戻されてたのかぁ。酷い時は家で何とか落ち着かせられたのに、完全にリセットされてる時もあったもんね』
なぜなのか分からない、本当にそうなっているのか分からなくても、過去、こうした娘のリセットが起きていることだけは感じられていた。正直、その姿が逃げているようにしか見えなかったり、取り繕っているだけのようにしか見えず、余計に真意が見えにくくなる一方な時期もあった。
私『うん。そうなると、外に行くだけじゃなくて、家でも平穏を取り戻した後に、他の兄弟が不安定になったりすると、すぐにぶり返してたのも分かる気がするんだわ。これも自覚がないまま、いつも通りの自分のやり方に戻すスイッチにされてたというか……』
今までの娘の行動やパターンが、どんどん解けていく。同時に私たちがあの娘に対して感じていた不安も、その不安がどこから来たのか、その答えがポロポロ出てくる。
この明瞭な感覚は、勘違いとか思い過ごしなんかじゃない。『たどり着いたんだ』と思えるだけの説得力がある。
妻『……なんかね、色々とASDの特性と自分とか娘とかの行動が一致して来るようになってからなんだけど、幼いころに怒られてた時の事とか、よく思い出せるようになってきたんだよね。前は、抜け落ちたみたいに思い出せなかったんだけど……。
でね、あの娘がしっくり来る言葉が来ない限り、近い言葉からヒントすら受け取れなかったのが、分かる気がするんだよ。
思い出したの。私、小さい頃に自分のやり方を注意されたりした時、それがピンと来ない時は【ちがうんだけどなぁ】って思ってた』
私『ちがうって、何が?』
妻『自分でこうしたいと思って、自分のやり方でやろうとして上手くいかなくなって、困ったなぁとは思ってるの。でも、そこで助け舟を出されたり、やり方が違うって指摘されてる時に、“~~って思ったからこうしてるんでしょ?”とか言われると、【ちがうんだけどなぁ】って思ってた。
それは決して相手が分かってないとか責める意思はないし、聞き入れないで反発してる訳でもないの。自分がやりたい事と上手くいかないズレが、何でなのか分からなくて、途方にくれて状況まるごと【ちがうんだけどなぁ】ってなってたんだと思う。
だから私は最初、夫から私の行動をしっくり来る言葉に変えられたりすると、すぐに自分の挙動が把握できたりして驚いたよ。モヤがなくなるの。で、今まで言われたこととが繋がって出来るようになったり、分かるようになった。
でも、やっぱりそこに行き着くまでには、モヤがなくなるための【退路を断たれる】が必要だったり、自分の行動以外に絡んでくる【理解できてない他の何か】が整理つかないと落とし込めないんだよ』
今までもこうして、娘や長男との問題から、妻の理解が深まることはよくあった。しかし、雨降って地固まるなどと、自分にとって都合のいい言葉にはしたくはないが、今回の娘との一件は大きな収穫があったといっていいだろう。
─── ピンポイントに表現された言葉でなければ、自分の感覚や行動を省みるほどには、強く自覚できない───
弱点でもあるが、直すことの出来ない不可侵のものではない。ただただ長い人生経験がなくとも、言い表す言葉を探す作業に変換することも出来るかもしれない。

【つづき】⇒アスペ妻の記録~卒業~

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アスペ妻の記録~人間関係のジレンマ~ http://asdweb.net/wife72 http://asdweb.net/wife72#respond Mon, 02 Feb 2015 12:23:22 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[軽度アスペ・ACな妻]]> <![CDATA[アスペ母の影響]]> http://asdweb.net/?p=3061 <![CDATA[4歳の人間関係形成 娘が作り出す異常な緊張状態や空気に圧倒され、次男も緊張状態に陥る。どちらかと言えば段々と時間を掛けてというより、娘がそうなったのを確認すると、スイッチが入ったように次男も硬直してしまう。 以前はここに […]]]> <![CDATA[

4歳の人間関係形成

娘が作り出す異常な緊張状態や空気に圧倒され、次男も緊張状態に陥る。どちらかと言えば段々と時間を掛けてというより、娘がそうなったのを確認すると、スイッチが入ったように次男も硬直してしまう。
以前はここに長男も加わり、それこそ家庭が硬直する一途をたどり続けていた。しかし、今回は違う。長男はそこに影響されず、それどころか大きなヒントを投げかけてさえ来れたのだ。
─── 次男はまだ、“おとうさん”ばっかりなんだもんね。
ふと漏らした長男のつぶやきが、私に何をもたらしたのか。その答えを言葉にすると、非常にシンプルで無駄がなく、今までの苦悩がバカらしくさえ感じてくる。
次男は【4歳だった】のだ。
2~3歳時期に自分と他人の違いや、心が他人と一つではない事を覚えていくタイミングが来る。分かりやすく言えば“イヤイヤ期”だ。そして、何度もぶつかるうちに自分と他人との距離感が少しずつ身に付いてくる。
これはお母さんで、ボクではない。
これはボクで、お父さんではない。

これは知らない人で、家族ではない。

それらが整ってきた段階で次に進むのは4歳児。この先、5歳児になると友達同士の社会形成から、一気に社会性の成長が進み、人との時間で多くのことを獲得できるようになっていく。4歳は『ここまでやったら叱られる』という常識の範囲と、『これはこういうもの』『こういう時はこうするもの』と自分なりのパターンを学習する時期でもある。
そこでありがちなのは、『やりかた』と『自分や相手の気持』などの、理想と現実のギャップに戸惑うことである。これらは定型発達児でも自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の子どもにも見られる、社会性獲得のハードルの様なものである。
次男はまさに今ここにいて、実際は自分のもった『やりかた』が通用せず、現実の壁に突っ伏していたにも関わらず、それを自覚出来るだけの経験値を持っていなかったのだ。これと似たことは過去、長男にも起きていた(※関連記事⇒4歳:長男、人との距離を理解した瞬間とその一部始終)。
今、次男がつまづいている『やりかた』は、娘が始めたものである。娘はその『やりかた』にとらわれ、すぐに自爆の一途をたどり続けてしまう。次男はそれを隣で見て真似るうち、その失敗の強い印象に心奪われるようになる。
『これをしたらこうなる』因果関係がハッキリしているだけに、否応なく行動がそちらに向かってしまうのだ。
では、次男の4歳児問題。これを治すには───?
説明も言葉も関係なく、彼にひとりの大人として素直に対応すれば良いだけである。『良いか・悪いか』『好きか・嫌いか』『欲しいか・欲しくないか』。それにはなるべく周囲の大人が同時期にそう接してあげれば良い。
人間関係はやり方を考えるのではなく、お互いの想いや考えの公約数を探す物であると、空気だけでも感じられればいい。言葉で感情も掴めない頃は、こうして現場で獲得していくしかない。
現代の子どもは幼児期に密に接する大人の数が少なくなりがちだ。ならば自分のやり方だけでは動いてくれない大人がいる事も、ある程度意図的にでも用意してあげないと、学習の機会を得られない事にもつながるのではないだろうか。

次男の改善

さて、次男への対応が分かり、始まるや否や、その効果は絶大であった。対応は極単純。たまたま巡ってきた三連休に合わせて、妻の態度を少し変えてもらっただけである。
今、次男が娘と同調してしまい、『親との合わせ方』そのものでつまづいて、強い印象に縛られている以上、その方法論を否定したり受け付けなくしても無意味である。それこそ時間を掛けていけば、放っておいてもいつかは理解するだろうが、やり方としてあまりに難易度が高くてマズイ。
ならば、そうしている以外の時の対応から足場を固めて、『やりかた』にとらわれていては上手くいかない事を学ばせるのが近道だと考えた。
彼が人の言葉を聞き流そうとしたり、注意を聞かずに自分のやり方や、やりたい事だけを通そうとした時など、妻は彼の肩に手を置きしっかりと注意をした。さらに、いつもやってしまう余計な遊びなども、先回りして指摘し、何らかの【やらなきゃいけないこと】を意識させる様に促し続けたのだ。
これは自分のやり方から、他人との生活干渉に目を向けることになる。長期間はキツイが、自分を顧みられる次男であれば、短期集中で自分の『やりかた』の不成立を自覚させる最適な方法とも言えるだろう。
その間、私は次男との関わりを、彼から寄ってこない限り取ろうとはせず、彼の『やりかた』にも応じることはなく、私自身のあるがままでただそこにいた。私からは何も仕掛けてはいない。しかし、連休の最終日、次男は私の元におもちゃを持って近づき、膝の上に座りに来たのだ。
娘の異変から、数カ月ぶりに次男がふつうの距離感に戻った瞬間である。
妻がゆっくりとその態度を戻しても、それは変わらずに続いていた。4歳の壁。彼が必死に考え出そうとしていた『やりかた』は、それそのものが壁であったのだと、言葉は分からなくても感覚的に理解したようだった。

親の覚悟

娘の『やりかた』は彼女自身、今現在壁にぶつかっている。激しい緊張から通常の会話はもちろん、家族揃っての食事が不可能な程の緊張状態に直面していた。
保育所に行く前にはスイッチが入ったように元気になるが、帰ってきて『ただいま』を元気よく言った後、手洗いうがい、荷物を置くなどのやるべき動作を終えると、再度スイッチが切り替わり動けなくなってしまう。
以前まではこのスイッチが入った時には、『なにかをしなくちゃ』とか『こう演じていなければ』という様な、彼女のルールへの固執が見られた。しかし、それを止めきれないまま、彼女は結局体力も自己評価も失い、疲労や不安感からただただ『失敗しないように』と怯えるようになりだす。
─── ここまでは分かっている。
しかし、本人がこの方法を取る理由も分からなければ、どれだけ失敗を重ねようとも、結局ここに戻る事を周りはもちろん、本人すら理解をしていない。
いや、本人にはそうしてしまっていた記憶もあるし、そう思い始める瞬間も把握していたりする。しかし、その最中に『これは上手く行っていない』と自覚して止めるなどの流れは、一向に定着しなかったし、まさに彼女のさじ加減で始めたり止められたりを繰り返していた。
本人次第。とは言え、彼女はもうすでに気力体力の限界を迎えようとしていた。
保育所に行くことすらできなくなったのである。具体的には登園前の不安定さと、癇癪の回数が上がり始めたこと、そして癇癪を起こしたその日は、自宅ではほぼ活動できないだけの消耗をしている。やがて、登園前に高熱が出るようになり、夜には平熱。また終末になると高熱がでる状態に陥った。
妻『……ご心配をお掛けしてすみません。保育所はしばらくお休みさせます。メンタル面での問題で、ちょっと退路を断たなければならない所まできてしまったみたいです』
退路を断つ。
ここまでにも何度かとってきた最終的な方法のひとつではある。その度に直接的な原因となる、些細でありながら根深い認知のズレを見つけてきた。しかし、今回は前回からの間隔も短い。根本的な問題解決と言える所まで考えなければ、このまま何度も繰り返すかもしれない。
いつもだったらゆっくりでもかまわない。しかし、娘は今年卒園し、小学校に入学する。長男の入院した過去などから考えても、それが彼女にどれだけの負担が掛かるかは想像を絶するものがある。
彼女が今直面しているのは、保育所でも家庭でも、何かしらの『やりかた』にとらわれていることである。そこには現在、反応している最中の自覚がないために、心理行動療法を応用的に取り入れることすらできない(まず、自分の行動と効果を結びつけて考えられるほどの心理状態でもない)。
【もう、その『やりかた』では何一つ上手くいかないんだよ】そう親の覚悟を告げる必要もなく、娘は再度高熱を出して寝こむこととなった。娘も本当に限界を迎えていたのだろう。

休息とルール

保育所を休ませ始めた初日。彼女はドロのように眠り続けた。朝は軽く食事を摂り、しかし、その後は昼食も夕食も、ベッドで深い眠りについていた。
まずは2日間、集中的に休ませる。今までの経験上、それをしないことには会話すら成立しないことも知っている。多少の話を聞ける状態まで回復したら、今度は食事の時間だけとか、特定のタイミングで少しの間だけ一緒にいる様に変えていく。
3日目に彼女の表情に【どうしようにも動けない様子】が薄れてきたのを確認し、次のステップに移行することとなった。
食事の時間を提示し、その時間に自分の足で降りてくる事を守らせる。しかし、その時に少しでも『やりかたが分からない』などの態度を取って、人に解決されるまで立ち尽くしていたり、必要以上に『ふつうに過ごしているフリ』をしていると分かった場合は、即座に自室に戻らせ、家族と同席の食事はさせない事をルールとした。
ただ、結局はこういった状態に陥っている時は、食事にすら興味がなくなり、失敗して自室に戻らされる選択を取り続けることも予想されるため、『娘だけ時間をズラして普通に食事』も撤廃した。
極限の彼女は結局食事が取れるのなら、そこでも“良し”としてしまい、その先の会話が通じなくなるからだ。彼女が部屋に篭もることを“楽”とみると、その後の全ての人間関係や生活との関わりを、『おなかすいてる・すいてない』『トイレにいきたい・いきたくない』など、生理現象にまで欺瞞を起こす。
これをされると、全てが逃げる方に回り出す。その上での【退路を断つ】である。
純粋な空腹・自分の気持ちで行動せざるを得ない環境を敷いた。
ただ、足りないと思われる部分について、カロリーと栄養素を計算し、状況を見て本人が食べられそうな軽食や、水分補給と同時にプロテインなどの流動食も与える。しかし、それでは完全に飢えは満たせない。
今回のように、失敗からただただ逃げる姿勢を取り繕っているうちは、何を言っても無駄に終わる。そこで応じてしまえば、娘は『ここまでいけば助けてもらえる』と、また自分を追いやってしまう。ここに付け入られると、5歳の頃のような抜け様のない、ただただ硬直に繋がるパターンをなぞり続ける流れに持ち込まれることも知っている。
厳しいようだが、ここまでしないと彼女は自分の『やりかた』に疑問を持とうともしない。そして疑問を持たないうちはいくらでも続けるのが彼女である。
最初の2日間は、家族が寝静まる夜中まで、トイレすら我慢していた。3日目からは降りて来れるようにはなったが、最初に目があった人物に焦点を合わせたまま、何かしようと考え続けパニックになる状態が続いた。
事が動き出したのはルール開始から4日目。保育所を休み始めてから一週間が過ぎた頃からである。

自覚

覚悟を決めてから一週間が過ぎた時、娘は自分から私と妻のいるリビングに降りてきた。丁度仕事の打ち合わせを行っていたタイミングである。
娘『おなかがすいた。ごはんたべたい』
ここ一ヶ月くらいの間、リビングで自分の気持ちや要望を言うことがなかった。今年に入って初めて、自分から両親に向かって口を開いた瞬間だった。
しかし、妻が振り返るとすぐに上半身をゆらゆらとロッキングを始め、口元を歪め微妙な笑顔を作ろうとしながら、緊張の渦に呑み込まれていく。
妻『……そうするから、あなたは人といられないんでしょう?』
娘の身体がぴくんとタテに反応した。隣にいた私でさえ、思わず妻の顔に目を向けた。それほどに妻の言葉には気迫とタイミングが備わっていた。
妻は今、怒っているのである。
それまで“夫と娘”であり、自分に害が及んでもその不満を飲み込み続け、私の横で困ったような顔で自分からは心を動かそうとしなかった妻。今、確かに彼女は娘に怒りを向けている。妻はそのまま娘の手を引き、和室へと歩き出した。
実はここ連日、妻とふたり毎晩のように話し合いながら、妻が娘と同じ年頃の記憶はどうであったかを鮮明にしようとしてきていた。妻はあまり過去を話さない。それは恥ずかしいのもあるだろうが、大半は“当時、理解が出来なかった”事で、言わば苦手意識やトラウマのような別の問題意識があるからである。
“自覚”
今、まさに妻が娘に対して怒りを露わにした事も、ある種、母であり妻であり家族である立場から生まれる、自らの感情への自覚であろう。それは“らしさ”と言ってもいい。
これはそのまま娘の問題にも根本的に言えることだ。娘には【自分の気持ちや行動の自覚】【自分の立場の自覚】が恐ろしく希薄な時がある。それは本来、自分の気持と考えで動く“らしさ”の上で出てくるもので、彼女の場合は困るほどにただただ『やりかた・居かた』を再現することに夢中になり、結局【そこにいること・立ち振る舞いを気にする】だけになる。
妻『自分の気持ちの自覚がないって言うのは、もしかしたら自分の行動に説明が及んでないってだけなんじゃないかなって思うんだ』
長男に続く、今度は妻からの鳥肌級のひらめきをもらった瞬間である。
それは“他に表現できる近いものを見つけられない”だけなのかも知れない
ふと思えば、今まで妻が大きく考え方を変えたり、受け入れられなかった認知を自分のものにできるようになった時、確かに彼女は明確に言い表す一言との出会いがあった。今回、それは娘にも感じられる事でもあった。

一筋の光明

彼女が家族への不安や不信から、こうした行動を起こしているのではない事は分かっている。これは長男の時と非常に近い物を感じる。
長男の時に起こっていた事は、常に人に合わせていた彼が、家族といる時にもそれを繰り返していたということ。その終わりのない精神的な疲労から、やがて彼は困惑し、人といることに強い不安感と【どうしよう】という考えを持つようになっていた。
環境や体調の変化があると、人といる限りこの【どうしよう】を繰り返し、一気に消耗しながらそれを上手く出来ない事に混乱の度合いを強めていたのが全容である。
この時、彼がそれを自覚するに至った過程は、まず自分のやり方である、人との合わせ方【どうしよう】が破綻している状態に、本人が嫌気を持つまで苦しみ抜いたこと。その時も退路を断ち、極限の中で『冗談じゃない』と立ち止まり、『やりかた』が他にも沢山ある事に目を向ける気になった事が大きい。
その上で『人は人、自分は自分』と言った、他人の行動や自分の行動が、それぞれ独立したものであるということ。そして、それは常に気にし合ったり、干渉し合うものではなく、自分の意思を感じるための自覚を得たのである。
長男の場合は【常に人に合わせていた】事がキーとなっていたが、娘は一体何をキーとして、どんな自覚を持てずにいたのか。実はそれは想像以上に軽い場所にあり、そして今まで散々探してきた場所からひょっこりと出てきたのだ。
私『さて、さっきお昼に“おなかがすいた”って自分で言いに降りてこれたのに、どうして戻されたか自分で分かっているかな?』
夕方が近づき、娘も落ち着いたであろう頃合いに、私は娘の部屋を訪ねた。今までも何かあった後、本人がどうしようにも抜け出せていない様子が見られた時は、こうしてフォローだけは続けていた。
娘『……うん……ボソボソ……』
私『ああ、話せないフリや声が出せないごっこするなら、これでもうお父さんは下に降りるよ』
娘『……! わ、わかってる!』
最初は声が出せない。まるでそう決まっているかのように、声を出さない。しかし、回復の度合いは良好だ。すぐに悪手だと理解が出来て、ちゃんと話そうと意識を戻してくる。
娘『おかあさんを“気にしすぎ”て、はなすのもうごくのも、やめちゃった』
私『そうだね。家族を気にし過ぎなのと、自分で動いたり話たりするのを止めたよね。それだと君がまた疲れきるまで考えだしてしまうから、お母さんはダメだって教えてくれたんだよね』
娘はこういう正解をキチンと答えることができる。しかし、こうしてハキハキと自信ありそうに答えた時は大抵は……
私『じゃあ、その時、本当に自分がそういう事やっていたんだって分かってる?』
娘『……』
私『何をしていたか覚えていないの? 分からない時は分からないって言えばいいんだけど……』
娘『……わからない』
ここまでは今まで、何度も何度も繰り返されたリピート再生の様な会話である。どんなにパターンを変えて、切り口を変えて【なぜやっていたのか・どう思っていたのか】などを探ろうとしても、完璧な答えを返してくる娘。しかし、その意味はまるごと飛んでいたり、結局自分が何をしていたのかは理解していなかったりする。そしてここを巡り続ける。
しかし、今回は違う。連日の妻との話し合いや作戦会議、長男の言葉と妻の言葉。ここ二年間に積み重ねてきた一歩一歩の集積。これらは私に今までとは違う視点を授けていた。
私『言い方を変えよう。君はさっきお母さんが振り返った時、【間違った事をしないよう】とか【いい子でいなきゃ】とか考えなかった? 当りか外れか、近いか遠いか答えて』
娘『……ちがう……でも、とおくない』
私『……!? じゃあ、次に行くよ。【普通にしていなきゃ】とか【どうしても気になっちゃう】とか考えていなかった? 当りか外れか、近いか遠いか答えて』
娘『……ええと、それもとおくない』
私『遠くないってどっちのこと? 【普通にしていなきゃ】って方? そうか、じゃあ……』
こういったやりとりを何度か繰り返していると、突如彼女が反応を見せた。
私『お父さんやお母さんがいる時、【こっちを見られない様に】ってしてなかった? 当りか外れか、近い……』
娘『【めだたないように】してた』
ハッキリと意思のある声。以前彼女に感じたことのある、お互いの間に掛かるモヤがすっと晴れた様なクリアな世界。まぎれもない、これが核心だ。
私『えっ? でも、今までも【怒られないように】とか【注意されないように】とかしてないかって、何度も声掛けてきたよね? それとは違うの?』
娘『ちがくない。でも、【めだたないように】ってことをしてたのは、いまわかった。ちかい、ううん、おんなじだった』
【怒られないように】と【注意されないように】、このふたつはこれまで散々、“こうしていないか?”と声がけをしていたうちの、大きな二つの柱である。娘に取ってはこれは意味合いが同じでも、彼女の気持ちを指す言葉ではなかったらしい。
だから、これに関わる気持ちの処理や考えを、片付けるに至らない材料不足な情報として流されていたと言う可能性がグッと出てきてしまったのだ。
これはもしかしたら、【一定の認識や言葉が溜まると、急にそれまでできなかった理解や行動が可能になる】という、自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の当事者に見られる特徴の一部なのかもしれない。
私『じゃあ、君はお家にいる間はずっと【目立たない様に】してきたって事でいいんだよね?』
娘『うん。そう(キッパリ)』
私『それをやらなくて良いと言ったら、今はわかる?』
娘『うん、【めだたないように】をやめる』
意味はほとんど同じなのに、それをそうだとは認識されてこなかった。怒られない様に目立たないでいる。注意されないように目立たないでいる。確かに言葉の階層としては違うのかもしれないが……。私はこの時、正直に言えば、ただただ面食らっていた。
それもそのはず、今まで何年も苦しんできた違和感が、たったこれだけの言葉の意味合いのとらえ違いでだけだったとは思いもしなかった。しかも、これはただの取り違いや勘違いなどで片付けていいものではない。もしかしたら彼女が認知し切れない部分の対処を、たった今見つけ出したのかもしれないのだから。
私『じゃあ、もしかして君、保育所ではさぁ。うちとは違って……』
ここでの質問、そしてその答えが全ての解明に繋がるとはそれこそ考えもしなかった。
とにかく私たちは娘の正解に辿り着き、同時に今までの疑問とスレ違いを、明文化できるまでの答えを得た。同時にこれは妻が今まで【ASDの特性として苦手】とされながら、そこに関わる分野を短期間で得られて来た事にも繋がって行くのである。

【つづき】⇒アスペ妻の記録~当事者意識~

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アスペ妻の記録~踏み込む意識~ http://asdweb.net/wife71 http://asdweb.net/wife71#respond Tue, 27 Jan 2015 09:32:00 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[軽度アスペ・ACな妻]]> <![CDATA[アスペ母の影響]]> http://asdweb.net/?p=3055 <![CDATA[本音と建前 家族が帰宅した翌朝、洗面所へ向かおうと階下へ降りると、子供部屋からリビングに向かおうとする娘と鉢合わせた。 娘『オハヨウ』 私『おはよ……』 私のあいさつを聞くまでもなく、娘は顔を蝋人形の如く硬直させ、口元を […]]]> <![CDATA[

本音と建前

家族が帰宅した翌朝、洗面所へ向かおうと階下へ降りると、子供部屋からリビングに向かおうとする娘と鉢合わせた。
娘『オハヨウ』
私『おはよ……』
私のあいさつを聞くまでもなく、娘は顔を蝋人形の如く硬直させ、口元を歪ませて笑顔を作る。そして“ふつう”を装う時や、“ふつうにすること”を全ての動作に強制的に意識する時の、彼女独特な歩き方でリビングのドアに向かった。
バランスが傾き、左右の足の動きがチグハグ。手指の先にまで何らかの“そこにあるコツ”を探るような、普段無意識に身体が行ってくれる全ての動作を、頭で再分解していちいち点検しながら活動するようなぎごちなさ。
【そこにいること・立ち振る舞いを気にする】
今、娘は確実にここから入る生活へのスイッチを、非常に薄い自覚のままに入れた───。
娘が開けたドアの向こうに、その姉の様子を不思議そうに目で追う次男の姿があった。そして、その返す目は私をとらえ、すぐに“見なかった”とするように顔ごと反らすと、ドアの向こうの死角に去っていった。
去年末、冬が訪れてから何度目かの、ふたり同時完全硬直の始まりである。
それはこちらが何するでもなく、表情のひとつも失敗する隙も暇もなく、ただ唐突に理不尽に始まった。先ほどまで何となくでも感じられた、子どもがいる家特有のにぎわいの気配が、ドアの向こうからプツンと消えてしまったのだ。
これらがもし、私が怖がられているとか、なつかないなどの単純に把握できる理由であれば、まだ整理の付きようもあるのかもしれない。こちらが気にしないという方法が成立するからだ。
しかし、娘の場合は違う。ただの過剰な意識である。それは何らかのきっかけから、ふと感じた不安を処理しきれないままに、その出来事とは関係のない依存相手に向けるだけ向け、原因もきっかけも忘れた後も自ら引くことが出来ない一方通行な意識。
だからこそ、こちらが気にしないようにしようものなら、わざわざ後を追いかけてきてまで、その姿を見せようとすらして来る事がある。
解ってるよ。どうせもう何がきっかけなんだかも忘れているんだろう。何が原因だってどうだったって構わないんだ。“こうするものだ”と決め付けるように、そのやり方をなぞって流してるだけ。
例え今、根本的な問題をクリアしても、ここまで来られたら、とことんまで怒鳴られでもしない限り、“やめられない”と思ってる。そして、それは本当は自分でも分かっていることも知ってる。でも、いつやるかは絶対に決めないし動き出さない、ただの先延ばしだ。
親である俺がそうすれば、いつもみたいに止めるんだろう? でも、そのやり方でないと終わらない事に、本当に一番苦しんでいるのは誰なのか分かっているのか?
お互いに分かっているのに、それを無理にでも感情的で野蛮な方法で処理させられる側の苦しみが、理解ができるようになるのは何十年先になるというんだ?

解ってるよ。解ってる。まだ6歳なのだからわからないことも、その幼い我が子にこうして翻弄されている私が情けない大人であることも認識しているさ。だからといって、放っておいたって、それを自然と理解していくなんて保証はないし、そうされることを許さないのは君自身だろう!

綺麗事では片付けられない、この有耶無耶にこんがらがった、中途半端な歪みへの憤り。どこに向けようも当てようもない、痛烈な本音が建前の隙間からこぼれ出てくる。こんなにも問題は見えていて、打てる手立ても分かっていながら、“年齢的にギリギリ理解は難しいかもしれない”という目処のつけにくい曖昧な基準で、否応なく立ち止まるというジレンマが立ちはだかるのだ。
コンディションによっては、自然と理解していられている時もあるというのに。
……それをグッと飲み込む。胸の少し下にひりつくような無理を感じながら、これ以上のこじれと無意味な流れを増やさないためにも、最大限の効果があるその瞬間にまで。

妻、再起動

娘は段階を踏まなかった。一気に【そこにいること・立ち振る舞いを気にする】を最大化させ、親がいる限り“何か”を考え続け、また自由に過ごすという立ち振舞自体を難問のように扱い出す。
親がいる間は常に考え硬直し、次に何かするべき指示をもらえない限り、ただただフリーズをし続ける。その外面的な反応や様相は、まるで暴力的な親に対して怯えているようにしか見えない。
娘本人によって、なるべくして流れを創りだしたフルパニックが、もうハッキリと始まっていた。そして、次男はその隣で姉の変貌に戸惑い、父と姉の関係や間の空気を分析しようと、その情景に心とらわれる。
─── この状況に、私はただ打ちひしがれていた。
自身の体力を取り戻し、また仕切りなおすためにとった里帰りの決断が、完全に裏目に出ていることはもちろん。“そうではない”と分かっていても、今までの自分の積み上げてきた娘との足跡が、あたかも全てが無意味であったかのように、ゼロの状態に戻されてしまったという錯覚に陥る。
一度は完全に家庭崩壊しかけた、娘が5歳の頃そのままの状況へと、なんの脈略もなく一気に戻ってしまったのだから。
こういう時の娘は、反動をつけるように親のいない部屋では大胆な行動に出たり、次男に対して尊大な態度に出て自尊心を取り戻そうとする。強気で大きな声。対して親の前では小さく最低限の返事しかしない。
ギャップに満ちた娘の声が階下から響く度、みぞおちの辺りに物質感すら感じられる程の、重苦しいモヤモヤが渦巻く。
今、私に打てる手はない。また数週間の時間を掛けて安定し始めた頃合いを待って、少しずつ分かるように言葉を探しながら説明していかなければならない。しかも、少しでも地雷を踏めば、一気に硬直へとワープするように戻ってしまうのだ。これは時間も体力も激しく消耗する。
そうやって膨大な作業と労力、消耗を思い浮かべて絶望しかける私の隣で、妻は突如再起動を掛けた。
妻『さっきまではごめん。娘の事で相談させて』
家族の中にまだ、“一歩進む”事を行動できる者がいた。ただそれだけの安心感が、視界の色彩まで増やすかのように、生きた心地を取り戻させた。

踏み込む意識

仕事部屋のチェアーに腰掛け、いつでも視覚的に会話できるよう、紙とペンを用意し妻との話し合いが始まった。
妻『まず、パニクっててごめん。出かけた先であの娘に注意したり、一線引いて教えようとした時に、やっぱり“子どものやることだから”って言われたりすることがあってね。それは社交辞令として言ってくれているのが分かるんだけど、それを好機に前例を作ろうとされたりして、色々戸惑ったんだ。

そこでパニックになるとかは起きなかったんだけど、家に帰ってきたと思ったら、一気に安心して気が抜けちゃって感覚が鈍くなってたと思う』

妻の自己分析は完璧に近かったのではないだろうか。帰宅したばかりのあの時は、私自身話し合うことを諦めたので伝えていないが、私の予想とほぼ一致する内容でもあった。
妻『その上で今までの家で積み上げてきた、“こういう時に気をつける”とかの流れがぶっ飛んじゃって、取り戻せないうちに娘が明らかにおかしくなってくのを見てショックをうけちゃって……』
私『……俺の方も疲れているとか、パニックに陥っていると分かっていながら、冷たい言い方をしてごめん。でも、ちょっと打ちひしがれちゃったよ。一気に噴出されれば流石にね』
妻『……ごめん』
ふと妻の申し訳無さそうな表情を見た時、急にある事が掴めたようなひらめきが来た。
私『ねえ、本当に悪いのは誰だと思ってる?』
妻『……え? ……娘……だよね』
私『うん、そうだよ。でもさ、君は彼女に対して、直接怒りや焦りとかを感じてる?』
妻『え……あ、薄いかもしれない』
私『確かに問題の中心的人物は俺と娘の距離感だろうね。これが一番目立っていて、大きくなり過ぎたから、君にまで娘の距離感の問題が波及してきてるのは間違いないよね。娘と君との問題の部分は直接的ではないんだけど……、結局あの娘が問題を起こしていることで、うちは良い状況になっているのかい?』
ハッと目を見開き、妻は小さなノートに手早く何かをメモし始めた。そして書き終わると同時にふっと肩の力を抜きながら苦笑し、私の目を真っ直ぐに見て口を開いた。
妻『状況は……よくないよね。あの娘の行動で夫とあの娘が問題になって、次男にも影響は出ているし、夫も倒れるほどストレスを溜めてる。私はそういう状況に右往左往したりして、すぐに“分からない”って立ち止まっちゃってるし。そうなってて被害を被ってるのは私も同じだよね。
……私も怒っていい立場だったんだ』
私『うん。これが昔でいう肝っ玉母さんとか、切った張ったで子供に対応するお母さんだったら、娘が家族に対して“居かた”を考えようとモヤモヤしだした途端に、首根っこ掴んでどやしたりしてたかも知れないね。
それが正しいことかは分からないけど、タイミングや叱るべきポイントを的確に掴めているんじゃないかな。その原動力は“母親(自分)の感情”だよね』
仕事部屋にペンの走る音が響く。これだけ長いのは、一言一句間違わないようにメモしているなどではない。今、妻は過去の自分の行動を思い返し、それを一行にまとめて並べていき、視覚的に定時しておくことで思い浮かべる労力をカットしながら、総当り的に【実際どうだったか】を回想している。
自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の特性として、妻の場合はワーキングメモリが別のことに支配されやすい。今、彼女はそう言った無駄を省いた処理を、メモ帳を使うことで焦点を合わせて処理するテクニックを展開している。
テンポのいい乾いた音が流れ、そして考えを引き絞りまとめる彼女の思考と連動するように、ペンの走りは強弱をつけ、筆圧も上がり切った後、それは静かにテーブルに置かれた。
妻『私は……自分の気持ちを気づけていなかったんだね。実際は嫌な気持ちや焦りを持っていながら、出来事が夫と娘の事だから、私は一歩引く立ち位置でいることをいつの間にか決め込んでたんだ。……そうか、だから私はいつも迷っていたんだ』
私『立場として引いてしまっているから、現場との距離も遠い。自分の感情で動いていれば早くて分かりやすかったのが、“こういう場合は”って一般論に照らし合わせてたのかもしれないよね。
だからルールが決まった事とか善悪が分かり切っていることには注意したり叱る事が出来ても、違和感を感じる程度の表面的に曖昧な問題の場合は、スルーも出来ずにただただ困惑してたんじゃないかな。君の場合は自分の気持ちに気がつくのが苦手って資質もあるけど、それはもしかしたら、こういう風に立場が遠く設定されてしまっていた可能性もあるかも知れない。
最初に“誰が悪いか”を尋ねた時、君は娘の名を自信なさげに呟いたね? その自信なさげな返答には、こうした踏み込みが浅いからこその困惑もあったんじゃないかな』
過去、妻がよく物を落としたり倒したりしてしまうそそっかしい自分に、内心いちいち自尊心を傷つけていたことがある。その時、【意識が最後まで届いていないのかもね】と意識の踏み込みに対しての指摘が、劇的に状況の改善へとつながった事がある。今回の踏み込みの問題に関しても、それは意識を持つ強さの問題ではないだろうか?
2年前くらいの頃の妻と比べて、今の妻の母親としての子どもとの接し方は、別人といえるほど変化してきている。それは単純に父親母親の役割が持てるようになったという単純なメリット以外に、子どもとの関係性や子ども自身の安定状態も大きく向上させた経緯があるのだ。
しかし、一つのことが進めば、その分新たな課題が見えてくるのは世の常である。今度はどこか妻が子供に対して気迫を持ちきれなかったり、問題を本腰入れて終わらせるなどの実感を持ちきれない様子が見え隠れしていた。
今、上手く行けば、現状打破に繋がるどころか、さらに妻自身の戸惑いを一気に解消することに繋がる可能性が出てきていた。

経験者はかく語りき

妻が強い確信を持って動く足がかりを手に入れた一方で、我が身ながら情けないが、里帰りの数日だけでは、ここまでの消耗を回復しきれてはいなかったようだ。
回復食にようやく漕ぎ着け、寛解かと安心したこのタイミングで、私の症状が一気に悪化し始めた。
みぞおちに感じていたモヤモヤは、胃・膵臓・肝臓あたりの消化器官の異変を、健気にも明確に訴えていてくれたのだろう。私はまたそれに耳を傾けずに、押し切ろうとしてしまったのだ。いや、次々に起こる物事から守り切ってやれなかった。
これ以上のストレス状態や緊張状態を受けたら、自らの消化活動で自らの内臓にダメージを与えることになりかねない。それこそ緊急入院だ。そしてこれは大げさでもなんでもなく、今の私の身体であれば何時起きてもおかしくはない。
私は妻にそれを打ち明け、今後の対応についてしっかり話しあうことにした。
とりあえず私は再発のためしばらくの絶対安静と絶食。長男はまだ冬休みだが、全く問題もなく却って特別なことをすれば不安を与えてしまうかもしれないので、何事もなかったように今まで通り。次男は保育所がスタートしているので、子供たち同志発散させることで安定を保つよう、様子見しながらの通常運転。娘は自室にてこの旅でのブレや、失いきった心の余裕を取り戻すために、保育所も休ませて安静を保つ。
今の娘では安定するための余裕すら残されていない。いや、正しくはその余裕を今現在も、彼女の決めたやり方によって消耗し続けていると考えた方が賢明だろう。
さて、ここまでが【この手記は今、病床に伏せる私の手によってまとめられている】と書きだした、67話冒頭の部分の再発の流れである。そうして、表面上平静な生活が数日経ったある日、ふとリビングに顔を出した私に、完っ全にリラックスし切った長男が寝転がりながら漫画を読みつつ声をかけてきた。
長男『お父さん、ぐあいはだいじょうぶ?』
私『ん? ああ、もうほとんど大丈夫だよ。ありがとう。でも、お前には悪かったなぁ、どこにも連れてってやれないから、退屈だったろう?』
長男『へ? ぼくはおばあちゃんの家にも行けたし、たいくつもなんか楽しいって、さいきんわかってきたよ(笑)』
私『おおっ! すげぇな! 退屈も楽しめるようになったら、そりゃあもう大人だよ』
合わせてる様子もなければ、背伸びをしている様子もない。昨年秋に超えた人間関係の大きなハードル【人は人、自分は自分】以降、彼はなんの含みもなくリラックスが出来るようになっている。人を気にしていなければ、何かするべきことを考えずに済む。必要となって超えたことだが、彼には大きな財産となりつつある。
私『とは言え、本当はお父さんだって遊びに行きたかったりするんだけどね。本当のことを言っちゃえばね……ふふふ。まあ、娘がまた始めちゃったし、次男もちょっと娘に釣られて楽にできなくなってきてるから、どっちにしろ好き勝手に遊ぶには難しかったかもね』
長男は読んでた漫画本をこたつの上に置いて、ちょっと思い出すような仕草をした後、ほわっと柔らかい表情で私の方を見た。
長男『次男はまだ、“おとうさん”ばっかりなんだもんね』
その時はそんな会話を簡単に済ませ、特に気にしていなかった。しかし、彼の言葉が少しの間を置いて、私に大きなひらめきをもたらす引鉄となったのである。
例えば誰かに相談事を“ただ聞いてもらっている”だけの時、その人が『大丈夫だよ』と口にしなくても、表情がそういう表情であった場合、なんの解決にも至っていないのに話した側が安心を得られる事がある。
長男の言葉にはこうした、【安心の材料】が表情や口調に含まれていたのももちろんあるだろう。
それとは別に、私が彼から大きなヒントを得られたのは、あの言葉の冒頭、『次男はまだ』の部分である。これは距離感を超えた、その経験者である彼の言葉だから、妙な説得力があったのだろうか?
『まだ』とは、一体どこに対して掛かってくる『まだ』なのか。もしかしたら子供独特の、不必要な言い回しや、無用な引用だっただけで、なんの意味もないのかもしれない。ただ、人にとって何らかのひらめきが起きる時と言うのは、その意味合いなどどうでも良くて、そこに着目できる一瞬の寄り道が起爆剤となる事がある。
─── 私は長男の一言をきっかけに、定型でありながら娘と行動がリンクしてしまう次男の本質を、唐突に理解できたのだった。

【つづき】⇒アスペ妻の記録~人間関係のジレンマ~

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アスペ妻の記録~再現の破壊力~ http://asdweb.net/wife70 http://asdweb.net/wife70#respond Fri, 23 Jan 2015 08:51:34 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[軽度アスペ・ACな妻]]> <![CDATA[アスペ母の影響]]> http://asdweb.net/?p=3049 <![CDATA[夫の休暇 妻の里帰り、私の一人生活2日目。年内の大掃除も年賀状の投函も、正月飾りもすでに済んでいる。後やるべきことと言えば、御節作りくらいであるが、回復食(おかゆ)生活まっただ中で、今回一人正月の私には無用である。 外は […]]]> <![CDATA[

夫の休暇

妻の里帰り、私の一人生活2日目。年内の大掃除も年賀状の投函も、正月飾りもすでに済んでいる。後やるべきことと言えば、御節作りくらいであるが、回復食(おかゆ)生活まっただ中で、今回一人正月の私には無用である。
外は例年に比べて結構な大雪が続いていて、人の気配もほとんど感じられない。雪は人の活動を圧迫しながら、外界の音を吸収して一層静かな世界にする。
時折、スマホになんやかんやと着信や通知音が鳴る。その時だけ時間が動いているかのような、雪に閉ざされた日の独特な切り離された感覚。その感覚は単に孤独などではなく、寂しさも過去への振り返りも起こさせず、ただそこに留まらせる空気に満ちている。
── 大工殺すにゃ刃物はいらぬ。雨の3日もあればいい。──
諸説はあれど江戸町民の“宵越しのカネは持たない”と言った、当時の生活や情緒を表した都々逸であるが、今までの経験上、これは金銭などの物質的なものだけではないと思っている。
人間の身体は不思議なもので、休息が必要ではあるが、一気に全ての活動を止めると気力などのエネルギーの生成までもが止められてしまう。それは単純にやる気を起こしたり、自分の足場を確認しながら先を見通すなどの、活動に必要な指針ごと一気に見失うことがある。
……完全に休止するのは、どうも社会復帰がキツそうだ。
絶対安静の頃も過ぎていたので、簡単に雪かきしたり、いきまない程度の極軽度な運動をしつつ、あまりシリアスでない将来的な気楽な展望(都合のいい妄想とも言う)などを紙にまとめてみたり。そうこうしているうちにも時計の針は進み、テレビも一度も点けないまま、驚くほど無意識のうちに歳は明けていた。
スカイプの通話通知が鳴り響く。年明けが滞りなく済んだ事に気がついたのはこの着信音のおかげである。自身のあまりのマイペースさに苦笑しながら、スマホを手に取ると、妻からのテレビ電話だった。

テレビ電話の向こう側

妻の実家のリビングを背景に、妻と長男が小さな画面に窮屈そうにくっつきながら顔を写している。
長男『お父さん! あけましておめでとー!』
妻『あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いしまーす』
私『ああ、あけましておめでとうございます。おお、長男。今年も起きていられたか』
長男『うん、ぼくだけじゃないよ。娘も次男もおきてるよー』
画面が揺れ、続いて映り込む次男。次男は初めて見るテレビ電話に映る私の顔が不思議らしく、『なにこれ、ほんもの? ほんもの?』といったような事を繰り返してはしゃいでいる。鼻息も荒く、何を言っているのかは全く分からなかったが、初めての夜更かしとテレビ電話が嬉しくて上機嫌なのは確かなようだ。
長男にスマホを取り上げられるようにして、激しく画面が揺れ景色が回る。続けて写ったのは娘だった。恥ずかしながら、まさか娘まで起きていて、今いきなりコミュニケーションを取ることになるとは思わず、一瞬戸惑った。
─── 娘はまるで今まで何もなかったかのように、画面の向こうで何の気兼ねもなく、極当たり前の笑顔で手を振りながら、何事かを話しかけてきていた。
その姿を見た瞬間に、私はある一つのことを確信した。親としての見落としや取りこぼしがあったのではなく、あの娘が起こしていた不安定の根本は、やはりスイッチのように切り替えられたものであったと。
同時にそれは、本人が根本的に破綻している方法論であると自覚しないことには、帰宅した途端に再度スイッチが入ることを意味している。似た事象で言えば、毎年クリスマス前日と翌日に見せる、硬直とリラックスの華麗な手のひら返し。さらに古く遡れば、2歳目前の頃に突如歩けなくなった彼女が、病院で新しいおもちゃを見た瞬間に駆け出し、帰宅後すぐに寝っ転がり『歩けない』と悪びれもせずに甘え出した時と同じようなこと。
そうして頭によぎったのは、“この私の休暇明けは早々に地獄になる”という、鮮明すぎるほどに明確な映像であった。
頭に浮かぶと同時に、解説が即座可能なほど明確なそのヴィジョンは、決して妄想や言いがかりなどではない。今まで何百何千と繰り返してきた娘の行動そのもので、その根拠までもが説明でき、場合によっては落ち着いている時の本人ですら解説できる、確固たる事実の集積なのだ。
通話を終え、モニターが暗転した時、自分の無感情な顔が写り込んだ。
その冷めた自身の目を確認した瞬間から、残り3日間の休暇は、進むべき先の意味を持たない無味乾燥な時間へと変わっていくのを感じていた。

リピート再生

ガレージのシャッターが開く音が聞こえた。続いて慌ただしく玄関への通路を駆け上がる、ひとりの子どもの足音が響く。
その三十分程前、妻からそろそろわが家に着くとの連絡が入った。ほぼ時間通り、最初に飛び込んでいたのは……
─── ガチャッ!
娘『おとしだまはどこ!?』
私『……おかえり。え、お年玉?』
娘『…………おばあちゃんのやつ』
ふだん絶対にするあいさつも何もなく、私の事など眼中にないかのように、引き出しを慌ただしく開けては閉め、引っ掻き回す。妻から聞いたのだろう、私の実家の母から届いたお年玉の事を言っているのだ。
─── カチャ
長男『お父さん、ただいまー!』
次男『ただいまー』
私『おお、おかえり。疲れたろう?』
長男『うん、大丈夫! これとこれもらったー!』
次男『次男もこれもらったー!』
私『お、そうか、良かったじゃん。……あ、娘、お年玉は後でちゃんと渡すから、今は手洗いうがいしてテレビでも観て待ってて。ちょっとお母さんの荷物手伝ってくる』
長男と次男はこたつに潜り込みながら、手持ちのおもちゃで遊び始めている。娘は駆けこむように洗面所に飛び込み、また慌ただしく出てくると今度は子供部屋のおもちゃ箱から、またも何やら慌ただしく探し始めていた。
その音を背中にガレージに向かうと、薄暗い室内灯の下、脇目もふらずに荷物を整理しながらまとめている妻の姿があった。
私『おかえり』
妻『……ああ、ただいま。手伝ってくれるの? ……いいのに』
声に抑揚がない。顔もどこか余裕がない。長旅で疲れているのもあるのだろうが、そう言った気力体力的な疲れの色ではなく、何らかのズレを抱えた時に見せるスレスレの切迫感のようなもの。
─── 嫌な予感がする。
私『疲れたろう。……どうかした? 何か表情が硬いけど』
妻『……そう? 別に』
とりあえず妻を先に家に入れ、荷物を全部運び込んだ。
リビングに戻ると、くつろいでいる長男。その隣でやや疲れを見せながらも、寝転んでおもちゃで遊んでいる次男。そして、慌ただしくリビングと子供部屋を往復しては、次々に何らかの自分の物を手に戻ってくる娘の姿があった。
(まずい。よくよく考えたら、こういう環境が変わった瞬間が一番危ないじゃないか……)
いつもなら妻が【お家はラクにする所・家族はただいるだけ】と抱きしめたり、先回りして声がけをして落ち着かせているタイミングである。その妻はというと、余裕のない表情で脇目もふらず荷物を開ける作業に没頭しようとしていた。
私『……あのさ、荷解きは明日でいいんじゃない? それよりも、ちょっと娘の様子を見てやってくれないか?』
妻『…………うん』
私『やっぱり何かあった?』
妻『………別に』
私『その言い方は“別に”じゃないだ……』
娘『おかあさん! あのもらってきた本はどこ!?』
妻『本……?』
娘『おにいちゃんがもらってた、あの、おかあさんが、にもつにしまったやつ』
そう早口でまくし立てる娘の表情は、もうどこかおかしかった。目を見開いていて、焦点が合っているような、いないような。そして姿勢が何処かマネキンのような硬さと、不自然なバランスが出てきている。
……もう、遅かった。
私からの言葉で作業を中断され、そこに娘からの微妙に掴みにくい注文と、そしてその明らかに異変が見て取れる一種独特な空気に、妻は一気に困惑を深めた。
妻『………娘、それは今はちょっと大変だからできない。他ので遊んでて。明日荷物を解くから、明日の楽しみにしよう……ね』
数秒間、上半身をゆらゆらロッキングさせ、緊張と困惑を走らせた後、娘は不自然な歩き方でリビングへと戻っていった。
テレビ電話の直後の予感が、たった今、目の前で形になろうとしていた。
妻『…………で、ごめん。………なんだって』
私『……もう、いい。俺はお前のそんな顔を見るために、実家行きを提案したんじゃない。それにこうやって致命的な流れの発端になると分かっていたら、最初から言いはしなかったし、今俺、後悔してるよ』
眉間が固まったような、八の字に歪んでいた眉がぴくりと動いた。表情に変化を見せないまま、ただ静かに涙がこぼれた。パニックが解け始めたとみていいだろう。
─── 胃がキリっと痛んだ。

パターンからは逃げられない

私『長旅から帰ってきた直後で疲れているのも分かってる。気疲れがあったり、今気が抜けて気力が一気に落ちているのも分かってる。つい今の今までパニックになりかけていたのも分かってる』
妻『…………』
私『でもさ、忘れちゃいないか? 何のための旅行だったんだろう。お義母さんの事はもちろん、うちの家族の安定のための一手じゃあなかったか?』
妻『うん』
私『あの娘も、こういう環境が変わる瞬間が一番危ないよね。あの娘、家に帰るなり開口一番なんて言ったと思う? “お年玉はどこ!?”だよ。それからずっと何かしらを探しては持ってきて、何度も何度も行ったり来たりしてる。なぜだか分かる?』
妻『…………?』
私『車の中であの娘は“帰ってから”“帰るまでの我慢”そんな言葉がキーワードになってたんじゃないかな。で、それが引き金になって、“家に帰ってからやること”を片っ端から考えていたと思うんだよね、今までのパターンからすると』
妻『……うん』
私『で、今、そのほとんどを消化して、やることがなくなった途端に、自分の立場や立ち振舞をどうするべきか見失って、一気に崩れ始める』
妻『…………あ』
私『これももう、何度も繰り返してきたことだよね』
我に返った様に反応すると、妻は泣きだした。
妻『……ごめん。ちょっと、休ませて……』
小さな嗚咽を背中に、私は薄暗い和室を出て、自室へと向かった。今はそっとしておくしかない。落ち着けば妻は自分のパニックの理由を自覚することもできるだろう。でも、今は無理だ。そして、ふつうの親ならリビングに向かい、子供たちのケアをするだろうか。いや、わが家の場合、今それをすれば確実に2人が困惑する後押しをすることになりかねない。
1人はついさっき、スイッチの入った娘。もう1人は娘の影響を受けやすく、また、自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)とはどこか異なる、3~4歳児独特の社会性形成時期に起こる難しさを抱えた次男の存在である。
今ここで娘がフルにパニック状態に陥ったら、それを目の前にした場合の次男への影響は、もう考えたくもない。
ここまでを含め、予想されたいわれのない硬直と緊張への、ダダ滑りのパターンがほぼ再現されている。
その再現の【ほぼ】とはどういうことか───。
何もしなくても約束された所までの悪化は動かぬものになり、明日からは逃れようのない不自然で不条理な、無意味な緊張を強いられる日々になる。それらの残りの地獄が、なんの抵抗も出来ないまま、確実に再現されるということである。
一旦の安定が訪れるのは、パターンで行けば早くて2週間、長くて数ヶ月。体力的に続けられる限界が、娘本人に訪れるまでである。
そして、このループから抜けるのは、娘が社会性に於いて、何かしらの成長や概念の獲得が叶った日となるだろう。それは通常の子どもの成長とは大きく異なり、直線的な上り線を描くグラフの様な成長にはならない。不定期に大きな踊り場の点在する、階段上の成長線を描くことになる。
その成長が次に起こるのは何年先になるというのか。そして、一体なにが必要だというのか。本人の概念が揃わない限り、予想することすら難しい。
近年感じた中でも最大級の無力感と虚無感が猛烈に押し寄せ、耳が遠くなるような脳圧と胸の苦しさを感じながら、私は実感を失わないように階段を踏みしめて登っていった。

【つづき】⇒アスペ妻の記録~踏み込む意識~

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アスペ妻の記録~妻の里帰り~ http://asdweb.net/wife69 http://asdweb.net/wife69#respond Wed, 21 Jan 2015 12:56:45 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[軽度アスペ・ACな妻]]> <![CDATA[アスペ母の影響]]> http://asdweb.net/?p=3043 <![CDATA[峠を越す 右下腹部の痛みも、内臓全体の引きつるような痛みは鎮まり、常にゴロゴロしていた異常な動きもない。クリスマス前から続いていた、私の憩室炎の劇的な症状もようやく治まりかけていた。 さあ、待ちに待った回復食のスタートで […]]]> <![CDATA[

峠を越す

右下腹部の痛みも、内臓全体の引きつるような痛みは鎮まり、常にゴロゴロしていた異常な動きもない。クリスマス前から続いていた、私の憩室炎の劇的な症状もようやく治まりかけていた。
さあ、待ちに待った回復食のスタートである。
絶食を一週以上強いられたため、おかゆでも刺激になることがあるので、まずはおかゆの上澄み【重湯】から。それでも自分の体温以上、そして水以上のなんらかの濃度を持った、このお米の香を含んだ液体が、涙がでるほど美味い。
ここまで来れば余程のことがない限り、まず寛解に向かうだろう(結局原因は不明だし、完治とは言わない。あくまで臨床的なコントロール下にできた寛解)。
───ただし。
【余程のことがない限り】これは今、私にとって何の保証もないどころか、現在進行形でその【余程】は存在している。
娘の硬直がすでに【何かしらの原因】や【不安になる理由】がなく、【そこにいること・立ち振る舞いを気にする】という彼女自身が無為にとる対処法が、そのまま問題に移行しているのだ。言わば彼女の自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)当事者としての特性である、“とらわれる”が私や家族、また依存の強い相手に強く向けられ、人間関係の継続において藪蛇だらけのパターンに陥っているからだ。
ここに進まれると、本人が自力で立ち戻れたことはただの一度もない。本人が倒れるか、誰かとぶつかり大問題になるか、終末が訪れるまで突き進むしかない。そしてそれは優しい言い聞かせなどでは、むしろそこに固執する原因にすらなってしまう。
つまり、彼女が平静を取り戻すには、【本当にこうしていてはいけないのだ】と、彼女が実感をともなう刺激になるまで止まることはないし、それには誰かしらその対象となる人物が必要となる。
残念ながら、今それを出来るのはこの世にまだ私しかいない。そしてこの役目は、私にとっては今、避けるべき【余程】になり得る危険性に満ちていた。

妻の功績

娘の“とらわれ”を払拭する刺激として昇華するには、彼女がなぜそうしているのか、きっかけは何であったか、なぜそれをしてはいけないのかを確実に提示する必要がある。同時に会話の途中で“分かっているフリ”を始めたり、“こう言う態度をしていればいい”と現実から離れるスキを与えると、そこまでの流れが全くの無駄になる。
妻は娘との対面にこうした理路整然とした説明と、表面的な観察とその調整というふたつの対応を同時に取ることが苦手である。ただ、以前までの妻とはその“苦手”を受けてから先の行動に、その一線を画している。
以前であれば、ひとつ苦手と判断すればそれに関わる多くのことを手放したり先送りにし、すぐに見ないようにしていた。それでは物事の進歩が【ゼロ】だ。しかし、今はそれでも何らかの他の行動を見つけ、目の前の問題や課題に対し、自分なりの【+1】を繰り返せるようになっていたのだ。
【完全に終わらせることが出来ないなら、それ以上起こさせないように阻止する】
例えば今、娘は硬直する理由が何なのか本人も分からないまま、いや、理由がないことも、それが問題となっていることも分かっているが、ただただ人といる際に【そこにいること・立ち振る舞いを気にする】所からアクションを始めるクセを繰り返している。
これは言葉で説明したのでは全く意味が無いのは先述の通りであるし、彼女の資質として一度決めたこのパターンを自ら変えることは想像できない。妻がそれを逐一注意したとしても、最初に【そこにいること・立ち振る舞いを気にする】パターンから始めることを止められはしないが、“こうしていていいんだ”とただただ執拗に繰り返す状態になるのは防げる効果がある。
今回、実は娘の不安定な状況はかなり大きなもので、しかしそれでもなお、この程度の違和感で抑え切れているのは妻の功績である。

娘のパターン

妻の功績により深刻化は免れている。とは言え、根本的な問題解決にはなっていない。原因はもうすでに目に見えるものではなくなっているからだ。遅かれ早かれ、妻の手から漏れた瞬間にでも、娘の硬直が一瞬にして最大化することは目に見えている。
娘が不安定になる時、表面的にとる行動や態度はいつも同じであり、硬直・緊張する一辺倒である。しかし、実はそこには様々な理由があり、それぞれに困惑していたりするが、本人がその困惑の原因に気がつかないまま突っ走っていることが多いのだ。
─── つまり理由は違えど、アウトプットは全て同じ。
そして、一度でも何らかの問題で困惑し硬直すると、そこから余計に【どうしよう】と問題意識にとらわれ、ループして抜け出せなくなる。最初の原因はなんであれ、一度不安を生み出した場合、その不安が不安を呼び続けてしまう。
この原因の多くは、娘自身が感じた不安や不快感、体調の変化や疲れの感覚などを、自身で感じ分析することが極端に苦手である面が強い。ここでの不安感が単に【ネガティブな感覚】として一つの感情として処理されてしまい、その結果が硬直であったり、特定の人物に対する緊張に繋がるのがこのパターンである。
妻が似たようなフリーズのループをクリアできたケースでは、こういった自分の感情の取り違いなどの認知のズレを見つけていくことで、その感覚自体を変えることは出来なくても、不安定にならないだけの安心材料を、キーワード化するなどして先に作っておくことが出来た。
しかし、娘の場合は6歳。低年齢な上に、こういった感覚的な目に見えない事への理解力は、実年齢以上に苦手であることも彼女の性質である。
わが家で娘の行動が深刻化しやすい理由は、まず、何らかの不安が浮かんだ時点で、遅かれ早かれそれが人間関係の距離感への不安定感に直結すること。そして本人にその因果関係や自覚が薄く、事実の前後関係が掴めないために、無自覚のまま何度でも同じ状況に陥ることである。
さらにこれを頑強な状況にしているのは、本人はそういった対人対応をしている間、気力体力的な疲弊はしていても、自分から表に出してぶつかるなどの現実的なアクションを起こさない点が挙げられる。そうしてただジッと、考え続けている様な気になっているだけなので、本人にはエネルギー消費を自覚することがない。またその体感覚も認知する訓練も出来ていない。
結果、自分の対応が悪手であると気が付くきっかけが皆無であり、自分からの解決を完全に放棄してしまうゆるい流れになる。
だから彼女はパターンに一歩でも足を踏み入れると、終末的な状況に陥り、誰かが解決に乗り出すまで、むしろ突き進んでいく事すらパターンの形式としている。
以前はこのパターンに持っていかれると、どんな些細な事がきっかけでも全く同じアウトプットで返されるため、“全ての問題と、それに対するすべての努力が水泡に帰す”という錯覚をさせられ、幾度と無く絶望感を味わう原因となってきていた。
要するに、娘は今まで多くの問題にぶつかり、それを超えはしてきた。しかし、その度に表面的な反応や行動は全て、人間関係の距離感に由来するような、周囲の接し方に問題があったかのような……
それは、あまりにも誤解を生みやすいアウトプットだ。
今までが間違いであったのではないと、ここまでの掛け合いでも実感はしてきている。それでも、やはりこのアウトプットの方法は、親としては無自覚とはいえ何度されても馴染めないし、実際の問題を見つけるまでの膨大な労力と時間が掛かる。
─── そして今、私にその体力が残されていなかった。
だからこそ、今回の妻の里帰りは、【家族団らんのお正月】よりも、家族の亀裂を食い止めるために必要な措置。悲しいほどにバッチリな“渡りに船”であった。

里帰り決行

娘の違和感が消えないまま、妻の里帰り決行の当日となってしまった。余計な刺激にはしたくはないので、極力顔を合わせないようギリギリまで自室で過ごし、見送りのためにリビングに顔を出した。
この数日、根本的な解決は出来ないまでも、なるべく気分の振れ幅は抑えようと、妻と二人協力関係を組んできた。
そして、出発当日。
娘は出発直前に些細な事で次男とケンカをしようとしていたが、出発する不安から普段の決まり事を狭い視界で再解釈して、次男の行動に不平不満をこぼしているだけだった。この程度の不安定さであれば、かえってリフレッシュになるかもしれない。
ここまでの観察でも、里帰りを中止する理由は見当たらなかった。そしてその日、予定通り妻と子供たち3人は、片道数時間の妻の実家へと出発した。
家族を見送り玄関まで戻った時、私はふと立ち止まった。
─── あれ? 休むって、どうすればいいんだ?
思い返せばひとりで正月はおろか、家庭を持ってから一人でゆっくり羽を伸ばした記憶が無い。結婚、長男の誕生から続く異変と疑問の数々、娘の誕生から本格化した戸惑いの日々、転職の失敗と開業。生活を少しでも変えれば起こる、混乱と不安定の日々。遠出はもちろん、旅行も満足にできず、気がつけば何処か最初から諦めなければならない様な事が膨らんでいた。
そうか、頑張らなくていいんだ ───。
とたんに眠気が襲い、とりあえずこたつに横になると、気がついた時には窓の外は真っ暗になっていた。軽めの本を読んだり、ちょっとしたスマホアプリで遊びだすと、恐ろしいほどに時間が過ぎていく。無為に過ごす時間とはこれほどにも軽く、瞬く間に過ぎていくものだったか。
ああ、そう言えば子供の頃、楽しい時間はあっという間で、お休みの日は凄く短く感じていたっけ。
結婚後初めての私の休暇初日は、どこか時間の感覚すらつかみにくかった。そして次に驚いたのは、不眠に近いほど寝付きが悪い私が、目を閉じればいくらでも眠れるということだった。

【つづき】⇒アスペ妻の記録~再現の破壊~

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アスペ妻の記録~師走の悪夢~ http://asdweb.net/wife68 http://asdweb.net/wife68#respond Fri, 16 Jan 2015 13:41:20 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[軽度アスペ・ACな妻]]> <![CDATA[アスペ母の影響]]> http://asdweb.net/?p=3038 <![CDATA[病床の手記 この手記は今、病床に伏せる私の手によってまとめられている。 師走の半ばに倒れ、一度は回復するも再度同じ症状に倒れてしまった。症状も原因も同じであり、またこの病は数年前にも二度発症し、一度は入院、一度は自宅療養 […]]]> <![CDATA[

病床の手記

この手記は今、病床に伏せる私の手によってまとめられている。
師走の半ばに倒れ、一度は回復するも再度同じ症状に倒れてしまった。症状も原因も同じであり、またこの病は数年前にも二度発症し、一度は入院、一度は自宅療養で乗り越えた経緯がある(過去記事⇒06:アスペ妻の記録~夫の限界~)。
身体から発せられる何らかのサインを見逃し続けると、慢性的な症状として残ってしまう事があるが、私の場合はストレスが直接内臓に響く体質となってしまったようだ。
診断名は『大腸憩室炎』だが、これまで診断に関わった3人の医師は、口をそろえてその原因を『ストレスでしょうね……』とお茶を濁した。
大腸憩室炎とは、10人に1人の腸壁にあると言われる憩室(腸壁の一部にイボの様に突出した部分があり、内側は小さな窪みや部屋の様な隙間ができる状態)が、何らかの原因で炎症を起こすものである。炎症は腹膜にまで広がったり、腸壁に穴を開けショック症状に至る危険性もある。
起こる原因としてよく言われているのは、便秘・刺激の強い食事・過度の飲酒などが引き金となり、菌が繁殖してしまったり、窪みに老廃物が溜まり糞石となり、その圧迫や刺激で炎症をおこすとも言われる。
私の場合、原因となる糞石は見られず、便通も食生活も問題はない。さらに憩室の数や形状も問題となるものではなく、炎症も急に広範囲に現れる。最初に発症した時に憩室の部分が強く炎症していたことから憩室炎となったが、その直接的な物質などの原因は結局不明なままである。
ただ言えることは、過去に倒れた2回も、今回の連続2回も、それがストレスや過労からくるものである事は、家族の状況的に一致している。

再発

振り返れば夏終わりに起きた長男のパニックから、次男・娘共に入れ替わり立ち代り、何らかの問題が起きていた。妻はその間、目覚ましい成長や気付きを起こし、習慣や物事に対する受け答えなど短期間で考えられないような変化を遂げてきた。
夫としてそれは頼もしい限りだし、共に考え歩める様になったことは、とてつもない幸福感がある。しかし、ここまでの変化も、その裏側にはその起点となる問題や揺れがあってからの流れである。つまり去年の夏以降、ある意味で常に気の抜けない瞬間が延々と連続していたことになる。
特に12月に入ってからの娘が抱えた【家族との距離感】の問題は、次男も巻き込み毎日のように胃の痛むこじれ方をしていた。
この1年、娘が今までにない安定を得て、時に家族の営みの中に自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)という言葉を忘れてしまえるほどの成果が出てきていただけに、その喪失感はなおさらだった。
それらもようやく一息ついて、さあ、仕事納めにもうひと踏ん張りといったところで、どこか覚えのある“胃部の激しい痛み”が襲いかかってきた。同時に吐き気と下痢・微熱が始まり、やがて痛みの位置が移動し右下腹部に集中し始める。
妻『あれ? 夕飯食べないの?』
昼ごろに始まった違和感が夕方まで続き、痛みの位置が確定したのは、夕食の準備も終わり、家族分の配膳を済ませた辺だった。
私『いや、ちょっと止めとくわ。キッチン周りの片付けしたら、ちょっと部屋で休むよ。何か疲れたみたい』
妻『そう……大丈夫?』
まだ確定したわけではないが、もう三回目。私の場合は胃に違和感を受けた時点から絶食を開始し、なるべく早くに抗菌剤の投与を始めるのが良いと経験から学んでいる。お守り代わりにと処方してもらっていた抗菌剤と整腸剤を飲み、その日はそのまま床についた。
気が抜けた。一言にすればそんな感じだろう。

パニックの連鎖

翌日、すぐに診察を受け、以前と同じ診断と処方をもらい帰宅。早く処置をしたのがよかったのか、症状も比較的軽く、【歩くのが辛い】程度の痛みで済んでいた(以前は息をするのも辛いくらい⇒09:アスペ妻の記録~夫、再び倒れる~)。
ところが、妻の表情が酷く硬い。初めての入院の時よりも、再発を告げた時よりも、硬く重苦しい表情で会話にも反応が鈍い。
妻の硬直はそのまま夕方になっても解けることはなく、子供たちが帰ってくる時間になっても、そのパニックは続いていた。
私『大丈夫? ごめんね、こんな時期に再発しちゃって。でも、今回は早くに対処したから安心だし、これ以上酷くなることもないと思うから安心して?』
妻『……うん……』
私『ん? それとも何か違うことが気になってる?』
妻『……いや、なんでもない』
いや、なんでもなくはないだろう。明らかに表情は硬いし、同時進行で何かを考えようとしてメモリがアップアップになっているような様子が強く出ている。パニックだと考えて間違いないだろう。しかし、ここまで急激に反応が鈍くなるような状態の場合、何らかのショックや動きがない限り、彼女から胸に抱えている“それ”そのものを口にすることもないだろう。
今はこれ以上余計な負荷を持ちたくはない。妻には悪いが、それ以上のフォローもせず、私は引くことにした。
しかし、私の思いをよそに、昨日夕食を共にしなかった事、また母親の反応がいつも通りでない事を、必要以上にとらえてしまうのが、わが家の娘である。
まず、帰宅して私と顔を合わせるなり、急速に何かを考えようとする戸惑いの色を浮かべ、また、母親からそのフォローもない事にどんどん集中していってしまう。
ここで何らかのアクションを起こさなければ、そのまま娘は必要以上の意識にとらわれて、数日もかからずに硬直し切る所まで突き進むだろう。だが、ここでのアクションを間違えれば、一瞬にして硬直まで落ち、そこから這い上がるためには非常に強い刺激が必要になる。
───それにはこちらにも大きな体力が必要だ。
これはもう今まで何十~何百と繰り返されてきたパターンであり、それがこの1年、ようやく起こらずにいたものが、年末に差し掛かり一気に当たり前のように復帰したのだ。さらに折り悪く、次男も最近つられて不安定になりがちであったのが、クリアできたのがほんの少し前。まだほとぼりが冷めていない時期である。
私の再発から二日後には、この時に予想した嫌な予感は全て実現されることになる。私が病気になった事と合わせ、それはもう見事なまでに娘は数日前の激しい硬直状態に落ちていってしまった。

静かなクリスマス

私の再発から3日目、娘がパニックに一気に逆戻りしたその翌日、妻ははたと我に返った様に調子を取り戻した。本人曰く『自分も体調が悪く、どうやら風邪のひき始めだったらしいのだが、どっちとも言えない症状であった上に、具合の悪い夫に話していいものか迷っていた』との事。
……なんともタイミングの悪い。
これがもう少し強い風邪の症状であったら、彼女はそれを相談してくれただろう。いや、もう少し軽い症状だったら、気を入れ替えることで平常通りの彼女のままでいてくれただろう。また、妻のこのタイミングが後一日早いか一日遅ければ、娘がパニックに突き進むあの瞬間を、二人で協力して乗り越えられたかも知れない。
まるで低いところに転げ落ちるように、最初から家族がそう動くのをプログラムされていたかのように、物事が娘の硬直を起こすために流れていくかのように……
いや、言うまい。環境の変化に敏感な娘が、こうした何らかの【さあ、これから!】とか【今だけは何も起きてくれるな……】という状況が差し迫ると不安定になるのは、そういう仕様なのだと言われても納得出来てしまうほどの頻度で起こる。
それは今までにない安定を手にした今年中も、要所要所で起こしていたのだ。
さらにタイミングが悪かったのは、娘が毎年不安定になる引き金となっていたクリスマスが目前であったこと。
娘は年末のイベントの重なる時期の環境変化はもちろん、【サンタさんは良い子のところにやってくる】という言葉に、必要以上にとらわれ、そして追い詰められる。
今年は非常に大きな安定を手に入れていたのであるいは……と考えていたものの、もはやその淡い期待はなんの意味もなさないことは明白だった。
───娘は帰宅すると、完全に硬直・思考停止するようになってしまった。
その姉の様子に戸惑い、また私の表情と姉の表情とを読み取ろうとしたり、平常心を取り戻そうとかえって躍起になってしまう次男もまた、夕方以降の体力を維持できないようになっていってしまう。
娘だけ隔離しようにも、すでに次男の緊張が始まってしまった今では手遅れだ。結局、保育所からの帰宅後、軽食と軽い入浴ですぐに寝室へと2人は隔離せざるを得なくなってしまった。
クリスマス当日に近づく程に硬直を強めていく娘に、もう私が打てる手は残されていない。しかし、これも例年のことだが、娘は前日にはにわかに落ち着きを取り戻し、当日だけはパーティーにのみ楽しむ心持ちを取り戻すことがある(完全に潰れる年も何度かあったが)。
今年もそのようで、気持ちを切り替えられないまま置き去りにされている次男を他所に、娘はクリスマス・イヴ前日から、スイッチが入ったように平常運転に戻った。
結局、私は絶食のままなので完全に裏方に徹し、キッチンで用意するだけ用意。子供たちだけでもと考えたが、次男はやはりどこか表情が硬いまま、妻も私も疲労の色が隠せず、長男もそれを理解しているだけにどこか大人しい。
娘ひとり何事もなかったようにパーティーを楽しんでいたが、次男のこともあり、早めに切り上げることとなった。

夫の決断

クリスマスパーティーが終わり、翌日には娘の硬直モードは当たり前のように復帰されている。これも例年の事。彼女の事をよく知る前までは、この手のひら返しにも正直ショックを受けていた時期がある。
二年前までのわが家のように、静かな緊張と違和感に満ちた、薄暗い年末の空気が漂っていた。
私たちの住む地域は、冬は天気が荒れることが多く、また雪が多い。ただでさえ雰囲気が悪くなる中、外の空気を吸いに行くこともハードルが高くなり、屋根に積もる雪の重さが段々と重圧をかけてくるようにすら感じられる。
また、こうして娘が家族の距離感に何かしらの問題を抱えている時は、離れすぎても復帰が難しくなり、近づきすぎても疲弊させてしまうという非常に難易度の高い関係が要求される。これから過ごす年末年始・冬休みの期間がどうなるものか、すでに予想が立てられてしまうだけに辛くなる。
そんな中、妻が実家の義母へと電話を掛けていた。義母が子供たちにクリスマスプレゼントを贈って来てくれたので、取り急ぎそのお礼の電話だった。
妻『ああ~、年末ね。帰りたいんだけど、ちょっと今年は夫さんが病気を再発しちゃったから、ちょっと無理だと思う。ごめんね』
そんな言葉がたまたま耳に届いた。私の実家にはすでに“今年は帰れない”と連絡してある。私の病気のこと、そして子どもの不安定状態のことも含めて。当初の予定では妻の実家により、また私の実家にもより、今年の安定具合を報告する予定だったのだが……。
と、その時、あることがひらめいた。
(まてよ、俺は移動するのは難しいし、無理してもかえって子どものためにも自分のためにもならない。でも、妻と子供たちだけで、ちょっとした旅行気分で彼らだけを行かせたら、多少のリフレッシュになるんじゃないか?
今までの娘の成長度では不可能だったかもしれないけど、今は不安定とはいえ、そういう行動は無理ではない。上手く行けばコロッと違うモードで実家での時間を過ごせるかもしれない。
妻は里帰り、義母は喜び、子供たちはリフレッシュ。俺は一人優雅に絶食~おかゆの豪華な寝正月! いやっほう!)
後半のテンションを抑えつつ、電話を切ろうと話をまとめに入っていた妻にアイコンタクトを送る。
妻『ん? どうしたの?』
私『もしご迷惑じゃないのなら、君たちだけでご実家に行くのもいいんじゃない?』
妻『え? でも身体、ひとりで大丈夫?』
私『大丈夫も何も、薬のんで寝てればいいんだし、全く問題ないよ。俺の事は気にしないで、行くといいさ。子供らももう年齢的に大丈夫だろうしね』
妻『そっか……、うん、ありがとう。……ああ、お母さん? 夫さんが私と子供たちだけでもそっちに帰ったらどうかって。うん、その方が夫さんも一人で楽だろうしね。うん、うん』
雪の重みと鉛色の空の中、重苦しい家族の雰囲気に発想力が落ちていたのだろうか。妻と子供たちだけで動けるだけの成長をしていながら、その答えが浮かんでいなかった。
思えば一人で過ごす正月など何年ぶりになるのだろうか。いや、これが初めての体験かもしれない。とにかく私は初めての一人の年末年始と、結婚後初めての休暇を得られることとなった。

【つづき】⇒アスペ妻の記録~妻の里帰り~

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アスペ妻の記録~補欠のポジション~ http://asdweb.net/wife67 http://asdweb.net/wife67#respond Fri, 26 Dec 2014 09:41:17 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[軽度アスペ・ACな妻]]> <![CDATA[アスペ母の影響]]> http://asdweb.net/?p=3032 <![CDATA[他人事 次男と娘のパニックが一ヶ月近く続いていたその後半、彼ら二人以外に実は私の不安要素をふくらませている者がいた。 ───妻である。 彼女はここ三ヶ月程、パニックらしいパニックも起こさず、非常に安定していた。しかし、娘 […]]]> <![CDATA[

他人事

次男と娘のパニックが一ヶ月近く続いていたその後半、彼ら二人以外に実は私の不安要素をふくらませている者がいた。
───妻である。
彼女はここ三ヶ月程、パニックらしいパニックも起こさず、非常に安定していた。しかし、娘に本気で【もう後がない】と線を引くべく、私が本腰を入れて動き出した辺から、妻の存在が急に薄くなりだした。
話しかければ話をする。馬鹿話をすれば談笑にも応じる。子どもの世話はするし、いつも通りの注意などもできる。仕事も抱えている分はこなせている。
しかし、ただそれだけ。
例えば娘のパニック後半の、明らかに私に背を向け続けようと緊張を見せていても、妻は様子を見ているばかりで動かなかったし、次男のあからさまな逃げる行動にも何ら咎めようとはしなかった。そして、そう言うふうにしかできない自分を責め始めているようにも見えた。
仕事に関しても与えられた分をこなしてはいるが、アイデアを少しずつ挟んで提案を向上させていく素振りは見えないし(職業上、必須とも言える)、自ら始めたサイドビジネスの進行もパッタリと止まってしまっていた。
何より、こちらが話しかけない限り、楽しく話そうという素振りはないし、ただただ日々を繰り返す【全てにおいて他人事】な様相を呈している。
規模はかなり薄いが、かつて私が『自分は必要とされていないのではないか?』といわれのない不安に苛まれ続けた、妻の“そこにいない感じ”がはっきりと始まっていたのだ。

弛緩の涙

ここまでの彼女の成長や、獲得してきた認知の範囲から考えてみても、おそらく今パニック状態の引き金になった出来事は、本人も自覚のない曖昧な判断が要求されるような言葉にし難い問題である可能性が高い。
次男と娘の問題がきっかけだとすると、これは問題が大きく分かりやすいので、もう彼女にとっては普段の生活にまでメモリを失うような事にはならないだろう。今、彼女を苦しめているのは、もっと、薄くて遠い何かのはずだ。
私『最近さ、小さいノート使ってる?』
妻『………えっ、い、いや、使ってない……ごめん』
表情に全くと言っていいほど自信がない。何か他のことに気を取られて、様々なことが上手くいかなくなり、自己評価が低下。原因が分からないままなので不安は膨らみ、なにか小さな失敗にまで大きく自分を蔑む様な、脆い精神状態。
間違いない。パニックだ。
私『いや、サボってるとか責めているんじゃなくて、今、君は無自覚のまま、何か心に引っかかっている問題があるんじゃないのかなぁって思ってね』
妻『………えっ、うぅ……ん、分から……ない』
戸棚からコピー用紙を数枚と、ボールペンを取り、彼女の前に差し出した。
私『うん。分からないんだから、書いて探ろう。今までみたいに、ここに今気になってる事を、どんなに小さくてもいいから書き出してみて』
硬い表情のまま、妻はペンを手に用紙に向かう。最近メモを活用していなかったせいか、書かれていく文字はどんどん膨れ上がっていく。……ここに今書きだされていっているメモは、彼女の中で解決されないまま、ワーキングメモリを圧迫し続けている要素だと言ってもいい。
時間にして10分も掛からなかっただろうか。用紙3枚にわたって、彼女の【未解決問題】は書き殴られていった。
───カランッ。
おもむろに彼女はペンをテーブル放り、両掌で目元を覆うように拭いながら、肩で大きな溜め息を突いた。赤面しながら自嘲する様に、口元を歪ませた彼女の目からは、涙がこぼれている。
長男にも娘にも見られる、パニックが解けた瞬間の、安堵か弛緩か、実感のある世界に帰還した時に見せる人心地の涙。
妻『○○の企画書だ……』
手のひらの中で、そう呟いた。

責任の境界

私『○○………、ああ、この間の見積もりの“お問合せ”か?』
妻『……そう、それ』
それは娘と次男が崩れ始めた頃に、事務所に届いた制作見積もりの問い合わせの事だった。問い合わせの内容に合わせて簡単な企画書を立て、ザックリとした見積もりを添えて提出したのだが、その答えはまだ返ってきてはいない。
特にそこに大きな問題はなかったが、心当たりといえばその時、見積額についてちょっとしたやりとりがあった。個人で事業をしていればよくあることだが、需要と供給で価格の見直しはたびたび起こる。現在もその見直しの時期に差し掛かっていて、今までどおりの価格にするか、世相に合わせ値引きをするかの判断に迫られていたのだ。
私『うーん、まだ、先方から返事も来てないし、やるかどうかの答えは、ヘタしたら来年の春頃になるんじゃない?』
妻『うん、そうなんだけど、もしかしたら夫の言うとおり、安くしてたらすぐに返事が来てたかもしれないなぁって……』
私『いや、そんな事は分からな……』
妻『ちがうの』
妻が言葉を遮った。
妻『そんな事を考えても仕方がないことは分かってる。こういう時の不安も冗談ぽい愚痴に変えて、笑い話にしちゃえば凄く楽になることも分かってる。でもね、一瞬だけど、“これは仕事をする人間として自分で考えなくちゃ”って踏み止まっちゃったんだ……。だからそれが薄っすらとだけへばり付いてたみたい。それが今分かって、自分でバカだなぁって肩が楽になったんだよ』
表情に動きがある。実感をもって言葉を選び、発している。彼女のパニックは解けていた。その一瞬の踏みとどまりが未解決問題として、他の問題の解決に支障をきたしていたのだろう。
私『確かにそういう踏みとどまり方をしたら、言葉にし辛いかもしれないね。ただね、今の君の告白でもうひとつハッキリしたことがあるんだけど、気分を害したらごめんね、でも聞いてくれる?』

ずっと一人

妻が踏み止まった“自分で考えなくちゃ”という言葉。これは一見、自立するための考えの様に受け取れる。しかし、これまでで解明してきた彼女の特性や、長男が見せてきた受動的な自己の持ち方などを踏まえて考えてみると、あるひとつの疑いが出てくる。
私『その“自分で考えなくちゃ”っていうのはさ、本当に自分が自分のためにやりたいと望む、自発的な考えなのだろうかね?』
妻『……え?』
私『例えばね、子供たちが長期間パニックに陥るような問題に直面した時とか、俺が主体になって話を進めていくことが多いよね。で、君も当初は“子どもの表情から読み取るとか出来ない”って言っていたし、本当にそうだったみたいだからそれでも良しとしてきたんだ。
でも、よくよく後で聞いてみれば、君は実はちゃんと子供たちの表情を見られていたり、その気持ちを推理したりできているんだよ。で、最近は君自身も子供たちに対して叱ったり、怒ったりとしっかり意見を持って子育てに向かおうとしてくれているのは分かるし、凄くありがたいんだ。
ただ、俺はいつも“ひとり”なんだよ』
妻『……ひとりって、どういう事?』
私『子供たちが明らかに嫌な態度をしていて、俺が嫌だと叱れば、その後君もそれを叱るようにはしてくれる。でももう一度同じことがぶり返された時、君はそれが“前に叱ったはずの嫌なこと”と理解していても、自発的には動いてはくれない。俺がまず、動かなければ君は動こうとはしない。主体的ではないんだよ。
しつけとか叱り方とか、そういうもののポイントだって、俺が決めたカタチを逸脱しようとはしないよね。
それは時々、“こんな事で嫌だと感じる俺がおかしいんじゃないか?”とか“俺がストレスに感じていて、実際に三度も倒されたパターンなのに、妻は何も感じていないんじゃないか?”とか、“本当にどうしようもない状況まで陥ったら簡単に去って行ってしまうんじゃないか?”って強い孤独感になる事があるんだ』
妻『……………………』
私『出来る事はできる方がやればいい。でも、俺達は親で、この家庭は他の誰のものでもない、自分たちの家族なんだから、少しでも出来そうだと思ったら、主体的に自分が変化を起こそうとしていくべきじゃないのかなって思うんだよ』
妻『うん。そうだよね。そうなんだけど……』
私『いつまで補欠でいるつもりなんだ? 俺の視点に乗っかって物を言っても、それは君の言葉じゃないだろう』
妻が目を見開き、何かを必死に思い出そうとしているようだった。

補欠のポジション

頭の中の映像を文字に変換しようと探る妻、数度天井を仰ぐように上に視線を持ち上げ、口であぐあぐと言葉をつかもうとする。やがて、私の方をまっすぐ見つめると、非常に落ち着きよく通る声でつぶやいた。
妻『そう、補欠だったんだ。私はずぅっと。私は補欠であることを望み続けてたんだ』
それは私に、自分に、言い聞かせるような、力のある声だった。
妻『幼い頃から、特に学生時代。私はずっと何にでも補欠でいたいと願ってたんだ。代表選手になるっていうのから逃げてたんだよ。社会人になって、そんな事も言っていられなくなったから、自分のやることだけはなんとか見つけて進められるようにはしてきたけど……。
前に夫に“叱り方が分からないんなら、自分がイヤだなって思ったことをそのまま言えばいい”って言われて、すごく納得したのに、いざやろうとしたら、自分の気持ちが分からなくなって、急に揺さぶられてしまったの』
私『その自分の気持ちっていうのが、【夫と子どもの世界観に綺麗に収まる形】で探ろうとしたからじゃないの?』
妻『うん。だから今、【補欠】って言葉と【俺の視点】って言葉を言われて、本当にハッキリ分かったよ。私は自分の気持ちを誰かの視点に合わせて感じ取ろうとしてたんだね。だから子供たちにいつも以上の叱責とか、深く入り込んだ心の話とかしようとすると戸惑ってたんだと思う。それは夫の視点からはみ出しているから』
私『ああ……そこがはっきりするだけでも、今までの不安感の説明がつく。ここまでで、君は子供に注意ができるようになって、因果関係がはっきりしている事には叱れるようになって、大事だと思えることはしっかり分かるまで説明しようとできるようになった。そういうのだけでも、気持ちは楽になっていたんじゃない?』
妻『うん。最初の頃の、もうどうしていいのか全く分からなかった頃は、家族でいることのいろんなことが不安で怖かったんだね……そんな自分を情けないって何度も責めて来たしね……。でも、今ここでこうハッキリ言葉にされて、自分でも驚いてる。こんなに簡単な事に私はずっと戸惑ってたんだって、今本当に驚いてる』
私『君が補欠であることを止めたら。この何回だって失敗の許される家庭の中で、自分の気持ち主体で動く練習が積んでいけたら、それこそ今までの分を取り返せるんじゃないのかなぁ』
妻は何度も頷きながら、今までの人生を振り返り噛みしめるような表情を浮かべていた。
彼女が持っていた戸惑い。それはこの時の事でどこからくるものなのか、その正体までかなりの精度で掴めた気がする。彼女はこの後もしばらく物思いにふけり、やがて自分の中で何らかの納得を見つけ出したようだった。
これが何処まで彼女の肩を軽くできるかは分からない。しかし、なんら検討もつかない不安感に自己評価を下げられ続けるよりは、もう少し自分の気持ちを見つけたり、信じたりすることができるようになるのではないだろうか。
毎度悔しいことだが、こういうことは本当に転ばなければ分からないものだと痛感させられる。

【つづき】⇒アスペ妻の記録~師走の悪夢~

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人の体調不良に過敏な反応│ASDソーシャルスキル http://asdweb.net/social-skill-upset http://asdweb.net/social-skill-upset#respond Thu, 25 Dec 2014 09:32:27 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[手記]]> <![CDATA[ソーシャルスキル]]> http://asdweb.net/?p=3028 <![CDATA[例えば“具合が悪い”と伝えた時に 【酷くそっけない反応、もしくは全力でスルー】 【“自己管理が……”と必要以上に説教モード】 【打ち明けた本人よりショックな顔をする】 【“俺もね、この間から……”と急に自分の話にすげ替え […]]]> <![CDATA[
例えば“具合が悪い”と伝えた時に
【酷くそっけない反応、もしくは全力でスルー】
【“自己管理が……”と必要以上に説教モード】
【打ち明けた本人よりショックな顔をする】
【“俺もね、この間から……”と急に自分の話にすげ替える】
同じ環境にいる相手なので、予め伝えておこうとしただけなのに、時折自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)当事者の場合、必死になってしまい、真っ直ぐに受け止めようとしていない印象になる時があります。
ここにはちょっとした【自分と他人との境界線にズレがある】場合があるようです。
それが元で『冷たい』と評価されてしまうのは、社会性において非常にもったいないことではないでしょうか?

必死な反応の裏側

以前、個人的に相談を受けた方に
こちらが夫(ASD)に体調不良を伝えようとすると、“俺も実はここがずっと痛いんだ”とか、“俺も前はそういう風になって”など自分の話を勢い良く始めてしまって聞いてくれない

という方がいました。

ふと思い浮かべたのは、わが家のASD当事者3人も抱えている
人の失敗に責任を感じる

というひとつの特性の存在です。

それと同じように、妻の場合、私が体調を崩すと、なぜか自分を責めるような思考に陥り、生活の全てを代償するかの様に必死にこなそうとしていた時期があったのです。
反応は違えど、これと似た反応は長男や娘にもあり、その相談とも何処か共通点が見えたような気がしました。
相手の体調不良という事実に対し、必要以上の不安や狼狽、自他との境界線が薄いことでの不要な自責を感じている
このマイナスな捉え方は、どちらかと言えば当事者本人が『これはこういう気持ちだ』と、明確に自覚しにくいタイプの心の動きです。そして原因や発生源の不明な動揺は、“不安感”の直結しやすいのも特徴です。
この不安感に対して、受け入れたくないと感じれば否定的になったり、話をスルーする方向に気持ちが駆られ、自責に進んだ場合、その重さに潰されるまで背負いこもうとする傾向があるのではないかと考えると、行動が分かりやすくなりました。
実際、人の体調に関して、本当に興味がなかったり、悪い印象を持っていただけなのであれば、反応はかえって薄くなるもので、あからさまな反応は出てこないのではないでしょうか。
不必要なキツイ言葉などが出るのは、なんらかの防御が働いていると考えた方が自然です。

誰が悪い?

根本が【人の失敗に責任を感じる】といった、境界線系統の反応なのであれば、こういった事に動揺してしまうのは自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)当事者だけではなく、周囲の人物にとっても無駄に心を割くことになりかねません。
境界線系統での認知のズレが起きている場合、多くは本人の考え方のズレや性格の歪みなどではなく、【パッと思った事実】に飲まれているパターンがほとんどです。
これは『こういう時はこういうものである』などの正確な理解を重ねるか、【パッと思った事実】に飲まれない様にする習慣ができるとスムーズになるようです(その際、“そういうことは分かっている”では済まさず、具体的に今までの体験などと絡めて、再度その視点で検証してみる)。
わが家のASD当事者たちの場合は、沈み始めた時や不安そうな顔の時に【誰が悪い?】と問いかけ、また、自問してもらうことを繰り返しているうちに自然となくなりました。
『で、俺の体調が悪いのは、誰が悪いんだろう?』
こう尋ねると、最初のうち妻はよく、こう答えていました。
『え……、私が気づかなかったから……』などなど
後で冷静になると、彼女はそれがズレた認識であると気がつくのですが、その時は本当にそう思い込んでいたのです。彼女がこうならない様になったのは次の定義を再度認識したことが大きかったようです。
体調不良を告げるのは、責任の追求やマイナスな言葉の吐露ではなく、後々迷惑や心配をかけないよう、予め便宜を図るため
酷い状態でなく、また具体的に『~~を助けて欲しい』と明確でないのであれば、何かの義務を負っているのではない

あなたが動揺したり不安に感じた所で、体調が悪い事実は変わらないし、合理的な解決にはならない

しかし、これらはいつでも認識できているとは限りません。こうした認識が飛んでしまうような状況だからこそフリーズしやすいので、【誰が悪い?】という印象の強目なキーワードを設定しています。

動揺に対して否定的になってしまう場合

先の相談者の方の場合もそうですが、【なぜ、それを打ち明けられたのか】【自分の立場はどうなのか】を見失っているからこそ、動揺が生まれています。
なぜ、体調不良を打ち明けられたのかは、上記の妻と同じく、定義を把握し、さらに今までの体験など具体的な例を浮かべて、自分の行動を思い返すことが近道になります。
自分の行動の理由と、行動の内容に不明瞭な点があることが、最も不安感を作りやすいからです。それでも不安がある場合、その多くは【自分はどうすればいいのか】な訳ですが、こういった自問は自らオープンクエスチョンを投げかけていることと同じです。
その場合はストレートに
『何かした方がいい? 何かすることある?』など聞いてしまった方がすんなりと進みます。また、相手も便宜を図っての告知なので、必要以上の責務を感じる必要はありません。また、何かしてあげようと思った時は、いつも以上に確認を取ってからにするべきです。自身が完全にいつも通りの境界線の取り方ができるかといえば、状況的に寄り引きのブレが起こりやすい、不安定な状況であると考えた方が賢明です。

否定的になってしまう相手には

否定的になりやすい当事者への対処をする上で、上記の定義を理解してもらえない状況にある場合は、こちらから【状況と立場】を明確に伝える事が大切です。
不機嫌そうになっちゃったり迷惑かけたくないから先に言っておくね
今具合が悪いけど、いつも通り~~まではできるから心配しないでね

でも、もし、~~やってくれたら早く休めるから助かる

など、なぜ伝えたのか、どれくらいの状態なのか、何を協力して欲しいのかを明確することを心がけると良いかもしれません。

【関連記事】

仕事の終わりが分からない・休憩下手│ASDソーシャルスキル

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http://asdweb.net/social-skill-upset/feed/ 0
アスペ妻の記録~それぞれのパーソナリティ~ http://asdweb.net/wife66 http://asdweb.net/wife66#respond Fri, 12 Dec 2014 13:44:59 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[軽度アスペ・ACな妻]]> <![CDATA[アスペ母の影響]]> http://asdweb.net/?p=3023 <![CDATA[パーソナリティ障害 よく、アスペルガー関連の記事をネットで探していると、【パーソナリティ障害】という言葉に目が行くことがある。 パーソナリティ障害とは、人や社会とのつながりの中に生まれる、様々な物事や感覚に対し【とらえか […]]]> <![CDATA[

パーソナリティ障害

よく、アスペルガー関連の記事をネットで探していると、【パーソナリティ障害】という言葉に目が行くことがある。
パーソナリティ障害とは、人や社会とのつながりの中に生まれる、様々な物事や感覚に対し【とらえかた・感じ方・考え方・反応の仕方】などのひとつひとつの反応が、認知や思考の際に何らかのズレがあり、社会に適合する事に苦痛を受ける障害のこと。
かつて娘に感じていた、自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)以外での、娘の社会性に弊害を起こしている可能性のうちの一つだった。
最初にパーソナリティ障害を疑った理由としては、他人との境界線の逸脱が大きく、会話を始め、人間関係が全くと言っていいほど成り立たなかったこと。当時アスペルガー症候群(この頃はまだ診断名としてこうであった)の知識も乏しく、知性に遅れが見られない事や、自閉症関連の行動特性と比べても“できている”事が多かったからである。先天的な何かを特定など、素人の私に出来るはずもなかった。
さらに幼齢での事例がほとんど見当たらなかった事と、幼児での受診ができる医療機関も見当たらなかった。
後に色々とASDの特性を理解し、娘が対面的に貼り続けてきた彼女独特な“取り繕い”の正体を突き詰め、現在は【パーソナリティ障害そのものである】とは疑ってはいない。
ただ、娘の特性の上だけではなく、それをきっかけとして対面的な行動に走る以外の行動が取れず、苦痛を感じながら社会に適応できないのであれば、それは【二次的にパーソナリティ障害となっている】と言える。
それでも、病名・障害名・呼び名がどう変わろうと、それが重い軽い関係なく、何らかのズレを感じ、その結果本人が苦痛を受けているのであれば対応していく方法を模索していくことには変わりがない。
例えば特定の出来事に関して、恐怖心を持ってしまうのなら、その感情や反応・情報の処理の仕方は仕方がない。それを受け入れたり好きになろうとするのは超難問だし、脳の仕組みとして感じている恐怖なのであれば、その感じ方自体を変えるのは不可能だ。
要は起きた事を、恐怖として処理する前にとらえ方を変えるか、処理してしまった時の初動や対応をどう変えていくかである。
そして、今、こうした対外的な初動や対応に関し、その対応につまずき抜けられなくなっている人物がいた。
定型発達の次男である───。

墓穴にハマる

次男は通常、問題を感じることがほとんど見当たらない。それは単に【手がかからない良い子】と言うのではなく、年齢相応の問題を持ち、年齢相応の発達を見せているため、ふつうに対処していれば自分で理解していけるということ。
彼は年齢の割に話の理解力が高く、空気読みに長けてはいるが、贔屓目に見てもよくて秀才クラス。つまり普通範囲である。
しかし、それでも4歳。自分の気持ちや感覚、感想などが自身で読み取れないのは当たり前だし、自分の気持ちの取り違えなどが起こることもある。
今年の夏に長男が起こした【父親への緊張】の時、隣にいた次男もつられて緊張し、抜け出せなくなったように、環境自体が変化した時に自分を保っていられるほどの判断力は持ててはいない。それは仕方がない事でもある。
ここ数日の娘の“ぶり返し”も、彼にとっては例外ではなかった。姉の必要以上の構えや緊張、距離感への戸惑いが次男に伝染り、結局今回も次男はそこから自力で這い上がれなくなってしまった。
そして、恐ろしいことに脱出したはずの娘が、次男を気にし始め、結局自らも元に戻ってしまう。自分が掘った穴に次男が落ち、見ているうちに自分も落ちたという、我が子ながら何とも情けない事ではあるが……。
娘がぶり返してから早2週間以上。疲労感は否めない。

従うべき自分を選ぶ

もう妻の対応や私の声がけではふたりとも効果がなくなっていた。娘は私を気にし過ぎていることに自分で気がつくが、『やってしまった。どうしよう』とか、そうしていなくても『また、やってしまうかもしれない』と考えるように戻ってしまった。
それが【父を傷つけるやってはいけないことだ】とも自覚がありながら。
この彼女の感覚はもうイヤというほど知っている。治りかけのカサブタを気にしてかき、いつまでも治らなくしてしまう様な、ただただ【気にしてしまう】状態。
ここがややこしいが、実はいつでも彼女は引き返せる所にいて、普段であれば問題ない。ただ、直近で失敗しほとぼりが冷めないまま、前後の流れ関係なく刺激の強い“失敗”にとらわれ、それだけになる。
こうなると、後は逃げ場がなくなるまで、ただただ繰り返し“失敗”を思考する。次男を止める必要があるが、ここまで来ていたら、まず娘を一刻も早くもとのパターンに戻す必要がある。
方法はひとつ。
【もう、後がない】
と知らしめる。
これはもう、どんな理由があろうともやってはいけない』と本人がもう一歩進んだ実感を持たなければ不可能だ。今のままでは、ズレたままの行動を“つい”やってしまったとしても、何ら咎めるものがない。
そうして娘を止め、次男にはその“パーソナル”では先がない事を、体感を持って実感してもらうしかない。

ならんものは、ならん

私がリビングに入るやいなや硬直する次男。それを横目に、自身も【気にし続ける姿勢】に移行する娘。
一瞬見えるジレンマ。
やってはいけないが、どうしていれば良いかの答えがわからない───。
後は言葉を失うだけ。本当にそうしかできないのなら仕方がないが、そうせずに済むことも本当は知っている。これを超えるためには……。
私『よくわかった。娘、俺は“知らないおじさん”って事でいいね』
娘『………………えっ!』
私が居る横で口元を歪ませ、作り笑いにもなりきれない表情のままかたまり続けて30分以上。私の言葉に娘が青ざめた顔を向けた。
私『家族はただ居るだけ。何もしなくていい。そんなことはもう知っているよね?』
娘『………………ぅっ……』
私『ああ、知らないおじさんには返事もできないよね。怖いもんね、嫌だもんね』
娘『………ち……ちが……』
私『ああ、やっぱり話できないよね、知らないおじさんだから』
娘『ちがう!』
私『違う? ああ、父親じゃないってことね』
娘『おとうさん! しらないおじさんじゃない!』
私『…………じゃあ、どうして“あっちいった・こっちいった”をずっと気にしてるんだよ。どうして“どうしていよう”なんて考えなくていい事を考えてるんだ? 保育所の先生にもそうしているのかな?』
娘『………て……ない』
私『ああ、そうだよね、知らないおじさんとなんか話したくないよな!』
娘『せんせいには、そういうことしてない!』
私『ああそう、じゃあ先生よりも遠いおじさんで、言われないと話もできない嫌な相手なんだろうね』
娘『………ち……が……』
私『よく分かった。ここまで自分の娘に、知らない人扱いされるなんて思いもしなかったよ。じゃあね、これで親子じゃなくなるね』
娘『ちがう!』
私『だったら、最初から話すことを諦めてないで、最初から気にしてる自分なんか気にしてないで、今まで自分に父親と母親が教え続けてくれた言葉を信じたらどうなんだ!』
娘『うう……ッ?』
私『家族は居るだけでいいんだ。一緒にいる方法なんて、いちいち考えないんだ。好きな人が近くに来たら、嬉しそうな顔になっちゃうだけで相手には伝わるよ。いい子にしていようなんて家族にはいらないんだ』
娘『……わかってる!』
私『それを、ふだんはできてるのに、何かで始めると、いつまでも言われない限り止めようとしないのは、お前だろう?』
娘『………!』
私『そういう事だ。言われないと出来ないのは、やらないことと一緒だし、出来ている・分かっているとは言わない。このままずっとお前は、言われない限り俺に“知らないおじさん”と言い続けるだろう。今まで何度も傷つけられながら、チャンスを与えてきて、一緒に考えようとしてきたが、よく分かった。……これ以上はできない。それでいいな?』
娘『わたしは……っ! できます!』
私『なにを?』
娘『わたしはもう……おとうさんをきにしたり、しらないおじさんってやりません! だから、だからゆるしてください!』
私『ふぅん。どうしてそれを信じなくちゃいけないの? 今まで何度も約束して、でも、“つい気にしちゃって”を続けたのは誰だっけ?』
娘『………! わ、わたし……』
私『じゃあ、俺だって約束守らなくても、約束しなくてもいいじゃない』
娘『………いや!』
私『嫌なのはこっちも同じだ。そういう、気にしたりするのは嫌だっていったよ。でも、それを聞いてくれなかったのはそっちだ』
娘『いやぁ!』
私『…………信じてもらえない辛さがわかったか?』
娘『……わかった!』
私『どんな理由があろうと、やっちゃいけない事があるって分かったか?』
娘『わかった! もうしません!』
話し始めに【言葉がでない】と思い込みから戸惑うことが治まっている。自分の“とらわれているパターン”を凌駕したようだ。
キツすぎだろうか……いや、先々、人間というものの関係はこういう事で破綻する。ならば今からでも、彼女がこうした思考を定着させる前に、一槍見舞っておくしかない。それを短期に次男との調整を踏まえたら、これ以上の手が浮かばない。
さて、次男だ……。

体、感覚、認知

娘と入れ替わりに、昼寝から起きてきた次男と向き合う。
次男もここ2日程は、私が声をかけると娘と同じく、呻くような反応を返すようになっていた。
以前なら、ここで【やはり自分が父親として厳しすぎたのか】と不安に駆られ、自分を追い詰めただろう。しかし、そうではないことはもう今までの連綿たるわが家での摩擦の中で学習してきた。
彼に足りないのは【理解】だ。
それが何に対する理解かは、言葉で通じる年齢でもない。言葉では無理、時間をかけたら愛着障害の様になる可能性もゼロではない。ならば手は一つ。
体で覚えてもらう。
私『次男、ちょっとおいで』
次男『………ん……』
声をかけた瞬間に真っ青になり、目を伏せる次男。
私『どうして見ないようにしたの?』
次男『…………みたら、きんちょうしちゃうから』
私『見たら、緊張しちゃうんだ。じゃあ、これからもそうやって見ないつもり?』
小さく首を振るものの、返事はない。
私『……ああ、そう。じゃあ、ずっと仲良しできなくてもいいんだね』
次男『……ううん、いや』
私『じゃあ、そこからちゃんと歩いてここまで来て』
不安そうな顔のまま、私の近くまで来て足を止める次男。
私『もう一歩前へ』
次男『………ん……』
一歩進んだ次男。空気が震えそうな緊張が伝わる。
私『じゃあ、次はお母さんの近くまで歩いて』
次男『………ん……』
妻の所まで歩いて行った次男に再度声をかける。
私『今度はお父さんの近くを通りすぎて、あそこの壁まで歩いて』
次男『………ん……』
また、緊張で青白くなった次男がたどたどしく歩きながら私を通り過ぎ、壁まで歩いて行った。
私『はい、じゃあまた同じようにお父さんの近くを通って、お母さんの所まで歩いて』
次男『?』
私『いいから歩く』
妻の前まで歩く次男。それをさらに二回ほど繰り返した。そして妻の前に行った時に次男に訪ねてみた。
私『まだ、胸、ドキドキしてるの?』
次男『……あ、してない』
私『じゃあ、今お父さんの目を見て』
次男『……?』
私『あれ、おかしいな。見たら緊張しちゃうんじゃなかったっけ?』
次男『…………きんちょう、してない』
私『歩いている時はどうだった?』
次男『してたけど、なくなった』
私『じゃあ、もっと近くに来てごらん』
今までで一番近い位置まで来た次男。
私『もっと、もっと近く。もっともっともっとも~っと』
私の鼻先に次男のお腹。すでに次男はもう笑っている。
私『緊張は近づいたら消えただろう?』
次男『うん! きえた!』
私『じゃあ、このドキドキが消えた時の感じ、忘れないで。わかったね? 消えない緊張はないんだよ』
次男『わかった!』
感覚を意識して感じ、それが生まれる瞬間と、消える瞬間を得たことで次男の緊張に対する不安が消えた。決まればあっけないものである。
それ以降、緊張から硬直する事がなくなる。

それぞれのパーソナリティ

娘は何事もなかったように、余計な意識を捨てた。パターンから外れたのだ。再発しないという保証はないが、【どこまで】は確実に理解しただろう。
次男は最初姉につられ、緊張を感じる瞬間を憶えてしまった。結果、その感覚と父親が不快になる事と、因果関係が無理矢理に結び付けられ、正確な感覚を見失っていた。
こちらも再発しないという保証はないが、キーワードにはできる。【緊張は消えないものなのか?】と。
さて、今回出てこなかった長男であるが、彼は夏の一件で【人は人、自分は自分】を自分のものにしつつある。彼にはこうしたお説教が終わった時に声がけをしてはいたが、状況の理解も、娘と次男の心情にも、また自身がそれを聞いた時の気持ちも理解出来ていた。
そして、妻は…………。
妻はまた、静かなパニックに呑まれようとしていた。一週間に1~2度のパニックがなくなり、初めての安定を見せてから三ヶ月。
妻の目元と眉間に、その兆しが現れ始めていた。

【つづき】⇒アスペ妻の記録~補欠のポジション~

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強過ぎる正義感と自己否定の【いなし】│ASDソーシャルスキル http://asdweb.net/social-skill-treated-anxiety http://asdweb.net/social-skill-treated-anxiety#respond Thu, 11 Dec 2014 11:18:35 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[手記]]> http://asdweb.net/?p=3019 <![CDATA[【“言わなきゃ気がすまない!”といった感じで急沸騰】 【話題として出しただけなのに“悪者”みたいに否定してくる】 【会話に勝つまで論点をズラしてでも噛みついてくる】 といった攻撃的な反応や強い指摘。 そしてこれらとは逆の […]]]> <![CDATA[
“言わなきゃ気がすまない!”といった感じで急沸騰
話題として出しただけなのに“悪者”みたいに否定してくる
会話に勝つまで論点をズラしてでも噛みついてくる
といった攻撃的な反応や強い指摘。
そしてこれらとは逆の
“えっ、そんなことで!?”という事で自責する
過去の些細な事をずっと禁忌にしている
という様な自己肯定感を一切失ったような、極端な責任感や罪悪感。
今回の記事は非常に人によって当たり外れがあるかもしれません(いつもだけど……)。が、当事者だけでなく、家族としても利用できるテクニックなので、まとめさせていただきます。

正義感と自己否定のフィルタ

対処的に
強過ぎる正義感に対しては、【他人の事をとやかく言う権利はない】【人を否定する権利はない】など、やや強目で響きやすいものをキーワードとして利用する方法があります。
また自己否定に対しても【私が悪いのではない】とか【断罪されるほどの事ではない】など、同じくその度合に目が行くようにキーワードつける方法があります。
しかし、この両者は一体どこから湧いてくるのかと考えると、それこそ様々な個性の差はあれど、やはり【自己評価】に対する防御の気配を感じます。
例えば“まちがってる!”とか“人のやり方にアレコレすぐに文句を付けてしまうタイプ”であった娘は、逆に注意や是正をされたり、失敗を極端に恐れていました。【注意・是正=失敗・悪】なので、異なることはそのまま自己評価が下がることであったり、即時嫌われるような不安感を持っていたようです(相手の失敗を自分の失敗のように不快に感じているところもある)。
逆に人との違いを指摘するどころか、“失敗”が関わりそうな事柄について、すぐに距離をとったり、考えこんでフリーズしてしまうタイプであった妻。彼女もまたその根源的な防御の原因は【注意・是正=失敗・悪】から来る自己評価低下と、人間関係の悪化への恐怖心が強かった様です(相手の失敗を自分の失敗のように不快に感じているところもある)。
対外的に言動が対照的な二人ですが、恐れているのは自己評価の低下と、人間関係の悪化による別離など、その関係から必要とされなくなる別離不安が大きく影響していたように思います。
これは【他と自分との境界線が薄い】という特性と、二次的な心理の部分が関係しているように思われます。

【いなし】の極意

武道なんかでは【さばき・いなし】という考えがあります。相手の様々な攻撃をそのまま受けたり、避けたりするのではなく、その勢いに逆らわずしかし当たらないようにベクトルを変えさせて、最小の力で【ぶつからない】ようにする技です。
実はこれは通常の会話の中でも有効な手段でありながら、それらを意識するだけでも、無駄な構えや緊張を解くのに有効なテクニックでもあります。
【それがどうしていけないの?】
『これをこうしないと、~~になっちゃうから!』例えばこういった言葉に対しても『それがどうしていけないの?』と返します。
その方法だと失敗するから
『それがどうしていけないの?』
失敗するよ?
『それがどうしていけないの?』
困るのはあなただよ?
『それがどうしていけないの?』
自己評価の低下から防御に至る際、【他と自分との境界線が薄い】から、相手の行動にまで【失敗】する事への不安感を持つわけですが、その根源的な不安の源が絶たれれば不安への焦燥感も薄まり、【他と自分との境界線】を取り戻せる可能性があります。
【なぜ、その失敗を恐れる必要があるの?】
究極的にはここに当たるのですが、多くの場合、その【失敗】には原因となった出来事や誰かの言葉があったりします。そしてそれを無意識のうちに避けようとすると不安行動になったり、焦燥感や否定観を作る原因になったり……。
これはASDに限らず、誰にでも起こりうる、視界を狭くするパターンです。そこに【他と自分との境界線が薄い】という特性が加わると、さらに相手への強要に繋がるいわれのない切迫感を持つことにもなりかねません。
【いなし】のコツは攻撃してくる相手の拳や、足先、武器そのものを目で追うのではなく、相手の身体の全容をとらえ、攻撃が来る方向を知る事です。
なぜ、その失敗を恐れる必要があるの?
誰にそう言われたの?

誰のことを気にしているの?

攻撃のためのエネルギーを絞り出しているのは、本体のこうした【原因を忘れた無自覚の不安】であることが多いのではないでしょうか。
この考え方はキーワードも作りやすく、不安の根源を見つけられる可能性もあります。

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保育所や小学校への相談のコツ│アスペルガーの子ども教育連携 http://asdweb.net/cooperation-educational-institutions http://asdweb.net/cooperation-educational-institutions#respond Wed, 10 Dec 2014 09:36:04 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[手記]]> <![CDATA[予備知識]]> <![CDATA[具体策]]> <![CDATA[実際の思考]]> <![CDATA[特徴]]> <![CDATA[苦手]]> http://asdweb.net/?p=3009 <![CDATA[病院の診断や各種テストの結果、また療育などで受けられたアドバイスを、教育機関とも共有する。 それはもちろんなのですが、診断書や報告書などとは別に、自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)としての特性や、本人にありがちな行 […]]]> <![CDATA[
病院の診断や各種テストの結果、また療育などで受けられたアドバイスを、教育機関とも共有する。
それはもちろんなのですが、診断書や報告書などとは別に、自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)としての特性や、本人にありがちな行動の裏付けなどを伝えておくと何かとお互いが楽になります。
と、言うのも知性に遅れのないアスペルガー症候群の子どもの場合、問題行動が常に目立つなどのケースよりも、ふとした時に起こる認知のズレや、行動のズレでお互いに困惑することが多いからです。
これは親でないと分からない事の方が多く、また外では問題が起きないように、ただただ合わせ続けていて問題発覚が遅れる事にもなりかねません。
ただ、いざ先生方にお伝えしようとすると、何から伝えればいいのかちょっと悩む事があります。家族や近親者と違って、教育の場での関わり方は、普通の生活とポイントとなる部分がズレるからです。
今回はわが家が保育所や小学校と連携する際に、伝えておいて良かったことをまとめてみたいと思います。

娘:先生方への報告

A【自分の気持ちに気がつくのが苦手】
B【目や耳に入った物、思い出した事が一瞬で“全て”になる】
C【新しい習慣が身につきにくい】
D【物事を“よい・わるい”両極端にとらえる】
E【空気を読みすぎて逆に悪手になる】
F【“こだわり”や“とらわれる”ことが多い】

G【“分からない”が不安感と直結する】

うちの娘を先生方に説明する際にお伝えした、ざっとの特徴です。以下、ザックリ項目ごとにまとめていきます。

A:自分の気持ちに気がつくのが苦手

自分がそれを嫌なのか、嬉しいのか、状況によって周囲の表情に合わせて返答しているだけで、実際の自分の気持ちが分かっていないことがあります。
また、衝動と欲がごっちゃになり、叶わなかった場合に瞬発的に気分を害する傾向があります。
自分の気持ち主体の行動が少ないため、周囲からの必要に応じて行動することが多く、自発的な行動が取れないことがあります。多くの場合は【これをなぜやるのか】といった意図が理解できていないため、思考する対象として認識が浅いことが多いので、意図と“いつまでに”などのタイミングを伝えると、実感を持って進めるようになることがあります。

B:目や耳に入った物、思い出した事が一瞬で“全て”になる

ぱっと目に入ったものなどが、刺激として強い欲求などと混同しやすく、それが自分の気持ちだと混同することがあります。
例えば目の前にある玩具が、以前テレビで見たことがあった物だったりすると、【ずっと欲しかった】となることがありますが、実際は“思い出した”だけなので、購入するとすぐに興味をうしなったり。
想定される行動としては、さっきまで全く興味がなさそうにしていた何らかの行動を、目の前で人が始めると【自分がやりたかった】と急に感情的になったり焦り出す事が考えられます。
対処としては【それは本当にやりたかった事なの? “気がついた”とか“思い出した”とかで焦っちゃってない?】など、本当の欲求かどうかを思い出させる声がけで落ち着くことがあります。
また、感情的な時では難しいので、落ち着いてからか、もしくはそう予想される際には先回りするなどが効果的です。

C:新しい習慣が身につきにくい

生活の中でパターン化するか、納得がいって腑に落ちるまで、新しい習慣がなかなか馴染まない事があります。これは理解が出来ないのではなく、強く残るような要素がない限り、反復が必要になります。
生活の中で『この間~~って言われたから、この次は~~をするべきなんだな』など、思考と同時進行で行動を組み立てるのが苦手です。
『1を聞いて10を知る』のではなく、『6まで聞いて12を知る』くらいに思っておくと、お互いに焦りを持たずに済むようになります。
また、逆に“強く残る要素”があった場合、一度でもその例外を受ければ、“強くやりたい習慣”としてとらえてしまうので、『今日くらいは~~だから、いいか』と普段抑えている事を許すと、その修正は非常に難しくなります。

D:物事を“よい・わるい”両極端にとらえる

人からアドバイスや注意を受けた際など、今までの自分の行動に是正が生じた場合、【自分はできていなかった!】と極端に感じて自己評価を下げることがあります。また、自己評価を守るために、急に反発するなどの行動になることもあります。
どちらも単純に“行動”として聞き入れられなくなり、著しく浸透し難くなる事があります。
その際は【あなたを否定しているわけでも、愚かだと思っているわけでもなく、こうしたらより楽になるから伝えている】などの言葉でショック状態を解くことが出来たりします。ただし、こういった極端なとらえ方などが頻発する時は、その他に何か不安要素が幾つか抱え込まれていて、本人が疲労を起こしている事もあります。その際は一人の時間を挟んでからなど、自然回復をある程度待ってからだと伝わりやすくなる傾向があります。

E:空気を読みすぎて逆に悪手になる

何かいつもと違う生活をする時や、環境が変わる際、また興味関心や好感度の高い人物がいる場合、『どうしてわざわざ今それをするのか……』と、驚くほど的確に余計な行動を取ることがあります。
多くの場合は環境の変化に“いい意味でも悪い意味でも”動揺し、【何かしなくては・何かするべきだろうか】など、自分が背負う必要のない所に気が及び、“分からない”ために不安に変換されている場合が考えられます。
この時、刺激として強いのは【悪いこと】に関連する物事で、瞬間的に思いついて全てになってしまうので、“触らなくていいものを触る”、“近づいては行けないものに近づく”などの行動が増える傾向があります。
【どうしていればいいのか】という自分の立ち位置を見失っていることがほとんどなので、集団行動中であれば行動日程と、【何をしに来ているのか】などの意図を、“言わなくても分かるだろうな”とは考えずに言葉にすると、こうしたパターンを防げることがあります。

F:“こだわり”や“とらわれる”ことが多い

【これはこうするんだよ】や【これはやってはいけないんだよ】。また【こういう時はこれがないとイヤ】などのこだわりを強く主張する時があります。
そういう場合、自分のやり方と違うことに違和感をもっているだけだったり、それが“許せない”となっている事があるので、一度しっかり主張を言わせてから【こういうやり方もあって、これも正しいやり方のひとつなんだよ。だから今はこれでいい。君も間違えているわけではない】とお互いの正当性を主張しなおして認めることで、“正負・勝ち負け”などの姿勢が溶けやすくなります。

G:“分からない”が不安感と直結する

分からない事の大小に関わらず、分からないことがあれば余裕を失い続け、不安感に直結しやすくなります。例えば遊びに使った道具をどこに片付ければいいのか分からない場合、不安なのでその道具に近づくことを止めたり、その遊び自体が苦手なような不安感に苛まれたりします。
こういったひとつの不安を、切り替えられずに意識的・無意識的に限らず、長く不安感を残したり思考力を奪ってしまうことがあります。
これらが重なると、本人は【何に困っているのか分からない】状態に陥りやすく、思考力の低下から失敗が増えるため、自己評価の低下も重なりさらに悪化をまねくことがあります。
基本的に本人は自分の気持ちに気がつくのが苦手なので、【分からない】など自分で言い出せない(思い及ばない)傾向があります。

まとめ

上記のようなことを、噛み砕いたり例えたり、なるべく分かりやすいようにお伝えしました。一辺にではなく、いくつかは生活の上で必要に応じてお答えしました(何が問題になるか、何がヒントになるのか分からなかったし)。
また、娘の場合は特に視覚優位が強く、言葉で伝わらない場合、イラストを利用したり文字に書き起こすだけで深く理解する特徴がありますので、それもお伝えしました。
長男の場合、小学校入学時に担任とは別の補助の先生(低学年サポート)が駐在していたので、教科書を広げる・ノートに書くなどの行動が遅れがちだった点にお声がけをして頂いて、短期間のうちに授業中の正しい行動様式を覚えていけました。
保育所も小学校でもそうでしたが、こうした事を相談しにいった際に微妙に感じたのは、【クレーム対応への疲れの痕】でした。最初はどうしてもこちらの事を気遣い、本来こちらが聞きたい娘の問題行動なども、どこかオブラートにくるんだ伝え方だったり……。
足並みが揃う感覚を持てたのは
娘の行動が先生や他の自動に迷惑をかけているのではないか。それは彼女がこれから社会にでる時に摩擦を産んでいく事でもあるから、出来る限りこちらが主体となって、教育をしていきたいと思っている。だから、先生方の違和感を大切にしたいし、その対応を現場に還元させていただきたいと願っている
という、私の立ち位置と考え方をハッキリお伝えしてからです。
こちらも家庭で効果的だった一言などがあれば逐一報告していくことで、集中的な対策にもなりましたし、先生方の負担軽減にも多少なり貢献できたのかなぁと。また、それだけでなく家庭との教育方針共有が測れるので、娘自身も揺れることが少なくなったようです。

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自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の家族を人に説明する時の用例集

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6歳:【発表会練習】アスペな娘のわかったフリ│保育所と家庭でのズレ http://asdweb.net/2nd-age6-vtype http://asdweb.net/2nd-age6-vtype#respond Tue, 09 Dec 2014 10:07:21 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[アスペルガーな娘]]> <![CDATA[具体策]]> <![CDATA[娘6歳]]> <![CDATA[学習障害]]> <![CDATA[実際の思考]]> <![CDATA[特徴]]> <![CDATA[苦手]]> http://asdweb.net/?p=2998 <![CDATA[保育所のイベントの中でも、長い練習期間と緊張を強いられる【発表会】。内容は演劇と合奏。自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の娘には、負担になる可能性が非常に高い類のイベント。 毎年この時期に娘が不安定がピークを迎えて […]]]> <![CDATA[
保育所のイベントの中でも、長い練習期間と緊張を強いられる【発表会】。内容は演劇と合奏。自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の娘には、負担になる可能性が非常に高い類のイベント。
毎年この時期に娘が不安定がピークを迎えていたので、このイベントも大きな要素を持っているであろうと、今年はさらに保育所と連携を強くさせてもらえる事となった。
実際、家に帰ってきた時の娘の様子は、疲れているのか眠いのか空腹なのか、それとも不機嫌なのかパニックなのか。ただ硬い表情でソファに沈み込んでいる様子が増え始めていた。
ところが、先生方から練習の様子を伺うと【娘ちゃん、他の子よりやる事が解ってるくらいで、本人も楽しそうにやってます】。失敗や苦手に見える点は【いざ始まる時に、違うことに気が行っちゃってるみたいですけど、近くの子達と注意しあってるみたいだから大丈夫です】との事だった。
どうも家での様子と、保育所での様子が咬み合わない。
今までのパターンから行けば、こういった沈み方は、本人も無自覚のうちに何かしらの【未解決事案】がメモリを食っていて、それを解決しない限り通常の生活は戻ってこない。これは長男も妻も同じである。
理由が分かったのは、帰宅後、妻が日課の【マルな事、バツな事日記】の中で、【バツな事】⇒『今日、なんか我慢した、注意された、よく分からなかったなぁって言うのある?』と聞いた時だった。
娘『じぶんのでばんが、よくわからない……』
ふと思い出した。【分かっているフリ】が激しかった頃の娘を。
■今だから分かること
以前まで猛威を振るっていた娘の【分かっているフリ】。家庭で起きていた大半のパターンは、【知らない=失敗・悪】などの両極思考から、聞き返したりする行動に不安を憶えて平然を装う防御のパターン。また、話している途中で【ああ、わかったわかった】と早合点をし、それ以降の話を聞こうとせず、現場でパニックを起こすズレのパターンが中心でした。
これらも自閉症スペクトラムの特性と言えば、説明がしやすくなる部分があります。
今回の保育所で起こっていた【分かっているフリ】は、家でのパターンとは少し違ったように思えます。これはかつて妻によく見られた【未解決な問題の先送り】が原因だったのではないかという事です。

先生に言葉では答えられていた

何度か出番のタイミングを失敗した時、先生が彼女に『自分が出る時がどんな時か、わかる?』と尋ねた所、娘はほぼ完璧に先生が以前説明した通りに答えられた様です。
しかし、いざその時になると明後日の方向を向いていたり、小道具に興味を持って行かれたように集中していなかったとの事。
先生は『気になる物があるから、そっちに気が行ってしまうんでしょうね』と。
これは家族や親しい人物で、彼女の特性を知らなければ、見抜くのは至難の業でしょう。彼女は【答えを知っているが、答えが分からなかった】のです。
つまり、答えを“音”として言葉で復唱する事は出来ても、その言葉から意味を汲み取ったり自分の事とイメージするまでには及んでいないという事。そして、その問題関してはその時だけ問題になり、誰かがポンと押してくれるので、自分で理解しようとするほどの案件になっていなかった可能性があります。
言葉で正解を言えるから、分かっていると思っていたのに、実際には全く行動に移さなかったり改善しようとはしない時のパターンです。

視覚優位を利用する

娘の場合は自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)に見られる特徴の一つ、【視覚優位】が強く見られることがあります。これは言葉からの理解が苦手で、代わりに視覚(図やイメージなど)からの理解や推理などに突出するなどの偏りが見られるものです。
一説では“聴覚からの情報処理が苦手だから、視覚での情報処理に長けるようになった”という考え方もあります。
ではいつも娘は【視覚優位】で、言葉での説明が一切通じないのかと言えばそうではありません。彼女の場合はその時のコンディションが強く影響することは、今までの言動からでも明白です。
保育所にもそういった特徴については、軽くお伝え位はしていましたが、今回の様に『本人が困っていないから分からない』と言う点において、まず娘が『本当は出番のタイミングが分からなくて少し困っていた』というのは察知不可能な状況であったと思います。
先生に【マルな事、バツな事日記】で浮上した娘の本心をお伝えし、その上で『文字でも絵でも構いません、反応が鈍い時は書いてみてください。次から手が掛からなくなると思います』とお手数をお詫びしながら進言させて頂きました。

結果

それまであった大事な場面での集中力低下や、他への目移りが激減。それまでも特に、大きな問題になるほどの問題こそ起こしてはいなかったものの、明らかにブレがなくなり、表情にもさらに余裕が見られるようになったとの事でした。
娘が先生にしていただいたのは、【文字で“~~ちゃんが動いたら、次”などの一覧メモを渡した】と言うもの。
“たったそれだけ?”と思われるかもしれませんが、これは以前、お年を召されたご夫婦へのアドバイスで、ASDパートナー(おそらく)に予定をメモした紙を渡して出かけて頂いたところ、いつもはすぐに不機嫌になっていたのが起こらず、帰宅時前で気分の低下が起こらなかったというご報告とも一致します。(※あくまでこの2件のケースでの結果です。必ずそうなるというものではありません)
その2日後に本番となりましたが、それまででも娘はやや安定していく様子が見られ、イベント終了とともに家庭での沈み込みは解消されました。やはり、『よく分からない』のが【未解決事案】となってメモリを浪費していたと思われます。

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人の話が理解できない・聞き取れない│ASDソーシャルスキル

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人の話が理解できない・聞き取れない│ASDソーシャルスキル http://asdweb.net/social-skill-words-communication http://asdweb.net/social-skill-words-communication#respond Mon, 08 Dec 2014 12:23:14 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[手記]]> <![CDATA[ソーシャルスキル]]> http://asdweb.net/?p=2994 <![CDATA[【話を聞いてても言葉がぼやけて入らない】 【しっかり聞いてたはずなのに、終わると憶えていない】 【“これは聞き逃しちゃならん”って力み過ぎて持たない】 自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)もしくは何らかの特性などで、 […]]]> <![CDATA[
話を聞いてても言葉がぼやけて入らない
しっかり聞いてたはずなのに、終わると憶えていない
“これは聞き逃しちゃならん”って力み過ぎて持たない
自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)もしくは何らかの特性などで、視覚優位が目立つ場合、上記の様な状態になってしまい、コミュニケーションや仕事で支障をきたしていることはないでしょうか?
今回は長男と妻のケースを元に、わが家で有効的だった物をまとめてみたいと思います。

最初は小ノートメモ法

特に妻に効果が見られたのは、メモの活用です。例えば私(定型)の場合、人の話を聞いている時は、ある程度の【こう言う話だろう】と予測して方向性を注目していながら、相手の言葉が実際どう発せられているかを見ています。
だからいくつか流れの中で重要な語句や、話の転換があった場合、話題の主題をとらえたままポイントとして語句の変化を、印象強く受け止め認識することが出来ます。
妻の場合は話の中で主題が抜けてしまったり、複数の要素のある言葉が同じような重要語句として氾濫してしまい、オーバーワークを起こしていたようです。
この氾濫はさらにASの特性として、【生活で気になっている無意識の未解決問題(先延ばしになったスケジュールとか)】なども加わり、メモリの確保ができないまま、ワーキングメモリ(※)がいっぱいいっぱいになってしまっている状態になります。
※ワーキングメモリ:一時的な記憶として情報を保ちながら、計算や作業、連想の想起などに使う領域。会話などで相手の話を理解しておきながら、自分の意見を言う時などの一時記憶と思考の同時展開など
妻はこれらのメモリを確保する目的で、仕事用メモ帳やスケジュール帳とは別に、生活用の小さなノートを持ち歩き、自分の気になったことや決定しきれないスケジュール、不安に思ったことや嫌だと感じたことなど、『これは別にいいかなぁ』と思うことまで、逐一メモをしていきました。
これは単純にメモを取ることで、頭に入れておくべき項目が減るため、余裕の確保が期待できますが、彼女はこの作業の中から、段々と新たな認知を獲得したのです。
自分にとって“これは重要だ”と思うべきジャンルの情報をみつけるコツ
自分が苦手だと後で感じるタイプの物事を明確に認知

話の前後となる物事を見つけるカン

彼女は視覚優位なので、本や文字からの情報は正確に読み取れます。イラストなどの理解力も高く、これらの認知は視覚の中でなら行えます。しかし、会話の中でとなると、流れていく情報にはどこか意識に距離感があり、聞き流してしまったり、その都度把握するなどの同時展開ができなくなってしまうのです。
文字も長くなれば一時的な記憶が必要になるにも関わらず。
彼女曰く、『メモをとるようになって、字にした途端に“安心”みたいな感覚がある』との事。視覚的な情報への転換が行われると、強く認識がされるようです。そして、言葉だけのおぼろげな記憶が必要なくなるので、【一時的に憶えておく】という部分でのメモリが開放されていきました。ワーキングメモリの“一時的に記憶し……”の部分をメモで代行している感じです。
そうしているうちに物事や情報の格付けは整理され、メモを取とるべき項目は減っていき、メモをとった項目に関してはメモリから開放され、【メモを見ればすぐに思い出せるから安心して思考できる】という感覚を身につけていきました。重要な事だけでなく、あらゆる感覚までも短期集中的にメモしていたのが良かったのかもしれません。
時折そのメモを大きな紙に、考えたい事だけ語句を写してまとめるなど、自分の感覚と共に思い返すツールとしても利用していました。

ノート法

妻は仕事ではスケジュール帳とは別に、普通の大学ノートを持ち歩いています。これは小ノートとは違い、客先との打ち合わせや会議の際、常に広げられメモをとるために使用しています。
話が混んできたり、重要語句が連なった場合などは、その場でメモし、客先の顔を見ることよりも優先します。
基本的には会話を理解する方に意識を向け、少しでも【大事かな】と思った言葉や文を手短にメモ。これは小ノート法を続けるうちに、獲得した情報を見つけるコツが利いているようで、雑多なようでありながら、しっかりと話の流れごと文言が並んでいるので、そこで会話した当事者が見てもすぐに分かるヒントの塊になっています。
利点としては、小ノート法と同じくメモリの確保にもなりますが、話をしている人間の心理として、相手も気が付くとメモを取る人に合わせて、重要語句をハッキリと強調しながら話すようになるという側面もあります。

小ノート・ノート法まとめ

視覚優位の捉え方として、【視覚優位だから聴覚からの情報処理が苦手なのか、聴覚からの情報処理が苦手だから視覚優位になったのか】と言う鶏と卵の関係の様な視点がありますが、妻の場合は後者であったと考えると、メモを活用する事で改善されていった理由が分かる気がします。
聴覚からの情報処理をする際、メモリが他の問題で圧迫されるのを防ぎ、ワーキングメモリを活用するには、一時的記憶をメモに任せる方が具合が良かったということでしょうか。
無理に優位のバランスを修正する必要はないと思っていますが、妻の場合は結果的に【言葉が出ない余計なイライラ】や【覚えられない事での自己評価の低下】が減ったことで、活動時間や集中力が増大しているのは大きな利があったと思います。

長男の場合

長男の場合、視覚的な事でも聴覚的な事でも、かなり高い記憶力を見せます。特に視覚的な記憶力や理解力は高く、一度見た物や作業の光景などは、些細な事でも憶えていて再現できたりもします。
会話や耳に入ったテレビの音の情報なども一瞬で長々と覚えていて驚かされることがあります。
しかし、なんて事のない会話の場合、全く想像がわかず、紙に書いて目で見てようやく伝わるといった事が、一時期急激に増えて心配になったことがありました。
後で分かったのは、この時彼は耳に言葉が入らなかったり、理解できないから分からなかったのではなく、【耳から入った音は正確だが、文章として意味合いを理解するためのものとしてはいなかった】という、ややこしい認識の仕方があったことが分かりました。
言葉が音と意味合いと別個になってしまっていたのです。
彼の場合は小学校に上がって環境が激変した事と、【こうするべきだ】などの社会通念が理解しきれず、自分の立ち位置を見失っていたため、常に実感と距離を持ち続けていた影響があったのかもしれません。
彼はこの立ち位置や社会通念を説明し切ったり、行動を構造化していくことで安定し、自然と言葉からの理解を取り戻していきました。
その後、話す時に何処まで話すかを5W1Hで考える練習や、まとまりのない話し方をしている際に【一番重要な事は何?】と家庭で繰り返していた所、さらに理解力が上がっていった様に思います。
生活を構造化していった事で、言葉を理解する事に【分かろうとする】一層先に踏み込んだ感覚を手にし、人に話す訓練の際に【重要なポイントの整理】を理解できたのかも知れません。
現在では言葉から頭の中でイメージ化しつつ処理出来ているようで、イメージ力が必要な冗談などをふっかけても、言葉とイメージが連動できているのがよく分かるようになりました。

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6歳:【発表会練習】アスペな娘のわかったフリ│保育所と家庭でのズレ

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アスペ妻の記録~刹那の世界~ http://asdweb.net/wife65 http://asdweb.net/wife65#respond Fri, 05 Dec 2014 10:45:00 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[軽度アスペ・ACな妻]]> <![CDATA[アスペ母の影響]]> http://asdweb.net/?p=2989 <![CDATA[言葉を失う 以前にも娘はこうして私に対し、直接的な原因の分からない緊張を、短くて1~2週間、長くて数ヶ月以上、最長1年間続けた。つまり今年の約1年間が奇跡的であった。 生まれてから6歳になるまで、私に対して娘は演技のない […]]]> <![CDATA[

言葉を失う

以前にも娘はこうして私に対し、直接的な原因の分からない緊張を、短くて1~2週間、長くて数ヶ月以上、最長1年間続けた。つまり今年の約1年間が奇跡的であった。
生まれてから6歳になるまで、私に対して娘は演技のない受け答えや、お互いにいることへの意識を強制的に持たないでいられる時間はあり得なかったのだ。だから自然な彼女の表情などは、まず記憶に無いし、激しい緊張と裏返しの【突然の好き好き】などは恐怖でしか無かった。
彼女は自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の特性もさることながら、幼いと言う事もあり、自分の気持ちや考えを口にすることが非常に苦手だ。いや、苦手というより、感情と思考意識との間に隙間があって滑り、連携できていないといった方が近いかもしれない。
だから、思いついて始めてしまった“構え”などは、なぜ始めたのか自分でも分からず、その違和感すら不安としてひとまとめに処理してしまう。そのため、一度“構え”ると、そこから意識が飛ぶほどの刺激が無い限り、ただただそこに緊張を向け潰れるまでループする。
やがて、“構え”る度に思考停止することが常態化し、対象から話しかけられたりアプローチされることで、いつでもフリーズ状態に陥る様になる。そうして、コミュニケーションは拒絶され、彼女が“構え”を何らかの形で説かない限り続く、意思疎通の不可能な日々が続く。
そして、完全に言葉を失う。
本当にそれだけであれば、過去、私はあれほど苦痛を受けることもなかっただろう。そうにしかできないのであれば、そういう対応に切り替えてゆけば良いだけだが、彼女の場合はそうさせない側面があったのだ。
緊張はしていないのに、“構え”ていた自分にとらわれ、自ら“構え”から抜けられず強制的に緊張していく。
結果的に彼女の行動は、私がいる限り緊張していくための“何か”にばかり気が向くようになる。幼い頃、わざわざ怒らせるかのように、ダメと言われたことばかりを私の目の前で繰り返し続けたのにも、これが絡んでいたのかもしれない。
そして、それは今回も同じ事だった。

母の過去

それでも、この1年の成長は、彼女の行動をかなり変化させている。
復帰こそしないが、悪化の一途をたどる事はしなくなっていた。顔に硬さはある。しかし、話しかけるために考え続けようとしたり、私が部屋にはいる度に自分の行動をいちいち適正か省みるなどの行動はなくなっていた。
ゆるい緊張がただただ続く。
いればいるだけ私を意識し、一切行動をしなかったり、目で追いはしないが意識を向け続けている。この時、彼女は全てのことに対し完全に受動的になる。
私『……ねえ、娘。そんなに気にしてても何もないんだし、お互い疲れちゃうんだから、楽にしようよ』
娘『…………ん………』
私『家族は……?』
娘『………ぃるだけ……で……いい』
ここから20~30分ほど話を続ければ、彼女は緊張を解してふつうに戻る。しかし、ちょっと離れるとすぐに戻る。これをもう2週間続けている。
後はもう行動様式として、彼女がなぜ“構え”から入るのかが分かればハッキリするのだが、気持ちや考えを言葉にする際に“苦手意識”が多く、分かり切っている問いかけ以外には完全に口をつぐむ。
それどころか、少しでも緊張が長引くと、返事すら出来ないほど硬直して、まず落ち着かせる事から繰り返さなければならない。これを毎日会う度に一から。
妻『ねえ、娘。ちょっとお母さんの話、聞いてくれるかな?』
娘『……?』
口を閉じ、緊張した青白い顔で、私の斜め後ろ辺りを見通すように目線を固定し動かない娘。次にするべき、すでに何十回目かの同じ対応をこなす事にうんざりして肩を落とした私の間に、妻はスケッチブックを持って入っていった。
妻『お母さんね、お母さんも娘くらいの頃、お母さんのお母さんに叱られた時とかに、今の娘みたいにしゃべれなくなった事があるよ』
娘『…………おかあさん……も?』
妻『そういう時って、“喋り出したら泣きだしちゃいそう”とか、“ちゃんとした事じゃないと、しゃべれない”とか、“声が出せない”って思い込んでない?』
娘『……コクン』
妻『お母さんね、それ、実は大人になって、お父さんと出会って、結婚して、あなた達が生まれて、お母さんになって、で、つい最近、お父さんに教えてもらって治せたの』
娘『…………』
妻『それ、自分の“思い込み”だからね。こういう時こそ、喋って言葉にしないと、あなたの本当の気持ちも考えも、誰も分かってくれないの。モヤって思ったことも全部しゃべっていかないと、結局大きく間違え続けるんだよ。だから、小さく間違ったこと喋ってもいいから、どう思ってたのかは言わなきゃいけない。
言いたいことが分からなくても、返事くらいはしっかり声を出さなきゃいけないの。だって、“声が出せない”って思ってるのは自分だし、声を出すのを一度でも止めたら、すぐに“声が出せない”んだって信じちゃう。
それごと思い込みで、間違えなんだけどね』
娘『おかあさんも……おこられた?』
妻『そりゃあたくさん怒られたよ。……それにね、大人になって、お母さんになって、同じことをお父さんにしたら、あっという間にお家が幸せじゃなくなったの。だから、頑張っていっぱい言葉にしようとしたの。そうしたら凄く楽になったし、ただの注意が【怒られた】なんて重たいものじゃなくなったよ』
娘『あ、“おこられた”じゃなくて“しかられた”なのか……』
妻『それもそうだけど、さっきあなたがお父さんに話しかけられて、【怒られた】様な顔してたけど、お父さんは怒ったんじゃないし、叱ったのでもない。注意にもなってない、ただ、あなたが辛そうだから楽になるように提案してくれたんじゃないの?』
気がつくと、娘は自然とやわらかい表情を見せるまでの回復を見せていた。
ここ数ヶ月、こうした娘への声がけや大事な話を極力妻に任せてきていた。注意や叱るのもなるべく妻に。妻が気がつけなかったり、どうしても説明がうまくいかない時は私が交代するようになっていたが、これほどまでに娘が妻の話に気取りなく身を乗り出して聞いていた話はなかった。

刹那の世界

大分緊張はほぐれてきたようだ。一日で最初に顔を合わせる時は未だに緊張から入ろうとしているが、10分程度で回復できるようにまでは戻ってきていた。
ここまで来れば後は最後の仕上げになる。
今までもこうして何か大きく長引く問題が起きた時は、この流れを繰り返してきた。まず緊張やパニックを解消し、本人に伝わる話を見つけるまでトライを繰り返す。ある程度の納得や変化が現れた段階で、こびりついた緊張へのとらわれや自責がほぐれてきたら、このタイミングで問題の根本的解決策を説明することで【それが正解だ】と強く印象付ける。
私『もうこうして“気にしなくていい”と君に説明し始めて、だいぶ経ってきたね。家族は? お家は? どんなところだっけ?』
娘『かぞくは、ただいるだけでいい。おうちはらくにするところ』
私『そうだね。でも、こんな簡単な事を忘れて、君は気にしすぎて緊張しちゃったんだよね』
娘『……うん』
私『ほら、今失敗を思い出して、また、失敗しちゃった様な気持ちになってない?』
娘『あ……!』
私は娘の前で漫画のケンカシーンであるような、トゲトゲの吹き出しを描き、中に『おこった』と書いた。その横に『げつようび、かようび、すいようび……』と月曜から金曜日まで曜日を並べて書いた。
私『君がお父さんを気にしちゃうのは、決まって金曜日の夜からとか、土曜日の朝とか日曜日。お父さんとずっといるお休みの日だね』
娘『うん』
私『今年の始め、君が【家族はただいるだけでいい・なにもしなくていい】が分かってから、ずっと楽にしてこれたんじゃなかったっけ?』
娘『うん』
私『でも、最初は何だったかは分からないけど、お父さんを気にする様になって、また前の【緊張する】に戻ったんだよね』
娘『……うん』
私『はい、また、失敗しちゃった様な気持ちになってない?』
娘『!』
私『ねえ、君は例えば次男におもちゃを持って行かれて怒ったりした事を、今この時でも怒り続けているの?』
娘『え!? ううん、おこってない』
私『君は怒っても、その後静まって忘れられてるって事だよね? じゃあ、朝お母さんに叱られた後、お母さんは君のことをずっと【怒ってる】の?』
娘『ううん、そうじゃない』
私『それはさ、お父さんだって同じなんだけど』
娘『!』
私『それにさ、何かひとつ注意されたら、君は全部お父さんの前で失敗しないように必死になるけど、注意って【怒ってる】から注意するんだっけ?』
娘『ちがう……! 【おしえよう】としてくれてるから、ちゅういしてくれる』
イラストのトゲトゲの吹き出しを指さしながら、説明した。
私『お父さんも君やみんなと同じで、怒ったり悲しんだりした気持ちは忘れられるのに、君は一度お父さんが怒ったら、ずっと自分を怒ったままだと勘違いしてない? じゃあ、月曜日も火曜日も水曜日も……ずっとお父さんはプンプン怒り続けているんだろうね』
娘『それもちがう……! おとうさんはおこってない』
トゲトゲ吹き出しに続く一週間の金曜日の後に、もう一度トゲトゲ吹き出しを描いた。
私『だけど君は、また週末が来ると怒られたままの所から始めようとするよね』
娘『! ………うん』
別の紙に今度はトゲトゲの吹き出しを7つ連続で描いた。
私『じゃあ、君がお父さんにしていたのはこういう事と同じだよね?』
娘『……ずっと、おこってる……?』
私『なんか、おかしいよね?』
娘『うん!』
私『そりゃそうだよ。時間はずっと続いていて、どんどん変わっていくんだから。君の考え方だと、悪いことが起きたら、写真で撮ったみたいにずっと同じまま、誰も許してくれないってことになるんじゃない?』
娘『……! ………!!』
私『じゃあ、お父さんは君に注意をしてしまったんだから、これから一生君を怒り続けているという事で決定でいいね?』
娘『……だ、だめぇ!』
妻の話が効いているのか、ショックな振りをされても、硬直することはなかった。
私『“お父さんに注意された”って、それを勝手にずっと続いているショックだと思い込んだのは君だね。だから、注意されただけなのに、まるで酷く怒られたような悪いことみたいになってる』
娘『あ……』
私『じゃあ、今君にこうして、“考え方が違うよ”って教えたことも、これから一生変わらなくて、君は間違ったままで、また凄く【悪いこと】になって“お父さんは怒った”事になってしまうのかな?』
娘『ううん! ちがう! おとうさんはおこってない』
私『じゃあ、もし怒ってたらそのまま?』
娘『おこっても、そのままじゃない!』
私『そうか、それなら仲直りはできるかもしれないよね』
娘『なかなおり……する』
娘は少しだけ、自分のいた【刹那な世界】を理解したようだった。

問題の流れ

今回の娘のぶり返しの根本的な原因は分からないし、これで終わりだとは微塵も思っていない。でも、どうしてハマりこんでいったのかは、かなり説明がついたような気がする。
彼女は過去の妻と同じく、人間関係において、少なくとも感情的な問題を含んでいる場合に【時間の継続】が失われていた。それは【ごめんなさい】と謝る事が断罪かなにかの切った張ったの言葉だと思い込んでいたように、非常に“0か100か”の両極な世界だ。
そして、その発想は問題の最中、言葉を発する際の大きな足かせともなっている。大本の発想が両極思考に偏っているのであれば、言葉にすべき頭の中の事案も、おいそれとは動かせないだろう。
つまり、自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の特性が、その思考方法に強く影響していたと言うことである。逆に今回の件で過去の娘の行動の中に、単に依存だけで起きていたとは言い切れない部分も見えてきた。
こういったズレを感じる度に私は思う。
自分が分かり切っていると思っていることが、いかに曖昧な通念の元に省略されていて、それを言葉にして人と共有するのが大変な事であるか。
逆に妻や娘はこうした【どう、言葉にして聞けばいいのか・何を困っているのか言葉にできない】というもどかしさに苛まれてきていたという事でもある。これを理解するには家族であっても簡単なことではないし、その苦悩は当然起こるものであると知識がなければ、暗闇を一人で歩くような不安がつきまとう。
これ程お互いを知る事を強いられる関係も少ないだろう。それはある意味で、歩き続けられるのなら、幸せなことなのかもしれない。

【つづき】⇒アスペ妻の記録~それぞれのパーソナリティ~

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6歳:人の善意や優しさが裏目に出る│アスペな娘の道徳観 http://asdweb.net/2nd-age6-morality http://asdweb.net/2nd-age6-morality#respond Thu, 04 Dec 2014 12:03:46 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[アスペルガーな娘]]> <![CDATA[具体策]]> <![CDATA[娘6歳]]> <![CDATA[実際の思考]]> <![CDATA[特徴]]> <![CDATA[苦手]]> http://asdweb.net/?p=2980 <![CDATA[4歳くらいまでは長男にも見られたことだが、娘はどこか人の善意や優しさなどに対して、打算的とも取れる行動を取る。 もちろん道徳や空気を読んで社会性を合わせたり、どういうものが人の好意であるか、それをどう受け止めるかは、幼い […]]]> <![CDATA[
4歳くらいまでは長男にも見られたことだが、娘はどこか人の善意や優しさなどに対して、打算的とも取れる行動を取る。
もちろん道徳や空気を読んで社会性を合わせたり、どういうものが人の好意であるか、それをどう受け止めるかは、幼い子供では経験が浅く理解できないのはよくあること。
例えば以前、保育所で起こった事で、報告を受けた内容はこうだった。
みんなでドッジボールを始めたら、娘は外野を嫌がり、その場で寝転んだまま参加しようとしなかった。しかし、ボールが近くに転がってくると、突然それを取りたがり、他の子に取られたことでへそを曲げ、泣きだした。
周囲の子は娘に対して【かわいそうだ】とボールを回す。本人はそれを当たり前のように受け取り、投げてはまたボールを要求する。
ちょうどクラスメートの間では、【おともだちに優しくする】のが流行っていて、何かを与えたり譲ったりする度に、先生もまたそれを伸ばそうと褒めていた。ほとんどの子はその【おともだちに優しくする】に夢中になり、ボールを取るなり娘に回していた。
しかし、中にはそれに違和感を憶え、『せんせい、どうして娘ちゃんはちゃんとやらなかったのに、ボールをわたさなきゃいけないの!』と怒りだす子が出てきた。

彼らの意見には耳を一切貸さず、娘は聞こえていないふりを続けていた。

たまたま先生も会議で【おともだちに優しくする】のを伸ばそう、【譲り合いの心を伸ばそう】と進めていたので、その対応に揺れていたという。
その日の夕食後、娘にその話をし、“怒りだした子達は、どうして怒っていたのか分かるか”と尋ねてみた。
娘『わたしばっかりボールをもらって、ずるいっておもったから』
私『その時、君はどんな気持ちだったかな。いい気持ち? 嫌な気持ち?』
娘『いいきもち』
私『どうして?』
娘『みんながボールをくれたから』
■今だから分かること
ぱっと見、非常に利己的で人の気持ちを考えていないように見えます。一般的にはこういう時、どういう行動をとれば子供像としてしっくりくるかと問われれば、【好意に自分の行動を省みて、気まずい思いをする】と言う感じではないでしょうか。
気まずく思うから、次回からやるならちゃんと参加しようとか、修正をかけていくための踏みとどまりになるからです。娘のこういう時に感じる【危うさ】は、私からの質問に対しても一切の疑問を持たず、やはり前後関係なくそのまま答え、あっけらかんとしている点です。
こういった状況にも、本当はどういう認知の流れがあったのかを分解していくと、思いの外、自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)としての特性や性質が関わっているように思えてきます。
彼女はこの時、利己的な考えのもと、利用していたのかといえば、100%ではなかったと思います。おそらく、そこらの因果関係や気まずさなどに及ぶ前の、超表面的な【ボールがもらえて嬉しい】で止まっていたと思います。
周りで怒る子が出てきた時も、分かっていたのに聞こえていないようなフリをしていたのは、こう考えていたからではないでしょうか。
みんながくれるんだから、しかたがないじゃない

これをもう少し深く読み取ってみる

本人も認識はしていないでしょうし、理論的に繋がっていないと思うので、ここからはあくまで私のカンです。
娘は最初、コートの中でプレイするのがメインで、外野に対してあまりいい印象を持っていなかった。だから最初に【はずされた】ように感じ、参加に対して不快感を表した。
しかし、目の前にボールが来た時、【とれそうだ】と閃いた事と、視覚的な強い情報で一気に【とりたい!】に思考がジャンプ。前後もルールも関係なく、頭の中は【ボールをとる】一色になってしまった。
結局それを他の子に取られたことで、再度【思い通りにならなかった不快感】に支配され、泣き出す(視覚的にも、自分の物と根拠なく思い込んだボールが奪われ、遠くに放り投げられた格好だし)。
それを受けて周囲の子達が【かわいそうだ】とボールを回す。
想いはボールに奪われていたので、そのショックは埋まり、今度は人に向かって投げる興奮に夢中になる。この時、ドッジボールのルールや醍醐味は完全に意識から抜けていて、外野から中に入れるなどの地続きの可能性などは一切抜けている。
自分がボールをもらうことで、怒りだした子達にも気がついているが、そこでの具体的な対応は分からず、しかし、ボールを貰うことは【楽しい刺激】なので断る必要も感じなかったため、状況を受け止めない様にしていた。
この時、ルールなどと同じく、人間関係にも地続きの可能性がある事を忘れている。【仲いい⇒仲悪くなる】など。

彼女の意識はボールに向けられ、普段仲良くしている子達の抗議も、今の状況の一要素(部屋の壁紙くらいの位置)程度として意識問題から遠くなっていた。ストレートに言えば、彼らの抗議に【困った】事だろう。

善意が通じなくなる時

では普段から彼女はこういった行動ばかりなのかといえば、実はそうでもなく、このパターンに向かう理由も見えてきています。
感情が揺れ動いた直後もしくは最中。また、一つのことに心奪われていて、そこで与えられた善意の提案が、“渡りに船”で実行できる事が全てになっている状態に見られます。
こういう時は著しくメモリが損失していて、前後関係などを読み取る働きが、全くと言っていいほど機能しなくなっています。
結果的に対応が【道徳】や【通念】など、人によって異なる『こうするものだろう』と言った曖昧なルールより、【出来る・出来ない】【やりたい・やりたくない】【受け入れる・受け入れない】などの両極思考に傾いています。
さらに【こうすれば、こうなる】という最も分かりやすい反応に、唯一実感を少しだけ感じられ、その些細な刺激に集中していく事で、他の事が余計に目にはいらない視界の狭い状態になっています。
つまり、何らかのパニックを引きずっていて、一日中~数日パニックに呑まれているような状態(体調不良・感覚過敏・疲労感・緊張など)に陥れば、視界に入るものに心奪われれば飛びつき、上記のような状況に何度でもはまっていく可能性があります。

対応

【道徳】や【通念】などではなく、【ルール】として、迷いようのない明確な線を引いていきます。
・ダメなものはダメ
・こういう時は~~だから、やりたくても断る
・このやり方では、相手は~~と感じてケンカになる
・こういう時はこうする

・こういうのは、やらなくても、結局はやることになるからやる

特に我慢耐性が弱く、親が目を離せば平気でルールを破るタイプだった娘の場合、こうして明確にしていったルールに関しては、癇癪を起こそうが、唸ろうが、呪詛を浴びせてこようが聞き入れさせ、従えた時にはそれに従った事が正解であると再度短い言葉で確認をしました(優しい声でやると、褒めているようにも見える)。
褒める時に【いいこだね・えらいね】などの人間性を引き合いに出してしまうと、次にルールを破った時に激しい自責になりかねないので、あくまでルールの正当性とそれに従った事を実感させるために“確認”する感じです。

【褒める】よりも【認める】ということでしょうか。

ちなみに最初からルールへの感情的抵抗を必要以上にみせたり、反対意見の主張に偏っている時は、純粋にその項目を【やりたい・やりたくない】ではなく、最初に彼女が発想した意見と【異なる】ために、内容の吟味なく反射的に否定していることが多いのも特徴です(本人は表面思考でその心の動きは自覚できていないことが多い)。

この場合、何かしら実際に触れることで、今までの感情的な行動が嘘のように消えることがあります。否定するのも肯定するのも自由ですが、どちらにしろ何らかの【納得】がない限り、反抗した感情だけが残ったり、【こうすれば、こうなる】という選択になってしまう原因になります。

この【納得】が勝負どころだったりします。

ちなみにこの時の対応

まず、紙にドッジボールのコートと、そこに参加している人間を、内野・外野・味方・敵と描き、ひと通りドッジボールの説明から入りました。
ボールをぶつけらたら外野に出るけど、一生外野じゃなくて、敵にボールを当てれば中に入れる。内野が主役みたいに見えるけど、ボールが当たればいつだって外野だし、外野がいなければ内野だけではボールを回しあえない。

どこからスタートするかは関係ない。それにボールが取りたいとかそんなんじゃなくて、外野にいたら外野の仕事、内野にいたら内野の仕事をやらなければ、ゲームにはならない。

その上で、彼女の取った行動を、再度本人に説明させ、ルールとの相違点を確認させました。
外野にさせられてイヤだったのも、ボールが取れなかったのも、みんなに優しくされて起こる人が出てきたのも、他の誰かが悪かったのではなく、【ルールを忘れた自分が悪い】とハッキリと教えました。
また、私は私の意見として
『遊びのルールを崩してまで、ボールを渡そうとした子達も、お父さんは正しいとは思わない。優しくするのは誰かに褒められたり、自分が満足するためのものではないから。
そう言う優しさは喜んで受けるものではない。仕方なしに受けるもの。ルールが歪んでいるのだから、不快に思う人は必ず他に出てくる。
その時は断るものだ。“自分だけじゃ、悪いから”と。
本当に正しいのは、みんながそうなっちゃってる時に、しっかりと正しいルールとやり方を知っていて、怒れた子達じゃないか』
と、伝えました。
そして、もうひとつ
『今までは周りのお友達も幼かったから許されてきたけど、これからはみんなどんどんお兄さん・お姉さんになるから、今回みたいに正しいことに気がつく子達が増えていく。自分が【間違ってる】と言われたくないのなら、まずはちゃんとルールを覚えなさい』
とも。一度で変わることはないでしょう。しかし、ひとつの論点でしっかりと納得し、自分の中に落とし込めるようになるまでは何度でも繰り返す必要があります。

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小学3年生:否定に敏感過ぎる│アスペな長男のふとした自信喪失 http://asdweb.net/1st-age8-nervousness http://asdweb.net/1st-age8-nervousness#respond Wed, 03 Dec 2014 10:08:11 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[軽度アスペルガーな長男]]> <![CDATA[長男小学3年]]> http://asdweb.net/?p=2972 <![CDATA[とある夕方、長男が学校から帰り、自分でお湯を沸かしておやつのカップ麺を食べた(茶碗に味付き麺を入れてお湯を注ぐタイプ)。最近、妻から一人でのガスレンジの使用を許可されたのだ(今までも親がいる時なら、ハムエッグ程度は作って […]]]> <![CDATA[
とある夕方、長男が学校から帰り、自分でお湯を沸かしておやつのカップ麺を食べた(茶碗に味付き麺を入れてお湯を注ぐタイプ)。最近、妻から一人でのガスレンジの使用を許可されたのだ(今までも親がいる時なら、ハムエッグ程度は作っていたが、一人ではガスレンジの使用はさせていなかった)。
私がリビングに顔を出した時はすでに、彼が食器をキッチンカウンターの上にかたづけ、宿題の準備に差し掛かった所だった。部屋にはカップ麺の香ばしい匂いが薄っすらと漂っている。
長男『お父さん、この家でね、お父さんとお母さんと、あともうひとり、お湯をわかせる人間があらわれたんだよ……』
私『……ほほう?』
長男『それはね……』
私『それは……?』
長男『ぼくだよっ!(エコー含)』
驚愕に打ち震えるリアクションを放ち、笑い合う。上機嫌になる息子。
私『それは凄いな。うん、もうしっかりしてるし、火を使うのも大丈夫だろ』
長男『えへへへ……』
私『うん、あ、そうそう。ついでに、こういう匂いの強いのを食べたあとは、シンクに置いて、水を少しかけておいてくれると助かるな』
長男『……え、ああ、そうかぁ、ごめんなさい』
ややテンションが下がる長男。本人はそのまま宿題の準備を始めるが、表情に極わずかな【硬さ】が伺える。4~5歳の頃ならフリーズを起こしていたであろう独特な空気が彼の周りに立ち込めていた。
■今だから分かること
この時、彼が感じていた感情は、【もっとほめて欲しかったのに、もっとやらなきゃいけないの?】だったのか、それとも【それをやってなかった!】だったのか、がポイントだと思います。
この二つは似ているようで、少し着地点が異なると考えています。

もっとやらなきゃいけないの?

これは娘によく見られた反応で、同じく自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)としての特性を持つ妻も、初期の頃は同様なとらえ方や言動がありました。この方法で安心できると思った矢先に、その道はまだ進む先があると分かると、急に打ちひしがれたり絶望してしまう傾向があったのです。
すでに何らかの不安に、揺らいでいる時に目に入った方法であったり、思いついて飛びついた方法の時に起こりやすく、また、自分の意見に対して【失敗することもある】などの“あそび”がなくなっている場合が多いのが特徴でした。
この時の感覚はどちらかと言うと、今まで自分がやった事まで、まるごと否定されているような状態に近いものがあります。また相手に否定されて恨むという反応よりも、できなかった自分への自己評価の低下から、感情が揺さぶられている様子があります。
そして状況判断が難しくなり、今まで出来ていた事自体が、難しくゴールの見えない難問に錯覚していきます。
これは、出来なかった事への【困惑】と言えるのではないでしょうか。

それをやってなかった!

初めて聞いたやり方やコツなど、注意されたわけでもなければ、間違っていたわけでもないのに強い自責を感じてしまう時があるようです。この時も【もっとやらなきゃいけないの?】の時と同じように、まるで全てがダメだったかのような不安感を感じている傾向があります。
これらは本当に“ふとした時”に起こるようで、その前後のやりとりや人間関係などは、その状況が悪ければ増幅させるケースが多いようです。ASDの特性として、心理状態により【どこまで】などの境界線を見失い、“0か100か”や“全か無か”などの極端な思考にジャンプしてしまう部分も影響しているかもしれません。
“ふとした時”の確率が上がるのは、悩んでいるという程でもないが、決着のついていない先送り課題が脳裏にある時など、何らかの課題が完全に凍結し切れておらず、知らず知らずに余裕を奪われている時に起こりやすい様です。
つまり、軽いパニック状態などであれば、これに陥る可能性は非常に高くなる事が多く、その想定もある程度出来るようになります。
これは、出来なかった事への【自責】と言えるのではないでしょうか。

この時の対処と流れ

『ごめんなさい』と言っているあたりは、【自責】に近いと感じられたので、【それをやってなかった!】のタイプだろうと思い、その方向でつついてみました。ダラダラ長いですが、その時の流れをまずはダラっと
私『あー、“悪い事した”気になっちゃってない? どうしてやらなかったんだろうって』
長男『あ……うん。ぼく、やらなかったから』
私『例えば君、ポ◯モン好きだけど、初めからモンスターボールで捕まえる方法を知っていたっけ?』
長男『……いや、わっかんなかった。お父さんに教えてもらって分かった』
私『あの時、お父さんも知らなかったんだよ、やったことなかったから。でも、説明書を読んでやり方を知ったから出来た。君も教えてもらって分かったからやり方を知ったし、今じゃ考えなくても出来るでしょ?』
長男『うん。かんたんだもん』
私『じゃあ、知らなかった事を教えられた時は、“悪い事した”にはならないんじゃない?』
長男『ああ、そうか。そうだね』
私『それにさ、教える方も“出来てないのが悪い”なんて思ってなくて、自分の周りに同じく出来る人が増えたら助かるから教えるんだよ』
長男『たすかるの?』
私『だって、みんな自分の力で出来るようになるし、逆に自分ができなかった時にかわりにやってくれる人が出来るでしょ? モンスターボールだってお父さんが毎回代わりにやってたんじゃ面倒……ゲフン、大変じゃない。君だって次男に毎回変形ロボットの変形をやってって言われたら大変だろ?』
長男『ああ……、うん、あれか……』
私『本当に嫌だったんだな……。まあ、いいや。それ次男が憶えてくれたら助からない?』
長男『うん、助かる!』
私『だね。ちなみに、さっき君が知った“匂いの強いのを食べたあとは~”って奴は、それをやると母さんが喜ぶ』
長男『えっ、そうなの?』
私『だって、温かい物を食べた後って匂いがなかなか取れないし、乾きやすいから器にこびりついて洗う時に大変なんだよ。だから、君が器に水をかけておくことを知ってくれると助かる人がいるんだ』
……と、こんな感じで話し、結果的に次回も意識的に行動をとってくれるようになりました。おそらく少し前の私では、この彼のショックが分からず、フォローは出来なかったでしょう。そして、彼も次から自分でカップ麺を作ることに、躊躇するようになっていたと思われます。
(実際、こういうやりとりでのズレで、急に彼が手を出さなくなった物が幼いころは多かった)

要約すれば

知らなかった事を教えられた時は、“悪い事した”にはならない
教える方も“出来てないのが悪い”なんて思ってなくて、自分の周りに同じく出来る人が増えたら助かるから教える
という概念を身近な物事や、実際にあったやりとりなどから分かりやすい物を切り取り、引き合いに出した形です。
“ふとした時の自信喪失”は、周りからのフォローの力が大きく、かつ、意図を正確に理解することで消える事が多いのも特徴かもしれません。

【もっとやらなきゃいけないの?】への対応

これは娘も妻も、同様に不安定になりがちだった初期の頃に多くありました。これらは生活で触れる物の中で、【何となく分からない事がある】物を出来る限りハッキリと理解し、またそれに関わる立ち位置などを理解した時に、自然と減っていきました。
分からない事から生まれる不安と、理解できない自分への自己評価の低下がごちゃまぜになりやすく、例え小さな“分からない”でも、直接自己評価の低下につながっていたため、自分がどこまで頑張ればいいのか見失っていたのかもしれません。
【それをやってなかった!】時と比べ、一つの知識や概念で超えるというより、これらの概念が重なっていき、メモリの確保が可能になった時、段階的に余裕を得ていく感触があります。

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気がつくとケンカになっている│AS的口論のポイント http://asdweb.net/asd-quarrel http://asdweb.net/asd-quarrel#respond Tue, 02 Dec 2014 13:05:26 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[手記]]> <![CDATA[コミュ障害]]> <![CDATA[具体策]]> <![CDATA[実際の思考]]> <![CDATA[愛着と依存]]> <![CDATA[特徴]]> <![CDATA[苦手]]> http://asdweb.net/?p=2965 <![CDATA[自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の当事者と会話をしていて、急に全てを否定されたり、無言になられてしまったりという事が時折あります。 関係性によっては、最初からこういった接し方であったり、その逆にひどく距離を置かれ […]]]> <![CDATA[
自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の当事者と会話をしていて、急に全てを否定されたり、無言になられてしまったりという事が時折あります。
関係性によっては、最初からこういった接し方であったり、その逆にひどく距離を置かれてしまうケースも。
今回は当事者と周囲の人の目線に合わせて、そうなってしまうポイントと、対処法をまとめて見たいと思います。

※この記事はズブズブの素人がまとめていますので、科学的根拠もありませんし、データとして信頼性のある人数からリサーチしたものでもありません。あくまで私の周囲という狭い範囲での記事です。
また、これに当てはまるからといって、ASDである事の根拠にはなりません。

いくつかのパターン

ケンカや口論になってしまったり、険悪なムード、またよそよそしくなってしまうなど、関係性が悪化しやすいのは、それぞれに特性・性質が絡んでいる気がします。
並べて上げれば、両極思考・自己評価低下・パワーゲーム思考・フラッシュバック・パニック・シングルタスク・シングルフォーカス・感覚過敏・不安症・離人症……などなど。
これらは様々な苦手や障害などから来ていて、そのひとつひとつへの対処と考えると難しくなりますが、【そういう時に何を感じているか】や【本当は何を問題にしていたのか】、また【それらはなぜ問題とされたのか】を拾っていくと、ASD当事者も周囲の人間も対処が取りやすくなる事があります。
人間関係悪化に関わる反応には、ざっくり分けて以下の5つに別れるのではないでしょうか。
ナチュラル型
正義感型
パワーゲーム型
自己防衛型

会話成立不安型

以下、それぞれの説明と対処法を挙げてみたいと思います。

ナチュラル型

悪意も何もなく、思ったことを口にした事で、相手がザックリと傷付き、その反論や感情的なやり返しにパニック。そこから他のパターンに派生していく初期的なパターンです。
悪意も何もないので、淡々と【なぜその手の事を言ってはいけなかったか】を解説されるとここで食い止められる可能性が高くなります。
行動様式と衝動対策などがそろうと、その一種類の言動は比較的短期間で表面化しなくなります。

正義感型

例えば何らかのジャンルの事柄や考えに対して、批判的な考えや印象を持っている場合。話している相手がそのジャンルを好んでいると分かると、否定的な事を言わずにはおれなくなる。また、相手がそのジャンルを好んでいなかったとしても、会話中にそれを口にされると、まるで相手がその申し子であるかの様に攻撃に出てしまうなどがあります。
また、相手が自分の強く愛着がある物事に対して、自分と比べて【やや知らない~不理解】であった場合にも起こる事があります。
【◯◯だからダメ】など論調は理論的ですが、相手との関係性や前後関係などを踏まえるなどは挟まないため、衝動的なタイプの行動カテゴリーと言えるかもしれません。
これらは仕事の進行や、集団での規則などでも起こる事があり、そこに応じないとなれば本気でぶつかったり、余計な捨て台詞を吐いてしまうので、今まで友好的な関係であっても、一転してその時だけ【敵】の様な状態になってしまいます。
このパターンは一度感情的になると使命感に駆られ、つい【これも言っておかなくちゃ!】と追撃をかけてしまう行動にも流れやすい気がします。
では、実際に相手を【敵】と認識しているかというとそうではなく、大抵は自らの定義や理論へのとらわれが強く、関係の上での立ち位置を見失っていて、相手の人間性批判や否定には陥っていません。
感覚的には相手がそこにいないが、自身のコンビネーションや戦略通りに動くシャドーボクシングのようなものです。現実の相手には関係性を踏まえた上での怒りなどは展開されていない事があります。
ここが相手が戸惑うポイントで、また本人が後で後悔しやすいパターンである様です。

パワーゲーム型

正義感型と方向性は似ていますが、自分がその物事に対し造詣が深いかどうかは問題ではなく、相手との会話に勝つことに集中してしまっている状態です。
無意識での覇権争いなので、言葉はキツくなりがちで、また論点をズラしたり、関連のない相手の非を持ち出したりも。
これは特定のレベルの人間関係をもつ層に対して起こる傾向があり、それぞれ依存相手・親密な相手・さほど重要でもないが共にいる相手・初対面など、性質によって偏りがあるように感じます。
自己評価を守るためであったり、相手からの否定を受けない様にするための行動とも取れますが、本人にその意識が無いことも多いのが特徴です。
正義感型と違い、後に自分の言動が記憶に残らなかったり、後悔が生まれにくい側面があります。

自己防衛型

何らかの困惑を抱えていて余裕が無かったり、相手からの提案などが理解しにくかった時など。急激に自己評価が下がり、それに対応するために否定的になったり、逆にその失敗で足場を失い、石のように固まってしまうなども。
その際、善悪の尺度などが両極端に偏ると、反応が強くなる傾向にある様です。
否定に出る場合は、何から自分を守っているかは明確ではないので、論点も移ろいやすくパワーゲーム型と似た言動になりがちですが、どちらかと言うと勝つ事より“その会話を終わらせる・視界から外させてない事にする”など、防衛のために行っている傾向があります。
固まってしまうタイプには、受動的に相手に合わせる事で社会性を保っているタイプもいて、その場合は合わせていた相手がふと【否定に聞こえる】言動をした事に反応していて、フリーズしている原因はそこでの会話の主題とは関係がなかったりもします。
ちなみに、否定的ではなくても、予想外の言葉や刺激の強い情報を得た時に、【あ】と今までの意識や思考が瞬間的に離れ、現実感を取り戻しにくくなっている場合もあるようです。
ここで周囲の人間が読み誤ると重くなりやすいのは、この防御は本人の自己保身や社会的ステータスなどの物理的・現実的なものではなく、認知のズレやオーバーワーク状態の自分の心を守るための、半ば本能的な動きであるということです。
物理的・現実的な保身と考えると、打算的な印象を持つことがあり、計画的意識的な行動のように思えてしまいますが、思考が一点集中もしくは満杯状態での退避行動とすると色々と状況が見やすくなります。

会話成立不安型

会話のルールが飲み込みにくくてストレスになり、イライラした口調や態度になってしまう。
相手の意見が嫌なのでも、相手が気に喰わないのでもなく、会話の運び方や、相手との会話の流れに合わせて自分の話をうまく伝えるなどの、ややこしい場面に苛立っています。
場合によってはこのイライラを、相手へのイライラと混同してしまったり、人と話すことでイラつく自分を責めることで自己評価が下がり、防御的な反応になっていることもあります。
また、騒音で聞き取りにくかったり、空調が効きすぎていて気になるなど、選択的集中のためにメモリを奪われ、無意識のうちに苛ついている場合もあります。

対策の考え方として

上記のパターンから外れると分かりにくくなるので、上記パターンにさらに行動カテゴリーを当てはめてみたいと思います。
ナチュラル型
⇒想定不足・衝動的
正義感型
⇒衝動的
パワーゲーム型
⇒衝動的・防衛的
自己防衛型
⇒防衛的

会話成立不安型
⇒想定不足・防衛的

ナチュラル型は“こういう時は口にしない”などの社会通念のルール付けが足りていない【想定不足】が考えられます。社会通念は定型発達者(いわゆるふつう)の場合、一度に認知できる範囲が広く、『1を聞いて10を知る』と言った認識の仕方が出来ます。それに対し自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の場合、『察して理解する』事は苦手です。
しかし、ひとつひとつを理解していくことで、『6を聞いて10を知る』といった具合に、経験と概念がつながる事で、そのジャンルを把握することが出来ます。
【衝動的】な部分は、反復とキーワード付けがポイントになります。反復は起こしてしまった後の事でも遡れますし、なるべくならその場で指摘され、『ああ、この事か』となると理解が速いようです。
キーワード付は感情が高ぶっている時にも思い出しやすいように、明瞭で簡素、語呂のいいものや強い印象のある言葉にすると可能性が上がります。
例えば人の趣味趣向に対して、自分の意見を通そうとしてしまう時や、立場を忘れて強い指摘をし易い場合には【人を正せる立場じゃない】とか【人を否定する権利はない】などをキーワードとして、頭のなかでつぶやけるように訓練する方法があります。
パワーゲーム型や自己防衛型に共通する【防衛的】な行動は、そこにある事実の良し悪しや状況の悪さと言うより、それを理解・受け入れられない自責から、自己評価を守る行動とも取れます。
特に強くなるのは、“何を感じているか・本当は何を問題にしていたのか・それらはなぜ問題とされたのか”が自身の中で明確で無い時です。
“分からない”が不安に変化し、しかし、自分が何に対して“分からない”となっているかが“分からない”など重なることで、強い不安症状やストレス対応に出ているのかも知れません。
今のところ私の周囲では、このタイプは【何を不安に感じたのか・どんな時に不安が湧いていたか】を、本人に理解してもらい、周囲はなるべくそうならないように、クローズドな会話運びを心がけてもらったり、“1話題1テーマ”と一つ一つの会話を明確に切るなどの工夫で改善が見られました。
環境や個性にもよるでしょうが、一定期間続けると、会話に対してリラックスを見せるなど、一度不安の矛先を認識し実感すると和らぐ傾向があるようです。
会話成立不安型は、例えば『話しながらだと考えがまとまりにくい質だから、ちょっと5分位まとめて話していい? その後じっくりそっちの話を聞かせてよ』とか、『ひと通りこちらの話をまず聞いてくれる? 話しながらだとブレそうで……』など、小刻みで論点が流れやすいキャッチボールを大局的な流れに変える工夫などが考えられます。
分かりにくい会話のルールに合わせて行くより、無理の無いルールを選んで相手に理解してもらう方が速い場合があります。ナチュラル型の【想定不足型】の対応と同じく、明確なルールや法則を押さえておいて、パターン化するなどの方法があります。

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アスペ妻の記録~娘、ぶり返す~ http://asdweb.net/wife64 http://asdweb.net/wife64#respond Fri, 28 Nov 2014 12:05:27 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[軽度アスペ・ACな妻]]> <![CDATA[アスペ母の影響]]> http://asdweb.net/?p=2961 <![CDATA[小さな変化 お迎えから帰ってきた妻と、定例の【子どもの様子報告】を受けていた時だった。最近何となく感じていた事を妻に投げかけてみた。 私『ねえ、最近さ……娘がちょっと頑張りすぎてない?』 妻『頑張りすぎ? 何が?』 私『 […]]]> <![CDATA[

小さな変化

お迎えから帰ってきた妻と、定例の【子どもの様子報告】を受けていた時だった。最近何となく感じていた事を妻に投げかけてみた。
私『ねえ、最近さ……娘がちょっと頑張りすぎてない?』
妻『頑張りすぎ? 何が?』
私『いや、気のせいだったらいいんだけど、“お父さんに可愛がられなきゃ”みたいな。……上手く言えないんだけど、4歳の頃とかにあった、それまで緊張してたくせにいきなり“好き好き”になるのと方向は同じっていうか……』
妻『んー、最近テンションが高めかなぁとは思ってたけど……、分かった、後で見ててみる』
私『ありがとう。お願いするわ』
年の初めに安定してから、早くも1年が経とうかとしている今、薄っすらと娘に不自然さが見られたのだ。これは本当にわずかなわずかな変化で、注意深く見ていなければ分からないレベル。この変化は私以外の人物では、見分けることは不可能に近いだろう。
なぜ、私はそれを感じられるのかと言えば、過去、娘はこの変化の後に急激に近づこうと【そればかり】になり、思い通りにならなかったりすれば激しく沈んだり、緊張を見せるようになる事が周期的に起きていたからである。
微妙な違和感の時から、何らかの手を打たないと、彼女は完全に【自分のやり方】に呑み込まれて修復不可能になったのだ。これは妻には向けられないので、妻が気がつけることはまず無い。
以前はそれに気が付けない事を罪悪とし、妻もフリーズしてしまったため、一時はうかつに相談することすらできなかった。
乗り越えたと思ったはずが、なぜ───?
気のせいだと信じたいものの、嫌な予感が拭えなかった。娘のあの目は、緊張と裏返しの、切迫感をはらんだものだ。それは過去5年間、嫌というほど向けられた、【他人への目】だった。

フラッシュバック

仕事を片付け、リビングに向かうと、子供たちはお風呂に入っていた。妻とふたり食事の用意を始め、私が食材に包丁を立てた時、ドアが開き湯上がりの娘が入って来た。
少し歪んだ唇、膨らませたまま硬直した頬、泳いでいる目。上体を腰から左右にくねくねと曲げるようにしながら、足はぎこちなくたどたどしく歩を進め、彼女は満面の作り笑顔を私に向けた。
娘『……ただいまぁ~♪』
私『お……かえ……り』
瞬間的に私の背筋に冷たいものが走り、胸に何かが詰まる様な圧迫感がこみ上げる。一気にここまで飛ぶとは想定外だった。もっとゆるやかな段階があるものだと、勝手に信じ込んでいた……
───霧の中の娘が、目の前に戻ってきた。
一瞬にして私の頭の中に様々な事が回りだす。
【今までの成功は気のせいだったのか?】
【娘を理解できたと思ったのは間違えだったのか?】
【どこから間違えた?】
【何がずれていた?】
その時、私の脇を素早く通り抜け、妻は娘の腕を掴んだ。
妻『……ちょっと、あっちの部屋で話そうか』
娘『……はい……』
消え入りそうな返事を返し、全身を硬直させた娘は、妻に手を引かれながら去っていった。

パターン

その後、娘は私に対し作り笑顔で近づいたり、一緒にいる間は常に何か話しかけようとすることはなくなった。しかし、強い視線を向けられていると、離れていても何故か気がつくように、強烈に向けられる意識は感じられるものだ。
視線こそテレビや本、落書き帳に向けているが、それを見てはいない。私がいる間は、常に私を気にしている娘の姿がそこにあった。
私『ねえ、娘。何かあったの? どうしてそんなにお父さんを気にしているの?』
娘『…………ぇっ………』
目の周りは赤く、頬骨から下は真っ白。唇は閉じながら、顎をとがらせるようにして固まっている。フリーズだ。上体はかすかにロッキング(揺れる)を起こしている。
私は紙に部屋の俯瞰図を描き、ソファーに座る娘と、先程まで私が取った移動経路を描いた。
私『さっきからさ、お父さんがこっちに行けば“こっちに行った”って気にして、あっちに行ったら“あっちに行った”って、ずうっと気にし続けてない?』
娘『………ん、きに……した……』
私『どうして気にしているの?』
娘『………ん、きにしたから』
私『気になるのはさ、どうにかしようとか考えるから気になるものじゃない?』
娘『わからない。おとうさんがきたら、きになっちゃってた』
私『家族は?』
娘『ただいるだけでいい』
私『何かする必要はあるの?』
娘『ない。なにもしなくていい』
私『いちいち相手を気にしたり、仲良くしなきゃって考えたりするのは、家族にするものだっけ?』
娘『ちがう。しらないひとにやること』
私『お父さんは知らない人なの?』
娘『ううん。ちがう、おとうさんはかぞく』
私『じゃあ、気にしててもしょうがないし、お父さん“知らない人”って言われてるのと同じだよね。君はそう言われたらどう思う?』
娘『……いやだ』
私『お父さんだって凄く嫌だよ。悲しいし。じゃあ、どうすればいいんだろう?』
娘『気にしない。なにもしないで、じゆうにしてていい』
表情が戻る。話していれば緊張が溶けたように、話も通じるし意味もしっかり思い出せる。しかし、最初に言葉を発せなくなった理由も、質問に対してオウム返しの様な、キャッチボールのない状態に陥るほど、何に緊張しているのか検討がつかなかった。
しかし、この感覚は知っている。この後、昼寝を挟んだり、退室する様な間が明けば、この娘は確実に振り出しに戻るだろう。ちょうど秋頃の長男が起こした、あの執拗なよそよそしさとパニックと同じだった。
そしてそれを繰り返すうちに、彼女は完全に【止められなくなる】だろう。
非常に、狂おしいほどに自分の予測に嫌気がさしたが、まるで約束された事のように、娘はその通りにはまり、やがて私の問いかけに対し、声を出さない様になってしまった。

原因

妻『保育所では最近、特に何も起こしてないし、何かあったわけでも無いみたいなんだよね……』
私『うん……………………』
妻『……どうしたの?』
私『いや、うーん、確信はないんだけどね……』
私は長男と娘の行動は同じでも、そこで考えていることの実感や自覚は、娘の場合は長男と比べ、もっと浅い所でしか無いのではないかと考えていた。
長男は私だけでなく、【人と合わせる】事に傾倒するあまり、家族との距離のとり方、特に依存の強い私に対して強固に“とらわれて”しまった。その時、彼は私に合わせようと意識している事も自覚していて、それが私を悲しませることも理解していた。
だから、そこを論点に彼のとらわれに対して、強い刺激と沿ったキーワードを据え付けることで、そのループから抜け出すことに成功したのだ。
しかし、娘の場合はどうか?
娘は長男と比べて、【自分の本当の気持ちに気がつく事が苦手】という特性が強い。パッと自分が思い浮かべた考えが、自分の全ての想いであるかのように、信じこみ疑いが持てなくなってしまう。
では、理由は何なのか?
人に合わせようとする特性は、長男に比べると薄い娘ではあるが、人といる上で浮かんだ思いつきに飛びついてしまう彼女の反応は、ある意味で人に左右されている事と同じである。
それは長男の受動的な社会性の確立と同じく、家と外での人間関係の形成に戸惑いを感じるタイミングが生まれやすくなるのだ。
【保育所では特に何も起きていない】
それこそが原因かもしれない。最近まで家でラクにすることで、保育所での活動が伸び、急激な成長を遂げつつあった。それが今、やや落ち着いてきて、保育所での苦労が激減、逆に家での方が【やってはいけない】を意識する事が増えてきている。
ここに依存相手である父に対し、【いい子でいよう】と考えたらどうなるか。きっかけはその程度でも充分だろう。
つまり、きっかけはあるが、原因はない。今単純に彼女の捉え方がずれ始め、そしてその時に反射的にとっている行動を制御できないでいる。
今まではこういった反射が起きた時に、【家族はただいるだけでいい・何もしなくていい・お家はラクにする所】などのキーワードで戻る事が出来た。
今回それを自分でできないのは、家と外のバランスが原因かといえば、やはりそれはきっかけに過ぎない。
今、彼女は【でも、こうなっちゃうんだもん】と、私との出会い頭に“いの一番”で思い込み続けている可能性が高い。そこから雪崩れ込むように、不安症状が出るまで“とらわれ”続けているのではないかと仮説を立てたのだ。

本当の刺激

私の仮説を展開している時、妻がハッとしたような表情を見せた。
私『ん? どうしたの?』
妻『うーん、ちょっと小さい頃の事を思い出したんだけど……。私、何となく分かる気がする……いや、私、これ知ってたんだ』
私『親に緊張するってこと?』
妻『ううん。“こうなっちゃうかも”って悪い事を考え始めると、そこからどうやっても抜け出せなくて、緊張し続けるの。……緊張っていうか、頭にそれしか無くなっちゃうって言えばいいのかな。
でね、その内にそんな事考えたって意味が無いって分かるんだけど、緊張する行動だけは止められないの。【自分はそういう風にしかできないんだろうなぁ】って思い込んでたのかもしれない』
私『そういう時って、どうしてたの?』
妻『すっごい怒られて我に返った気がする。もうね、【こりゃ、止めなきゃダメだ】って自分で思える状況にならないとダメなの』
……長男の時の流れともリンクする。娘の今の行動にも説明がつく。【こりゃ、止めなきゃダメだ】これには衝突するしかないのだろうか?
妻『後ね、私、あの子がどうして今、父親に口を開かないないのかも、多分知ってる』
私『それは?』
妻『私もやってたからね。つい最近まで。だからこれは私が直接あの子に言うよ。あの子が考えているのはね……』
実はここまでで、すでに妻に三回助けられている。一つは今、非常に重要な彼女の思い出話を、子供達の特性とに合わせてしっかりと思い出し、説明してくれたこと。
これで自分の仮説と合わせて、取るべき方針が決まった。
もう一つは娘が一気にぶり返しを起こした時、すぐに別室に引っ張りだし、再度キーワードを思い出させようと対応してくれたこと。
自分に向けられたパニックはやはりショックで、どうしたって心をえぐられるが、その状態で冷静に子どもが分かるように説明し心理戦に持ち込むのはとてつもなく疲労する。そこを救われたのは大きい。
そして、実は何より大きかったのは、最初に妻に娘の違和感を話した時、『分かった、後で見ててみる』と、相談に乗ってくれたこと。
以前までの妻であれば、『え……っ、ご、ごめん。気が付かなかった……』と、自分の責任に感じ、落ち込んでいただろう。相談した場合、逆に妻を冷静にさせてから話をしなければならなかったため、私はいつも二人以上を同時にケアすることになっていたのだ。
安心して話せることが、こんなにも余裕を取り戻してくれるのだと、長らく忘れていた。
何はともあれ、妻からの情報も得られ、私達は娘への新たな作戦を練り上げることに成功した。

【つづき】⇒アスペ妻の記録~刹那の世界~

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常にパニックだった頃を振り返ってみる│インタビュー・ウィズ・アスペ妻 http://asdweb.net/Interview-with-the-wife http://asdweb.net/Interview-with-the-wife#respond Thu, 27 Nov 2014 13:31:18 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[手記]]> <![CDATA[不安症]]> <![CDATA[実際の思考]]> <![CDATA[特徴]]> <![CDATA[苦手]]> http://asdweb.net/?p=2952 <![CDATA[質問:パニックが起こっていた頃はどうだった? 妻『まず、自分がパニックになっていたと思っていなかった。“なんでこんなに私は疲れやすいんだろう”と思っていた』 質問:疲れやすい? 妻『暑いと潰れる、寒いと潰れる。人と会うと […]]]> <![CDATA[
質問:パニックが起こっていた頃はどうだった?
妻『まず、自分がパニックになっていたと思っていなかった。“なんでこんなに私は疲れやすいんだろう”と思っていた』
質問:疲れやすい?
妻『暑いと潰れる、寒いと潰れる。人と会うと潰れて、季節の変わり目に潰れて、何かを考えようとすると潰れて……。いつも何でこんなに疲れているんだろうと思っていた。潰れる時は考えも浮かばないくらい参っていた』
質問:疲れではなかった?
妻『そう。というよりも、夫に言われるまで、自分のこの感覚が【本当に疲れか】なんて疑いもしなかった。違うもの何だって分かると、それに関しては潰れなくなるのを実感した。たぶん、【疲れたような感覚に気持ちが全部いってた】のだと思う。正しくは困惑していたのかもしれない』
質問:どうやってそのズレを理解できたのか?
妻『夫に最初に指摘されたのがひとつ。【それは疲れじゃなくて、終わって気が抜けたんじゃない?】って。他にも【暑くてダルい感じを、肉体的な疲れと一緒にしてないか?】という指摘で気がついた。
この発想がハァ~ってなった時に、【この疲れに感じた物は、何が原因で体に起きたんだろう?】って、飲み込まれずに一歩踏み止まれるようになった。そうしてると、段々自分でも【これは~~だからだ。潰れることじゃない】って分かるようになった。

それに運動をして、体の疲れを感覚としてちゃんと憶えようとしたのも良かった。体の疲れと思い込みの疲れと違いが分かるようになった。』

質問:自分の中で大きいと思っている意識の変化は?
妻『意外と【疲れたな⇒疲れたな、疲れたな……】じゃなくて、【疲れたな⇒よし、~~まで頑張ろう】って言う根性論が効いている気がする。
自分の中で凄く印象に強いのは、たくさんやらなきゃいけない事がある時とかに、無意識に【◯◯やるなら、まず~~を終わらせてゆっくりやろう】と、重要でないけど苦手な物を先行する使命感に追われてたと気がつけた事。

そこから【今、一番何をしなきゃいけない時間なんだろう?】ってシンプルに考えるようにして、他を切り捨てられるようになった。前は使命感に追われながら、他の物事まで段取りに組み込んでてハングアップしてたから。実はその時すでに疲れを感じていたんだと思う』

質問:疲れなくなったとか、楽になったのを実感した?
妻『疲れと混同してた感覚が、【これは疲れじゃない】って気がついて、視界が晴れた時は驚いた。その後にも色々とそう言う晴れていく感覚を受けたけど、その前は本当に世界がぼやけてたような印象がする』
質問:これは効果的だったと思うものはある?
妻『たくさんある。ジョギング(※1)も良かったし、スケジュール帳の色分け(※2)も良かった。自分が知らない間に抱え込んでた事を気づけたり、極端にとらえてた事に気がつくには、本当に色々やってみなくちゃいけなかったんだと思う。
で、実は一番パニックの原因になってたのは、子どもとの関わり方と、自己評価の置き方だったと思う。子どもの行動とか、考え方とかを曖昧なままにしないでちゃんと理解しようとした事と、子どもが起こした問題を【私が悪いんじゃない】って、まずちょっと考えるのを繰り返したのは、焦りを凄く少なくしたと思う』

(※1ジョギングについての過去記事⇒18:アスペ妻の記録~最低限の体力~
(※2スケジュール帳についての過去記事⇒55:アスペ妻の記録~問題の先送り~

質問:その他に何か要素はありますか?
妻『……理解する事で変わっていく物はいいんだけど、ズレとか思い込みから起きてたことは、優しく言われていただけではダメだった。聞いていて、納得もしているんだけど、どこか【ふうん、そう言う考えもあるのか。でも私の考えも今最善だと思ってるんだよ】って思っていた。
キツく言われて、【これは治すべきなんだ】って気が付かなきゃいけない時は、今思うと情けないけど【提案】では無理だった。

その時は【人間やめたい】って思ったりもしたけど、その後に【これで失敗してたんだから変えなきゃ】って気がついて、変えてみるとその通り楽になっていくのを感じた。ある時から楽になる事の方が実感が強くなって、そこまで抱えなくなった。この辺りは今だから思うけど、本当に長男と娘と似ていたと思う』

質問:以前の自分に言いたいことはありますか?
妻『……【いいんだろうか?】なんて考えてないで、勇気を出しなさい』
質問:感覚過敏などへの影響はありましたか?
妻『眩しいのは今でも苦手だけど、もう、それが直接ダウンさせるようなものにはなっていないと思う。眩しい時の不快感が、眩しいから不快だと分かるから、対策が取れる。そう言う時の対策の引き出しがあるから、安心出来るようになった。
人混みと音も、自分がどれだけ苦手だったのか、分かるようになった。前までは特に、子どもを連れている時にそういう所に行くと潰れてしまったが、今は子どもを連れている時に持つ、負の気持ちとかを自覚しているから、辛くなっている原因をつかんでいられる様になった。

不思議と“こういう時に私は不快になるけど、それはこういう風に感じていたからなんだ”と分かることが増えてきたら、耳栓とかがなくても少しずつ平気になってきている』

夫から見た視点でまとめ

毎週の様にパニックを起こしていた時と比べ、妻に余裕が出来たのはもちろん、私が一番驚いているのは、こうして自分の感情の話をしっかりと話せるようになった点です。
以前は本当に大切な意思表示以外はどこか濁していたり、会話していても掴ませないようにする傾向があり、どこか自信がなさ気でした(ちゃんと掘り下げて聞くとしっかり意思があるが)。
途中、さらっと流していますが、彼女が本当に安定したのは、やはり子どもとの関わり方が大きかったと思います。
ここまでは、【どこからどこまで】とか【こういうのはどうするべきなんだろう】とか、そういったちょっと曖昧でメモリを奪いそうな事を、しっかりと言葉にできるガイドラインを引いていき、データベースを構築していくのが基本型。
なるべくメモリを確保しながら、やるべき事を見つけ出せる様に、シンプルな思考を取り入れてワンクッションをいれたり、切迫感を生み出す思考のパターンをとことん分解していったりの繰り返しでした。
今、生活への実感力や自己評価を上げてきている妻は、夫婦の仕事とは別に新たな道などへも挑戦を始めています。ここでもスケジュールや大事なことの見つけ方など、様々なポイントがそのまま活用できているようです。
ひとつ誤解されたくないのは、私たちが目指したのは【定型の生活】ではないという事です。しっかりと5人が生活を回せて、パニックや自己評価の低下に陥らない様にするために、ひとつひとつ向き合っていった結果です。
【将来はこういう家族に】とか【こういう生活がしたい】と理想論に向かっていった訳ではありません。どちらかと言えば、見えてきた問題に行き当たりばったりで、明るい方向に向かっていったという方が正しい気がします(そんな余裕もなかったし)。
だいたい、わが家が【定型(一般)の生活】というには、経歴も生活基盤もあまり一般的では無い方に流れているので、そもそもが【変わり者一家】だとしていた方が精神衛生上でも楽だったりします。

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同じ過ちを繰り返す・気まずさで立ち止まる│自閉症スペクトラムの負の連鎖

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6歳:言語評価テストの結果│アスペルガーな娘 http://asdweb.net/2nd-age6-language-test http://asdweb.net/2nd-age6-language-test#respond Wed, 26 Nov 2014 08:29:16 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[アスペルガーな娘]]> <![CDATA[娘6歳]]> <![CDATA[実際の思考]]> <![CDATA[特徴]]> <![CDATA[苦手]]> <![CDATA[驚き]]> http://asdweb.net/?p=2946 <![CDATA[娘(アスペルガー症候群)が2ヶ月間、7種類の言語のテストを受けてきた結果が出ました。 WISC-Ⅳ(ウィスク・フォー:知能テストの一種)の結果を受け、低目に出た言語理解の項目が、なぜ低く出たかを確かめようとしていたのです […]]]> <![CDATA[
娘(アスペルガー症候群)が2ヶ月間、7種類の言語のテストを受けてきた結果が出ました。
WISC-Ⅳ(ウィスク・フォー:知能テストの一種)の結果を受け、低目に出た言語理解の項目が、なぜ低く出たかを確かめようとしていたのです。今回はその中で特徴的だったものを抽出してまとめてみたいと思います。

全体的な言語能力

“理解力・表現力・語彙力ともに年齢相応の能力あり。推論をしたり、イメージ豊かに言葉を表現できる。視覚からの意味理解が強い。ただ、問題によって質問の意図理解がズレ、本人の解釈で答えるケースがしばしば見られる。”
非常に的確な結果です。娘はどちらかと言うと会話をしていて、驚くほどの理解力を見せたり、大人びた論法を展開したりと、言語の能力は高い方だと思います。しかし、WISC-Ⅳの結果では言語理解が低く出ています。問題の相性もあったのかもしれませんが、私と妻の考えとしては【第一印象での誤解や、出題を理解しようとして聞かなかったのではないか】でした。
“問題によって質問の意図理解がズレ、本人の解釈で答えるケースがしばしば見られる”の部分は、まさに彼女がふだんよく見せる反応です。こういう時は明らかに非常識・不条理なものになってしまっていても、何の疑問も持たなかったり、疑問を持ってもそれを確かめようとはせずにそのままにしてしまう事が多々あります。

質問応答関係検査

質問応答関係検査は、会話から言語理解や表現力を調べる検査。
聞いた言葉から想起したり、様々に思い浮かべるのは得意。長い文章表現やイメージを持たせることが出来る。失敗時、その失敗をあれこれと考えようとする部分あり。
【なぞなぞ】などの比喩的な表現に対しては、復唱をするものの語を失う。応答時に余計な情報を付け加えてズレていく傾向あり。また、相手の質問意図を汲み取れれない傾向もあり。

LCスケール

LCスケールは、絵や特定の設定のイラスト等の理解力から、言語能力の様々な面を調べる検査。
絵やイラストからの理解力が高く、この場合は登場人物の心象や、それぞれの人物の視点が理解できる。長い文章などからも理解でき、不合理な点も指摘できる。
課題により、前の課題の設定を引きずったままだったり、先入観から出題を理解できなくなる傾向あり。

ITPA

ITPAは、言葉を受けて言葉で返す能力や、視覚情報から体での動作表現ができるか表現力を見る検査。
言語に比べて視覚からの理解の方が強い。記憶して答える課題に弱い傾向あり。注意が逸れやすい。

WPPSI

知能検査の一つ。今回はこの内の【文章】に関わる部分を使用。会話の最中に復唱する際、意味は合っているが言い方を変えて返す事が見受けられたため、文章を形通りに憶えられるのかを検査する目的で実施。
『昨日の晩、大雨が降ったので、バスが遅れました』を『昨日の夜、雨が降ったのでバスが遅くなりました』など、聞いた文章から独自に解釈しなおして復唱するが、意味は合っている。
※これも凄く彼女らしい特徴。3~4歳の頃はこれが多く、またもう少し言葉の正解率が低かったので、『なんでいちいちわざわざ間違えた事を言うんだろう』と思っていました。そういう時、ちゃんと聞いてみると意味は理解していることが多かったのも特徴でした。

絵画語彙発達検査

『国会』のイラストを見て、『政治』の言葉を選ぶなど、語彙力を測る検査。
小学校低学年程度の語彙力あり。
※ちょっと驚きました。でも確かにテレビを見ていて、大人の教養番組やニュースなどから、ほとんど観てもいなかったはずなのに、その単語と意味を何となく記憶している傾向はあります。

グッドイナフ人物画検査

自画像を描き、体の形のイメージが正しいか、それを絵で表現できるかを検査。
発達年齢は実年齢よりやや高い。その日着ていた自分の洋服を、模様まで書き込んでいた。

フロスティッグ視知覚発達検査

『目で見て理解・再現する力』を把握するための検査。年齢を考慮して、その内の一部のみ実施。
視知覚は年齢相応。

WISC-Ⅳと合わせての総合的な判断

全体的には平均値にすると年齢相応ですが、視覚からの理解などで一部分高めに出ている項目がありました。
WISC-Ⅳは全体的に平均で、【知覚推理と処理速度が高いので、ぱっと見たものや浮かんだことに関してすぐに処理できるものの、言葉からの情報には弱い】と言った特徴があり、言語能力のテストに関しても、共通した結果となっています。
言葉から意味を受け取る力に関しても、実際は平均的な能力値ですが、思い込みやパッと思い浮かべた独自解釈で突っ走る傾向があるということはこれでハッキリしました。
おそらく、この突っ走る特性を消すことは出来ないでしょう。しかし、衝動性を抑えた時のように、彼女に響きやすいキーワードを探すことで対応はできると思います(※関連記事⇒衝動対策以外にも有効な子どもへの鎮静方法【10秒ルール完全版】)。

今後考えられる問題と対策

ここまでの結果と合わせて、今後の対策を相談しました。まず考えられる問題は、小学校の授業で【問題意図が理解できなかった時のパニック】です。
・問題慣れしておいた方が、パニックの振れ幅も少なくなるのではないか
様々なタイプのドリルがある中、同じ出題傾向を何度も繰り返す様なタイプより、複数の問題が入れ混じったタイプを選択。すでにこれは進行していて結果が出始めていたので、小学校入学まで続行決定。
また、わが家で行っていた『マルな事バツな事一行日記』が、自分の傾向を知りながら、文章表現も養えるので理想的であるとのお墨付きを頂いたのでこれも続行決定。
その他にも、娘に対して行っていた『人の会話に聞き耳を立てるな』という、社会通念の曖昧表現に対し、明確な説明に置き換えていく作業は、彼女のテストの応答での様子を見ていても、理想的だろうと言うことでした(褒められちった、テヘ)。
もちろん、【何に対してパニックが起こるか・それはどうして起こるのか】など、社会生活に必要なメモリをなるべく残すための、認知のズレの発見は同時進行していくべきでしょう。ここまでで感じてきたズレ等が、思い過ごしや先入観などでは無かった裏付けとなったことで、非常に安心感を持ちました。

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叱った後に親が笑顔を作れないパターン│定型次男とASD兄姉の比較 http://asdweb.net/asd-forgiveness http://asdweb.net/asd-forgiveness#respond Tue, 25 Nov 2014 13:42:14 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[手記]]> <![CDATA[フラッシュバック]]> <![CDATA[定型との比較]]> <![CDATA[実際の思考]]> <![CDATA[特徴]]> http://asdweb.net/?p=2941 <![CDATA[誰かを叱った後、こちらが笑顔を見せるタイミングって結構大事だなぁと個人的には思っていたのですが、長男(軽度アスペルガー症候群)が生まれてASD(自閉症スペクトラム)を知るまで、【なぜ、自分の子どもには、叱った後に自然に笑 […]]]> <![CDATA[
誰かを叱った後、こちらが笑顔を見せるタイミングって結構大事だなぁと個人的には思っていたのですが、長男(軽度アスペルガー症候群)が生まれてASD(自閉症スペクトラム)を知るまで、【なぜ、自分の子どもには、叱った後に自然に笑顔を作れないのか】と悩んだ時期があります。
今までの人間関係ではそういうことは全く感じたことはなく、どちらかと言えば【怒り】と【許し】に上手く付き合えていたと思っていたのですが、長男と娘にはそれが難しくなる事ばかりでした。
当時は【自分に似ているから怒りたくなるって言うしな……】とか、【子育てに向いていないのかな】とか、【大人じゃないのかもしれない】と自信喪失になっていたほどです。
しかし、次男が生まれ同じく叱った後、苦労なくお互い笑顔に戻れていることに気が付きました。彼の行動を観察していると、今までの人間関係でほぼ無意識に利用していた【こちらが気持ちを切り替えやすくなる】パターンがあったことに気が付きました。
今回は定型の次男と、ASD当事者の上ふたりとの比較から、【叱った後に笑顔が取り戻せなくなる】心理をまとめてみたいと思います。

次男と私の叱られた後の共通点

現在4歳の彼は甘えん坊で、叱られると落ち込みやすい面もあるのですが、30分後程度に『さっきは~~してごめんなさい』と謝りに来れる手練です。このタイミングがなかなかに絶妙なので、自然とこちらも笑顔で抱き寄せたりが出来ます。
実はこのやり方は、私自身も幼い頃親にやっていた方法で、今でもあの独特な気まずい時間とそのために編み出した対処方法をハッキリと憶えています。
私が彼と同じ年頃に、親に叱られた後はその気まずさがあるものの、すぐに場を移さず、かと言って追い回しもせずおもちゃで手を動かしながら、あるタイミングを待っていました。【親の怒りが治まる頃】です。感覚的には親のあからさまにこちらを見ないフリなど、不機嫌アピールがなくなった時です。できればその直後が望ましい。
すぐに謝っても刺激するし、その後を放っておくと時間が掛かるし何より気まずい。親の鼻息が治まる頃合いです。それがだいたい30~40分。美味しいのは家事で親が洗濯物を干しにいくなどの自然な時間稼ぎと親の気分転換があった後です。その後に【ごめんなさい】と伝えたり、思ったよりも親の表情が軽いようであれば、楽しいことを話しかけるなどを経験から絞り出し、辿り着いていました。
言葉にすればこんな感じですが、実際に謝られる側に立ち、意識的に相手の行動を観察する必要に迫られたのはこれが初めてでした。
そうしてみると【鼻息が治まる頃合い】を見計らう感じは、今思えばこれまでの人間関係でも色々な人物にされてきていた気がします。そういう相手からの態度や気配は、明らかに【関係を自ら取り戻そう】とする姿勢が感じられたため、こちらも余裕を持って笑顔を作ることができていました。
要は、そうして叱った相手からもチャンスをもらえていたのです。

わが家のASD当事者たちのパターン

結論から言うと、こちらが笑顔を取り戻せなくなるのは、【関係を自ら取り戻そう】とする姿勢が見られずに、こちらが一方的にチャンスを作り続けていた場合に起きていました。
この【関係を自ら取り戻そう】とする姿勢が相手からもらえない場合、こちらが復帰するには“状況整理・憤りの解消・思い直すための余裕の確保”など、かなりのエネルギーが必要となるのです。
同時にこの姿勢を感じられないことは、【関係性に継続の意思がない】との薄っすらとした疑念を抱くことにもなりかねません。
この姿勢を本人が消失するのは、以下の様なパターンもしくは複合的に合わさってハングアップが見られました。
小パニック状態
叱られた以外の事で、今現在、生活の中にいくつかの【分からない】を抱えていて、そこから生まれている不安に気がついていない小パニック状態。
謝る気がないのではなく、【関係性に継続の意思がない】のでもなく、【どうしよう】とか不安だけが回り、声が出ない。何を言っていいのか分からなくなる。場合によっては何を叱られているのかが分からなくなる。
真顔が怒り顔と同等の両極的な捉え方
こちらがもう怒っていなくても、直前の刺激的な関係の変化から、【0か100か】といった両極思考に陥り、こちらが笑顔でなければ安心できない状態。お互いに叱った側の笑顔復帰に気まずい状況で望みを持っている(お互いそれ以上動けないので長引く)。
着地点の消失
叱られていて、刹那刹那、色々な事を想い、考え、本人も凹んでいるものの、では最後の【~~してゴメンナサイ】に対し、何をどう謝って手打ちにするのか見失っている。
完璧主義による不安
着地点の消失に似ているが、何を謝るか、何をどう言おうか失敗や否定を恐れて決めあぐねてしまう。【なんでもいいから言葉にして気持ちを伝える】が発想すら沸かなくなる。『こう言って間違いではないか、この言い方が正しいのか』など。
喋り出しの喉の感覚と【泣きそう】の誤認
緊張から黙ると、話初めのための空気の保持をしにくい姿勢になっていたり、喉が開きにくくなったりする。その感覚が【今、声を出したら泣きそうだ】と勘違いをしている。これが進むと、【自分が可哀想だ】と思い込みやすくなり、余計に声を出すための勢いを失う。
主に挙げるとこれらになると思います(他にも色々あるが、特性によるのでこれくらいに)。

【叱られる】から生まれる相互的な価値

これらのほとんどは本人は謝意や反省があるにも関わらず、そこに至る前段階の状態を特性によって行動に移れない様にされているものだったりします。
しかも、これらはASDだからこそというものではなく、だれでも持っていて、その境界線が曖昧な関連のものです。だから本来誰で似でも起こりうるパターンです。
ここでポイントとなるのは、【だから周りが理解して下さい】なんて何の効果も産まない薄っぺらい話ではなく、【だから話す余地がある】と捉えると、謝罪を受ける側に新たな視点が生まれてくるということです。
【受け止めているからこその沈黙】
単に叱った後、次から叱られないように合わせる相手と、納得がいってから動き出し、それを順守する人間とであればどちらに【叱る】と言うエネルギーを捧げる価値があるか。
そもそも【示唆、教える、指摘、注意、叱る、怒る】という、友好的で共に有りたいと思うから出てくる同種としての行動と、【示唆、警告、怒鳴る】といった、外的な繋がりの薄い相手への要望の主張と同じく、人と人との繋がりには段階があります。
相手への繋がりや価値を見出していなければ、相手の是正を含めた【叱る】という行為は、ただの骨折り損です。では、【そんな骨折り損はやめればイイ】と片付ければいいかと言うとそうではありません。
自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の当事者だけではなく、多くの人間が社会的に抱えている人間関係の不安の多くは【別離不安】です。その別離とは単に離れてしまう事だけでなく、自分が人に何らかの効果を残せたと感じる自己評価の一貫と同じ、自分を認めるための作業です。
【そんな骨折り損はやめればイイ】で片付けてしまうと、人が人といて、相互的に自分の評価を下し、そうしながら【自分は必要とされている】と感じるための、最も霊長類として明確な【達成感(至福でもよい)】を感じるための相互関係を、自ら受けられないようにしている事でもあるのではないでしょうか。

妻のモデルケース

長男と娘は現在こういった概念を認識しつつ、それらを普段の生活に潜む矛盾とぶつけあいながらリアルに学習しています。そして妻はこれらの社会的な学習を、私とのぶつかりの中から学んでくれました。
【理想的な言葉でも正解でもなく、今、不安の種となっている“これ”を伝えるには、数打たなくては(しゃべらなくては)不可能だ】
彼女本人がASDを知ってから1~2年で、様々な体験を元に、実感とともに辿り着いた答えです。彼女はこれに似た考えを言葉として知ってはいても、自分の生き方として認識するには具体的なシーンと、そこでの【ああ、これか】が必要だったようです。
この件の詳細は非常に多くの背景を必要とする可能性があるので、後日【アスペ妻の記録】で紹介させていただこうと思います。
叱った側の不安因子は、当事者の特性を理解することで一気に解消されることがあります。
【許す】とは相互関係なのかなぁと、ここまでの流れで思っています。叱った側が一方的に許すのでも、叱られた側のコミュニケーション能力で許されるのでもなく、【許す】は当事者同士お互いに寄り合うものなのではないでしょうか。

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20年後のアスペな息子に贈る父からの33の言葉

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アスペ妻の記録~人の失敗に責任を感じる~ http://asdweb.net/wife63 http://asdweb.net/wife63#respond Fri, 21 Nov 2014 12:14:26 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[軽度アスペ・ACな妻]]> <![CDATA[アスペ母の影響]]> http://asdweb.net/?p=2929 <![CDATA[誰の責任? 夕食時、ふと部屋の片隅の水槽に目が行った。この夏、田んぼの畦道で拾った小さなミドリガメである。冬眠の失敗が一番恐いので、秋口から専用ヒーターを仕込み、彼だけ未だ常夏の冬眠知らず。 私『あ、カメの水、換えてやる […]]]> <![CDATA[

誰の責任?

夕食時、ふと部屋の片隅の水槽に目が行った。この夏、田んぼの畦道で拾った小さなミドリガメである。冬眠の失敗が一番恐いので、秋口から専用ヒーターを仕込み、彼だけ未だ常夏の冬眠知らず。
私『あ、カメの水、換えてやるの忘れてた』
2~3日に一度、主に私が水換えをしていて、時折、タイミングの合った時に長男も水換えをしてくれる。忙しくしていて、つい、プラス1日ほどそのままにしてしまった。とは言え、毎日のエサやりを汚さない様に配慮しているので、それほど汚れているわけでもない。
何となく、忘れていたことに気が付き、つぶやいた瞬間だった。
長男『……あぁっ……』
それまで楽しそうに食事をしていた長男が、小さく呻き表情をにわかに曇らせた。すぐに食事に気を戻してはいるが、先程までとは表情に若干の違いが見える。
私『……なぁ長男。もしかして、今、【悪いことしちゃった】様な気がしてない?』
長男『え……ああっ、うん。……はぁー♪』
表情が明るくなり、そしてまた楽しそうに大好物の焼鮭をつつき始める。彼の反応を通訳するとしたらこうだろう。
お父さんが呟いた言葉に、“忘れちゃった”という【悪いことしちゃった】系列の事実を感じてとらわれたが、『~様な気がしてない?』と聞かれて、それ程悪いことでもないと言うボーダーの位置を認識しなおして、スッと軽くなった。
本人は気にもせず食事を楽しんでいるようだが、ちょうどこう言う瞬間に畳み掛けると良い結果に繋がりやすいので、そのまま説明することにした。
私『長男ってさ、今みたいに自分の周りで“マズイ”事が起きると、自分が悪いような気がしちゃってない?』
長男『うん、さっきもちょっとそうだったかも。今は大丈夫』
言い終わるか終わらないかのうちに、鮭をほじくりだす。確かに今は“大丈夫”なようだ。これが困惑が抜けていない場合、不安そうな表情で私の方を向き、軽くフリーズしていたかもしれない。
私『それさ、本当に【自分が悪いかも】って思ってたのかな? “マズイ”事が近くで起きてなんだか急に“マズイ”気持ちなって、それ以外は何も考えてなかったんじゃない?』
長男と娘の箸が止まった。図星……、想定外だったが娘にまで響いたようだ。
私『そういう時は、まず【直接悪いことをしたのは本当は誰か?】を頭の中で見つけ出すといいよ。固まっちゃいそうな時ほど、すぐに出来る事を決めておくといい。例えばカメの水が汚れたのは誰が悪いんだろう?』
長男『みずかえを忘れた人?』
私『確かにそうだね。それと、水を汚したのは誰だろう?』
長男『あ、カメだ』
私『そうだね。でも、それは仕方がないし、その世話をしているのはお父さんで、カメには悪いけどそれほど汚れてもいない、ちょっとした事だったね』
長男『うん、そうだ。でも、さっきお父さんに【悪いことしちゃった様な気がしてない?】って聞かれて、ぼく、すぐにぼくが悪くないって気がついてたよ?』
私『うん。それはいいことだ。でも、出来ればお父さんに言われなくても気がつければいいだろ? だから自分以外のことで“マズイ”事が起きたら、すぐに【直接悪いことをしたのは本当は誰か?】を考えようとする癖をつければいいんじゃない?』
長男『あ、そうか。じぶんで分かるもんね』
まるで自分の事のようにうなづく娘。そして隣で余裕の笑みを浮かべている妻の表情があった。何か私と長男のやりとりに思う所があったようだ。

ちょっとの意識

この【自分が悪いかも】と、すぐに抱え込んでフリーズしてしまうパターンは、妻の弱点の一つでもあった。こうした自分に責任の無いことまで、自分に責任を感じてしまう事を【個人化】というらしい。
これは私がかつて、抑うつ状態になりかけた時に購入した本に詳しく書かれていたもので、当時の私自身もハッとさせられた事だった(参考書籍:いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法 より)。
ただ、そういう時は言葉を発さなくなるため、妻自身がどこまでそう捉えているかは分からなかった。これを彼女が乗り越えたのは、実はつい最近の事だったのである(関連記事⇒アスペ妻の記録~自己肯定感~)。
妻は週末に疲れが出やすい次男の、不機嫌だったりよそよそしい様子に対して【母親としての責任】など、まるごと自分が悪いかのように捉えてしまっていたのだ。
こういった事は今までもあるにはあったが、後から発覚して指摘するしか無かったため、本格的に手を打てた事がなかったのだ。
あのさ、今起きたのはどんな問題で、誰が傷つき、そして誰が一番悪いと思ってる?
かつて妻が物を倒したり落としたりなど、手作業での失敗が多かった時に、自分の意識が動作のひとつひとつに対し、最後まで及んでいなかったと気が付き、一時動作の全てに【これを持つ・~~まで運ぶ・~~に置く】など、ちょっと頭の中でつぶやく習慣をつけ、大きな効果を出したことがあった。
それと同じく、【個人化】に関しても彼女はちょっとしたキーワードを想起させる癖付けを行ったという。
妻『自分は大人だから家庭内でそれほど叱られるような事とかしないでしょ? でも、子どもは思いもよらない悪戯とか失敗とかするから、パッと気を取られちゃうんだよね。
だから、子どもが何かやらかした時に、【私が悪いんじゃない。今起きたのは何?】って、すぐに考えるようにしてたの。
そうしたら、すごく楽になったよ。今までどれだけ自分を疑ってきてたのかなぁって分かった。原因とかが分かっても、【自分の事じゃない】とまではハッキリ線を引いてなかったのかも』
この“ハッキリ線を引いてなかった”という辺が非常に伝わるものがある。わが家の自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の当事者たちに良く見られる反応として、ちゃんと聞けば『良い・悪い』『責任の有無』などを理解していて説明もできる。しかし、その時になると、目の前の『何らかの責任』が存在している所に気を取られてしまう。
もし、目の前の事に気を取られてしまう事が、ASDの特性として絶対的な反応なのだとしたら、もっと大変な事になっていたのではないだろうか。“ハッキリ線を引いてなかった”から起こる反応だとすると、起こる頻度やシチュエーションに納得がいく。
“ハッキリ線を引いてなかった”から、時と場合によって、自分と他との境界線を見失っていたのではないだろうかと。

自分を得た先

つまり、妻は子供たちの失敗や問題を目にする度に、【自分が悪い】とまでは行かなくとも、自らの失敗と同じような責任感のゆらぎを感じていたのである。ただでさえ、責任の重さや罪の意識が両極思考になりがちな彼女ならば、過去に家庭でよく見られた【常にテンパっている様子】に説明がつく。
最初から、子どもに関わらないようにしていたのではない、彼女はパニックを起こしていたのだ。いや、今までもパニックであることは分かっていたつもりだが、それがどういう経路であったか、今はしっかりと腑に落ちている。
【直接悪いことをしたのは本当は誰か?】と考える事と同じように、見失いやすい物事に対して、それに対応した“投げかけ”や“キーワード”があれば、もしかしたら他の事にも効果を生み出せるかもしれない。
これを一言にまとめれば、【自分の行動と認知の結びつきを見直す】という認知行動療法の考えに行き着くが、これがなかなか家庭での対応に落としていくのは難しい。これが今までのわが家の戦略の基本形である。
妻が自らの認知や境界線を見つけてきて得たもの。それこそ“自分”なのかもしれない。
【これは自分ではない】【この意識はここにある】など、自分を認識するためのいくつかの点が、自己評価の低下や不安感、また他人との境界線を見失うことで曖昧になっていた可能性が考えられるのだ。では、自分とは何なのか? それは単に自らの創りだした意識を、知覚している現実とに比較しながら、実感として自らを感じる意識なのかもしれない。
これらを獲得しつつある妻に、今、最も分かりやすく起きている変化は、【過去の自分の思考】と【今の自分の思考】とをしっかり言葉にして話している事である。例えば今回、長男に起きた『カメの水換え』の様に、妻はそこで起きている事を、かつて自分が乗り越えたものとして認識し、どうやって自分に落とし込んだかを語ることができた。
同様に、今まで自分が努力していた部分を、言葉にして伝えようとしている事が増えてきている。時には話しながら自分の考えをまとめ、着地点へ結びつけたりなど、自分を語る際に分析と言葉化の二つをこなしている。
言葉が用意されたものではなく、自分の中から取り出していると言ったら良いのだろうか。だから真面目な話や議論でも、会話が予定とズレても戸惑うことがない。
これらは明らかに妻に起きた変化であるが、同時に私が得られたものもある。それは今まで妻から聞けなかった、当時の妻の心の在り方。私自身、分からないまま片付けられた事の中には【個人化】したように、自分の非として宙ぶらりんに処理してしまっていたこともある、それを知ることで『そうだったのか』と救われることがたくさんあるのだ。
私が見てきた私サイドの視点とは別の、妻自身が【なにを困り、どう努力し、どう達成したか】という視点での話が聞けるのが、私の中で今非常に熱い。

【つづき】⇒アスペ妻の記録~娘、ぶり返す~

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小学2年生:軽度アスペルガーな長男まとめ http://asdweb.net/1st-age8-matome http://asdweb.net/1st-age8-matome#respond Thu, 20 Nov 2014 09:01:28 +0000 <![CDATA[otto2000]]> <![CDATA[軽度アスペルガーな長男]]> <![CDATA[まとめ]]> <![CDATA[長男小学2年]]> http://asdweb.net/?p=2911 <![CDATA[問題が見えにくくなる 1年生の頃に見られた、ひとつの事に夢中になって他に遅れたり(過集中・シングルフォーカス)、逆に色んな事が気になって興奮が治まらない(転動)などはかなり解消されました。成績も良く、授業にも積極的な姿勢 […]]]> <![CDATA[

問題が見えにくくなる

1年生の頃に見られた、ひとつの事に夢中になって他に遅れたり(過集中・シングルフォーカス)、逆に色んな事が気になって興奮が治まらない(転動)などはかなり解消されました。成績も良く、授業にも積極的な姿勢があると評価されていました。
時折、休み時間の楽しい気分を切り替えられず、授業中に【何か楽しいことをしてやろう】といったウズウズの行動があった様です。それも妨害というものではなく、どちらかと言えば良いムードを作ることも多かったとか。
しかし、その裏で彼の本来の性質が、静かに強調され始めていました。そしてそれを見えにくくする彼独特な習性が余計に問題を長期化・難化していきました。
全てを人に合わせる事で社会性を保つ】という受動的な性質

合わせている事を悟られないようにする】という問題化しないための習性

これがいじめ問題や、突然の緊張、他とズレて自己評価が下がることでのストレスを生み出して行くことになります。

いじめ問題

2年生で最も大きな事件でした。問題は1年生の頃からあった(作り出していた)訳ですが、周囲のクラスメートの成長や、本人の【合わせる】性質が悪い方向に進んでしまった形です。
叩かれようが仲間はずれにされようが、相手がニヤニヤしていれば『冗談か』と、問題から目を逸らし、自分もニヤニヤとしてしまう。本人にそれは『いじめられている』という意識が無いために、自らもそういった方向の遊びになるような誘い方をしてしまうのです。
さらに周囲の暴力性を引き上げていたのが、そこで発揮されてしまう【刺激を求める・煽る】という彼の特性でした。想定外の状況や、興奮を煽るような状況に直面した時、自分の気持ちなどを実感する力が薄れ、『もっと、もっと』と刺激を求めてしまうのです。
結果、本人にも自覚のないまま、自ら暴力が起きやすい状況を作り、他を煽りながらもニヤニヤと合わせることで相手に『悪いことだ』とは思わせないようにする仕組みが出来上がっていたのです。

そこにいない感じ

先生が前でみんなに対して話す。もちろんこれは【みんなに】なので自分にも関わることです。しかし、彼はこの【みんなに】が自分に関係する事だと、あまり意識が出来ていなかったようです。
だから先生の話を自分の事として理解しようとしておらず、結果他のクラスメートの動きに合わせて自分の行動を取るため、いつも後手に回ったり不完全な作業が続いてしまう。そうして自分の意思がない時間が続き、生活に対して実感や現実感が非常に薄れていたのでは無いかと。
また遅れることで、静かに劣等感を抱いたり、不本意な状況が続くことにストレスを感じるようになっていました。
【先生が前でみんなに対して話すのは、自分も含まれている】これをわざわざ説明されることは、一般的にまずないでしょう。しかし、彼はそれに対しても何となく曖昧なとらえ方にしたまま、話が理解できなくて困っても、表面的な【分からない】だけを問題視し、根本的な問題には気がついていませんでした。
みんなが意識なくやっていて、一般的にそれを説明する言葉が曖昧
上記のような“分かり切っているから、わざわざ説明するまでもないだろう”とされる、社会性に関連することには非常に多くあります。わが家の自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)当事者たちが、正体不明のやりづらさに苛まれている時は、これをしっかりと言葉にして、的確な概念を示すと解決の近道になることがよくあります。
直面している問題以前の、姿勢としての【分からない】が、不安感を作り出している例でもあります。こうした本人にとって出処不明の不安感が重なると、常に小さなパニック状態を起こしたり、離人感を引き起こして【そこにいない感じ】を引き起こすことがあるようです。

合わせる性質の罠

【痛いのはイヤ・意地悪はイヤ】などの自分の心の動きや、それへの対応を理解した彼は、いじめ問題自体はクリアしました。しかし、【合わせる】性質自体が解消されたわけではありませんでした。しかも【合わせているのがバレると注意される】事を本能的に理解し、【失敗=悪・罪・否】と極端な思考を持っている彼はさらに巧妙に【合わせる】様になっていきます。
そうして彼は、自分の気持ちが分からなくなっていきました。
元々自分の感情を自覚するのは苦手な方でしたが、そこに拍車を掛けてしまったのです。彼は気持ちなども相手に合わせたり、その場の空気に合わせて正解を口にする事に集中してしまうため、本当の気持ちも本心ではガマンしている事も無視してしまいます。
結果、人といる時間に無自覚なストレスを募らせたり、合わせていた状況が崩れるとフリーズするようになります。また、選択を迫られる時などでも、自分の気持ちが分からないため、激しい緊張状態と共に、思考停止状態に陥る様に。
元来、人との摩擦やズレを生まないための策だったはずが、そこに特化していた事で、自分や他人の心の動きを理解するチャンスをことごとく見過ごし、策が通用しなくなった時にお手上げ状態になっていたのです。

外と家での様子

いじめ問題以降、彼が外で問題行動を起こすことはほとんどありませんでした。基本的に合わせていた事が裏目に出ていた以外は、パニックを起こしたり癇癪を起こすなどがなかったのです。
手がかからないようでいながら、実際は【分からない】事を悟らせない様にもしているため、逆にこちらが【分からないであろう事】を想定して打診していくしかありません。具体的には、今学校でやっている事などを聞いてから『ああ、そういうのやってる時って、~~に困ったりしない?』など、なるべく軽い感じで投げかけます。
ちょっと困っている事を悟らせないようにしていそうな時は『~~に困ったりしない? お父さん、そういう事あったわ、子どもの頃』など、本人が感じているマイナスを【あるある化】する事で、【合わせよう】とする彼から本音を聞き出せる事がよくありました。
家でも基本的に合わせてくるので、どちらかと言えば仲のいい親子関係です。しかし、ここでも彼が合わせている事には違いがなく、どこか距離を感じる瞬間が点在します。
なんとも言いようのない乾いた感じです。この感覚は言葉で表すにはなかなか的確な表現がみつかりません。当時、これはどう表現すればいいか分からず、誰にも相談できませんでした。そして彼自身が何らかの問題を抱えていたり、パニックを起こしかけている時は、このバランスがあっという間に崩れ、今までの関係が嘘のように激しい緊張状態を作り出します。
この頃はまだ、彼が【人に全てを合わせている】と言い切れない時期で、他にも様々な可能性があったため、この手のひら返しや乾きの真意は分かっていませんでした。本人にも自覚はないため、確かめようが無かったのです。これは三年生の夏休みで問題が露呈し、解決することになります。

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以前は注意されたりすると、必要以上に極端なとらえ方をして、癇癪やパニックを引き起こしてそれ以上の対話が不可能だった娘。
そうして人の意見を聞けるようになり、やがて特に対策を取らなくても、ふつうに話しを聞いてもらえるようにはなった。……しかし、それから早1年近くが経ち、ちょっと状況が変わってきていた。
私『あー…その言い方はちょっとキツイかな、こういう時は◯◯◯って言った方が……』
娘『あー、うんうんうんうんっ!』
私『……じゃあ、なんて言い直せばいいんだっけ?』
娘『あー、うんうんうんう……う? わからない……』
昭和の◯る・こ◯る師匠を彷彿とさせる、『あ、聞いてないな』感。
……慣れられてしまったか。こうしたやりとりが生活の中で急速に増えていった。
■今だから分かること
以前までは注意や是正などに対し、必要以上に自己評価を下げるような、極端なとらえ方をしていた娘でしたが、ちょっと一周して慣れすぎてしまった様です。
これを悪い事と考えればガックリですが、逆に【人の意見と自分の関わり方をどうするか?】という、人間関係の形成上、非常に大切な問題にまで辿り着いた証拠であるとも言えます。
長男の場合はここにほぼ5歳で行き当たり、年齢相応のつきあい方を獲得し、その後受動的な方向に流れてしまったために1年生の終わり頃から問題になったという経緯があります。
ちなみに次男(4歳・定型)はどうであるかというと、こういった人の意見と関わり方に対し、本人なりにちょくちょく駆け引きをしたり、表情や言葉の強弱から判断しようとする形跡が見られます。
放っておいても彼はこのボヤボヤとしたものを、トライ・アンド・エラーを繰り返して、自分で掴んでいくことが予想されますので特に手は必要ありません。失敗をなるべく小さく抑えることで、数を繰り返して獲得していく流れがあります。これは“不快”に対する免疫を養える姿勢でもあります。
長男と娘に見られる流れとしては、基本的に【失敗=悪・罪・否】など極端に捉えているために、幼い当初は癇癪や逃避などの激しい抵抗を示し、その認知が是正されて慣れてくると『【失敗=悪・罪・否】だから受け入れない』といった方向に流れがちでした。

対策として

結局のところ、【是正】を感じた途端に、抵抗はせずとも相手の言葉を吟味せず、受け入れないようにしている時点で【0か100か】などの両極思考になっていることには変わりありません。
こういった【微妙なズレ】に関しては、改めて次男や定型の他の子がしている思考の過程を、意義と合わせて明確に説明した方が、短期間で越えられるケースだったりします。
【人が自分に注意をしたり、違う意見を言ってくれる時は、君の何かを直そうとしているんだよ】
【自分にとってそれが大事なことだったり、変える必要がなければ、その言葉に従う必要はない】
【でも、それが正しいかどうかは、ちゃんと聞かなければ分からないのだから、最後までしっかり聞いて、どういう事か分かってから選ぼう。それには“分かろう”として聞かなきゃいけない】

【そして、自分にいいことをしようとしてくれたのだから、“ありがとう”と思うのが正しいと多くの人は考えている。だから従わなくても良いから“教えてくれてありがとう”と思う努力はしよう】

こういった意義を、いきなり全部ではなくても良いので、“そういうものなんだ”と視点を置けるよう、知恵袋的に話しておきます。彼女の場合、不思議と似たような問題を短期間に連続して起こす習性があるので、短期集中して意義を伝えるのが比較的安易なのが幸いしました。
娘の場合、一番大事なのは【“分かろう”として聞かなきゃ】という所だったりします。これは一般的には【ちゃんと聞いて】となるのでしょうが、娘の場合はこの【ちゃんと】が曖昧過ぎるのです。音として聞いていればいいのか、口だけで合わせる簡単な会話でいいのか、目を見て聞いているフリをすればいいのか……などなど。
みんなが意識なくやっていて、一般的にそれを説明する言葉が曖昧
こういったケースは、今回のように改めて定義し、どうしているのかを明確な言葉にすると進みやすい気がします。

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