特定失踪者問題調査会特別調査班
これまで紹介してきた「日本における外事事件の歴史」の内容は主に北朝鮮側によるものでしたが、今回紹介しますのは、当時の日本共産党によって起こされた「人民艦隊事件」と呼ばれる事件です(文中敬称略)。
昭和25(1950)年にGHQ(日本を占領していた連合国の総司令部 司令官:ダグラス・マッカーサー)の指令によって日本共産党員とその同調者が公職などを追放されたことに起因して、共産党が“主流派”や“国際派”、あるいは“国際主義団”など幾つかに分派した時期があり、当時の主流派が昭和26(1951)年2月に開催した第4回全国協議会(4全協)において軍事方針を含む行動方針が採択され、同年10月に開催された第5回全国協議会(5全協)によって「51年綱領」とされる武装闘争不可避論、武装闘争路線、暴力革命路線と「軍事方針」が採択されたことにより、全国各地で様々な事件が生起しました。
この流れの中で起きた事件であることから、「当時の日本共産党によって…」と表記したのですが、実はこの事件自体は後に開かれた裁判によって「無罪」の判決がなされた事件です。したがって本来なら事件として扱うのを避けるべきかもしれませんが、戦後に日本国内を舞台とした外事事件、特に北朝鮮関連を追及していく際にどうしても避けて通れない事件であるため、あえて紹介する次第です。
昭和27(1952)年5月上旬、山口県下関港から中国に向けて密出国をしようとした日本共産党員16名が検挙されるという事件があり、密航に使用する予定だった漁船は逃走しましたがその後の調べで漁船は「第3白山丸」と推定されましたこの第3白山丸は以前に中国側に拿捕された経緯もある漁船でした。
この事件から5年後の昭和32(1957)年12月2日、「北鮮密航グループ手入れ 17人の逮捕開始 全国37か所を捜索」という報道記事が出ます。内容は、警察庁がかねてから日本と北朝鮮間での密航や密貿易グループの解明を全国の警察に指示していた結果、その一端が明らかになったので海上保安庁とも協力して大阪、京都、新潟、山口、鳥取、島根、兵庫、広島、愛媛などの県警を動員し全国37カ所を出入国管理令、外国為替、外国貿易管理法、関税法などの違反容疑で一斉捜索し逮捕者も12名だったというものです。
記事によれば警察庁は過去2年間にわたってこのグループを追い続け、11月に山口県警が出入国管理令、船員船舶法違反で検挙した船員の取調べから7月に北朝鮮の新浦から日本共産党の袴田里見常任幹部会員や河田賢治中央委員を兵庫県の香住港に上陸させたことや、漁船10数隻で常習的に日本と北朝鮮の間を往復し、日本共産党の非合法財政組織に一役買い、北朝鮮や中国からの資金や指令の伝達に関係した他、日本共産党の秘密党員や北朝鮮の工作員など3、40人を運んでいたことなどが判明したということでした。また密航だけでなく、密貿易も手掛け、一往復で700~2000万円の荒稼ぎで、総額は数億円にのぼるとも推定されているとのことでした。
これを機に朝総連内朝鮮劇団事務局長で元日共民族対策部幹部、李太宇こと金忠権(38)と同部員の趙鐘培(29)2人を出入国管理令違反容疑で全国に指名手配していたところ、12月23日に趙が栃木県宇都宮市内で逮捕されます。趙と金は昭和30(1955)年12月に北朝鮮への密航するため日本の漁船で山口県の下関港を出港し、翌昭和31(1956)年1月に愛媛県八幡浜港に密入国していたもので、趙自身は北朝鮮によるスパイ事件にも関連があった人物で対日工作員とみられているとのことでした。
年が明けた昭和33(1958)年1月30日、海上保安庁は第6海上保安部(広島)を中心として在日朝鮮人を含む日本共産党員の北朝鮮との密輸グループに対する一斉手入れを行い首謀者とみられる日本共産党員・芝村憲三(30)(大阪市西成区津守町)ら党員5人を含む10人を外国為替、外国貿易管理法、関税法、検疫法等違反容疑で逮捕、東京、大阪、下関、門司、厳原、愛媛など20数ヶ所を捜索したと発表しました。
海上保安庁の調べでは昨年12月2日に検挙された事件と同様、容疑者たちが昭和31(1957)年12月ごろから吉祥丸(51.46トン)、第6金比羅丸(49.3トン)、第8明栄丸(35.56トン)などの小型船を使用して表面は日本と韓国間の合法貿易を装いながら北朝鮮に船を回し密貿易をしていたもので、特に注目されるのは、北朝鮮の対日工作員を日本から脱出させるなどの秘密連絡にあたっていた疑いがあるとのことでした。
この事件は日本共産党指揮のもとに“海上区常任”として活躍した同党員が主力となってこれらの船に乗組み、北朝鮮の某有力対日工作員の国外脱出にあたっては船長以下の乗組員全部を日共党員で固め、送還したりしていたということで、北朝鮮当局はその役割を高く評価していたというものです。
この2か月後の3月22日、警視庁公安部は静岡県警、千葉県警の協力を得て日本共産党の海上オルグによる日本と中国間の密航などを内偵していた結果、その一端が判明したとして宮城、栃木、長野、愛媛、神奈川など各県警の応援を得て、同組織の有力船として活躍していた「第1勝漁丸」の元船長はじめ乗組員10人を出入国管理令違反の疑いで一斉検挙するとともに、これらの自宅、アジトなど全国で37カ所を家宅捜索しました。
このグループは一時潜行していた日共幹部の野坂、志田、紺野らを中共から日本に運んだものとみられ、捜査によって当時の日本共産党の密出入国秘密ルートの全容が明らかになるものとみられるということでした。
報道によれば、当局の調べで日本共産党は昭和25(1950)年6月、徳田、野坂ら中央委員が追放されたあと、しばらくの間小型漁船などを利用してこれらの幹部を国外へ脱出させ、あるいは中国、北朝鮮などから帰国潜入させていたといわれていますが、「当局の追及が厳しくなったので党専用の海外秘密連絡船が必要となり、この結果“人民艦隊”と呼ぶ小型船数隻を約1000万円で建造、漁船や運搬船にカムフラージュして密出入国に関わっていた」というもので、元全労連幹部・金子健太、元全逓委員長・土橋一吉、日共中央委員・河田賢治らが海外に潜行した密出入国はすべてこれら“人民艦隊”の手によるもので、今度の「第1勝漁丸」はその代表的なものだと当局ではみていました。
この「第1勝漁丸」は、報道によると「みかけは普通の漁船と変わりないが、漁船にはふさわしくない120馬力という強力なエンジンを持ち、優秀な無線通信機を備えていた」と書かれており、何か北朝鮮の「高速工作船」に通ずるような気もしてきます。この船の乗組員は船長以下15人でみな党員で、「うち数人は他人の名をかたって船員手帳を不正入手していた」ということです。
同船は昭和30(1955)年春、日本共産党が静岡県伊東港で建造、翌31(1956)年秋ごろまで同港や焼津港を基地として数回、中国との間を往復、日本共産党員などを輸送していたものとみられ、特に昭和30(1955)年8月11日、日本青年館で開かれた日本共産党の政策発表演説会に突然現れた野坂、紺野、志田らはこの第1勝漁丸で中国から日本に運ばれてきたものと当局は見ているとのことでした。
この検挙の端緒は、警視庁が日本共産党の追放幹部を捜査中、その追放幹部のレポに元船員が多いところから“人民艦隊”の活動と、その乗組員グループの存在をキャッチ、第1勝漁丸が捜査線上に浮かんできたもの。第1勝漁丸は昭和31(1956)年の秋には「任務」を解かれ、乗組員は陸上の党機関に移ったり、一般商社の貨物船に乗り込んでいたということです。
また報道では同22日午後、日本共産党中央委員会常任幹部会は「22日警視庁公安1課は党の幹部が出入国管理令に違反したと称し、多数の善良な市民諸君をほう助罪で逮捕した。これは総選挙を間近に控えて、わが党と人民大衆との間を離間しようとする破壊活動である。わが党は岸反動政府に対し厳重に抗議する」という抗議声明を出した旨も掲載しています。
この第1勝漁丸に関しては同22日夜には愛知県で元甲板長が逮捕され、翌月の4月3日には福岡県で元甲板員が、4月6日には神奈川県で元機関士が相次いで逮捕され計13名の逮捕者を出しました。この取調べから4月12日、警視庁公安1課は最高責任者とみられる日本共産党中央委員、書記局員・岡田文吉、同元海上オルグ、中国地方委員、海事検定協会横浜支部検定員・谷水清、元日共北九州地区委員長・渡辺武、同長崎県ビューローキャップ、千葉ゴム産業経理部長・古庄邦三の4人を出入国管理令違反の疑いで逮捕するとともに自宅等14カ所を一斉家宅捜索しました。また両国はじめ5カ所の郵便局の関係郵便物を差し押さえています。同日午前、袴田里見、西沢隆二、岩間栄一、青柳盛雄らが警視庁を訪れ、三井公安1課長に対し「今回の手入れは当局のデッチ上げであり、岡田の逮捕は選挙妨害である」など数項目にわたり厳重抗議しました。
4月12日、警視庁は第1勝漁丸の乗組員を取調べた結果、昭和27(1952)年1月び北海道札幌市内で当時、札幌市警の警備課長だった白鳥一雄警部(当時36)が帰宅途中、後ろから短銃で射殺されたいわゆる「白鳥事件」に関して、事件の関係者として全国指名手配中の日本共産党元札幌中核自衛隊員・佐藤博(34)、同門脇戌(27)、同大林昇(30)、党員・桂川良伸(26)の4人を昭和30(1955)年春と秋の2回にかけて、第1勝漁丸で中国に脱出させた事実を確認したと12日発表しました。
4月14日、警視庁は日本共産党によるいわゆる「人民艦隊事件」に関して、日本共産党の関係者ばかりでなく、日本に潜入していた北朝鮮の工作員も国外に脱出させていたことを確認した旨の報道記事が出ました。それによると第1勝漁丸の僚船・第8明栄丸(35.5トン)は昭和32(1957)年8月から9月にかけて日本と北朝鮮の間をを往復した際、北朝鮮のスパイ・青木こと李京春(朝鮮人民共和国労働党幹部)を北鮮に脱出させたというもので、第8明栄丸は李京春を脱出させた功績で北朝鮮政府から賞与を受けたとされているといいます。
また警視庁が昭和28(1953)年に手入れした“北鮮第1次スパイ事件”の大物・朴石鼓少佐を神戸から北鮮へ逃がしたのをはじめ、去る2月20、神奈川県警に捕まった元日共幹部、民対指導部キャップ・李太宇こと金忠権(38)の数回にわたる北鮮密航を助けたのも“人民艦隊”のグループであるとされており、この「人民艦隊」とされる漁船や運搬船、16隻の船名も明らかにしています。
この年4月19日、日本共産党中央委員、常任幹部会員・紺野与次郎(48)、同西沢隆二(54)の両が「検疫法」違反容疑ならびに「出入国管理令」違反事件の参考人として警視庁公安1課の取調べに任意で応じましたが、終始「黙秘権」を行使しています。4月22日、警視庁公安1課は東京都北区西ヶ原、日本共産党本部家族対策キャップ・杉本ハマ(38)を出入国管理令違反ほう助の疑いで逮捕、同人宅と大田区入新井、中野区立第9中学校教諭・穴沢勝(31)、墨田区吾嬬町、ハマの実兄・臼井麿枝(40)宅の3カ所を家宅捜索しました。
杉本ハマは前衛画家・杉本博さんの妻で、人民艦隊事件では中国への渡航者のアジト設定、レポ、第1勝漁丸船員の留守家族救援活動を行っており、今度逮捕された容疑は昭和30(1955)年6月、第1勝漁丸の第二回中共渡航の際、“氏名不詳”の日本人夫婦ら数人の渡航準備を手伝ったものとされ、家宅捜索を受けた穴沢、臼井宅は「渡航者の分宿所にあてられていた」とされています。また同日午後、日本共産党中央委員・河田賢治(58)、同常任幹部会員・袴田里見(55)、同調査部員・安斎庫治(52)の3人が検疫法違反の疑い、ならびに出入国管理令違反事件の参考人として警視庁公安1課に任意出頭して取調べを受けましたが3人はいずれも黙秘権を行使しています。
5月20日、警視庁公安3課は北朝鮮の麻薬密輸団の拠点とされる東京都墨田区大平町の美容室経営者、忠原むめおこと李和恵(40)を麻薬取締法違反の疑いで逮捕し、さらにその調べから韓国系を装った麻薬密売による資金工作に関わっていた密入国北鮮人グループの存在をつかみ、27日早朝、北多摩郡国立町東区、黒住三郎こと朝鮮人、李玩春(33)、東京都渋谷区千駄ヶ谷、野々宮健友こと朱珍基(44)の2人を逮捕、家宅捜索して一味のレポ文書など証拠文書を押収しました。この手入れにより当局は密輸団が北鮮政府派遣の政治工作員と密接な関係を持っていた確証を握ったとしています。
同課の調べによると忠原は昭和32(1957)年6月から11月まで密輸団の首領、李壮烈(35)に自宅をアジトとして提供し、李はここを密売ルートの根城として「赤ネタ」といわれる未精製ヘロインを都内、横浜、阪神、中国、北九州の各地に売りさばき、同課で判っただけでも2キロ(1グラム約1万円)にのぼる麻薬が美容室に隠匿され、その一部を忠原自身も李○満(既検挙)らを通じ密売していました。
忠原はこの美容室を昭和28(1953)年7月から経営し、表向きは普通の美容店のように装っていましたが、実態は北朝鮮の対日工作の拠点としていたもので、当局では北鮮スパイ団の大物である元日共幹部、民対指導部キャップ、李太宇こと金忠権(38)と関係の深い北鮮政府派遣の政治工作員・某が同所に出入りしていたことを確認していたといいます。また同じく工作員の高某もここに潜伏し、北朝鮮に脱出するなど、同美容室は北朝鮮の対日工作の拠点となっていました。
6月18日、警視庁公安3課は山口県下関市と広島県呉市で日本と北朝鮮間の密航などを手伝っていた第2吉栄丸(30トン)を摘発し、同船船主ら船員など4人を関税法違反容疑で逮捕、取調べを行うと同時に、北朝鮮政府が偽造した韓国の出国証明書など連絡文書多数を押収しました。公安3課の調べによると、さきに麻薬取締法違反容疑で逮捕した北鮮の対日工作員・李壮烈(35)の取調べから判ったもので、李は昭和32(1957)年4月23日、第2吉栄丸を船主から20万円でチャーター契約し、同月25日、山口県萩港を出港、北鮮興南港に入港、6月10日に韓国注文津港からのニセ出港証明書をもって同13日、北松浦郡生月港に帰港したもので、この際、李は多量のヘロインを北朝鮮から持ち帰り約2ポンドを東京、横浜方面で密売、対日工作資金の一部にしていたということです。
また同課ではこの麻薬の密売先として、さきに検挙した前述李和恵(40)の手先である東京都中野区本町通、朝鮮人・徐丙俊(32)、埼玉県北足立郡足立町字志木、同・金徹(44)を逮捕しました。同人らは李和恵から受け取ったヘロイン75グラムを新宿、朝霞などで夜の女たちなど麻薬の末端密売者に流していたということです。
昭和33(1958)年12月22日、東京地裁で人民艦隊事件の第1勝漁丸関連の裁判が初公判を迎えました。罪状は「白鳥事件」の容疑者、元札幌軍事委・中核自衛隊員・大林昴(30)ら4人を同艦隊の第一勝漁丸(34.6トン)で中共へ密出国させた密出国ほう助罪で、罪状認否では殆どの被告が起訴事実を否認したのに対し1名だけが起訴事実を認め注目されました。
初公判から約1年3か月後の昭和35(1960)年3月31日、13被告に「無罪」の判決が下されました。無罪の理由は「この事件の本筋である密出国者がはっきりしないのに、その出国を助けた“補助役”だけを処罰するのには証拠が不十分」というもので、要するに白鳥事件の容疑者を中国まで運んだ件について「供述しているのは2名だけで、その供述も疑わしい…」というのが判決の要旨でした。この判決に対して検察側は控訴を検討したものの、結局控訴を断念し最終的に「無罪」が確定しました。
最初に「この事件は避けて通れない…」と書いたのは裁判の結果がどうあれ、当時の警察による捜査の過程で北朝鮮の工作員も運んでいたという事実や、麻薬などの密輸、新たに建造した船が「漁船にはふさわしくない120馬力…」の性能を持っていたことなどと合わせ、日本国内で摘発された北朝鮮関係の事件のいくつかがこの人民艦隊事件の関係者とも関連性を持つことなどが報道記事を見ていく中で次々と浮上し、終戦間もない時期から北朝鮮側に協力していたということでした。
過去の事件を掘り返していくと、私たちが想像する以上に北朝鮮による日本への潜入などは日本側の協力によって基盤が作られていたとも思えます。日本人を北朝鮮に連れ出すのも日本側の協力者がいれば簡単だったであろうと推測できます。
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参考記事
◆読売新聞 1952(昭和27)年5月7日 夕刊
追放幹部も関係か - 中共密航 取調べの山本検事発表
【門司発】
下関の中共向け密出国未遂事件につき山口地検下関支部山本検事は7日朝、次のような見解を発表した。
① 密出国の目的は現在の捜査段階では北京メーデー参加と中共労働運動の視察にあると思われ、とくに重要な使命は持っていないようだ。
② 容疑者はいずれも日共党員で、追放8幹部と接近している者もあると考えられる。
③ 彼らがそれぞれの家を出てから検挙されるまで約半月間を経ているが、なお所持金は多いもので1人40万円も所持している点からみて、中共との連絡による計画的密航と考えられる。
④ 彼らが乗船予定の白山丸は逃走したと思われるが、先に中共側に拿捕された福岡市広田漁業の漁船・第三白山丸ではないかと思われる。
なお、既報10名中、7日朝までに氏名年齢の確認されたもの次の通り。
▽関谷幸雄(20歳位)こと鈴木登・東京都全日本出版労組
▽藤川一栄(28歳)会社員 ・ 東京日本映画サークル協会
▽和田幸男(40歳位)東京日本映画サークル
▽山崎幸夫(25歳)こと渡辺享、狩野隆・国鉄吹田操車場勤務
また、推定される者に
▽大和田三郎(21歳)工員・東京都世田谷区世田谷5-514がある。
◆読売新聞 1952(昭和27)年5月8日 朝刊
周到な計画 密航一味自供
【門司発】
下関市警が逮捕、6日夜11時半、出入国管理法違反容疑で書類送検された日共党員16名の密出国事件について同署では7日も密航の背後関係に重点をおいて追及を続けているが、同日午後、一味のうち高松労組第一渋長・串田花王丸(40)元日共門司地区委員長・長江副誠二(34)は、密航計画の一端を自供した。
それによると一味は5月3日の博多ドンタク祭りの混雑に紛れて博多港から出港の計画で準備を進めたが、船の都合で延びたらしく、この計画は元日共門司地区委員長・井上誠二を中心に下関日共海上突撃隊によって周到に進められ、密航船も下関―上海、博多―上海、佐世保―鹿児島―沖縄など関門、九州各港のコースが研究討議されたもので問題の白山丸の船長・小緑朝祐(27)は約1ヶ月前から下関市大和町市厚生会館に泊り海上突撃隊と数回にわたって密会し、4月末には江副とも会っている事実が判明した。
◆読売新聞 1957(昭和32)年12月2日 夕刊記事
北鮮密航グループ手入れ 17人の逮捕開始 全国37か所を捜索
警察庁ではかねてから日本―北鮮を結ぶ密航、密易グループの究明を全国の警察に指示していたが、このほどその一端をつかんだので2日朝海上保安庁と協力、大阪、京都をはじめ新潟、山口、鳥取、島根、兵庫、広島、愛媛など各県警を動員、各地のアジト37か所を出入国管理令、外国為替および外国貿易管理法、関税法違反の疑いで一斉に捜索、関係者17人の逮捕に乗り出し、正午現在までに12人を逮捕した。
“漁船10数隻使う” 日共党員ら30余人運ぶ
同庁はこのグループについては2年間にわたり追及していたが、去る11月14日山口県警が栄漁丸(17.8トン)の船員大津栄三(29)ほか1人を出入国管令、船員船舶法違反で検挙、取調べた結果、
① 大津ら5人は去る2月23日北鮮の新甫から昇運丸(29トン)で島根県に密入国した。
② 大津らは去る7月13日北鮮の新甫から日共の袴田里見常任幹部会員、河田賢治中央委員を栄漁丸で兵庫県
の香住港に上陸させた。
③ 使用した船はいずれも漁船で山口県下の西徳丸、昇運丸、丸美丸、栄漁丸のほか10数隻にのぼっている。
④ この組織は常習的に北鮮―日本間を往復、日共非合法財政組織に一役買い北鮮、中共からの資金、指令の提供に関係し日共秘密党員や北鮮労働党工作員を今まで3、40人運んでいた。
⑤ 密航のほか密易も手がけ、1往復700万―2000万円の荒稼ぎをやり、その総額は数億円にのぼるものと推定されている。
など事件の輪郭が判明したため、こんどの手入れとなったものである。
主な捜索個所は次の通り。
▽ 警察庁関係=
大阪市東成区深江中4-26 「向陽産業」会社、
大阪市生野区生野2-73 西日本民対キャップ 陳東武(32)
大阪市東成区中道広町2-12 朝総連大阪府本部副社会部長 鄭時斗(29)
京都市左京区田中里之内町11-3 「向陽産業」社長 呂鉆祚(36)
▽ 海上保安庁関係=
尼崎市広浜町4-13 元「太陽交易」監査役 金海順(41)
神戸市長田区 元会社重役 白石正一(50)
“袴田、河田(日共)両氏呼ぶ” 7月に来た鮮から密航の疑い
警視庁公安3課では2日朝、日共幹部袴田里見常任幹部会員、河田賢治中央委員に対して出入国管理令違反事件の参考人として任意出頭を求めた。両氏は午後3時に出頭すると党本部ではいっている。
当局の調べによると既に逮捕された別稿の栄漁丸船員 大津栄三(29)らの自供によるもので、山口県警と警視庁で対策を協議し公安3課が調べることになったもの。
当局としては両氏の帰国ルートについてはわかったが出入管令は26年10月に施行され、それ以前の占領法規では日本人の密入国について取り締まっていたが同令では日本人の入国については取締りの条項はないので出国の時期が施行後か、それ以前のものか不明のため逮捕状の請求はしていない。
◆読売新聞 1957.12.4
「北鮮密輸の1人逮捕」
【門司発】
門司海上保安部はかねて第5管区海上保安本部(神戸)からの手配で日共の北鮮密輸組織で活躍した1人として捜査中だった下関市大坪町、機帆船・昇運丸の乗組員・川口繁喜(32)を3日夜10時、自宅に帰ったところを関税法、出入国管理令違反容疑で逮捕した。
川口は日本共産党下関地区海上オルグ・大津幸三(逮捕済み)とともに日共の北鮮ルートに使われた昇運丸に乗り込み、前後数回にわたって日本と北鮮間を往復、日共幹部・袴田、里見氏らを運ぶなど密輸に協力した疑い。
◆読売新聞 1957(昭和32)年12月23日 夕刊記事
手配の趙を逮捕 北鮮密航事件を追及
日本―北鮮を結ぶ密航ルートを追及している警察庁、山口、愛媛県警はさる21日、東京都新宿区信濃町25 朝総連内朝鮮劇団事務局長 元日共民族対策部幹部 李太宇こと金忠権(38)と同部員 趙鐘培(29)の2人を出入国管理令違反容疑で全国に指名手配していたが、23日午前9時すぎ趙を宇都宮市江野3112さきで山口、栃木両県警係員が逮捕した。
調べによると趙はさる30年11月1日北鮮に密航するため鳥取県網代港を出港、同県境港、浜田港などを回航、12月1日 第3大竹丸で金とともに下関港から北鮮へむけ出国、31年1月21日愛媛県八幡浜港に密入国したもの。趙は北鮮スパイ事件にも重要関連のあった人物で、対日工作員と当局ではみている。趙は宇都宮市内に自宅を新築中だった。
◆読売新聞 1957(昭和32)年12月23日 夕刊記事
“逃走の元日共委員ら捕わる” 官庁の経済関係スパイ?
警視庁公安1課では23日までに鎌倉市乱橋材木座492 日本興信所代表 汐見石太郎(55)を犯人隠匿容疑で、同人方 元日共関西地方委員、日共党員 山下義雄こと堀江壮一(51)を東京地検の強盗罪による収監状でそれぞれ逮捕した。
調べによると堀江は25年8月大阪市曽根崎町の大阪出版販売会社、桜橋書店の労働争議の際に両社の帳簿、書籍などを強奪し26年3月大阪地裁から強盗罪で懲役2年半の判決を受け、その後28年2月最高裁で上告棄却となり刑が確定してからも保釈のまま逃走、汐見方に身を寄せていたもので、来年2月5日には時効だった。
同課では堀江が経済関係の官庁、重要産業の日共オルグと連絡、地下活動をしていたので内偵したところ逃走中の犯人と判明。
汐見方を家宅捜索したところ官庁の機密書類が多数発見されたのでこれを提供した関係官庁の係官を公務員法違反で捜査している。
◆読売新聞 1958(昭和33)年1月30日 夕刊記事
日共の北鮮ルート急襲 20数か所捜索 党員ら10人逮捕
海上保安庁では30日午前7時を期し第6管区海上保安本部を中心とした在日朝鮮人を含む日共党員の北鮮との密輸グループについて一斉手入れを行ったが、同正午 首謀者とみられる日共党員 芝村憲三(30)(大阪市西成区津守町)ら党員5人を含む10人を外国為替、外国貿易管理法、関税法、検疫法等違反容疑で逮捕、東京、大阪、下関、門司、厳原、愛媛など20数ヶ所を捜索したと発表した。
当局の調べでは、この事件は昨年12月2日検挙した昇運丸、第3大黒丸事件と同様、容疑者たちが31年12月ごろから吉祥丸(51.46トン)、第6金比羅丸(49.3トン)、第8明栄丸(35.56トン)などの小型船を使用、表面は日本と韓国間の合法貿易を装いながら北鮮に船を回し密貿易をしていたもの。特に注目されるのは、北鮮の対日工作員を日本から脱出させるなど秘密連絡にあたっていた疑いがある。この事件は日共指揮のもとに“海上区常任”として活躍した同党員が主力となってこれらの船に乗組み、北鮮の某有力対日工作員の国外脱出にあたっては船長以下の乗組員全部を日共党員でかため、送還したりしていた。このため北鮮当局はその役割を高く評価していたという。
逮捕者は次の通り。
【第8明栄丸】関係
日共党員・村上義明(28) 愛媛県越智郡下田水3739
日共党員・神野朝次(29) 愛媛県新居浜市金子乙1378
【吉祥丸】関係
日共党員・芝村憲三(30) 大阪府大阪市西成区津守町
金秉洙(38) 山口県下関市彦島
康巳善(36) 長崎県上県郡上対馬
梁正吉(38) 長崎県上県郡上対馬
【第6金比羅丸】関係
平山禎造(53) 山口県下関市竹崎町
江口亀夫(29) 山口県下関市大和町
日共党員・頼木 伝(39) 福岡県若松市浜5番町5
日共党員・武田博文(27) 大阪府大阪市港区八幡屋松野町2-20
◆読売新聞 1958.3.22
「日共の“人民艦隊”手入れー元船長ら10人捕るー“赤い密航路”の第1勝漁丸」
警視庁公安部は静岡、千葉両県警と協力、かねてから日本―中共を結ぶ日共の海上オルグ“人民艦隊”の実態について内偵していたが、このほどその一端をつかんだので22日朝宮城、栃木、長野、愛媛、神奈川など各県警の応援を得て、同組織の有力船として活躍していた「第1勝漁丸」の元船長はじめ乗組員10人を出入国管理令違反の疑いで一斉検挙するとともに、これらの自宅、アジトなど全国で37カ所を家宅捜索した。
このグループは一時潜行していた日共幹部の野坂、志田、紺野氏らを中共から日本に運んだものとみられ、この捜査によって当時の日共の密出入国秘密ルートの全容が明らかになるものとみられる。
野坂氏らも運ぶ? 中共へ数回往復の専用船
当局の調べによると日共は25年6月、徳田、野坂氏ら中央委員が追放されたあと、しばらくの間小型漁船などを利用してこれらの幹部を国外へ脱出させ、あるいは中共、北鮮などから帰国潜入させていたといわれるが、当局の追及が厳しくなったので党専用の海外秘密連絡船が必要となった。この結果“人民艦隊”と呼ぶ小型船数隻を約1000万円で建造、漁船や運搬船にカムフラージュして密出入国に関わっていた。
元全労連幹部・金子健太、元全逓委員長・土橋一吉、日共中央委員・河田賢治氏らが海外に潜行した密出入国はすべてこれら“人民艦隊”の手によるもので、今度の「第1勝漁丸」はその代表的なものだと当局ではいっている。同船はみかけは普通の漁船と変わりないが、漁船にはふさわしくない120馬力という強力なエンジンを持ち、優秀な無線通信機を備えていた。乗組員は伊藤船長以下15人でみな党員、うち数人は他人の名をかたって船員手帳を不正入手していた。
同船は30年春、日共が静岡県伊東港で建造、31年秋ごろまで同港や焼津港を基地として数回、中共との間を往復、日共党員、オルグを輸送していたものとみられ、特に30年8月11日、日本青年館で開かれた日共の政策発表演説会に突然現れた野坂、紺野、志田氏らはこの第1勝漁丸で中共から日本に運ばれてきたものと当局は見ている。この手入れの糸口は警視庁が追放幹部を捜査中、その追放幹部のレポに元船員が多いところから“人民艦隊”の活動と、その乗組員グループの存在をキャッチ、第1勝漁丸が捜査線上に浮かんできたものである。
同船は31年秋、任務を解かれ、乗組員は陸上の党機関に移ったり、一般商社の貨物船に乗り込んでいた。
この事件に関する検挙者氏名次のとおり。
▽千葉県館山市館山14-3 元第1勝漁丸船主、船長・伊藤勝志(46)
▽神奈川県相模原市清兵衛新田157-3, 元同船甲板員・富樫繁夫(33)
▽東京都北区十条仲原1-7 同日共中央海上オルグ・前谷寅男(31)
▽東京都江東区北砂町5-824 福井荘内 日共中央海上オルグ・冨永慈郎(30)
▽栃木県下都賀郡大平村富田1471 同日共神戸市委員・藤本治郎(33)
▽愛媛県新居浜市金子乙138 同神野朝二(29)
▽長野県松本市上土町7 中信地区委員会内機関員・日共愛知県財政部長・小川原朝次(34)
▽神奈川県川崎市溝ノ口下作延340 無線長・日共宮城県オルグ・遠藤敬吾(37)
▽愛媛県越智郡吉海町名甲3739 機関士・村上義明(27)
▽神奈川県横浜市南区三春台33 甲板長・日共愛知県東三河地区委員・鈴木登(33)
党から家屋提供か 立山の伊藤元船長の家
【千葉発】
第1勝漁丸の船長兼船主の伊藤勝志(46)は宮城県桃生郡生まれ、小学校卒業後すぐ船員となったが昭和16年、船舶兵として応召、17年サイゴンで除隊後輸送船乗組員として終戦まで働いていた。
23年帰国、石巻市の市営住宅に住んだが病弱で一時は民生委員の世話になった。29年末、同市から焼津市小浜に移ったが、このころから日共と関係が出来たものとみられ、31年1月以降館山市に移った。この時には立派な家に住み、捜査本部では同家屋は党から提供を受けたものとみている。
日共 抗議声明
人民艦隊の摘発について日共中央委員会常任幹部会は22日午後、次のような声明を発表した。
「22日警視庁公安1課は党の幹部が出入国管理令に違反したと称し、多数の善良な市民諸君をほう助罪で逮捕した。これは総選挙を間近に控えて、わが党と人民大衆との間を離間しようとする破壊活動である。わが党は岸反動政府に対し厳重に抗議する」
◆読売新聞 1958.3.23
「さらに1人逮捕、日共の人民艦隊」
日共の人民艦隊摘発に乗り出した警視庁公安部は22日朝の一斉検挙に続き、同夜さらに愛知県警と協力、愛知県西尾道市道光寺天皇下10、元「第1勝漁丸」甲板長・可児登志夫(30)を出入国管理令違反の疑いで逮捕。同事件の逮捕者はこれで11人となった。
◆読売新聞 1958.4.4
「さらに元甲板員逮捕-日共の人民艦隊事件」
日共の“人民艦隊”を追及中の警視庁公安部は福岡県警と協力、3日昼、元第1勝漁丸甲板員・宮地哲士郎(29)を出入国管理令違反の疑いで逮捕した。同人は31年秋ごろまで兵庫県海上オルグ、横浜地区海上オルグを経て日共所属の第1勝漁丸に甲板員として乗り込み、中共、日本を往復したもの。その後、国光汽船珠島丸船員として勤務。
◆読売新聞 1958.4.6
「さらに元機関士逮捕-日共“人民艦隊”事件」
日共の“人民艦隊”を追及中の警視庁公安部では愛知県警と協力、6日朝、第1勝漁丸機関士・神原秀雄(29、横浜市鶴見区平安町1-9)を出入国管理令違反の疑いで逮捕した。同人はさる30年ごろ日共所属の第1勝漁丸に乗組んでいたもので、現在林兼株式会社所属・第32播州丸2等機関士をつとめ、シンガポール、上海を回り同日朝8時半、名古屋港に入港したところを逮捕されたもの。
◆読売新聞 1958.4.12
「日共人民艦隊の指揮者逮捕-岡田中央委員ら4党員-トラック部隊と関連か」
日共“人民艦隊”の摘発に乗り出した経緯士長公安1課は、さきに逮捕した日共の密航専用船、第1勝漁丸(34.6トン)船長・伊藤勝志(46)はじめ乗組員13人の取調べから“人民艦隊”による対外秘密連絡の計画指令系統をつかんだので12日朝、その最高責任者とみられる日共中央委員、書記局員・岡田文吉(56、東京都渋谷区千駄ヶ谷4-823)、日共元海上オルグ、中国地方委員、海事検定協会横浜支部検定員・谷水清(36、大田区新井宿6-655)、元日共北九州地区委員長・渡辺武(43、文京区林町84)、日共長崎県ビューローキャップ、千葉ゴム産業経理部長・古庄邦三(43、中央区日本橋両国38,千葉ゴム産業内)の4人を出入国管理令違反の疑いで逮捕するとともに自宅等14カ所を一斉家宅捜索し、また両国はじめ5カ所の郵便局の関係郵便物を差し押さえた。
逮捕された岡田文吉は当局が昨年夏以来追及中のトラック部隊のリーダーとみられているだけに人民艦隊、官庁スパイ事件の捜査とともに全国のトラック部隊を指揮していた日共中央部摘発の重要な足掛かりとして追及を進めるものとみられる。
同課の調べによると岡田は30年春から31年春にかけて日共の対外秘密連絡の最高責任者となり古庄、渡辺はその参謀格だった。3人はしばしば都内で会合を持ち、第1勝漁丸の伊藤船長を招いて党の重要人物の密航について指示を与え、また谷水はこの指令によって密航者を党機関から預かり、勝漁丸が停泊していた静岡県焼津港まで案内した。当局が確認しただけでも30年春から1年間にわたり中共―日本の密航ルートを4回往復、10数人を中共に送り、10人を日本に上陸させている。
これら密航した人物が誰であるかは当局でもまだつかんでいないが、同船が30年11月中旬、中共の呉淞港に4人を密航させた際は女1人がふくまれていたという。
岡田中央委員に対する逮捕状は11日夜出され、警視庁公安1課員2人が居宅に張り込んだ。岡田宅は薬局を経営しているが12日午前3時半ごろ岡田が現れ路地に消えると、入れ違いに4人の屈強な男が店に入り、風呂敷包みのようなものを抱いて岡田の後に続いた。張込み員が逮捕しようと追跡したときは岡田らは待たせていた乗用車で逃げてしまった。
同6時半、当局は家宅捜索だけ行うため、岡田宅に赴いたが、隣家の日共中央委員・松本一三氏や岩田英一、谷村直雄氏らが現れ捜索令状に書かれた岡田宅の番地が「渋谷区千駄ヶ谷4-82」となっており、末尾の「3」の数字が落ちていたのを指摘して抗議、2時間にわたってすったもんだのあげく、結局当局が折れて係官が逮捕令状の書き換えに引揚げた。ところが皮肉にもその直後の同8時半ごろ岡田はタクシーで帰宅した。
“岡田帰宅”の報告に当局は慌ててとって返し、同9時35分自宅で逮捕状を執行した。岡田は令状の容疑内容を付き添ってきた弁護士・青柳盛雄氏ら党関係者とゆっくり読み下したのち警視庁に連行された。つめかけた報道陣に対し「こんどの検挙は選挙を前にした当局の陰謀だ。逮捕状には30年11月、氏名不詳の男3人、女1人を呉淞に送った密出国容疑とあるが、当時第1勝漁丸は日本海で操業しており、いくらでも反証をあげることができる」と語った。
◆読売新聞 1958.4.13
「社会・文化:日共手入れ、人民艦隊・官庁スパイ」
警視庁公安1課は11日、日共の“官庁スパイ事件”で経済企画庁総合計画局計画官・林裕次郎(41)、同局専門調査員・矢島不二男(33)、農林省愛知用水公団監理官補佐・早野正夫(45)、大蔵省管財局管理課・小林昭治(30)の4人を国家公務員法違反の疑いで逮捕、さらに翌12日“人民艦隊”“の最高責任者とみられる日共中央委員、書記局員・岡田文吉(56)、元中国地方委員、同海上オルグ、海事検定協会横浜支部検定員・谷水清(36)、元北九州地区委員長・渡辺武(43)、長崎県ビューローキャップ、千葉ゴム産業経理部長・古庄邦三(43)の4人を出入国管理令違反容疑で逮捕、それぞれ自宅、役所などの関係場所の家宅捜索を行った。
官庁スパイは昨年暮れ逮捕された元日共関西地方委員・堀江壮一(51)に「公務員として知りえた」秘密情報を流していたもので、とくに林は30年5月、経済産業長の調査官時代、日比賠償のリストなどの外交機密をもらしていたという。また人民艦隊のグループはさきに摘発された非合法資金獲得のトラック部隊ともかんれんがあるものとして追及している。
◆読売新聞 1958.4.14
「人民艦隊は16隻-当局、資金面の証拠もつかむ」
人民艦隊の“旗艦”ともいえる第1勝漁丸は当局の捜査によって4回にわたる中共密航で往路、白鳥事件主犯・佐藤博ら9人ないし11人、帰路、野坂氏ら4人の重要人物を運んだことが明らかになったが、当局ではこうした日共の対外秘密連絡の任務をおびた“人民艦隊”は25年ごろから16隻にのぼっているとみている。
このうち第1勝漁丸グループの最高責任者は岡田中央委員で、資金担当のリーダーは12日の朝、岡田とともに逮捕された日共長崎県ビューローキャップ、千葉ゴム産業会社経理部長・古庄邦三(43)であるとみている。
古庄は当局が捜査中の日共非合法財政組織“トラック部隊”のメンバーであり、30年10月トラック部隊第2隊長、長橋正太郎(中共へ密出国)が乗っ取った千葉ゴム産業に経理部長として送り込まれ、その収奪資金を“艦隊”の直接の会計責任者・宮地鉄士郎(29、既逮捕)に渡していたという。
当局では“人民艦隊”の資金面と党中央を結ぶ事実を裏付ける証拠として32年6月、第1勝漁丸操機長・小原茂氏(30)が病死した際、同人の実家に送られてきた党中央委員会名義の見舞金の現金書留封書、香典の包み及び党の「病死をいたずらに任務の過剰という理由にするのは誤りだが、党機関が下部の保健に留意しなかったことは認める」との批判書など多数の有力証拠を押収しているという。
野坂氏ら近く喚問-便乗を確認
日共の“人民艦隊”事件を追及中の警視庁公安1課は日共の密航専用船だった第1勝漁丸(34.6トン)を利用して日本―中共間を密出入国した人物の割出しを急いでいたが、13日までに日共第1書記・野坂参三(66)、同中央委員、常任幹部会員・紺野与次郎(48)、同・西沢隆二(54)、同調査部員・安斎庫治(52)の4氏が同船で中共から帰国したことを確認、近く4氏の任意出頭を求め参考人として事情を聞くことになった。またこれまでの乗組員の取調べなどから同船の運営資金面や4回にわたる密航の模様などもほぼ明らかになった。
同課の調べによると第1勝漁丸は初航の30年4月中旬、白鳥事件の容疑者・佐藤博、門脇成を乗せて静岡県焼津港を出港、1週間後上海呉淞(ウースン)港に入ったが、帰航の際紺野、西沢両氏を乗せて5月中旬焼津港に帰ってきた。両氏はテク組織(党幹部防衛の秘密組織)の出迎えを待ちくたびれて指令を待たず国鉄で東京御徒町駅までゆき姿を消した。(のちに両氏のこの単独行動は人民艦隊の最高責任者である岡田文吉中央委員=12日逮捕=から責められ2人は自己批判したといわれる)
また同年6月から7月下旬にかけての第2航では往路2人あるいは4人(うち1人は軍事委員とみられる)の人物を運び、帰りは同じく呉淞港から野坂、安斎両氏を乗せた。
2人は船員が宿泊していた上海の宿舎にあらわれて挨拶し、出港の際は中共の警備艇に上海沖の花鳥山灯台まで見送られた。船が静岡県伊東港に着くと両氏は船内で着ていた作業服をぬぎ、中共から持ってきた背広に着替えて上陸、出迎えの高級車に乗り東京方面に向かったという。当局では野坂氏はその直後の7月25日に開かれた6全協に出席したものとみている。
同年11月初旬から12月初旬にかけての第3航では白鳥事件容疑者・大林昇、桂川良伸のほか男1人、女1人を乗密出国させているが、帰りに人を預かってきたかどうかはいまのところ不明である。
さらに第4航の31年3月から4月にかけては同船運営面の指導部員で、乗組員でもある糸川渉(28)(三重県尾鷲市曽根町56)を上海に残してきた。
糸川は仲間の乗組員たちに「帰ったらしっかりやれ」と激励していたという。当局では野坂氏らが日本を脱出したのは25年6月のマ司令部追放指令後間もなくのこととみており、当時の密出国取締りのポツダム政令は失効しているため、密出国については刑事責任は不問となるが、検疫法第5条にふれるので、もし参考人としての出頭要求を拒んだ場合は同条を適用する意向のようである。
警視庁・三井公安1課長談
「野坂氏ら4氏はいずれ事件の参考人および検疫法違反の容疑者として事情を聞くつもりだが、いまのところ逮捕状の執行は考えていない」
デッチあげだ-紺野氏語る
“人民艦隊”で当局に名前を挙げられた1人、日共中央委員、常任幹部会員・紺野与次郎氏(48、東京都世田谷区3-2091)は13日の夜自宅で「いっさいは当局のデッチあげだ」と次のように語った。
「第1勝漁丸などという船は見たことも聞いたこともない。国会解散を前に、国民の注意をもっと重要なことからそらすために、一連の反共デモを当局が作り出したとボクは考えている。すべてネツ造ですよ」
◆読売新聞 1958(昭和33)年4月15日 朝刊記事
北鮮スパイも運ぶ 人民艦隊
日共の“人民艦隊”事件を追及中の警視庁公安1課は16隻にのぼる“艦隊”の行動を調べていたが、14日これらの密航船が党関係者ばかりでなく、日本に潜入した北鮮の特殊工作員を国外に脱出させていたことを確認、北鮮スパイと“人民艦隊”の結びつきが明らかになった。
同課の調べによると第1勝漁丸の僚船・第8明栄丸(35.5トン)は昨年8月から9月にかけて北鮮を往復、この際北鮮スパイ・青木こと李京春(朝鮮人民共和国労働党幹部)を北鮮に脱出させた。また警視庁が28年手入れした北鮮第1次スパイの大物・朴石鼓少佐を神戸から北鮮へ逃がしたのをはじめ去る2月20、神奈川県警に捕まった元日共幹部、民対指導部キャップ・李太宇こと金忠権(38)の数回にわたる北鮮密航を助けたのも“人民艦隊”のグループである。ことに第8明栄丸は李京春を脱出させた功績で平壌政府から賞与を受けたといわれている。
いままで判明した16隻の“艦隊”は
①千代丸
②源丸
③日進丸
④祝丸
⑤第3惣開丸
⑥常晴丸
⑦第3高浜丸
⑧喜九丸
⑨栄漁丸
⑩吉祥丸
⑪琴平丸
⑫第8明栄丸
⑬第6品栄丸
⑭太陽丸
⑮第1勝漁丸
⑯幸福丸
で、いずれも10トンから35トン程度の漁船または運搬船。千代丸は鹿児島港から元全労連幹部・金子健太氏、日進丸は長崎港から前進座俳優・中村翫右衛門丈、元産別副議長・亀田東伍氏を中共に運び、第3高浜丸は日共“トラック部隊”初代キャップ・大村英之助(52)を中共から、栄漁丸は日共中央委員・袴田里見、同河田賢治の両氏を北鮮から日本に運んだことを確認。
◆読売新聞 1958.4.19
「紺野、西沢両氏が出頭-人民艦隊の密入国に黙秘権」
日共中央委員、常任幹部会員・紺野与次郎(48)、同西沢隆二(54)の両氏は19日午前8時半、検疫法違反容疑ならびに出入国管理令違反事件の参考人として警視庁公安1課に任意出頭し渡部係長、三栖警部の取調べを受けた。両氏はいずれも黙秘権を行使し、同11時取調べを終わって引揚げた。
同課の調べによると両氏は去る30年5月“人民艦隊”の第1勝漁丸で中共から帰国したが、この際、検疫法第5条に違反したという疑いで18日出頭を求められていた。同課では近く同じ容疑で野坂第1書記も参考人として出頭を求める方針だという。
紺野与次郎氏談
「第1勝漁丸の件については何も知らないので供述を拒否した。すべては当局のデッチ上げで、警視庁の係官は上層部のファッショ化の意図も知らずわれわれを弾圧しているのだ」
◆読売新聞 1958.4.22
「密航のアジトを作る-人民艦隊 女キャップを逮捕」
日共の“人民艦隊”事件を追及中の警視庁公安1課は22日午前7時、東京都北区西ヶ原1-48、党本部家族対策キャップ・杉本ハマ(38)を出入国管理令違反ほう助の疑いで逮捕、同人宅と大田区入新井4-58、中野区立第9中学校教諭・穴沢勝さん(31)、墨田区吾嬬町1-20、ハマの実兄・臼井麿枝さん(40)宅の3カ所を家宅捜索した。
当局の調べによるとハマは前衛画家・杉本博さんの妻で、人民艦隊事件では中共への渡航者のアジト設定、レポ、第1勝漁丸船員の留守家族救援活動を行っており、今度逮捕された容疑は30年6月、第1勝漁丸の第二回中共渡航の際、“氏名不詳”の日本人夫婦ら数人の渡航準備を手伝ったもの。
また家宅捜索を受けた穴沢、臼井さん宅は渡航者の分宿所にあてられていた。
◆読売新聞 1958.4.23
「河田氏ら3人出頭-“人民艦隊”で密入国の疑い」
日共中央委員・河田賢治(58)、同常任幹部会員・袴田里見(55)、同調査部員・安斎庫治(52)の3氏は22日午後4時、検疫法違反の疑い、ならびに出入国管理令違反事件の参考人として警視庁公安1課に任意出頭し、渡部係長、三栖警部、仲村警部補の取調べを受けた。
3氏はいずれも黙秘権を行使し、同6時すぎ引揚げた。
同課では河田、袴田両氏は昨年7月13日“人民艦隊”の栄漁丸(17.8トン)で北鮮新甫から兵庫県香住港に、また安斎氏は30年7月下旬、同じく第1勝漁丸(34.6トン)で中共、呉淞から静岡県伊東港にそれぞれ密入国、この際検疫法に違反した疑い。
◆読売新聞 1958.5.12
「北鮮麻薬密輸団手入れ-主犯ら10人逮捕-全国で18か所を捜索-対日工作の資金ルート」
北鮮からの大掛かりな麻薬密輸ルートを内偵していた警視庁公安3課はこのほどその実態をつかんだので山口、兵庫各県警の協力のもとに同課・黒沢2係長ら係官70人を動員、12日朝6時を期して首謀者の北鮮人・忠原健こと李壮烈(35、下関市竹崎町282貿易会社・中央公司社長)ら女4人を含む一味10人を麻薬取締法違反容疑並びに同現行犯で一斉検挙するとともに都内はじめ横浜、大阪、神戸、下関など全国18カ所のアジトを家宅捜索、証拠書類多数と麻薬若干を押収した。
当局ではこの一味の麻薬密売総額は約6キロ(10数ポンド)数千万円にのぼり、その利益の大部分が来た鮮から対日工作任務をおびて潜入してきた在日北鮮諜報組織の活動資金に流されていたものとみており、このp手入れによって事件はさる26年9月の第1次以来2次、3次と検挙し続けている北鮮スパイ団の“第4次”摘発にまではってんするものとみられる。
対日工作の資金ルート
同課の調べによると一味は北鮮系朝鮮人で、その組織は数十人にのぼり27年ごろから、日本―北鮮間をしばしば密航、赤ネタという特殊麻薬(ディ・アセチル・モルヒネ)を密輸入、日本人を手先にして1グラム1万円ぐらいで売りさばき、その利得を北鮮対日工作員の活動資金としていたもの。
◆読売新聞 1958(昭和33)年5月27日 夕刊記事
対日工作の拠点つく 北鮮麻薬密輸団 3人逮捕
北鮮麻薬密輸団を追及中の警視庁公安3課はさる20日 密輸団の拠点である東京都墨田区大平町3-5 由枝美容室経営者 忠原むめおこと李和恵(40)を麻薬取締法違反の疑いで逮捕、さらにその調べから韓国系を装った麻薬密売による資金工作におどっていた密入国北鮮人グループの存在をつかみ、27日早朝 北多摩郡国立町東区34 黒住三郎こと朝鮮人 李玩春(33)、東京都渋谷区千駄ヶ谷2-414 野々宮健友こと朱珍基(44)の2人を逮捕、家宅捜索して一味のレポ文書など証拠文書を押収した。この手入れで当局は密輸団が北鮮政府派遣の政治工作員と密接な関係を持っていた確証を握ったと言っている。
同課の調べによると忠原は昨年6月から11月まで密輸団の首領、李壮烈(35)に自宅をアジトとして提供、李はここを密売ルートの根城としていわゆる“赤ネタ”という未精製ヘロインを都内、横浜、阪神、中国、北九州の各地に売りさばき、同課で判っただけでも2キロ(1グラム約1万円)にのぼる麻薬が同美容室に隠匿され、その一部を忠原自身も李○満(既検挙)らを通じ密売していた。
忠原はこの美容室を28年7月から経営、表向きは普通の美容店のように装って北鮮の対日工作の拠点としていたもので、当局では北鮮スパイ団の大物である元日共幹部、民対指導部キャップ 李太宇こと金忠権(38)と関係の深い北鮮政府派遣の政治工作員・某が同所に出入りしていたことを確認。また同じく工作員の高 某もここに潜伏し、北鮮に脱出するなど同美容室は北鮮の対日工作の拠点となっていた。
またこの朝逮捕した李玩春と朱珍基は昨年7、8月ごろ、“赤ネタ”約100グラムを買い入れ密売、その利益を工作資金としていたもので、両人とも北鮮からの密入国者でありながら偽名を使い韓国系の在日居留民団員を装って李壮烈の手先となり資金工作を行っていたと当局ではいっている。
◆読売新聞 1958.6.12
「志田重男氏現る-昭島に-人民艦隊で取調べ」
去る31年1月以来、地下に潜行、“第2共産党”結成の動きなどを見せていた日共中央委員、同常任幹部会員・志田重男氏(46)について治安当局ではその行方をさがしていたが、このほど昭島市中神町1171のアジトに潜んでいることがわかり、12日正午、警視庁公安1課・渡部係長らが急行、とりあえず東京都下青梅線中神駅前の旅館「つたや」に任意出頭を求め“人民艦隊”“トラック部隊”などを指導した疑いで取り調べた。
“新党”は無根-公然活動する-記者団と問答
なお志田氏は取り調べに対し事件の焦点については黙秘した。記者団との一問一答は次の通り
党を除名されたことについてどう思うか
「ノーコメントだ。しかし明らかに党規約を破って行方を明かせなかったことは認める。なぜ規約を破らなければなかったかは歴史が証明するだろう」
潜行中、共産党の第二新党を結成することを続けてきたというが。
「事実無根だ」
最近表面に姿を見せるつもりだったのか。
「党大会前に世間に姿を現すつもりだった。きょうから公然活動を続ける。党を中傷するようなことはしない。
現在の党のあり方をどう思うか。
「ここで言えない。しかし党を強化することと人民の力を強化することは一つの問題だ。その立場を離れると党は偏向する」
昨年から近郊を転々
当局の調べによる志田氏の潜行後の足取りは次の通り。
31年7月に山梨県に姿を現し、同8月、静岡県長岡で開かれた古奈会議に出席して“第二共産党”の死だ草案を発表、その後大阪へ向かった。
32年初めには上京、都内あるいは都心から1時間以内の所にアジトをつくり転々としていた。
また30年8月11日、野坂、紺野両氏が現れた当時は日本橋の上田旅館にいたのを確認しているが、昨年12月2日、同旅館がトラック部隊事件で手入れを受けた当時は埼玉県南埼玉郡八汐村鶴ケ曽根の農家の一室を借りて転居、元高校教師という名目で住み込んだ。
頭を刈りこんでチョビ髭をつくり、二色のメガネをたえずかけかえ“トニー谷のオジさん”と近所の子供たちから呼ばれていた。
最近は都内にいるとの情報を入手、当局は刑事を都内各所に張り込ませたところ、さる10日神田明神境内に現れたところを確認、尾行を続けた結果、昭島市中神町1171のアジトに身を潜めていることが判った。
トラック部隊三代目隊長逮捕
日共の秘密財政組織“トラック部隊”を追及中の警視庁公安1課は12日朝、同部隊三代目隊長・一色こと山崎忠男(49、東京都世田谷区下馬町1-104)を特別背任の疑いで逮捕、同人宅、中央区日本橋〇町1-7、メリヤス会館内、日本繊維経済研究所など5カ所を捜索した。
◆読売新聞 1958.12.22
「人民艦隊-第一勝漁丸-初公判ひらく 足並乱れた被告-富樫だけ罪状認める」
日共の海外秘密連絡ルート「人民艦隊事件」に関連して「白鳥警部射殺事件」の容疑者、元札幌軍事委・中核自衛隊員・大林昴(30)ら4人を同艦隊の第一勝漁丸(34.6トン)で中共へ密出国させ、密出国ほう助罪で起訴された日共中央委員・岡田文吉(56、東京都渋谷区千駄ヶ谷4-823)、元第一勝漁丸船長・伊藤勝志(46)ら13被告に対する第1回公判は22日午前11時から東京地裁・横川裁判長係で開かれた。殆どの被告が起訴事実を否認したのに対し元同船員・富樫繁夫被告(34)だけが起訴事実を認め注目された。
この日全被告が出廷、傍聴席には志賀義雄代議士ら約20人が姿をみせた。公判は横川裁判長の人定尋問についで起訴状朗読が行われた後、罪状認否に入ったが、岡田被告らは「この事件は日共を弾圧しようとする政治的な意図をもってでっちあげられたもので、全く事実無根のものである」と全面的に否認したが、富樫被告は「他の被告の事はしらないが、私は起訴状にある4人を運んだことはある」と起訴事実を認めた。
日共に関連した事件で被告団が公判当初から足並みを乱したケースはめずらしいことで、一瞬法廷を動揺させ、正午休憩に入った。
関係被告はつぎのとおり
▽岡田文吉
▽伊藤勝志
▽愛知県西尾市道光寺町、船員・可児登志夫(31)
▽神奈川県相模原市清兵衛新田、無職・富樫繁夫(34)
▽愛媛県新居浜市金子乙、同・神野朝二(30)
▽東京都北区十条仲原1-7、同・前谷重男(33)
▽川崎市下作延、船員・遠藤敬吾(39)
▽愛媛県越智郡吉海町、無職・村上義明(28)
▽栃木県下都賀郡大平村、製図工・藤本治郎(30)
▽長野県松本市岡ノ宮、無職・小川原今朝次(35)
▽横浜市鶴見区平安町、船員・神原秀雄(30)
▽・・・
◆読売新聞 1960.3.31
「人民艦隊に無罪、全員の証拠不十分と-東京地裁判決」
東京地裁刑事8部、横川敏雄裁判長はさる30年11月、札幌市警・白鳥警部射殺事件の容疑者らを中共に運び、出入国管理令違反ほう助罪で起訴された、いわゆる“人民艦隊事件”の日共中央委員・岡田文吉氏(58)ら13被告に対し31日午前10時20分、全員無罪の判決を下した。「この事件の本筋である密出国者がはっきりしないのに、その出国を助けた“補助役”だけを処罰するのには将校が不十分」というのが無罪理由。
日共の海外秘密連絡ルートとして騒がれたこの事件も結局は“ゆうれい艦隊”と決めつけられたわけである。横川裁判長は同じ密出国ケースの白山丸事件に対しても先月26日、全員に裁判打ち切りの公訴棄却判決を言い渡しており、かさなる黒星に検察側は直ちに検事控訴の検討をはじめた。なお村上被告はこの日欠席したので、あらためて無罪が言い渡される。
被告人氏名は次の通り
▽日共中央委員・岡田文吉(58)
▽第1勝漁丸、元船長・伊藤勝志(48)
▽無職・古庄邦三(45)
▽海事検定協会支部職員・谷水清(37)
▽元船員・可児登志男(32)
(以上いずれも求刑懲役6カ月)
▽無職・富樫繁夫(35)
▽会社員・神野朝二(31)
▽元船員・前谷寅男(33)
▽船員・遠藤敬吾(39)
▽製図工・藤本次郎(34)
▽船員・村上義明(29)
▽団体役員・小川原今朝次(36)
▽船員・神原秀雄(31)
(以上いずれも求刑懲役5カ月)
【判決要旨】
被告人らの行為は「従犯」として罰せられる事案だから一番重要なのは「本犯」すなわち密出国した乗客の事だ。証拠によると伊藤被告らが30年11月13日ごろから12月上旬まで第1勝漁丸に乗って航海に出ていたことは推定されるが、その際客を乗せて中共に行ったとの証拠は富樫被告の供述と村上被告の検察官調書以外にはない。しかし富樫供述には不審な点が多く架空の物語と思われる部分さえある。しかも富樫には警官から金品を送られ、または報酬を約束されて情報提供者となっていた疑いがある。村上の調書も不審な点が多く新婚の身を拘置され弱い性格から迎合的供述をした疑いがあ・・・
野村東京地検検事正の話
「思想的な事件は団結が固いから、仲間から離れ自白する場合、生命の危険を感じているはずだ。それをある程度警察が保護するのはやむを得ない。今度の場合、多少反故に行き過ぎがあったとしてもそれだけで供述が信用できないというのは心外だ。こういうことではこの種の事件が捜査できなくなるおそれもあり、十分検討して控訴したい」
寺本弁護人の話
「実際に中共に行ってないのだから無罪は当然だ。これで検察当局のデッチあげが証明されたわけだ。横川裁判長はよく真実を見抜いてくれたと思う」
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