以下特別検証の報告です。長文で読みにくいと思いますが、重要な2点について、ぜひ周囲の方にお伝え下さいますようお願いします。
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特定失踪者問題調査会では昨年末から横田めぐみさん拉致事件に関わる各種情報の収集と整理を行ってきた。これは特定失踪者の調査を行う上で政府認定拉致被害者の拉致状況が一つの指針となること、さらに拉致問題全体で誤解あるいは隠蔽されてきた部分が極めて大きく、それを明らかにするためにも政府認定拉致被害者に関する調査が必要であると考えた次第である。
その一環として横田めぐみさんの拉致についても特別調査班を中心に情報の見直しを行ってきたところ、いくつかのことが明らかになったため今回の特別検証を実施することとなった。以下はその報告である。
今回、当会が横田めぐみさんの拉致事件に関して再検証を行うきっかけとなったのは、後述する女子学生の水死事件の新聞記事である。
めぐみさんが行方不明となって10数時間しか経過していないときに同じ新潟市内の海岸で発見されたこの遺体について、警察当局がめぐみさんのご家族に身元確認を行っておらず、ご家族もこの水死体について全く記憶していなかったという事実が判明したことに端を発し、私たちは当時の対応に疑問を持ち始めた。
また、めぐみさんが拉致された昭和52年(1977)11月前後、新潟県内で幾つもの水死事件が報道されたが、そのいずれもが自死を示唆する言葉で締めくくられていた。これは警察当局の見解をそのまま記事にしたと思われるが、今回の検証では直接現場を訪れることはできなかったが、調査会ではこれらの水死事件にも注目している。果たして当時新潟で起きた拉致は横田めぐみさんだけだったのか、失敗した拉致もあったのではないだろうか。
もちろん水死事件は全国で起きており、その全てが疑問の対象になる訳ではないが、家族にとって水死した理由が不明なまま「自死」として処理されてしまったケースがなかったかという点について調査することも必要と感じている。
1、概要
日程 平成29年(2017)3月24日12:30〜14:00
ルート 寄居中学校前集合、ブリーフィング後スタート。寄居中→営所通→旧横田家→横田早紀江さん反物事案現場→高校生が追われた現場→寄居中北側不審な乗用車の目撃場所→寄居中前、ブリーフィング後終了
参加者
調査会役員:代表荒木・副代表岡田・専務理事村尾・常務理事杉野・武藤
特定失踪者家族:大澤昭一さん・中村クニさん
家族会:増元照明さん
支援者等:西村眞悟前衆議院議員(調査会顧問)・高橋正救う会新潟会長・池田正樹さん(横田めぐみさん同級生)・葛城奈海「しおかぜ」アナウンサー・島尾百合子救う会兵庫副代表他
2、拉致現場について
(1) 曽我ひとみさん証言
曽我ひとみさんが証言したとする情報で、読売新聞平成17年(2005)9月16日付に次のようなも記事が掲載されている。
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1977年11月に北朝鮮に拉致された横田めぐみさんが、翌78年に曽我ひとみさん(46)と初めて会った日の夜、「家の近くの曲がり角で男の人に捕まえられた」「すぐそばの空き地に連れて行かれた」と拉致の瞬間を語っていたことが15日、分かった。
めぐみさんは、新潟市内の自宅近くの丁字路で足取りが途絶えてから、目撃証言がなく、拉致の状況は全く分かっていなかった。
その一端が明らかになるのは初めてで、警察当局は、周辺の空き地に引きずり込まれ、船で連れ去られた疑いが強いとみている。
曽我さんは、19歳だった78年8月12日、新潟・佐渡で母親のミヨシさん(当時46歳)とともに拉致され、数日後、平壌郊外の「招待所」と呼ばれる施設で、9か月前に拉致されていためぐみさん(当時13歳)と引きあわされ、共同生活を始めた。
関係者によると、2人は対面初日、招待所が用意したジュースや食事を取るうちに、うち解けた会話ができる仲になった。
拉致が話題になったのは、その夜、めぐみさんが、足を引きずっていた曽我さんに、「どうしたの」と問いかけたことがきっかけ。
曽我さんは、その言葉の優しさに、自分が拉致されたことを打ち明けると、めぐみさんは「私もバドミントン部の練習の帰りに、家の近くの曲がり角で男の人に捕まえられた」「すぐそばの空き地に連れて行かれた」と語り始めた。
この時、めぐみさんは実行犯の人数などには触れなかったが、2人は「本当に怖かったね」「すごく恐ろしかった」とささやき合って眠りについたという。
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この証言について、3月22日メッセージ収録の際曽我さんに確認したところ、「そのような証言はしていない。角を曲がったところで後ろから襲われたとしか聞いていない」とのことだった。
なぜ情報が矛盾しているのかは不明だが、「家に続く曲がり角」「空き地」というキーワードは何もなければ出てこないはずである。
(2) 警察犬
これまで警察犬の立ち止ったとされる地点(〔1〕の交差点位置)が一般的に拉致現場とされていた。また、これと別に〔1〕から若干寄居中よりで警察犬が立ち止まったのではないか(〔2〕の交差点位置)という情報もあった。ちなみにこのどちらも当時近くに空き地があった。
めぐみさんが拉致された時刻から警察犬が捜索に投入されるまでの時間経過や、めぐみさんが歩いた同じ道路上を家族を含め幾人もの人々が捜索のために歩き回っていたことなど、複数の要因が重なって警察犬による足跡追及に何らかの影響を与えてしまった可能性がある。また、何らかの理由で当局に拉致現場を別のところにする必要があり、あえて警察犬の話を出すことによって情報操作をした可能性もある。
(3) 女子大生(当時)の証言
事件当日の午後6時30分頃、横田家の南側隣家2階に下宿していた新潟大学の女子学生が自室の掃除をしていたところ「きゃっ、助けて!」と瞬間的な悲鳴を聞いた。遠くから聞こえてきた声ではなかったため、直ぐに自室の窓を開けて外を窺った。しかし庭木が邪魔したのと、暗かったために路上は見えず、しばらくの間目を凝らし、耳を澄ませていたがそれ以上何の音も聞こえなかったため、窓を閉めてしまった。
翌日、大学の授業を終えて帰宅すると下宿先の奥さんから「昨夜、隣家の女の子が帰宅しなかった。新聞記者が取材に来た」旨を聞かされたため「昨夜、こんなことがあった」と悲鳴が聞こえたことを話すと奥さんから「すぐに警察に電話しなさい」と言われたため警察に通報した。その日のうちに捜査員が事情聴取に訪れたがこの際女子学生は状況をメモしていた物を捜査員に提出している。
2,3日後にまた捜査員が来て再度事情を聞かれた。その後、女子学生が大学に行っている時間帯に捜査員が下宿に来て、女子学生の部屋に入り窓を開けるなど、部屋の検分を行っていった。それ以降は警察から何の連絡もなく、20数年が経過した平成14年(2002)9月の小泉首相訪朝後、既に他県に住んでいた元女子学生のもとに新潟県警の捜査員が訪れ、当時提出したメモを持参して筆跡が元女子学生のものか等を確認し、再度事情を聴取していった。
本件について、現地で葛城奈海・しおかぜアナウンサーの声で悲鳴がどこまで聞こえるかを検証してみた。営所通の角から元女子大生の下宿していた家の角までは約110メートルある。当初この距離では声をあげても聞こえないのではないかと思っていたが、予想よりは鮮明に聞こえた。ただし、あくまで遮るもののない路上で、かつ注意して聞いていたという条件のもとである。また、11月中旬であるから家の窓はほとんど閉まっていたと思われ、また110メートル離れて聞こえたならこの間にある家でも聞こえたはずであり、他の証言がないことはやはり元女子大生の下宿先の極めて近くで起きたことを推測させる。
なお、めぐみさんが拉致され行方不明となった後、捜査員は横田家周辺の聞込みも行っていたが、ある捜査員が周辺を回るときに母・早紀江さんも一緒について回っていた。この時、捜査員はこれまでの聞込みの際に「お母さん!」という声を聞いた人がいると漏らしたが、早紀江さんが確認すると「間違いだった」と言われ、何処の誰がそのような証言をしていたのか話してもらえなかった。
(4) 地理的条件
前述のようにめぐみさんが拉致された場所は、めぐみさんが拉致された当日夜に出動した2頭の警察犬が立ち止ったとされる地点であって、〔1〕のT字路の交差点とされてきた。また、別途情報〔2〕のT字路交差点との説も出ていた。しかし、いずれの場所も改めて確認してみると、遺留品や拉致の痕跡が発見された場所ではない。
当時めぐみさんが拉致されたとされていた地点の営所通りを挟んだ向かい側(西大畑町)には新潟大学の商業短期大学部キャンパス(本部は旭町の本校内)が設置されており、この学部は1学年80名規模の夜間の3年制で夕刻から授業が行われていたとの証言があり、めぐみさんが拉致された当日は平日でもあることから夕刻の時間帯には学生の行き来もあったと思われ、人目に付く場所であった。
この商業短期大学部前にはバスの運行路線(現在の浜浦町線)があり、当時の時刻表では午後6時台でも約7分に1本の割合でバスが走っており、暗かったものの人、車両の通行もあった場所である。拉致をする側から考えれば待ち伏せや尾行などの目撃されるリスクが大きい。脇道に入れば人通りは少なくなるので、大通りがあえて使われた可能性は低いと推定される。
結論
以上のような条件から考えた場合、拉致現場は元女子大生が悲鳴を聞いた家の角、横田家のすぐ近くであったと推定される。
3、警察上層部及び政府の認識について
(1) 当時の状況
拉致当日の夕刻、午後6時30分を過ぎても帰宅しないめぐみさんのことを心配し始めていた母・早紀江さんは、午後7時を過ぎて1人で通学先の寄居中学校に行ったが既にクラブ活動は終わり、生徒は残っていなかったため、急いで自宅に戻りめぐみさんの弟2人を連れて通学路沿いを探し、さらに海岸までも探し回ったがめぐみさんの姿はなかった。クラブ活動の顧問にも連絡し、早紀江さんからの連絡を受けた父・滋さんも帰宅して付近を捜したが見つからなかったため午後9時50分、警察に通報した。
通報を受けた警察は直ぐに所轄署の新潟中央署と新潟東署から捜査員を横田家に派遣した。警察犬は2頭が出動し、めぐみさんの足跡追及のため、ご家族からめぐみさんのパジャマを借り受け、めぐみさんが最後に同級生と別れた交差点からめぐみさんの足跡追及を行った。
新潟中央署は同時に全署員220名を非常呼集して捜査にあたらせた。横田家には捜査員が電話の録音装置などを設置して待機し、横田夫妻も電話の傍で寝ていた。水道町周辺には多数の警察官が出ており、当時水道町1丁目に住んでいた住民の一人は夜遅くに帰宅後、家族に「何か大きな事件があったんだね、警察官がいっぱい出ている」と伝えていた。翌朝午前5時からは県機動隊760名を投入して松林の中などで捜索にあたらせた。
以上のような捜査態勢は通常の誘拐事件の捜査とは全く異なっている。めぐみさんが行方不明となり、「身代金目的」の誘拐の線も疑って捜査員や電話の記録装置などを横田家に配置していた訳だが、本来このような捜査は人質となっている可能性がある人の生命の安全性を優先するため秘匿性が求められており、それゆえ被害者宅に出入りする捜査員には変装することや装置も偽装して持ち込むことを要求している。
ところが、めぐみさんの場合、確かに横田家には捜査員が配置されたりしているが、市街地にも一般の住民が見て異常と感じるほど警察官が出ていたこと、まだ犯人からの連絡がなくても「誘拐」の可能性が晴れていないと思われる翌朝の午前5時から機動隊員を760名も投入して捜索に当たらせているのは、仮にめぐみさんが身代金目的で誘拐されていたなら、犯人に「人質を処分してください」と言っているに等しい。逆に当初から北朝鮮による拉致と認識していてめぐみさんの移送を阻止しようと考えたのであれば対応に矛盾はない。
(2) 女性の水死体
めぐみさんが行方不明になった翌日の16日午後、水道町から7〜8km離れた上新栄町の海岸で若い女性の水死体が漂着するという事案があった。この女性の身元が分かったのは17日である。しかし横田早紀江さんはこの遺体に関する身元確認をしておらず、その事実すら知らなかった。
身元確認をしていれば家族が忘れるはずはなく(実際、ご家族はその後見つかった身元不明遺体の確認を行っており、鮮明に記憶している)、しなかったということは当初からこの遺体がめぐみさんでないと分かっていたということである。この点も当初から拉致と認識していたことの傍証になる。
(3) 元新潟中央署長の証言
おそらく平成20年(2008)11月15日、新潟市での講演に行っていた横田夫妻のところを事件当時新潟中央署長だった松本瀧雄氏が訪れ、当時の馬場・救う会新潟会長同席のもと「いなくなった時から、あの人たち(北朝鮮工作員)の仕業だと思っていた。ずっと表に出せず申し訳なかった。私が生きている間に伝えたかった」と語っていた。松本元署長は親しい記者にもこのような発言はそれまでいっさいせず、その後亡くなるまでにもしなかった。
これは本人だけの問題ではなく、組織上も最後まで秘匿しなければならないことだったからではないか。前述の初動体制などは一警察署長の判断でできることではなく、最低限警察庁レベルの判断があったと考えざるを得ない。
このときの面会を報じた新潟日報には次のような記述がある。
「面会後、取材に応じた松本さんは、横田さんと手紙のやりとりを続けてきたことを語り、『めぐみさんが日本にいる間に保護・救出できなかったことが、結果的 に31年という年月につながってしまった』と述べた」
この証言は記者に語ったものだが、「日本にいる間に保護・救出できなかった」という言葉は当時の警察の動きとも重なるものである。
(4) 拉致発覚以前の横田めぐみ失踪についての調査
事件当時ではないが、平成6年(1994)頃、新潟県警の担当者は上司から他の課員にも知られないようにとの指示を受け、横田めぐみ失踪について調べていたという。この時期は韓国政府から日本政府に「1970年代後半にバトミントン練習帰りの中学1年生の少女が北朝鮮工作員に拉致された」との情報がもたらされた時期である。状況からすれば県警本部の判断ではなく、警察庁からの指示である可能性が高い。「現代コリア」平成8年10月号で明らかになった拉致された少女が横田めぐみさんと特定されたのは同年末であり、国会質疑と報道で氏名が公表されたのは翌平成9年(1997)2月だが、この数年前にも政府は横田めぐみさん拉致について知っていたということである。
(5) 結論
以上の諸要件から考えるとき、警察庁及び政府中枢では昭和52年(1977)11月15日の事件発生直後から横田めぐみさんが北朝鮮によって拉致をされたと認識していたものと思われる。
まとめ
これまでも私たちは拉致問題についての政府・警察の隠蔽を指摘してきた。例えば松原仁・元拉致問題担当大臣兼国家公安委員長は一昨年調査会の記者会見で大澤孝司さん(昭和49年佐渡で失踪)と藤田進さん(昭和51年川口で失踪)について、大臣在任中2人が拉致されて北朝鮮に生存していると認識していた旨明らかにしている。しかし、2人ともその後拉致認定はなされていない。政府認定拉致被害者ですら、具体的にどのように拉致をされたのかについては、警察は明らかにしていない。特定失踪者になれば論外である。
山本美保さんDNAデータ偽装事件は、明らかに政府中枢がかかわる拉致問題のもみ消しである。これは犯罪行為であるが、拉致と分かりながら担当官庁が明らかにしてこなかった問題は、おそらく当時の総理大臣ですら手を付けるのが難しかったのだろうし、いわんや現場の担当者に責任を負わせることはできない。
また現在の担当者もこれまでのことを受け継いでいるだけであり、例えその対応に疑義があったとしても、現実には疑問を呈することはできないだろう。したがって、過去のこと、現在までのことについて責任を問うべきではないと思う。
しかし、総理大臣から現場の担当者まで、未来に対する責任を負っていることだけは間違いない。これまでが誤っていたという認識に基づいて次の策を立て、実行していかなければ、現在の被害者も帰ってこないし、今後さらに被害者が出る可能性すらある。
今回拉致問題の象徴であり、これまで膨大な報道がなされてきた横田めぐみさん拉致ですら、重要な部分が欠落していたことが明らかになった。同様の事象は他の政府認定拉致被害者・特定失踪者についても多数あるのだろう。あらためて情報の再度の検証が必要と考える。
私たちはもちろんこれまで通りの調査を続け、真相究明に努めていくが、政府・関係機関は公式に認めることができないとしても、これまでに少なからぬ誤りがあったとの前提で、あらためて拉致問題に取り組まれるよう期待する。
最後に、今回の特別検証にご協力いただいた関係各位に心より御礼申し上げ、報告とする次第である。
以上
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