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2013年11月28日

隼CHANNEL第11回「第18回1万キロ現地調査報告 山口編」

【調査会NEWS1439】(25.11.28)

 戦略情報研究所の映像配信「隼CHANNEL」の第11回がアップロードされました。

 11月8〜10日に実施した調査会の現地調査報告及び参加同行されたご家族からのしかぜメッセージをお伝えします。今回の調査では、初めての試みとして、1982年に山口県青海島に浸透した北朝鮮元工作員李相哲氏(仮名)にソウルから来て頂き、当時上陸した青海島の現場検証や、山口県に複数存在する北朝鮮の浸透ポイントの分析を実施したほか、イ・サンチョル氏が全調査日程に同行する事で、特定失踪者事案についても様々な意見を聞く事が出来ました。

 調査は萩市、長門市、山口市、宇部市と行い、その中で実施した特定失踪者西村京子さんのご両親、特定失踪者国広富子さんの妹さんの「しおかぜメッセージ」収録風景もご覧頂けます。北朝鮮元工作員が語る工作活動の一端を是非ご覧下さい。

 なお、この映像は明日29日の大阪でのSセミナー(下記)でもご覧いただく予定です。

隼CHANNELサイト http://www.senryaku-jouhou.jp/hayabusa.html
NetLiveサイト http://www.netlive.ne.jp/archive/SII/index.html

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2013年11月27日

もう一度特定秘密保護法案について

【調査会NEWS1438】(25.11.27)

 昨日の強行採決で特定秘密保護法案が一気にクローズアップされています。

 前にも書いたように拉致問題が解決していない理由の一つにわが国防諜体制の欠陥が関わっていることは間違いありません。その意味で、私は政府の秘密を保護する法案もスパイを防止する法案も(それが国民の権利の一部制限を伴うものだとしても)必要だと考えます。今回の法案に反対している人たちの中で、工作員の活動や情報の漏洩が従前通り続けられるべきだと考えて反対する人もいるようですが、そのような勢力とは全く立場が異なります。「国民を守るためにスパイは絶対に排除する」という方針は法律以前の問題として必要不可欠です。

 しかし一方で、もう一つ拉致問題が解決しない原因に政府による隠蔽があることは明らかです。政府が本気で防諜に力を入れたいなら、その隠蔽されてきたことを明らかにする覚悟も必要不可欠なはずです。なぜこれまで何十年もの間拉致の実行犯や協力者を逮捕することができなかったのか(唯一逮捕した李秋吉は不起訴)、最も拉致問題に否定的な政府高官でも「(政府認定者以外に)あと十数人」は拉致被害者がいると言っているのに、その「あと十数人」の救出どころか拉致認定すらしていないのはなぜなのか。

 そして、山本美保さんと山形の身元不明遺体がサイズも遺留品も異なるにもかかわらず、公開もできないDNA鑑定結果が一致しているという理由だけで同一人物としているのはなぜなのか(B75〜80のブラジャーを着けていた人がA70を着けて入水自殺するのか、警察庁警備局の幹部はぜひご自分の奥さんか女性の部下にでもに聞いてみてもらいたいものです)。

 そういう問題には頬被りしておいて、政府の秘密を守ると言っても国民の信頼を得ることは難しいでしょう。まだ参議院の審議が残っています。政府は本気ならばその覚悟を示す責任があることは明らかですし、野党もその点はしっかりと追求してもらいたいものです。そして何より、賛否どちらであれわれわれ国民自身がこの問題をしっかり考える必要があることは言うまでもありません。

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2013年11月26日

調査会記者会見(兼戦略情報研究所Sセミナー第8回)

【調査会NEWS1437】(25.11.26)

 12月10日は北朝鮮人権週間スタートの日ですが、この日調査会の記者会見を兼ねて戦略情報研究所の講演会「Sセミナー」を実施します。奮ってご参加下さい。

日時:12月10日(火) 18:30〜20:30

会場 UAゼンセン会館2階会議室
(東京都千代田区九段南4-8-16 Tel03-3288-3549)

http://www.uazensen.jp/test/about/index.html

※JR・地下鉄市ケ谷駅下車3分 日本棋院斜向い

1.特定失踪者問題調査会記者会見(18:30〜19:00)

(1)拉致疑惑失踪者(0番代リスト)発表

(2)圭運丸事件への対応について

(3)その他

※一般の方も参加いただけます。

2. Sセミナー(19:00〜20:30)

テーマ 「1万キロ現地調査を通して見えた日本の現状」
(前半約40分代表荒木による講演、後半質疑や他調査会役員による補足説明を行います)

参加費 1000円(戦略情報研究所会員及び記者会見のみ参加の方は無料)

※事前の参加申し込みは不要です。

※記者会見及びセミナーの講演部分を(株)NetLiveのご厚意でインターネット中継します。同社のサイトでご覧下さい。なお、中継後同サイト内の戦略情報研究所・特定失踪者問題調査会のページでオンデマンドで見られるようになります。

http://www.netlive.ne.jp/archive/SII/index.html

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2013年11月25日

金丸訪朝と小泉訪朝

【調査会NEWS1436】(25.11.25)

先日テレビで「第18富士山丸事件から30年」を報じていました。あの事件からもうそんなに経ってしまったのかと、あらためて感じます。朝鮮半島に関わっている人でもすでに事件を知らない人も多いでしょう。

 事件は日本の貨物船第18富士山丸が北朝鮮に行って戻るとき密航者が乗っていたことに気付き、その密航者が亡命を希望したため日本で下ろしてもう一度北朝鮮に行ったときに「拉致をした」と言いがかりをつけられて拘束され、スパイ容疑で船長と機関長が7年にわたって抑留されたという事件です。

 お二人の送還が決まったのは平成2年9月の金丸訪朝のときでした(帰国は翌月)。金丸訪朝団の目的の一つは船長と機関長の送還であり、それは確かに実現したのですが、この金丸訪朝団と平成14年の小泉訪朝は非常に良く似たところがあります。前者は富士山丸事件を、後者は拉致を口実にして日朝国交正常化を進めようとしたことです。

 金丸訪朝のときの自民党社会党と朝鮮労働党の三党共同宣言には「三党は、日本政府が国交関係を樹立するのと関連し、過去36年間の植民地支配とその後の45年間に朝鮮民主主義人民共和国の人民に与えた損害にたいして十分に補償すべきであると認める」とされており戦前のみならず戦後まで補償することになっています。

 また、小泉訪朝のときの平壌宣言は経済援助のことばかり延々と書かれているのに拉致については「日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題については、朝鮮民主主義人民共和国側は、日朝が不正常な関係にある中で生じたこのような遺憾な問題が今後再び生じることがないよう適切な措置をとることを確認した」と、極めて間接的な表現でしか書かれていません。

 今でも忘れませんが、小泉訪朝の後、外務省は「生存している拉致被害者の帰国や故郷訪問、死亡した拉致被害者の遺骨収集は日朝国交正常化交渉の中で」と言っていました。そうなれば国交正常化交渉を止めることはできなくなります。日本国民を拉致した国に謝り、支援する。文字通り「泥棒に追い銭」になるところでした。

 今、安倍総理に訪朝を求める声があり、私自身も拉致問題の進展につながるなら一つのやり方だとは思うのですが、逆に日朝国交正常化交渉のためのカモフラージュに使われる可能性も注意しておかなければなりません。拉致のことで総理が行くとなれば止める人間はほとんどいないはずで、気付いてみたら数人が帰っておしまい。日朝交渉だけが進んでしまうということは阻止しなければなりません。

 そもそも金丸訪朝も小泉訪朝も自民党政権下のことであり、安倍総理も小泉訪朝には官房副長官として同行しています。自民党としてあの二つの訪朝をどう位置づけるのかは今からでも明確にすべきです。そうしなければまた同じ過ちを犯すことになるのではないでしょうか。

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2013年11月21日

秘密保護法と倫理観

【調査会NEWS1435】(25.11.21)

 秘密保護法の審議が大詰めを迎えています。

 拉致問題が解決しない理由は様々ありますが、その一つに防諜体制の不備があることは間違いありません。従って国家機密を守るための法制度を整備し、重要な情報を不法に漏洩した者、不法に入手した者が罰せられるようになるべきなのは当然です。もちろん、今回の法案では対象にならない部分(スパイ防止法)も含めて、さらに取締りを厳しくしていくべきだと思います。

 一方、この秘密保護法案の話を聞く度に私は特定失踪者に関わるこの国の矛盾を思い出さずにいられません。その象徴的なものが山本美保さんに関わるDNAデータ偽造事件と警察による藤田進さんの写真鑑定結果通知、そして圭運丸事件に関する海上保安庁の海底調査の通知です。

1、DNAデータ偽造事件

 いうまでもなくこれは拉致問題の幕引きを狙って特定失踪者問題を下火にさせるために当時の小泉政権中枢が行ったことです。全く別の身元不明遺体を持ってきてDNA鑑定したかのように装い、山本美保さんであると発表してから既に9年余り、この間警察は山本美保さんと身元不明遺体のサイズや遺留品の違いを無視し続け、単に「DNA鑑定は正しい、家族が納得しないだけだ」という世論操作を続けてきました。

 この事件は「政治主導」で行われたものであることは明らかですが、その後警察は自らの過ちを一切認めようとしていません。警察関係者でも本件に直接関係ない人には何人も警察発表がおかしい、ありえないと言っているのに、内部で「王様は裸だ」と言える人がいないことは誠に残念です。固定スパイや協力者が捕まえられない理由とこの件は一脈通じるものがあると思います。

2、藤田進さんの写真

 藤田進さんと思われる男性の写真が発表されたのは、これまた9年前のこと。当時警察庁の関係者は「この写真がどこから出たか(つまり本当に北朝鮮から出てものか)調べている」とか言っていました。その当時写真が藤田進さんであるかどうかの鑑定はやっていたのですが、その結果が口頭で伝えられたのは8年経った昨年12月のこと。

 8年前、警察が「この写真は藤田進さんである可能性が高い」と発表すれば(ということはおそらく同じ情報源から出てきた加瀬テル子さんと思われる女性の写真もそうなのでしょう)、世論はさらに高まったはずです。しかし、それがなされなかった。つまり拉致問題の「拡大」を何とか阻止しようという判断がどこかで働き、少なくとも政権中枢がそれを黙認したことは明らかです。昨年のご家族への通知も、できるだけマスコミに出ないようにと腐心しています。こういうのは秘密を保護していたと言えるのでしょうか。


3、圭運丸事件

 本年5月の「漁民拉致」報道がきっかけとなって注目を集めた圭運丸事件(昭和42年、北海道雄武町)について、海上保安庁は2度にわたる大規模な海底調査を行ったにもかかわらず、その結果は家族に対して口頭で伝えられただけで、一片の文書すら渡されていません。おそらくかなりの努力をしたと思われるのですから、記者会見でもやって発表しても罰はあたらないはずです(私たちもご家族も、感謝しこそすれ追求するつもりはありませんから)。それなのにやたらに警戒して情報を公開しない。何とも不可解です。

 特定失踪者のご家族のところには各県警・所轄の担当者がときどき訪れます。それは良いのですが、大抵の場合は「何かありませんか?」と聞いて帰っていくそうです。場合によっては調査会から家族に送った文書をコピーしていくこともあるとか。ご家族は口をそろえて「何かありませんかと聞きたいのはこっちです」と言っています。

 頭隠して尻隠さず、どんなに素晴らしい法律を作っても運用するのは人間です。その人間なり人間の集まりである組織が自己保身に走っては、法律が活かされるはずはありません。逆に言えば、担当者に使命感があれば、かなりのところまで法律の不備は補うことができます。

 コンプライアンスがどうの、ガバナンスがどうのという方々には時代遅れと言われるのかもしれませんが、結局最後は携わるものの倫理観、正義感、使命感にかかってくるのではないでしょうか。「拉致は許せない」「拉致をされて取り返せないことが悔しい」という思いを国民全体で共有していれば拉致問題は格段に進展するはずです。ともかく政府はこれまでの不作為や隠蔽を表に出し、情報を国民に伝えていかなければなりません。これは秘密保護法案以前の問題です。


▲現在の「しおかぜ」放送時間と周波数は以下の通りです

夜 22:30~23:30 5910kHz  深夜 1:00~2:00 5975kHz

■調査会役員の参加する講演会・メディア出演等の予定(一般公開の拉致問題に関係するイベントのみ)

★11月22日(金)18:20~「アンカー」(関西テレビ)
●1万キロ現地調査(山口)の報道(予定)。 

★11月23日(土・祝日)14:00「拉致・特定失踪者問題の早期解決を願う福井県集会」(嶺南地区特定失踪者の真相究明を願う会主催)
●越前たけふ農協会館 (福井鉄道北府駅徒歩3分 0778-22-1111)
●副代表岡田が参加
●問合せ 藤本さん(0770-45-9109)

★11月23日(土・祝日)13:30「拉致被害者家族の願い~とりもどそう私達の仲間を~」(府中市・多摩東人権啓発活動地域ネットワーク協議会主催)
●府中グリーンプラザ(京王線府中駅前042-360-3311)
●代表荒木が参加
●問合せ:府中市役所広報課市民相談室(042-366-1711)

★11月29日(金)18:30「Sセミナーin大阪 拉致問題を通して考える国家の闇と光」(戦略情報研究所主催)
●大阪市弁天町市民学習センター(大阪市営地下鉄中央線・JR環状線弁天町駅徒歩3分 06-6577-1430)
●代表荒木他役員が参加
●問合せ:戦略情報研究所(03-5684-5096)

★12月1日(日)14:30~17:00(開場14:00)「すべての拉致被害者の救出を! 神奈川県民のつどい」(神奈川県主催)
●神奈川県庁本庁舎大会議室( 横浜市中区日本大通1 みなとみらい線「日本大通り駅」3番出口 徒歩1分 )
●常務理事杉野が参加
●お問い合わせ: 神奈川県県民局くらし県民部国際課 国際交流・協力グループ TEL 045-210-3752(事前申込制)

★12月6日(金)13:30「平成25年度 人権週間記念講演会」(北九州市主催)
●黒崎ひびしんホール(黒崎駅徒歩5分 093-621-4566 )
●代表荒木が参加
●問合せ:北九州市人権文化推進課(093-562-5010)

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2013年11月19日

国際講座(齋藤健・金子洋一議員)

 拓殖大学「国際講座」のお知らせです。11月30日(土)10:30より「日本の進路」と題し自民党齋藤健、民主党金子洋一両議員をお迎えして開催します。お二人とも政策能力、実行力及び識見において極めて優秀な議員です。奮ってご参加下さい。
H251130

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2013年11月16日

予備役ブルーリボンの会の新しいプロモーションビデオです。

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2013年11月15日

山口現地調査報告

【調査会NEWS1433】(25.11.14)

 以下第18回1万キロ現地調査(山口)の概略を報告します。あらためてご協力いただいた皆様に御礼申し上げます。

1 現地調査の目的
(1)現地調査により個々の事件及び北朝鮮による拉致・工作活動への認識を深める。
(2)広報啓発活動を通し今後の工作活動を抑止する。
(3)現地で特定失踪者家族・政府認定者家族他関係者から北朝鮮向け短波放送「しおかぜ」のメッセージを収録する。

2 参加者
調査会:荒木・岡田・村尾・杉野・曽田・恵谷 計6名
特定失踪者家族:西村京子さん 父・西村 敏さん、母・西村育代さん。
国広富子さん妹・辻口文子さん。 計2家族 3名
(当初安村文夫さんのご家族も参加の予定だったが体調を崩し参加できなかった)
ゲスト参加者:李相哲(イ・サンチョル)氏 元朝鮮労働党作戦部海上処・元山連絡所所属戦闘員
地元支援者(救う会山口・UAゼンセン山口県支部の皆さん)

3 日程

平成25年11月8日(金)〜11月10日(日)

■ 11月8日(金) 

〇 13:30 萩石見空港スタート
〇 14:30 山陰線宇田郷駅(支援者等と合流)
〇 阿武郡阿武町惣郷:国道191号線沿い駐車場にて河田君江さん失踪関連現場調査
〇 萩市 菊ヶ浜海岸地区:工作員尹孝同の脱出個所調査
〇 長門市 青海島:李相哲元工作員上陸地点調査
(青海島シーサイドホテル泊)

■ 11月9日(土)

〇 09:00 青海島シーサイドホテルスタート
〇 青海島:李相哲元工作員上陸関連現場調査・韓光煕設定接線ポイント(花津浦)調査
○ 長門市:只の浜海岸工作員潜入地点調査
〇 山口市:西村京子さん実家にて御両親から聞取り調査
〇 山口市:西村三男さん失踪関連現場調査
(山口市内泊)

■ 11月10日(日)

〇 09:00スタート
〇 山口市湯田温泉:西村京子さん失踪関連現場調査
〇 宇部市恩田町:国広富子さん失踪関連現場調査
(調査終了解散)

4 調査対象者及び調査結果

1、河田君江さん
      
氏名:河田君江(かわだ  きみえ)
生年月日:1966(昭和41)年8月15日 (現:47歳)
当時身分:会社員
当時住所:山口県下関市豊浦町川棚6921-1
失踪日:1990(平成2)年2月7日
最終失踪関連地点:山口県下関市豊浦町大字川棚7273『村田石油』

(1) 失踪状況 

 退勤後自宅近くで買い物したのち不明に。

 2月20日頃、本人の乗っていた車が萩市と島根県益田市の中間の国道沿いの駐車スペースに止まっているのが見つかる。免許証、通帳などはそのまま(その後預金の引き出しなし)。

 実家へ来るはずが全く逆の方向へ行っている。

 2月18日に本人の声で知人に架電して「ごめんね」と言っている。

 車内(財布)にあったレシートなどによると次のように移動したことになる。

 8日午後1時34分、島根県出雲市でパン等を購入。午後7時11分、長門市内のコンビニでおむすびを購入。同日午後7時36分、同市内でカミソリ、チョコレートを購入。同日午後7時37分、同市内弁当屋でのり弁1個を購入。
 
(2) 調査結果

ア 今回の現地調査に際して河田君江さんの兄・忠雄さんから当時の状況について新たな証言を得た。

 君江さんの車両は失踪から13日後の2月20日、君江さんの捜索のため県内を走り回っていたお兄さんによって阿武郡阿武町惣郷の国道191号線沿いにある駐車場で偶然発見された。お兄さんは直ぐに所轄署の『小串警察署』に通報したが「何も触るな、何もするな、何かしたら逮捕する」と恫喝され、警察の捜査を待つしかなかった。

 しかし警察は直ぐには動かず、車両発見から4日後の2月24日になって宇田郷駐在所の警察官が君江さんの車両を現認し、さらに3日後の2月27日に警察によって君江さんの車両であることが確認された。 

イ 発見当時の車内の様子に異変があった。君江さんは運転する際は靴を脱いで裸足で運転するほど車内を綺麗にしていたが、発見時運転席側のフロアマットには泥や草(シダ類)が付着していた。君江さんの身長は約153cmで、運転姿勢は座席を極端に前方に寄せ、ハンドルを抱きかかえたような姿勢で運転していたが、車両発見時、座席は普通の状態にしてあり、後日、君江さんの伯父が警察署から車両を引き取って運転して帰った際も「座席は動かさないで普通に乗れた」と証言している。

ウ 君江さんがアマチュア無線局の開設を申請していた。
 君江さんは、高校では家政科を専攻、卒業後は豊浦町の被服メーカーに就職し、更に技術を習得するため、失踪月の2月20日には会社を円満退職することとなっており、アマチュア無線との関連性が見当たらない。アマチュア無線の免許証は、君江さん失踪の約2ヵ月後、実家に届いた。

エ 君江さんの妹さんに不審電話があったことが判明。
 君江さんの妹さんは、君江さんの失踪時神奈川県の川崎市に居住していたが、失踪後に結婚した後、転居を繰り返し、平成14年9月に初めて救う会全国協議会に君江さんの件を届けた際には電話番号も川崎市時代とは変わっており、ごく親しい人物だけしか新しい電話番号は知らなかったが、『救う会』への相談後、2〜3ヶ月後の夕刻に不審電話があった。妹さんが電話口に出ると「ヨボセヨ」と聞こえた。「えっ?」というと電話は切れた。相手の年齢はわからない。「たぶん女性の声だった」 とのこと。

オ 同行者・李相哲氏の意見
 調査会代表・荒木から現場に同行していた元工作員・李相哲氏に河田君江さんの件と車が放置されていた状況を説明すると、車が放置されていた場所について「偽装ではないか?」旨の意見が寄せられた。

(3) 参考

 今回の現地調査に含まれていた1987(昭和62)年12月に山口市湯田温泉から失踪した西村京子さん(小郡下郷在住)が中学時代まで家族と暮らしていた祖母の家が、河田君江さんの私有車が放置されていた阿武郡阿武町惣郷の国道191号線沿い駐車場とは数百メートルの位置にあったことが西村京子さんのご両親からの発言で判明した。

 西村京子さんは祖母の家には成人後も度々訪れていたという。河田君江さんの失踪は2年2ヶ月後。

2、西村京子さん
  
氏名:西村京子 (にしむら きょうこ)
生年月日:1962(昭和37)年12月18日 (現:50歳)
当時身分:店員
当時住所:山口県山口市小郡下郷37-14
失踪日:1987(昭和62)年12月27日
最終失踪関連地点:山口県山口市湯田温泉1-11-31

(1) 失踪状況 

 失踪前日夜、職場の同僚の女性(Aさん)と2人だけの忘年会を市内で行い、近くの別の飲食店で2次会を行った。そこで男性(B氏)と知り合い、日付が変わった27日午前3時頃、Bさんの車に同乗するのをAさんが目撃したのを最後に2人とも失踪した。B氏も現在まで行方不明。車も見つかっていない。

(2) 調査結果

ア 西村京子さんと同僚が立寄った飲食店(2軒)の所在が確認(同一ビル内)された。
 これまで西村京子さんとその同僚が12月26日の夜に最初に立寄った飲食店については判明していたが、最後に立寄ったとされる2軒目の飲食店の所在がこれまでの間、判明してこなかったが、UAゼンセン山口支部の協力の下、湯田温泉に詳しい女性を通じて2軒目の飲食店も同じビル内に所在していたことが確認された。現在、飲食店が入居していたビルはオーナーが替わっている。

イ 西村京子さん失踪当時の時の周辺情況について、聞取り調査に応じてくれた女性からは西村京子さん達が立寄った飲食店周辺について「あの周辺の店舗には呑みに行かないほうがよいと家族から言われていた」との証言もあった。

ウ 京子さん失踪後、ご両親はB氏の家族、及び京子さんと一緒にいた同僚女性とも連絡が取れていない状況であることが判明し、失踪当日の状況について詳細な情報を得られていないことが確認された。

3、西村三男さん
  
氏名:西村三男(にしむら みつお)
生年月日:1962(昭和37)年5月26日 (現:51歳)
当時身分:工員
当時住所:山口県山口市陶1134 『積水ハウス山口寮』
失踪日:1981(昭和56)年5月20日または28日
最終失踪関連地点:山口県山口市陶1134 

(1) 失踪状況 

 ゴールデンウィーク後、実家の熊本から山口市にある会社に戻り、寮から工場へ移動中失踪。原付免許も寮に置いたまま、住民票もそのまま。失踪後6カ月程して無言電話あり。

(2) 調査結果

ア 西村三男さんは入社後1ヶ月という状況から当時は居住先の会社寮から徒歩で会社に通勤していたということで、現地状況を当時の住宅地図と比較しながら会社までの経路を確認した結果、現在は一部住宅地があるものの、全体として畑が多く、見通しの良い地域であること、出勤時には他の同僚も同じ経路を通勤に使用していたということで、人目に付く場所での強制的な拉致は考えにくく、拉致とするならば途中、別の場所に立寄るように仕向けられて通勤経路から離れた場所に向かった可能性があると判断された。

イ 上記の判断を踏まえ、西村三男さんが通勤経路上で立寄る可能性がある場所を検証した結果、会社に程近い場所に神社が所在するのが確認されたが詳細は不明である。

(3) 参考

ア 西村三男さんの失踪時期については、『積水ハウス山口工場』総務部に残されている資料に2つの日付がある。
   (1) 5月20日。
   (2) 5月28日。

イ 西村三男さんは1981(昭和56)年3月、熊本県の工業高校を卒業し、同年4月積水ハウス山口工場に入社した。入社した直後にゴールデンウィークを迎え熊本県に帰郷しているが、帰郷中に特異な発言も無く山口市に戻っている。

5、国広富子さん
  
氏名:国広富子 (くにひろ とみこ)
生年月日:1952(昭和27)年2月9日 (現61歳)
当時身分:看護師
当時住所:山口県宇部市笹山15区笹山アパート
失踪日:1976(昭和51)年8月2日
最終失踪関連地点:山口県宇部市笹山15区笹山アパート付近

(1) 失踪状況

 失踪当日の午後8時半頃、母親にたばこを買いに行くのを頼まれ、自宅から数十メートル先のたばこ屋に、300円のみを持ってサンダル履きで家を出たまま行方不明となった。新しい病院に翌日から勤務する予定であった。平成16年1月29日、山口県宇部警察署に告発状提出。

(2) 調査結果

ア 当時の自宅前で妹・文子さんから状況の説明を受ける。
 当日の夜、お母さんが富子さんの妹に煙草を買ってきてくれるように頼み、妹さんは一旦外に出たものの、何か買い物に行く気になれず、家に戻ってきたため、アイロンがけをしていた富子さんが代わりに煙草の代金300円を持って買い物に出かけたが何時まで経っても帰宅しないためお母さんが様子を見に外に出てみたが富子さんの姿は無く、何か電話連絡があるのでは?と一晩中電話の前で待っていたという。

イ 当時、煙草を購入する際に訪れていた店舗跡(現在は空き地)までの経路上で検証。
 妹・文子さんの案内で当時の煙草屋跡まで案内を受けたが自宅から出て2〜3分で行き着く場所であり、極めて瞬間的な拉致が行われたと認識を新たにした。
 当時の状況について妹・文子さんから「悲鳴や車のブレーキ音や急発進のような音を聞いたという情報は無い」との発言があったが、実際に現場で車両を使って拉致のシミュレーションを実施、音を立てなくても可能であることが明らかになった。また、現場に同行していた元工作員・李相哲氏も「口を塞ぐなどして音を立てないように出来る」旨の説明を行い、現場で充分に拉致できることを示唆した。

ウ 失踪現場となった笹山町の路上は当時、夜間は車の往来も少なく民家は在るものの静かな地域であっ
たといい、改めて狙われた拉致であったという判断となった。
     
(3) 参考
ア 新たな拉致未遂と思われる情報

 当会が山口県の現地調査に入るのと入れ違いに拉致未遂と思われる情報提供の来簡があった。時期は国広富子さんが失踪した1ヶ月後で現場は国広富子さんの失踪現場から約7〜800mの位置であり、時期、現場の位置ともに非常に近い地域での情報であり、当会としては非常に関心を持つ情報であることから、精査の必要性を感じる内容である。

以下、情報提供の内容(抜粋)

昭和51年(1976年)当時、宇部市恩田町に住んでおりました。
9月中旬だと思いますが、午後10時前、恩田町にあります清水川バス停から歩いて自宅に帰っておりましたところ、後ろより2,3人の足音がきこえました。
付近は街灯もなく暗かったと思います。
そのうち、車の低速で近づく音がしました。
そのときです。
前方よりクラクションが数回鳴り、車のライトがハイビームとなりまぶしくなりました。
なんだか恐くなり全力で自宅に帰りました。
当時1人で暮らしていましたのでこのことは誰にも話していません。
その後会社も退社して住居も他市に移りました。
平成になり北朝鮮による拉致事件のことが報道されるようになり関心を持ちました。
宇部市恩田町バス停近くの国広富子さんのことが報道され、時期的に同じと知り、ことの重大さを知りました。

イ 北朝鮮での目撃情報

(1) 脱北女性による目撃情報
 1993(平成5)年当時、平壌市内のアパートに居住していた女性が国広さんと思われる女性を目撃。

(2) 脱北男性による目撃情報
 1994(平成6)年6月、平壌市内の党幹部宅でパーティが開催された折、後から差し入れに来た幹部とと同行してきた国広さんと思われる女性を目撃。

(3) 情報源秘匿 目撃情報
 2002(平成14)年夏、北朝鮮国内で「宇部市に住んでいたという日本人女性と会った」との情報。
     
5 李相哲氏の証言 

(1) 青海島

ア 元朝鮮労働党作戦部海上処・元山連絡所所属戦闘員 李相哲氏の潜入地点
 1982(昭和57)年6月19日夜半、山口県長門市仙崎所在の青海島・牛崎の鼻(現地では半崎の鼻と呼ばれている)にゴムボートで上陸し、在日工作員と思われる男性1名を北朝鮮に連れ帰った状況について現地で説明を受けた。

1) 接線(接触)時刻
 接線の時刻は午後10時となっており、牛崎の鼻沖合500mの位置から組長と2名でゴムボートに乗り手漕ぎで牛崎の鼻を目指した。

2) 接線(接触)状況
 途中で組長がシュノーケルをつけて岸まで泳ぎ、異常がないことを確認した後、無線機のスイッチ音(プレストーク音)だけで合図を寄こし、ゴムボートを接岸させた後に組長が50メートル程離れた接線地点(海岸沿いの民家裏)に行き、石を打ち合わせる音と合い言葉で工作員と接触、李相哲が待機するゴムボートに乗せて帯同帰国した。
   
3) 日本潜入に際しての教育

 目標地点の牛崎の鼻については、予め用意された地図のみで教育を受け、目標を確認していた。

4) 目標現認の状況

 牛崎の鼻の岩が海上からでも確認でき、容易に目標地点に達することが出来た。

5) 元朝鮮総聯工作員・韓光熙設定の接線(接触)ポイント「花津浦」について(現場を視察して)

 人気も無く、岩(波の浸食で穴が空いた岩)に特徴があるので接線(接触)のポイントとして使える。

6) その他

 自分は1回しか潜入しなかったが、それ以前にも牛崎の鼻は使われていたと思う。日本側に発見されるまでは継続して使うはずである。

イ 当会の見解

 青海島の牛崎の鼻、花津浦を李氏とともに廻ってみたが、釣り師以外は寄り付かないと思われる場所でなおかつ、周囲から見えない位置にポイントを設定してあったことが確認されたが、地域に詳しくなければ見つけられないようなポイントであり、地元協力者の影(存在)を改めて感じる場所であった。

(2) 只の浜海岸

ア 北朝鮮工作員・千葉仙吉こと高徳煥が1980(昭和55)年11月15日、只の浜海岸から潜入したとされる地点を調査。

1) 潜入地点の詳細は公表されていないため、当会では目標地点とし易い河口付近ではないかとの意見が出たが、同行者・李相哲氏は海岸南西地域(千畳敷)の位置を指し「人気も無く道路上から見えないので、自分であればそちらを選ぶ」と、潜入に適した位置を示した。

2) 只の浜海岸は遠浅であり、李氏が示した地域は隠れ根が点在するがこれについても李氏は「問題ない、潮の干満もあまり問題にならない」と、同地域からの潜入も容易であったことを伺わせる発言が寄せられた。

以上

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2013年11月12日

何人なら解決?

【調査会NEWS1432】(25.11.12)

 先日訪朝した飯島勲内閣参与がテレビなどで「拉致関係者は、何人帰ってきたら解決かという(数字)を明示すべきです。(拉致被害者が)誰と誰と何人、と明示してくれたら、私は平壌に飛んでもいいです」と言ったと伝えられています。「北朝鮮が拉致被害者を全員返すと言っても、日本側が納得しなければ終わりなき拉致問題になってしまうから、早期解決のために古屋拉致問題担当相が拉致被害者の人数を明確にするべき」との趣旨。

 これは8月5日の外国人記者クラブでのアントニオ猪木議員の「一番の問題は、日本の拉致名簿の中にある数字がどんどん変わり、日本で死んでいる人もいる。そういった名簿を提出して解決しようとしても、北朝鮮側からしたら『そんないい加減なことを言ってくるなよ』となる」という発言と通じるものがあります。

 明らかに北朝鮮側は安倍政権との間で交渉をしたがっており、そのために「どこまで出せば良いのかを明らかにして欲しい」と言っているのでしょう。あるいはもっと具体的に「これこれの人を返すからお終いにして平壌宣言で合意した援助をしてもらいたい」と言っているのかも知れません。

 そしてこちら側のカード、呼び水の一つが総聯本部、と考えれば大体理屈が通ります。政府としては被害者を切り捨てたというイメージは作りたくない。しかし一方で政権発足から1年、参議院選挙の勝利でねじれが解消してから4か月経つのに具体的には進展が見られない。家族会の人たちにせよ特定失踪者家族にせよ、安倍政権に期待したのに何も変わらないのかという苛立ちが高まっています。政権の側にもなにがしかの進展を実現しないと、という焦りは間違いなくあるはずです。

 もちろん、自分の代で拉致問題を解決するという総理の意気込みには敬意を表しますし、何とかそうなってもらいたいという思いはありますが、何度も指摘している構造的な問題に手をつけないなら「解決」は絶対にあり得ません。解決ができないなら進展だけでもさせる努力をすべきでしょう。しかしそのときでも「進展」を「解決」にすり替えるようなことだけは絶対にあってはなりません。

 国民の側も過大な幻想を抱くべきではなく、安倍政権という、拉致問題進展のためには順風とも言える内閣であることを最大限に利用して、自分たちの力で解決していくという心構えをしっかり持つべきではないでしょうか。

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2013年11月11日

国広富子さん関連情報提供

【調査会NEWS1431】(25.11.11)

※前号ニュースで「今回の走行距離は4751キロ、1万キロ現地調査を通しての累計走行距離は4751キロ」と書きましたが、今回の走行距離は275キロ、累計で4751キロでした。お詫びして訂正します。

※特定失踪者ご家族等、郵送ニュース「ひびき」をお送りしている皆様へ。11月の「ひびき」127号送信の折、委託している発送会社の手違いで前月の126号が同封されてしまいました。ご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます。改めて送り直しますのでご了承下さい。

■国広富子さん関連情報提供

 昨日の現地調査に関して、地元紙が事前に報じてくれたところ、調査会事務所に次のような匿名のお手紙が届きました。直接の関係は分かりませんが国広富子さん失踪の1か月後のことです。

 残念ながらお手紙は私たちが山口に向かった後、行き違いで届いたため現地調査には間に合いませんでした。しかし今回はこれ以外にも長門市での情報提供もあり、まだ様々な情報が眠っているものと思います。今後も引き続き情報を収集して参ります。関係各位にもご協力賜りますようお願い申しあげる次第です。
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(匿名の手紙の内容。一部変換ミス等は直してあります)

前略

 今日地元新聞記事に掲載されていました、特定失踪者問題調査会による山口県内調査を見ましたので、私の経験したことをお知らせします。

 昭和51年(1976)当時宇部市恩田町に住んでおりました。9月中旬だと思いますが、午後10時前恩田町にあります清水川バス停から歩いて自宅に帰っておりましたところ、後ろより2、3人の足音がきこえました。付近は街灯もなく暗かったと思います。

 そのうち車の低速で近づく音がしました。そのときです。前方よりクラクションが数回鳴り、車のライトがハイビームとなりまぶしくなりました。なんだか恐くなり全力で自宅に帰りました。当時1人で暮らしていましたのでこのことは誰にも話していません。

 その後会社も退社して住居も他市に移りました。

 平成になり北朝鮮による拉致事件のことが報道されるようになり関心を持ちました。宇部市恩田町バス停近くの国広富子さんのことが報道され、時期的に同じと知りことの重大さを知りました。その当時のことを思い出し前方からの車の運転手さんは私を助けてくれたんだと思い、強く感謝しなければならない気持ちになりました。

 このことについて今まで誰にも話してはいません。

 今回の調査に少しでもお役に立てばとお手紙送ります。

(以上)

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2013年11月10日

第18回現地調査へのご協力ありがとうございました

【調査会NEWS1430】(25.11.10)

 第18回の1万キロ現地調査が終了しました。現在宇部空港で東京組が帰京の便を待っているところです。今回は韓国から元北朝鮮工作員李相哲さんにおいでいただき31年前に浸透した長門市青海島での説明を聞くなど全日程を同行してご自分の意見等貴重なアドバイスをいただきました。

 また救う会山口・UAゼンセン山口県支部の皆様には案内から現地の状況についての情報収集まで大変なご協力をいただきました。熱心に取材して下さいました各メディアの皆様にも心より御礼申し上げます。

 報告は別途流しますが、今回李さんの参加もあり、非常に大きな収穫が得られたと思います。この収穫を今後に活かして参ります。

 今回の走行距離は4751キロ、1万キロ現地調査を通しての累計走行距離は4751キロになりました。

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2013年11月 5日

「しおかぜ」周波数変更に対し北朝鮮が敏感に反応

【調査会NEWS1428】(25.11.5)

※本日14時より市ヶ谷のUAゼンセン会館で記者会見を行います。内容は(1)第18回の現地調査について、(2)しおかぜの放送時間変更と妨害電波について、(3)その他、です。新たな公開については今回は都合により行いません。

 記者会見は(株)NetLiveのご厚意によりインターネットでもご覧になれますので出席できない方もぜひご覧下さい。

http://www.netlive.ne.jp/archive/SII/index.html

■「しおかぜ」周波数変更に対し北朝鮮が敏感に反応

        専務理事 村尾建兒

 すでにお知らせしているように、北朝鮮向け短波放送は10月28日よりは周波数変更と放送時間の変更を行いました。

 これに対する北朝鮮当局の対応がどのようになるか注目していましたが、こちらのモニターでは夜、深夜ともに変更した翌日には妨害電波が発射された事を確認しました。各地から送られて来るリスナーからも同様の報告が入っています。現在、総務省へ詳細確認をしていますが、これだけ北朝鮮当局が敏感に反応してくる裏には「しおかぜ」が確実に脅威であると認識され、また、北朝鮮内部が揺らいでいる事を如実に表していると言えるでしょう。

 妨害電波により一部地域で聴き取りにくくなってしまう事は確かですが、北朝鮮近隣地域での受信状態は、妨害を抑えてある程度の感度を確保している事も確認しています。これからの季節変動による伝搬状況と妨害電波の状態を考慮し、今後も監視体制を取りながら適時、周波数変更等対応して参ります。

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2013年11月 2日

偽装

【調査会NEWS1427】(25.11.2)

 ホテルのレストランにおける食材偽装の問題が世間を騒がせています。

 詳しい事情は分かりませんが、こういうことはどんなに法律を作っても抜け道やごまかす方法は存在します。結局それに携わる個々人あるいは組織のモラルの問題ではないでしょうか。

 「憲法を変えなければ拉致問題は解決しない」という人がいます。確かによりましな憲法であれば少しはプラスになるかも知れませんが、どう変えたところで憲法が拉致被害者を取り返してくれるわけではありません。これは「憲法を守れば平和になる」という発想と基本的に変わらないと思います。

 16年前、拉致被害者の救出運動が始まってから、警察に要請するたびに「法と証拠に基づいてやっている」という言葉を聞かされました。確かに警察が法と証拠に基づいて活動するのは当然ですが、法と証拠に基づいてやってきた結果今日までただの1人も国内にいる拉致実行犯や協力者を捕まえられていないという現実はどう弁明するのでしょう(もちろん山本美保さんに関わるDNAデータ偽造事件は論外ですが)。

 自衛隊でも「命令があれば」拉致被害者の救出に行くという言葉をよく聞きます。もちろん、その命令を待っている人も中にはいますが、「どうせ命令などあるはずがない」と顔に書いてある人も少なくありません。

 本来警察であれ自衛隊であれ、国民を守ることが使命のはずです(私もそのために自衛官になっています)。法律が整備されていない、証拠が足りない、あるいは任務が付与されていないということは国民を守れない言い訳にはなりません。少なくともそれができていないことを悩むくらいのことはあっても良いと思います。

 私は機密保護法制定には賛成ですが、このような状況を放置したまま制定したとき、機密を守るための法律が政府の不作為を隠すために使われるのではないかという危機意識すら覚えます。少なくともこの何十年、政府が拉致問題を隠蔽し、「安全な国家」を偽装していたことは事実なのですから。

 重要なのは立派な法律よりもそれぞれの組織と、それに属する個人のモラル(道徳)とモラール(士気)です。もちろんお役所だけの話ではなく、民間の人間もそれをしっかり持ち続けなければなりません。そうなると回り回って最後は自分自身に突き付けられた問いかけになるのですが。

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