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2013年3月29日

膨らむ疑問

Fuse

【調査会NEWS1322】(25.3.29)

 昨日、齋藤純一理事(救う会山形代表)と共に山形市の布施範行さんのお母さんのお宅にお邪魔しました。先日の現地調査の報告が目的です。布施範行さんは昭和52(1977)年3月に名古屋市北区のアパートから失踪しました。未確認ですが北朝鮮での生存情報もあり、失踪状況も不自然なケースです。

 今回調査の過程でお母さんにお聞きして不思議に思ったことがいくつかあります。その一つは失踪後にお母さんが名古屋に行って千種警察に赴いたとき、住んでいた下宿やバイト先に行きたいと言ったところ、応対した男女2人の警察官から止められ、このまま山形に帰るようにと言われたということです。その止め方が尋常ではなかったためお母さんには強い印象があるそうですが、このアパートの家主であるY氏は朝鮮総連の幹部で、家族が北朝鮮に帰国していました。あるいはこの時点で、警察はY氏のことから失踪が怪しいと思っていたのかも知れません。ちなみにY氏は5年ほどまえに亡くなったそうです。結局ご家族は一度もアパートを訪れないままでした。

 また、布施範行さんは昭和51年3月に東京にある亜細亜大学を卒業生しています。住んでいたのは中央線国立駅の近くです。国立の三つ東京寄りが武蔵小金井で、この近くの東京学芸大の学生だった藤田進さんが失踪したのが同年2月です。

 亜細亜大は武蔵小金井の隣りの東小金井とその隣りの武蔵境の中間にあります。そのもう一つ先が三鷹で、政府認定拉致被害者である久米裕さんは三鷹市役所のガードマンでした。拉致されたのは昭和52年の9月です。また中央線沿いではありませんが三鷹市の南、調布市にある電気通信大学の学生だった高野清文さんが神津島で失踪したのが昭和51年7月です。布施さん、藤田さん、高野さん、そして久米さんがそれぞれ同時期に極めて近い範囲にいたのは果たして偶然でしょうか。

 布施さんが失踪したのは名古屋ですが、山形出身の人がなぜ名古屋の会社に就職したのかも不明であり、布施さんについてはこれ以外にも様々な疑問点があります。今後さらに調べていきたいと思いますが、警察も「特別指導班」なるものを立ち上げたなら、もっと積極的にご家族に情報開示をしてもらいたいものです。

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2013年3月28日

政府主催海外啓発行事への参加について

【調査会NEWS1321】(25.3.28)

 5月の連休中に米国(ワシントン及びニューヨーク)で日本政府主催の拉致問題に関する海外啓発行事が行われます。

 家族会・救う会・調査会の関係者がこれに参加してスピーチや家族からの訴えを行う予定です。調査会からは代表荒木・専務理事村尾が参加、特定失踪者家族としては昭和41(1966)年8月21日に都内で失踪した小林榮さんの弟さん、小林七郎さんが参加の予定です。小林榮さんは印刷会社に勤務しており、同時期に相次いだ印刷関係者失踪のうちの一人です。なお、この人選にあたっては調査会代表荒木の責任において行いました。

 政府主催の国際啓発行事は民主党政権当時の昨年11月にジュネーブで行われ、このときは木村かほるさんのお姉さんである天内みどりさんが特定失踪者家族として参加しています。また、その準備という名目で昨年7月には藤田進さんの弟さんである藤田隆司さんがジュネーブを訪問しています。ちなみに藤田さんについてはそれ以前に国連人権委の強制的失踪作業部会での申立を行っており、ジュネーブを訪れたときは作業部会で陳述しました。翌月には作業部会としての受理が隆司さんに通知され、関係国(つまり日本と北朝鮮)に対し報告が求められています。日本政府はもちろん報告を送っていますが、北朝鮮は半年以上経った今も作業部会への報告をしていません。

 印刷関係者の拉致については全く別の情報源によって書かれた手嶋龍一・元NHKワシントン特派員の著書『ウルトラ・ダラー』にも書かれています。また、ご家族が第2次人権救済申立を日弁連に行っている日高信夫さん(昭和42年9月東京で失踪、北朝鮮で目撃情報あり)も印刷会社に勤務していました。調査会としては米国では偽札と日本人拉致の関係を中心に理解を求めていく予定です。

(写真は小林榮さん)
Kobayashi


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4月6日の懇談会取材について

【調査会NEWS1320】(25.3.28)

 4月6日に行う懇談会について、報道関係の方々から取材可能かとのお問い合わせがいくつかありました。希望される場合は頭撮りではなく最初から最後まで取材可能にします。ただし事前に申し込みをされた場合に限りますので必ずご連絡下さい。詳細はその折お知らせします。

 なお、この懇談会の対象は特定失踪者家族・しおかぜネットワーク参加組織及び調査会役員等であり、それぞれ参加人数に限りがあり事前に届出をしていただくようになっています。詳しくは郵送でお送りしている「ひびき」に記載されていますのでそれをご確認下さい。一般の方の傍聴はできませんので恐縮ですがご理解賜りますようお願いします。

 この懇談会での議論を踏まえ、同日調査会理事会を開催し、今後の方針を決定する予定です(調査会の方針は懇談会参加者を拘束するものではありません)。理事会は非公開になります。結果はメールニュース等で発表します。

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2013年3月27日

ご都合

【調査会NEWS1319】(25.3.27)

■ご都合

      荒木和博

 昨日国会の議員会館で救う会埼玉主催の集会が行われました。特定失踪者のご家族では藤田進さんの弟さんである藤田隆司さん、古川了子さんのお姉さんである竹下珠路さん、高野清文さんの妹さんである高野美幸さんが参加、国会議員も拉致議連総会より多数の議員が参加されていました。

 この集会で登壇者の1人である有田芳生参議院議員(民主)がご自身の質問主意書について触れておられました(2月6日付調査会ニュース1303号参照)。木で鼻をくくったような答弁書からも、みえてくるものはあります。この場合は結局拉致認定の3要件には何の意味もないということで、要は認定は政府のご都合でやっているということです。

 古川了子さんは安明進氏の目撃証言があり、特定失踪者家族の代表として拉致認定訴訟を行いました。藤田進さんは北朝鮮から写真が出て警察も認めており、また国連の強制的失踪作業部会でも申立が受理されています。高野清文さんも美幸さんが各地の集会を回りお兄さんのことを訴えています。

 皆さんそれぞれに認定の問題などについて語っておられましたが、全国のご家族が苦しみ、訴え、あるいは訴えもできずに悩んでいます。その唯一とも言える目標の「拉致認定」が恣意的に決められているのだとすれば、この状態の責任は誰がとるのでしょうか。
 
 去る3月16日には秋田県男鹿市で救う会秋田・男鹿地区主催の「拉致問題を考える男鹿の集い」が開催されました。ここでは調査会を支援する会の事務局長でもある松村譲裕・救う会秋田代表がコーディネーターをつとめて「失踪者家族の願い」と題する座談会が行われ木村かおるさんのお姉さんである天内みどりさんと薩摩勝博さんの妹さん、品川貴美子さんを招いて行われました。内容はYouTubeでご覧になれます。

http://www.youtube.com/watch?v=nL-ncHxXMAM&feature=player_embedded

 この座談会でもう1人ご参加予定だった松橋恵美子さんのお母さん、松橋チヤさんは体調を崩し、同じ町内に住んでおられる福岡雅子・救う会秋田副代表が代行されました。恵美子さんのお父さんである要吉さんは4年前に亡くなられています。たびたび調査会ニュースでご家族の訃報をお伝えしていますが、連絡をいただくのが遅れたりしてお知らせできるのは一部に過ぎません。

 遅すぎたと言われても仕方ありませんが、10年間(70年間と言っても良いかも知れません)この状態が続いてきたのです。仕組み自体を根本から変えなければなりません。戦略の誤りは戦術ではカバーできないのです。

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ご都合

【調査会NEWS1319】(25.3.27)

■ご都合

      荒木和博

 昨日国会の議員会館で救う会埼玉主催の集会が行われました。特定失踪者のご家族では藤田進さんの弟さんである藤田隆司さん、古川了子さんのお姉さんである竹下珠路さん、高野清文さんの妹さんである高野美幸さんが参加、国会議員も拉致議連総会より多数の議員が参加されていました。

 この集会で登壇者の1人である有田芳生参議院議員(民主)がご自身の質問主意書について触れておられました(2月6日付調査会ニュース1303号参照)。木で鼻をくくったような答弁書からも、みえてくるものはあります。この場合は結局拉致認定の3要件には何の意味もないということで、要は認定は政府のご都合でやっているということです。

 古川了子さんは安明進氏の目撃証言があり、特定失踪者家族の代表として拉致認定訴訟を行いました。藤田進さんは北朝鮮から写真が出て警察も認めており、また国連の強制的失踪作業部会でも申立が受理されています。高野清文さんも美幸さんが各地の集会を回りお兄さんのことを訴えています。

 皆さんそれぞれに認定の問題などについて語っておられましたが、全国のご家族が苦しみ、訴え、あるいは訴えもできずに悩んでいます。その唯一とも言える目標の「拉致認定」が恣意的に決められているのだとすれば、この状態の責任は誰がとるのでしょうか。
 
 去る3月16日には秋田県男鹿市で救う会秋田・男鹿地区主催の「拉致問題を考える男鹿の集い」が開催されました。ここでは調査会を支援する会の事務局長でもある松村譲裕・救う会秋田代表がコーディネーターをつとめて「失踪者家族の願い」と題する座談会が行われ木村かおるさんのお姉さんである天内みどりさんと薩摩勝博さんの妹さん、品川貴美子さんを招いて行われました。内容はYouTubeでご覧になれます。

http://www.youtube.com/watch?v=nL-ncHxXMAM&feature=player_embedded

 この座談会でもう1人ご参加予定だった松橋恵美子さんのお母さん、松橋チヤさんは体調を崩し、同じ町内に住んでおられる福岡雅子・救う会秋田副代表が代行されました。恵美子さんのお父さんである要吉さんは4年前に亡くなられています。たびたび調査会ニュースでご家族の訃報をお伝えしていますが、連絡をいただくのが遅れたりしてお知らせできるのは一部に過ぎません。

 遅すぎたと言われても仕方ありませんが、10年間(70年間と言っても良いかも知れません)この状態が続いてきたのです。仕組み自体を根本から変えなければなりません。戦略の誤りは戦術ではカバーできないのです。

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水葬

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「労働新聞」3月7日付3面の写真。キャプションは「仇共が敢えて火遊びをするならば断固として水葬してしまう滅敵の決意に溢れている」(「火遊び」は若干意訳ですがそんなニュアンスでしょう)。溢れるのは良いのですが、何か写真がおかしいような気がします。船のことは分からないので海軍関係の方ででも何かお分かりでしたら教えて下さい。

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2013年3月25日

1万キロ現地調査第14回報告

【調査会NEWS1318】(25.3.25)※写真は布施範行さんの住んでいたアパート(名古屋市北区)

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 遅くなりましたが、去る3月16〜17日行われた1万キロ現地調査第14回の概要報告です。ご参加いただいたご家族の方々、ご協力いただいた皆様に心より御礼申し上げます。

 特定失踪者問題調査会 1万キロ現地調査 第14回(三重県・愛知県)の結果

1.現地調査の目的
(1) 現地調査により個々の事件及び北朝鮮による拉致・工作活動への認識を深める。
(2) 広報啓発活動を通し今後の工作活動を抑止する。
(3) 現地で特定失踪者家族から北朝鮮向け短波放送「しおかぜ」のメッセージを収録する。

2.参加者

(1) 調査会役員
    代表荒木、副代表岡田、専務理事村尾、常務理事 杉野・曽田、理事上野

(2) 御家族
大政悦子さん(大政由美さんのお母さん)
辻出泰晴さん・美千代さん(辻出紀子さんのご両親)
森川京子さん・加藤峯子さん(加藤鈴勝さんの娘さん)
辻與一さん兄・辻太一さん

※以上調査に参加されたご家族。この他16日に実施した家族懇談会には向井恵子さん(香月正則さんのお姉さん)と秋田正一郎さん・嶺子さん・吉見美保さん(秋田美輪さんのご両親とお姉さん)も参加した。また、家族懇談会には調査会の元常務理事である三宅博衆議院議員も参加した。

3.日程

(1) 3月16日(土)

09:30 JR伊勢市駅前集合〜同スタート
◎伊勢市内(辻出紀子さんの最終失踪関連地点等)
◎津市内(大政由美さんの居住先等)
◎鈴鹿市内(辻與一さん関連の確認作業)
◎名古屋市内(名古屋市中村区稲葉地町・加藤鈴勝さんの最終失踪関連地点)
17:30 ナゴヤグランドホテル着(宿泊先)
18:00 家族懇談会(ナゴヤグランドホテル内)

(2) 3月17日(日)

09:00 ナゴヤグランドホテル前 スタート
◎三重県桑名市内(辻與一さんの最終失踪関連地点)
◎名古屋市北区山田町・布施範行さんの最終失踪関連地点
◎名古屋市千種区猪高町・非公開Nさんの最終失踪関連地点
◎名古屋市名東区社台・安西正博さんの最終失踪関連地点
◎名古屋市千種区四谷通・佐藤正行さんの最終失踪関連地点
◎名古屋市千種区田代本通・非公開Hさんの最終失踪関連地点
◎名古屋市昭和区吹上町・非公開Sさんの最終失踪関連地点
17:30 調査終了、名古屋駅前解散

4.調査対象者の概要と調査結果

◎辻出 紀子さん
生年:昭和49(1974)年

当時住所:三重県津市

当時身分:雑誌社記者

失踪日:平成10(1998)年11月24日

最終失踪関連地点:伊勢市黒瀬町

失踪状況:
 失踪当日午後11時ごろ、勤務先の三重県伊勢市神田久志本町の出版社「伊勢文化舎」を出た後、行方不明。翌日、会社近くの損保会社(黒瀬町)の駐車場(当時、現在はカー用品店)で本人の車が発見された。車は荒らされた様子はなかった。ただし、車内にタバコが一本残っていたこと(本人はタバコを吸わない)、車の座席が後ろになっていたこと(本人の身長と合致しない)、カーステレオのスイッチが切られていたこと(本人はいつもスイッチをつけっぱなしだった)から、本人ではない第三者が車を移動させた可能性がある。
 前日までタイに旅行に行っており、帰国したばかりだった。

 失踪の直前、取材で知り合った尾鷲市在住のA氏から数度本人に電話があり、A氏と駐車場で待ち合わせをしたと推測されている。A氏によれば、「自分の車の中で取材の件で辻出さんと1時間ほど話をして、別の海岸に近いところで辻出さんを降ろした」というものだった。三重県警は、A氏を被疑者として別件(別の女性の拉致監禁容疑)で逮捕したものの、裁判で無罪となった。A氏は「無罪になれば全てを話す」と語っていたが、その後一切の証言を拒否している。

<調査結果>

 (1) A氏が辻出さんとの接触について「自分の車の中で取材の件で辻出さんと1時間ほど話をして、別の海岸に近いところで辻出さんを降ろした」と当会のホームページに掲載していたが、今回関係者からは「海岸に近いところで辻出さんを降ろしたという情報は入っていない」との指摘があり、当時の情報を精査しているが、どの情報を根拠としたのか明確でないため、報道等で使われている男性の証言「駐車場から少し離れた県道沿いで車から降ろした」と訂正することとなった。

 (2) 失踪当日の夜11時頃、紀子さんが伊勢文化舎を出た際に同舎に上着を残していたことについて、ご両親に再確認を行った。11月という季節と、夜という時間帯を考えれば、外は肌寒い温度であったと考えられ、上着も着ずに帰宅するとは考えにくく、「第三者に呼び出されたとしても、用事を済ませたら直ぐに文化舎に戻って来るつもりで出かけたのではないか?」との意見が出された。このように「ちょっと出てくる」というような状況の残っているケースは特定失踪者の中でも多数あり、同じ三重で失踪した辻與一さんも同様である。

 (3) 車両が発見された黒瀬町の会社駐車場(現在はカー用品店)は、紀子さんの勤務先である伊勢文化舎から車で実走してみるとゆっくり走行しても5分弱の距離(約1.2km)であった。紀子さんには失踪当日の夜、最後に会ったとされるA氏から昼間に2回会社へ電話があり、夜10時に紀子さんの携帯に1回電話が入っていることから、A氏が紀子さんに何らかの用事で会いたがっていたことが窺われるが、夜11時頃に会社を出た紀子さんは11時12分にA氏に電話をしたことが通話記録から判明しており、仮に車両発見現場で紀子さんと知人男性が待ち合わせをしていたのなら、11時12分時点で男性は車両発見現場にはいなかったことになる。このことから、「実は別の場所で会っていたのではないか? 紀子さんの身に何かが起きた後、第三者が紀子さんの車を発見現場まで移動してきたのではないか?」との意見が出され、今後詳細な検証が必要との結論となった。

 ※ 第三者による移動説については、ご両親からも次の指摘があった。
(ア) 紀子さん(身長約161cm)が運転するときのシートポジションがいつもより後ろに下げてあり、父・泰晴さん(身長168.5cm)がそのままのポジションで違和感なく運転できたこと。
(イ) 紀子さんは車を運転する際は、眠気覚ましのため常に「カーステレオのスイッチを入れっぱなしで大音量にしていた」はずが、父・泰晴さんが車のメーンスイッチを入れるとカーステレオのスイッチが切ってあったこと。
※辻出さんの自宅は津市であり、伊勢市までは車で通勤していた。片道所要時間は約1時間であった。

  (4) 辻出さん失踪の約7年前、三重県津市から韓国旅行に出かけて失踪した大政由美さんとの接点が浮上した。

◎大政 由美さん

生年:1967(昭和42)年

当時住所:三重県津市

当時身分:大学院研究生

失踪日:1991(平成3)年3月28日

最終失踪関連地点:韓国慶州市

失踪状況:同年3月に三重大を卒業。考古学専攻。

 3月27日夜、慶州ユースホステルにチェックインし、翌朝10時に荷物を置いたまま外出し、その後消息不明。現地、慶州警察署で捜索。1991年3月〜94年10月の間自宅に数回無言電話。正確な日付は不明だが、午後から夕方にかけてがほとんど。受話器を取ると人の息、生活音も聞こえず受話器を置くまで一言も話さなかった。

 北朝鮮にいるとの複数の不確定情報がある。

<調査結果>

 (1) 由美さんの母・大政悦子さんに同行していただき、当時の居住先(津市内)周辺の状況を確認。

 (2) 当時、由美さんは原付バイクを交通手段として使用しており、韓国での失踪が判明後、母・悦子さんは由美さんが居住していたアパートのオーナーにバイクの所在確認を依頼したがアパートにバイクはなく、母・悦子さんは「もしや既に帰国しているのでは?」と期待していたが、後日バイクは津市駅の駐輪場で発見され、「韓国旅行に行く当日、駅までバイクで移動し、預けたままになっていた」と確認された。

 (3) 支援者の調査で津市内の繁華街にあった飲食店に由美さんが通っていたことが判明したが、辻出紀子さんもこの店舗を取材で訪れていたことも判明した。失踪の時期は約7年離れているが、同じ店舗に失踪者二人が行ったことがあるのは何か意味があるのか、共通の知人がいたのか等今後精査する必要性がある。ちなみに現在この店は閉鎖されている。

◎加藤 鈴勝さん

生年:大正11 (1922)年

当時住所:愛知県名古屋市

当時身分:設計技師

失踪日:昭和52 (1977)年10月

最終失踪関連地点:名古屋市中村区

失踪状況:失踪した年の秋、次女京子さんに弾んだ声で電話があったが、その1〜2ヶ月後に失踪したことが分かった。その後事件ではないかと警察に届けを出した。室内は空き巣に何度も入られたような状況で3人分ほど土足の跡があったが、車、免許証、実印、通帳、鍵、衣服、履物はそのまま残っていた。

<調査結果>

(1) 娘さんお二人に同行していただき、失踪現場となった当時の居住先での調査を行った。

(2) 当時、着衣や履物はすべて室内に残っていたことから部屋着のまま、素足で失踪している様
子が濃厚となった。

(3) 姉妹の話から当初当会へ伝えられていた株券の紛失について、株券は無くなっていなかったことが判明したことから、土足の跡も空き巣だったのか、疑問が生じる結果となった。

(4) 加藤さんは引き揚げ者で中国語・朝鮮語が話せる軍人だったということが分かった。引き揚げ者の失踪者は何人かおり、その経歴が失踪に関係している可能性もあることから経歴についても調べていくこととなった。

◎辻 與一さん

生年:昭和24 (1949)年

当時住所:三重県桑名市

当時身分:高校教諭

失踪日:昭和56 (1981)年12月5日

最終失踪関連地点:桑名市上野町

失踪状況:勤務校では同和地区の生徒の指導を担当していた。下宿で洗濯機を回している時、生徒に呼び出され出て行き、白い車に乗せられて行ったとされている。部屋には朝鮮関係の本がたくさんあった。

<調査結果>

 (1) 当時與一さんが所持していた手帳内に書かれた地図から特定した鈴鹿市の旧長太漁協付近を調査した。地図に示された場所自体は確認できたが、それが何を示すものかは分からなかった。

 (2) 兄・辻太一さんと共に当時の居住先を訪ね、大家さんから当時の状況について聴取を行った結果、「生徒に呼び出されて出て行き…」という状況は違うとの認識であったことが確認された。

 (3) 今後辻さんの関係した人物、団体について再度調べ直す必要があると思われた。

◎布施 範行さん

生年:昭和29 (1954)年

当時住所:愛知県名古屋市

当時身分:アルバイト

失踪日:昭和52 (1977)年3月

最終失踪関連地点:名古屋市北区

失踪状況:3月に「沖縄に行く」と書いた手紙が妹にあり、4枚写真が同封。預金通帳、印鑑も一緒に妹さんに送付している。「2カ月で帰る」とあったがその後連絡なし。失踪3カ月前に実家で家族が会ったときとは前と別人の様相だった。昭和53年2月までは実家に電話、手紙があった。

 同年1月頃、家族に電話で中華風の料理をしてみたいと言っていた。失踪後、半年か1年後、女性の声で「範行さんいませんか」と電話が2回あった。

<調査結果>

 (1) 当時の居住先の確認・調査を行った。

 (2) 当時の居住先アパートは現存しているものの、在日朝鮮人であるオーナーは5年ほど前に他界し、現在は誰も居住する者はなく、売却の看板が設置されている状況であった。

 (3) 居住先を探す過程で失踪当時家族が所轄の警察に赴いた際、アパート及び勤務先に行くことを止められたことが分かった。今後あらためて当時の状況を調べ直す必要があると感じられた。
 
◎非公開男性Nさん

生年:昭和18 (1943)年

当時住所:愛知県名古屋市

当時身分:会社員

失踪日:昭和43 (1968)年

最終失踪関連地点:名古屋市千種区

失踪状況:休日に「大阪方面に行く」と言って外出したまま行方不明となる。

<調査結果>

 当時の居住先は再開発され、居住先となっていた会社の寮も別の施設建物になっており、現地の確認のみを行った。

◎安西 正博さん

生年:昭和43 (1968)年

当時住所:愛知県名古屋市

当時身分:会社員

失踪日:平成8 (1996)年4月14日

最終失踪関連地点:名古屋市名東区

失踪状況:会社の寮から車で出かけ、そのまま行方不明になる。最後に姿を見たのは寮の管理人。日曜日だったので、寮の玄関で「安西君食事はどうする」と声をかけたら「食べます」と答え、近所に買い物に行くような感じで車で出かけた。前日買った単行本3冊が机の上に置いたまま。レシートも挟んであった。

 行方不明になる1週間前、実家に電話、「4月下旬に大学時代の友人の結婚式が九州であり、それに出席してから帰省するのでゴールデンウィーク後半に帰る、お土産を買っていく」と話していた。また3ヶ月後、寮を引き揚げるとき礼服の内ポケットに祝儀袋が入っており、自ら消息を絶つとは考えられない。

<調査結果>

 (1) 当時、安西さんが居住していた会社寮の建物は当時のままであったが、内部は現在介護施設となっていた。

 (2) 勤務していた会社の関連会社が安西さん失踪当時北朝鮮からの研修生を受け入れていたことが分かっており、時期的には異なるがその場所が前述辻與一さんの手帳にあった鈴鹿市の場所に近いことも分かった。関係については今後の調査が必要である。

◎佐藤 正行さん

生年:昭和33 (1958)年

当時住所:愛知県名古屋市

当時身分:製薬会社勤務

失踪日:昭和61 (1986)年10月29日

最終失踪関連地点:名古屋市千種区

失踪状況:外食店で買い求めた弁当をアパート自室で食事中、部屋着の軽装で外出したま
ま行方不明。部屋には財布、自動車免許など一切の身の回りのものは残されていた。

<調査結果>

 (1) 居住先となっていた現地を確認した結果、ご家族から届け出があった住所は会社の所在地であり、実際の居住先ではなかった。

 (2) 周辺の聞き込みでも居住先と言われていたマンションの所在を確認できなかった。

 (3) 会社の状況を確認した。 

④非公開男性Hさん

生年:昭和18 (1943)年

当時住所:岐阜県

当時身分:公社職員

失踪日:昭和58 (1983)年

最終失踪関連地点:名古屋市千種区

失踪状況:名古屋市内で勤務終了後、自宅に「これから帰る」と電話をかけて車ごと行方不明となる。

<調査結果>

(1) 会社と当時の居住先である岐阜県の自宅からは約39kmの位置にあり、車通勤であれば約1時間程度で通勤できたことを確認した。

◎非公開男性Sさん

生年:昭和16 (1941)年

当時住所:愛知県名古屋市

当時身分:会社員

失踪日:1962(昭和37)年

最終失踪関連地点:名古屋市昭和区

失踪状況:会社での勤務中に行方不明となる。

<調査結果>

 当時居住していた下宿先は所有者が変わり、家も建て替えられていて当時の位置関係だけを確認した。

5. 走行距離と累計距離
(1) 走行距離:  261km
(2) 前回累計:3,357km
(3) 累計距離:3,618km

6.まとめ

 日程の都合上それぞれの失踪者については十分な調査はできなかった。特に名古屋市の場合地名・地番が大幅に変更になっており、失踪関連地点(居住地など)を特定するのにかなり手間がかった。しかし現地にいって発見したこと、確認出来たことも多く。上記のに記載できていない諸点も含め収穫は大きかったと思う。

 今後個別の失踪者について新たに生起した疑問点、それぞれの失踪者の関連などについてさらに調査をしていく予定である。

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2013年3月23日

4月6日

【調査会NEWS1317】(25.3.23)

 4月6日土曜、都内で特定失踪者家族・しおかぜネットワーク関係者・調査会役員等による懇談会を行います。これまで何度も言ってきたことですが、現在の(1)警察による捜査、(2)内閣による拉致認定、(3)外務省による交渉、というやり方が救出には全くと言って良い程効果を挙げておらず、今後も挙げられる可能性がほとんどないことから、私たち自身もこれまでやってきたやり方を全面的に見直すため、関係者によって忌憚のない議論を行うことを目的としたものです(これ自体は議論をまとめるというものではありません)。

 ただし現時点では「認定」を後回しにしたとして、では代わりに何を目標にするかという明確な方針には辿り着いていません。だからこそこの日にしっかりと議論をして意見を聞いておこうと思っています。懇談会の終了後調査会の理事会を開催して新たな方向性を決める予定です。

 例えば情報収集にしても、今のままでは情報を得ることも難しく、せっかく得た情報を活かすこともほとんどできません。何のために情報を集めるのか(それは当然拉致被害者救出のためですが)を明確にし、明確な目的のもとに情報を集めないと事態の打開には至らないはずです。

 ちなみに今日(23日土曜日)夕方のTBS系「報道特集」では一時期大きな話題を呼んだ平壌市民210万人のデータについて報道されますが、このような重要な情報についても政府はどの機関がどの程度精査したのか、全く分かりません。基本的かつ地道な情報収集をせず、かといって脱北者情報などは「確証がない」とか言って相手にせずでは何も前に動きません(前に進めたくないというなら話は別ですが)。

 地道な情報収集は片手間でできるものではなく、人もカネもかかります。それを民間でやるのは至難の業ですが、待っていてもやらないし、せっついてもいやいややるという程度なら効果は挙がらないでしょう。結局自分たちでやるしかないのかも知れません。いずれにしてもこの情報の問題を初め、全てに明確な基本方針が必要であると痛感しており、摩擦覚悟で道を切り開かなければならないと考えます。

 特定失踪者のご家族やしおかぜネットワーク参加組織の方以外でご意見のある方がありましたらお寄せ下さい。必要と思われるものは6日の懇談会ないしその後の調査会理事会で取り上げさせていただきます(直接の報告はできませんがご了承下さい)。

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2013年3月17日

1万キロ現地調査第14回終了

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【調査会NEWS1316】(25.3.18)

 1万キロ現地調査第14回(愛知・三重)は昨日無事終了しました。調査には辻出紀子さんのご両親(辻出泰晴さん・美千代さん)、大政由美さんのお母さん(大政悦子さん)、辻與一さんのお兄さん(辻太一さん)が参加していただきました。家族懇談会には4家族7人のご参加をいただき、調査会役員に加え元常務理事である三宅博衆議院議員も参加して実り多いものとなりました。

 あらためて報告しますがやはり「事件は現場で起きている」で、行ってみて分かったことが色々ありました。例えば大政由美さんと辻出紀子さんは大政さんの三重大学時代1年間同じ津市におられたことが明らかになり、同じところに行ったことも確認されています。時期が異なりますし、おそらく二人に面識はなかったと思います。また大政さんの失踪は韓国慶州なのですが、大政さんについては三重大学在学中に目を付けられた可能性もあります。辻與一さん、名古屋市内での失踪者の方々についても色々なことが判明しました。今回の成果を整理した上で今後さらに調べていきたいと思います。

 なお、今回収録したご家族の「しおかぜ」メッセージは今週末北朝鮮に向けて放送されます。それぞれの思いが伝わるようこれからも頑張って参ります。

 今回の調査でご協力いただいたご家族の皆様、関係者の皆様に御礼申し上げご挨拶と代えさせていただきます。ありがとうございました。


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2013年3月15日

明日から愛知・三重現地調査

【調査会NEWS1315】(25.3.15)

 既にお知らせしている通り明日16日と17日、愛知及び三重の現地調査(1万キロ現地調査第14回)を行います。概略は以下の通りですが現場での状況に応じ変更の可能性がありますので取材等の場合はご注意下さい。お問い合わせは事務局(常務理事曽田090-4937-2595)までお願いします。

1.現地調査の目的
(1) 現地調査により個々の事件及び北朝鮮による拉致・工作活動への認識を深める。
(2) 広報啓発活動を通し今後の工作活動を抑止する。
(3) 現地で特定失踪者家族から北朝鮮向け短波放送「しおかぜ」のメッセージを収録する。

2.参加予定者
(1)調査会役員
    代表荒木、副代表岡田、専務理事村尾、常務理事・杉野・曽田、理事上野
(2)御家族
大政由美さん母・大政悦子さん。
辻出紀子さん父・辻出泰晴さん。
辻出紀子さん母・辻出美千代さん。
加藤鈴勝さん娘・森川京子さん。
辻 與一さん兄・辻 太一さん。
(3)支援者等

3.日程
(1) 3月16日(土)
    09:00 JR伊勢市駅前集合〜同スタート
伊勢市内(辻出紀子さんの最終失踪関連地点等)
津市内(大政由美さんの居住先等)
名古屋市内(名古屋市中村区稲葉地町・加藤鈴勝さん及び非公開Aさんの最終失踪関連地点)
    18:00 家族懇談会(名古屋市内)

(2) 3月17日(日)
    09:00 「ナゴヤグランドホテル」前 スタート
三重県桑名市内(辻與一さんの最終失踪関連地点)
名古屋市北区山田町・布施範行さんの最終失踪関連地点
名古屋市千種区猪高町・非公開Bさんの最終失踪関連地点
名古屋市千種区四谷通・佐藤正行さんの最終失踪関連地点
名古屋市名東区社台・安西正博さんの最終失踪関連地点
名古屋市昭和区吹上町・非公開Cさんの最終失踪関連地点
    17:00 調査終了予定、 名古屋駅前 解散

4.調査対象者

①氏名 : 辻出 紀子
 
生   年 : 1974(昭和49)年
当時住所 : 三重県津市
当時身分 : 雑誌社記者
失踪日 : 1998(平成10)年11月24日
最終失踪関連地点 : 伊勢市黒瀬町
失踪状況 : 1998年(平成10年)11月24日、午後11時ごろ、勤務先の三重県伊勢市神田久志本町の出版社「伊勢文化舎」を出た後、行方不明。
翌日、会社近くの損保会社の駐車場(当時、現在は自動車会社)で本人の車が発見された。車は荒らされた様子はなかった。ただし、車内にタバコが一本残っていたこと(本人はタバコを吸わない)、車の座席が後ろになっていたこと(本人の身長と合致しない)、カーステレオのスイッチが切られていたこと(本人はいつもスイッチをつけっぱなしだった)から、本人ではない第三者が車を移動した可能性がある。
前日までタイに旅行に行っており、帰国したばかりだった。失踪の直前、取材で知り合った尾鷲市在住の男性から数度本人に電話があり、その男性と駐車場で待ち合わせをしたと推測されている。同男性によれば、「自分の車の中で取材の件で辻出さんと1時間ほど話をして、別の海岸に近いところで辻出さんを降ろした」というものだった。三重県警は、同男性を被疑者として別件(別の女性の拉致監禁容疑)で逮捕したものの、裁判で無罪となった。同男性は「無罪になれば全てを話す」と語っていたが、その後一切の証言を拒否している。

②氏名 : 大政 由美
  
生   年 : 1967(昭和42)年
当時住所 : 三重県津市
当時身分 : 大学院研究生
失踪日  : 1991(平成3)年3月28日
最終失踪関連地点 : 韓国慶州市
失踪状況 :  同年3月に三重大を卒業。
考古学専攻。
3月27日夜、慶州ユースホステルにチェックインし、翌朝10時に荷物を置いたまま外出し、その後消息不明。現地、慶州警察署で捜索。1991年3月〜94年10月の間に数回無言電話。正確な日付は不明だが、午後から夕方にかけてがほとんど。受話器を取ると人の息、生活音も聞こえず受話器を置くまで一言も話さなかった。北朝鮮にいるとの複数の不確定情報がある。

③氏名 : 加藤 鈴勝
  
生   年 : 1922(大正11)年
当時住所 : 愛知県名古屋市
当時身分 : 設計技師
失踪日  : 1977(昭和52)年10月
最終失踪関連地点 : 名古屋市中村区
失踪状況 :  失踪した年の秋、加藤さんから次女京子さんに弾んだ声で電話があったが、その1〜2ヶ月後に失踪。事件ではないかと警察に届けを出した。その結果、空き巣に何度も入られており、3人分ほど土足の跡があったが、車、免許証、実印、通帳、鍵、衣服、履物があった。鍵付きのタンスがこじ開けられていて、中にあったはずの株券が1枚も無くなっていた。

④氏   名 : 非公開A
生   年 : 1943(昭和18)年
当時住所 : 岐阜県
当時身分 : 公社職員
失踪日  : 1983(昭和58)年
最終失踪関連地点 : 名古屋市千種区
失踪状況 : 名古屋市内で勤務終了後、自宅に「これから帰る」と電話をかけて車ごと行方不明となる。 

⑤氏   名 : 辻 與一(1000番リスト者)
  
生   年 : 1949(昭和24)年
当時住所 : 三重県桑名市
当時身分 : 高校教諭
失踪日  : 1981(昭和56)年12月5日
最終失踪関連地点 : 桑名市上野町
失踪状況 : 勤務校では同和地区の生徒の指導を担当。下宿で洗濯機を回している時、生徒に呼び出され出て行き、白い車に乗せられて行った。部屋には朝鮮関係の本がたくさんあった。

⑥氏   名 : 布施 範行(1000番リスト者)
  
生   年 : 1954(昭和29)年
当時住所 : 愛知県名古屋市
当時身分 : アルバイト
失踪日  : 1977(昭和52)年3月
最終失踪関連地点 : 名古屋市北区
失踪状況 : 3月に「沖縄に行く」と書いた手紙が妹にあり、4枚写真が同封。3カ月前に実家で会ったときとは別人の様相。「2カ月で帰る」とあったがその後連絡なし。預金通帳、印鑑も一緒に妹に送付。昭和53年2月までは実家に電話、手紙あり。同年1月頃、家族に電話で中華風の料理をしてみたいと言っていた。失踪後、半年か1年後、女性の声で「範行さんいませんか」と電話が2回あった。平成17年1月31日、山形県警に告発状提出。

⑦氏名 : 非公開B
生   年 : 1943(昭和18)年
当時住所 : 愛知県名古屋市
当時身分 : 会社員
失踪日  : 1968(昭和43)年
最終失踪関連地点 : 名古屋市千種区
失踪状況 : 休日に「大阪方面に行く」と言って外出したまま行方不明となる。

⑧氏名 : 佐藤 正行
  
生   年 : 1958(昭和33)年
当時住所 : 愛知県名古屋市
当時身分 : 製薬会社勤務
失踪日  : 1986(昭和61)年10月29日
最終失踪関連地点 : 名古屋市千種区
失踪状況 : 外食店で買い求めた弁当をアパート自室で食事中、部屋着の軽装で外出したまま行方不明。部屋には財布、自動車免許など一切の身の回りのものは残されていた。

⑨氏名 : 安西 正博
  
生   年 : 1968(昭和23)年
当時住所 : 愛知県名古屋市
当時身分 : 会社員
失踪日  : 1996(平成8)年4月14日
最終失踪関連地点 : 名古屋市名東区
失踪状況 : 会社の寮から車で出かけ、そのまま行方不明になる。最後に姿を見たのは寮の管理人。日曜日だったので、寮の玄関で「安西君食事はどうする」と声をかけたら「食べます」と答え、近所に買い物に行くような感じで車で出かけた。前日買った単行本3冊が机の上に置いたまま。レシートも挟んであった。行方不明になる1週間前、実家に電話、「4月下旬に大学時代の友人の結婚式が九州であり、それに出席してから帰省するのでゴールデンウィーク後半に帰る、お土産を買っていく」と話していた。3ヶ月後、寮を引き揚げるとき礼服の内ポケットに祝儀袋が入っていた。自ら消息を絶つとは考えられない。

⑩氏 名 : 非公開C
生   年 : 1941(昭和16)年
当時住所 : 愛知県名古屋市
当時身分 : 会社員
失踪日  : 1962(昭和37)年
最終失踪関連地点 : 名古屋市昭和区
失踪状況 : 会社での勤務中に行方不明となる。

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2013年3月14日

国民新聞

「国民新聞」3月25日号に掲載されたものです。

250325


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2013年3月13日

金正恩の強硬姿勢は内政危機の表れ

日経ビジネスオンラインにインタビュー記事が掲載されました。ご関心がありましたらご一読下さい。

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2013年3月11日

第二次人権救済申立で補充申立

【調査会NEWS1314】(25.3.11)

 昨年3月23日に申立が行われた第二次人権救済申立(7件8人)のうち、昭和51年に埼玉県川口市で失踪した藤田進さんについて3月7日に補充の申立が行われました。

 これは北朝鮮から出た藤田進さんとされる写真について、警察が鑑定から8年経ってご家族にその結果を通知したこと等について補充したものです。改めて政府・警察の拉致事件に対する対応の問題点が浮き彫りにされています。ぜひご一読下さい。

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(補充申立書)

日弁連人1第637号 人権救済申立事件
申立人 天内みどりほか11名

2013年(平成25年)3月7日

日本弁護士連合会人権擁護委員会委員長 小林七郎 殿

申立人ら代理人弁護士 川人博 同 土田庄一

 申立人藤田隆司ほか1名の申立事件について

 頭書人権救済申立事件の申立人藤田隆司ほか1名にかかる申立事件(以下「本件藤田申立事件」という。)につき、補充して以下のとおり申述いたします。

1 警察当局による鑑定書の存在

(1) TBSの吉田豊氏が2004(平成16)6月脱北者Aから入手した本件写真1及び同年8月5日テレビ朝日の木村浩氏が入手した本件写真2のそれぞれが藤田進氏である可能性があるとの結論を得た申立人らは、同一人であるかどうか確認するため、東京歯科大学法人類学研究室助教授(当時)橋本正次氏に鑑定を依頼した。その結果、失踪前の写真の藤田進氏と本件写真1,写真2に写っている人物は法人類学的に見て同一人の可能性が極めて高いと判断するのが妥当であるとの鑑定結果を得た(平成16年8月7日)ことは本件藤田申立事件の申立書に述べたとおりである(申立書3頁)。

 一方、申立人らは、平成16年8月2日政府に真相解明を要請するとともに、当該写真を政府当局に提供した。

 しかし、本件人権救済申立時点で、政府当局からは藤田進氏の所在確認はおろか写真についての評価すら家族には伝えられていなかった。

(2) ところが、申立人藤田隆司は、平成24年12月18日、埼玉県武南警察署に呼び出しを受け、埼玉県警本部警備部外事課課長補佐渡辺英之氏及び同県警本部警備部外事課関口正美氏より、①警察庁・科学警察研究所による平成16年8月11日付鑑定書 ②埼玉県警による平成16年10月4日付鑑定書   ③平成17年5月10日付写真の合成・加工の有無に関する鑑定書の三点があることを告げられ、本件写真について、①の鑑定の結論は「同一人物と考えられる」、②の鑑定の結論は「同一人物と推定される」、③の鑑定の結論は「合成・加工の痕跡は認められない。写真の印画紙はベルギーのアグファ製である」旨、口頭による説明を受けた。説明の状況は、鑑定書の結論のところだけを示して、こう書いていますというものであった(以上3点の鑑定を総称して「警察鑑定書」という。なお、後日、同氏らに鑑定の対象の写真について質したところ、①の写真はTBSが入手した写真〈本件写真1〉、②の写真はテレビ朝日が入手した写真〈本件写真2〉で、③の鑑定は①、②の鑑定におけるそれぞれの写真についてのものである、②の鑑定は最終的には科学警察研究所で鑑定しているということであった)。

 警察当局は、本件写真が報道機関にもたらされて間もなく鑑定を行い、いずれも写真の人物が藤田進氏と同一人と考えられること、同写真は合成などされたものではないなど重要な鑑定結果を得ていたものである。藤田進氏に係わる極めて重大な事実を8年余の間公表もせず、藤田隆司氏ら家族にすら明らかにしてこなかったものである。

2 警察鑑定書その他の情報等について
   ―告発による捜査、警察当局の動き等に関連して―

(1) 2004年(平成16年)8月2日、特定失踪問題調査会と藤田進氏ら行方不明の家族らは内閣府を訪れ、藤田進さんを含む32人の行方不明者について、これまでの調査から北朝鮮に拉致された可能性が高いとして政府に詳しい調査をするよう申し入れ、今後予定されている日本と北朝鮮の実務者協議でも安否を確認するよう求めた。申し入れを終えた藤田隆司さんが進さんの写真にもふれた話をしたことについて、警察庁は「今の段階で藤田さんが北朝鮮に拉致されたと判断するに至っていない。今後北朝鮮で撮影されたとする藤田さんによく似た男性の写真の入手経路などについて、関係者から事情を聞いて必要な捜査を進めたい」と述べた(別添資料9)。

 そして、2004年(平成16年)8月27日のNHKの報道によれば、「先月初め特定失踪問題調査会に持ち込まれた藤田進さんによく似た男性の写真について、日本政府もこの写真の入手経路などについて調査を進めてきた。そして、先週、韓国のソウルで日本政府の関係者が、写真を持っていた北朝鮮出身者の人物に直接会い、詳細に事情を聞いていたことが明らかになった。その中で、この人物は、▽写真は北朝鮮から脱出した別の男性から受け取ったもので、その際この男性から『藤田進』という名前をはっきり聞いたと述べたほか、▽写真の男性が1970年後半に日本から拉致され、▽その後、ピョンヤン市内にある北朝鮮の工作機関で日本語の教官として働いていたという話を聞いた、と証言したということです。さらに、▽写真の男性は少なくとも数年前の時点では生存していたもようだとも伝えられたということで、日本政府では、さらに調査を進め、写真の男性が藤田さんかどうかについて確認を急ぐことにしています」とされている(別添資料10)。

(2) 申立人藤田隆司と春之助は、平成16年9月28日、被疑者不詳・国外移送目的略取誘拐罪で埼玉県県警本部に告発した。そして、警察当局は同被疑事件において平成16年10月29日写真を、平成17年3月11日アルバム、ノート、手帳、学生服、膝掛け等所持品17点を押収し(本件藤田申立事件資料7,資料8)、学生服と膝掛けに付着する髪の毛を採取し、隆司と春之助の口腔内の粘膜を採取した(本件人権救済事件における第1回照会に対する申立人の回答書)。

(3) 以上の経緯からすると、藤田進氏に関する情報として、政府並びに警察当局は、本件警察鑑定書だけでなく、その写真を持っていた人物からその入手経路のみならず、写真を受け取った別の男性による写真の人物の素性等の詳細な証言を得ており、さらにはDNA鑑定のための父及び弟の口腔内の粘膜の採取にまで捜査を進めている。

 警察鑑定書の作成日付けからすると、そのうちの①の鑑定書は上記NHKの報道前には既に作成済みで、政府関係者が韓国のソウルで写真の人物について調査に入る前には鑑定がなされているものである。

3 政府及び警察当局の対応について

(1) 上記のとおり、政府並びに警察当局は、韓国のソウルまで調査に及び、写真を持っていた人物に直接会って詳細な聞き取り調査を行い、そして人物の同一性のみならず写真の真贋性の鑑定にまで及び、またDNA鑑定のためと思われる髪の毛や父と弟の口腔内の粘膜の採取など本件藤田進失踪事件の捜査上極めて重要な証拠の収集を行っている。

 しかし、政府ならびに警察当局は、藤田進氏の所在等も含め捜査の進展状況、その他藤田進氏に関する情報は申立人藤田隆司らには一貫して伝えてこなかった。本件警察鑑定書の説明の際にも鑑定結果を伝達するのみで、その他何らの情報の開示もなされていない。

(2) ところで、平成16年1月29日申立人16名で行った人権救済申立事件の調査において、貴連合会からの平成16年12月16日付内閣総理大臣、外務大臣及び警察庁長官宛の平成16年12月16日付照会に対し、平成17年1月5日付内閣官房拉致被害者・家族会支援室長の回答は、「本件被害者16名の北朝鮮当局による拉致された可能性に関する現時点の判断の状況については『個別的具体的な事案』であり、『捜査を含めた今後の政府の取り組みに与える影響に鑑み回答を差し控え』たい」、同じく同日付警察庁警備局外事情報部外事課長よりの回答も、「本件被害者16名について、現在、関係警察において捜査中であるが、『具体的な捜査の内容については、捜査上の秘密の保持や、個人のプライバシーの保護の観点から』その回答を差し控える」とし、その上で「本件被害者16名の事案に関し、『被害者の所在が不明であり、事案発生の時点で目撃者もおらず、証拠もほとんど残されていない』など『いずれの事案についても厳しい諸事情が存在する』ことを指摘しつつ、関係警察において、速やかに捜査を遂行すべく努めている」とのことであった(同申立事件における調査報告書4〜5頁)。

 もしも、政府及び検察当局が、いまだにかかる認識のもとで藤田進氏についても情報開示を拒んでいるとすればその姿勢は批判のそしりを免れない。

 藤田進氏に関しては、上記のとおり重要かつ多くの証拠関係が既に収集されており「厳しい諸事情」は最早取り除かれているものと言える。藤田進氏に関する情報を開示できないというのであれば政府自らがその理由を具体的に説明しなければならない。

 2004年(平成16年)に報道機関が入手した写真が、専門家そして警察による鑑定がなされ、その他政府自らの情報収集がなされたことが公になっており、さらには、本件藤田申立事件の申立ての理由において述べた数々の根拠が存在する。にもかかわらず藤田隆司らにはことの真相が伝わってこない。31年間藤田進氏の安否を待ち続けている申立人らがその情報を知る権利は最大限尊重されなければならない。藤田進氏に関する情報の開示は、もはや捜査上の秘密の保持とか、個人のプライバシーの問題の域を超えている。

 それでもなお、申立人らの要請に答えずこれを放置するようなことであれば、そのこと自体が国民に対する人権侵害に当たるものであるとの批判を政府自らが受けなければならない。

 警察当局は、藤田進氏に関する捜査・調査の内容を至急に明らかにし、日本政府は、北朝鮮に対し藤田進氏の所在確認と身柄の返還などを強く求め、一日も早く家族と再会が果たせるよう努める責務がある。

4 最後に

 もとより本件藤田申立事件のみならず、他の本件人権救済事件の申立て事件においても同様、それぞれの事件において独自の目撃証言や関係証拠をもとに拉致の疑いが極めて強いものであることを申し述べている。それぞれの主張を真摯に受け止め、捜査の全容を明らかにし、国民の人権の保持に徹する対応を取られることを日本政府並びに関係機関に強く求めるものである。

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2013年3月10日

訃報(山田ゆり様)

【調査会NEWS1313】(25.3.10)

 特定失踪者山田建治さんのお母様である山田ゆり様が9日逝去されました。88歳でした。8日食事を喉に詰まらせて病院に搬送され、一旦は回復したものの、その後体調が急変して亡くなられたとのことです。お通夜・葬儀の予定等は以下の通りです。

お通夜 3月10日(日) 19:00から

葬儀・告別式 11日(月)12:00から

式場はどちらも「いなば葬祭センターたんぽぽ」(富山県小矢部市赤倉97 0120-57-8940)にて執り行われます。喪主は山田久直様。

 山田建治さんは昭和54(1979)年12月18日に出勤途中行方不明になりました。その後JR(当時国鉄)氷見線越中国分駅の裏に本人の乗用車が置かれているのが見つかっています。越中国分駅では1年4か月後の昭和56(1981)年3月31日、北朝鮮工作員が警察官の職質を受け、高岡駅前のホテルに移送されたところ、翌31日北朝鮮に対する忠誠を叫びながら飛降り自殺するという事件(通称伏木国分事件)が起きています。また、山田建治さん失踪の前年である昭和53(1978)年8月15日には次の雨晴駅とその次の島尾駅の間の海岸でアベックの拉致未遂が起きています。

 「1万キロ現地調査」の第1回目(当時は「1000キロ現地調査」)は一昨年、平成23(2011)年6月10日、高岡駅前からスタートし、アベック拉致未遂現場の後山田建治さんの車が置いてあった越中国分駅に行きました。このときはお母さんは出てこられませんでしたが、現地調査の状況とかつてお会いしたときのことがオーバーラップします。あの現地調査からも既に2年経っており、時間の「重さ」を実感しています。

 以上取り急ぎお知らせ申し上げ、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

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2013年3月 9日

特別指導班

【調査会NEWS1312】(25.3.9)

 報道によれば、警察庁は3月8日、拉致の可能性のある行方不明者の捜査・調査を強化するため、「特別指導班」を新設し、約10人を専従として都道府県警の捜査の把握・指導を従来以上にきめ細かく実施するとのことです。

 どのようなことであれ、前向きの話であれば歓迎です。その前提であえて書いておきますが、この話今一つしっくりきません。古屋圭司拉致問題担当大臣は1月に特定失踪者の家族と面会した際、個々のケースについて長時間かけて精査していると言っておられましたから、「特別指導班」はその延長線上の話だと思うのですが、正直なところ、どれだけ成果が挙げられるのだろうかという疑問も払拭できません。

 調べた結果、新しいことが出てくれば、「なぜ今まで分からなかったのか」「これまで隠していたのではないのか」と、結局警察の不作為を証明することになります。現場の人の思いはともかく警察官僚が自分からそんなことをするとはとても思えません。せいぜい、「県警の捜査が不十分だったので、警察庁が指導したところ拉致と断定できるケースがあった」と言って責任を下に押しつけて何人か認定する言い訳に使う程度でしょう。何だか北朝鮮に対して求めた「再調査」と同じような感じがしてきます。

 政府には現時点で何人も拉致認定できる人はいるはずであり、拉致問題の解決に本当に「認定」が必要なら(私は最近その点に非常に疑問を感じています)とにかく早くすべきです。また、「特別指導班」にはぜひ山本美保さんに関わるDNAデータ偽造事件についても調べてもらいたいものです。

 昨年の情報開示請求に対する868人という回答、8年経って家族に伝えた藤田進さんの写真の鑑定結果、そしてこの特別指導班と、これまでの警察の動きからすると違和感を感じることがいくつかあります(一説にはこの動きは昨年の6月頃から始まったとも聞いています)。まあ、私の性格がひねくれているのでそう感じるだけであれば良いのですが、ともかく目的は「拉致被害者を救出すること」であって認定は手段の一つにしか過ぎません。何をしなければならないかという根本的な問題だけは忘れないでいて欲しいと思います。

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2013年3月 8日

1万キロ現地調査第14回(三重・愛知)

【調査会NEWS1311】(25.3.8)

 1万キロ現地調査第14回の概要は次の通りです。報道等関係各方面の皆様のご対応をよろしくお願いします。

●目的
(1) 現地調査により個々の事件及び北朝鮮による拉致・工作活動への認識を深める。
(2) 広報啓発活動を通し今後の工作活動を抑止する。
(3) 現地で特定失踪者家族・政府認定者家族他関係者から北朝鮮向け短波放送
「しおかぜ」のメッセージを収録する。

●参加予定者
 調査会(荒木・岡田・村尾・杉野・曽田・上野)・特定失踪者家族・支援者他

●日程
※当日の状況により変更される可能性がありますのでご了承下さい。
お問い合わせは事務局(常務理事曽田090-4937-2595)までお願いします

3月16日(土)

 09:00 伊勢市駅(JR側)集合
※調査会役員・関係者は前日から『伊勢シティホテル・アネックス』に前泊します。(0596-22-5100)

午前中 伊勢市・辻出紀子さん及び大政由美さん関連現場調査
(移動・途中昼食)
午後 名古屋市内失踪関連現場調査

 18:00『ナゴヤグランドホテル』にて家族懇談会
(愛知県名古屋市中村区椿町17-21 JR名古屋駅太閤通り口徒歩2分TEL052-451-0688)
※調査会役員・関係者は同ホテルに宿泊します。

3月17日(日)

 09:00 ナゴヤグランドホテル前出発
午前中 桑名市内 辻与一さん失踪関連現場調査
(移動・途中昼食)
午後 愛知県内失踪関連現場調査
 
17:00 終了予定

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2013年3月 6日

土台人

【調査会NEWS1310】(25.3.6)

 宣伝めいた話になりますが、私が勤務している拓殖大学海外事情研究所で発行する月刊「海外事情」の2月号に「西新井事件捜査を顧みて」という論文が掲載されています。警察OBの方の手による論文ですが、その副題は「北朝鮮帰還事業で北朝鮮に帰った人々は対日・対韓国工作に利用された」というもの、実際は取り締まる対象だった「土台人」、つまり帰国した家族を人質として利用され、北朝鮮の工作に協力させられた在日について書かれたものです。この方面に関心のある方、特に外事警察の関係者の方にはぜひ読んでいただきたく思います。

 先日守る会の前代表である三浦小太郎さんが同会のホームページで映画「かぞくのくに」(ヤン・ヨンヒ監督)のDVD発売の紹介をしていました。この映画では主人公(監督自身がモデル)の女性に一時帰国で北朝鮮から戻った帰国者の兄(井浦新)が北朝鮮の工作活動に協力できないか(もっと間接的な言い方だったと思いますが)と遠慮がちに語るシーンがあります。

 主人公は断り、兄もそれ以上は言わないのですが、北朝鮮を出てくるときに家族の誰かを包摂しろ指示されており、成功しなかったことによって北朝鮮に戻れば罰せられるという設定なのだと思います。一時帰国というのはあくまで映画の上での話であり、実際にはそのようなケースはほとんどないのですが、帰国した家族を人質にされて工作活動に協力させられたり、カネを巻き上げられた在日はどれだけいるか分かりません。私たちはその現実も受け止める必要があると思います。

 一方で、そういうことをする体制の下部機関である朝鮮総連や、さらにその指導を受けて子供たちに北朝鮮を支持する教育をする朝鮮学校というのは、私自身はこれだけ拉致問題が明らかになり、北朝鮮の人権侵害が明らかになってもまだ日本に存在すること自体が異常ではないでしょうか。

 「朝鮮学校への補助金は子供の人権のために支給すべきだ」という人がいます。そうなっている一因には本質をちゃんと見ないで、「拉致事件が解決していない」「核やミサイルの開発をしている」といった、ある意味別件での措置にするからだと思います。それ自体の存在の問題点から考えても朝鮮総連はもっと徹底して取り締まるべきであり、朝鮮学校に補助金を支給したり無償化の対象にする措置はすべきではありません。

 結局何事もそうですが、本質的な問題を避けていては解決につながらないのだと思う次第です。

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2013年3月 4日

誰?

 これは昨年12月24日の労働新聞ですが、金正恩と崔竜海の間に立っている人物の名前をご存じの方はおられませんか。デイリーNKによれば「第二経済委員会傘下ミサイル開発研究所所長」となっていますが、労働新聞の記事の中には言及がありません。言及がない割には特等席に位置しているのが不思議です。この件はおそらくすでに色々報道されているはずなのですが、恥ずかしながらちゃんとフォローしておらず、まだ今一つ理解できていません。ちなみに足下のラインとの位置関係を見ると少し後ろに下がっています。遠慮したのかも知れません。
 작년 12월24일 로동신문 사진입니다. 김정은과 최룡해 사이에 서 있는 인물 이름을 아시는 분은 알려주십시요. Daily NK 에 따르면 "제2경제워원회 산하 미사일개발연구소 소장"인것 같은데 로동신문 기사에도 이름이 나오지 않습니다.
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