佐藤順子さんについて
【調査会NEWS1263】(24.11.28)
すでにお伝えしたように特定失踪者佐藤順子さん(平成12年9月12日、スイス・ツェルマットで失踪)について、拉致問題対策本部主催国際啓発行事にあわせて代表荒木が現地での調査を行ってきました。現状ではまだ調査は十分と言えませんが、とりあえず概要をお知らせし、今後も情報収集に努めて参ります。何かお気づきの点がありましたらお知らせいただければ幸いです。
なお、この調査にあたっては観光関係の方々、報道機関の方々等大変お世話になりました。この場をお借りして御礼申し上げます。
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11/8(〜10拉致問題対策本部主催国際啓発行事)
EU代表部・韓国代表部・米国代表部訪問(片面佐藤さんの写真とフランス語の説明、片面調査会英文ポスターの縮小版のビラを渡し、説明)
シンポジウム(ジュネーブ大学 特定失踪者についての荒木の説明の最後で佐藤さんについて話す)
11/9
国連人権委強制的失踪作業部会で陳述(同ビラを委員に渡す)
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11/10(以降マスコミが同行)
●ローザンヌ平壌文化交流センター(代表 シャルル・カルプフュス) 訪問
この団体については文末を参照のこと。「ローザンヌ平壌文化交流センター」という看板はどこにもなかった。カルプフュスはドアをあけて荒木を見たとたん、こちらからは朝鮮語で話しかけたにもかかわらず「ジャポネ」と言った。なぜ日本人と分かったのかは不明。報道関係者と3人で入るが、テレビカメラを向けられても嫌がる様子もない。話の内容からすれば大した役割は担っていないようにも感じられたが、全く面識のない東洋人2人とドイツ人がアポイントメントもなしに訪ねてきて、しかも1人はビデオカメラまで構えているのに笑顔で迎え入れたところがかえって不気味だった。カルプフュスはジュネーブの北朝鮮代表部のソンというスタッフの携帯と固定電話の番号をメモして「ここに聞いてくれ」と言った。
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11/11
●朝カルプフュスから聞いた番号に電話。前日は何度か電話したがつながらず、この日朝はじめてつながった。佐藤さんの話をするが、当然ながら「何も知らない」とのこと。ただしいきなり日本人が朝鮮語で電話をかけてきたので驚いたのか、敵対的な感じではなく虚を突かれたような印象だった。
●ツェルマットでの調査。まず佐藤さんが宿泊したユースホステルに行く。ここは知人の観光関係者から事前に連絡を入れてもらったが説明に応じる様子がなかったため直接訪問した。想像通り詳しい説明は聞けなかったものの、ユースホステルに関する概略はそこにいた職員が回答してくれた。就寝時間は10時とのことで、8時半にチェックインしたのであればほとんど寝るだけに近かったのではないか。また、たまたま宿泊していた日本人男性もユースホステルの状況について説明してくれた。彼によれば現在6〜8人部屋で1泊50フランくらい(日本円で4500円程度)とのこと。失踪当時勤務していた人はいなかったのでそれ以上のことは聞けなかった。
●ツェルマット市街地を歩く。ツェルマットはマッターホルンや氷河を控えた行き止まりの村である。11月はオフシーズンでホテルや店舗も休んでいるところが少なくない。佐藤さんの失踪した9月はまだハイキングシーズンなので観光客も多かったと思う。狭い市街地で、長野県の白馬村をもっと山間にしたようなところ。化石燃料を使う車は乗り入れが制限されており、車で来た観光客は鉄道の1駅前、ターシュ駅の駐車場に車を置いて電車でツェルマットに行くようになっている。この点、9月12日のユースホステルでの朝食以後、佐藤さんが目撃されていないことが謎である。
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11/12
●朝登山鉄道でマッターホルンを望む一番有名な展望台、ゴルナーグラートに行く。後述のルッゲン局長の話の通り、2泊3日程度で日本人がツェルマットに来る場合、ここが定番のようなところ。私たちがいる間にも日本人観光客がやってきて30分程の折り返し時間にそそくさと写真をとって帰って行った。他のところまでは行けなかったが、長期間の滞在でなければ行く場所は限られていると言えるだろう。
●ツェルマット観光局のダニエル・ルッゲン局長と失踪当時捜索にあたったジェルク・ブルーノ氏に話を聞く。以下はその概要
・これまでにないほどの捜索をした。ともかく彼女が行ったと思われるところはほとんど行っている。当時は捜索犬も出して調べた
・捜索を始めたのは18日だったので、失踪した12日から18日までの6日間のギャップがある。
・もしかしたらクレバスに落ちた可能性もある。
・山に登ったのではないか(これについて確認したところ「日本人がツェルマットに来たのだから登ったのだろうという可能性の話」とのこと)
・自殺しに行く人もいる。
・ツェルマットに住んでいた日本人がスノーボードをやりにいって失踪したことはある。
・ここまで不思議なケースは初めてである。
・インターラーケンから男に付けられていたとの情報は、二つあり、一つは家族から、もう一つは警察からの情報である(この情報については警察は「日記にあった」と言っており、家族は話していないと言っている。どこから出たものか謎が残る)。
・荷物は捨てていった可能性もある。
・事件に関連づける証拠はない。
・日本人が2泊3日でツェルマットに観光で来れば普通マッターホルンを見ようとするだろう。
ブルーノ氏は捜索した地域を示す地図を見せてくれた。マッターホルン周辺も含めて相当広範囲に捜索したことが分かる。
<荒木所感>
今回の調査では北朝鮮と直接結びつくものは見つからなかったが、拉致以外の可能性はより低くなったと感じられた。
拉致でなかった場合、考えられるのは次の3点である。
(1) 本人の意志による失踪
(2) 事故
(3) 一般的な刑事事件
このうち(1)は10日までの日記の記述からしてほとんど考えられない。佐藤順子さんは極めてまめな性格で、旅行の第1日目から毎日、A5のノートに毎日1ページずつ、ぎっしりとその日あったことを書いている。その内容から心境の変化は感じられない。自宅にもスイスからイタリアに向かい、月末に帰国すると伝えている。
(2)の事故については観光局長らへのインタビューでも、可能性が極めて低いと思われた。事故で見つからないとなれば山に登ってクレパスに落ちることなどが考えられるが、ユースホステルで朝食中日本人の同宿者と話したのが目撃された最後であり、山に登っていくところの目撃証言はない。
宿に残っていた荷物の中にはパーカーもあり、山に登るなら当然持って行くと思われる。ちなみにツェルマットの9月の平均最高気温は15度、平均最低気温は5度。山に登ればさらに気温は低下する。朝食のときの同宿者との会話でも、「今日はどこにいくの」と聞いたら、順子さんは「足が痛いからどうしようかな」と言っていたとの証言がある。10日はユングフラウヨッホでハイキングしているが、日記の最後に「しかしつかれた、足の親指に血マメができた」と書かれている。行動範囲が限られていれば登山電車やロープーウェイで展望台のあるところに登る程度であろう。観光シーズンで日本人も多いツェルマットにおいて全く目撃されず、事故現場の遺留品もみつからない可能性は極めて低いのではないか。
(3)の一般的犯罪については、スイス及びツェルマットを良く知る人たちが一致してその治安の良さを認めている。確かに大都市であるジュネーブでも街を歩いていて緊張感を感じることは少なく、いわんや小さな村であるツェルマットではチンピラなどによる犯罪行為はほとんどないし、何か起きても必ず情報が伝わるとのこと。地元の警察が拉致などについて否定的なのも犯罪の少ないところだからだろう。
スイス政府観光局関係者によれば「今年の春、日本人夫婦がホテルに帰らないとの連絡がホテルから大使館にあったことがある。結局電車に乗り遅れただけだったが、このように何かあれば必ず連絡が来る。ツェルマットは言い争いのようなものもない静かなところ。『いやだ』とか『やめて』というような声を上げれば誰かが聞いている。日本人も多く、おかしな雰囲気であれば誰かが聞いているはず」とのことである。
以上のいずれでもないとすれば現時点で直接の結びつきはないものの、北朝鮮による拉致の可能性は相対的に高まると言える。
ただし、ツェルマットは化石燃料を使う車両の乗り入れが制限されており、入る場合はチェックが行われる。当時それと思われる車両はなかった(地元警察広報官)とのことで、例えば現地でそのまま尾行され車両に乗せられたという可能性は低い。
とすれば拉致を想定した場合、本人が自分の意志でどこかに行った後に失踪したということになる。その意味でユースホステルに残された荷物にあった日記の9月11日のページが日付だけで本文が書かれていないことが大きなポイントではないか。日記は書かれている内容からして何日かまとめて書いたわけではなく、必ずその日の夜に書いていたことは明らかだ。また、9月11日は日付だけだが次のページには日付も書かれておらず、以前のページに1日分で2ページ使ったところがないことから、毎日日付を書いてから本文を書いていたものと思われる。
仮説だが、11日インターラーケンからツェルマットに至るまでの間に何かがあり、それが理由となって本人が日記が書けないような心理状態となり、翌日自らどこかに行って誰かと会い、そして連れ去られたと考えればつじつまは合う。ただし、11日の時点で犯罪に巻き込まれたのであればその日の晩から翌朝の間に何らかの意思表示や行動をしているはずであり、日記にも異常を示す記載があると思われる。そうではなくて、例えば騙されて自分が犯罪を犯してしまったかのように思わされたとすれば、気持ちの整理がつかず日記に書けなくなり相手にコントロールされることになったとも考えられる。
ここで一つの参考になるのは平成18年9月にフジテレビ系列で放送された「報道A」という番組の内容である。ここではローザンヌ平壌文化交流センターについて取材したところ、電話をしている人間(フジテレビスタッフと通訳)の名前も国籍も聞かずに「大使館でパーティーがあるから来ないか」と前述のカルプフュスが答えている。
そして文化交流センター(看板も出していないカルプフュスの自宅)の前からアジア系の男の運転する外交官ナンバーの車にカルプフュスが乗り込み、ベルンの北朝鮮大使館に向かう途中スイス人の男性(後に取材によって北朝鮮シンパであることが確認されている)とアジア系の女性が車に乗り込むところを撮影している。しかし、車が大使館に入った後確認するとインターフォンを通じてパーティーもなく、車も来ていないとの返事であった。そして、後日フジテレビのスタッフがローザンヌ平壌文化交流センターに電話するとまたもや「ジュネーブの大使館(代表部)でパーティーがある」と言われている。
なお、順子さんの失踪後東京の自宅には失踪後、6日後の9月18日にはじまり20日、27日、28日、29日と無言電話がかかっている。時間は毎日朝8時半頃でその後はかかってきていない。特定失踪者で失踪後に自宅に無言電話ないし不審な電話がかかってきたことが報告されているケースは少なくない。
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