« 2007年1月 | トップページ | 2007年3月 »

2007年2月23日

逮捕状

以下は調査会NEWS 474(19.2.23)に書いたものです。

 一昨日くらいから蓮池さん拉致に関わった北朝鮮工作機関の指導員2人のニュースが流れています。逮捕状をとり、写真や似顔絵を公開したということですので、逮捕も近いのか、と考えてみると2人は北朝鮮にいるのですから、結局は発表して終わりということなのではないかと、皮肉の一つも言いたくなります。

 素朴な疑問なのですが、この2人の写真や似顔絵はどこから出てきたのでしょう。現在70〜80ということですから、顔立ちから見て事件の頃に撮影された写真だと思います。1970年代の貿易代表団として日本に出入りしていたころのものだとすると、当時からマークされていたことは明らかで、一度に何百人もやってきていたわけでもない北朝鮮の人間を警察が追うのは、現場の方々の努力は大変だったでしょうが、組織の能力からすれば十分にできたはずです。

 報道ではこの2人、他の人間の拉致も関与した可能性があるとのこと。そんなにやっていたなら当時何で分からなかったのでしょう。富山県警の某幹部は「高岡の未遂事件(昭和53年8月)が北朝鮮による拉致未遂と分かったのは大韓航空機爆破事件(昭和62年11月)の後だ」と語ったそうです。そんなはずはないのですが、いずれにしても事件当時警察がどこまで分かっていて、どこから分かっていなかったのか、明らかにする必要はあると思います。

 それともう一つ、この2人がやってきて蓮池夫妻の拉致に関与し、その後の監視や教育まで担当したとなると、当然蓮池夫妻のどちらかをある目的に従って調査した上ねらいをつけて拉致したということになるはずです。昨年の「女性を狙ったら男がついてきた」と言った報道とは矛盾します。もちろん、海岸にいたアベックを手当たり次第に連れてきたということでもないでしょう。

 少しでも「進展」するのは良いことですが、拉致問題についてはこれまでの警察の対応に過ちがあったことは当然です。もちろん、当時の国内の状況は警察の責任だけに押しつけられるものではなく、それ以前に政治の責任があることは間違いないのですが、いずれにしても、どこに問題があったのか、今何が足りないのかは一刻も早く国民の前に明らかにすべきではないでしょうか。責任に関わる部分だけを抜いて情報を出しても全体像は見えません。

 もちろん、それができなかったとしても警察が平壌に踏み込んでこの2人を逮捕してきて自白させればいいのですが。

|

2007年2月21日

PP&Mもいいけれど

以下は調査会NEWS 473(19.2.21)に書いたものです。

 昨日は家族会の皆さんが首相官邸で安倍総理と面会しました。このところ、政府からの報告などのときには特定失踪者の家族に伝えるということで、調査会からも参加していたのですが、今回は一切お声がかかりませんでした。「しおかぜ」支援返上の効果(?)なのかも知れません。

 それはさておき、報道によれば官邸で家族会の人たちは総理と面会した後にPP&Mのポールさんの歌を総理や中山補佐官、6者協議に参加した佐々江外務省アジア大洋州局長らと聞いたそうです。こんなことに水を差しても仕方ないかも知れませんが、私には何かずれているように思えてなりません。

 6者協議の合意は、北朝鮮の体制を保障し、援助を与えることを決めた以外、今の時点で何も現実には前進していません。もし、これが「前進」だと言おうとするなら、北朝鮮に約束を守らせる(それがどれほど大変なことかは歴史が証明しています)ための他国との連携にせよ、日本国内での対応にせよ、よほど気合いを入れてやらないといけないはず
で、いやみな言い方ですが、「官邸でそんな悠長なことをしている余裕があるのか」と言いたくなります。

 米国は大統領が電話をかけてきたり、副大統領が来日したりで(まさかポールさんまで米国政府のさしがねということはないでしょうが)、「拉致問題をやります」と盛んに言っています。それはありがたいことなのですが、いずれにしてもこの問題の解決のためには周辺国の協力はあくまで二次的なもので、日本の行動が何よりも大事です。いつの間にか「拉致問題の解決なくしては」が「進展なくしては」に変わってしまっていますが、あの体制が続く以上拉致問題の完全解決はありえず、核の脅威も去りません。そういう意味では「オール・オア・ナッシング」にも近い状況であり、日本政府はその「オール」を、米国の腰が引けようと、中国や韓国が妨害しようと目指さなければなりません。

 これは前政権時代のことですが、5人が帰国した後、「5人の家族の帰国最優先」という方針を政府は立てました。家族会の帰国していない人の家族も、特定失踪者の家族も、私たちも、一般の方々も、「ともかく家族が帰ってくれば5人はそれ以外の人のことを話してくれるだろう」と思ってそ
の方針に納得しました。そしてその期待は裏切られました。家族が帰ってきた後、5人はさらに語らなくなりました。私は今でも、ひどい言い方かも知れませんが、まだ帰国していない拉致被害者(政府認定者以外の人も含め)を優先するか、せめて並行して行うという方針にするよう求め続けるべきだったと悔いています。この間のロスは1年半に及びました。

 25日には総理が新潟に赴いて帰国した5人と会うそうです。まさか「週刊現代」や「諸君!」の論文の件で蓮池薫氏から「荒木を黙らせてくれ」と言われることはないでしょうが、折角合うのですから、総理から「皆さんの身辺は絶対に保障するから、マスコミに対しても、一般の国民に対しても北朝鮮や拉致問題の真実を語ってほしい」と説得してもらいたいものです。

|

2007年2月17日

佐々江団長からの報告

以下は調査会NEWS 472(19.2.16)に書いたものです。

 本日午前、6者協議に参加した日本代表団の佐々江団長(外務省アジア大洋州局長)らからの報告がありました。家族会、救う会の代表とともに調査会から私と真鍋専務理事が参加しました。

 内容については報道等もされていますし、救う会のメールニュースにも出ていますので、ここでは印象だけ述べておきます。結論から言えば昨日発表した内容の決断は間違っていないと確信しました。

 もっとも、私はこの席で議論をふっかけたわけではありません。この席は基本的に家族会に報告をし、意見を聞く席であり、私たちの立場は政府の報告を特定失踪者の家族に伝えることにあるからです。私は佐々江局長にただ一言、現場でのご苦労に文句を言うつもりはないが、皆さんとは別の次元での判断については納得できないと伝えました。その上で、配られた文書に「『懸案事項』には、拉致も含まれる」と書いてあるが、北朝鮮は本当にこう認識しているのかと質しました。佐々江局長はそうであると答えましたが、どういう場でどう認識しているのかについては語りませんでした。

 ベルリンでの米朝の協議、そして今回の6者協議、金桂冠の顔を見ていれば、北朝鮮が追い詰められてあの合意に至ったのではないことは明らかでしょう。もちろん、北朝鮮の中もがたがたですから、向こうが今後ヘマをすることは考えられますし、そう追い込んでいかなければなりませんが、少なくとも今回の合意、そしてそれに日本が加わったことは失敗であるとの認識だけは持つべきだと思います。その上で次の対応を考えないと、とんでもない過ちを犯すことになるでしょう。戦略の過ちは戦術で補うことはできません。

 どのみち6者協議というのは、北朝鮮を追い詰めるための環境作りの意味しかありません。米国も中国も核保有国であり、北朝鮮の核は痛くも痒くもない、他国に渡るのが怖いだけです。それさえできない約束があれば、面倒なことをするより核を認め、金正日体制を認めてしまった方がはるかに楽です。

 6者で外堀を埋めておいて、日本の手で金正日体制を一気に攻め落とす(別に武力は使わないにしても)やり方でいかなければ、核も拉致も解決しません。そして、それは官僚のやる範囲ではなく、政治の決断が何より必要です。総理にはその点をあらためて理解していただきたいと思います。

|

2007年2月15日

痩我慢

ベルト周りの気になる体形で「痩我慢(やせがまん)」と言っても説得力はありませんが、我慢することにしました。

 このような合意はすべきではなく、他の5カ国がどうしてもするというなら、日本は合意自体から離脱すべきでした。もちろん、米中露に南北朝鮮がその方向にある中で孤立するというのは大変な決断であるはずです。しかしそれにもかかわらず私は決断をすべきだったと思います。その決断の重みを表すためには私たちもささやかな決断をしなければならないと考え、政府からの支援をお断りすることにしました。以下は本日の調査会記者会見で発表した文書です。
-----------------------------------------------------------------

                                                           平成19年2月15日
                         6者協議の合意について
                                              特定失踪者問題調査会代表 荒木和博

 今回の6者協議の合意は、拉致問題の解決をめざす者として、また、帰国者や日本人家族、そして他国の拉致被害者や北朝鮮一般国民の人権を守ろうとする者として、受け入れられるものではない。もちろん、長期的な意味でのわが国の国益にとっても、東アジアの平和のためにもマイナスである。

 今、拉致をはじめとする北朝鮮問題は重大な岐路にあると言っても過言ではない。正面からこれに取り組んで解決をめざすのか、先送りして後により大きなツケを回すのか、政府も、国民も覚悟をすべきときである。以上のような状況から、私たちとしても6者協議及び政府の対応の意味を明らかにし、私たちなりの覚悟を表明するため、平成18年度補正予算及び19年度予算から支出される予定の「しおかぜ」に対する事実上の政府支援を受けないことにした。

 今回の6者協議合意は、単なる欺瞞に過ぎない。金正日体制が維持される限り北朝鮮が核開発を放棄する可能性はゼロであり、支援によって金正日独裁体制の延命に手を貸す以外の結果は得られない。また、現時点で政府は拉致問題の進展なくして援助は行わないとしているが、今後北朝鮮側から「再調査する」などの、守られるはずもない口約束を理由に援助に踏み切ることが憂慮される。もちろん他の4国は一刻も早く日本に援助させるよう求めてくるだろう。

 私たちとしては18年度補正予算、19年度予算あわせて500万程度と推測される日本政府の支援は正直なところ喉から手が出るほど欲しい金額である。しかし、それ以上に、今回の合意に日本が加わったことは極めて重大な問題であり、これを看過することはできない。そして、その重要性を伝えるためには身を切って警鐘を鳴らすしかないと考える。

 なお、政府支援と別に、KDDIが所有し、現在NHKが独占的に使用している八俣送信所(茨城県古河市)を使った国内からの「しおかぜ」送信について調整が行われている。これは政府の予算を使うものではないので実現に向けて調整を続ける。現状では総務省、KDDIともに担当者には積極的に取り組んでいただいており、使用権を持つNHKの対応が最大のネックになっている。この問題が解決されるかどうかによって実現の可否が決定すると思われる。

 何度も訴えていることだが、拉致問題の完全解決は北朝鮮の体制転換なしにはあり得ない。そして、米国も中国も韓国もロシアも妥協による問題先送りを希望している以上、日本は孤立しても原則的姿勢を貫かなければならない。ことは交渉担当者レベルではなく、政治の決断の問題である。関係各位が私たちの覚悟の意味を理解してくださるよう、切に期待する次第である。
                                                            以上

|

2007年2月 9日

6者協議

 日本は孤立している。
 それで何か問題があるのでしょうか。もともとアメリカは腰が引けており、中国も早いところうやむやにしてしまいたいのは歴然としており、いわんや韓国おやです。ロシアは問題外のさらに外。アメリカや中国に期待する方が間違いなのであり、日本は喜んで孤立して今の原則を貫くべきです。もちろん、その方向での外務省への声援は必要で、世論の支持がなければどうしようもありませんが。
 私は昨日まで韓国にいました。韓国で北朝鮮の民主化をしようとしている人たちは日本に熱い期待を寄せています。「日本は姿勢が揺らがない」というのが共通した思いです。別に期待をされるからするわけでもありませんが、北朝鮮の人々を救うためにも日本が頑張る以外に方法はないでしょう。栄光ある孤立。そしてアメリカも中国も引きずり回して日本の言うことを聞かせる気合いが必要です。かつてアメリカ、中国にイギリスやソ連まで相手にして(ソ連は最後の最後ですが)戦争できた日本に、それができないはずはありません。

|

2007年2月 4日

大森勝久氏のホームページ

 このたび、大森勝久さんのホームページを立ち上げました。(http://1st.geocities.jp/anpo1945/
お名前を覚えている方も少なくないと思いますが、昭和51(1976)年3月、札幌市の北海道庁でおきた 爆破事件の犯人として捕らえられ、死刑判決を受けた人です。自分でホームページを作るのはブログを別にすればしばらくやっていなかったので、極めて簡単な作りですが、ぜひご一読下さい。「荒木が何で?」と思われる方もおられると存じますが、私は大森さんとのやりとりの中で、ぜひご本人の論文を大森勝久の名前で世に出したいと思いました。以下はそのホームページの中で「大森勝久さんのこと、そしてこのホームページについて」と題して書いた内容(途中から)です。
-----------------------------------------------------------------------------------------------
 大森さんは昭和47(1972)年に岐阜大学を卒業し、アイヌ問題に取り組むため北海道に移住しました。セクトには属さなかったものの、かなり過激な思 想をもつ左翼活動家でした。そして、道庁爆破事件で犯人とされ逮捕、昭和58(1983)年3月に札幌地裁で死刑判決が下されました。昭和63 (1988)年1月札幌高裁で控訴棄却、平成6(1994)年7月に上告が棄却され、いったん死刑が確定しました。

 その後平成14(2002)年7月に再審請求が行われ、平成18(2006)年度中にも再審を開始するかどうかを決める札幌地裁の決定が下される予定で す。

 既に30年間拘置所にいて、家族以外とは面会ができない大森さんと私の接点はホームページでした。大森さんは拘置中に転向し、思想的には反共の闘士とな りました。もちろん行動はできないものの、平成11(1999)年5月から、渡辺隆のペンネームで小冊子『日本と自由世界の安全保障』を配布し、平成14 (2002)年4月からは、同名のホームページで自らの考えを発信し続けてきました。

 そのホームページに接したのがきっかけで、私は奥様を通して文通するようになりました(家族以外は現在文通もできません)。そして、その論考を読みなが ら、「これは実名をもって世に出すべきだ」と考えました。私自身は大森さんは無罪だと思いますが、一時期法廷で道庁爆破事件を支持する発言をしたことなど がやはり判決には影響したものと理解しています。

 70年安保の時代は特に青年・学生層にはマルクス・レーニン主義が一種の熱病のように伝染していった頃であり、少なくとも大学生や高校生であれば左翼を 気取らないとまともに見てもらえないような雰囲気がありました。その中で純粋な人であればあるほどのめり込んでいった、大森さんもその1人だったのではな いでしょうか。その思想を選んだのは本人の責任ですが、左翼思想の犠牲者であることは間違いありません。

 転向をするにあたってはおそらく相当な葛藤があったと思います。しかし、だからこそ大森さんの論考は極めて鋭く、この国の近現代史を見つめ直す上でも重 要 な視点を提供してくれているのです。私自身、すべてが私の意見と同じというわけではありませんが、非常に多くのことを教えられています。そこで、無理をお 願いして、このような形でホームページを立ち上げさせていただいた次第です。このことが再審請求にマイナスにならないことを祈るばかりですが、ともかく本 件についての責任はすべて私荒木が負うべきものであることを、この場をお借りして申し上げておきます。

 共産主義、あるいはマルクスレーニン主義という思想との戦いは、冷戦が終わっても終結していません。というより、私たちが勝手に終わったと理解していた 冷戦は実は終わっていなかったのです。私たちはあらためて覚悟を決め、20世紀最大の罪悪であった共産主義思想と、戦わなければなりません。大森さんの論 文はそのための武器です。ぜひ、1人でも多くの方がお読み下さいますよう、心よりお願い申し上げます。

|

「諸君!」の拙稿について

以下は「調査会NEWS」 466号(19.2.3)で発信したものです。

 1日発売の「諸君!」3月号に掲載されている論文「蓮池薫『工作員』説を徹底検証」(連載している月報「北朝鮮問題」の特別版)について、色々ご評価をいただいています。これについては明後日(5日月曜)発売の「週刊現代」にも寄稿していますので、ご関心のある方はご一読下さい。

 拉致問題にハッピーエンドはありません。今帰国していない拉致被害者が帰ってきて個別に「よかった」ということはあっても、拉致の全貌が分かってくれば、おそらく「知らない方がよかった」と思うことが次から次へと出てくると思います。おそらく数十年の間、この国の政権は、それが怖かったから拉致問題を隠蔽してきたのでしょう。しかし、隠してきたことによって問題はどんどん膨らんでいきました。一種の「キャリーオーバー」です。

 私たちの時代にまたそれをやってしまったら、次の世代はさらに大きな荷物を背負わなければなりません。僭越ですが、ジャーナリストであれば表面的な動きを追ったり、官製の情報操作に振り回されるのではなく、問題の本質がど
こにあるのか、ぜひ突き止めていただきたいと思います。また、政治家であれ、官僚であれ、民間人であれ、拉致問題に何らかの関わりがあるのであれば、この時代を生きるものとしての責任を追うべきでしょう。

 今回の山拓訪朝などにみられる小手先での解決を目指す動きは、この逆で、本質をさらに隠蔽し、次の世代につけ回しをするものです。この動きには米国も中国も好意的に対応していると言われています。韓国盧武鉉政権も日本が拉致問題で踏ん張ることは快く思っていません。つまり現状は、周辺から「適当に矛を収めなさい」という圧力があり、国内でもその動きがあるということで、一つの正念場です。

 蓮池薫氏が本当に日本に戻っていたのか、今の時点では絶対とは言えません。しかし、可能性は十分に存在しますし、彼でなかったとしても、政府認定かどうかは別として、拉致被害者の何人かが日本に戻っていたことはほぼ間違いないと思います。

 昨年、横田めぐみさんの夫であった金英男さんがご家族と対面し、その後記者会見で北朝鮮の書いたシナリオ通りに話をしたとき、彼に怒りを感じた方もいると思います。しかし、怒るべきは金正日体制に対してです。高校生
を突然家族から引き離し、その被害者や家族の人生をめちゃくちゃにしておいて、さらに被害者や家族を利用してプロパガンダを行おうとする体制にこそ憎しみを持つべきでしょう。

 何事も問題を矮小化していた方が楽です。今柳沢厚労相の発言をめぐって国会では大騒ぎになっていますが、ああいう、敢えて言うならどうでもいいことで騒いでいた方が野党共闘もやりやすいでしょう。しかし、貴重な国費を使う国会でやるべきことは山ほどあります。全部はとてもできないのですから、優先順位をつけて行わなければなりません。

 いうまでもなく国会が最も優先的に取り組まなければならないのは国家の基本に関わる問題です。拉致問題について言えば、隠し続けてきた与党はもちろん自らは何も言いませんし、野党もかつて隠す方の側にいたり、場合によっては北朝鮮に協力していたりで、それぞれ下手をすれば藪蛇になる、したがって文句をつけやすいことを探して時間を費やす。これでは自らの責任を放棄したも同じだと思います。

 今回の「諸君!」「週刊現代」に書いた問題については今後も発言していくつもりです。ご批判も含め、ぜひご意見を寄せていただきますようお願いします。

|

2007年2月 1日

「失言」考

柳沢厚労相の「女性は産む機械」発言が問題になっている。民主・共産・社民・国民新党の4党は大騒ぎの挙げ句衆議院予算委員会をボイコットした。正直言って「アホではないか」と思う。それほど差別的な意図があったとも思えないし、子供を産む機能は男にはないのだから、この程度の比喩くらいあってもいいではないか。少なくとも予算委員会の審議拒否をするなどという種類のものではない。

 このやり方は要は小沢的手法で、一番野党共闘のやりやすい与党の揚げ足取りをしているだけのことだ。防衛問題や教育問題などの基本問題になれば野党共闘どころか民主党の中すらまとまらなくなるだろう。しかし、例えば同じ与党でも、公明党の閣僚が何か失言をしたとしても小沢氏は追及しようとしないはずだ。政権が近くなったら手を組むつもりだからである。自民党の肩を持つつもりはないが、これは余りにもひどすぎる。

 西村真悟衆議院議員のメルマガでも同様の記述があったが、西村議員自身、かつて防衛政務次官当時「プレイボーイ」誌のインタビューでインドとパキスタンの核武装の問題で 「核を両方が持った以上、核戦争は起きません。核を持たないところがいちばん危険なんだ。日本も核武装したほうがええかもわからんということも国会で検討せなアカンな」といっただけで次官を更迭された経験を持つ。

 ともかく、国会には膨大な血税がつぎ込まれているのだ。本質から外れたことで足の引っ張り合いをせず、もっと正面から対決してもらいたい。

 ちなみにあちこちで引用しているのだが、以下は一昨年、平成17年6月14日の参院内閣委でのやりとりである。

 民主党の森ゆうこ議員が「政府、我が国政府が、我が国の国民が拉致されて救出を待っているときに、我が国の政府が自分でできる、主体的にできるということを、いつまでに、どのように、何をするのか、具体的にお答えいただきたいという質問なんですが」と聞いたのに対し、細田博之官房長官は次のように答えた。

「先方も政府で、彼らのこの領土の中においてはあらゆる人に対する権限を持っておりますので、これは我々が説得をして、そして彼らがついに、実は生きておりました、全員返しますと言うまで粘り強く交渉をすることが我々の今の方針でございます」

 これは突き詰めれば「拉致されてしまったら北朝鮮の中にいるのだから、煮て食おうと焼いて食おうと北朝鮮の勝手です」と言っているのに等しい。まあ、細田さんという人は正直な人なのだろうが、「国家の威信にかけて救い出す」ではなく、「助かってくれたらいいなあ」という、政府の姿勢がはしなくもあらわれたものだ。これは完全に一国の政府としての責任を放棄したもので、本来ならこの答弁だけで内閣が総辞職しても良い「失言」である。しかし残念ながら森さんもさらに突っ込んではいないし、他の民主党議員も、マスコミも問題にしていない。

 あえて申し上げるが、細かいことなどどうでもいいのだ。細かいことは役人がやることであって政治家がやることではない。戦略の誤りは戦術では補えない。おそらく民主党にも、自民党にも複雑な思いの議員は少なくないと思うが、ともかく本質を見極めてもらいたい。

|

« 2007年1月 | トップページ | 2007年3月 »