第46話:光と色と絵の話 (14)「白い光」を定義する
光と色と絵の話 (14)「白い光」を定義する
<のこぎり屋根の工場>
17世紀の画家フェルメールは北側に窓がある2階のアトリエで絵を書いていた(第39話 光と色と絵の話(7)フェルメールの「白い光」)。色に敏感であった画家達は絵の具の色を繊細に認識するために、太陽からの直接の光ではなく北向きの窓から入ってくる間接光を利用していたのだ。17世紀には北向きのアトリエは画家達の間では常識化していたようである。
産業革命最盛期の19世紀の初めは、イギリスのマードック(William Murdock 1754-1839)発明になるとされるガス灯が普及した時代でもある。ガス灯は製鉄に用いる石炭のコークス化に伴う石炭ガスを利用したいわば廃棄物を利用した画期的発明品であった。同じ19世紀の終わり頃にはアメリカのエジソンによる炭素フィラメント電球が発明され、オーストリアのウェルスバッハ(Carl Auer von Welsbach 1858-1929)による希土類元素を含む蛍光体の発光を利用した白熱ガス灯が登場した。これらのあたらしい明かりを利用して工場も夜中まで操業するようになった。しかし昼間はもっぱら昼間の明るい光を利用していたのであろう。
子供の頃に見たほとんどの工場(こうば)は平屋であって、その屋根はギザギザの“のこぎり”型であった。なぜそうなのかは当時は考えても見なかったのであるが、このスタイルの工場は産業革命当時のイギリスが起源であるという。ギザギザ屋根の急峻な部分はガラス窓になっていて、その窓は北向きである。産業革命の主要な担い手であった数多くの紡織工場では微妙な配色や織り方の織物を作るために、工場の織り子達にとって画家たちのように「白い光」が必要であった。「白い光」を積極的に用いようとしたのは画家達のアトリエばかりではなかったのだ。(下図をクリックすると大きくなります)
この桐生市に残っているのこぎり屋根の工場の写真には次のような説明が書かれている。
『のこぎり屋根の特徴は北側の屋根の窓から光を取り入れていたことにある。そのルーツは産業革命の最中の19世紀初めの英国にある。日本では1883(明治16)年に大阪紡績会社の工場で最初につくられた。多くはとくに微妙な色具合や織り具合を点検する必要のある繊維産業で導入された。つまり北側の窓からやんわりと注いでくる光がほんとうの色を識別できる望まれた白い光だったのだろう。1960年代になって、白色蛍光灯などの白い光が簡単に得られるようになると、工場の密閉性をよくしたいという理由からギザギザ屋根はほとんど消滅してしまった。』(日本経済新聞 2004.8.30 朝刊16面)
<白い光とは結局何なのか>
色素や顔料の色ばかりでなく、それらを用いた製品の色を厳密に同じ色であると認識しようとするなら、照明している光もまた互いに同じ光の色の照明光を用いなければいけない。誰にでも共通するその照明光とは「白い光」に他ならないのであるが、「技術」として発展させるには、皆が共通に認めるスタンダード(規格・標準)が必要になる。「白い光」のそれは何だろうか。実は、近代の技術屋たちは画家たちが利用した「白い光」そのものを「白い光」のスタンダードにしたのだ。
JIS(日本工業規格)には「白い光」の定義がちゃんと出ている。もちろん国際規格(国際照明委員会CIE)が先にあって、JISはそれを援用しているに過ぎない。その「白い光」は「北空昼光」と呼ばれ、次のように定義されている。【JISZ8105:色に関する用語 2017:北空昼光】
『北半球における北空からの自然昼光であって、通常、日の出3時間後から日の入り3時間前までの太陽光の直射を避けた天空光を言う』
つまりこの定義は、ヨーロッパの画家達が経験の上から見つけてきた「白い光」そのものである。さらにいえば、“北半球”と言っても暗黙のうちに緯度の高い北ヨーロッパを指している。
しかしこれだけでは極めてあいまいな話であって、「白い光」は厳密には決まらない。世界中の誰でも共通に利用できる物理的な数値で表現されていなければならない。つまり「白い光」の光スペクトルの定義が必要なのだ。たぶん北ヨーロッパのある地点で日の出から3時間経って、それから3時間後に日没になるという時間帯の北の空からの光のスペクトルを厳密に何度も測って、それを定義とすることになったのであろう。北からの光と言っても、もともとは太陽の光である。太陽からの熱放射スペクトルであるから基本的には太陽の表面温度が決定されれば、物理的に計算される連続的なスペクトルのはずであるが、実際のスペクトルは下図のようにギザギザした複雑な形をしている。(下図をクリックすると大きくなります)
ギザギザした複雑な形をしている理由は、太陽光が太陽の大気中を通るときにその成分の各種の元素によって吸収されたスペクトル部分を含んでいるからである。スペクトル写真上ではその吸収線は黒い線となって現れるので「暗線」と呼ばれ、発見者にちなんでフラウンフォーファー線と言う。図中の「CIE昼光」というのは国際照明委員会で定められた昼光、つまり「白い光」の意味であって、この光は色温度が6504K(絶対温度)の熱放射体からの光と等価であることを意味している。
しかし実際にこれと同じスペクトルを人工光源として手軽に作ることは不可能である。地上で6500Kもの温度を長時間にわたって安定に作り出すことは不可能であるし、ましてギザギザした吸収スペクトル線のすべてを作り出すことも不可能に近い。そこで色温度が6500Kに近くなるようにフィルターでスペクトルが調節されたタングステン電球の標準光源を「白い光」の標準光源(D65-6504K)にしようと決めている。もちろん定義そのものの「北空昼光」を用いてもいい。人間の眼は色のスペクトルが違っても同じ色に見えてしまう『メタメリズム』という現象があるので都合がいい。
<「白い光」の白さを求める>
定義された「北空昼光」という「白い光」の"白さ"を100としたときに、ある照明光がどの程度の白さなのかという尺度のことを「演色性」(Ra:正確には平均演色評価数)と言っている。限りなく演色性Ra100に近い人工光源の実現は可能かもしれないが、定義からして厳密に言えば演色性Ra100の人工光源はあり得ない。とは言え光の"白さ"の何らかの計測手法が必要である。その方法としては、まず基準の色パターンが用意されていて、ある光源と色温度が6504Kになるように調整された標準光源と同じように見えるならば、「演色性」Raは100とするのである。一般の光源の演色性Raは、昔のカルシウム・ハロフォスフェイト蛍光体を用いた蛍光灯ではRa60~74、最近の希土類元素を付加した3つの蛍光体による三波長型蛍光灯はRa88、自動車のヘッドライトなどに用いられるようになったメタルハライドランプはRa70~96、水銀ランプはRa40~50などである。厳密にいえばこれらは光源の色温度が違うので、物理的には同じ色をした物体であっても眼には違った色のように見える。これも『メタメリズム』である。(下図をクリックすると大きくなります)
<現在の「白い光」>
現在ふつうに家庭で使用されている人工の「白い光」、すなわち白熱電球・三波長型蛍光灯・白色LED、そして太陽のスペクトルを比較すると下図のようになる。スペクトルの形が違うのにもかかわらず、人間の眼ではすべて『メタメリズム』によって「白い光」と感じる。しかし演色性との観点から見ると、現在の白色LEDはまだまだ改良の余地がる。(下図をクリックすると大きくなります)
しかし、国際標準として決められた色温度6504Kという「白い光」は私たち日本人からみると高すぎる、つまり白すぎるように感じるのは私だけであろうか。これは北半球でもかなりの高緯度の北欧のデータであって、低緯度のモンスーン地帯のアジアの湿度が高い大気を通って来る「北方昼光」は色温度が低いはずだ。また「眼の分光視感効率」データ(参照:第41話 光と色と絵の話(9)ニュートンは間違っている)にしても、目の黒い日本人と青い眼の西欧人では違うのではないかと思うのである。あらゆる国際標準や規格が北欧系の人たちの主導でよって作られてきているのと同じ状況が「白い光」の規格にもあるように思うのでは偏見であろうか。
下の絵は、デンマークの画家リング(Laurits Andersen Ring)の【6月、タンポポを吹く娘】である。北欧の「白い光」を描いているのであるが、日本の「白い光」とずいぶんと違うように思う。
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