2009年 01月 08日
新年早々に、私の敬愛する作家の田中真知さんからのメールで、ある写真展の案内をいただいた。 真知さんのブログ(王様の耳そうじ)の記事を年末に読んでいたから、どちらにしても行こうとは思っていたが、真知さんはこの写真展を開催にまで漕ぎつけるのにそうとう尽力されたようだった。 写真家は、横谷宣氏という。 横谷氏の写真は、真知さんのブログ記事を読めばわかるとおり、商業ベースに乗せるのはほぼ不可能な作品なので、実物を見に行く以外に、作品に触れるチャンスはない。 実物を見に行って、そして紹介をしてくれるとうれしい、というメールを読み、紹介なら1日でも早いに越したことはないと思い、初日のきのう、行ってみた。 私などがこのようなささやかな場で紹介を書いたところで、なんの力にもなれないけど。 それは、もう、気は心でしょう。 御茶ノ水のギャラリー バウハウスという、スタイリッシュだが温かみのある空間で、その写真展「黙想録」は開催されていた。 (ギャラリー バウハウスの特集ページはこちら。横谷氏のプロフィールも詳しく載っているのでご参考にしてください。) 困った……小さなギャラリーをぐるぐると経巡りながら困り果てていた。 どう、紹介したらいいのか、どう感想を書いたらいいのか、言葉が見つからない。 世界のいろいろな旅先をモノクロで撮影している。 自作のレンズを使い、ふつうの市販ものではない印画紙を使い、一葉の作品を完成させるのに半年くらいかかるという。 セピアがかった焼きの色合いや、一目で入手が大変そうだと知れる紙の質感などを見ていると、この人がもし欲を出してこの制作方法を捨てたらたちまちに魅力が消え失せてしまうことがわかる。 大量生産のラインに乗せれば、きっとファンは倍増し、有名になるのだろう。 でも、この作品は、PCの画面や、ぺらぺらの雑誌のページに載せたら絶対にだめだ。 豪華装丁の写真集でも、やっぱりだめだ。 やはりこの、オリジナルプリントで見なければ。 昨年、東京都写真美術館で開催されていた「ヴィジョンズ オブ アメリカ」写真展に行った(レビュー)。 マグナムをはじめとする、アメリカ報道写真黄金期に発表された写真の数々は、パネルで展示されていればもちろんのこと、それがぐしゃぐしゃの新聞紙や、印刷の悪い雑誌の誌面に載っていても、はっと目を惹く力を持っている。 むしろ、ぐしゃぐしゃの紙に載ってさらに真実のきらめきを発揮する力を持っていた。 横谷氏の写真の力は、これと対極の魅力だ。 なにもかもを、納得できるレベルにするまで時間をかけて、ひとりで作り上げたい、なによりも自分のために。 この世界を、誰に知らせるためでもなく、自分がそうしたいから。 はじめ、アジェのパリにも少し似ているという印象を持ったが、年代がまったくちがうことを考えると、やはりオリジナリティーが際だっているのである。 “オリジナリティー”では言葉が軽すぎる。 まさにベンヤミンのいう、複製技術時代の芸術の権化たる写真という分野における“アウラ”が、ここにあふれていた。 真知さんと、写真評論家の飯沢耕太郎氏の紹介文も、会場に掲示してあった。 しかし、おふたりの紹介文はたしかに本当に名文なのだが、その紹介文さえ寄せ付けないほどに(ご、ごめんなさい!)、横谷氏の写真作品は、オリジナルだった。 ぴったりとした表現のしようがないのだが、一言だけでたとえるなら……、“夢で見る世界”のような。 夢の中の映像は人と共有することができない。 だが、 「こんなところを歩いていた。 こんなふうな光に惹きつけられるようにして。 あれは旅の風景だったか、かつて映画で見た景色なのか。 あんなふうに人がたたずんでいた。 あんな感じの人が笑いかけていた。 見慣れたはずの建物が、昼なのか夜なのかわからない空に禍々しく迫っていた。 闇はいよいよ深く沈み、光は土の香りを含んで中空に舞い上がり、自分の目がなにを追っていたのか定かでなくなる。 あれはなんだったんだろう。 吉祥か、不吉なきざしなのか——」 といったような、個々の人間の意識に沈む映像への感懐は、見た夢を言葉で言う困難さに較べるとあっけないほどに、誰とでも分け合える。 実体はとらえがたいのに、感覚は共有できる。 横谷氏の写真は夢で見る世界のような写真だ。 以前、ある写真展を見ての感想で、このように書いたことがある。 「“表現”は、“置換”のくり返し。 目で見たものを心にとどめ、写真という表現媒体へ置換する。 その写真を見た人は、最初の対象を見ていなくても、表現されたものから、撮った人自身をも汲む。そしてまたその人の心で言葉となって置換される(=“感想”)。 見た人の感想が、撮った人にフィードバックされ、また置換されて新しい写真へ向かっていってくれたらうれしい」 しかし今回ばかりは、私は置換をあっさり断念した。 先に挙げた、表現にかけてプロ中のプロであるおふたりでさえ、横谷氏のオリジナル作品の前には、その魅力は言い表しきれない(そしてきっと言い表しきれないことがおふたりには本望のはず)のだから、私などに表せるはずがない。 だから夢で見るような世界という、あえてこの上なく陳腐な喩えだけを使うにとどめよう。 この写真展は、それぞれの心に、まちがいなくさまざまなイメージを喚起させる体験となるはずだ。 作品を見て、陳腐きわまりない言葉しか頭に浮かんでこなくても、各々が感じたことはきっと横谷氏にフィードバックされると信じたい。 会期は長い。 是非、御茶ノ水へ。 ------------------------------------------------------------------------- 追記:本文とは関係ありませんが。 見た夢を言葉にすることを、ここで何度か試したことがあるので、もし興味があればご一読ください。 見た夢の情景をそのまま書いてみる 恋に翻弄される 夢で会いたい おそろしい夢 どれも長いけどおもしろいです。
by apakaba
| 2009-01-08 09:43
| 歌舞伎・音楽・美術など
|
Comments(7)
横谷宣・・・田中真知さんの著書「孤独な鳥はやさしくうたう」の「十年目の写真」の方ですね。
真知さんのエッセーも良かったけど、横谷さんの3枚の写真は印刷では何かボヤッとした写真の印象でしかありませんでした。 眞紀さんの文章を読んで、やはり実物を見なければ。 1月末に東京いく予定がありますので見にいかせてもらいます。 バウハウスという名前に惹かれます。 ドイツでナチスに閉鎖されるまでの10数年間、ドイツで最先端だった美術学校の名前ですもの。 もちろん写真も。
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apakaba at 2009-01-08 22:20
ogawaさんさっそくありがとうございます。
1名様ご案内ー。 本文中にはレビューという形式をとるためにグダグダ書いたけど、率直にいって、「紙焼きはいい」ですよ、やっぱ。 しかもその紙が、唸るようなステキーな紙でのプリントです。 http://apakaba.exblog.jp/6137553/ 以前、グレゴリー・コルベールという「アーティスト」の評を書きましたが、そのことを思い出していました。 エスニックな題材、セピア調の色彩、は共通するのに、どうしてここまで差が出るのか。 やはり、写真家に商売っけがあるかないかなんだと思いました。 カネ勘定しながら撮ればどうしてもあざとくなるもの。 本家バウハウスは私の好きなミース・ファンデルローエが学長だったし、クレーやカンディンスキーもいたので、あこがれますねえ。
絵画は見れど、写真展はさほど足が向かない。
パネルに「貼られている」。絵は「描かれている」。 新宿のペンタックスに、個展を良くやってます。感動が薄いんだよね。絵画という芸術はその性質上、多大な時間をかけて、「時間」の塗り重ねる。時間が絵そのもの。だけど、写真は一瞬。 大道、カルティエ=ブレッソンの写真を見に行ったことがあります。(大道はお好みじゃない?)壮絶だった。「貼っている」という感じじゃなかった。 今思えば、紙質が違うのと、焼き方。部分的に追い焼きしたり。 大道のポラロイド・ポラロイドも独特の褪せた感じと、あの紙質をうまく使った傑作だ。 ブレッソンは「一瞬」芸でした。一瞬だけど芸術として成り立ってた。 銀塩を手にして、入り込むつもりは無いけど、自前プリントの本を買ったりして、プリントの奥の深さに驚嘆。芸術なんだ・・と思えるようになった。現像は頭の中のイメージを視覚化したまで。焼く行為は絵画と同じかも・・。友人のお子様を銀塩とデジで撮って、それぞれを渡すと皆、モノクロに反応します。それはモノクロという珍しさでは無い何かを感じ取ってくれているようです。
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apakaba at 2009-01-09 08:32
soraさん、絵と写真は較べやすい対象だけど、まあ、別ものですよね。
一日に何枚も、幼児のいたずら書きのように絵を描いていたピカソと、生涯にわずかしか作品を遺さなかったフェルメールと、どっちが芸術性が高いか!なんて一概には較べられないし。 ピカソにしても「大作」よりも、一筆書きのような迷いのないデッサンのほうが、グッと惹きつけられることもある。 写真のほうが芸術性が劣っているということは、ないんだと私は思う。 表現方法の特質がちがうだけで。 絵は直しがきくけど写真はがんらい直しがきかないもん。 シロートも自宅のPCで直しがいくらでもきくようになった現在の状況は、写真の裾野を広げる意味ではおもしろいけど、写真をやる人間にとって幸福であるとは言い切れないと思う。 いったん
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apakaba at 2009-01-09 08:32
つづき。
soraさん、生意気を承知でいうけど、写真に興味があるなら、しかるべき写真を山ほど見るのが一番だと思う。 それも、プリントが基本だと思う。 研究熱心なsoraさんのことだから私などが言うことではないとわかっているけど。 写真黎明期の、イコン代わりのような肖像写真(大切な人の)から、ピクトリアリズム、報道写真黄金時代の(ブレッソン含め)カメラが屋外へ飛び出して機動力を発揮した時代、芸術性を模索した時代、現在の、いじること前提の気軽な時代、すべてに見るものがあり、興味は尽きないです。 本文で紹介した横谷氏の工芸品のような写真と、ブレッソンの「決定的瞬間」写真と、どちらがすぐれているかということは、ないんだと思う。 どっちも、力のある写真です。 ほんと、写真はおもしろいですよね。
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あづま川
at 2009-01-10 17:43
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「十年目の写真」は真知さんのあの本の中でもひときわ印象的なエッセーの1本でした。
既製のレンズは精度はいいけれど、それゆえ抜け落ちてしまうものがあるというくだりにもなるほどとうなずいたし、ぼくが初めて手に入れた一眼レフであるニコンFEを使っているのにも、お、っと思ったし。一度この目でプリントを見てみたいと思っていたので、ちょうどよかったです。知らせてくれてありがとう。もちろん足を運びますよ。 バウハウスは田中長徳さんの写真展のときに訪れたことがあります。いいギャラリーですよね。
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apakaba at 2009-01-10 17:55
あづま川さん、宣伝書き込み失礼しました!でもありがとう。
1名様ご案内ー。 私は来週の金曜に再訪するんだけどよかったらどうですか! 横谷氏の対談があります。 さあ申し込もう!行こう行こう。 うちにも古いFEとFE2があります。 きっとこのまま、夫の手を離れて次男の手に渡っていくんだろう。 それもまたよし。 また、感想をそちらにも書いてね。 あなたが書けば私などよりずっと影響力あるでしょうし。 |
アバウト
以前はエイビーロード「たびナレ」や「一生モノ https://issyoumono.com/」などでウェブライターをしていたが今は公立中学校学習支援教員のみ。 子供のHNは、長男「ササニシキ」(弁護士)、次男「アキタコマチ」(フランス料理店料理人)、長女「コシヒカリ」(ライター・編集者) by 三谷眞紀 カレンダー
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