ヴァレリイ 作 坂口 安吾 訳 〔翻訳〕ステファヌ・マラルメ読み手:北條 泰成(2021年) |
私がマラルメを足繁く訪れるやうになつた頃、文学は私にとつて殆んど無意味にしか思はれなくなつた頃だつた。読み、書くことは私に重かつた、そしてその倦怠が今に残つてゐることを私は白状しなければならない。しかし文学に対する私の良心、それから、私の存在を明瞭に描き出すことの苦心、それは私から去らなかつた。私は文学に対する苦心のために、文学からはなれた。
マラルメは、知識深い一芸術家として、又最も高尚な文学的野心を持つ人として私の目に映つてゐた。私はなるべく彼の心に触れるやうにし、たとへ年齢や、才能の上に大きな距りがあるにせよ、やがて何時か、私の煩悶や意見を述べる日の来ることを望んでゐた。彼は決して私を憶病にさせたわけではなかつた。なぜなら、彼は誰よりも優しく、思ひやりが深かつたからであつた。しかし私は当時、こう考へてゐたのだつた・・・