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芥川 龍之介

谷崎潤一郎氏

読み手:中田 真由美(2021年)

谷崎潤一郎氏

著者:芥川 龍之介 読み手:中田 真由美 時間:4分3秒

 僕は或初夏の午後、谷崎氏と神田をひやかしに出かけた。谷崎氏はその日も黒背広に赤い襟飾りを結んでゐた。僕はこの壮大なる襟飾りに、象徴せられたるロマンティシズムを感じた。尤もこれは僕ばかりではない。往来の人も男女を問はず、僕と同じ印象を受けたのであらう。すれ違ふ度に谷崎氏の顔をじろじろ見ないものは一人もなかつた。しかし谷崎氏は何と云つてもさう云ふ事実を認めなかつた。
「ありや君を見るんだよ。そんな道行きなんぞ着てゐるから。」
 僕は成程夏外套の代りに親父の道行きを借用してゐた。が、道行きは茶の湯の師匠も菩提寺の和尚も着るものである・・・

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