岡本 かの子 作 ある男の死読み手:西村 文江(2019年) |
A! 女学校では、当時有名な話でありました。それは
『二時間目事件。』
といふのでした。
新学期がはじまつてから二ヶ月程後のある日、朝から二時間目の歴史の時間に起つたこと。と書きたてるほど大げさなことでもないのに、それをそれほど有名にしたのは、まつたく、その男の――つまり、その歴史の時間での先生である溝口文学士の性格によるのでした。
やんちや盛りの、何かことあれかしと、いつも何事かまちかまへて居るやうな女学生の――それがまして、四年生頃の十六七を揃へて何処かにヱロチシズムなおもくるしさを交へながらのやんちやは、どうもたまらなく或る、不快と快感をごつちやに、若い男の先生などに与へると見えまして、その溝口先生も四月の新学期に始めて、その教室に現はれた時から、何となくおびえてでも居るやうに常に度の強い眼鏡の奥の眼ぶちを赤くふるはして居るやうに見えて居ました・・・