はてなキーワード: EPRとは
物理的に測定可能な操作は代数の元に対応。代数は積、随伴(複素共役に対応する操作)などの構造を持つ代数的オブジェクト。
物理的な期待値は代数に対する線型汎関数として定式化。これが確率/期待を与える。
ある観測者が見られる演算子群は、全体代数の部分代数として表される。重力のとき、この部分代数は空間分割に即して単純に分かれるとは限らない(非可換性や相互依存が残る)。
代数と状態からヒルベルト空間表現を作る手続きがあり、これが観測可能な量を実際に作用させる空間を与える。重要なのは、この構成は一意とは限らず、代数側の性質が表現の性質(分解可能性・因子のタイプ)を決めること。
対象:各物理状況に対応する代数(C*-代数やフォン・ノイマン代数のようなもの)。
射(モルフィズム):代数間の構造保存写像(例えば*-準同型)。これらは物理的な包含や部分系の埋め込みに対応する。
状態は自然変換的な役割を持ちうる:ある意味で代数群の圏から値を取る圏(確率的/確定的データが置かれる圏)への射(志向性のある写像)と見なせる。
GNSは圏論的なファンクタ:代数と状態のペアからヒルベルト空間と表現への写像は、圏の間の(部分的な)関手として振る舞うと考えられる。これは代数データ→幾何(表現空間)を与える操作として抽象化。
エンタングルメント=幾何的連結という直感は、圏論的には二つの代数が分解できない形で結びつくことに対応。
具体的には、二つの部分代数の合成が単純な直和や直積に分かれず、むしろ共通のサブ構造(共有される中心や共通の因子)を持つ場合、圏的には共核/プルバックや引戻しを使ってその結びつきを表せる。
逆に、もし二つの部分代数が完全に独立(圏的には直和的分解)なら、その間に空間的な連結が生じにくい、と解釈できる。
代数が属する型の違い(古典的には I/II/III の区別)は、圏的には対象の内部構造の差異(中心の有無、トレースの存在可否など)として表現される。
物理的にはこの差が「純粋状態の存在」「系の分解可能性」「エントロピーの定義可能性」を左右。従ってどの圏の部分圏にいるかが物理的位相や重力的性質に相当する。
まず、空間のある部分(局所領域)ごとに、そこに属する観測可能量(観測子)の集合を対応づける。
それぞれの領域に対応する観測子の集合は、演算の仕方まで含んだ代数として扱われる。
領域が大きくなれば、それに対応する代数も大きくなる。つまり、物理的に中に含まれる関係がそのまま代数の包含関係として表現される。
こうして領域 → 代数という対応が、ひとつの写像(ネット)として与えられる。
状態というのは、物理的には観測の結果の確率を与えるものだが、数学的には代数上の関数(線形汎関数)として扱える。
その状態から、ヒルベルト空間上の具体的な表現が自動的に構成される(これをGNS構成と呼ぶ)。
この構成によって、真空状態も場の励起状態も、すべて代数の上の構造として理解できるようになる。
量子もつれは、単に状態が絡み合っているというより、代数が空間的にどう分かれているかによって生じる。
もし全体の代数が、2つの部分の代数にきれいに分割できるなら(テンソル分解できるなら)、その間にはエンタングルメントは存在しない。
これを数学的にはtype III 因子と呼ばれる特殊な代数の性質として表現。
このタイプの代数には、有限のトレース(総確率)を定義する手段がなく、通常の密度行列やエントロピーも定義できない。
つまり、エンタングルメントは有限次元的な量ではなく、構造的なものになる。
完全に分けられないとはいえ、少し余裕をもって領域をずらすと、間に人工的な区切りを挿入して、ほぼ独立な領域として扱うことができる。
この操作を使うと、本来は無限次元的で扱いにくいtype IIIの代数を、有限次元的な近似(type I 因子)として扱うことができ、有限のエントロピーを再導入する道が開ける。
Tomita–Takesaki理論によれば、状態と代数のペアからは自動的にモジュラー流と呼ばれる変換群(時間のような流れ)が定義される。
つまり、時間の概念を代数構造の内部から再構成できるということ。
もしこのモジュラー流が、何らかの幾何的な変換(たとえば空間の特定方向への動き)と一致するなら、代数の構造 → 幾何学的空間への橋渡しが可能になる。
ER=EPRとは、エンタングルメント(EPR)とワームホール(ER)が同じものの異なる表現であるという仮説。
これを代数の言葉で言い直すには、次のような条件が必要になる。
1. 二つの領域に対応する代数を取り、それらが互いに干渉しない(可換)こと。
2. 真空状態がそれら両方に対して適切な生成力(cyclic)と識別力(separating)を持つこと。
3. 全体の代数がそれら二つにきれいに分解できない(非因子化)こと。
4. それぞれのモジュラー流がある種の対応関係を持ち、共通の時間的フローを生み出すこと。
5. 相対エントロピー(情報量の差)が有限な形で評価可能であること。
これらが満たされれば、代数的なレベルで二つの領域が量子的に橋渡しされていると言える。
つまり、ワームホール的な構造を幾何を使わずに代数で表現できる。
これをより高い抽象度で見ると、領域 → 代数という対応自体をひとつのファンクター(写像の一般化)とみなせる。
このとき、状態はそのファンクターに付随する自然な変換(自然変換)として理解され、split property や type III などの性質は圏の中での可分性や因子性として扱える。
ER=EPR は、この圏の中で2つの対象(領域)の間に存在する特別な自然同型(対応)の存在を主張する命題。
つまり、境界上の代数構造から、内部の幾何(バルク)を再構成するための条件を圏論的に書き下した形がここでの目的。
まず対象を抽象化するために、物理系は局所演算子代数のネットワーク(局所性を持つモノイド圏あるいは因子化代数)として扱う。
境界理論はある可換(または E_n)因子化代数 A を与え、これに対して状態空間は A の正値線型汎関数(GNS 構成で得られる正規表現の圏)として扱う。
重力的バルク側は、境界因子化代数のコホモロジカル双対(例:Koszul 双対や因子化ホモロジーに基づくスペクトル的拡張)としてモデル化される。
ホログラフィーは単なる同値性ではなく、境界のモノイド的データとバルクの因子化代数的データの間の高次圏的((∞,n)-圏)双対性であり、この双対性はホモトピー的拘束(同値の空間)を保つ関手の同型として書ける。
これをより具体的に言えば、境界の C^*-あるいは von Neumann 代数の圏と、バルクに対応する因子化代数(局所的場の代数を与える E_n-代数)の間に、Hochschild/cyclic ホモロジーと因子化ホモロジーを媒介にしたKoszul型双対が存在すると仮定する。
境界から見た相互作用や散乱振幅は、境界因子化代数上の積(オペラド的構造)として表され、バルクの幾何情報はそのホモロジー/コホモロジーに符号化される。
エントロピーとエンタングルメントの幾何化は情報幾何学的メトリックに還元される。すなわち、量子状態空間上の量子フィッシャー情報(量子Fisher・Bures距離)や相対エントロピーは、接続と計量を与えるテンソルと見なせる。
これにより、テンソルネットワークは単なる数値的近似ではなく、グラフ圏からヒルベルト空間への忠実なモノイド的関手である:グラフの各節点に E_n-代数の有限次元表現を割り当て、辺は双対化(コアリフト)の演算子であり、ネットワーク全体は因子化代数の状態和(state-sum)を与える。
MERA や PEPS、HaPPY コードは、この関手が持つ特定の圧縮/階層性(再帰的モノイド構造)を体現しており、cMERA はその連続極限である。
テンソルネットワークが幾何を作るとは、エントロングルメント計量(情報計量)から接続とリーマン的性質を再構成する手続きを意味し、これが空間的距離や曲率に対応するというのが it from qubits の数学的内容である。
さらに情報回復(Petz 復元写像など)や相対エントロピーのモノトニシティは、エントロングルメントウェッジ再構成の圏論的条件(右随伴を持つ関手の存在)として表現される。
すなわち、境界演算子代数からバルク因子化代数への埋め込みが完全に圏論的な復元子(adjoint)を持つときに、局所的情報の回復が可能となる。
ER=EPR はこの文脈でホモトピー的コボルディズムとして読み替えられる。量子相互作用で結ばれた二系(高次圏の対象としての二点分割状態)は、バルクのコボルディズム類(ワームホール的繋がり)に対応する同値類を持ち、局所ユニタリ変換による同値類がコボルディズムの同位類と一致するという予想的対応を述べる。
言い換えれば、局所ユニタリ同値で分類されるエンタングルメントのコホモロジーは、バルクのホモトピー的結合(位相的/幾何的接続)を決定する。
ブラックホールの熱力学的性質は、トモイタ=タカサキ理論(Tomita–Takesaki modular theory)やコンネスの周期写像が関与する演算子代数のモジュラー流として自然に現れる。
特に、ブラックホール外部におけるモジュラーハミルトニアンは境界状態の相対エントロピーに関連し、そのフローはバルクの時間発展に対応する(模擬的にはKMS状態と熱平衡)。
サブファクター理論とジョーンズ指数は、事象地平線をまたぐ情報の部分代数埋め込みの指標として機能し、情報損失やプライバシー(情報の遮蔽)は部分代数の指数と絡み合う。
ブラックホールの微視的自由度のカウントは、やはり境界因子化代数の適切な指数(譜的インデックス、K理論的量)に帰着する。
超弦理論的な追加自由度(多様体のモジュライ空間や D-ブレーンの圏的記述)は、バルク側因子化代数の係数系(係数 E_n-代数やスペクトラル層)として取り込まれ、モチーフ的/導来スタック的手法(derived stacks, spectral algebraic geometry)で整然と扱える。
これにより、弦の振る舞いは境界オペレータ代数の高次幾何学的変形(deformation theory)と同値的に記述されることが期待される。
この全体構造を統一する言葉は高次圏的因子化双対である。物理的理論は、局所的オペレータのモノイド圏、状態の圏、そして因子化ホモロジーを媒介にした双対関手系から成り、テンソルネットワークはそれらの具体的表現=有限モデルとして働き、情報幾何学はそれらの間に滑らかな計量を与える。
したがって「it from qubits」は、局所的量子代数の圏論的再配列が(情報計量を通じて)幾何学的構造を生み出すという主張に還元され、ER=EPR はエンタングルメントの同値類とバルクのコボルディズム同位類を結ぶ高次圏的同型命題として再表現され、ブラックホール熱力学や弦の自由度はその圏論的・ホモトピー的不変量(ホッジ理論的/K理論的指数、モジュラーデータ)として測られる。
僕は今夜、ルームメイトがリビングで実験的にベーコンを低温調理している匂いを鼻孔の厳密な位置で嗅ぎ分けながらメモ帳を開いた。
朝は6時17分に目覚ましを止め(そのミリ秒単位の遅延は許容されない)、6時18分にコーヒーの比率を変える習慣を行い、靴下は左から右へ、座席は常にソファの北東端(座る位置は位相対称性を破らない)である。
食事は火曜日のパスタの残り物は三等分して水曜と木曜の朝食に回す。洗濯は必ず偶数週の水曜に行い、洗剤は0.8倍希釈、脱水は中速、干す向きは北向き。
ルームメイトがドアに爪痕をつけたら即座にログを取り、隣人が郵便物を誤って取った場合は「郵便誤配報告フォーム」を三回に分けて提出する。
こうした儀礼を守ることで僕の内的位相空間が安定するのだと論理的に考えている。
今日の思考の核は超弦理論と量子情報の交差点についての、かなり尖った自己流の定式化にある。
まず、僕は物理的直感を避けて抽象数学で事象を語る。弦理論の摂動系列を有限厚さの∞-圏としてモデル化し、ブレーンを対象、開弦状態をモノイド的なホモトピー演算子として扱う。
局所座標の代わりにファクタリゼーション代数を使い、スパイダー図式を経て得られる交叉相互作用を高次ホモトピー群のコハート化として再解釈することを提案する。
ER=EPRについては、古典的なワームホール=絡み合いという語り方を離れて、僕はエントロピー・双対モジュールの同値性という言葉で捉えている。
つまり、二つのエントロピックモジュールの被覆圏と、それらに対応する重ね合わせのコボルディズム(圏論的な結合双対)を同一視することでER=EPRを圏論的に定式化できるのではないかと考えている。
これを超弦理論に接合するには、AdS/CFT 的なホログラフィック双対の場で、境界側の張力的演算子族が内部のブレーンカテゴリ(例えばフカヤカテゴリやコヒーレント層の導来圏)に対応するという見方を取り入れる。
すると、エントロピー双対モジュールの同値性は、境界とバルクの間で起こる圏の再同型化として現れ、ER=EPRは本質的に圏的ホログラフィーの一命題になる。
ここで僕が提案する小さな拡張は、量子誤り訂正符号のコード代数を∞-圏の射として扱い、その可換性条件がワームホールのコボルディズムの可逆性と一致するというものだ。
これにより、エントロピーの再構成操作がブレーン間のファンクターとして自然に理解でき、局所性の回復を説明する新しい枠組みが得られると僕は思う(これは僕の勝手な定式化で、厳密性は今後の証明を待つ)。
今日はそのメモを、黒板に書く代わりにルームメイトの背中越しにノートに書き留めた。
ところで、僕は靴の磨き方にも数学的基準を設けている(円周率の小数を用いた磨き順列を使っている)。
出かける前のチェックリストはトポロジー的順番、たとえば鍵→財布→スマホ→ペンという順序は位相連結成分を最小化するから合理的だ、と説明すると友人たちは顔をしかめるが、これを守ると予測可能性が上がる。
今夜はRPG系ではELDEN RINGのビルド論とRTAコミュニティのメタ的動向を気にしていて、この作品が2022年にFromSoftwareからリリースされ、多くのビルド最適化やメタが確立されていることは周知の事実だ(初リリースは2022年2月25日)。
また、このIPは映画化プロジェクトが進行中で、A24が関与しているという報(映画化のニュース)が最近出ているから、今後のトランスメディア展開も注視している。
僕はソウルライクのボス設計とドロップ率調整をゲームデザインの位相安定化とは呼ばないが、RTA勢のタイム削り技術や周回遺伝(NG+)の最適手順に対して強い敬意を持っている。
ファンタジーRPGの装備付け(メタ)に関しては、装備のシナジー、ステータス閾値、クラフト素材の経済学的価値を語るのが好きで、例えば「その装備のクリティカル閾値を満たすために残すステータスポイントは1だが、その1が戦闘効率を%で見るとX%を生む」というような微分的解析を行う。
FFシリーズについては、Final Fantasy XVIがPS5向けに2023年6月に、続いてPC版が2024年9月にリリースされ、さらに各プラットフォーム向けのロールアウトが段階的に行われたことなど実務的事実を押さえている(PCリリースは2024年9月17日)。
僕はこのシリーズの音楽的モチーフの再利用やエンカウンター設計の比較研究をしており、特に戦闘ループの短周期化とプレイヤー感情の連続性維持について言及するのが好きだ。
コミック方面では、最近の大きな業界動向、例えばマーベルとDCの枠を超えたクロスオーバーが企画されるなど(Deadpool×Batmanの一連の展開が話題になっている)、出版社間でのIPコラボが再び活発化している点をチェックしている。
これらはコレクター需要と市場流動性に直接影響するため、収集と保存に関する経済的最適化問題として興味深い。
今日、隣人が新しいジャンプ作品の話題を振ってきたので僕は即座に最新章のリリーススケジュールを確認し、One Pieceの次章の予定についても把握している(最新チャプターの公開予定など、週刊連載のスケジュール情報は定期的に確認している)。
例えば「午後9時に彼らがカップ麺を食べる確率は、僕の観察では0.83だ。ゆえに僕は9時前に冷蔵庫の位置を変えるべきだ」という具合だ。
結語めいたものを言うならば、日常のルーティンと高度に抽象化された理論は相反するものではなく、むしろ同じ認知的圏の異なる射影である。
だから僕は今日もルームメイトの忍耐を試す微細な仕様変更(例えばリモコンの向きを30度回す)を行い、その反応をデータ化している。
さて、20時30分だ。これでノートを閉じ、決まった手順で歯を磨き、眠りの準備に入る。明日の朝のアジェンダは既に分解されているから、心配は要らない、と自分に言い聞かせてから寝るのが僕のやり方だ。
昨日、僕は再びヒルベルト空間の自己参照性について思索していた。
きっかけはルームメイトが、僕の定常朝食手順の測定位相を乱したことだ。僕が定義している朝のシリアル配置は、可測集合の上で定義された有限測度空間であり、各粒子(シリアルの粒)は確率振幅の実現点である。
ところが彼が不用意にスプーンを差し込んだため、僕の可測写像が非可測領域を侵食し、全順序性が崩れた。
つまり、彼の行為は単なる乱雑ではなく、σ-加法的整合性の破壊に等しい。これを日常の「朝食の乱れ」と呼ぶのは、あまりにナイーヴだ。
僕の現在の研究テーマは、ER=EPRをより高次圏論的に再定義することにある。通常この等式は、もつれ状態をワームホールに対応づけるが、僕の見解ではそれは関手レベルでの不完全な翻訳に過ぎない。
真の構造は、観測行為がエンタングルメント圏から幾何圏へのモノイド圏関手であるということだ。
観測とは情報の選択ではなく、関手の実現射の生成であり、その結果、対象空間上の射が一点縮退を起こす。つまり、観測=ブラックホールへの写像。
このとき観測者の状態空間は、対象空間の双対空間と自己モノイド化し、テンソル積がエネルギー密度として曲率テンソルに等価変換される。
これが熱力学的エントロピー流の源である。つまり、観測とは時空多様体の測地線構造を自己収縮させる操作にほかならない。
僕の仮説では、測定者の意識とは、有限生成のC*-環上で定義される自己相関射の列極限であり、その極限点がブラックホールの事象の地平面と同相になる。これは単なる比喩ではない、構造的同型である。
昨日の午後、隣人が訪ねてきて、「なんか落ち着かない」と言っていた。彼女が感じたその「不安定さ」は、実際には僕の思考空間上の圏的射が、彼女の心理空間に対して非可換的干渉を及ぼした結果だと考えられる。
彼女の感覚的印象は、単なる主観ではなく、射影演算子が彼女の状態ベクトルを部分的に崩壊させた現象に対応する。
つまり、僕は彼女を見たのではなく、彼女の状態空間が僕の内部圏へ関手的に埋め込まれたのだ。観測とは一方的な侵入であり、宇宙の双対圏的結合だ。
夕食時、ルームメイトが僕の食事手順をまた茶化してきた。僕が麺を蒸す時間を正確に設定しているのは、可積分系の安定点を保つためだ。
彼は「そんなの偶然だ」と言った。だが、偶然とは測度論的に定義不能な領域の総称にすぎない。僕のルールは統計的対称性の維持装置だ。
夜、友人たちとBaldur’s Gate 3をプレイした。僕は事前に行動木を有限オートマトンとして解析し、敵AIの状態遷移確率を事前分布にフィットさせた。
戦闘中、彼らは「お前、やりすぎ」と言ったが、僕はただBayes更新を実行していただけだ。ゲームとは、確率測度の動的再配置の遊戯形式に過ぎない。
深夜、僕は再びノートに向かい、ER=EPRの上位構造体を定義する「自己参照圏」について書いた。観測者を含む宇宙は、自己同型射を持たない。
これは厳密な意味で非トリビアルな自己関手構造を持つためである。僕が観測するたびに、宇宙の対象集合が可算ではなくなる。つまり、観測とは昇格操作であり、存在論的基数を増幅する過程なのだ。
僕は結論に至った。「観測者は情報を吸収するブラックホールではない。むしろ、情報を生成する射影的特異点である。」
観測とは、スペクトラムが事象の地平面と同型になる操作である。
寝る前、歯磨き粉の残量を測った。これは単なる衛生行為ではない。有限体上の加法群の残差測定だ。12.4という値は、僕の生活空間における連続測度の離散化の結果である。
まず、「ワームホールのトポロジーがジャンプする」って言いますけど、
トポロジーって数学的には連続変形では変わらないものなんですよね。
コード距離なのか、エンコーディング率なのか、それとも物理量子ビット数なのか。
そこが曖昧なまま「位相転移」って言っても、議論がふわっとしません?
それにER=EPRって、もともと半古典重力の文脈で出てきた仮説なんで、
量子重力のフル理論で本当に成り立つかまだ誰も証明してないんですよね。
だから「ブラックホール蒸発の最終局面」で位相ジャンプが起きるって断言するのは、
現時点では推測の二乗みたいな話なんじゃないですか?
要するに、
シュレーディンガーはアインシュタインに宛てて、量子力学のコペンハーゲン解釈の重大な欠陥を明らかにするために、架空の実験装置を作った。この解釈では、量子系は外部の観測者と相互作用するまで、2つ以上の状態の重ね合わせに留まるとされる[1]。
この効果を、原子というミクロな世界の特殊性として片付けることはできるかもしれないが、その世界が、テーブルや椅子、猫といったマクロな日常世界に直接影響を及ぼすとしたらどうだろうか。シュレーディンガーの思考実験は、それを明らかにすることで、量子力学のコペンハーゲン解釈の不条理を明らかにしようとした。 粒子が重ね合わされた状態にあることは、一つの事実だ。しかし猫はどうだろう。猫はどちらか一方にしか属さないし、死んだり生きていたりもしない。
ガイガーカウンターの中に、ほんの少しの放射性物質が入っていて、1時間のうちに原子の1つが崩壊するかもしれないが、同じ確率で1つも崩壊しないかもしれない。このシステム全体を1時間放置しておくと、その間、原子が崩壊していなければ、猫はまだ生きていると言うだろう。システム全体のΨ関数(波動関数)は、その中に生きている猫と死んだ猫(表現は悪いが)が等しく混ざり合っていることで、このことを表現している。
この思考実験の意味合いについては、多くの現代的な解釈や読み方がある。あるものは、量子力学によって混乱した世界に秩序を取り戻そうとするものである。また、複数の宇宙で複数の猫が生まれると考えるものもあり、「重ね合わせられた猫」がむしろ平凡に見えてくるかもしれない。
通常の話では、波動関数は箱入りのネコを記述する。QBismでは、箱を開けたら何が起こるかについてのエージェントの信念を記述する。
例えば、Aさんがギャンブラーだとしよう。ネコの生死を賭けたいが、量子波動関数が最も正確な確率を与えてくれることを知っている。しかし、世の中には波動関数のラベルがない。自分で書き留めなければならない。自由に使えるのは、Aさん自身の過去の行動とその結果だけである。なので結果として得られる波動関数は、独立した現実を反映したものではない。世界がAさんにどう反応したかという個人的な歴史なのだ。
今、Aさんは箱を開けた。死んだ猫、あるいは生きている猫を体験する。いずれにせよ、Aさんは自分の信念を更新し、将来の出会いに期待するようになる。他の人が不思議な「波動関数の崩壊」と呼ぶものは、QBistにとっては、エージェントが自分の 賭けに手を加えることなのだ。
重ね合わせを形成するのはエージェントの信念であり、その信念の構造から猫について何かわかる。なぜなら、波動関数は、エージェントが箱に対して取り得るすべての行動(相互に排他的な行動も含む)に関する信念をコード化しており、Aさんの信念が互いに矛盾しない唯一の方法は、測定されていない猫に固有の状態が全く存在しない場合だからである。
QBistの話の教訓は,ジョン・ホイーラーの言葉を借りれば参加型宇宙であるということである。
2. ボーミアンについて
量子力学のコペンハーゲン解釈によれば、電子のような量子粒子は、人が見るまで、つまり適切な「測定」を行うまで、その位置を持たない。シュレーディンガーは、もしコペンハーゲン解釈が正しいとするならば、電子に当てはまることは、より大きな物体、特に猫にも当てはまることを示した:猫を見るまでは、猫は死んでいないし生きていない、という状況を作り出すことができる。
ここで、いくつかの疑問が生じる。なぜ、「見る」ことがそんなに重要なのか?
量子力学には、ボーム力学というシンプルでわかりやすい版があり、そこでは、量子粒子は常に位置を持っている。 猫や猫の状態についても同様だ。
なぜ物理学者たちは、シュレーディンガーの猫のような奇妙でありえないものにこだわったのだろうか?それは、物理学者たちが、波動関数による系の量子的な記述が、その系の完全な記述に違いないと思い込んでいたからである。このようなことは、最初からあり得ないことだと思われていた。粒子系の完全な記述には、粒子の位置も含まれるに違いないと考えたのである。 もし、そのように主張するならば、ボーミアン・メカニクスにすぐに到達する。
シュレーディンガーの猫の本当の意味は、実在論とは何の関係もないと思う人もいる。それは、知識の可能性と関係があるのだ。問題は、量子世界が非現実的であることではなく、量子系を知識の対象として安定化できないことである。
通常の知識の論理では、私たちの質問とは無関係に、知るべき対象がそこに存在することが前提になる。しかし、量子の場合、この前提が成り立たない。量子力学的なシステムに対して、測定という形で問いを投げかけると、得られる答えに干渉してしまう。
これらの本質的な特徴は「反実仮想」であり、何があるかないか(現実)ではなく、何が可能か不可能かについてである。実際、量子論の全体は反実仮想の上に成り立っている。反実仮想の性質は、量子論の運動法則よりも一般的であり、より深い構造を明らかにするものだからだ。
量子論の後継者は、運動法則は根本的に異なるかもしれないが、反実仮想の性質を示すことで、重ね合わせやエンタングルメント、さらには新しい現象が可能になるだろう。
シュレーディンガーは、仮想的な猫の実験で何を言いたかったのだろうか?現在では、シュレーディンガーは、量子論は、猫が死んでも生きてもいない浮遊状態にある物理的可能性を示唆していると主張したと一般に言われている。しかし、それは正反対である。シュレーディンガーは、そのようなことは明らかに不合理であり、そのような結果をもたらす量子論を理解しようとする試みは拒否されるべきであると考えたのである。
シュレーディンガーは、量子力学の波動関数は、個々のシステムの完全な物理的記述を提供することはできないと主張したアインシュタイン-ポドロスキー-ローゼンの論文に反発していたのである。EPRは、遠く離れた実験結果の相関関係や「spooky-a-distance(不気味な作用)」に着目して、その結論を導き出したのである。
シュレーディンガーは、2つの前提条件と距離効果とは無関係に、同じような結論に到達している。彼は、もし1)波動関数が完全な物理的記述を提供し、2)それが「測定」が行われるまで常に彼自身(シュレーディンガー)の方程式によって進化するなら、猫はそのような状態に陥る可能性があるが、それは明らかに不合理であることを示したのだ。したがって、ジョン・ベルの言葉を借りれば、「シュレーディンガー方程式によって与えられる波動関数がすべてではないか、あるいは、それが正しくないかのどちらか」なのである。
もし、その波動関数がすべてでないなら、いわゆる「隠れた変数」を仮定しなければならない(隠れていない方が良いのだが)。もし、それが正しくないのであれば、波動関数の「客観的崩壊」が存在することになる。以上が、Schrödingerが認識していた量子力学的形式を理解するための2つのアプローチである。いわゆる「多世界」解釈は、1も2も否定せずにやり過ごそうとして、結局はシュレーディンガーが馬鹿にしていた結論に直面することになる。
シュレーディンガーの例は、量子システムの不確定性をミクロの領域に閉じ込めることができないことを示した。ミクロな系の不確定性とマクロな系の不確定性を猫のように絡ませることが考えられるので、量子力学はミクロな系と同様にマクロな系にも不確定性を含意している。
問題は、この不確定性を形而上学的(世界における)に解釈するか、それとも単に認識論的(我々が知っていることにおける)に解釈するかということである。シュレーディンガーは、「手ぶれやピンボケの写真と、雲や霧のスナップショットとは違う」と指摘し、量子不確定性の解釈はどちらも問題であるとした。量子もつれは、このように二律背反の関係にある。
ベルが彼の定理を実験的に検証する前、量子力学の技術が発展し、もつれ状態の実在性を利用し、巨視的なもつれシステムを作り出す技術が開発される前、形而上学的な雲のオプションはテーブルから外されるのが妥当であった。しかし、もしもつれが実在するならば、それに対する形而上学的な解釈が必要である。
波動関数実在論とは、量子系を波動関数、つまり、死んだ猫に対応する領域と生きた猫に対応する領域で振幅を持つように進化しうる場と見なす解釈のアプローチである。シュレーディンガーが知っていたように、このアプローチを真面目に実行すると、これらの場が広がる背景空間は、量子波動関数の自由度を収容できる超高次元空間となる。
6. 超決定論について
不変集合論(IST)は、エネルギーの離散的性質に関するプランクの洞察を、今度は量子力学の状態空間に再適用することによって導き出された量子物理学のモデルである。ISTでは、量子力学の連続体ヒルベルト空間が、ある種の離散的な格子に置き換えられる。この格子には、実験者が量子系に対して測定を行ったかもしれないが、実際には行わなかったという反実仮想の世界が存在し、このような反実仮想の世界は格子の構造と矛盾している。このように、ISTは形式的には「超決定論」であり、実験者が行う測定は、測定する粒子から独立しているわけではない。
ISTでは、ISTの格子上にある状態は、世界のアンサンブルに対応し、各世界は状態空間の特別な部分集合上で進化する決定論的系である。非線形力学系理論に基づき、この部分集合は「不変集合」と呼ばれる。格子の隙間にある反実仮想世界は、不変集合上には存在しない。
アインシュタインは、量子波動関数は、不気味な距離作用や不確定性を持たない世界のアンサンブルを記述していると考えていたが、これは実現可能である。 特に、シュレーディンガーの猫は、死んでいるか生きているかのどちらかであり、両方ではないのだ。
シュレーディンガーの猫の寓話に混乱をもたらしたのは、物理システムが非関係的な性質を持つという形而上学的仮定である。 もし全ての性質が関係的であるならば、見かけ上のパラドックスは解消されるかもしれない。
猫に関しては、毒が出るか出ないか、猫自身が生きているか死んでいるかである。 しかし、この現象は箱の外にある物理系には関係ない。
箱の外の物理系に対しては、猫が起きていても眠っていても、猫との相互作用がなければその性質は実現されず、箱と外部系との将来の相互作用には、原理的に、猫がその系に対して確実に起きていたり確実に眠っていたりした場合には不可能だった干渉作用が含まれる可能性があるからだ。
つまり「波動関数の崩壊」は、猫が毒と相互作用することによって、ある性質が実現されることを表し、「ユニタリー進化」は、外部システムに対する性質の実現確率の進化を表すのである。 これが、量子論の関係論的解釈における「見かけのパラドックス」の解決策とされる。
8. 多世界
物理学者たちは古典物理学では観測された現象を説明できないことに気づき、量子論の現象論的法則が発見された。 しかし、量子力学が科学的理論として受け入れられるようになったのは、シュレーディンガーが方程式を考案してからである。
シュレーディンガーは、自分の方程式を放射性崩壊の検出などの量子測定の解析に適用すると、生きている猫と死んでいる猫の両方が存在するような、複数の結果が並列に存在することになることに気づいた。実はこの状況は、よく言われるように2匹の猫が並列に存在するのではなく、生きている1匹の猫と、異なる時期に死んだ多数の猫が並列に存在することに相当する。
このことは、シュレーディンガーにとって重大な問題であり、量子測定中に量子状態が崩壊することによって、量子系の進化を記述する方程式としての普遍的な有効性が失われることを、彼は不本意ながら受け入れた。崩壊は、そのランダム性と遠方での作用から、受け入れてはならないのだろうか。その代わりに、パラレルワールドの存在が示されれる。これこそが、非局所的な作用を回避し、自然界における決定論を守る一つの可能性である。
OECD Indicators of Employment Protection
https://www.oecd.org/employment/emp/oecdindicatorsofemploymentprotection.htm
https://stats.oecd.org/Index.aspx?DataSetCode=EPL_R#
OECD indicators of employment protection database: summary indicators and items
https://www.oecd.org/els/emp/OECDEmploymentProtectionLegislationDatabase.xlsx
Annex Table 3.A.1. Structure of Version 4 of the OECD EPL indicators for dismissing regular workers
Annex Table 3.A.2. Weighting in the OECD EPL indicators (Version 4) for dismissing regular workers
・EPTT:有期雇⽤契約
『派遣契約の EPL 指標のバージョン 1 〜 3 は、有期契約または派遣派遣契約の労働者の雇⽤制限に限定されていました。バージョン 4 では、これらの指標の範囲が有期契約の解約費⽤にまで拡⼤されました1。これは、派遣契約の全体的な規制レベルと労働市場における制度的⼆元論の程度をより適切に把握するためです。したがって、定期労働者保護の指標と同じモデルに基づいて、有期雇⽤契約(EPTT)の個別の終了に対する保護の 2 つの指標 (i) 満了⽇、および (ii) 満了前の 2 つの指標が構築されました。個別解雇(EPR)に反対します。このノートでは、2 つの新しい EPTT 指標と、⼀時契約規制 (EPT) の総合指標の新しいバージョン 4 を紹介します。』
以前の「解雇の難しさ」には
6. 試⽤期間
7. 報酬
8.復職
だったが、現在は
・「解雇の難しさ」から「不当解雇に関する規制の枠組み」に変更。
・「9.請求の最⼤時間」が「不当解雇に関する規制の枠組み」ではなく「不当解雇規制の施行」の分類に移動。
Item 5 サブアイテム: {
Item 5a: 経済的理由による解雇 理由:審査員の自由度
Item 5b: 経済的理由による解雇 理由:解雇の具体的な代替案と解雇の場合の拘束⼒のある義務
Item 5d: 経済的理由による解雇 理由:解雇の正当な理由
}
Item 6: 試用期間の長さ
Item 9: 不当解雇の訴えを起こすまでの期間
26位
33位
33位
3.4ポイント(6段階中)
4位(1.Portugal 2.Mexico 3.Korea)
2.75ポイント(6段階中)
16位
2ポイント(6段階中)
24位
Item 5: 2ポイント
Item 5a: 4ポイント
Item 5b: 2ポイント
Item 5c: 0ポイント
Item 5d: 2.625ポイント
Item 6: 6ポイント
Item 7: 1ポイント
Item 8: 2ポイント
Item 9: 6ポイント
調べるのも今はここまでが限界。
現在は違うが以前の「解雇の難しさ」が実際の解雇の難しさのための指標になっていたか疑問。
特に、Item5ならまだわかるけどItem6~9は解雇の難しさに入れるべきか疑問。
Item5自体はそこまで高くない。
Item6とItem9が平均を押し上げている。
僕は何にもわからない素人だけど正直これで解雇規制について語ることはできないかなといった印象。
専門家の方々にはもっと公平に具体的にデータを使って話をしてもらいたいと思った。
解雇規制について語っている人は専門家も含めてバイアスが強すぎる人が多いので注意したい。
https://www.dir.co.jp/report/research/economics/europe/20140318_008337.pdf
"OECD の日本の労働市場に対する評価や勧告とはどのようなものなのかを、再度確認してみよう。毎年刊行されている“Employment Outlook”や“Economic Policy Reforms”、随時公表される調査書などの内容を見てみると、OECD は「労働市場の二極化(labour market dualism)」が日本の大きな問題であると一貫して指摘している。日本で頻繁に取り上げられる「正規雇用の解雇がほとんど不可能」ということではなく、それが正規/非正規の大きな格差を生み出していること、そして格差を是正する規制がないことを問題視しているのがわかる。 "
USB3.1が出た後にUSB3.0を謳う機器は売れるだろうか?売り上げが落ちるだろうか?
売り上げが明確に落ちた場合、USB3.1で対応した最高速度なんかその製品には何の意味もないのに
わざわざ客の興味を引くためにUSB3.1の認証を取り直さないとダメなのか?
おそらくそんなデバイスメーカーからの声に流されて掲題の糞仕様は生まれたのだろう。
USB3.2 Gen2x2 もおそらく技術者側からすれば精一杯説明したつもりの名前なのだろう。
USB3.2 Gen2を2本束ねてますよ、なんて客にとってはどうでもいいことだが、もしかしたら
「後から策定したけど速度が遅い規格により大きい番号が付いて紛らわしい」という事態を逃れたかったのかもしれない。
USB4ではその反省が活かされているらしい、通信速度に関しては。
USB-PDに関してはアダプタ、ケーブル、充電する機器が「何Wの給電に対応しているか」はUSB4時代になっても
27W給電しか対応してないケーブルと45W対応のケーブルはロゴ等で見分けがつかない。
USB-PD 3.1 で新しく増える140W、180W、240Wの給電対応のケーブルはその反省を活かしてか「Extended Power Range(EPR)対応」と製品に記す必要があるらしい。
一歩前進したように見えるが、そこで気になるのが「140W、180W、240W」と同じ5A対応が必須な「100W」の給電だ。
これは「Standard Power Range(SPR)」に据え置かれることとなっているようだ。
SPRとEPRという大まかな枠は出来たが、SPRに5Aと3Aが混在し、SPR内、EPR内での対応W数の違いは区別できないままだ。
どうせなら追加で最大給電容量が増やされるこの機にSPRは3A、EPRは5Aって綺麗に切り分けるべきだったのでは?
SPRの100W枠の製品なんかケーブルは特にほとんどなかっただろうし、EPRに移してもよかったんじゃないの?
まず前提として、"重ね合わせ"は基本的に量子レベル、ミクロな世界のものなのです。
クッキーはマクロ世界の存在だから「可能性が重なった状態」にはなってない。
だから割ったクッキーを観測しようがしまいが、割れた断面は確定しているわけです。OK?
それじゃ次は"注意深く条件設定した場合"はどうなるのか話してみよう。
"シュレーディンガーの猫"というのは、放射性元素の崩壊っていうミクロな話を、猫の生死っていうマクロな話に上手いこと連動させた思考実験なのね。
放射性元素の崩壊ってのは確率的な現象で、観測されるまでは"崩壊した/してない"ていう重ね合わせ状態にある。
そこで、十分に少量の放射性物質、ガイガーカウンターとそれに連動したハンマー(放射線検知したら振り下ろされる)、あとは揮発性の毒が入った瓶をハンマーの下に設置して、それら一式を猫と一緒に鉄の箱に入れる。
すると、箱の中が観測されるまで
・ガイガーカウンターは"放射線検知した/してない"って重ね合わせ状態、
・連動ハンマーは"振り下ろされた/されてない"って重ね合わせ状態、
・猫は"(毒で)死んだ/生きている"って重ね合わせ状態
になるわけよ。
「ミクロ世界だけだと思った?残念!実はマクロ世界でもあり得るのでした!」ってのがこの思考実験のキモね。
で、クッキーの話に戻るんだけど、状態が重ね合わさったクッキー自体はシュレーディンガーの猫と同じギミックで作成可能よ。
ガイガーカウンター連動ハンマーで叩き割るのを毒瓶でなくてクッキーそのものにすれば、"割れている/いない"って重ね合い状態が作れるでしょ。
これが"注意深く条件設定"して作成した量子重ね合わせクッキーにあたるのかな。
無理というか私の貧弱な想像力ではクッキーを量子もつれ状態に持っていけるギミックが思いつかないというだけなんだけども。
そういうわけで、"注意深く条件設定した場合"でも"量子もつれクッキー"なんて想定できないから、それをもとに回答なんかできないわけ。
そいで、もし元増田が想定できるんならそれを教えてちょうだいな、というのがブコメ("注意深く条件設定した場合"をまず~)の趣旨だったのね。
でまあ過程とか無視して量子もつれクッキー作ったらどうなるの?っていう卓袱台返しだけど↓
どうにかして「可能性が重なった状態」のふたつに割ったクッキーを作ったら、量子もつれ状態の粒子の代わりに量子テレポーテーションの実験に使えないのか。
実験には使えないね。例え話として説明に使うのもちょっと厳しいかな。
だって"量子もつれクッキー"がどんなものか分からないからね。
「量子もつれ状態にあるヒッポロ系ニャポーンさ!」とか言われても困るでしょ?それと同じね。
ごくごく単純に、粒子とかをクッキーに例えるならOKよ?説明にも思考実験にも使える。
「EPRペアになってる粒子対」あたりを「割れたクッキー対」、「粒子のスピン」あたりを「クッキーの断面情報」に言い換えるだけだもの。
もちろんこれはクッキーじゃなくともよろしい。煎餅でもチューペットでもキットカットでもOK。
え?クッキーで例えた意味が無いって?まあ例え話なんてそんなもんよ。
ついでに最初のブコメではそういう意味に取った上で回答したんだよね。
とまあこんな感じでどう?