はてなキーワード: 父の日とは
この前 私が貯めたお金を私のものじゃないって母から言われてすごくショックだったな…
社会人1年目の1年間 実家で生活させてもらって 一人暮らしのための100万円を自分の稼ぎで貯めた。障害がありながら働いていてどうしても体力的にフルタイムでは働けてないからみんなよりも少しお給料 少なくて苦しかったけど、実家に生活費として月3万 納めながら自分の新生活に向けて必死で貯めた。その甲斐があって2年目で一人暮らしを始めることができた。両親はあなたが頑張って貯めた自分で稼いだ100万円だよと繰り返し褒めてくれた。初任給でみんなにスイーツを買ったり母の日や 父の日のプレゼント も少し豪華にできるようになって社会人になって自分でお金を稼げるようになって本当に良かったなと思った。
そして同棲に向けて本格的に動き出そうとした時、貯金はあるの?と聞かれたからあの時のお金が全額ではないけれど それなりに残ってるから大丈夫だよと伝えたところ「あれは私があげたお金でありあなたのものではない」と言われた。どういうこと と尋ねると実家での生活費をたくさん援助していたから実質両親のおかげで 私の貯金は貯まっていて、だから貯まったお金は私のものではないらしい。私たちが助けてあげなければ貯まらなかったでしょうと言われた。
覚えている限り 両親からお金を受け取った記憶はない。もしかしたら口座に少し 最初に入れて行ってくれた部分があったのかもしれないけれど 少なくともそんな高額ではない。両親と話し合いの上 新卒の私は月3万円の生活費用入れることで合意していて欠かさず入れ続けていた。なのに なぜ 私のお金ではないと言われるんだろう
私にも思い出すと苦しくなる親がいる。
特に今日は父の日だから、スーパーに行くだけでも「父の日に」と書かれたポップがあったりして、今私が生きるのを楽しむのは父親を肯定することなのか?とか考えていた。
今自分が生きているのだから親は正しかったのだ、とあなたは思っているだろうけど、絶対に違う。そんなことはない。あなたが生きていることと親の正しさは一致しない。きっと親以外の何かや、あなた自身の性格とかに恵まれて今のあなたがある。
赤:谷本和優@静岡 緑:阿部文貴@東京 白:川本洋平@埼玉 青:味水達也@京都
BSジャパネクストがリニューアル BS10の無料放送側で日曜昼などに放送中
見られなかったケーブルテレビ局でも見られるようになったので要確認
つながるジャパネットアプリで放送同期・スマートテレビや4月からtverを含め見逃し配信あり
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・02 『火花』
・04 釧路湿原
・05 ホセ・メンドーサ
・03 ヒロミ
・04 マタタビ
・05 黒ひげ危機一発
・06 文化(庁
・08 石楠花《しゃくなげ》(色にたそがれる
・09 [近似値]23
・12 [ポチャッコ][今から見えてくる人:人物名]ヒポクラテス
・13 155
・19 広瀬香美 ひろせこうみ
・21 是枝裕和 これえだひろかず
・22 [あと1つ]近世
・25 [3択]およそ 3 300キロメートル
・26 えら
・27 リア王
・29 ジャングリア(沖縄
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・30 ビール
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(日曜本放送)このあとは「BS10からのお知らせ」→ジャパネットたかたテレビショッピング→ジャパネットたかたのテレビショッピング
ちりめんじゃこは、カルシウム、鉄分、DHA、EPAなどの栄養が豊富で、骨粗鬆症予防や生活習慣病予防に効果が期待されています。
山椒には、食欲増進、消化促進、血行促進などの効果があると言われています。
健康志向の高まりから、これらの栄養を手軽に摂取できるちりめん山椒の需要が増えている可能性があります。
ご飯のお供として定番であり、おにぎり、お茶漬け、和え物など、様々な料理に使える万能性があります。
山椒のピリッとした風味が食欲をそそり、飽きさせない味わいです。
京都のお土産としても人気が高く、観光客の需要も売上を押し上げている可能性があります。
コロナ禍以降、自宅で食事をする機会が増え、個食や内食の需要が高まっています。
日持ちするちりめん山椒は、常備食としても便利であり、需要増加に繋がっていると考えられます。
父の日や母の日など、贈答品としての需要も高まっている可能性があります。
オンライン販売の強化や、食シーンに合わせた商品展開など、販売側の努力も売上増加に貢献しているかもしれません。
田舎だから基本的に小〜高の同級生、あとは会社の同僚って感じのコミュニティにいる
同級生も仲良い友達も母の日父の日は食事行ったり花贈ったり、家族旅行にも頻繁に行く人が多い
結婚式も9割は式してるし結婚式わりと派手な地域だから大抵まあまあの規模でやってて式に家族呼べないって結構ドン引き案件みたいなとこがある
「親も紹介出来ないからまともな男とは結婚出来ないだろうね…」
って祖母に悲観されてて落ち込んでた
まあやっぱ地方じゃ厳しいよね
職場の人とか知り合いの紹介で会った人たちも家族円満で「まあ女の子はお母さんとギスギスすることもあるよね(笑)あるある(笑)」みたいな感じで理解なかったし
いざちゃんと婚活するとなったらこのジャッジをいっぱいやらなくちゃいけないのか…とか、家族の話って多少親しくなってから話すからせっかくちょっと仲良くなっても結局パアか〜〜って悲観があったかも
今後も親と関わる予定はないし、もしわかってくれる人がいたら親類はこっちでブロックすることはしっかり話すように心がけるよ
下手すると金せびってくるタイプだから結婚報告もしないつもりだし
いろいろありがとう
『ハウス・オブ・カード』というアメリカの政治ドラマ見てるんだが。
一番やばかったのが、
「父の日にリアルパパに電話させて、パパと呼ばせながら、セックス」ってやつ。
なんか、日本のネトラレエロ漫画を超えてるってか。日本のネトラレ漫画でも、彼氏に電話でしょ。
おっさん側は、多分リアルパパより年上で、携帯で喋る女を睨みながらクンニ。
え?カッコつけてるつもり?
2番目にやばかったのは、
「売春婦に、ママから読んでもらってた小説を朗読させながら、ママの読み聞かせみたいだ〜と言いながら、セックス」ってやつ。
3番目は、
「秘書の20代の女に、20年ものワインを振る舞いながら、『20代!20代!』とハゲががっつく」
これ、ここまでなら普通かもしれないが、
ハゲのおっさんが、なんと若手扱い。多分でも40代後半じゃないかな。
小学生の時は誕生日とか母の日父の日とかに親に手紙書いてプレゼント渡してたんだけど、中学上がったくらいから書かなくなった。理由は親を尊敬できなくなったから。
育ててくれたことは感謝してるけど、そのために嘘ついた手紙書くのは無理で書くのをやめた。
ちょっとしたことで私の人格否定したり友人のことを馬鹿にしたり。挙句の果てにずっと行きたくてたくさん努力して入った大学のことも貶してきた。
彼らは覚えていないだろうけど、当時のわたしが詳細な日記を残してる。親って尊敬できるものだと思ってたんだけど、わたしはこんな大人になりたくないなとしか思えなかった。毎日死にたくて、学校に行くことが逃げ場だった。
今後どんなに絆されても一生忘れないし赦さないと思う。
数年前海外旅行行ったとき、行きたいと行った割に予約とか全部私に任せる〜って言ってきて当時かなり仕事が忙しかった中睡眠とか仕事の休憩削りながら各国のホテルとか交通機関探した。
全部まとめた資料つくってこれでいい?って2人に確認してOKありがとう!って言われたから予約した。
いざ着いてみたら母親からドアが開きにくい、乗り継ぎの時間が長すぎる、ホテルまでの道が暗い、お湯が止まりがち、などなど日々文句ばかり言われた。
予約して確認してOKって言ったから予約したのに、なぜここまで責められなければいけないのか本当に分からなかった。ホテル探してた日々の自分を思って夜1人で泣いた。もう二度と一緒に旅行行かないと堅く決心した。
父親に対する感情ゼロを言う設定に無理があったので、比較的自然な形に年齢を修正しました 後ほど、別の増田で設定通りの年齢設定で修正をします anond:20240715002416
わたしが小学校へ入ったばかりの頃、他所に女を作って母とわたしを捨てた父だ。
今の父(養父)を手放しに「とても良いお父さんだった」とは正直言えない、色んな思いをしたけどそれはまぁ今は割愛。
奨学金は自分で払ったけど、短大まで行かせてくれたし、不自由なく育ててもらった。
だから、表面上は実の父に対する感情がないふりをしていた。無を装っていた。
中学生になるまで毎年誕生日にはプレゼントと手紙をもらっていたけど、何も感じていないかのように振る舞っていた。
実際は、心の奥底では父からの贈り物に喜びや複雑な思いを感じていたけど、それを表に出すことは出来なかった。
母や養父を傷つけたくない、新しい家族の和を乱したくないという思いが強くて、実の父に対する感情を押し殺していた。
養父がわたしを実の娘のように思ってくれていることに対しての気持ちもゼロじゃなくて、実の父とのつながりを示すようなことは避けていた。
そうすることで、家族の中での自分の立場を守ろうとしていたのかもしれない。
母は時々、実の父の話をしてくれたけど、私は表面上無関心を装っていた。知らない芸能人の話でも聞いてるような態度を取っていた。
実際は、話を聞くたびに胸が締め付けられるような感覚があったけど、それを悟られないように努めていた。
ただ、母の声の調子や表情から、彼女の複雑な気持ちが伝わってきて、それを見るのが辛かった。
母の心の痛みを感じ取りながらも、自分の気持ちを抑え込むのに必死だった。
わたしが結婚した時、母から実の父に、結婚式の招待状を出す?って聞かれたけど
「なんでそんなこと聞くんだろう。出すわけないじゃん」って思った。今のお父さんに悪いじゃん、って。
でも、子どもが生まれて、子育てにもすこし慣れてきた今。なぜか、実の父のことが急に気になった。
それで、色々探してSNSをみつけて、ブログがあったから読んでみた。
それから、ブログを読んでいるうちに、長年抑え込んでいた感情が一気に溢れ出した。
父の日常や趣味、考え方を知るにつれ、自分の中にある似た部分に気づき、知らなかった父の人間性に触れた。
そして、突然、今まで味わったことのない喪失感と同時に、やり直せるかもしれないという希望が湧き上がってきた。
自分でもびっくりするくらいわんわん泣いた。今まで築けなかった関係、聞けなかった話、共有できなかった時間、全てが一度に押し寄せてきて、涙が止まらなくなった。
そして、その感情の中で、すごく父に会ってみたくなった。
今までもらっていたプレゼントと手紙のお礼も、やっと素直な気持ちで伝えたくなった。
長年の沈黙を破る勇気が湧いてきて、SNS経由で連絡をしてみた。すると、思いがけずあっさりと繋がることができた。
20年以上も会ってない子どもからの突然の連絡なんて気味が悪いかな、とか、拒絶される可能性もなくはないなと思うと怖かったから、
「連絡がきて嬉しい」と言ってもらえて安心してまた泣いた。
そして今もやりとりが続いていて、過去の母との思い出の話やこれまでのお互いの話をたくさんLINEで話してる。
これからゆっくりと距離を縮めていけたらいきたいなと思う反面、複雑な気持ちもある。
母の心情を考えると、この状況を伝えるべきか、あるいは黙っておくべきなのか、悩んでしまう。
母を傷つけたくないという思いと、実の父との関係を再構築していきたい気持ちの間で揺れている。
今さらになって、父に会いたくなった理由について自分なりに考えてみた。
子どもが生まれて、自分も親になったことで、家族のことを考える機会が増えたのが大きいのかも。
それに、今の生活が落ち着いてきたってのもあると思う。
自分の中に安定感が出てきたから、過去のことと向き合える余裕ができたんだと思う。
もし父から会うことを拒否されても、今なら立ち直れる気がしたからだ。
夫に相談した時、「感動的な再会みたいなのを望んでるなら、傷付くかもしれないよ」って言われたけど、
学生のころや、結婚前は、意識的に実の父への感情を抑え込んでいたんだと思う。
子どもの頃から、母の気持ちを察して、実の父のことを口にするのを避けていた。
でも、心の中では「お母さん、私にも実の父に会う権利があるんじゃないかな」って思っていた。
実の父との関係を築くことは、新しい家族への裏切りのように感じていたのかもしれない。
でも、当時はそれが精一杯のやり方だった。
母や養父を大切に思う気持ちと、実の父への複雑な思いの間で揺れていたんだと思う。
今、自分の子どもが生まれて、新しい家族ができた喜びに満ちている。
この幸せな気持ちが、過去を見つめ直す勇気をくれたのかもしれない。
自分の人生に幸福と安定感があるからこそ、実の父との関係を考える余裕ができたんだと思う。
手放しで良い父親だったとは言えないけど、これまで育ててくれた養父への感謝の気持ちも、より深まった。
自分が親になって初めて、両方の両親の気持ちが少し分かるようになった気がする。
特に母の立場が本当に理解できるようになった。浮気で離婚して、しかも子どもを置いていったという父の行動が、母にどれほどの傷を与えたか。
もし自分がそんな目に遭ったら、立ち直るのにどれだけの時間がかかるだろう。想像するだけで胸が痛む。
だからこそ、実の父と連絡を取り始めたことが、母の気持ちを踏みにじってしまうのではないか不安がある。
また、円満とは言えない養父との関係を崩さないかという不安もある。
でも同時に、20年以上越しに実の父の存在を改めて受け入れ、複雑な感情と向き合えるようになったことは、わたしにとって大切な一歩だとも感じている。
まだ迷いはあるけれど、長年封印していた感情の蓋を開けたことで、何か大切なものを取り戻せた気がする。
これから実の父とどんな関係を築いていけるか分からないけれど、少なくとも自分の中で何かが変わり始めた。
子育ての喜びと、過去との和解の兆し。この二つが重なって、人生の新しいページを開いた感覚がある。
これからの人生で、私の子どもにも、両方の祖父の存在を伝えられたらいいな、そんな穏やかな気持ちでいる。
ただ、それを実現するには、まず母の気持ちを大切にしながら、慎重に進めていく必要があるだろう。
この複雑な感情を、どうやって家族全員に理解してもらえるだろうか。
それでも、今なら冷静に、そして思いやりを持って話し合える気がする。