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はてなキーワード: 戦国大名とは

2024-12-09

山梨市観光覚え書き

山梨観光ってしてないなと思い、11月に金曜夜から2泊2日してみた

 

スーパー銭湯に併設のビジネスホテル施設内の飲食も幾つもあるしコンビニ居酒屋なども隣接してる、風呂は当然ながら大浴場使い放題ということでコスパ良好

 

長野善光寺本尊武田信玄が「避難」させて設立とあるが、まあ大義名分で押し切って日本有数の古刹強奪したということだろう

諏訪大社諏訪氏自分血統押し付けるの含め、織田信長より信仰対象への不遜ぷりが際立つ信玄戦国大名らしいバイオレンス事績代表する史跡で、ある意味信玄すげーを一番感じられるかも

近くにある「かいてらす」という観光土産物館のレストランが美味しかった

 

信玄本拠地である躑躅ケ崎館跡。神社のもの江戸時代以降の武田ブームアイテムが置いてるだけなので、館って言ってもちゃんと塀も堀も馬出もあるんだー、有名な武田馬出現物ってこんななんだー、なるほどこれは領土が広がったら手狭だなー、などなどを実感するぐらい

隣接する信玄ミュージアムでやってた柳沢吉保特集柳沢家は元武田家臣、甲府藩主時代武田家の名誉復興政治力を使いまくる等々)が全く知らなかったので面白かった

 

予想に反して戦国大名武田氏の展示はごく一部であり、ブラタモリ的に土地の状況から歴史解説シームレスにつなげる解説が印象的な展示。江戸期や明治以降の展示も充実、というか史料的に戦国以前が乏しいので史料的に乏しいものを無理に拾うよりも史料豊富ものちゃんと見せる方向でまとめてるんだと思った。近代以降の実業家たちの紹介はかなり興味深いのでもっと知りたい

 

特別展としてまとめられていた「縄文時代不思議な道具」展がボリュームが思ったよりも多く充実していて今回の観光旅行では最押しだった(終了してるけど)。各分類ごとの物量が多いぶんだけ次の展示に移る前に頭の棚が作りやすいというか解像度がかなり上がるというか、考古学は奥が深いでしょ、を物量で殴ってわからせるというか

タマ縄文にわからされた後に、常設展示の縄文土器の優品を見せられると「美」って感じで惚れる

 

ミレーがいっぱいあるところで有名な、ミレー集客してるミレー推し美術館だが、県内画家作品普通に良い

というか、ミレーはどうしても小品だし、王政復古なんやかやの頃の絵なので古典範疇であり、近代以降のキャッチー絵画のが見栄えがいいので、昨今の思想動向的にもミレー労働自然リアリズム、うーむ渋い、みたいなのは受け取る側としてなかなか消化しづらくなってると思う。理念の崇高さみたいなのを勝手に感じ取らないとありがたみがないというか。なお、ミレーの生涯を紹介するアニメが見てて楽しいのでお勧めホームページで見れる)

さておき企画展含めた国内作家作品が良いのが多かったので、ミレーに釣られて行ったら日本画家を好きになる、が正しい鑑賞態度なんじゃないかと思う

施設レストランは諸事情あるのか、オペレーションが壊滅的で順番待ちをうまく捌けてなかった(料理自体は悪くない)ので、利用時はゴリゴリっとゴリ気味に状況を確認したほうがいいと思う

 

  • まとめ

もっと信玄まみれになるかと思ったが、信玄甲陽軍鑑もあまり出番がなかった

次はハイジの村で天然温泉クララの湯に浸かってみたい

2024-08-09

anond:20240809144359

いや戦国大名は全員武士でしょ

武勇をたたえる異称じゃなくて権威をたたえる異称だと思ってたわ

anond:20240809143645

弓取って弓うめえやつじゃなくて戦国大名くらいのニュアンスでしょ

東海でいっちゃんえらい(権威のある)大名ってことだから武勇無関係では

2024-07-27

anond:20240727025354

戦国大名織田信長に仕えた黒人男性「弥助」と、弥助について書いたトーマスロックリー日本大学法学部准教授)の書籍信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍』(太田出版、2017年)が話題を集めていますトーマスロックリー氏の同著に、戦国時代日本において「地元の名士のあいだでは、キリスト教徒だろうとなかろうと、権威象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まったようだ」という記述があり「それは事実とは異なる」「日本黒人奴隷を生んだというデマ世界に広まってしまうのでは」と非難懸念されているのです。』

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/00b9dff9cd6151ac3d61c0460481db6a9e83d92d

2024-07-26

anond:20240726154831

戦国大名織田信長に仕えた黒人男性「弥助」と、弥助について書いたトーマスロックリー日本大学法学部准教授)の書籍信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍』(太田出版、2017年)が話題を集めていますトーマスロックリー氏の同著に、戦国時代日本において「地元の名士のあいだでは、キリスト教徒だろうとなかろうと、権威象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まったようだ」という記述があり「それは事実とは異なる」「日本黒人奴隷を生んだというデマ世界に広まってしまうのでは」と非難懸念されているのです。』

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/00b9dff9cd6151ac3d61c0460481db6a9e83d92d

2024-07-17

蓮舫さんとその取り巻きヤバい(語彙)

https://anond.hatelabo.jp/20240717074752

2024-07-21

フェミブリッジ緊急企画!女たちは黙らないよ!with R

https://anond.hatelabo.jp/20240721204532

2024-07-23

■アサクリ・弥助・黒人武士問題は軽視して良いものじゃない

https://anond.hatelabo.jp/20240723124942

2024-07-24

■「戦国大名黒人奴隷を求めた」説、ロックリーさんの捏造ではない

https://anond.hatelabo.jp/20240724170433

2024-07-25

■【朗報黒人・弥助を神とした元ネタ論文が見つかる。

https://anond.hatelabo.jp/20240725142420

2024-07-30

キモおじ「『弥助の見た目が八幡神に近い』って根拠は?」

https://anond.hatelabo.jp/20240730091512

2024-08-03

■岡美穂子東大准教授・弥助問題に進展があったのでメモ

https://anond.hatelabo.jp/20240803112615

2024-08-08

追記あり・岡美穂子東大准教授・弥助問題に更に進展があったのでメモ

https://anond.hatelabo.jp/20240808113632

2024-07-24

anond:20240724170433

そもそも戦国大名黒人奴隷を求めた」説、敵視するオタクがいっぱいいるもの

そんなに敵視する必要があるのかと疑問に思う。この説を認めることは、

アフリカルーツを持つ欧米人ポジティブな活力をみなぎらせることにつながる可能性はないか

自分達が暮らす欧米は決して奴隷制に塗れた穢れた地ではなく、むしろ東アジアに、

少なくとも同じレベルでひどいことをやっていた地域があると。相対的に、欧米生活現場に、

ポジティブ評価を与えることになる。それどころか、ヨーロッパ系の欧米人アジア系欧米人にも、

ポジティブな活力をみなぎらせるのではないだろうか。

大手ニュースメディアのCNNインタビューで『信長は弥助を神だと思っていた』と語った根拠は気になる

アフリカ人奴隷を使うと言う流行が始まった』と言い出したのは氏が初ではないかも知れないが、

氏が大手ニュースメディアCNNで語っていた、『信長は弥助を神だと思っていた』『日本で最も有名な外国まれ武士となった』

ヤスケの仕事一族権力を守ることでした』(信長の首を守護し息子に届ける) の根拠はそれぞれそれなりに気になる

日本人が知らない、少なくとも教科書では習わない事実なので純粋に興味があるよ

African samurai: The enduring legacy of a black warrior in feudal JapanCNN

When feudal Japan’s most powerful warlord Nobunaga Oda met Yasuke, a black slave-turned-retainer, in 1581, he believed the man was a god.

Oda had never seen an African before. And like the locals in Japan’s then-capital of Kyoto, he was awed by Yasuke’s height, build and skin tone, according to Thomas Lockley, the author of “African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan.”

“When Yasuke got to Kyoto (with Jesuit missionaries), there was a massive riot. People wanted to see him and be in his presence,” says Lockley, who spent nine years researching and writing the book, which was published last month.

Oda believed Yasuke to be either a guardian demon or “Daikokuten,” a god of prosperity usually represented by black statues in temples. He tried to rub the pigment from Yasuke’s skin, believing it was black ink. Once convinced Yasuke was real, he immediately threw a feast in his honor, says Lockley.

 

1581年、戦国時代日本の最も強力な戦国大名である織田信長が、奴隷から家臣となった黒人ヤスケに出会った時、信長ヤスケを神だと信じました。

アフリカン・サムライ戦国時代日本伝説黒人武士ヤスケの真実物語」の著者トーマスロックリーによると、信長はそれまでアフリカ人を見たことがありませんでした。そして、当時の都であった京都地元民と同様に、ヤスケの身長、体格、肌の色に畏敬の念を抱いたそうです。

ヤスケが(イエズス会宣教師とともに)京都に到着した時、大規模な騒動が起きました。人々はヤスケを見たがり、彼の存在を身近に感じたがりました」と、9年の歳月をかけて研究執筆した先月出版されたこの本について、ロックリーは語ります

信長ヤスケを守護の鬼か、通常寺院で黒い像で表される繁栄の神「大黒天」のどちらかだと信じていました。信長ヤスケの肌の色素を擦り取ろうとし、それが黒インクだと考えていました。ヤスケが本物だと確信すると、すぐに彼の名誉を称える宴を開いたとロックリーは述べています

 

https://edition.cnn.com/2019/05/19/asia/black-samurai-yasuke-africa-japan-intl/index.html

  

氏が出演したNHK番組でも下記のように"侍"と書いてるので根拠はあるのだと思う

Black Samurai 信長に仕えたアフリカン侍・弥助 |NHK BS

織田信長に仕えた黒人、弥助(やすけ)。イエズス会宣教師に同行していた弥助を信長が気に入り、家臣に取り立てたのだという。2人の主従関係は「本能寺の変」によりわずか1年3か月で終わったが、その前後の弥助の足取りはこれまでなぞに包まれてきた。しかし近年の研究により、アフリカからアジア日本へ到る弥助の人生が次第に明らかにハリウッド映画化も進むなど、今世界中から注目を集める、弥助の生きざまに迫る。

https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009051309_00000

 

なお、アフリカ人奴隷を使うと言う流行が始まった』という主張の根拠は、

京都国際観光大使政府成長戦略会議委員も勤め、『中小企業であること自体特権化している』

子どもがいない専業主婦脱税と同じ・社会インフラただ乗りモラルハザード』などなど

数々のありがたいお言葉を下さる、デービッド・アトキンソン氏によると、(アフリカ人奴隷流行は)資料にかなりあるけど』らしいです

日本人が知らない、少なくとも教科書では習わない事実なので純粋に興味がある

https://x.com/sessyun5021/status/1815008190398148816?s=61

 

 

ちなみ 群馬県文書館レファレンス事例紹介コーナーによると『くろほう』について下記の回答があるね

12 群馬県文書館所蔵の古文書に、黒人と思われる「くろほう」という記述があるとききました。それは事実でしょうか。

 

 栗間家文書(P00101)のNo1「年未詳加藤清正書状」(下川左衛門ほか宛)には、豊臣秀吉朝鮮出兵に関連する記述の中で「くろほう」という言葉が出てきます。そして2021年3月30日NHK BS4Kで放送された「Black Samurai 信長に仕えたアフリカン侍・弥助」の中で、日本大学准教授ロックリートーマス氏がこの文書に出てくる「くろほう」こそ、織田信長に仕えた黒人武将弥助の後身ではないかと、述べられています。まず文書館内では、この「くろほう」をこれまで全く黒人として認識しておらず、トーマス氏のご指摘に驚いています。実は、この「くろほう」が弥助かどうかはともかく、黒人推定する見解は以前からありました(中島楽章氏「16世紀九州末ー東南アジア貿易」『史学雑誌』118-8号ほか)。 ただし現時点では、この文書の1カ所にしか出てこないため、断定は難しいと思われます。例えば、『源氏物語』にも「くろほう」という言葉が出てきますが、これは「黒芳」(練り香)の意味で、日本古典で頻出しているようです。また、当館文書を読むと、人間ではなく、物を指す記述と見た方が自然ではないか、という意見も係内で出ています。以上より、現時点では「くろほう」を直ちに黒人即断するのは難しいのではないか、というのが当館古文書係の見解です。

https://www.pref.gunma.jp/site/monjyokan/130144.html

 

 

 

参考にしてください

anond:20240724185446

 

 

 

 

 

関連増田

 

 

 

 

 

 

 

戦国大名黒人奴隷を求めた」説、ロックリーさんの捏造ではない

追記をはじめに書くべきとのブコメがありましたので修正しました。

追記

○増補新版しか弥助の記載がないってコメントあるけどそうなの?そもそもロックリーの本の方が先にでているらしいし、頑張ってこんな微妙ウソつくのはどうなんだ。/そもそも記載は本当でも南蛮人から買うしかない

○弥助の事書かれて無い2017年大航海時代日本人奴隷持ってるけど、2021年発行増補新版の間で何かに目覚めたんかな?17年版は序章の改宗ユダヤ人異端狩りを逃れて日本へ逃げ込む所なんか凄い面白い本なんだけど

増補版しか手元にないせいでわからなかった

そしたらロックリー先生初出、岡・ソウザ先生がそれを取り入れた可能性もあるのか

そしてそれを取り込んでしまったせいで目茶苦茶な記載になったのかも

追記2

先生著作ミスについてコメントしていた。

肥後に弥助の妻子がいたと読み取れる件について)

○その部分は、校正の最終段階で、段落を丸ごと削除した際に残ってしまったミスです。2021年再版刊行時にすでに修正済みです。アカデミアの方であれば、そういったことが生じることはご存知ではないでしょうか?それに、弥介の話は前段落で終わっているのは、文章を読めば理解できるところです。

○なおkindleは初版以降の修正は反映されないことが確認されたため、本日中央公論新社協議の上、Amazon修正依頼しました。来週には修正される予定です。本日大規模重版かかりましたので、同じ頁の数字の誤字も修正されます。ご指摘、どうもありがとうございました。

(後掲岡先生のXより)

アカデミアでは段落丸々削除する程度のミスは当然に生じうるか問題なし、またこれを弥助の話と取るのは読解力の問題、とのようだ。

弥助の話をしている流れで肥後の妻子の話を続けているのだから普通の読解力だと弥助の話と受け取ると思うのだが。アカデミアの方々の高度な読解力は凄いね

また、私なら、まずミスしてしまった本を読んでしまった読者に謝罪するけどアカデミアの流儀は分かんないね

なお、「廿」については修正されていそうだが、「器量すくやか」の誤読(?)についてはコメントされていなかった。

本論

戦国大名黒人奴隷を求めた」説、ロックリーさんの捏造ではない

かもしれない。

アサクリの弥助問題から派生して、日本大学准教授ロックリー先生が、「戦国大名黒人奴隷を欲していた」とデマを流している、との言説がある。

しかし、これはロックリー先生デマではないのではないか、との意見がX上で交わされているので、ロックリー先生名誉のためにまとめておこうと思う。(リンクが多くなりすぎるのでリンクは省略)

おそらく初出は岡先生ソウザ先生では?

東京大学史料編纂所准教授の岡美穂子先生と、その配偶者であり東京外国語大学特任教授ルシオ・デ・ソウザ先生の共著である大航海時代日本人奴隷 増補新版」(中公選書)という学術書がある。

この書籍にはこういった記載がある。

屈強で珍しいカフル人を従者にすることは、日本人にとっては「富貴」や「威風」の象徴で、交易関係する大名たちはこぞってその所有を望んだと思われる(215ページ)

https://i.imgur.com/ul26Fbq.jpeg

また、ロックリー先生著作の「信長と弥助」(太田出版)にはこうある。

権威象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まったようだ。(13ページ)

https://i.imgur.com/3pNcW5T.jpeg

ロックリー先生著作2019年出版、岡・ソウザ先生著作2017年であることからロックリー先生は岡・ソウザ先生著作を参考に書かれた可能性がある。

まり、岡・ソウザ先生は従者と記載しているのを、ロックリー先生奴隷と言い換えてしまったようなのだ母国語ではないせいで細かいニュアンスが変わってしまったのか、意図的なのかは不明だが。

ちなみに岡先生ソウザ先生著作に「「富貴」や「威風」の象徴…こぞってその所有を望んだと思われる」とあるが、その根拠は示されておらず、不明である。岡先生ソウザ先生の博識にてらすと論ずるまでもないことなのかもしれない。

ただ、ロックリー先生著作英語版では内容が異なるという話もある。そこまで追えていないが。

というわけで「大航海時代日本人奴隷 増補新版」(中公選書)を読もう

商売上手の中央公論新社が、話題になったこの機会を捉えて「大航海時代日本人奴隷 増補新版」を増刷してくださるそうだ。(https://x.com/chukoshinsho/status/1815737944243573035

せっかくの機会なので皆様も是非お読みいただきたい。

注目すべきページがある。(https://i.imgur.com/aQlemYT.jpeg

弥助の年齢

書籍内では「16、7歳」(4行目)とあるが、実は信長公記では「廿六、七」と書いてある。もちろんこれは26、27歳のことであり、①単純なミス発見できなかったか、②「廿」という文字が読めなかったか、ということになる。ケアレスミスだろうか。

弥助の特徴

書籍内では「穏やかな気性」(5行目)とある。これも信長公記にあたってみると、「器量すくやか(健やか)」とあるが、現代文に訳すのならば「立派な」や「頑丈な」、「才気にあふれた」といった意味となる。これもケアレスミスだろうか。

肥後に妻子がいた?

書籍内では肥後に妻子がいたとされている(後ろから2行目)。文脈上これは弥助のことだと思われるが、史料中で弥助に妻子がいたことを示すものはまったくない。何を根拠にしているのだろうか。

余談

ルシオ・デ・ソウザ先生は、ロックリー先生の最新作「A Gentleman from Japan」の推薦を書いており、関係は良好だと思われる。

余談2

岡美穂子先生によると次の通りだ。

ゲンダイ」系の媒体、上から圧力にも曲げず、頑張ってらっしゃいます。どうせ競馬女性の裸の写真しか載っていないんだろうから読者の質など知れていると、オカミはタカをくくっておられるのかもしれませんが、なかなかどうして、左翼知識人から、かなり支持されておりますのですよ。私は左翼でも、知識人でもありませんけど。でも右翼絶対嫌だ。

そんなこんなんで、お友達がいるわけでもない日刊ゲンダイで、本が紹介されました。とても嬉しいです。

https://web.archive.org/web/20201101144221/https://mdesousa.exblog.jp/m2017-06-01/

先生ブログによると、左翼知識人日刊ゲンダイをかなり支持しているとのこと、また、御本人は左翼でも知識人でもないけど、右翼絶対嫌とのことだ。

ちなみにこのブログは、2024年5月16日まではウェブアーカイブにて確認できるが、岡先生が今回の弥助・黒人奴隷議論に御参加されるころには既に削除されてしまっている。

知的財産喪失だと思われ、非常に残念に思う。

余談3

弥助・黒人奴隷議論に際し、岡先生のなされた御発言をまとめておこうと思う。

○これだけ「歴史修正主義」って叫ぶ人が出てきてるのに(笑)、右系論壇が沈黙しているのは、さすがにこの問題に関わったら、常識を疑われると認識できているのだろう。

○将来を嘱望されていた呉座さんがあんなことになってしまったのは、あなたたちのような人と不用意に繋がってしまたからでしょうね。

○「権威象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まった」という文章否定しろ、という意見が多いようですね。ここで迂闊に発言すれば揚げ足をとられそうです。外務省から正式要請があれば、史料付きでやっても良いですよ。外務省がこの問題を本当に「国際的国益問題」と判断すればですが。

○私はロックリーさんの著作は、日本語も英語も「歴史読みもの」であり、学術研究であるとは考えておりません。しかしそれが書かれるにあたって、彼が様々な文献にあたり、想像を超える努力したことは存じております

○彼等にとって、ロックリーさんの著作が、歴史日本への関心を形成するバイブルであるのだとしたら、それを否定するのは、彼等をとても傷つけることであり、それに対する防衛として、ネットの中で「歴史戦」が展開されているのでしょう。

○に「裏で」繋がっていませんが。私が海外出版した本のレビュー権威あるジャーナルで紹介してくれたのは彼ですし。面識のない人を「あんた」と呼ぶのは、いかがなものでしょう。おそらく、現在表に出ている人間で、彼を表舞台に連れてこれるのは私だけですが、こんな人のためにはできませんね。

https://twitter.com/mei_gang30266

ここから、①右翼右派に対する敵対心がある、②ロックリー先生著作は読み物だが、ロックリー先生努力やそれを信じる人のためにも否定しない。(ロックリー先生史実と主張しているが)、③政府から言われれば自身著作修正しても良い、④ロックリー先生とは夫婦揃ってかなり深いつながりがある、という御意見をお持ち・事実関係であるいうことが読み取れそうだ。

余談4

著名な学者であり、岡先生の同僚でもある隠岐さや香先生まで、岡先生擁護論陣を張っていた。

先生はじめまして。大変お疲れ様です。横から失礼します。

日本研究者への歴史観にまつわる誹謗中傷オンラインハラスメントは「アジアにおける学問の自由への脅威」の一例として報告されるレベルでして、まさに言論弾圧一種として国際的にも認識されています

https://www.asianstudies.org/publications/new-threats-to-academic-freedom/

https://x.com/okisayaka/status/1815268791099764775

ちなみにオンラインハラスメント日本での事例として、隠岐先生御紹介のページでは望月衣塑子さんの新聞記者が挙げられている。あれってフィクションじゃなかったっけ…?

2024-07-21

anond:20240721091847

信長とか伊達政宗Wiki見ると研究者女性おすぎワロタ

やっぱ強い戦国大名イメージがあるとモテるんやなあ

めちゃくちゃ興奮しながら文献あさってそうでワロタ

2024-07-17

anond:20240716152308

戦国大名やね

有力家臣団を引き留めるために複数の妻を気にかけないといけない

そもそも一夫多妻制が現代になじまないのをいったん無視するにしても)自頭と人望はあるんだけど出自が良くなくて、上流階級とのコネ資金提供がどうしても必要な男、でもないと成り立たない

2024-06-25

オナニーのし過ぎで体調悪くなるとかあるのかな?

と思ったけどあるに決まってるわな

オナ禁せんとあかん

なんか有名な戦国大名が愛妻とやり過ぎて腹上死したことあるとか聞いたことあるけど、羨ましい

2024-01-30

セクシー田中さん一件、中世ヘルジャップそのままだな!

中世期に於いて、「指し腹」という慣習があった。

これは、何らかの係争於いて、一方当事者がそれを理由切腹した場合、もう一方の当事者もまた切腹しなければならないというモノである。これは必ず割腹でなければならなかった。この時代切腹の定式は未だなく故に介錯人も不在である。まあまあ痛い。なお、中国史上でもしばしば割腹という自殺手法は誠意を誇示するための手法として古くは春秋期の記録があり、汎アジア的な死生観垣間見られる。


この際、切腹者の言い分は詮議されず、問答無用で被指名者も腹を切らざるを得なかった。係争神明裁判などにもみられるように一種投機行為である。そこで、証憑に対する掛け金を天井まで釣り上げるにはどうするか。究極にして絶対誰でも出せる"テメェの腹"こそシンプルな回答になる。前払いの命によって裏打ちされた証憑は、ために既にして真実にまで昇華している。となれば係争相手も己の証憑に文字通り命を懸けるか、あるいは係争に敗れ命を落とすかのどちらかだ。どっちにしろ死ぬ。そうなった以上、抗弁は不可能無意味なのである

逆に腹一つで取れるのは首一つまでであって同害報復原則ちゃんと生きている。故に係争拡大にはならないという自力救済を旨とする中世ジャップランドにしてはまあまあ抑制の効いたシステムでもあった。


可笑しいのは、このような投機状態に陥ったなら乾坤一擲私闘に至るか闇討ちでもすればいいものを、わざわざ自死してしま中世ジャップの異常行動である。なんならそれを聞いただけで被指名側も恐怖のあまり頓死してしま場合があるというから惰弱にもほどがあるというモノだ。その辺があまり類例を見ない慣習である


さてこれは名前現代にまで伝わっていることからも分かる通り、慣習とは言え相当に強力かつよく知られた代物であった。発祥は少なくとも室町期までは遡ることが出来、後に戦国時代の分国法に採用されている場合散見される。これから逃げんとする者は、上位権力である戦国大名が指揮して成敗するとまで定められている例もあり、むろん実施例もある。一方被指名者が腹を斬ればまあまあそれで済むので、一族郎党にいやいや切らされた奴もいたに違いあるまい。

さて指し腹は近世江戸期に入り、その慣例法治主義によって、切腹者が事前に被指名者を明言して割腹家人使用した脇差文字通り脇を刺した奴だなガハハ)を相手方に届けた場合に成立し、相手方はそれを以て割腹するという様式が完成する。ホント官僚主義社会ってどうしようもねぇな。

2023-12-27

ケーキ崩れの変

ケーキ崩れの変(けーきくずれのへん)は、戦国時代の1550年(天文19年)2月に勃発した豊後戦国大名大友氏の内紛、お家騒動。義鑑父子の襲撃が大友館の二階ケーキ会場で行われたことに由来する

2023-11-11

anond:20231111110517

ワイ:久我重明について教えてください

Claude:久我重明(くが しげあき)は、戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した武将です。

1536年、讃岐国国人領主久我通久の子として誕生

三好長慶に仕え、三好三人衆の一人として各地を転戦。

長慶の死後は三好政権下で実力者となる。畠山高政対立して畠山氏を滅亡に追い込む。

1582年の本能寺の変後、羽柴秀吉に臣従。四国攻めに参加。

秀吉九州征伐にも従軍し、大友氏を降伏させるのに貢献した。

晩年讃岐一国を安堵されたが、文禄の役出兵の際、朝鮮に渡ることな病死

織田信長による三好政崩壊後も四国大名として存続できたため、戦国大名の中でも生き残りを図る political survivor評価されている。

2023-10-20

Claudeに久我重明について訊いてみた

逆に感心したわ。

ワイ:久我重明について教えてください

Claude:久我重明(くが しげあき)は、戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した武将です。

1536年、讃岐国国人領主久我通久の子として誕生

三好長慶に仕え、三好三人衆の一人として各地を転戦。

長慶の死後は三好政権下で実力者となる。畠山高政対立して畠山氏を滅亡に追い込む。

1582年の本能寺の変後、羽柴秀吉に臣従。四国攻めに参加。

秀吉九州征伐にも従軍し、大友氏を降伏させるのに貢献した。

晩年讃岐一国を安堵されたが、文禄の役出兵の際、朝鮮に渡ることな病死

織田信長による三好政崩壊後も四国大名として存続できたため、戦国大名の中でも生き残りを図る political survivor評価されている。

2023-10-13

偉い人同士が仲良ければ戦争なんてないんだよ

戦国大名の子孫が敵味方関係なく東京貴族やってるだろ

2023-10-06

anond:20231005125308

父が誰だかわからない世界では、戦国大名ヤクザの親子盃のように父と子の関係契約することで仮想血縁が生まれるという仮説が面白い

現在でこそ父に養育責任を負わせているが、昔は母が単独で養育責任を負っていたのか?

2023-10-05

川口地元民より、氏族社会についてとか

まれは違うが、川口10年以上暮らし、その後蕨に2年半います

記事にある通りクルド人の方たちが暮らしているのは芝のあたりなので、自分が住んでいるエリアとは離れています

とはいえご近所ネットワークで色々噂がないわけではなく、また現住所近くにもそれっぽい方たちが暮らしていますが、ご近所付き合いの範囲では特に恐ろしい話などは聞きません。

まぁ、道端でやたらデカい声で話している外国人とか、食べかすの鳥の骨とかを空き地に捨てる人なんかはいますが、クルド人なのかどうかは知らないし、日本人でもガラの悪い人が割りと多いので(笑)外国人から特にどうというのはありません。

割りと近所付き合いがあるので、お友達には外国出身日本とのミックスなど色々いますが、特に問題もないし彼彼女らについて悪く言っているのも聞いたことがありません。

記事の続きに「外国人は既に共生している」とあって言い得て妙だと思いましたが、共生とか大げさなワードを使わなくてもその辺に住んでて勝手に「共存」しているし、大体人間なんてほっとけば多様なんだから、「多様性」とか掲げなくても特に頑張らなければ勝手に多様です。

一部の吹き上がっている人みたいのが無用な「頑張り」をしているだけだと思います。その「頑張り」が信義信条によるものなのか、強迫観念的なものなのか、お金のためなのかは知りませんが。

たまたま当方アラブ地域にまあまあの期間暮らし経験がありアラビア語もわかるため、普通の日本人よりはいくらか「その辺のノリ」が理解できます

もちろんアラブクルドは違うのですが、氏族社会的な要素が多かれ少なかれ残っていることでは共通していますエジプトでは「タール」と呼ばれる仇討ちの習慣が割りと最近まで残っていて、氏族の一人がやられたら相手氏族の一人もとっちめる、その相手がなんの罪も犯しておらず、何なら事件当時生まれてなくてもやられる、みたいのがあったようです。今ではコミカル映画ネタになっています)。

クルド人問題で「血縁者が病院に集まって業務妨害」みたいなニュースがあり、まぁ業務に支障が出たならこれは確かに問題なので、(暴走車や過積載車と同じように)(日本人外国人区別なく)犯罪犯罪として取り締まってほしいですが、「血縁」というのは誤解があるなぁ、と思います

この辺は高野秀行さんのソマリランドについての本などを読んで頂けると一番てっとり早いのですが(当方高野さんのファンで、本はほとんど読んでいます)、氏族というのは丁度日本戦国大名とか、ヤクザの親子盃みたいな「仮想血縁」であって、文字通り本当に血が繋がっているとは限りません(もちろん繋がっていることもあります)。ある種の契約関係みたいなものです。

この「仮想血縁」というのは人類史的に多分かなり広く深く見られるもので、現代日本でもマイルドヤンキー層は「兄弟分」みたいな絆を大切にすることが多いですし、ほんの少し前、昭和高度成長期くらいまでは「血の繋がっていない家族」みたいのは割りとよくあったと思います昭和アニメでは実子でない子とかよくわからない居候とか登場しますよね)。

この「仮想血縁」はびっくりするくらい網の目のように広がっていて、丁度暴走族のチームが場合によって法律よりチームの掟を重視するように、氏族の繋がりを国民国家の法に優先するケースがあります

そういう意味では国民国家と相性が悪いのは事実で、国民国家幻想奇跡的にうまくハマってしまったアジア小国にあっては氏族文化の人たちとの軋轢が生じやすい傾向はあるかもしれません。

ただ「仮想血縁社会世界のかなりの地域に多少なりとも残っていますし、例えば自分が何らかの事情外国に暮らさざるを得なくなってしまった状況を想像すれば、そうした人の繋がりを大切にするのは理解できなくもないでしょう。

結論としてはしょーもないですが、もういるものはいるし、別に常に問題を起こしているわけでもなく、逆に人は日本人だろうが外国人だろうが時々問題を起こすものなので、ぼちぼちやっていくしかないです。

あんまり強い縛りとか理想とか持たないことです。「こんなもんやろ」で手を打ちましょう。

さらに余談なのですが、「仮想血縁」とか言っていますが、そもそも血縁自体がもとから仮想的です。

もちろん生物学的な血縁は間違いなくあるし、今ならDNA検査なんかで同定できますが、ちょっと前まで母はともかく父は誰だかわからない、なんてのは普通にあったでしょう。

「父」は元々生物学的父というよりむしろ象徴的な存在です。

そして象徴的「父」を基準に考えられた「血縁」もまた、生物学的というよりは象徴的・言語的に構成された仮想物です。

そういう仮想物を大切にして生きてきたのが人類ということです。

犬は自分のお父さんとか全然気にしません。うちにも犬がいて、実のお父さんと会ったことがありますが、特に親子の対面的なものはなかったです。

2023-09-26

anond:20230926075229

みんな大好き戦国大名がやってたんで大して忌避感なくだらだら黙殺してたんかな

2023-09-06

ChatGPTさん曰く

戦国大名は巧妙な戦術と策略を駆使しました。たとえば、武田信玄は「武田七本槍」と呼ばれる優れた武将たちを集め、独自戦術確立しました。また、織田信長は「本能寺の変」という奇襲策を用いて、敵対勢力撃破しました。

上の説明に出てくる、「武田七本槍」と呼ばれる優れた武将たちとは誰ですか。

武田七本槍」と呼ばれる武将は、武田信玄の家臣で、彼のもとで活躍した優れた武将たちのことを指します。以下は代表的な「武田七本槍」の一部です:

山本勘助山本勘助信綱): 武田家の家老で、信玄の側近として活躍戦国時代重要戦闘で勇猛な姿勢を示しました。

梶原景時: 武田家の家老で、武田信玄軍師として知られ、戦術的なアドバイス提供しました。

竹中重治: 武田家の家老で、信玄重要軍司令官の一人でした。

河窪文秀: 武田家の家老で、信玄の側近として重要役割を果たしました。

2023-07-13

anond:20230713114652

戦国大名は大体息子が20~30くらいになったら家督譲って独自家臣団と権限を持たせるから結構育つけど

企業もそれやればいいのにね

2023-06-23

城の設計縄張りという。

戦国大名縄張りも得意とするものも数多くいた。

とはいえ、才能とはどんなときも限られたものだ。

から、どうしてもひとりの人間設計依頼が集中する。

 

ああ、また城作らんといかんがや。

去年から何城目やねんね。

おれ、めっちゃ縄張りばっかしてる。

バリ今日縄張り

BKB!!!

2023-06-21

anond:20230621142703

戦国大名なんか全員サイコパッサーよな

ノッブ、家康公、全員パッサーよ

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