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メインセッション
「東アジア反日武装戦線」とその時代を振り返り、見えてくるもの
https://www.youtube.com/live/ouGKVPIWh9s?si=1pm7-RACXU1kcPQl&t=7782
(約3600文字)
青木理氏:
中核派はまだ組織があるが、東アジア反日武装戦線はもう組織がない。
桐島聡「さん」
田原牧氏:
(「戦線」ではないが過激派の?)裁判支援をしている友人がいた。
私は急に森田童子を思い出した。
荻上チキ氏:
「ぼくたちの失敗」('76リリース、'93「高校教師」主題歌)の。
田:
もっと物議を醸しそうな曲もあったが、そういう時代を思い出した。
荻:
田:
「戦線」は新左翼とは一線を画している。全共闘の一つのエッセンス。
60年代学生運動は日本の戦争責任に触れていなかったが、70年代から問題提起が出てきて「戦線」は愚直に受け止めた。
田:
60年代半ばから80年代半ばまでの運動では人の死が珍しくなかった。
運動も竹竿→ゲバ棒→火炎瓶→爆弾となり、'71には三里塚の東峰十字路事件で警官が3人、'72には連合赤軍事件もあり、最終的には100人以上死んでいる。
荻:
田:
(男子の大学進学率 '60 13.7% → '65 20.7%。'66に18歳人口が+50万人)
田:
東大全共闘のリーダーの山本義隆氏が、闘っているに自分たちの特権性に目をつぶって正義を説くことを批判した。(「邪宗門」の)高橋和巳は「自己否定」を唱えた。
田:
60年代半ばまでは日韓基本条約('65締結)反対闘争で、革新側も「韓国に払う金があるんだったら自分たちに回せ」などと平気で言っていた。大日本帝国の責任は問われなかった。
田:
入管法の制定反対で結成された新左翼系の華僑青年闘争委員会(華青闘)が、集会で「抑圧民族である日本人は信用できない」旨の「華青闘告発」を行い、日本の新左翼党派は頭を下げた。
田:
この自己否定の流れと「戦線」自体のアナキズム的な性格が合わさって、実力行使に繋がっていった。
荻:
今振り返った時代の前半、大学自治や学費問題から階級闘争、安保闘争、反米などとリンクして新左翼が広がっていく経緯は割りと学ぶ機会もある。
青:
戦後の一時期共産党は武装闘争路線をとっていたが、1955年の「六全協」で武装闘争を放棄した。同時期にソ連でスターリン批判が起きた。
共産党指導ではだめだということで(既成左翼ではない新左翼として)「革共同」や「ブント」が設立され、これらが中核派、革マル派、赤軍派などの母体となる。
全共闘は当初セクト(党派)ではなかったが最終的に合体していく。
青:
学生たちはベトナム、日米安保、三里塚など正義感や葛藤の中で行動していたが、69年の安田講堂事件の鎮圧以降急速に沈静化「敗北」していく。
このあとよど号、大菩薩峠、連合赤軍などの事件がおき、さらに爆弾事件と先鋭化してくる。「戦線」活動もこのころ。
田:
「戦線」は71年に興亜観音・殉国七士之碑爆破、72年に総持寺納骨堂爆破など、怪我人は出ないが爆破は始めていた。
青:
「狼煙を見よ」や「腹腹時計」から読み取れる「戦線」の特徴は、現在まで続く日本帝国主義の粉砕にある。
荻:
60年代学生運動は抗議主体だったが、その後日本の加害性を発見し、植民地支配の反省中で農村コミュニティや市民と共に暮らす実践などもあったが、「戦線」のような組織は反省と攻撃を結びつけて行った(とまとめた)。
青:
「戦線」の事件を肯定はしないが、アイヌ、在日コリアン、沖縄などマイノリティに対する問題意識を持っていたというのは現代にも通ずる普遍性がある。
また、従来型の新左翼とは傾向が違い、ストイックに日々の暮らしをしながら爆弾闘争をやった。
荻:
田:
また時代の流れが、新左翼を国家権力が「暴力」で鎮圧することへの対抗として、自分たちも武装する、という意識が強かった。
昭和天皇暗殺未遂、朴正煕暗殺未遂の文世光事件、「命がけで闘った文世光への呼応としての」意識、暴力で時代を切り開く意識があったのではないか。
青:
松下竜一「狼煙を見よ」によれば、お召列車爆破未遂でしょんぼりしていたときに同世代の文世光(22歳)が事件を起こした、あんなに頑張っているのに俺たちは何をしているんだ、と、三菱重工爆破事件につながった。
お召列車爆破用の威力の高い爆弾を使ったので8人の死者を出す大被害となり、大道寺将司は痛切に反省をした。
荻:
今の若い人からすると左翼=マルクス主義だというイメージが強い。
新左翼とマルクス主義の距離、「旧左翼」とマルクス主義の距離、「戦線」の立ち位置はどうか?
田:
新左翼の各党派はマルクス主義に基づく綱領や路線がある。一方「戦線」は党派ではない。マルクスは時代的に当然読むが、全共闘の学生たちと同様に倫理感から直接行動を起こした。先鋭化する人たちのほかに、水俣や山谷に行った人、本格化する前の部落解放闘争に行った人もたくさんいる。
荻:
分かりやすいイメージだと革命を成し遂げるための手段という印象があるが
田:
「戦線」は革命ではなく落とし前。国家権力の奪取にこだわらない。政治ではない。倫理であり生き方の問題。ある意味ものすごくピュアな人たち。
(CMと前半の振り返り)
荻:
この半世紀どうか。
青:
ドイツは戦争責任によって東西に分断されたが、アジアでは朝鮮半島が南北に武断された。沖縄はまだ(アメリカの基地である)。こういった日本の加害性をピュアに突き詰めたからこそ「反日」を冠した。
荻:
青:
皮肉。かつては東アジア人民連帯の「反日」だったのが全く反転してしまった。
青:
新左翼各セクトは「戦線」に批判的だったが、鈴木邦男など右派陣営の一部が「戦線」のストイックさ、(「大地の牙」部隊のリーダー男性の)齋藤和(のどか)の服毒自殺を評価している。こういう流れが新右翼のムーブメントを生んだ。
リスナー:
田:
将来構想はなかった。個々人の落とし前。三菱重工等々の被害者にしてみれば雑談じゃないという話だが、彼らの論理は日本国家の転覆まで。
太田竜という、世界革命、世界赤軍を唱えたイデオローグ(理論的指導者)は、第三世界の革命勢力と手を結ぶ、その基盤は日本の最下層の人たちだと言っていたが、今の我々の建設的な視点とは違う位相にいた人たち。
荻:
青:
ただ、当時から90年代までの、爆弾闘争や内ゲバに先鋭化していく中では、公安警察が肥大化してきたのは時代の必然。
今後は超法規的措置で釈放された大道寺あや子や佐々木規夫などの追跡は担っていくだろうが、徐々に任務縮小か。
荻:
そして、マルクス主義はなくなっても、性教育や性的マイノリティの権利保護や選択的夫婦別姓などをすすめる「文化的共産主義」と、その抵抗としての「反共」が繰り返し保守論壇で語られている。
青:
妄想だけれども、一方で、当時千差万別の人が新左翼運動に関わった、理論家から夢想家まで。ただ結末が先鋭化した隘路、陰惨な結末になったことが「壮大な失敗」と捉えられて、日本の左派というかリベラルへの大きなダメージ、マイナス面になっていると思う。共産党や左翼へのアレルギー。ヨーロッパでは緑の党や旧共産党が政治ムーブメントを作っているのに。
荻:
「理想を掲げることは無駄なんだ」というカッコつきのリアリズムの空気のようなものは残ったかもしれない。
田:
今は、世の中自分が何しても動かないという風潮が強いが、当時の若者には自分たちが世の中の主人公なんだという意識が強かった。「戦線」がやったことはともかく、戦争責任を唱えたことが認知されてその後90年代の河野談話、村山談話につながっていると思う。
荻:
振り返るというのは何を残したのかとつなげる行為でもある。
いつどこで見たかはすっかり忘れてしまったが、リベラルな言論で著名な方が、以下のようなことを言っていた。
「氷河期世代は不況のせいにして就職できず流されてきて、今になって苦しいという。何故20代の時にお国と闘わなかったんだ。今更苦しいと言っても自業自得」
仰っていることは尤もなのだが、しかし当時は連帯しようとかデモをしよう、国に掛け合おうなどという考えはないに等しかった。何故だろう? と氷河期世代たる増田は考えて、すぐに結論が出た。
左翼の皆さん、我々の世代に嫌われてたんだよ。左翼にも色々あると言われそうだけど、あの頃の左翼的な思想を持った連中なんて、どれもこれも十把一絡げで嫌われていた。
昭和50年代生まれの我々は義務教育期間中、一度や二度はいわゆる日教組のアカ教師と遭遇し、嫌な思いをさせられている。かつて学生闘士と呼ばれていたような、親より少し年上の定年間近の老教師が、特に地方の、子供も少なく1クラス30人にも満たないような増田の学校にも必ず1人はいて、何かと教育現場を引っ掻き回していた。最近あまり聞かれなくなった式典での国旗掲揚不起立や教科書の君が代ページを貼り合わせる問題が、周囲を田んぼと山に囲まれたど田舎の我が母校でも起きた。
増田の担任にはならなかったが、当該クラスにPTA会長の子供もいたことで、その後大人たちの間では大変な騒動にもなっていた。
教師の体罰がまだ当たり前だった時代、アカ教師は手こそ上げないものの、従順な女子児童への露骨な依怙贔屓や反抗的な男子児童への横暴な発言は、学年を超えて伝わってきて嫌われていた。
その頃はインターネットがなく、テレビと新聞が主な情報源だった。番組改編時にはよく衝撃映像や昭和の記録映像として東大講堂での騒乱やよど号ハイジャック事件、あさま山荘に鉄球をぶつけるシーンがよく流れていた。その度に「かつての日本は荒れていたのだな」「その原因を作ったのはあのアカ教師の仲間なんだな」と、幼心に刷り込まれていたのかもしれない。
あの頃は、一部のメディアにも左翼の活動を忌避する空気が作られていたのかもしれない。いわゆる自虐史観が幅を利かせていた教育業界に新しい教科書を作る会が出てくる一方で、司馬遼太郎によるドラマティックな司馬史観がこれでもかともてはやされている時代でもあった。
高校、大学(増田が通ったのは地方の駅弁ですらない田舎にあった)と進学するにつれ、ますます左翼的な勢力は目につかなくなっていった。教師や教授陣にそれっぽい思想を持っている人がいなかったわけではないが、押しつけることはなく、オルグされる同世代も見かけなかった。他の大学の学園祭に行った時、明らかに学生らしくない数人のおっさんが垂れ幕の前で9条がー、と威張り散らしているのを見かけたくらいだ。
ちなみに阪神・淡路大震災も増田の学生時代に起きた。燃え落ちた街、横倒しになった高速道路の映像はあまりにも衝撃的だった。現代でこんなことが起きてしまうのかと呆然としたのを覚えている。救援活動に来た自衛隊を批判する勢力は、露骨に白い目で見られていた。
オウム真理教が問題を起こしたのも同じ年だ。あの頃のマスコミの狂乱は、今の統一教会報道の比では無かった。テレビには毎日のように信者が登場してめちゃくちゃな言動を繰り広げ、一般紙からスポーツ新聞までが彼らについてあらゆることを書き立てた。氷河期世代が過激な新興宗教に拒絶的な態度をとりやすいのも、オウムや、その他宗教団体が原因である。
オウムだけではなく、当時はあらゆる新興宗教団体がしつこい勧誘で嫌われていた時代だったのだ。少し大きな駅に行くと、手相の勉強をしていると称する者は壺や印鑑を売ろうとしてくるし、あなたの幸せを祈らせろとつきまとってくる者もいるし、選挙があれば○○党に投票しろ、新聞をとれとうるさい。個人情報がダダ漏れの時代ということもあり、これらの勧誘を掻い潜るのは至難の業だった。
増田も宗教2世である元同級生からの勧誘に辟易とし、家族の闘病について信仰心が足りないからだと言われた時には速やかに絶縁を申し出た。元同級生が悲しそうな顔をしていたのを、今でも覚えている。かつてはスニーカー文庫を貸しあった仲だったのに残念だった。
働きだしてから、といっても増田は就職できずフリーターになったのだが、ようやく田舎にもインターネットというものが普及してきた。2ちゃんねるが登場したが、そこでも左翼は馬鹿にされる対象でしかなかった。制服を強要されているのが虐待だと国際的な場で主張した政治家の息子が笑われたりしていたのもその頃だ。
だからその後、若者を中心としたSEALDsが出てきた時はびっくりした。いつのまにか、増田の親世代ですら触れたがらないアカの思想にばっちり染まった彼らは、SNSでつながることに抵抗を持たない世代としての強みを活かし、あっというまに増えていった。いつのまにそんな思想が、もう絶滅したと思っていたアカが若者の口を借りて復活するとは予想外だった。
30歳を超えた増田には、SEALDsの輝きが眩しくうつったが、羨ましくはなかった。主張があまりにも幼く感じたからだ。かつてアカ教師に仕込まれた児童が湾岸戦争時の自衛隊派遣に絡めて「戦争には反対です。憲法9条に反するから、自衛隊はやめた方がいいと思います」と言わされていたのを思い出させた。このときは自衛官を親族に持つ子供が他の学年にいて、家族が学校にクレームを入れて大問題になった。
増田はネットの匿名文化にも浸っていたため、「学生のうちにこんなに顔を晒して発言していたらこの先大変だろうな」と思ったりしたものだ。
結局SEALDsは解散したが、その後、リベラルと言われる勢力は以前よりも目につくようになってきた。だがやはり、氷河期世代の姿は少ない。
そんな中で発せられたのが「氷河期世代は何故闘わなかったのか」である。
正直に言おう。
我々の世代に、国と闘う余裕はなかった。そんな暇があれば働くことを選んだだろう。
そして、あの横暴で陰険な、アカ教師のような人になりたくなかったのだ。
その結果、「闘わなかった」と怒られる。
今の視点で見れば、何とでも言えるよな。あの頃のリベラルなど、今よりずっと情けなかったのに。
ここからは余談。
数年前、増田が住む街の施設で日教組の全国大会があり、警察が規制線を張っていた。警察が守っているのは、会場へ向かう年老いてしょぼくれた、とっくに定年退職を迎えて何年も経た老人の群れである。みんな「日教組○○県支部」と書いた幟をもって、俯きがちにトボトボと歩いている。総じて服の色は地味で、男女問わず髪の毛もボサボサで、見た目にも元気がない。
その規制線の外、ギリギリの場所に愛国的なことを叫ぶ街宣車が止まっていた。車の上から老人たちに向かって元気に「国賊」などとがなりたてている中年男性は、増田と同世代か少し上くらいに見えた。
どこにも若者がいない。交通規制を促している警察官が一番若いくらいだ。
かつてはヘルメットをかぶりゲバ棒を手に機動隊に向かっていたかもしれない人々が、中年にどやしつけられ(ほぼ因縁だが)、国家権力に守られながらトボトボと歩いている。
どんな気持ちで歩いているのだろう。会場には共産党を代表する大物政治家が来場するとポスターにあった。世代交代を頑なに拒み、トップに君臨し続けているその政治家を見て、彼らの心は慰められるのだろうか。
だが天下をとれなかった彼らも、闘わなかったと言われる氷河期世代も、下の世代からは同じに見えているのかもしれない。これを書いている増田に、左翼も日教組も共産主義も新左翼も革マルも中核派も赤軍派もリベラルも、まるで区別がつかないように。
仕方ない、そういうものだ。
これを読んでるみんなは、俺たちのようになるなよ。
左翼とか左派とかリベラルといった呼び名が表す範囲は人により時と場合により違う。ずっと混乱したままである。 思想的にどうのこうのと言い出したらもうなんだかわからない。わかりやすい共通点は、永きに渡り権力の中心に座るニッポンのエスタブリッシュメントを快く思わない、というかマジでむかつくという点だろう。だから反アベで最大の結束が見られた。 世間一般的にはだいたい次のような言葉遣いがなされている。 赤軍派とかしばき隊みたいな「正義のためなら実力行使も許される」→極左。和田春樹とか北守みたいな、最初から言うことが決まっている教条マシン→左翼。自民はNOだがどこの固定サポーターというわけではなく、選挙の時はいつもまあまあ困っている→リベラル。で、これらをひっくるめて「左派」。 (「リベラル」のこういう用法は一種の盗用ではある) (「左派」は総称じゃなくてマイルド左翼みたいな意味にも使われてますます紛ら
進んだ人の思うように世の中が進むなら、今頃赤軍派が天下取ってらぁな
赤軍派みたいなこと言いやがる
アカデミー賞の総集編を見ていたら、それはそれは #metoo に触れまくっていた。
女性問題を強く訴えているんだと思ったら、ブラックパンサーまで枠に入れていたので、完全に仮想敵が白人男性社会になっていた。セクハラに対して黙っていないぞって運動じゃないのか。
言っていることは正しいし、頑張ってほしいと思うが、なんかモヤモヤしているものがあった。自分はフェミ側だと思っているのだが、嫌悪感すら感じた。
多分、コレ、加害者側なのに平気なのに顔して賛同者になっている奴が絶対にいると思った。強く訴えれば訴えるほど、何この同調圧力と思った。
あー、これだって思った。#metoo もこれと戦わなきゃならないんだ。正しい事を主張しても手段や行動(how)で嫌悪感を感じるんだと思った。多分、そこに反発したらスゴい叩かれるだろう。
多分、これを派閥で言うと穏健派って奴になるだろう。ただ、立場的に穏健なだけであってはらわたは煮えくり返ってる人って結構いると思う。なんでそこまでするんだってって。
田嶋陽子に対して嫌悪感がすごかったフェミって結構いたと思う。なんだったら足を引っ張ってたと思う。
これを書いていたら赤軍派とか、フランス革命とかを思い出した。結局、尖鋭化してしまった人たちを潰すために穏健派が動き、結局全部おじゃんになってしまうのではないかとも思った。
人間って正論だけじゃ動かなくって面倒くさい。そこをうまく出来たのが田中角栄とかなんだろうなぁ(ただ、田中角栄も時代が良かっただけじゃないか派なんだけどね)。
相も変わらず、プロブロガーたちの無駄な煽りがインターネッツに溢れている。
プロブロガーたちの主張は「自由気ままに暮らせるブロガー・フリーランスという生き方がある。何故みな、それをやらないのか」に尽きる。
彼らの主張はもう散々聞き飽きた。もう十分だし、その考えとは相容れないから、さっさと視界から消えて欲しい。
こっちに影響を及ぼさない程度に、好きにやっててくれ。
と、思ったところで、ふととある考えが頭を過ぎった。それが表題だ。
全共闘からの左翼の連中は「共産主義だ、階級闘争だ」を掲げて、デモを繰り広げ、ときには暴れていた。
どんどん先鋭化して極左になり、彼らは「労働者が運動に加わらなければ革命は起こせない」と悩みつつ、「革命のためには暴力も辞さない」と過激化していった。
その結果が山岳ベース事件とあさま山荘事件。そして、その後の顛末はご存じの通りだ。
元赤軍派の議長、塩見孝也氏(75歳)という当時は雲の上と思われていたオジサンがいる。
これまでの生活費は援助やカンパで革命運動をやってきたそうだ。が、子育ても何もあったもんじゃない。
~息子との関係性について問われたことに対し
「親に対して幻想は多少あったでしょうね。だけど、実際出所した俺は経済能力も世間の常識もない無能力者なわけで、すぐに幻滅されちゃったわけ。」
「結局は理屈じゃないんだよな、親は。金とか実質で役にたたんと。『マルクス、レーニンだ。階級闘争だ』言っててもしょうがないって話ですよ。
その点、女房はずっと飯食わせて育てて、理屈じゃない訳だから絶対的な権威がある。
俺はそういうこと一切やってない。多分、全共闘時代の左翼の親父どもはみんなそうだよ」
https://twitter.com/rsr80930/status/590587310367969281
左翼のシンパのような方で年齢は察するに50代~60代前後。郵便局で勤めており、集会やデモにもよく参加している。そんな彼はこう綴っている。
「何もないのだ。その人が生きていて死ぬ。周りの人は「そんな人いたな」と思い出すこともある。。そして忘れる。また思い出すこともあるかもしれない。周りの人もそれぞれ生きて、死んでゆく。その繰り返し。何もない。ただその繰り返し。
私もいつ消えるかわからない。熱中症でひっくり返りトンデモ病院に投げ込まれたときは「もうダメか」と思った。それはちょうど二年前の6月だ。それで退職を決断とはならず、引っ越すのがめんどくさい、東京を離れたくないなど諸理由によりずるずると生きている。とにかく死なないように適当に生きる。ホントに働いたら負け。
できれば消えてなくなりたいが、いずれ孤独に無様な姿でクソまみれで死んでいくのだろう。たぶん極貧と他者からの軽蔑のなか、のたうち回りながら「俺は死にたくねぇ」とか泣き叫びながら、それで"game end"。美しい思い出、来世への期待など何もない。そう何もないのだ。」
http://open.mixi.jp/user/7349954/diary/1953348530
左翼として活動していても、いなくても、世の中は無常で儚いものであると思うかもしれない。
「取り上げたサンプル2つで何を言う」という反論もあるだろう。
それにしたってにじみ出てくるものがある。極左たちの老後は惨めすぎやしないか……と思うのだ。
プロブロガーの老後だったりも、正直どっちに転ぼうが、知ったこっちゃないんだけどさ。
なんかまたいつものように、宇野常寛と東浩紀がかけあい漫才やってるみたいだけど、この議論って連合赤軍の人たちやラジカルフェミニズムの人たちが、さんざん昔にやってきた話を、繰り返しているように見えて、だから僕は東浩紀の言う「宇野常寛は古風で倫理的」ってのはまさにそのとおりだなあ、って思った。
例えば連合赤軍の議論に変換するなら、「父」を「プチブル」とか「帝国主義者」とかに言い換えてみればいい。
私たちは誰もが(男性であっても女性であっても)誤った、矮小な帝国主義者である。「帝国主義者」になることは達成ではない。(続く) 私たちは否応なく「帝国主義者」にされてしまうのであり、あとはこの不可避の条件にいかに対応するか、という問題だけが残されている。帝国主義の回復は、既に自動的に達成されたものであり、それはもはや想像力の仕事ではない
というわけだ。宇野常寛文脈では、「父」ってのはフェミニズムにおいて批判的に語られる「近代的な傷つける主体としての権力者」っていう意味の隠喩を受けてるから、この(「父」⇒「帝国主義者」の)言い換えはそれほど的を外したものではないだろう。帝国主義者に(あるいはプチブル)になる/ならないの二項対立は無効であり、もはや現代においては全ての人間がプチ権力者でありプチ「傷つける主体」なのだ、だから誰もが否応なく帝国主義者になってしまうのだ!! という議論は、はっきり言うが全く新しいものではない。倫理的に煮詰まっちゃった昔の活動家の人達の多くがたどった道だと思う。連合赤軍にしろ、東アジア反日武装戦線にしろ、ラディカル・フェミニズムにしろそうだ。
さらに言えば、彼らの多くが「ナルシシズムの徹底的排除」を掲げていたのも、宇野常寛と二重写しになる。東浩紀が言っている
「だれもが父である」ということと、「父になってしまう」ということは違うんだよ。宇野君が主張したのは前者。それは父になる/ならないの二項対立を回避するためのアクロバティックな論理。でも「だれもが父である」んじゃ、もう「父」の意味がないじゃん。ぼくの言っているのはそれとは違うの。
というのは言ってみれば典型的なプチブルの思想だ(東浩紀がプチブルの権化であることには皆異論はないだろう)。「全ての人間が帝国主義者だってあんたらは言うけど、でも突然、個別具体的な権力とか責任とかを負わされちゃうことだってあるよね」って連合赤軍に向かって言っているようなものだ。そのような個別具体的な(たとえば出来ちゃった結婚で通俗的な意味で「父になってしまう」ような)例を挙げるのは、社会の根本的矛盾から目を反らすためのナルシシズムであると、連合赤軍ならそう言ったに違いない。個別具体的な実例において「父になってしま」い、そのことについて個別具体的な議論をするようなナルシシストは、「総括」するのが彼ら/彼女らのルールだったのだから。
これはちょっと極端過ぎるたとえかもしれないけど、宇野VS東って赤軍派VSプチブルって捉えると、自分としてはすごく分かりやすいんだよね。