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2024-02-02

ラジオ東アジア反日武装戦線とその時代を振り返り、見えてくるもの

2024/1/31(水) 20:10

TBSラジオ荻上チキ・ Session」#ss954

メインセッション

東アジア反日武装戦線」とその時代を振り返り、見えてくるもの

https://www.youtube.com/live/ouGKVPIWh9s?si=1pm7-RACXU1kcPQl&t=7782

初見(初聴)の固有名詞略語も多かったので振り返ってみる。

(約3600文字

青木理氏:

最近判決が出た大坂正明被告渋谷暴動事件)は中核派だった。

中核派はまだ組織があるが、東アジア反日武装戦線はもう組織がない。

島聡「さん」

田原牧氏:

(「戦線」ではないが過激派の?)裁判支援をしている友人がいた。

私は急に森田童子を思い出した。

荻上チキ氏:

「ぼくたちの失敗」('76リリース、'93「高校教師主題歌)の。

田:

もっと物議を醸しそうな曲もあったが、そういう時代を思い出した。

荻:

時代を振り返っていく。まず60年代

田:

戦線」は新左翼とは一線を画している。全共闘の一つのエッセンス

60年代学生運動日本戦争責任に触れていなかったが、70年代から問題提起が出てきて「戦線」は愚直に受け止めた。

(「戦線設立1972年1975年まで事件を繰り返す)

田:

60年代半ばから80年代半ばまでの運動では人の死が珍しくなかった。

運動竹竿ゲバ棒火炎瓶爆弾となり、'71には三里塚東峰十字路事件警官が3人、'72には連合赤軍事件もあり、最終的には100人以上死んでいる。

荻:

まず全共闘から

田:

60年安保の頃は大学生の数も少なくエリートだった。

大学に行くことと政治活動をやることが矛盾しない世代だった。

その後、大学入学率があがり、全共闘運動が起きてきた。

男子大学進学率 '60 13.7% → '65 20.7%。'66に18歳人口が+50万人)

田:

東大全共闘リーダー山本義隆氏が、闘っているに自分たち特権性に目をつぶって正義を説くことを批判した。(「邪宗門」の)高橋和巳は「自己否定」を唱えた。

田:

60年代半ばまでは日韓基本条約('65締結)反対闘争で、革新側も「韓国に払う金があるんだったら自分たちに回せ」などと平気で言っていた。大日本帝国責任は問われなかった。

田:

入管法の制定反対で結成された新左翼系の華僑青年闘争委員会(華青闘)が、集会で「抑圧民族である日本人は信用できない」旨の「華青闘告発」を行い、日本新左翼党派は頭を下げた。

田:

60年代は「黙っているのは加害」(ベトナム

70年代は「日本の安定自体アジアへの加害」

この自己否定の流れと「戦線自体アナキズム的な性格が合わさって、実力行使に繋がっていった。

荻:

今振り返った時代の前半、大学自治学費問題から階級闘争安保闘争反米などとリンクして新左翼が広がっていく経緯は割りと学ぶ機会もある。

その後「戦線」に行くまでの時代の流れは?

青:

戦後の一時期共産党武装闘争路線をとっていたが、1955年の「六全協」で武装闘争放棄した。同時期にソ連スターリン批判が起きた。

共産党指導ではだめだということで(既成左翼ではない新左翼として)「革共同」や「ブント」が設立され、これらが中核派革マル派赤軍派などの母体となる。

全共闘は当初セクト党派)ではなかったが最終的に合体していく。

青:

学生たちはベトナム日米安保三里塚など正義感や葛藤の中で行動していたが、69年の安田講堂事件鎮圧以降急速に沈静化「敗北」していく。

このあとよど号大菩薩峠連合赤軍などの事件がおき、さら爆弾事件と先鋭化してくる。「戦線活動もこのころ。

田:

戦線」は71年に興亜観音・殉国七士之碑爆破、72年に総持寺納骨堂爆破など、怪我人は出ないが爆破は始めていた。

青:

狼煙を見よ」や「腹腹時計から読み取れる「戦線」の特徴は、現在まで続く日本帝国主義の粉砕にある。

荻:

60年代学生運動は抗議主体だったが、その後日本の加害性を発見し、植民地支配反省中で農村コミュニティ市民と共に暮らす実践などもあったが、「戦線」のような組織反省攻撃を結びつけて行った(とまとめた)。

青:

戦線」の事件肯定はしないが、アイヌ在日コリアン沖縄などマイノリティに対する問題意識を持っていたというのは現代にも通ずる普遍性がある。

また、従来型の新左翼とは傾向が違い、ストイックに日々の暮らしをしながら爆弾闘争をやった。

荻:

戦線」はなぜ闘争攻撃を選んだのか。

田:

原罪性を持つ日本人への落とし前だと思う。

また時代の流れが、新左翼国家権力が「暴力」で鎮圧することへの対抗として、自分たち武装する、という意識が強かった。

昭和天皇暗殺未遂朴正煕暗殺未遂文世光事件、「命がけで闘った文世光への呼応としての」意識暴力時代を切り開く意識があったのではないか

青:

松下竜一狼煙を見よ」によれば、お召列車爆破未遂しょんぼりしていたときに同世代文世光(22歳)が事件を起こした、あんなに頑張っているのに俺たちは何をしているんだ、と、三菱重工爆破事件につながった。

お召列車爆破用の威力の高い爆弾を使ったので8人の死者を出す大被害となり、大道将司は痛切に反省をした。

荻:

今の若いからすると左翼マルクス主義だというイメージが強い。

新左翼マルクス主義距離、「旧左翼」とマルクス主義距離、「戦線」の立ち位置はどうか?

田:

新左翼の各党派マルクス主義に基づく綱領路線がある。一方「戦線」は党派ではない。マルクス時代的に当然読むが、全共闘学生たちと同様に倫理から直接行動を起こした。先鋭化する人たちのほかに水俣山谷に行った人、本格化する前の部落解放闘争に行った人もたくさんいる。

荻:

分かりやすイメージだと革命を成し遂げるための手段という印象があるが

田:

戦線」は革命ではなく落とし前国家権力の奪取にこだわらない。政治ではない。倫理であり生き方問題ある意味ものすごくピュアな人たち。

CMと前半の振り返り)

荻:

この半世紀どうか。

青:

ドイツ戦争責任によって東西に分断されたが、アジアでは朝鮮半島南北に武断された。沖縄はまだ(アメリカ基地である)。こういった日本の加害性をピュアに突き詰めたからこそ「反日」を冠した。

荻:

現代の「反日」は、歴史に向き合う人への罵倒語になった。

青:

皮肉。かつては東アジア人民連帯の「反日」だったのが全く反転してしまった。

青:

新左翼セクトは「戦線」に批判的だったが、鈴木邦男など右派陣営の一部が「戦線」のストイックさ、(「大地の牙」部隊リーダー男性の)齋藤和(のどか)の服毒自殺評価している。こういう流れが新右翼ムーブメントを生んだ。

リスナー

戦線」は何をしたかったの?

田:

将来構想はなかった。個々人の落とし前三菱重工等々の被害者にしてみれば雑談じゃないという話だが、彼らの論理日本国家転覆まで。

太田竜という、世界革命世界赤軍を唱えたイデオローグ理論指導者)は、第三世界革命勢力と手を結ぶ、その基盤は日本の最下層の人たちだと言っていたが、今の我々の建設的な視点とは違う位相にいた人たち。

荻:

今後の公安国家の語りは?

青:

反共左翼対策としての公安役割は終えた。

ただ、当時から90年代までの、爆弾闘争内ゲバに先鋭化していく中では、公安警察が肥大化してきたのは時代必然

今後は超法規的措置で釈放された大道寺あや子や佐々木規夫などの追跡は担っていくだろうが、徐々に任務縮小か。

荻:

テロ正当化はしないが歴史と向き合うことの課題

そして、マルクス主義はなくなっても、性教育性的マイノリティ権利保護選択夫婦別姓などをすすめる「文化的共産主義」と、その抵抗としての「反共」が繰り返し保守論壇で語られている。

青:

妄想だけれども、一方で、当時千差万別の人が新左翼運動に関わった、理論から夢想家まで。ただ結末が先鋭化した隘路、陰惨な結末になったことが「壮大な失敗」と捉えられて、日本左派というかリベラルへの大きなダメージマイナス面になっていると思う。共産党左翼へのアレルギーヨーロッパでは緑の党や旧共産党政治ムーブメントを作っているのに。

荻:

理想を掲げることは無駄なんだ」というカッコつきのリアリズム空気のようなものは残ったかもしれない。

田:

今は、世の中自分が何しても動かないという風潮が強いが、当時の若者には自分たちが世の中の主人公なんだという意識が強かった。「戦線」がやったことはともかく、戦争責任を唱えたことが認知されてその後90年代河野談話村山談話につながっていると思う。

荻:

振り返るというのは何を残したのかとつなげる行為でもある。

2023-11-22

氷河期世代は何故闘わなかったんだ」と言われても

いつどこで見たかはすっかり忘れてしまったが、リベラル言論で著名な方が、以下のようなことを言っていた。

氷河期世代不況のせいにして就職できず流されてきて、今になって苦しいという。何故20代の時にお国と闘わなかったんだ。今更苦しいと言っても自業自得

仰っていることは尤もなのだが、しかし当時は連帯しようとかデモをしよう、国に掛け合おうなどという考えはないに等しかった。何故だろう? と氷河期世代たる増田は考えて、すぐに結論が出た。

左翼の皆さん、我々の世代に嫌われてたんだよ。左翼にも色々あると言われそうだけど、あの頃の左翼的な思想を持った連中なんて、どれもこれも十把一絡げで嫌われていた。

日教組のせいである。

昭和50年代生まれの我々は義務教育間中、一度や二度はいわゆる日教組アカ教師と遭遇し、嫌な思いをさせられている。かつて学生闘士と呼ばれていたような、親より少し年上の定年間近の老教師が、特に地方の、子供も少なく1クラス30人にも満たないような増田学校にも必ず1人はいて、何かと教育現場を引っ掻き回していた。最近まり聞かれなくなった式典での国旗掲揚不起立や教科書君が代ページを貼り合わせる問題が、周囲を田んぼと山に囲まれたど田舎の我が母校でも起きた。

増田担任にはならなかったが、当該クラスPTA会長の子供もいたことで、その後大人たちの間では大変な騒動にもなっていた。

教師体罰がまだ当たり前だった時代アカ教師は手こそ上げないものの、従順女子児童への露骨な依怙贔屓や反抗的男子児童への横暴な発言は、学年を超えて伝わってきて嫌われていた。

その頃はインターネットがなく、テレビ新聞が主な情報源だった。番組改編時にはよく衝撃映像昭和の記録映像として東大講堂での騒乱やよど号ハイジャック事件あさま山荘に鉄球をぶつけるシーンがよく流れていた。その度に「かつての日本は荒れていたのだな」「その原因を作ったのはあのアカ教師の仲間なんだな」と、幼心に刷り込まれていたのかもしれない。

あの頃は、一部のメディアにも左翼活動忌避する空気が作られていたのかもしれない。いわゆる自虐史観が幅を利かせていた教育業界に新しい教科書を作る会が出てくる一方で、司馬遼太郎によるドラマティックな司馬史観がこれでもかともてはやされている時代でもあった。

高校大学(増田が通ったのは地方駅弁ですらない田舎にあった)と進学するにつれ、ますます左翼的な勢力は目につかなくなっていった。教師教授陣にそれっぽい思想を持っている人がいなかったわけではないが、押しつけることはなく、オルグされる同世代も見かけなかった。他の大学学園祭に行った時、明らかに学生らしくない数人のおっさん垂れ幕の前で9条がー、と威張り散らしているのを見かけたくらいだ。

ちなみに阪神・淡路大震災増田学生時代に起きた。燃え落ちた街、横倒しになった高速道路映像はあまりにも衝撃的だった。現代でこんなことが起きてしまうのかと呆然としたのを覚えている。救援活動に来た自衛隊批判する勢力は、露骨に白い目で見られていた。

オウム真理教問題を起こしたのも同じ年だ。あの頃のマスコミの狂乱は、今の統一教会報道の比では無かった。テレビには毎日のように信者が登場してめちゃくちゃな言動を繰り広げ、一般紙からスポーツ新聞までが彼らについてあらゆることを書き立てた。氷河期世代過激新興宗教に拒絶的な態度をとりやすいのも、オウムや、その他宗教団体が原因である

オウムだけではなく、当時はあらゆる新興宗教団体がしつこい勧誘で嫌われていた時代だったのだ。少し大きな駅に行くと、手相の勉強をしていると称する者は壺や印鑑を売ろうとしてくるし、あなた幸せを祈らせろとつきまとってくる者もいるし、選挙があれば○○党に投票しろ新聞をとれとうるさい。個人情報ダダ漏れ時代ということもあり、これらの勧誘を掻い潜るのは至難の業だった。

増田宗教2世である同級生から勧誘辟易とし、家族の闘病について信仰心が足りないからだと言われた時には速やかに絶縁を申し出た。元同級生が悲しそうな顔をしていたのを、今でも覚えている。かつてはスニーカー文庫を貸しあった仲だったのに残念だった。

働きだしてから、といっても増田就職できずフリーターになったのだが、ようやく田舎にもインターネットというものが普及してきた。2ちゃんねるが登場したが、そこでも左翼馬鹿にされる対象しかなかった。制服強要されているのが虐待だと国際的な場で主張した政治家の息子が笑われたりしていたのもその頃だ。

からその後、若者を中心としたSEALDsが出てきた時はびっくりした。いつのまにか、増田の親世代ですら触れたがらないアカ思想にばっちり染まった彼らは、SNSでつながることに抵抗を持たない世代としての強みを活かし、あっというまに増えていった。いつのまにそんな思想が、もう絶滅したと思っていたアカ若者の口を借りて復活するとは予想外だった。

30歳を超えた増田には、SEALDsの輝きが眩しくうつったが、羨ましくはなかった。主張があまりにも幼く感じたからだ。かつてアカ教師に仕込まれ児童湾岸戦争時の自衛隊派遣に絡めて「戦争には反対です。憲法9条に反するから自衛隊はやめた方がいいと思います」と言わされていたのを思い出させた。このとき自衛官親族に持つ子供が他の学年にいて、家族学校クレームを入れて大問題になった。

増田ネット匿名文化にも浸っていたため、「学生のうちにこんなに顔を晒し発言していたらこの先大変だろうな」と思ったりしたものだ。

結局SEALDs解散したが、その後、リベラルと言われる勢力は以前よりも目につくようになってきた。だがやはり、氷河期世代の姿は少ない。

そんな中で発せられたのが「氷河期世代は何故闘わなかったのか」である

正直に言おう。

我々の世代に、国と闘う余裕はなかった。そんな暇があれば働くことを選んだだろう。

そして、あの横暴で陰険な、アカ教師のような人になりたくなかったのだ。

その結果、「闘わなかった」と怒られる。

今の視点で見れば、何とでも言えるよな。あの頃のリベラルなど、今よりずっと情けなかったのに。

ここからは余談。

数年前、増田が住む街の施設日教組全国大会があり、警察規制線を張っていた。警察が守っているのは、会場へ向かう年老いてしょぼくれた、とっくに定年退職を迎えて何年も経た老人の群れである。みんな「日教組○○県支部」と書いた幟をもって、俯きがちにトボトボと歩いている。総じて服の色は地味で、男女問わず髪の毛もボサボサで、見た目にも元気がない。

その規制線の外、ギリギリ場所愛国的なことを叫ぶ街宣車が止まっていた。車の上から老人たちに向かって元気に「国賊」などとがなりたてている中年男性は、増田と同世代か少し上くらいに見えた。

どこにも若者がいない。交通規制を促している警察官が一番若いくらいだ。

かつてはヘルメットかぶりゲバ棒を手に機動隊に向かっていたかもしれない人々が、中年にどやしつけられ(ほぼ因縁だが)、国家権力に守られながらトボトボと歩いている。

どんな気持ちで歩いているのだろう。会場には共産党代表する大物政治家が来場するとポスターにあった。世代交代を頑なに拒み、トップに君臨し続けているその政治家を見て、彼らの心は慰められるのだろうか。

だが天下をとれなかった彼らも、闘わなかったと言われる氷河期世代も、下の世代からは同じに見えているのかもしれない。これを書いている増田に、左翼日教組共産主義新左翼革マル中核派赤軍派リベラルも、まるで区別がつかないように。

仕方ない、そういうものだ。

これを読んでるみんなは、俺たちのようになるなよ。

2023-08-28

左翼とか左派とかリベラルといった呼び名が表す範囲は人により時と場合に..

左翼とか左派とかリベラルといった呼び名が表す範囲は人により時と場合により違う。ずっと混乱したままである思想的にどうのこうのと言い出したらもうなんだかわからない。わかりやす共通点は、永きに渡り権力の中心に座るニッポンエスタブリッシュメントを快く思わない、というかマジでむかつくという点だろう。だから反アベで最大の結束が見られた。 世間一般的にはだいたい次のような言葉遣いがなされている。 赤軍派とかしばき隊みたいな「正義のためなら実力行使も許される」→極左和田春樹とか北守みたいな、最初から言うことが決まっている教条マシン左翼自民はNOだがどこの固定サポーターというわけではなく、選挙の時はいつもまあまあ困っている→リベラル。で、これらをひっくるめて「左派」。 (「リベラル」のこういう用法一種の盗用ではある) (「左派」は総称じゃなくてマイルド左翼みたいな意味にも使われてますます紛ら

2023-02-12

父「息子が憎い」母親「死んでよかった。かわいいとは思わない」

母「憎しみだけの気持ちだ」





建築を学ぶためギリシア渡航したはずの京大生の息子が、赤軍派兵士としてテロを実行して壮絶な戦死を遂げたことを知った時の両親の反応

こんな風に普通思わなくない?

違和感凄いんだが

2022-12-16

anond:20221216175616

ワイは横からまとめに来ただけおじさんやで まとめただけやからワイに事例を言えと言われても困るやで

まぁ一応かつての内ゲバ殺し合いとかを、どの派閥否定的に総括してはいないわけで、

赤軍派革命左派が一緒になった連合赤軍が山岳ベースリンチ事件起こしとるし(あれは教条主義からの争いとはまた違う気もするが)

新左翼好きな人間ほどあいつらが手を結ぶとは思えんのや

もう弱り過ぎて背に腹は代えられん精神で手を組んでるとしたら、ものすごく悲しいんやで……

2022-07-18

anond:20220718082821

反社自覚を持って堂々とケンカ売るなら殺人許容しようが何しようがいいんだよ

今の国家の枠内からはみ出すつもりもないくせに、都合のいい人殺しの美化だけはしたいという中途半端な態度が批判されているだけ

ちゃん赤軍派の顔でもしろ

2022-07-12

anond:20220712151019

中核派赤軍派カルトだよね?

右や左のカルトが無くなった時、そういうヤバいとこに救いを求めていた人たちが発狂するのか、それとも行き場を無くして野垂れ死ぬのか気になる。

2022-07-01

anond:20220701140609

昔の赤軍派みたいに革命戦士ヅラして社会転覆とか図るなら、その姿勢で構わない

ところが連中って都合が悪くなると「既存社会通念」みたいなのを持ち出すわけだ

まりにもセコすぎる

どっちかにしましょうよと

2022-06-08

anond:20220607221337

さら言葉で取り繕った所でなあ

どうせまた無かったことにされるんだろ?としか

いま立民に求められてるのは言葉じゃなくて行動と結果だろう

共産党ときっちりと縁を切るとか、怪しげなネットメディアに何億円もカネが流れてた件の当事者更迭するとか、こないだ出所した赤軍派大幹部を賛美してた奴を査問にかけるとか、行動で示さないと信頼回復は無理でしょ

2021-12-21

anond:20211221095559

駅に貼ってある、赤軍派平田さんみたいに想像で書かれちゃうんでしょ?

2021-09-27

anond:20210927124858

進んだ人の思うように世の中が進むなら、今頃赤軍派が天下取ってらぁな

2021-08-18

anond:20210818191051

増田らがいくつか知らんけどもう今後女児名前に◯子◯美って時代でもなくなってくし、これから先、女である匿名登場人物を示す時にどうしていったらいいんだろうな。wikipedia遭難事件とか赤軍派みたいに、A女、B女、が無難かな。記号っぽすぎる感じもあるが。

2021-02-19

anond:20210218163359

連合赤軍事件を思い出した。

──実際に行われた「総括」には、冷静な視点で見ると、喜劇的とも思える場面がいくつかあります赤軍派森恒夫が「目がかわいい」と言われて激怒し、拘束していた女性へのリンチエスカレートさせていきました。

https://dot.asahi.com/wa/2017032900063.html?page=3

2020-01-07

anond:20200107194527

いや逆、「連合赤軍は内部粛清しかしてないって言われるかな?」て話

もとをたどると、赤軍派から日本赤軍よど号グループ日本赤軍アラブに行った組、連合赤軍が分かれたわけだが、この分裂過程では源頼朝源義経みたいな仲間内での武力抗争は起きていない

(つか、その前に大菩薩峠での大量逮捕で弱体化したゆえの分裂というか一部メンバー海外逃亡)

新撰組の方は、芹沢鴨抹殺とか仲間内での武力抗争と、近藤・土方体制確立後の内部粛清どっちもやっとるな

2018-03-18

#metoo と戦うもの

アカデミー賞の総集編を見ていたら、それはそれは #metoo に触れまくっていた。

女性問題を強く訴えているんだと思ったら、ブラックパンサーまで枠に入れていたので、完全に仮想敵白人男性社会になっていた。セクハラに対して黙っていないぞって運動じゃないのか。

言っていることは正しいし、頑張ってほしいと思うが、なんかモヤモヤしているものがあった。自分フェミ側だと思っているのだが、嫌悪感すら感じた。

多分、コレ、加害者側なのに平気なのに顔して賛同者になっている奴が絶対にいると思った。強く訴えれば訴えるほど、何この同調圧力と思った。

あー、これだって思った。#metoo もこれと戦わなきゃならないんだ。正しい事を主張しても手段や行動(how)で嫌悪感を感じるんだと思った。多分、そこに反発したらスゴい叩かれるだろう。

多分、これを派閥で言うと穏健派って奴になるだろう。ただ、立場的に穏健なだけであってはらわたは煮えくり返ってる人って結構いると思う。なんでそこまでするんだってって。

田嶋陽子に対して嫌悪感がすごかったフェミって結構いたと思う。なんだったら足を引っ張ってたと思う。

これを書いていたら赤軍派とか、フランス革命とかを思い出した。結局、尖鋭化してしまった人たちを潰すために穏健派が動き、結局全部おじゃんになってしまうのではないかとも思った。

人間って正論だけじゃ動かなくって面倒くさい。そこをうまく出来たのが田中角栄とかなんだろうなぁ(ただ、田中角栄時代が良かっただけじゃないか派なんだけどね)。

2017-07-17

やはり表現規制反対派のフェミ認識は間違っている

https://twitter.com/hirorin0015/status/886048343805140992

すごいなあ。「ジェンダー研究者」を名乗る人が、ツイッターでだいぶ前から話題になってる「まなざし村」界隈のことを何も知らないらしいよ。

こんなの中核派に「赤軍派やばいからどうにかしろ、お前ら左翼なんだから仲間だろ」って言うようなもの

言われた側は「知らんがな」って話でしかないのだが。

ちなみに私は東アジア反日武装戦線ファンです。

2016-08-28

最近やたらと赤軍派特集したテレビ番組が多い

この1年間で何度も見た

なぜ今更この短期間にやたらとやっているのか…

2016-07-07

プロブロガー”界隈って、“21世紀極左崩れ”と読み替えてもよさそう

相も変わらず、プロブロガーたちの無駄煽りインターネッツに溢れている。

プロブロガーたちの主張は「自由気ままに暮らせるブロガーフリーランスという生き方がある。何故みな、それをやらないのか」に尽きる。

彼らの主張はもう散々聞き飽きた。もう十分だし、その考えとは相容れないから、さっさと視界から消えて欲しい。

こっちに影響を及ぼさない程度に、好きにやっててくれ。

と、思ったところで、ふととある考えが頭を過ぎった。それが表題だ。

全共闘から左翼の連中は「共産主義だ、階級闘争だ」を掲げて、デモを繰り広げ、ときには暴れていた。

どんどん先鋭化して極左になり、彼らは「労働者運動に加わらなければ革命は起こせない」と悩みつつ、「革命のためには暴力も辞さない」と過激化していった。

その結果が山岳ベース事件あさま山荘事件。そして、その後の顛末はご存じの通りだ。

極左運動家たちもまた年齢を重ねている。

赤軍派議長塩見孝也氏(75歳)という当時は雲の上と思われていたオジサンがいる。

これまでの生活費は援助やカンパ革命運動をやってきたそうだ。が、子育ても何もあったもんじゃない。

~息子との関係性について問われたことに対し

「親に対して幻想は多少あったでしょうね。だけど、実際出所した俺は経済能力世間常識もない無能力者なわけで、すぐに幻滅されちゃったわけ。」

「結局は理屈じゃないんだよな、親は。金とか実質で役にたたんと。『マルクスレーニンだ。階級闘争だ』言っててもしょうがないって話ですよ。

その点、女房はずっと飯食わせて育てて、理屈じゃない訳だから絶対的権威がある。

俺はそういうこと一切やってない。多分、全共闘時代左翼の親父どもはみんなそうだよ」

https://twitter.com/rsr80930/status/590587310367969281

塩見孝也氏がツイッターで取り上げていた日記も特徴的である

左翼シンパのような方で年齢は察するに50代~60代前後郵便局で勤めており、集会デモにもよく参加している。そんな彼はこう綴っている。

「何もない。(2016年6月11日mixi日記より)」

「何もないのだ。その人が生きていて死ぬ。周りの人は「そんな人いたな」と思い出すこともある。。そして忘れる。また思い出すこともあるかもしれない。周りの人もそれぞれ生きて、死んでゆく。その繰り返し。何もない。ただその繰り返し。

私もいつ消えるかわからない。熱中症でひっくり返りトンデモ病院に投げ込まれときは「もうダメか」と思った。それはちょうど二年前の6月だ。それで退職決断とはならず、引っ越すのがめんどくさい、東京を離れたくないなど諸理由によりずるずると生きている。とにかく死なないように適当に生きる。ホント働いたら負け

できれば消えてなくなりたいが、いずれ孤独に無様な姿でクソまみれで死んでいくのだろう。たぶん極貧と他者から軽蔑のなか、のたうち回りながら「俺は死にたくねぇ」とか泣き叫びながら、それで"game end"。美しい思い出、来世への期待など何もない。そう何もないのだ。」

http://open.mixi.jp/user/7349954/diary/1953348530

運動員日記を取り上げたに過ぎない。

左翼として活動していても、いなくても、世の中は無常儚いものであると思うかもしれない。

「取り上げたサンプル2つで何を言う」という反論もあるだろう。

それにしたってにじみ出てくるものがある。極左たちの老後は惨めすぎやしないか……と思うのだ。

まぁ、左翼運動に身を投じてた人たちの老後だったり、

プロブロガーの老後だったりも、正直どっちに転ぼうが、知ったこっちゃないんだけどさ。

2011-11-24

宇野常寛連合赤軍っぽい?

http://togetter.com/li/218491

なんかまたいつものように、宇野常寛東浩紀がかけあい漫才やってるみたいだけど、この議論って連合赤軍の人たちやラジカルフミニズムの人たちが、さんざん昔にやってきた話を、繰り返しているように見えて、だから僕は東浩紀の言う「宇野常寛は古風で倫理的」ってのはまさにそのとおりだなあ、って思った。

 

例えば連合赤軍の議論に変換するなら、「父」を「プチブル」とか「帝国主義者」とかに言い換えてみればいい。

私たちは誰もが(男性であっても女性であっても)誤った、矮小帝国主義者である。「帝国主義者」になることは達成ではない。(続く) 私たちは否応なく「帝国主義者」にされてしまうのであり、あとはこの不可避の条件にいか対応するか、という問題だけが残されている。帝国主義の回復は、既に自動的に達成されたものであり、それはもはや想像力の仕事ではない

というわけだ。宇野常寛文脈では、「父」ってのはフェミニズムにおいて批判的に語られる「近代的な傷つける主体としての権力者」っていう意味隠喩を受けてるから、この(「父」⇒「帝国主義者」の)言い換えはそれほど的を外したものではないだろう。帝国主義者に(あるいはプチブル)になる/ならないの二項対立は無効であり、もはや現代においては全ての人間がプチ権力者でありプチ「傷つける主体」なのだ、だから誰もが否応なく帝国主義者になってしまうのだ!! という議論は、はっきり言うが全く新しいものではない。倫理的煮詰まっちゃった昔の活動家人達の多くがたどった道だと思う。連合赤軍にしろ、東アジア反日武装戦線にしろ、ラディカル・フェミニズムにしろそうだ。

 

さらに言えば、彼らの多くが「ナルシシズムの徹底的排除」を掲げていたのも、宇野常寛と二重写しになる。東浩紀が言っている

「だれもが父である」ということと、「父になってしまう」ということは違うんだよ。宇野君が主張したのは前者。それは父になる/ならないの二項対立を回避するためのアクロバティックな論理。でも「だれもが父である」んじゃ、もう「父」の意味がないじゃん。ぼくの言っているのはそれとは違うの。

というのは言ってみれば典型的プチブルの思想だ(東浩紀プチブル権化であることには皆異論はないだろう)。「全ての人間帝国主義者だってあんたらは言うけど、でも突然、個別具体的な権力とか責任とかを負わされちゃうことだってあるよね」って連合赤軍に向かって言っているようなものだ。そのような個別具体的な(たとえば出来ちゃった結婚通俗的な意味で「父になってしまう」ような)例を挙げるのは、社会根本矛盾から目を反らすためのナルシシズムであると、連合赤軍ならそう言ったに違いない。個別具体的な実例において「父になってしま」い、そのことについて個別具体的な議論をするようなナルシシストは、「総括」するのが彼ら/彼女らのルールだったのだから

 

これはちょっと極端過ぎるたとえかもしれないけど、宇野VS東って赤軍派VSプチブルって捉えると、自分としてはすごく分かりやすいんだよね。

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