はてなキーワード: 篤志家とは
企画展は東京でやってるヤツの巡回がほどんど(地方にとっては、それはそれで充分意義のあること)だが、常設展は美術館コレクションを定期的に入れ替えてやっている。
沖縄出身作家について大規模に収蔵されているのはここしかない。個人的には安谷屋正義が好きで、「塔」か「望郷」のどちらかが展示されているのでそれを見に行っている。
宜野湾市の私設美術館。丸木位里・丸木俊による「沖縄戦の図」の収蔵で知られているが、それ以外にもルオーの絵を結構持っていたりする。
常設展は琉球漆器。名のある作家の作品と言うより、歴史的な資料としての漆器の方が多く、博物館に近い。
国際通りから外れた平和通りの奥。長年研究されている学芸員の方がいて、展示・収集のサイクルがきちんと回っている印象。
与那国島。郷土資料館の類いに近いが、日本最大の蛾であるヨナグニサン(最大で全長30センチ)の標本が多数見られる。運が良ければ生体も見られる。
篤志家で、あらゆるところに寄付をして生涯に5000枚以上の感謝状をもらったという上原清善さんが、晩年に老人ホームを寄贈して、その片隅に設置した記念館。大量の感謝状が並ぶさまは現代アートといえるかもしれない。
「あしながおじさん」はぬいペニとは対極でしょ
読めばわかるが作中でジュディはジャーヴィスとは別ルートで出会って関係を深めるのが描かれている
(本人と知らないから、「今日出会った男性はいけすかない生意気なやつ」みたいなことを書き送ったりしている…)
でもだからジュディには彼の「人間として、男性として」の内面を知る時間も猶予もあった
ジャーヴィス側は、ジュディへの恋心を自覚してからは、嫉妬からやや荒っぽい手段に出たりもするものの、
ジュディが受け入れられる範囲でアプローチし続け信頼を勝ち得ており、性急に自分の欲求をむき出しにしたりはしない
最終的にジュディは彼を愛するようになってからジャーヴィス=あしながおじさんが判明→大団円
ぬいペニとは対極の話であり、「いきなり男として性欲まるだしで迫った(クリスティーヌ視点)」のオペラ座の怪人とはまったく違う
雑な決めつけだが、女性作家だけあって、というかロマンス小説だからか?
そのへんの心の動きは丁寧に描かれているよ
長い話じゃないから読んでみては?
https://news.yahoo.co.jp/articles/9599edbf619675c7778472038762833cf87b262a
障害者グループホーム、横浜・金沢区で開設断念 住民反対「こんな施設ができるなら、お金があれば引っ越したい」
こども食堂、フリースクールなど、社会的に排除されやすい人の受け皿がなかなか見つからないので、
特にグループホームとなると、今回のように感情的な住民の反発が出やすいので、受け皿が見つかりにくいだろう。
そこで、多様性を重視する論を展開するリベラル知識人にかけあうのはどうだろうか。
杉並、世田谷、武蔵野、国立あたりの知識人の自宅を改装して、そこを居住・作業所共通スペースにできないだろうか。
中学受験や医学部受験に取り組む知識人の子弟も、1階のスペースで一緒に勉強すると刺激を受けることができる。
社会福祉の光景を身近で目にした経験は、将来医学部に進学したあとにきっと役に立つ。
新年だし新しいことでも始めてみようかと思ってる君たちへ贈る
https://zebrack-comic.shueisha.co.jp/title/243
自律型囲碁ロボットが1/5囲碁の日から、高島屋、囲碁サロン樹林で先行予約開始
https://twitter.com/SRobot90498/status/1740263218130682256
棋士も自分の対局日をよしろーさんのTwitterから知ることもあるのだとか
https://twitter.com/yoshiro_kaba
囲碁の別名
信長・秀吉・家康に仕え信長より名人の称号を授かる。本能寺の変で信長の首を算砂が持ち出した説もある
最高が7段だった時代に実力13段と言われた。現代でも歴代最強の声もある棋士。段位制度の開祖
秀策がよく打っていた「秀策のコスミ」は、江戸時代と違ってコミのある現代碁ではぬるいとされ廃れていたがAIによって評価され復権した。
秀策曰く「この先どんなに碁が変化しても碁盤が19路である限りこの手が悪手になることはないだろう」
家元制の本因坊としての最後の跡目本因坊。終身名人制の最後の名人。
当時世界最強棋士・李昌鎬との意見会で李昌鎬含めアマチュアが見ても、どう見ても白のほうが良さそうに見える場面、李昌鎬が「黒は投了レベル」とまで言った局面を「黒のほうがいい」と断言。
33年経ったいまAIにかけてみるとたしかに藤沢秀行の感覚が優れていたことが判明した。
https://youtu.be/KRnedlmloqo?t=1964
中韓棋士を熱心に育成したため、中国には藤沢秀行記念館がある。
読売新聞が中国から連れてきた天才棋士。読売の嘱託棋士として紙面の対局企画で日本棋院棋士たちを次々と破った。
木谷實とともに「新布石」を生み、それまでの碁を一変させた。
棋戦中継
韓国の囲碁チャンネル。仲邑菫の対局は今後こっちで見れるようになる
1月2日~4日には🇯🇵仲邑菫(14)VS🇨🇳呉依銘(17)VS🇰🇷金恩持(16)の日中韓天才少女対決の新春特別企画が行われた
https://www.youtube.com/watch?v=qhz7ix0nGgo
藤沢里菜がタイトル挑戦常連の余を破りベスト8まで進んでいる、ベスト4になれば女性初
実は現代は囲碁の歴史上かつてないほど覚えやすい環境が揃っている
普通の囲碁(日本ルール)を覚えるならこれがオススメ。無料で広告もなし
なんとこのアプリ、開発費2000万を囲碁篤志家の全額負担によって作られた
https://www.asahi.com/articles/DA3S15626082.html
囲う囲わないという言葉に混乱してる人は純碁から入るのがいい。
囲碁は純碁の石で埋める過程を省略しているだけだというのがわかる
歯科 麻疹 司会者 シシカバブ 奈良シカマル ヤクシカ 可視化 石狩支庁 石川県 石川啄木 石川五右衛門 石川さゆり 石川佳純 石川島播磨重工業 西川史子 西川きよし 士官 史観 アシカ 海鹿島 足利 足枷 エシカル 押角 起死回生 串カツ 串かつ けしからん 腰掛け 腰かけ 差し替え 弟子屈町 都市化 西海岸 西葛西 西神田 西関東 西観音町 西春日井郡 西鹿児島 西川貴教 西勝間田 石川工業高等専門学校 石川島 石狩市 牛飼 下士官 貸方 既視感 ケシ科 都市間 無資格 もしかして 吉川市 吉川 具志川市 具志川村 具志川 具志頭村 資格 視覚 刺客 死角 母子家庭 死活問題 しかみ像 死海 鹿内 カモシカ 鹿追町 仕掛品 シカゴ 志方町 師勝町 しかと シカト 志賀島 鹿ノ下通 鹿部 色麻町 飾磨郡 飾磨区 鹿町町 しか 然別 鹿渡 鹿賀 チェブラーシカ 公使館 大使館 監視カメラ 電子化 電子回路 電子カルテ 電子殻 原子核 原子価 男子会 篤志家 投資家 明石海峡 アカシカ 東京医科歯科大学
白馬村の女性村議が産休に 県の議長会「聞いたことがない」|NHK 長野県のニュース
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/lnews/nagano/20230607/1010026951.html
これは釣りタイトルなところがあって、育休の社員の首まで切ろうとするどっかの人権先進国の大手企業よりは、よっぽど真摯な態度だと思う。
常勤教員や正規雇用社員の欠員を非常勤講師や派遣社員で埋め合わせる仕組みを議会でも取り入れてみてはどうだろうか。
正規の議員が産休や育休に入る期間は、選挙で次点だった候補に打診して、本人が希望すればその期間は臨時の議員として参加することができる仕組み。
休暇が終了すれば臨時議員は失職するけど、また二人目以降の子どもが生まれたり、別の議員が産休に入れば声をかけてもらえる。
選挙でギリギリ敗れて悔しい思いをした篤志家へも門戸を広げられるし、休暇に入る正規議員も子どものことに集中できるようになる。
>佼成会に関して
結構三世とかいるもんだね。団体参拝はうちらの所では団参て言ってたけど地域によって違うのかな?
鼓笛隊やってたのとか青梅練成道場行ったことある人とか、広島平和学習とか参加した人もいたりするのかな?
>普門館
鼓笛隊やってたから、ステージで演奏したことあるけど、某吹奏楽アニメのステージの上からの観客席の光景は、まんま「そうそう、こんな感じ」だったな。
箱が多きいのと、宗教組織の施設ということで大型バスが数十台止められる駐車場もあったので重宝されてたみたい。まあ音響はよくないらしいけど。
それ以外にも色々組織外でも使っていたみたい。
>佼成会もやばい
先週末あたりから Twitter とかで野党ガーと立正佼成会の名前を出してDD論?みたいなの増えてきてるけど、100人いたら95人がやばいと思うのと100人いたら10人やばいと思うのを十把一絡げにしたら、結局、じゃあどっちもOKだよね?って感じになっちゃうよ。
そこはある程度切り分けて議論しないと。
あなた達の建てた普門館と朝日新聞の強い後押しのせいで吹奏楽が芸術の枠組みから離れ予算獲得とレースの道具になったことについて強い憤りを感じています。
自殺者も出ました。
責任を取ってください。
高校野球関連で何かあったら阪神電気鉄道に責任求めるの?さすがに近代の法治主義では「そんなんしらんがな」と言わざるを得ない。
創価学会と比較したいみたいだけど、宗教学の方に言わせると教義の変遷がグジャグジャで、指導体制が変わったら簡単にカルト化するから気をつけろだって、笑う
指導体制が変わってもカルト化しないのなんて一部の伝統的宗教以外全部そうでしょ?まあ将来の可能性でどうこう言われても困るとしか。次期会長はこれこれでとか具体的ならまだしも。
なんかブコメみてると身内の褒め合いばかりで、創価学会版よりかなりつまんねーな
佼成会三世だと最初にいってるけど、ごめんまじで何言いたいか分からない。ミエミエの魂胆って何?
さすがに党派性まみれの人でも頑張って理解したいけど、エスパーじゃないから無理。
子供の頃や親と一緒に住んでた時は行事にたまに顔を出した」程度なのに、教団の内部の事情についてなぜ語れるんだろう。
ある宗教団体は俺より薄い接触でもほとんど酷い体験か、あるいは酷い体験をした人が複数出てきてるんだから、そこになんらかの差異はあるでしょ?
てか、その理屈だと数十万とか百万単位の人の集まりに対して、いったい誰が何を語れるの?
一参加者から見たコミケの話をしてる人にいちいち同じようなつっこみいれるの?
>票の流れ
それは分からんなー。ただ、長年自民と組んでたしやっぱり保守よりの人が多い気はする。
>高額寄付
うーん。これいまいち分かんないんだよね。はてなでも社会福祉活動をしてる財団や地方自治体に篤志家が億単位の寄付したら、だいたいポジティブに反応するのに。
宗教団体もあるていど社会福祉活動にかかわってるし、一概に高額寄付はダメっていう理屈がよくわからない。
そこあたりは宗教云々というより消費者保護法あたりの感じで言った方がいいた思うけど、いきなりそれだと宗教界の反発で結局なにも変わらない、現状維持になっちゃわない?
>佼成会もカルト
えー?新新宗教って言葉しってるなら、佼成会は新新宗教ではなく新宗教だって知ってるはずだけど何と勘違いしてるの?
しかしさっきもちょっと触れたけど、先週末から立憲ガー佼成会ガーとかあるけど藪蛇になるかもね。
90年代カルトが話題になってた頃、俺もカルト扱いされた体験あるし、カルト扱いはかなりいやがる人多いと思うよ。
マーティーに「You're chiken」いや仗助の髪型馬鹿にする感じかな?
単に宗教団体との関係ではなくカルトであるという指摘なら理論必然ではないけど、創価よりカルト度が高いことを強くしさするので怒りパワーさらに二倍かな?
100万円浮いた。
家の者は自分のためだけにパーっと使いなよと言ってくれる。
蓄えも30代子持ちにしては比較的ある方なので、これからもしっかりやってればまあ、この100万円を貯めておく必要はない。こどもの教育費もフローの中で収まる予定だ。計算上は…
よし、パーッと使おうと思うが、うーん、使い道が決まらない。
こどもは小さいから100万円かける旅行なんて逆に肩身が狭い。食い物?郊外住まいが都心のミシュラン行くだけで疲れちゃうよ。高級風俗は……興味ないことないけど虚しそうなのでやめとこう。車は買えない。
[B! 行政] WEB特集 壊れたら もう直せない… | NHKニュース
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20201201/k10012739501000.html
近代、地元のお金持ちの篤志家が私財を出してインフラを整えたという話はよく聞くけど、現代のお金持ちが私財を出してインフラを整えたというエピソードってどのくらいあるんだろう?
私がぱっと思いつくのは、静岡県の一条工務店が100億円寄付して遠州灘に巨大防潮堤を作ったこと。
今日の帰り道、長い塀とその中にある高い木々に囲まれた屋敷を見かけました。随分昔からあるような雰囲気でした。大きな門のところにはぴかぴかの監視カメラがあって、そこだけちぐはぐな感じがしました。
私は散歩が好きで、気がつくと三時間くらい歩いていたりします。この街はくまなく歩き回ったと思っていたのですが、まだ知らない場所があったみたいです。こういうことがあると、物語の中に入ったようで少し楽しい気分になります。ここはそんなに大きな街ではないので、もう何ヶ月かしたらきっと、本当に行ったことがない場所などなくなってしまうでしょう。そう思うと少し残念でした。その時が訪れたら、人に迷惑にならない程度に少しばかり酒に酔って散歩するのも良いなと思いました。そうして、意識がはっきりしていない状態で歩き回ると、「猫町」に出てくるような遊びができるかもしれないと考えました。
小説といえば、昔に村上春樹の小説を夢中になって読んでいたことがありました。近頃はあまり読まなくなってしまったのだけど、日常から非日常へとシームレスに暗転していく感じが好きで、今でも地下鉄に乗っている時や、古いホテルの長い廊下を歩いている時などに小説の情景を思い出します。
どうして村上春樹のことが頭に浮かんだかというと、今横を歩いているこの立派な屋敷は「1Q84」に出てくる篤志家の老婦人が住む家の描写に似ていたからだと思います。塀の中にはほうれん草が好きなドーベルマンや、隙なく鍛え上げられた肉体を持つガードマン・タマル氏がいそうでした。思わず空を見上げましたが、月は一つしかありませんでした。
小説の内容は断片的にしか思い出せませんでした。ただ、タマル氏が語った木彫りのネズミを作る少年の話ははっきりと記憶しています。その少年はタマル氏が育った児童養護施設にいて、ネズミを彫ることの他に何もしませんでした。少年がネズミを彫る情景は、何故かわからないが心に残っていて、それは自分にとって大切なもののように思える、というようなことをタマル氏は言っていました。それが彼の心象風景なのだと。
1Q84を初めて読んだときのことはよく覚えています。お金がなかったので本は買えず、図書館はずっと予約待ちでいつ読めるかわからず、でもどうしても読みたかったので、きっと責められるのでしょうが、隣町の図書館に行った帰りに本屋で立ち読みをして少しずつ読み進めたものでした。
その当時の私は、失意のどん底にいました。大学受験に2回も失敗したのです。高校を卒業して就職し、少し経って色々なことが見えてきて、大学に行きたくなって、仕事をしながら受験勉強をしました。そして失敗しました。頑張って溜めたお金もどんどんなくなって、やっぱり自分は馬鹿なんだ、甘かった、叶わない夢を見ていたのだと思い知らされて、本当に惨めでした。それでも諦められなくて、図書館の自習室に通って勉強を続けていました。
そんな折にウッカリ病気になり、入院して手術を受けなくてはならなくなりました。高額医療なんとかという制度でかなりの額が戻ってきたのですが、それでもやはりお金は減るし、大部屋だったので周りの病人になんやかんや干渉されるし、古い病院なので暑くて臭いし、とにかく最悪でした。
その日も最悪な気分でした。手術で受けた傷が痛みました。術後から数日間しか経っておらず、しばらくは風呂に入れないでいたので、自分が臭いのがわかって辛かったものです。
気分転換でもと思って院内を散歩しているうちに、見知らぬ病棟に入り込んでしまったようでした。エレベーターで一番上まで上がると、屋上に続くドアを見つけました。
屋上には誰もいませんでした。洗濯されたシーツがはためく耳障りな音と、やかましい蝉の声だけが聴こえました。季節は夏で、真っ青な空と真っ白な雲のコントラストが憎たらしいと思いました。しかしながら病院の屋上というのはなかなか絵になるもので、まるで自分が小説の中に入り込んだような心持ちがして少し気が晴れました。ですが、そんな雰囲気で柵に凭れたら、熱された金属が肌を焼いて飛び上がり、格好が付きませんでした。ため息をついてふと見下ろすと、ある病棟の窓から内部が見えて、目をこらすと病室から廊下に棺が運び出されているのが目に飛び込んできました。
私はますます憂鬱になりました。それで、とぼとぼと病室に戻ると、点滴を引きずりながら歩いたせいで血が逆流してしまったらしく、看護師さんに怒られました。
落ち込みながら、歩き回って汗をかいたので着替えて、脱いだTシャツを流しで洗濯していると、明らかに大掛かりな手術をしたと思われる包帯ぐるぐる巻きの人がやって来ました。その人は壺のようなものを重たそうに持ってよろよろと歩いていて、とても怪しい人物のように見えました。それを流し台に置いて居なくなったかと思うと、しばらくして綺麗な花束を持って戻ってきました。壺ではなく花瓶だったのかと私は思いました。
その人にとって、かがみこんで花を花瓶に入れることも、蛇口をひねることも、そしてその後に運ぶことも難しい状態に思えました。普段は、困っている人に親切な行為をするのに随分勇気が要るのですが、その時は反射的に声をかけることができました。
病室のテーブルに花瓶を置くと、その人は小さな板(何回でも書いて消すことができる子供用のお絵かきボードがありますが、それに似ているものです)のようなものを取り出し「ありがとう、とても助かりました」と書きました。そして、手術をしてもう喋ることができないのだと続けました。私はその時初めて、その人が今まで一言も発していなかったことに気が付きました。
私は何故かその瞬間、自分を恥じました。しかし、そう思ったこと自体もその人に失礼で、恥ずかしく思いました。
視線を落とすと美しい紫色の花が目に飛び込んできて、見たことがない花でした。とても綺麗な花ですねと私は言いました。
その人は花の名前を教えてくれました。名前は聞いたことがありましたが、こういう見た目の花ということは知りませんでした。
そう言うと、好きな花なんです。母が持ってきてくれた。と答えました。
それからもう10年が経ちました。あの夏を過ごした翌年に、私は何とか滑り止めの大学に合格しました。その後、機会にめぐまれて、大学院にまで進学することもできました。いわゆるロンダリングです。恥を忍んで正直に言うと、大学に入るまで大学院を存在することを知らなかったので、それを初めて知った時はなんだか謎めいた機関のように思えました。周りに院を出ている人などいなかったし、そもそも大学を出ている人も多くはありませんでした。今では、本の奥付に書かれた著者のプロフィールにX大学大学院X課程修了などと書いているのが目に入るようになりました。昔から色々な本をたくさん読んでいたはずなのに、きっと見えていなかったのでしょう。
20代前半で初めて東京に出てきて、育った環境の違いに打ちのめされたものでした。中高一貫の学校出身の人々に囲まれて、私が初めからこういう場所で育ったならどうなっていたかなと考えましたし、今でも考えます。奨学金の残りの返済額に憂鬱になることもしょっちゅうで、そういう心配がない人はいいなと思います。進学してから変な経歴を笑われたこともありましたし、ロンダだと陰口を言われたこともあって、そうした時は悲しくなりました。
でも、いつからか、自分で自分の人生をある程度コントロールできているのだという充足感があって、これは昔にはなかったものでした。ただ、これは、大学受験を乗り越えて「分断」を渡った(かもしれない)ことだけが原因ではないように思えます。
何かがあって落ち込んだり、何かなくてもふと悲しくなったとき、あるいはただ呆けているだけのときに、あの夏の病院で出会った包帯の人との出来事が、鮮やかな紫色の美しい花のイメージとともに浮かび上がることがあります。普段は忘れていて、そのとき見たものや匂いや状況などがトリガーになって出てくるのでしょう。この情景はとても印象的ではあるのですが、別に感動的ではないし、大きく感情を動かされることもなく、さして貴重な体験だったという訳でもないように思えます。
ただ、思い出したときに何となく心が凪いで、これは私だけが持っているものだと言う気持ちになります。多分ですが、自分にとって大事なものであるような気がするのです。そう思うと、タマル氏が言っていたことが理解できるような気がしました。
「俺が言いたいことのひとつは、今でもよくそいつのことを思い出すってことだよ」とタマルは言った。「もう一度会いたいとかそういうんじゃない。べつに会いたくなんかないさ。今さら会っても話すことなんてないしな。ただね、そいつが脇目わきめもふらずネズミを木の塊の中から『取り出している』光景は、俺の頭の中にまだとても鮮やかに残っていて、それは俺にとっての大事な風景のひとつになっている。それは俺に何かを教えてくれる。あるいは何かを教えようとしてくれる。人が生きていくためにはそういうものが必要なんだ。言葉ではうまく説明はつかないが意味を持つ風景。俺たちはその何かにうまく説明をつけるために生きているという節がある。俺はそう考える」