はてなキーワード: 教誨師とは
午前七時半過ぎ、麻原の独居房の出入り口にある窓ごしに、いつもと違う刑務官が「出房だ」と声をかけた。
大抵の死刑囚はこの見慣れぬ顔と声で自分の運命を悟り、顔面を蒼白にしてうなだれながら刑務官の指示に従うか、大声を出したり暴れたりして抵抗するか、いずれもいつもと違う行動に出る。
麻原は二人の刑務官に両腕を抱えられ、「チクショー。やめろ」と叫びながら独居房から出ると、三人の警備担当者に身体を押されるように両側に独居房が並ぶ死刑囚舎房の通路を歩き、長く薄暗い渡り廊下を通って、何の表示も出ていない部屋の前に到着した。
そこで待機していた刑務官二人の手でギギッと妙に響く音を立てて扉が開けられると、その前には分厚いカーテンがかかった狭い通路があり、カーテンに沿って先に進むと急な階段が現れ、上で別の刑務官ら大勢の人が待っている気配が伝わってくる。
ここまで来ると、この先に何があるのか察する死刑囚が多いのだが、麻原はブツブツと小声で何か言うだけで、四人の刑務官に押されるように階段を上がった。
カーテンの下から流れる冷たい風が頬を撫でたか、麻原はブルッと身体を震わせた。実はカーテンの向こう側は刑場の地下室、つまりロープで吊り下がった遺体を処理する場所であり、冷たく血なまぐさい風が吹くのも当然なのかも知れない。
階段を上がった横にある部屋には、五人の男たちが待っていた。
麻原には誰が誰か分からなかったが、正面に拘置所長、その後ろに検事や総務部長ら拘置所幹部がいて、横には祭壇が設けられ、教誨師の僧侶も立っていた。
死刑が確定し、収監されるのは集団生活を行える刑務所ではなく留置所の独房だ。当然ながら周囲の死刑囚との会話は禁止されている。
日々顔を合わせる人間は刑務官や警察官、弁護士、精神医療関係者、教誨師(宗教家など)。家族や友人との面会は容易に許可されないこともある。
規則正しい生活を矯正され、気分転換は1日3回の食事と狭い空間での30分の運動。刑務所の囚人と同様に軽作業も割り当てられている。
運動時間以外は独房内でも行動に制限が掛けられカメラで常時監視され続けている。
大罪を犯して死刑が確定しても、死刑囚は直ぐに死ねるわけではない。
それまでは精神医療関係者や教誨師との会話の中で日々命について考えさせられる。
死刑判決が確定したときの絶望または諦念が無為味だったかのように、その後の独房生活は死が確定していながらも死ねない不安や焦燥、そして恐怖が襲いかかる。
いつ死ねるのか、いつ殺してくれるのか、早く死刑執行を、今日の朝も死刑執行はされない、次の日の朝も死刑執行はされなかった、また次の日も自分は生きている、その次の日はどうか、自分は明日生きているのだろうか。
いつ来るかわからない死、自分で決めることのできない死、死はある日突然やってくる、無遠慮に思い掛けないタイミングで死はやって来てしまう。
「ゴールデンカムイ」見てますか? 面白いですよね! 原作全部読んじゃって「もっと・・・」状態
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そんなあなたに明治維新前後(18世紀~20世紀前半)の北海道を舞台にした伝奇/アクション作品を紹介してみようと思います。
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1)
「地の果ての獄」
”北海道が一般の人にとって地の果ての島だった明治19年。薩摩出身の青年、有馬四郎助は月形の樺戸集治監の看守に着任した。そこは刑期12年以上の凶徒を集めた人間の運命の吹きだまりであった。正義感あふれる四郎助は、個性的な囚人たちが起こす奇怪な事件に厳しく対しようとする。だが、元与力のキリスト教教誨師・原胤昭との出会いがその運命を変え始め...。明治に生きる人々の姿をつぶさに拾い上げた圧巻の人間ドラマ。”
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2)
「旋風(レラ=シウ)伝」
北海道出身の朝松健先生の作品。本作はクトゥルーネタはあんまりない。
”明治二年、箱館・五稜郭は陥落し、戊辰戦争最後の戦いは終わった。南部藩出身の若き遊撃隊士・志波新之介は、古参の兵士たちのはからいで死をまぬかれ、榎本武揚から手渡されたスペンサー・カービン銃を手に北へ向かう。前途に広がるのは、コロポックルが邪悪な罠を仕掛け、犬神が姿をあらわし、淫魔が歌声を響かせる、いまなお伝説が息づく蝦夷の大地。残虐きわまりない北海道開拓使・仙頭左馬之介が率いる討伐隊と死闘を繰り広げながら、新之介は自由の地を目指して歩を進める。”
現代北海道ものでは「魔犬召喚」「凶獣幻野」がお勧めです。北海道こわい!
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3)
”戊辰戦争もあと二日を残し、五稜郭で幕を閉じようとしていた。「降伏はせぬ。」と、陥落前夜、自由を求めて脱出した旧幕府軍の凄腕狙撃兵、蘇武と名木野。逃げのびる二人は、アイヌの土地を蹂躪する新政府の画策を知り義憤に燃えた。だがその背後に迫る、新政府軍残党狩り部隊の足音。酷薄で執拗な追撃戦が開始された…。広大な北海道を血にそめて追われる者と追う者が、男の誇りを賭けて戦う冒険小説。”
佐々木氏は北海道舞台のキング風の現代ホラー「白い殺戮者」で「アイヌ・ライケ・ウパシ」=「人を殺す雪」というアイヌの民話について登場人物に語らせていたりします。
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4)
「蝦夷地別件」
”十八世紀末、蝦夷と呼ばれるアイヌ民族は和人の横暴に喘いでいた。商人による苛烈な搾取、謂れのない蔑みや暴力、女たちへの陵辱…。和人との戦いを決意した国後の脇長人ツキノエは、ロシア人船長に密かに鉄砲三〇〇挺を依頼する。しかし、そこにはポーランド貴族マホウスキの策略があった。祖国を狙うロシアの南下政策を阻止するべく、極東に関心を向けさせるための紛争の創出。一方で、蝦夷地を直轄地にしようと目論む幕府と、権益を死守しようとする松前藩の思惑も入り乱れていた。アイヌ民族最後の蜂起「国後・目梨の乱」を壮大なスケールで描きだす超大作。”
脇長人て何?って思って検索したら 夷酋列像 が はてなキーワードに登録されていました。
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5)
「天動説」
山田正紀作品。山田氏の北海道舞台の作品というと「謀略のチェスゲーム」「人喰いの時代」なんかがすぐ思い浮かぶけど、昭和なんですよ。時代を合わせると「ツングース特命隊」「崑崙遊撃隊」あたりになるんですが…
本作は第一部が江戸編(ザ・”江戸時代”)、第二部が蝦夷編の伝奇小説。ラストはむりくり明治維新期まで到達。あんまりアイヌは出てきません。
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6)
「カムイの剣」
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7)
「王道の狗」
”明治時代中期、北海道開拓に使役させられていた若い囚人二人は脱獄し、それぞれの道を歩み始めた……。壮大なスケールで描く歴史長篇漫画”
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どうでしたか? アフィサイト並みに読んでない作品も挙げてみました。
ちなみに「ゴールデンカムイ」読んでません! ごめんなさい!!
昨日、TLにて紛糾した話題を改めてまとめたいと思ったのでここに記す。
「夜廻り猫114」
https://twitter.com/fukaya91/status/702078119272779776
この44才男の言動に対し
そして夜廻り猫に対し
という意見が出ていた。
1~3の非難へのレスポンスは次に公開された続きを読むとこうやって出来上がったのだなというのはわかる。
「夜廻り猫115」
https://twitter.com/fukaya91/status/702442532576350209
経験がないなら気持ちの悪い行動をしてもいいか、といえばそうではないが、あくまで背景として理解はできまいか。
今回の漫画に強く憤っている方々は、実際に過去似たような経験をし、その際に不快な思いをした人達が多いようである。
「通っていた場所で挨拶程度の付き合いの人に告白され断り、行きづらくなって通うのを諦めた」
「職場で仕事のこと以外交流のない同僚に好意を示され、その気がないので事務的な対応をしていたら逆恨みされ、
仕事に支障が出るようになり辞めることになった」
etc...
気の毒としか言い様がない。
「44才男側の視点だから描写されなかっただけで、大学の時の女性も喫茶店の奥さんも身の危険を感じて
男から逃げ回らざるを得なくなったはずだ」
と断定するのは少々飛躍し過ぎなのではないか。
楽天的すぎると思われるかもしれないが
「大学の時の女性はその時は不審に思うもののすぐ彼の存在を忘れ、彼とは無関係な場所で楽しい大学生活をエンジョイし卒業した」
とか、
「喫茶店の奥さんとはこれを機会に軽い世間話をする関係になり、彼のコミュ症を軽減する大きなきっかけとなる」
とか考えることも出来るのではないか。
それはシュレーディンガーの猫のようなものであり、この漫画には
「見ず知らずの女性を無神経に傷つけたにも関わらず、被害者面して反省もせずに女性を非難するクズ男」と
「女性たちに歯牙にも掛けられず、自信が持てないまま歳を重ねてしまったコミュ症で無害で哀れな男」が同時に存在している。
どちらを感じ取ったかでこの漫画への評価は真っ二つに分かれそうだ。
さて、猫への意見。
もし傷ついた女性がいるのであれば、それを作者が描くかはわからないが、いずれ夜廻り猫は訪れるのではないかと思われる。
そして何故この男を慰めるのか、という点。
傷ついた女性がいないのであれば、この男が成長するための一歩を踏み出した勇気への慰めと受け取ることが出来る。
もし傷ついた女性がいるとしたら。
(教誨師…https://kotobank.jp/word/%E6%95%99%E8%AA%A8%E5%B8%AB-52465)
罪を犯し、刑に服役しても、己の罪を振り返り繰り返さないと誓わなければきっとまた罪を犯してしまう。
しかしそこでじっくりと話を聞き、自問自答の手助けをし、心から罪を償い過ちを繰り返さないという結論へ導くのが彼らの仕事と聞く。
改心したとしても傷つけられた人たちから許されることはないかもしれないが、
更に誰かを傷つける事のないように残りの人生を全うするための大きな力だと思う。
男が一人だった場合、上手くいかなかったことへの憤りから自分の行動を振り返ることをせず、
またいつか同じことを繰り返すかもしれない。
そうすれば、傷つく女性は増えるであろう。
だが、猫と話すことで彼は「親切と好意は別である」と知り、世の中にはいろんな女性がいることを知り、
相手に自分のことを知ってもらったり、相手のことを知ってからでなければ先に進むのは難しいことを知り、
「自分が誰かに求められる存在になるには手遅れ」ではないことを知る。
今後、彼が傷つけるかもしれなかった女性は、猫のおかげでいなくなるかもしれない。
それでも、猫がこの男の元に訪れ、話を聞いたことは批難されるだろうか。
視点を変えればなんとでも読める作品というのは脳みそが揉まれるようで面白い。
この話を読んで男の言動や猫の行動に憤り、作品から離れる人がいたとしたら、それはもったいないことではないだろうか。
長ぇよオイ。