はてなキーワード: 宗教画とは
作家が作るものに対して(一般人が考えるような)論理性とか、伏線回収がされてスッキリ!みたいなものを求めるのは違うんじゃないかと思ってる
宗教画なら暗示を読みとる遊びは楽しいし、取説冊子の挿絵ならちゃんと意図が伝わるように説明的に描かなきゃいけない
でもアートとしての絵ってそういうのじゃないよね
実際には作家の質も作品の性質もグラデーションになってるので「読み取りたい」タイプの人は「読み取れるかも」って思ってわいわい盛り上がるんだろうけど
ことアニメーション作品においてシナリオってのは作画、音響、劇伴、声の演技などと同様に構成要素の一部でしかない
「おはなし」を補強するため、伝えるためにアニメーションのガワを作っているという発想は貧しい
https://anond.hatelabo.jp/20241107130348
絵を勉強して自分の運命を切り開くと決めてから絵の勉強を毎日コツコツ続けているが
「やっぱ日本の美術教育間違ってるじゃん」って確信を持って言えるようになってきてる。
何のことかっていうと私の中学でやらされた「クロッキー帳を筆ペンで描くやつ」とか宗教画の思想のそれね。
美術史って
この歴史の順番を理解してたら「萌え絵なんて邪道」なんて言うわけ無いの。
こういうこと言うてる人は、まずデフォルメ絵が発明される以前のところで、美術史の理解が止まってる!
こういう人が00年代までいっぱいいたことを考えると「美術教育の敗北ですよね」「芸術的な近代絵画を賛美するだけの学問じゃね?」と正直思えてしまう。…割とマジで
むしろ、美術史的なことに興味のない人間って「宗教画みたいなのっぺりした絵ができてしっくりこない」「二次創作キャラがなんか似てない」という壁に一度ぶち当たる。
そこで、オタクっぽい絵を書いてる人でも近代絵画で言われてるような
みたいなことを学ぶことになる。
こういうことは本来、美術の授業で教える&一般教養であるべきはずなのよ。だが、一般教養じゃないから的外れな批判が出る。
だから日本の美術教育って敗北しまくってるわけだけれど、本来知っておくべき大切なことを実践の中で学んで、作品という形で教えてくれるのが神絵師。
彼ら彼女らはただ絵がうまいとか、その素晴らしい絵で我々を幸せにしてくれるだけじゃなく、我々に足りてない教養を間接的に与えてくれる教師でもあるってこと。
私は「クロッキー帳に筆ペンで一筆書き」みたいな虚無虚無しい美術の授業を中学3年間受け続けた。
このせいで美術への興味もセンスもないと思い込んでた時期が長くて…
今になってから知識で解決できることばかりだったとわかってから「マジであの授業なんだったの?」とやや怒り心頭だよ!
世界史習っとくと、国際情勢のニュース見て「まぁ、あのへんの国の人ならそういう行動取るでしょ」と理解早まる。
数学には確率や数列が濃く出てくるから「仮説や傾向を掴む時に、とても便利」になりやすい。 そんぐらい。それ以外は別に…
ローマ法王庁がパリ五輪開会式のアレ「最後の晩餐」に対して「宗教的信念をあざ笑うような表現はあってはならない」という声明を出したという。
最初これは日本語ネット圏のデマじゃないかと思ったのだが、NHKも報じていてマジらしい。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240804/k10014536461000.html
しかし有名な『最後の晩餐』の横長のテーブルに一列に座るデザインはダヴィンチが15世紀末に描いたものだ。
それ以前にも『最後の晩餐』の宗教画は多く制作され、それらは円卓や車座が多い。
例えばこれはジョット・ディ・ボンドーネによる14世紀初めの『最後の晩餐』だ。
そもそもそれまで宗教画というのはデザインの収まりの良さなどを目的には描かれていない。図像学に基づいて描かれていた。図像学というのは、絵画中の「モノ」が一つ一つ宗教的イコンを示していて、それが集合したのが宗教画となる。例えばシュロ(ヤシ)の葉を持っている人物は殉教者だ。これはシュロの葉が勝利を示しており、殉教=信仰の勝利という意味なのだ。
ダヴィンチはこれを真ん中の消失点に収斂する構図で描いた訳だ。ルネサンス~近世絵画の始まりだ。
そしてこのすっきりとしたデザイン故に古典となった。古典とは単に古いというだけじゃなくて、基準となるもの、繰り返し参照されるもの、評価が定まったものの事である。
だからダヴィンチの『最後の晩餐』モチーフは後に多くの類似品を生み出した。そしてそれらのパロディーが多く存在するのだ。これは美術に対して通じてもいない増田でも知っている美術史の常識だ。
今回の演出家もあれはヤン・ファン・ベイレルトの『 Le Festin des dieux』(神々の饗宴)だと言っている。
因みに「饗宴」と来たらギリシャでギリシャ神で愛がテーマと決まっている。
例えば、コメディ映画『裸の銃を持つ男 PART33 1/3』で階段での銃撃戦シーンがあるが、
https://youtu.be/L3QkIruVNEI?si=448XZjT7oY0DSY5R
あの元ネタはデパルマの『アンタッチャブル』だ。しかしその『アンタッチャブル』の階段銃撃シーンはソ連の映画『戦艦ポチョムキン』のオデーサ大階段のシーンだ。
そうすると『裸の銃』は『戦艦ポチョムキン』を参照していると言えるか、ポチョムキンを笑いに転じようとしているのか?言えないだろう。
なのでバチカンはネットの反応に過反応したという事になって、3年ROMった方がいいし、スマホばっか見てないで宗教画を見に行きなさいという感じなのである。
西洋絵画とか宗教画って裸体描いたらダメって社会の共通認識があった中で神話や聖書モチーフなんでセーフです!ってゴリゴリの建前やってたからあんまり擁護になってない気がする
私は風リリィは明らかに西洋絵画や宗教画モチーフだなと思ったからべつに違和感なかったんだよね
その文脈を汲み取れなかった人はただのエロに見えたんだろうけど(それを責める気はない)
架空のキャラの年齢持ち出して批判しようとするのはショタ関連でめちゃくちゃブーメランだしやめてほしいなと思う
人が楽しんでるものに文句を言わないってエンタメの鉄則だと思っていて、あれが嫌これが嫌と言いはじめたらグラブルみたいな男女で楽しめるコンテンツの表現はどんどん当たり障りのないものになってしまう
個人的にこの事象がとても興味深いので時系列とともにまとめていきたいと思う
グラブルわからない方でもわかりやすいように書いているつもりだけど分かりづらかったらすまんやで
・今回はグランブルーファンタジー(AppStore 4+ ,Google 13歳以上の判定のソシャゲ)の出来事
・今回含めキャラとしては4パターンが出ているが今回以外の3パターンは露出少な目
https://グランブルーファンタジー.gamewith.jp/article/show/21005
https://グランブルーファンタジー.gamewith.jp/article/show/43871
https://グランブルーファンタジー.gamewith.jp/article/show/246402
年齢:12歳
身長:140cm
種族:クリスタリア ※増田注:とりあえずヒトガタをしているが人間ではない
好き :主人公、ルリア(※増田注:ヒロインの名前です)、透き通ったもの
苦手:大きな声で話す人
https://twitter.com/granbluefantasy/status/1659861526214483968
水で濡れ透けたワンピースを着て白鳥の浮かぶ森の水辺で果物を口にしそうなところ、というシチュエーション
今までほとんど露出のなかったキャラであるリリィがこのシチュエーションの絵で出てきたところで意見が割れ始める
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■肯定派
└えちえち!セクシー!
└今までと違って大人っぽくていい
└やりすぎだろ(喜)
■否定派
└生理的に無理
└上着着せてあげて
└これは…いろんな意味で大丈夫なの? ←※増田はこの意見でした
└やりすぎだろ(怒)
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https://twitter.com/granbluefantasy/status/1659861526214483968
のリプ欄を参照されたし
否定派の中から公式に今回のイラストに関しての意見の投書が始まる。
└その投書を行ったという人の中で、スクリーンショットつきのツイートを行ったあるユーザー名が 「【男性キャラV】股間」であったことから
一部肯定派からは「その名前でよくお気持ち表明できるな」などといった声が上がる。
(増田注:この【男性キャラV】は設定では成人男性で、よくネタキャラ枠としてブーメランパンツを履かされたりしてはいる)
■肯定派:
└嫌だったら他のスキンをかぶせればいいのでは(※グラブルには同一キャラの他のイラストを設定できる機能があります)
└解放前の絵のままで設定しておけばいいのでは
■否定派:
└解放前の絵の路線(※増田注:公式の左側のイラストのこと)で行ってほしかった
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「男性だけどこれはキツい」という意見もツイッター上では(増田は)それなりに見かけている。
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この投書を行っている人の多くが女性と思われるが、(この点に関しては明確なソースはないため推測となる)
さらにその中で自己が腐女子であるとアカウントの自己紹介欄に記載していたアカウントの中に
・過去に他の男性キャラ X/Y が露出気味の絵に興奮した旨のツイート
注:Xは元々変態背徳的な言動の成人キャラ、Yは最近グラブルにおける「ニンゲン」たちの文化に触れ始めた元ドラゴン
注:Zのイラストでもプライベートゾーンの露出はないものの、シチュエーション的には性的な香りもあるといえばある
以下のような意見が出始め、他キャラX,Y,Zが巻き込まれている
(X,Y,Zが気になる方は /水着ベリアル/ウィルナス 褌/コウ 解放絵/でそれぞれ検索するとイラストが見られます)
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・嫌ならグラブルやるな
↕
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そしてこのあたりから
・女をコンテンツに入れるとろくなことがない
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https://twitter.com/granbluefantasy/status/1660480605384224771?s=20
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シナリオ主人公のドロッセルが一緒に他の幼い女の子キャラたちと力を合わせて初めてできた友達を助ける的なほんわかシナリオで好評
このシナリオはで風リリィの立ち絵、また解放絵が1シーンだけ使われている
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※→の意見は増田の意見ではなく見かけた意見を基にしています。
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① じゃあなんでいままでのえっちな絵には言わなかったんだ?
→ 今まで言わなかっただけでそもそもグラブルの最近の露出傾向はきついと思っていた
※5/23 増田の補足:男性キャラの露出や関係性の強調に関しての苦言は以前から5chやまとめなどでは見かけている。これに関してはユーザー層の男性比率が高めだからと考えられる
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→いくら絵でも超えていい線とよくない線はある、今回のは一線を越えている
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③誰かが好きなものを燃やすのは自分に返ってくるのでやめたほうがいい
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ちょっと嫌だなと思ったことを同じコンテンツを見ている人がいるところ(特にツイッターなどの完全には匿名とは言い難い場所)で
マイナス意見を都度投稿するという行動は余程のツイート魔かつ人目を気にしないタイプの人でないとなさそうではあるので
前々から嫌だと思っていた人は潜在的にいたのではないだろうか。
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以下はこれを書いた増田の雑感であり、上記の経緯とは切り離してほしい。
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増田個人としては過去の絵も正直気持ち悪いと思うものは多数あるけど、今回のは本気でヤバいだろ…というスタンスです。
これに限った話ではないけど、攻略サイト見ていると出てくるエロ漫画やセクシー路線広告、BLエロマンガの広告なんかや、
唐突にツイッターで流れてくるセンシティブコンテンツは正直不快。自衛にも限界がある…。
あとじゃあエロはOKなのにグロはなんで線引きして隠してるのか?とか。あれも表現では?
一般的に子供に見せても問題ないと判断できるようなものでないとネットに載せるべきではないのでは?とは思っていますが
でも実際その線引きは難しい。
でもでもだからって見る側もいろいろな思想思念バックグラウンドのある人間なわけで。
どうしたらいいんだろうか。
とりあえず行く末を見守ってみようと思う。
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5/23 1:00 まずリリィについて整理・他にあった意見など に加筆・誤字などを修正
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本人はまだ自覚的でないにしても最終的な種としての目標は「こうしん部屋(海外翻訳では交尾部屋)」でパートナーと子供を増やす事
という設定があることも追加したほうがよくね?
https://twitter.com/summon628/status/1659168760643883010
こちらのことですね。
ゲーム内ではSRリリィのフェイトエピソード1「氷晶宮ご案内」で上記ツイートの表記が確認できます。
日本語版だと「こうしんの間」、英語版だと「propagation room(繁殖室)」 。
ただグラブルは主人公が男女選べますし、クリスタリアたちの繁殖方法については、私が確認できたゲーム内の記載範囲では詳細な描写はないためあえて記載はしていませんでした。
上記以外でこうしんの間や繁殖方法の詳細の公式ソースがあれば教えてください。
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https://gbf-wiki.com/index.php?%A5%EA%A5%EA%A5%A3%20%28SSR%29
などを参照ください。
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てかグラブルなんて相当前からエロ要素はあったのにいきなり「子供に見せても〜」とか一体どうした、そこまで思うならじゃあなんでお前はプレイしてたんだよ
私が始めたのは4年ほど前だったと記憶していますが、絵がきれいで好みの絵柄で、
ちょっとやってみたら話が面白かったので始めました。今もやっています。
この前闇古戦場やったばっかでもう光古戦場なのが辛いけどゼウスマンなのでなるべく頑張っています。
私が始めたころの2018-19年あたりでも既にセクシーなキャラは多くいましたよ。
モテモテ踊り子で主人公に怪しい雰囲気で迫ってくるアンスリアなど。
私はメーテラは特に大好きなキャラですし、最初から成人女性でセクシーな言動をしていればそういうキャラ付けとしてすんなり受け入れられています。
ただ今回は今までそんなそぶりもなかったリリィで、しかも今までのセクシーな絵より飛びぬけてセンシティブな絵だったから驚いたのです。
しかも今ならガチャページ開くだけで強制的にロリのセンシティブな絵を見せられる状態です。
あとなんだかんだで一番目にするのは戦闘中のSDキャラと敵のイラストなのでそこまでお色気は気にしないです。
この前の闇古戦場の尻お姉さん(名前忘れた)や火古戦場のおっぱいに杖挟んでるヘカテーはちょっと見すぎて食傷気味でしたけど。
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増田自身えっちな絵は好きです。でも見たくないときに見せられるエロは苦痛なんですよね。
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じゃあ男性向けエロはそんなに好きでない女ですと書いておいてください
「中立」ぶったところであなたの趣味嗜好や立ち位置次第で公平なまとめにならないので、それを第三者に判断させるための材料として必要です
うーん、中立なふり、じゃなくって、題材的にも中立的な立場で書かないと成立しない記事じゃないですかね?
今回のはイチ企業が12歳設定の少女を際どい書き方で4歳以上対象のゲームに出したという出来事の経緯ですし。
雑感以外の経緯のところにはできるだけ私情を挟まないように書いたつもりです。
では、ここで証明する手立てはないですが、女でもバリバリの男性向けエロ作家だとしたらどうなるのでしょうか…。
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wakuwakuojisan えちえち肌エプロンの時点で何か言ってなかったんだとすると本当に増田の趣味嗜好の話でしかないと思うので、自己を出さずにまとめに徹してた方が良かったと思うよ
成人男性キャラのふんどしも増田的には十分気持ち悪いです。雑感にもある通り、今までのもので私に苦手な描写は多々あります。特に男性キャラに多いです。経緯内のXYZの例の絵どれも苦手です。
でもそれは私に向けたものではないと思うので飲み込んでいます。
今回の絵は「12歳の設定キャラのプライベートパーツが露出しそうな際どい絵」なので趣味趣向の範疇を超えているのでは?と思いまとめています。
Appstore判定4+なので正直上記の内容全部やめてほしいとは思います。本当に4+に則った上でAppStoreに載せているなら企業としてそのようにちゃんと運営してほしいと考えます。
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お気持ちじゃん
そうです。雑感のところは私の考えを書いています。(経緯とは切り離して読んでほしいので、その旨追記しました)
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https://anond.hatelabo.jp/20230523180404
なんでベリアルウィルナスコウは追記でも頑なに伏せてるのにリリィメーテラナルメアアンスリアを一切伏せないのはなんでなんだぜ
経緯部分はグラブルをご存じない方でも読めるように他の固有名詞をなるべく取り払おうと思い固有名詞は避けました。
追記分に関しては具体例を出そうと思って固有名詞を出しましたが、
その記載方法から確かに経緯と統一性のない書き方になっていました。すみません。
コウはシチュエーションが、めちゃくちゃ気持ち悪いけどプライベートゾーンの露出はなかったと記憶しているので、
※プライベートソーンに関してはwikipediaなどを参照ください。口以外(男児は口と胸以外)の水着で隠れるところのことです。
なんか見た話である。
女性の身体を性的に誇張した萌え絵を公共空間に出してはいけないという主張に対して西洋絵画の例としてミュシャは?と問う人がいた。
これにミュシャは芸術ではないと答えられていて炎上していたのを見て、ミュシャは果たして西洋絵画の代表例として適切なのか、考えてみた。
美の基準は人それぞれだが、美術界においては審査を受けて合格し美術館に展示されるものが美術であると考えられる。
その点では、フランス時代は広告イラストレーターとして活動し、チェコに戻ってから画家として大作を完成させ、祖国に寄贈したミュシャは、自分自身の仕事によって芸術家として支持され自らの地位を自ら作った人だと言える。
官展が作品・芸術家を権威づける美術界においては確かに正統派な経歴ではないだろうし「いわゆる」一流の画家と言えるかは議論の余地があり、その点でそもそも西洋絵画の代表としてミュシャを提示することがそもそも誤りなように思える。
だが、大衆に支持され祖国の人々の心に残る優れた芸術家であることは間違いないのではないだろう。
ではミュシャが芸術家なのであれば萌え絵も芸術的な広告として出して良いのでは?
どちらも女性の裸体を描いたものであるが、美術とは王侯貴族や宗教画こそ良しとされていた時代に、娼婦を描くことで権威的な美術界に一石を投じている。
ではミュシャと比べると、ミュシャは世間の常識を踏まえて広告イラストを描いているように見える。
フランスではデコルテ出しは問題ない代わりに足を出すとはしたなく見られる。
それは王侯貴族の肖像画だったり、現代では映画祭なんかでセレブが着ているドレスでもデコルテまわりは出していても圧倒的に足出し率は低い。
また、今ほど食料が豊富ではなかった時代、豊満さは豊かさであり美しさであった。
であれば、全体的に女性的な丸みを強調したシルエットは性的というよりはむしろ健康さの強調であると考えられる。
さて、萌え絵はどうか。
時代は移り変わり、細身であることが美しいとされがちな現代の美的価値観に則って身体全体としては細身の印象であるが、胸など性的に描かれやすいパーツのみ強調されているに思える。
美しく描くためというよりは性的な魅せるための強調と言えるのではないか。
ちなみに、かつての日用品や広告などが今となっては価値あるものとして博物館に並べられるように、今後萌え絵が芸術となる可能性もあるのだから保護すべきというような意見も見かけた。
ただし、その評価をするのは今ではない。
現状商業性の強い萌え絵広告はすぐには美術品として飾られることはない。
では萌え絵がいずれ美術品としての地位を得ていくためにはどうすべきか。
ミュシャの例を見ると、イラストレーターとして支持を得て着実にステップアップしていたミュシャはある富豪から金銭的な援助を受けたことで故郷のチェコへ戻り、『スラヴ叙事詩』という大作の絵画を作り上げている。
ここから、すぐにできることとして、お気に入りのイラストレーターがいたら創作を続けていけるように作品を買い支えること、また作品はいずれ寄贈できる時に備えて大切に保管しておくことを挙げる。
無理に押し出して変な騒ぎを起こすことはむしろイラストレーターから創作意欲や仕事を取り上げることにつながりかねない。
信じて推して待つ。
できることはただそれだけなのだ。
「芸術とはコミュニケーションの一形態である」という大前提を伝えるのが音楽・美術という科目の教育要領の根っこだと思います。
なんとなく気持ちがいい、とにかく上手、といった要素は芸術において重要な評価点ではありますが、あくまで評価点であって主題ではない。
メインとなることは「何を伝えようとしているか」なのです。
宗教画であれば「神という偉大な存在の物語」を共有するための手段として存在しますし、オペラミュージックであれば「場面の持つ意味を強調する」ことを目的とします。
音楽はその歴史の中で技巧に偏る部分が多く、宮廷音楽についても「こんなにも素晴らしい音楽を聞いている自分たち貴族の精神的な豊かさ」に重きをおいた表現になりがちでした。
そこから大衆化を経る過程において「純粋に音楽の持つ楽しさを共有する」ということへとテーマが移っていきます。
やがて現代のポピュラーミュージックにおいては、「現代社会の中で感じる様々な感情」が表現のメインへとなるわけです。
世界の音楽チャート上位をラブソングが占めがちなのは恋愛というものが「共有したくなるような事柄が多い事象」であるからだと言えます。
つまり、音楽とは昔も今も音を通して何らかの「物語」や「感覚」を共有するものとなっているのです。
造り手の想定したイメージを、受け手が音楽を聞くことによって脳内に再度作り出す。
それは紛れもなく「コミュニケーション」なんですね。
結束バンドのアルバム「結束バンド」はそうそうたるメンバーを集めた上で「駆け出しの天才たちによる青春ロックバンドのファーストアルバム」というコンセプトでリリースされます。
バンドとは元来「世の中に何か表現したい者たち」が集まって産まれるもの、その「表現したい者たちが集まって産まれた」という状態そのものを表現するのがこの名盤「結束バンド」なのです。
大衆化とそれへの反発心が混ざり合う中で詰め込みすぎた結果の若干なチグハグさ、そういったものが確かに感じ取れます。
音楽という強力な武器を持ってしてでも何者かに伝えんとする強力な叫び、その最もプリミティブな部分がファーストアルバムの奥底には光るものですが、結束バンドにならぶ「後藤ひとりという孤独な人間による反抗」というコンセプトの歌詞はハッキリとそれが現れています。
ロックとは大本をたどれば反発のミュージックであるわけですが、今では最も平穏でありきたりな音楽の一つとさえなっています。
同時に、「社会への反抗」「本当は人付き合いなんて好きじゃないことの暴露」といった事柄も、今ではポピュラーな文化の一つとなり、SNS等では日常のように誰もが口にするようになりました。
ですがその中にはそれぞれが心に持つ確かな苦しみや叫びがあるわけです。
現代に宿るそういった「一般化した反抗心とロック」を、「結束バンドの後藤ひとり」という触媒を用いることによって鮮烈に浮かび上がらせ「現代におけるロック」を一つの形に組み直したのがアルバム「結束バンド」なのです。
その表現に対して「もっと上がある」というのはナンセンスだと思います。
コミュニケーションには間違いなく良し悪しがありまして、それは「表現しようとしたものが表現できているか」で決まります。
結束バンドのアルバム「結束バンド」は、それによって表現しようとしたものが確かに表現できている。
これに対して「もっと良いものがある」と言ってしまうのはどうにも心が貧しいように思えますね。
公共の場でエロな広告表示するかどうかで見せるな引っ込めろと言った側がお気持ちだと批判されてる話。
「明らかにエロ狙いの絵なのにこんなの全然エロないよと言い張るのおかしくね」って話が昨日ブクマ沢山ついてたの見て思ったんだが、「公共の場でエロが見たいんや!」って主張する人あんまり見ない気がした。「表現の自由を守れ!」は沢山見るんだけど。暗に「いや俺は別に太ももパンツギリギリの股間とかエロいとは思わないしー!全然エロく無い!エロと思うやつはフェミ!これがエロいなら過去の名画とか駄目でしょ!」と言いたげな人ならブコメでもわりと見た。
ちゃんと「俺は!公共の場でエロが!見たいんや!」って人の方が正直で信用できる気がする。みんな正直になろうよ。
全然関係ないけど、ルネサンス宗教画とかも当時からエロ目線で見られてたみたいですよ。あとギリシャ神話は裸描くのにいい題材だった模様。みんな大喜びさ。えっちだえっち。でも今見てもあんまりエロい感じがしないのは何故だろう。見慣れすぎたせいか。
「痛い」と叫んで逃げ出そうとしても、そのたびに腰を強くつかまれて引き戻される。
「もう許してくれよ」
「やめてってば!」
何度めかの悲鳴が、部屋に響いたが、そんなことは関係がない。犬作先生の教えは絶対であり、俺はこのケツ掘り教を人類に布教しなきゃならんのだ。
俺の名前は山田太郎。今年で二十一歳だ。趣味はゲームと読書。顔立ちはまあ普通だと思う。身長百六十五センチ、体重五十二キロ。体脂肪率は二パーセント前後。職業は大学四年生である。
俺は今、大学の近くにあるアパートの一室で、カルト宗教団体のドン、犬作先生からケツを掘られている。
「よし! そろそろイクぞ」
「え? ちょっと待っ……うぎゃぁああああ!!」肛門の中で熱いものがほとばしると同時に、俺は意識を失った。
「ん……ここは?」
目を覚ますと、俺はベッドの上で寝ていた。辺りを見回すと、見慣れない部屋だった。白い壁紙には宗教画らしき絵が描かれている。窓の外を見ると、青い空が広がっていた。どうやら、俺はどこかの建物の中らしい。だが、どうしてこんなところにいるのか思い出せない。確か、俺は昨日もいつも通り講義を受けて家に帰って……
ようやく思い出した。昨夜、俺は犬作先生に招かれて、そこで一晩中ケツを掘られたんだ。そして気がついたらここにいた。ということは、あの後すぐにここへ運ばれたということだろうか。それとも、犬作先生の家に泊まったことになっているのかもしれない。しかし、いったいここはどこなんだろう。俺は疑問に思いながら部屋の扉を開けると、廊下に出た。すると、そこには一人の女性が立っていた。
「あら、目が覚めたんですね。おはようございます」
そう言って微笑む女性を見て、俺は思わず固まってしまった。なぜなら、彼女の服装が際どかったからだ。黒いミニスカートからは、太股がほとんど露出しているし、胸元は大きく開かれていて谷間が見えている。さらに、背中が大きく開いたデザインのブラウスのせいで、豊満なバストが半分以上見えてしまっていた。こんな格好で寒くないのかなと思いつつ、改めて女性の顔を眺めると、その美しさに見惚れてしまうほどだった。
年齢はおそらく二十代前半くらいだろうか。綺麗というより可愛いといった感じの顔立ちをしている。肩にかかるほどの長さの黒髪に、大きな瞳。唇は少し厚めでぷっくりとしていて、肌はとても白かった。背は高くないがスタイルはよく、出るところがしっかり出ている。特に胸の大きさはかなりのものだし、腰も細くてとてもセクシーだ。
「あっいえ、何でもありません。久本っていう芸能人に似てるなーと思って」俺がそう言うと、女性はクスクスと笑った。
「面白い人ですね。そうなんです。私こそが久本です。ヨロチクビー」
「はあ……」
何がおかしいのかわからなかったので、とりあえず曖昧に返事しておいた。それにしても、本当に綺麗な人だ。まるでモデルさんみたいだと思ったその時、突然、女性の目から涙がこぼれた。
「ごめんなさい。つい嬉しくて」
そう言いながら涙を拭う彼女を見て、俺は胸がキュンとした。こんなに可愛くて美人なのに、涙もろくて優しいなんて反則だと思った。
「こちらこそ、よろしくお願いしますね。でも、そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ」
「はい。ありがとうございます」
「ふふ。ところで、お腹空いてませんか?」
言われてみれば確かにお腹が空いたような気がする。それに、なんだかいい匂いがする。そう思って、俺は思わず腹を押さえてしまった。
「減ってるみたいです」
「じゃあ、ご飯を用意してるので一緒に食べましょう」
彼女はそう言うと、俺を食堂へと案内してくれた。そこはダイニングキッチンになっていて、すでにテーブルの上に料理が並んでいるのが見えた。
「わあ、美味しそう!」
思わず声が出てしまうほどの豪華な食事だった。フランスパンやスープ、サラダなど、様々なメニューが並べられている。どれも出来立てのようで、まだ湯気が出ていた。
「……え?」
今、何て言った? 精子入りのごはんって言わなかったか? いや、聞き間違いだよな。きっとそうだ。そう思ったのだが、俺の期待はすぐに裏切られることになった。
俺は思わず叫んだが、彼女は全く動じなかった。それどころか、ニコニコしながら俺に話しかけてくる。
「心配しないでください。私の言うことを聞いていれば、すぐに妊娠できますよ」
「いや、そんなこと言われても困るんだけど……というか、そもそもあんたは誰なんだ?」
「私は久本といいます。あなたをマインドコントロールして布教者にするのが私の仕事です。私達はたくさんの人たちを洗脳して政治的権力を得て、犬作先生を最高権力者にするのが目的です。そうすることで極楽浄土にいけます。男冥砲恋毛凶」言っていることが全く理解できない。だが、彼女が危険な人物であることだけはわかった。どうにかしてここから逃げ出さなければと思った俺は、急いで部屋を飛び出した。
しかし、その瞬間、目の前に一人の男が現れた。その男は背が高くてガタイがよく、目つきが鋭かった。しかもスキンヘッドで眉毛がなかったから、余計に怖かった。おまけに口の周りには髭が生えていて、見るからに怪しい雰囲気を漂わせている。もしこの人相の悪い男がヤクザだったら、間違いなく拳銃を所持していてもおかしくないだろう。それくらい威圧感のある男だった。そして彼は、その外見にふさわしい低い声で話しかけてきた。
「どこへ行くつもりだ?」
俺がビクビクしていると、2人がいきなり全裸になった。驚いて固まっていると、彼らは自分の股間を指差しながらこう言ったのだ。
「さあ、私達の性器を見なさい」
「ほら、見てくださいよぉー」
2人とも見事に勃起していて、亀頭が天井を向いていた。その光景を見ているうちに、なぜか俺も興奮してきてしまった。気がつくと、いつの間にかズボンを脱いでいた。それを見た2人はニヤリと笑うと、互いのペニスを握り合って扱き始めた。しばらくして絶頂を迎えると、大量の精液を俺の顔めがけてぶっかけてきた。生暖かい感触に顔をしかめていると、今度は彼らが同時に射精した。それはまるで噴水のように飛び散り、俺の全身を汚していく。やがて出し終わったかと思うと、今度はお互いのチンポを舐め合い始めた。ジュルジュルといういやらしい音が響き渡る中、彼らの顔はみるみる赤くなっていき、息遣いも荒くなっていった。そのうち我慢できなくなったのか、再び激しく絡み合うようになった。
それからしばらく経って、ようやく満足したのか、2人の動きが止まった。すると、突然俺の方を向いたと思ったら、なんとそのままキスをしてきた。最初は驚いたものの、舌を絡ませてくる濃厚なキスに頭がボーッとしてきて、気がつけば自分からも舌を絡めていた。そしてしばらくすると、唾液の糸を引きながら唇が離れた。すると今度は、2人がそれぞれ俺の乳首に吸い付いてきた。あまりの快感に声を上げそうになったが、必死に我慢する。さらに、片方ずつ乳首を吸われたり舐められたりしているうちに、次第に変な気分になってきた。そしてついに耐えられなくなって、とうとう大きな喘ぎ声を上げてしまったのだった。するとそれを聞いた男たちは嬉しそうに笑った後、俺の服を脱がせてきた。あっという間に裸にされた俺は、抵抗することも忘れて呆然としていた。その間にも手際よく脱がされていき、気がついた時には完全に素っ裸になっていた。
男達は手拍子をしながら大声で叫んでいる。その異様な光景を見ているうちに、だんだん怖くなってきた。このままここにいてはいけないと本能が告げている。何とかして逃げ出そうと試みたが、やはり無駄だった。
そう言って押さえつけられてから数分後には、もう逃げる気力すらなくなっていた。これから何をされるんだろうと考えているうちに、体が熱くなってきて下半身が疼いてきた。無意識のうちに腰をくねらせていたが、それに気づいた男たちに笑われてしまい、顔が熱くなるのを感じた。それでもなお興奮を抑えきれずにいると、突然両足を持ち上げられた。そして次の瞬間、信じられないことが起こった。なんと男は、俺のアナルを舐め回し始めたのだ。それだけじゃない。もう片方の男が俺の尻の穴に指を入れてきて、グチュグチュと音を立てながらかき回しているではないか。あまりの出来事に言葉を失っていると、今度は別の男が俺の口にペニスを咥えさせてきた。そして頭を両手で押さえると、前後に動かし始める。息苦しさに耐えかねた俺が口を離そうとすると、無理やり押し戻されてしまった。その後も容赦なく喉の奥まで突っ込まれたので、何度も吐きそうになった。だが、その度に強く締めつけられるので、結局最後までやり遂げなければならなかった。ようやく解放された頃には、すっかり疲れてしまっていた。
「それぐらいしなやかな身体なら、犬作先生との交尾もちゃんとやってくれるだろう。このいやらしい身体を犬作先生の元へつれていこう」
その言葉にゾッとしたが、もはやどうすることもできなかった。その後、俺は首輪をつけられて四つん這いになると、犬作先生と呼ばれる人物のところへ連れて行かれた。そこには大勢の男たちがいて、皆一様に全裸になっているのがわかった。中には女性の姿もあるようだ。よく見ると何人かの女性が床に寝そべっていて、その上に男性が覆いかぶさっているのが見えた。どうやら彼らはセックスをしているらしく、女性の口からは喘ぎ声が漏れ続けている。その光景を見ているうちにムラムラしてきた俺は、無意識のうちに自分の股間を弄っていた。その様子を見た犬作先生は満足そうに微笑むと、その場に座って足を開いた。俺は彼の前まで行くと跪いてフェラチオを始めた。口の中いっぱいに雄の匂いが広がってきて、それがさらに俺を興奮させた。
しばらくして限界を迎えたのか、彼がうめき声を上げると同時に大量の精子が俺の口の中に放出された。それを一滴残らず飲み干すと、今度は仰向けに寝転んだ彼に跨った。そしてゆっくりと腰を落としていくと、徐々に結合部分が近づいてくるのがわかる。そして遂に根元まで入ったところで一息ついていると、彼は急に腰を動かし始めた。その動きに合わせて下から突き上げられ、そのたびに全身に電流が流れるような衝撃が走った。あまりの気持ちよさに意識を失いかけたその時、突然お尻の中に熱い液体が注ぎ込まれた。それと同時に絶頂を迎えた俺は、ぐったりとしたまま動けなくなってしまった。
「おめでとう」「これで君も立派な信者だ」「これからもよろしくね」「一緒に頑張りましょう」「みんなで幸せになりましょう」「極楽浄土へ行きましょう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」「極楽浄土へ行こう」
目を大きく描くことや美的感覚が生理的なものだというのは一つの解釈で
幕末くらいだと西洋の肖像画みたいな目の描き方は「大きすぎ」と捉えられたとか聞いたことがある
コンプレックスどうこうはどうでもいいので最近思いついた自説をメモっておく(車輪の再発明かも知れない)
目に対する生理的な反応としては視線の意識はよく知られているし実感しやすいと思う
好き嫌いは別として視線に対して、目を合わすなり視線を外すなりは動物でもよく行うコミュニケーション。
これを鑑みれば、目を大きく描くというのは眼力・目のベクトルを大きくするということ、
つまり単純に読者などの受け手により強く意識してもらうための表現だと言い切ってもいいのでは。
モブの目・瞳を小さく描き、主要な登場人物の瞳や目は大きく描くこと、
より視線を感じる方をよく見る、より大きい方をよく見る、
もしあなたが疲れているなら,即刻PCを閉じて,白米に味噌汁と納豆を食べ,シャワーに入ってすぐに寝るべきだろう.ストレスが溜まっているなら,Youtubeの検索欄に「パッヘルベルのカノン」もしくは「バッハのG線上のアリア」を調べて流しておけばよいだろう.
・宗教画みたいな油絵で、何人ものヒゲはやしたおっさんたちがギュウギュウ詰めで取っ組み合いのみ喧嘩してる?様子のやつなんだけど。
・それと、それのパロディでそのおっさんが全員うさぎになってるの。すごく気に入ってて10年以上前に壁紙にしてたけど、なくなってしまった。
以上2点知ってる人居たら教えて下さい。
仮にそうだったとしても別に驚かない
ただ、化石時代なんて下着無くて殆ど裸みたいな格好で過ごしてるのに
わざわざ埴輪見て性処理しようとした人がいるとは個人的には思えないけどね
そもそも地母神崇拝の偶像・儀式の道具なのでそういう意図で作られたものじゃないし
もっと言えば村の仕事をしていた女性が作った可能性も高いんだけどな
インフラ整備されてないから子育て出来るタイミングが野生動物並みに厳しいもあるけど
船を使って旅をしたり、祭りで他集落の若者と出会うとかやってたそうです
愛の原義を調べていて Wikipedia を開いたら、この絵が出てきて、何を調べていたかも今日やりたかったことも吹っ飛んでしまった
https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Haynes-Williams_Motherhood.jpg
びっくりしたのが最初。宗教画みたいなのに人間で、すごく生々しくて、びっくりした。慈愛の表情と同じ形なのに、感情が立ち上ってきて思わず動いたみたいな微笑み。見れば見るほど人間みたい。人間より生々しい。
これ何だろう、何でこんな気持ちになるんだろう、とまじまじと見つめていると、涙がどわーっと出てきて止まらなくなった。今書きながらもう一回見つめたらまた止まらなくなってしまって休憩した。
作者の項目はリンク切れで、誰なのかも、どのように評価されているのかも分からない。絵画について知らなさすぎて、調べ方も分からない。
イギリスの 19 世紀の人らしい。ということはラファエル前派とやらの頃? でも違いすぎるよな。この何とか派って、主体となるのは数人程度の動きなんだな。じゃあ同じ国の同じ時代でも全然違うスタイルの絵があるものなのか。というレベルのことをようやく知った。
それらのことが分かったとして、結局自分が何を知りたくて調べているのかも分からない。驚きや、おそらく感動と呼ぶものをどうしていいか分からず、ただ自分の分野でウロウロしているだけだ。感動なのかも分からない。何これどうしたらいいの、という気持ちの方が強い。分からないのに何かをどうにかしなければならないような衝動に駆られている。
この作者は個人名で展示が開かれるような人ではなく、オークションで取引されて散り散りなのかな、ということが分かって少し落ち着いた。どうにもできなくてホッとした。
落ち着いて取引された絵を見ると、どれも人間が人間らしくて何度もジワッときた。見られないのは惜しいなあ。せめて高画質画像とかレプリカとか。無いだろうなあ。仮に本物が見られたところで、絵画のことなんか全然わからんし知ろうとしたこともないし、分かる人が見るのの何億分の一も情報を受け取れないだろう。
でも、この絵を、こんな絵があることを知ることができて、幸福なように思う。また「愛」とか、ポルトガル語 Wikipedia の「Amor」にこの絵が参照されていることで、同じ様に思う人が居ること、この絵を見て愛を感じる人が多く居ると思った人が居ることも、なんかすごいなと思う。この世と繋がっているような、生きていることを許可されたような気分だ。
これ以上どうしようもないけれどこのままこの気持ちが消えてしまうのが惜しくて、なんとか記録してみた。文章も禄に書いたことが無いので、とにかくできるだけそのまま書いた。
ああ、どうして今まで表現方法を身につけて来なかったんだろう。どうして知り方も知らないで来てしまったんだろう。どうにかしないといけないのに。そうでないとどうにかなってしまいそうなのに。
さすがにどうにかなってしまうと生活に困る。いい歳なので落ち着かせることはできる。こんなに強い気持ちがまだ自分にも湧き上がるのだ、と安心はした。それよりも、別れなければならないのが寂しい気持ちの方が強い。表現を持っていれば何か違ったのだろうか。こんな謎文章でさえ書く場所があるだけで随分慰められた。ありがとう。
ジャベリン対戦車ミサイルが強すぎてウクライナの守り神としてミーム化した聖ジャベリンのイラストの事なんだが。
元々これは クリス・ショウ(Chris Shaw)というロック系アーティストが2012年に描いた”Madonna Kalashnikov”聖母カラシニコフというイラストで、現代的な事物を中世宗教画やイコンに似せて書いたシリーズの一枚だった。
https://chrisshawstudio.com/2013/04/chris-shaw-at-the-san-francisco-museum-of-modern-art/
カラシニコフはソ連の銃器エンジニア、ミハイル・カラシニコフが設計したライフル群の事で、特に有名なAK-47の事を指す事が多い。旧共産圏でライセンス生産とデッドコピー生産されていて、北九州のヤクザなんかもご用達だ。北九州ヤクザのは中国生産品らしい。
一方でゲリラ御用達品でもあるので無秩序や抵抗や解放の象徴でもある。
そんな現代紛争の象徴を宗教イコンにしたので、その聖性と暴力性の組み合わせがウケてタトューの図柄としても人気があった。
因みに聖母マリアっていう呼び方はカトリック的で、ロシア正教含め正教会では生神女マリアっていう。神を生んだ女って意味やな。
というのも、青の顔料はラピスラズリっていう鉱物からしか採れず、大変貴重だったから。貴重=貴い、侵されない、無垢、穢れがない(性交していない)という意味。
数年前に「自然界に青色は存在しないとドヤ顔で言っている」人を反証で論破しまくるって棘がバズった事あったが
https://togetter.com/li/729184
お前らそれ違うぞ!
花とか鳥の羽とは皆構造色で青が出てるんだ。だから顔料として磨り潰すと色は失われる。
一方で緑がかった青や水色は酸化銅や酸化クロムで出す事が出来る。だから群青色や純粋な青は貴重でそれ故マリアの色となったのだな。
さてこの聖性を暴力性と組み合わせた聖母カラシニコフを2018年に誰かがアレンジしてジャベリンミサイルを持たせた。
多分ウクライナの誰かかと思われる。
タイミング的にウクライナ防衛の為にトランプ大統領がジャベリン供与を決定というニュースに刺激されたのだろう。
この時ウクライナで商売しているバイデンの親族のスキャンダル無い?とトランプが宇政府にゆすりを掛けたのがバレて、武器供与を選挙対策に使ったな、と紛糾したあれやな。
で、ロシアが一方的に侵略戦争を始めるとジャベリンの活躍によりロシアの侵攻は停滞、救国兵器として改めて聖ジャベリン画がミームとして爆発的に流行したという経緯。
元絵アーティストのクリス・ショウはこの事を知っていて、クールな現象だが複雑な気持ちだと述べている。
一つは著作権的な問題。この為に「聖ジャベリン公式バージョン」を作成した。
もう一つは実際の戦争で使われて殺人の用に供していること。今のところ聖ジャベリンは自由と抵抗と正義の象徴だが、それが憎悪と抵抗から離れた戦争の象徴となることを心配していると。
だからマリアであるのに青じゃなくて緑のローブを着ているのはクリス・ショウの元絵が色んな色のシリーズで聖母カラシニコフが緑だったから。
で、聖ジャベリンには別バージョンもあって例えばBBCのこのニュースに出てくるのなんかはクリス・ショウ聖母カラシニコフ改聖ジャベリンじゃない。
https://www.bbc.com/news/world-us-canada-60700906
この兵器はスウェーデンのSAABと英国で開発された対戦車ミサイルNLAWだ。これもウクライナに供与されている。
大手メディアでは聖ジャベリンと銘打ってこっちのイラスト紹介している事が多い。これは聖ジャベリンの方にはクリス・ショウに著作権があり、勝手に改変された海賊版ジャベリンを紹介しちゃうとマズいからだと思われる。
このイラストの元絵は何かというと「ウラジーミルの生神女(Virgin of Vladimir)」というロシア正教会で有名なイコンなのだ。
聖ルカにより描かれたという伝承されている。ルカは画家兼医師、書記だ(聖路加病院は聖ルカの意味。医師だったのでルカは医者の守護者)。
だから聖ジャベリン NLAW ver.の方が首を傾げているのは、ミサイルに頬を寄せているのである。元絵は赤子のキリストを抱っこして頬を寄せている。
この絵はモスクワの東300㎞にあるウラジーミルの街に置かれ、この安置の為に大聖堂が建てられた。
ウラジーミルの街の名の由来はキエフ大公のウラジーミル1世だ。そしてウラジーミル・プーチンの名の由来も同じである。
という事でこっちのNLAW ver.聖ジャベリンにはプーチンへの皮肉が入っている。
敬虔なロシア正教徒ならイコンを持ってるようなウラジーミルの生神女が対戦車ミサイルを構えてウラジーミル・プーチンの野望をトップアタックモードで破壊している。
聖ジャベリンの元ネタはマグダラのマリア(元娼婦でキリストの復活を目撃して悔い改めた)だという説もあるがどうもそれの原因は中央日報のようだ。
https://japanese.joins.com/JArticle/288271?sectcode=A00&servcode=A00
でも今見たように聖母(生神女)マリアなのだ。元ネタが聖母カラシニコフだから。救世主(キリスト)代わりに救国対戦車ミサイルを抱いているのがキリスト教的教養から判るのが面白いところなのに。
まったく、韓国はキリスト教が多い国でしょ?なんで間違えてんの…?
と思ったけどプロテスタントでは聖母マリアの信仰はご法度なんよね(韓国の最大教派は福音派。国父による)。
主流教義から外れる信仰の受け皿をマリア信仰が担っており、「そういうのダメ。一本化」というのがルターの立場で、プロテスタントには聖母マリア信仰はないし像もないのだ。
なので間違えたのだと思う。