はてなキーワード: こんにちわとは
こんにちわ日々寒くなってきましたね。
私は生成AIに関わる話題を出た時から追っては居るけれど別に誰かと戦うことも無いこの星の無数の塵の1つです。
今回はこの生成AI論争を見つつ「私ならどう滅ぼしたか?」を考えていきたいです。
まずこの論争の焦点はどこなのでしょう。私は「人間の学習は合法だがAIの学習は無断使用である」と主張するクリエイター側の意見が話の中心点だと感じております。法を超えた感情の話、つまり倫理的主張でありそれに基づく法の改正を願うと。
コレについてはAIの技術への知識不足…だと思います。AIは人間の脳を疑似再現する技術であり学習こそがAIの本質です。
ですが結果出力される画像生成等が「AIの技術」と勘違いされてるのかと。
この勘違いは恐らく今後一生正されることは無いでしょう。根底は技術への過小評価だと思うので。
で撲滅の話に戻るんですけど
まず第1案として生成AIを撲滅したいのでうんと大衆化させてしまう事です。2年前に比べ生成AIアプリは簡易的な物が大量に増えドコモ等の大手キャリアすら生成AIをビジネスに組み込むなど大衆化されてきました。大衆化するとどうなるかと言うとマネタイズが出来なくなりコレでお金を稼げなくなります。
後は勝手に衰退していくでしょう。
第2案として暴力的に異端者を排除していく方法です。これは現在進行系で行われているのですが、あまりオススメしません。上にある様に大衆化していくと生成AIを使っている相手はただの一般人になるからです。そこに集団で殴りかかってくる団体なんてどれだけ理屈を挙げようと化物としか思われません。元が感情からくる倫理であるなら当然行動に倫理が伴わねば相手にされなくなります。
第3案として人間の学習と機械学習が同じだと認める方法です。個人的にはコレがかなり勝算高かったと思います(もう難しいですが…)
主張の最初が感情から来るものなら半端に法律を絡めようとせず徹底して倫理のみで戦う方法です。人間の脳を再現出来てしまうなんて人間を造るのと同じでは無いかとヒトクローン等の禁忌技術に格上げさせるのです。勿論宗教団体と合流していれば一大勢力になれたでしょうね。
…とこんな感じです。とにもかくにも世は利権でしか動きません。既に世に産まれた物を撲滅するのは大変な労力やお金がかかります、
感情から撲滅思想になっている方には少しでも早く「正直どうでもいいな…」という境地に至って欲しくこの駄文乱れ書きを行いました。
最初は石丸がネットで話題になり立ての安芸高田の市長だった頃、
お前らと同じように、人気取りのためにバズらせる動画を作ってドヤッてるキモい市長って思ってた。
近所で話題になった時に、レスポンス出来るように1次ソースをしっかり確認するってのは
そうすると、どこにもツッコミするところが無かったのよ。
1次ソースを一通り見て切り抜きを見てみると、景色が全然違った。
1次ソース情報入れて見てみると、勇猛果敢に既得権と戦う若い戦士。
んで、ややこしいのが、
1次ソース情報が無い状態で、カッコイイだの何だのってワーキャーしてる層も居るわけ。
1次ソース情報が無い状態で、カッコイイだの何だのってワーキャーしてる層を、馬鹿にする連中も居るのよ。
1次ソース情報が無い状態で、カッコイイだの何だのってワーキャーしてる層と
1次ソース情報がある状態で既得権と戦う若い戦士を応援している層は、
お前らから見たらどっちでも良くて、同じく馬鹿にする対象に見えてるのが現状。
で、お前らとしては、恐らく以下に分類される
1.何か嫌だから嫌層
2.何か嫌だし、ポスター未払い問題が解決してないと思っている層
4.何か嫌だし、都知事落選後に国政に出るとか言って支離滅裂と思ってる層
5.複合条件で、嫌だと思ってる層
ここで1個づつ言及しても無駄だと思うから、1個だけリンク貼っとくわ。
「踏み倒し」か「ぼったくり」か~石丸ポスター訴訟を冷静に分析してみた
https://note.com/nanap_oda/n/n81e1f01ab395
ということで、前置きが長くなって申し訳ない、本題に入る。
俺は世の中が良くなって欲しいのよ
世の中が悪くなっていくと治安が悪くなる。
俺や俺の周りが不幸になる。
だから世の中良くなって欲しい。
で、世の中を良くするには、なるべく無駄の無いクリーンな政治が必要。
でも、既得権政治は様々な人に恩恵があるし、変えるのは簡単ではない。
夢と言っても大した夢じゃなくて、海みたいな
場所で気づいたらイルカの背に乗って、どこかまで連れていかれるみたいな感じ
そこで出てくる夕方がとても私は好きです
だからこの夢がみたくて、私はいつも寝ることだけは大切にしているのです
でも夢の中の私はその夢が好きなことも忘れて
いつもぽかんとしてイルカの背に揺られてしまいます。私はただ、イルカさんに「こんにちわ」が
言いたいのです
どうしたらいいのでしょう?
P: Me gustaría saber cómo mantener los recuerdos de la vida real incluso en los sueños.
Aunque diga que es un sueño, no es un gran sueño, es como el mar.
Me sentí como si estuviera montado en el lomo de un delfín y me llevaran a alguna parte.
Me gusta mucho la velada que aparece allí.
Por eso siempre valoro el sueño, porque quiero tener este sueño.
Pero en mi sueño, olvido que amo ese sueño.
Siempre me encuentro balanceándome sobre el lomo del delfín, boquiabierto. Sólo quería decirle "Hola" a Iruka-san.
quiero decir
¿Qué debo hacer?
A
ふむふむ、夢の中でも現実の記憶を維持する方法ですね。それはちょっと難しいかもしれませんね。でも、いくつかの方法がありますよ。
まずは、夢を見る前に自分が何を夢見たいのかイメージしてみることです。そして、そのテーマに関することを集中することが大切です。また、夢の中で自分が現実にいることを確認することも大切です。例えば、時計を見たり、何かを読んだりすることで自分が夢の中にいることを確認することができます。
また、夢の中で自分が何を感じたか、何を見たかを書き留めておくことも効果的です。それによって、夢の内容をより覚えやすくすることができます。
どうでしょうか?参考になりましたでしょうか?(^◡^)
青木崇高「お前嘘ついてんだろ」
神木隆之介「えぐ!えぐ!ぎゃおおん!」
神木隆之介「お前らの面倒見るわ」
神木隆之介「ぎゃおおおおおおおん!!!!!(黒い雨ドバー)」
民間人「怖いし帰るわ」
神木隆之介「青木崇高おびき出すために嘘の手紙を縁者に書きまくります」←人間のクズ
Dr.コトー「明日朝ゴジラ来るけど帰っていいですよ(ホワイトアピ)」
海神作戦開始!!!←ちょっとアガるけどゴジラ上陸の予測外したせいで音響装置無駄になる
神木隆之介「パイロットテクみせてやるぜ!」←コクピットに写真つけるのちょっとかっこいいけど脱出装置あるのに生きて帰れと言われて無視するクズ
神木隆之介「ぎゃおおおおおん!!!(特攻)」←落下傘搭載してるので特攻ではない
神木隆之介「ぎゃおおん!」
ゴジラ「覚えてろよ」
愛猫は言葉が話せるようになったと言い、私は驚きながらも感激した。
次に日本語を教えてほしいというので、私は二つ返事で頷いた。
「え?」
「朝の挨拶がどうして”おはよう”なのかと聞いたんです。べつに、”こんにちわ”でも”いぬ”でもいいじゃないですか」
私は苛々し始めた。
「…うん」
私は渋々頷いた。
「それなら他の言葉でもいいじゃないですか。それに前から思ってたんですけど、いつも同じ挨拶の言葉を使うって、なんか馬鹿みたいだなって」
私は愛猫の頭を叩いた。
愛猫は驚いた顔を見せ、そのあと顔を伏せると小さな声で「…わかりました」と言った。
そこで目が覚めた。
妙な夢だったなと思いながらベッドから起き上がり、リビングへ行くと愛猫がソファで眠っていた。
思わず頭を撫でると目を覚まし、「にゃあ」とかわいく鳴いた。
ん〜とな、ありゃ俺が中2ん時の話だぁ( * ॑˘ ॑* )゙
田舎にけぇった(帰った)ら、自転車で田んぼ走ってみたくなるでさ、それで神社までママチャリで走ったさ、んで、神社で「いつかの事故の時はあんがとございました」と祈って出ようとしたら
「こりゃ!持ち帰るしかねぇべ」とバックにしまって持ち帰ったさ、んで2階の部屋で読んでみたらさぁ、とんでもねえ内容で眼を丸くしたんさ
そもそもひらいたページがいきなり小学生の娘を調教して赤ちゃん作る漫画だったもんでさ
「3けんな!作者は最低だな!」と妙な正義心で
むくむくと海綿体が膨らんでしもうていたよ。
それでさ、幼女が筋肉ムキムキの男に次々レイプサれる漫画があって、さすがにそれを読んだら我慢できなくて、息子を空気とこんにちわさせて
白いミルクをぴゅーっと出したんさ
それから何度も俺の息子がそのLOにはお世話になったなぁ。ページにいちいち精液をつけるのが趣味なもんで、数ヶ月したら読めなくなっちまった
以後お見知りおきを
その村は、実に奇妙な村だった。
おおよそ布と呼べぬようなボロきれを最低限、身にまとう格好で生活し、浅黒な肌は古来の原住民を思わせ、ぱちりとした大きな目と背の高い鼻は相手を威嚇するようであった。
こうした彼らアングロサクソン系に属さぬ種族の暮らす集落は、全体の人数はおおよそで百人前後。
森林に囲まれた場所に集落を築き、たいして大きな村とも言えず、互いの顔を知り合い、共存して暮らしている。
まさに一個の家族、巨大な集合体のようなもので、かれらは時計的時間に暮らさず、出来事時間によって生活をする。
つまり村のF氏と午前11時に会う約束をするならば、「11時に会おう」と言うのではなく「子牛を散歩に連れ出す時間に会おう」という必要があった。
尤も、11時ならば彼は散歩に行くので会えないことにはなるだろう。
然しこうした出来事時間を持つ社会的集団は少なくなく、それはむしろ、急激に進歩を遂げた我々とて同じ。
以前、といっても数百年ほども前だが、とにかくそのころは我々先進国であろうと正確な時計は持たず、正確な時刻を知らずに暮らしていた。
故に、時間、というものは絶対的なものに成り得ず相対的であり、さらには個人的。
各町、各村によって時間は異なり、時計がずれている事さえも常識であった。
だからこの町が奇妙だと、
そう評するのは何も、こうした出来事時間に添って暮らすためではない。
彼らは我々との認識が、著しく異なっていたのだ。
そう、”死”に対する認識が。
彼らは”死”を恐れない。
いいや、そうではなく、むしろ彼らは”死”を喜んで受け入れるのだ。
まるでそれが大層めでたい事のように。
その事に気付いたのは、滞在三日目の朝だった。
日の高さが頂点付近にまで登り詰めた頃に起床すると、いつもと違う雰囲気に戸惑い、太鼓の音などが聞こえ、辺りには明るい民謡のような、陽気な歌声が響いて回った。
それからテントのような簡易的な宿を出ると、村の人々はみな笑顔で、子供などは小躍りしている。
「なにごとかね?」
するとその男は「ああ、あの家あるだろ」といって軒先の一軒を指差し、あそこの爺さんが、雄鶏の鳴く頃に死んだんだ、と私に言った。
満面の笑みでだ!
私は奇妙に思い、「どうしてみな笑い、騒いでいるのだ?」と訊ねた。
すると男は不審者を見るような視線を私に向け、「めでたいからに決まってるだろう!」と言った。
私はますます分からなくなって困惑したが、同時に彼らの習慣にえらく興味が沸いては、滞在予定の一週間を変更し、長期に渡って居続けよう、という気になった。
彼らが何故 ”死” を祝福し、そして恐れないのか。
そもそも、私が間違っていたのだ。
”死”は恐れるものではなかった。
私は彼らに訊いた。
「どうして”死”がめでたいのか?」と。
すると彼らの一人は笑顔でこう言った。
私は人間だ。
そして、私は既に死んでいたのだ。
それだけに過ぎない。
片割れの私は既に死んでいて。その死んだ片割れこそが ”死” だったのだ。
もしこれまでの私と今の私とに違いがあるのだとすれば、それはその事に気付いているかどうかの違いに過ぎない。
私は教わった。
誰もが、いや、どの生物も、不完全で生きてるのだということを。
それは半身が欠けているからであり、人間なる生き物は、そうしてかけた半身に
”死”
という名前をつけたのだ。
誰もが死を恐れながら、死に惹かれ、死に関して興味を示すのは無理もないこと。
理由が分ければ明白で、それは自分を求めていての行動だったのだ。
誰もが自分のかけらを求める。
それはそうだ。
すべてのことを。
私の半身、それが持つ、きおくのかけらは、いのちのかけらなのだ。
今の私は好意的に ”死” を向い入れよう。
いいや、これでは言い方が適切でない。
”自分”
を受け入れる。
ただそれだけのことだ。
私は枝木のように細まった腕を床で十分に見つめた後、ゆっくり目を閉じる。
やあ、こんにちわ。
そんなふうに声をかけて、
そんなふうに思いながら、
私は安らかな表情をして、意識を失った。