率直に言うと、映像は最高なのに、どうしてもテーマの“重み”が弱く感じられた。
ネットを見ていると
みたいな言説を目にするけど、僕はそういう話じゃないと思っている。
むしろこれは 作家の“方向性の違い”が、今回は裏目に出た というだけなんじゃないか、と感じた。
以下、自分なりに整理してみる。
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■ 1. 宮崎駿の映画は「人生の重み」がそのままテーマになる
宮崎駿の作品って、あれはもう寓話じゃなくて 本人の人生 だと思う。
「作ること」への罪悪感と執着
こういう“背負ってきたもの”が、作品のあちこちに生々しく滲む。
『君たちはどう生きるか?』なんて説明ほぼないけど、それで成立してしまうのは、
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■ 2. 一方の細田守は「日常」「関係性」に特化してきた作家
ちょっとした心の揺れ
日常の中のズレ
成長の痛み
『時かけ』『おおかみこども』『サマーウォーズ』などが評価されるのは、
世界の大義よりも、目の前の関係性を丁寧に描いてきたからだと思う。
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■ 3. そんな細田が“飛躍・説明放棄”の映画を作るとどうなるか
『果てしなきスカーレット』は、
時空が飛んだり、死者の世界が出てきたり、
でも、細田守は 人生の闇や歴史の重みを背負うタイプではない から、
たとえるなら、
これは“器が小さい”とか“作家性が浅い”とかではなく、
「寓意の飛躍」ではない。
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■ 4. 今回は“本来の武器を自ら置いてしまった”映画だった
『果てしなきスカーレット』に対して
なぜなら、
そこから急に“死者の世界の旅”とか“大河ドラマ的な復讐劇”をやられると、
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■ 結論
今回の作品は、細田が本来得意とする作家性と噛み合っていない。
どうしても“重みの差”が出てしまう。
それは才能の優劣の問題ではなく、
増田はどう思うの?
「細田は日常系の作家性が、寓意の飛躍と噛み合ってない」って指摘は本当にその通りだと思う。 ただ一点だけ、ちょっと違う角度から補足すると、 俺はこれ、細田が「わざと」武...
君たちはどう生きるか よりはよほど整合性のとれた物語だろ 神話オタしかわからないだけでw