2025-10-13

男性による男卑他尊

こういった内容はクリスマス前の時期には好ましくないかもしれない。

男性はその昔、男尊女卑的な価値観を持ち数多もの女性を傷つけてきたジェンダーであったらしい。

しかし、男性でさえ気付いていなかった男性差別存在する。

それこそがこの怪文書提唱する男卑他尊であり、それが今日まで……あるいは世界が滅亡するまで合理的でもありマゾ的なステレオタイプとして現れている。

男卑他尊は一言で言えば『働かざる者食うべからず』であり、多くの男性生産能力を失った男性嫌悪する。

それは古くから男は強くなければならず、働き手であるべきだとする価値観蔓延しており、今もなお根絶は出来ていないかである

まりは男卑他尊は男性によって生み出される男性への差別であると捉える事ができる。

また、ヘテロセクシュアルに依らない人々へのインタビュー映像などから、筆者は一定数『働かざる者』を嫌悪する者が居る事にも男卑他尊が根深く残っているのではないかと考えている。

『働かざる者』にとってその様な価値観自己客観的には好ましくないと思い悩む原因にもなり得る。

そして男卑他尊は究極の自己責任として全ての男性エスコートをする側に縛り付け、自律した強い存在であるべきという圧力を生み出している。

もしもの

真なるジェンダー不平を解決するワンステップとして、男らしさを捨てた男性ネオ男性として考えてみる。

特徴に該当する男性を『ネオ男性』と呼ぶことを推奨するものではなく、文書内の一時的呼称であることに注意して頂きたい。

ネオ男性は『働かないという選択肢を取る事に価値的な抵抗が全く無い男性』であり、一概にも無職男性だけではない事に注意が必要である

これは男卑他尊的な価値観では『働かざる者』として嫌悪されるだろう。

ネオ男性となった場合

仮に家庭を持つ父という役割を持つ男性マゾ的なステレオタイプの維持を手放し、ネオ男性となる場合を考えてみる。

彼は家庭に対して経済的に貢献し、彼の奥様は育児で家庭に貢献している。

彼がネオ男性になれば男らしさという圧力が無くなる為、経済的不安定存在となり生活に困窮するリスクが向上すると筆者は考える。

男らしさに囚われた男性は無謀な挑戦で家庭を路頭に迷わせるような失敗は避けるべきと考える故、経済的に安定しやすネオ男性となる事のリスク相対的に発生するからである

ネオ男性に固有な価値

まず、ここで言う『固有な価値』について特定属性に固有ではない普遍的価値は含まないことについて注意して頂きたい。

例を提示するなら、人格はヒトに固有な価値であり、ジェンダーに囚われない価値である

女性に固有な価値の例を上げる場合、すぐ思い付くのは男性に出来ないこととして子供を産める事がありそうだ。

男性に固有な価値労働力としての安定性ではないかと筆者は考える。

なぜならば、男性出産する事が出来ないからであり、男卑他尊的な考えから男性は手を動かすべきとされてきたかである

※ シュワちゃん男性でありながら妊娠する事が出来ることに注意が必要である

それでは、独身男性にも当てはまるケースとして恋愛市場での価値を考えてみる。

男性が持つ価値から労働力としての安定性を引けば、その人の人格や、肉体への価値であると筆者は考える。

これはもはやジェンダーに固有な価値でもなく、普遍的なヒトに固有な価値である

したがって、ネオ男性属性に固有な価値を持ち合わせておらず、普遍的なヒトとしての価値を持つ。

これは、属性に問わないプラトニック価値があると捉える事もできるだろう。

ただ、ネオ男性になることで強いメリットがあるようにも考えられない。

しかし、重圧から解放ささやかQOL の向上を齎すかもしれないと筆者は考える。

ネオ男性ではなくても

恋愛関係性において、関係性のメリットデメリットが不均衡になると苦痛が発生すると筆者は考える。

異性間であってもリターンが無ければ同棲したり、単に恋愛関係である事のメリットが少ないかである

恋愛において最大のメリットは『深い親愛』という事でしかいからだ。

そのため、お互いにリスペクトが出来る関係性が安定しやすいと筆者は考える。

それがどんな形を持つかは当人らが納得している物であれば良く、筆者も第三者もこうであるべきと決めて良いものではない。

冒頭で記した様にネオ男性というもの特別属性でもなく、『労働をしない選択に対して価値観的な抵抗が全く無い男性』の文書内での一時的呼称ということに注意が必要である

そして、その性質ネオ男性は『働かざる者』というレッテルが貼られやすく、ネオ男性となるメリットは1人で生きる事では十分に堪能できるが、誰かと生きる選択ではメリットだけではない可能性があると考えられる。

さいごに

結論として、男性は究極の自己責任という形で自らを苦しめ、他者の為にもそれを手放すことはできないのかもしれない。

しかし、無自覚でのステレオタイプ押し付けをしていないかという所では注意したほうが良さそうだ。

それに加えて『男が粉ミルク子供に飲ませるために育休を取っても良いのではないか』という疑問も昨今では見かけるようになった印象があると筆者は感じている。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん