2023-12-13

でも結局Adoに求めてるのは技巧性なんだよな、と思った話

https://nikkan-spa.jp/1963162

この記事で言うところの「めちゃくちゃ上手くて心に響く歌手」って既にいくらでもいるんだよね(本来は超難しいことなんだけど だからその「いくらでもいる状況」がおかしいっちゃおかしいんだけど)

本文で例示されてる欧米スターは勿論そうだし、日本国内でも、なんなら今年の紅白歌手に絞っても、まずMISIAがいて、Superflyがいて、JUJUがいて、miletもいるし長屋晴子もいる、ベテラン演歌勢は言わずもがな、挙げてくとキリがない

この飽和状態で今さら別にAdoにそういうポジションを求めてない、というか、まぁそれはそれで「いい歌だね」ってなるんだけど、新規性がないから「別にMISIAでもいいじゃん」ってなっちゃう 自分はね

>> だから、歌や演奏が、難しいゲーム攻略しているように聞こえてしまう。自らの腕を証明するために、曲中にわざと難所を仕掛けているといったら意地悪でしょうか。 <<

これさ〜クラシックでいうところのパガニーニリストみたいな「自分演奏スキルが高すぎるから自分が上手く弾ける範囲内で曲を作ったら超絶技巧曲ばっかりになっちゃった」に似てるんじゃないか

Adoの「踊」も「唱」も、King Gnuの曲も、確かに技巧的ではあるけど技巧一辺倒ではなくて、サビは難易度を落としてキャッチーさを優先させてて、曲全体としてはちゃんポップスとして成立してるから聴きやすくて自分は好きだよ

というか聴きやすいから実際売れてんだと思う

おそらく作り手もそのバランス意識してやってる そんな馬鹿じゃない

「はたしてAdoKing Gnuの曲パガニーニリストに並ぶほどの歴史的名曲か?」まで問うと、それはこれから時代に長く揉まれても淘汰されないか検証必要から今はわかんないけど

少なくとも記事批判されてるほどの欠陥が楽曲にあるとは思えないし、そもそも技巧曲はやる人が少ない(できる人が少ない)から数としてはあんまり出てこない、そして極端に技巧に走りすぎると流行らず廃れる

からAdoKing Gnu基準点として日本の今後のトレンドまで危惧するのは杞憂だと思うし

パガニーニリストは人気だけどベートーベンバッハも人気だから大丈夫だと思う

名曲のかたちはいろいろ、だから音楽楽しい

それと「『超絶技巧曲を歌いこなせる』ということがAdoの唯一無二の個性なんじゃないか?」って最近思ってて

Adoカバー曲とか、大物アーティストから楽曲提供されたオリジナル曲とか、いろいろ聴いて「やっぱ歌うめーなー」って思うんだけど、失礼ながらそれ止まりで、「踊」や「唱」を聴いたときのような「これはどう考えてもAdoしか歌えない」という畏怖や屈服まではいかなくて、ちょっとだけ物足りなさを感じてしま

いや歌の感想で畏怖や屈服って何?って感じだけど、聴き手にそこまで感じさせるのがAdo絶対的個性であり武器だと思う

あとほんとに失礼な話だけど、B’zしか椎名林檎しかりミセスしかり、「普段特定のメインボーカルを想定して書いている作曲家」がAdo楽曲提供したとき、おそらくその曲へのAdo個人なりの楽曲解釈を経て、最終的にAdo歌声で出力されるわけだけど、ひとえにAdo理解力表現力が高すぎる故に「別に本家に寄せにいったわけではないけど、この曲における100点満点の表現を追求したら結果的本家と似てしまった」ケースが割と多いような…?そう感じるのは自分だけ…?ってずっとモヤモヤしてた

B’z曲のB’z節が濃すぎて(あとAdoが歌うますぎて)結果Adoの背後に稲葉がチラついて見える…誰も悪くないんだけど…というか全員が全力で最高の仕事をした結果こうなってしまった感がある

あと自分椎名林檎古参ファンなので、Adoへの提供曲は「新宿系を標榜していた頃の椎名林檎が令和に戻ってきた」感じで懐かしくて嬉しかったけど、あまりにも再現率が高すぎて新規性は無かったし(あれを再現できるのは凄いことなんだけどね)、正直もっと予想を上回る凄いことをやってくれると思ってた…この2人が組むならと期待値が高すぎた感がある

あとヤスタカの「新時代」は、本家?にあたるPerfumeきゃりぱみゅAdoとは対極的な歌い方だから新規性がウケて売れた面もあるのかな?と個人的には思ったりする 知らんけど

聴き手それぞれの「Adoにこんな曲を歌ってもらいたい」と思うものがみんなちがってみんないいけど自分は「踊」や「唱」みたいなやついっぱい聴きたいです

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