まず具体的な人種・民族に対する「不快」の表明は差別だとして、表現に対する「不快」の表明は同じ水準の「差別」なのか?
人生の中で、なんらかの表現に対して「なんか気持ち悪い」「生理的に無理」とか、思っただけではなくて、言ったことくらいあるよね?それ、全部差別なのか?
○ご飯
朝:なし。昼:ニューヨークピザ。(すごいデカかった)。夜:玉ねぎ、炒り卵、焼きうどん。
○調子
疲れたの。
あと水曜、木曜、金曜の3回行けば十連休。
なんとか頑張ろう。
・イデオロギー系の人が左に集まってる。机上なのであまり動かせない。
・現実的落としどころを見つけて決断行動の人が自民に集まってる。
ていう分け方が分かりやすいし納得が行って良いなと思った。
ITでもあるあるだと思うんですけど、手段と目的が逆転してるような人。
とにかく新しい技術、流行ってる技術を使いたいだけで、案件や要求仕様との適合性を何も考えてないみたいな人がたまにいるって話と似てるなーって思った。
政治って、いわば工学の一種じゃないですか。いま実用的に役に立つもの。
学術・研究・理論といった基礎科学じゃなく、応用科学。いま、どうするか。常にタイムアウトがあるもの。
長期的・将来的には核融合炉が期待されているし、研究も進めてるけど、まだ実用・商用炉はできてないですよね。
なので現状の核分裂炉か火力発電でやりくりするしかないんですよ。
EVは先走りすぎじゃないかなあって思いますけどねー。核融合炉が実用化でもしないと。EVの利用は限定的な場面に留まるでしょう。全面的には無理。
真性包茎?
早めに手術できてよかったね
痛いのはご愁傷様だけど真性包茎は常にしょんべんを溜め続けてカスを溜め続け、細菌の宝庫で本当に汚いし臭いもものすごいので、衛生的にもよくないしセックスは諦めてほしいくらいの話なので
テレビやパソコンやスマホの画面の前でニュースを聞いてくれる視聴者様が望むからやってるだけに過ぎないんだよ
悲しい気持ちに浸ってみんなで喪に服してみたいんだろ?
親子間のこじれた話とか毒親だったみたいなエピソードに興味あるんだろ?
友人が『包茎手術させよっかな』なるブログを発見した。「これ書いたのお前の母ちゃんじゃないの?絶対これお前のことでしょ」と友人はいう。ひとまずリンクを貼っておく。
https://anond.hatelabo.jp/20150212234301
読んで驚いた。ざっと要約してみた。
・うちの息子は包茎だ
・息子に包茎手術を受けさせたい
・息子はビビりで痛いのが苦手(なので手術は嫌がりそう)
・息子はR、Tをライバル視しているので、その2人が手術を受けると言って説得したらいいかも
いやはや、冒頭の親バカ部分はさておき、手術関連の話はほとんど俺の実体験と一致しているではないか。改めて確認してみよう。
・うちの息子は包茎だ
←たしかにそうでした(というかガキはみんなそうだろ!)
←うーん小5のときはマジでサッカーばっかやってたなあ(今もやってるけど当時ほどでは)
←その春休みに包茎手術を受けた友人2人は心当たりが大いにある。イニシャルも完全一致。
・息子に包茎手術を受けさせたい
←母親に手術しろと言われたのは事実。父親は単身赴任なのであまり絡んでいなかった気が。
・息子はビビりで痛いのが苦手(なので手術は嫌がりそう)
←平均を知らんけど普通に怖かったので全力で嫌がった(けど強制的に受けさせられた。てかガキはみんな手術なんてビビるだろ。麻酔かけるとき絶叫したぞ?)
・R、Tが手術を受けると言って説得したらいいかも
←説得というか既成事実化されていた。母親は「一緒にやりなさい!」の一点張り。ライバル視というより2人の手術は決定っぽい雰囲気だったので俺だけ怖いっつって逃げるのはズルいと思った。それで3人一緒に近所の病院で手術を受けることになった(子供の包茎手術で有名なところだったらしい)。ガチで痛かった。死ぬかと思った。
読みながら俺は件のブログを発掘したRと顔を見合わせた。俺はイケメンでもなんでもないが、それ以外はほぼ我々の6年前の経験と同じである。まさかこんな偶然の一致があるだろうか。もう一度読み返したがやはり俺の母親が書いたとしか思えない。事実は完全に一致しているし、おまけに俺の母親は実際かなりの親バカらしいのである。面と向かっておだててきこそしないのだが、父親や祖父母によると俺がいないときには相当な親バカ発言を連発しているらしい。怖いのでやめてほしい。
しかしそれにしても息子をイケメンとか言っているのは普通にキモい。術後は痛すぎて1週間ぐらいまともに歩けなかったのだが、その発端がこんなキモい親心だったとは。まあおかげで包茎は治ったが、それにしても苦痛が大き過ぎたというのが現時点でのR、Tとの共通見解だ。
いつだって今の世が末だよ
ちょっと古い作品ですけれども、コンピューターワームの元祖で昨今のエッセンシャルワーカー問題にも言及している
とか、どうでしょうか。
日本語訳 isbn:4087730514 は絶版のようですが公共図書館に行けば蔵書があるかも。
久しぶりに高校の友人と会ったんだ。
自分は前回会ったのは10年くらい?前で、忘年会シーズンということもあって、お酒がよく進んだ。
高校の先生がどうとか、あいつは今何してるとか、当時よく話してたネタを久しぶりに掘り返してさ。
とても懐かしい気持ちになったのよ。
一方でみんな変わっててさ。
家庭を持ってるやつもいれば、思春期の子供を育ててるやつもいて、また俺みたいに独り身の奴もいてさ。
体つきも全然違うのな。
当時ガリガリになってたやつはふくよかになってるし、当時ふくよかなやつはもう少しふくよかになったりして。
でも相変わらず話してることは昔のクソみたいなネタばかり。
なんなんだろうな。
いったい何が変わったんだろうか。
それとも何も変わってないんだろうか。
少しの寂しさと、切なさと、楽しさとが混じり合った。
なんとも言えないにおいが
そこにはあったな。