コマ割というのは、あくまで表現手法のひとつであって、ひとコマだろうとふたコマだろうと、
マンガの一こまの話をしているの?一こまのマンガの話をしているの?
前者だとしたら問題外。
いや、元はと言えばid:amiyoshida氏のエントリの話をしているのだから、前者ですけれども。
どう問題外なのですか?
「著作権の保護の対象に決まってんだろヴォケが」っていうことですか?
いや、それはないか、もしそうだとすれば後者だって同様に問題外なのだから。
おっしゃりたいことがよくわかりません。
「問題外すぎて話もしたくない」というならば、私もそうやって議論から逃げるような人とは議論したくないのですけれども(いやまあリスクを負わずに議論から逃げられるのが増田の特徴だけど。というか増田に議論も何もないか……)。
まあ自己陶酔だろうが何だろうが、基本的にはやらないよりは貢献してるだろうな。
「多すぎて却って効率が悪くなる」ほど集まるなら行くだけ無駄だけど、そこまで多くないのでは?
http://anond.hatelabo.jp/20070325233213
私なんて、増田しか利用してないですよ。
めたるまん先生が紹介なんてしなければ、ここを知ることもなかった。
って元エントリー消えた?
http://anond.hatelabo.jp/20070325224102
政見放送って編集も禁止されてるし、東京都知事選ともなれば注目度もかなり高いわけで。
主張したい事を多くの人に伝えたい場合、有効な手段だよね。
今ならYouTubeもあるし。
私はhttp://anond.hatelabo.jp/20070325215151を書いた者ですが(なんて言明する行為には、匿名ダイアリーでは何の意味もありませんが)、失礼ですがあなたの指摘は的を射ていません。
私はひとこまのマンガが(創作性が低ければ)著作権の保護の対象にならないのではないか、と言っているのです。
この指摘は間違っているかもしれませんが、反論としては「いや、著作権の保護の対象になる」というものでなければならないはずです。
あなたの述べているのは「引用」の要件ですね。
「引用」であるかないかが問題になるのは、著作権で保護された著作物を引用している場合であって、著作権の及ばないものを引用するのには引用の成立要件も糞もありません。
私は「創作性が認められないほど少ない部分ならば著作権で保護されないのではないか」と言っているのです。
例えば、小説などのタイトルには普通著作権は認められませんね。
あと、これは追記したので読んでいただけなかったかもしれませんが、http://anond.hatelabo.jp/20070325215151にも、ひとこまでも著作物となる可能性についても触れておきました。
おそらく、ひとこまのマンガが著作物にあたるかどうかは、ケースバイケースで判断されるだろう、とは思います。
風景のようなカットであればあたらないでしょうが、キャラクターが描かれている場合は微妙かも。よくわかりません。
何にせよ『少量なら何でも引用になる』という妙な誤解を広めるのは御勘弁。
私のさきのエントリからそのように読み取るのは読みすぎではないでしょうか。
そんなことは言っていないつもりですが(そもそも「引用になる」という話はしていません)。
もちろん、私も「量が問題である」とは思っていません。
あと、著作権に関して1冊本は読みました(こんな本は読んだうちに入らない、と言われればそれまでですけど)。
↓の本です。
http://anond.hatelabo.jp/20070325222834
出生前診断は必要だ。生に際してこそ意志の確認を。
未・胎児に「この世に生まれて人生を歩む意思はありますか」と訊くんだ。
うん、そうだね。もし確認ができるなら、してみたい。
ただ、少なくとも私はできないんじゃないかと思う。
あなたがもし「生まれ変わり」とか「身体に縛られない魂に意思が宿る」とか
信じている/知っている人だとすると、たぶん意見が相容れなくなってしまいそうで
残念なんだけど....。
私は、脳の発達があってこそ心が生まれるんだと思うんだ。
いや、脳っていうと限定的かもね。脊髄とか臓器とかも快・不快に関連して
くるはずだから。まあ、いずれにせよ、ある程度身体ができてこそ、と
思ってる。
じゃあ、身体がある程度できた状態の胎児に堕胎してもいいか尋くか?
どうだろう。Noじゃない? まず技術的に。子宮外にいるわれわれと
胎児が意思疎通できるかっていうと、今の科学レベルではそうじゃないよね。
ひょっとしたら、あなたやあなたの周りにいるだれかはそうできるのかも
しれないけれど、世の中の多くの人はできないと思う。私も含めて。
だから、現実問題として、「胎児に生きたいか、生まれたいか確認すること」
は運用不可能だと思う。(合法的に堕胎可能なリミットの問題もある。)
あなたに譲って、仮に意思の確認ができるとして。
もし胎児に確認を求めたとしても、果たして生まれ落ちるはずの世界を
選べるだけの判断力というか、判断のベースが胎児にあるのか、というのも
問題じゃない? まだ生きたこともないし生まれ落ちることもしていない
胎児に、「生まれ落ちる苦しさ」「生きる苦しさ」「死を待つ苦しさ」
「死ぬ苦しさ」がわかるかな? ニュートラルな状態じゃ、意見の持ちようが
ないんじゃない?
これについても、あなたやあなたのまわりの人が「生まれ変わり」とか
「前世の記憶の保持すること」を信じる/知っているのだとすると、
「いや、わかるはずだ、判断できるはずだ」と言えるだろう。でも、
世間の多くの人は「わからない」って言うと思う。例えば、ぴったりって
わけじゃないけど、こんなデータもあるよ。
参考) 図録「神の存在・死後の世界に対する見方(世界55カ国比較)
http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/9520.html
そんなわけで、「生きるかどうかの意志の確認」は、胎児に対しては
できないと思う。
以下は余談。
ちなみに、ある程度の年齢に達した場合でも、意志確認はできるようになるだ
ろうけど、問題はあるよね。例えば「心神耗弱」な状態にあるときの意志確認。
「うつで無気力」な場合は、死ぬことしか考えられないときだってあるよ。
(個人的に経験してるけどね。)でもそれって、(たとえ家庭とかの事情がある
にせよ、そこまでになるのって、)心的な病気の症状としての希死念慮とも言える。
だから、精神科救急とかいのちの電話がある。一時の気の迷いで死のうとして
しまうのを止めるために。(統合失調症や薬物依存の人の経験なんかも参考に
なるよね。妄想に追いつめられて死にたくなる。そんな場合は意志確認は
意味をなさないんじゃないかな?)
逆に、尊厳死とか脳死とかの場合は、そういう「死ぬたくなってる状態」での
意志確認は行わない。正当な方法での、「ハズレくじ」対処法だよね。
超低体重児出産とか、出産直前まで障害がわからなかったとか、そういう
「親も子どもも『ハズレくじを引いた』と思いながら生きる期間が長く
なりそうな状態」
を避けつつ、
「優生思想に凝り固まってデザイナーベイビー作りしちゃうとかいうような、
ようにする。で、しかも、
「医療・福祉の費用で、赤字国債が600兆円なんていう日本のダメ国家財政
を悪化させない」
とするには、どうしたらいいのかね。
自分的には、
・増税、
・障害者雇用(そして、ちゃんと生活できる給与体系)の確保、
を国がやるしかないと思うんだけど(だいたい、法整備とかしない限り、
民間企業とかが資金援助とか雇用提供とかするはずない=法による強制が
ない限り、どんなに福祉行政やNPOが啓蒙活動したってだめ)、どうなの
かな?
「デジカメ、携帯電話、ノートパソコン等の持ち込み禁止。持ってたらその場で没収」
ボランティアの受け入れ条件にこれを加えたら余計な自己陶酔ボランティアは消えると思いますので、ぜひ実施してみてください。
今のボランティアは「被災者の写真を撮って個展を・・・」「就活の際に履歴書に・・・」「ブログのネタに・・・」「mixiにアップしてプロフの肥やしに・・・」という邪な考えを持つものが95%ほどいますので、彼らをメンバーに入れることは逆に復興活動の統制の妨げになります。
そういう時は、「いってらっしゃい」でいいじゃない。
本当に地震か?
ミサイル攻撃とかだったり
もしミサイルだったとして、破壊したものが鳥居とかお寺の鐘のお堂とか古い倉庫とかってのはミサイルとしても不本意なんじゃないか。
「あいつは有料道路を陥没させる任務だってのに、こっちは鳥居かよ。ケッ、狛犬も巻き込んでやる」
みたいな感じ。
普段は結構まともな人っぽいね。
『オールニートニッポン』ていうネットラジオの過去ログで一回みたことあるだけだけど、
政府転覆を呼びかけて同士を募っているとこら辺だけを抜き出して見ると、なんかゾワゾワする。
http://www.youtube.com/watch?v=ccwpbsJsWvM
そして熊本出身を甘くみていた。
僕の読みが甘かったです。ごめんなさい。
どうでもよくないつっこみに対して、本筋じゃないけどちょっとどうでもよくないつっこみをすると、
で、著作権を侵害するかどうかですが、ひとこまだけの引用は著作権的に見てもオーケーな気がします。
引用の成立要件ぐらい素人でも簡単にぐぐれるので見てから書いてくださいよう。
「ひとこまだけ」という「量」では決まりません。「引用の必然性」「主と従である」「本文と引用が区別可能」「出典の明示」等が成立要件です。例えば1コマ漫画なんてのは極端な例だけど、そうでなくてもあるコマを必然性無く、それがメインコンテンツであるかのように見せていたら1コマでも盗用。創作性のないコマというのもありそうだけど、それはそもそも「メインコンテンツであるかのように」示せないような(背景とかの)コマだろうしね。
何にせよ『少量なら何でも引用になる』という妙な誤解を広めるのは御勘弁。
http://anond.hatelabo.jp/20070325183828
つまり、自然淘汰とは発展のメカニズムであり、人類の文明社会が何らかの意味で発展しないという方向性は自然淘汰に反していると考えているのかもしれない。
でも、自然淘汰は“発展”のメカニズムではなく、あくまでも“(通時的・世代継承的)変化”のメカニズムを指しているに過ぎない。
人口バランスが壊れて、二酸化炭素が増えて、その結果人間の生存が自縄自縛の状態に陥ったとしても、それは自然淘汰が壊れているのではなく、それもまた自然淘汰の中の一つに過ぎない。
なぜなら、自然淘汰は「何がどう変化したか」を説明する方法論ではあっても、「何がどう変化すべきか」を指示する規範的原理ではないからだ。
進化論と社会ダーウィニズムとを見分ける最大のポイントは、世代継承的な変化についての記述を「このようにあった」と語るか「このようにあるべきだ」と語るか、の違いにある。