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アニメレポートとは
映産労(映像文化関連産業労働組合/旧:日本映画放送産業労働組合)は、1965年に結成された労働組合法にもとづく個人加盟(オープンショップ)の労働組合で、映像・文化関連の仕事で働く人なら誰でも加入できました。2019年1月に高齢化その他の理由により、解散となり、現在は、元組合員OB有志が研究団体と情報発信の場として継続しています。
1960年代、ガリ版刷りのペラのレポート発行に始まり、1975年には、不定期の「アニメれぽーと」(B5版冊子)が初めて発行。商業アニメーションの現場で働く、オープンショップ組合員たちの手によって発行された、日本ではじめての本格的・小冊子の登場でした。 制作現場の実態を、誰にもわかりやすく伝え、改善の手立てにする目的で、発行は1980年代の半ばまで続きました。多くのアニメ研究が政治の問題をタブー視するなか、アニメ現場の問題点は政治問題と繋がっているという視点を外さず、勉強会や様々な活動を続けました。その後、編集体制を維持できず、「アニメれぽーと」は休刊となりましたが。2005年、インターネット版として「アニメレポート」(当ウエブログ)を復刊。非営利・学習・研究目的により運営開始。「ネット版アニメレポート」は、映産労・旧アニメ対策委員会の公式ページでした。 現在はアニメより緊急な命や生活に関わる問題の情報を優先掲載しています。 This page is blog of "Eisanro".In Japan. We are open shop's labor unions of a movie, television, animation, and a culture industry. -Anime Report Japan- ★連絡先(Contact): ブログ管理人(アニメレポート編集部員有志)mall: minosiwa☆gmail.com (☆を@に変えてください) ※マナー違反の書き込みが多いのでコメントやトラックバック機能は休止中です。 ★リンク 地震があったらまず確認 ●福島第一原発ライブカメラ 労働組合(友誼) ●映画演劇アニメーションユニオン ●映画演劇労働組合連合会(映演労連) ●映演共闘 ●日本民間放送労働組合連合会(民放労連) ●全国労働組合総連合(全労連) 映像関連ガイドライン ●NHKと日本民間放送連盟によるアニメーション等の映像手法について ●テレビ東京によるアニメ番組の映像効果に関する製作ガイドライン ●放送コンテンツの製作取引適正化に関するガイドライン アニメーション団体(友誼) ●アニメーションミュージアムの会公式ホームページ ●NPOアニメーションミュージアムの会公式ブログ 労働関連 ●首都圏青年ユニオン ●首都圏大学非常勤講師組合 ●フリーター全般労働組合 ●ユニオンチューブ ●国公労連 ●エキタス 原発事故・放射能関連 ●CNIC 原子力資料情報室 ●さようなら原発1000万人アクション ●首都圏反原発連合 ●みんな楽しくHappy♡がいい♪ ●たんぽぽ舎 ●子どもの安全な場所での教育を求める 福島集団疎開裁判 ●パパママぼくの脱原発ウォーク ●日本の大気拡散予報(日本語スイスサイト) ●Upcoming events(世界の脱原発行動の情報ページ) ●新・全国の放射能情報一覧 ●FukurouFoeTV ●SAFLAN-TV 独立メディア ●I W J ●OurPlanet-TV ●IWJ・English 3.11 chronicle ●fotgazet ●8bitnews ●田中龍作ジャーナル ●レイバーネット日本 ●民の声新聞 ●ラジオフォーラム ●デモクラTV ●デモクラシー・ナウ! ●マガジン9 ●リテラ ●弁護士ドットコム ●News for the People in Japan(NPJ) 新聞・雑誌・ニュース ●東京新聞 ●しんぶん赤旗 ●週刊金曜日 ●琉球新報 ●沖縄タイムス ●BIG ISSUE ●DAYS JAPAN. 市民組織 ●グリーンピース ●シャプラニール ●食の安全・監視市民委員会 ●市民科学研究室 ●ヒューマンライツ・ナウ ●パレスチナ情報センター ●明日の自由を守る若手弁護士の会 ●国境なき医師団 ●STOP秘密保護法大集会・実行委員会 ●のりこえねっと ●武器輸出反対ネットワーク:NAJAT ●C.R.A.C. ●TQC 海外メディア ●アルジャジーラ ●ハンギョレ ●ロイター ●CNN ●AFP ●ウォー・リークス 食事・お酒 ●ビア&カフェBERG 憲法・法律 ●放送法 ●著作権法 ●労働基準法 ●労働組合法 ●下請法 ●日本国憲法 ●世界人権宣言 ●国際人権規約 ●人種差別撤廃国際条約 TPP・ACTA・著作権・表現規制・マイナンバー ●そうだったのか!TPP ●アジア太平洋資料センター:PARC ●project99% ●自治体情報政策研究所 ●漫画・アニメ・ゲーム・映画の表現規制問題 地震・災害情報 ●気象庁・地震情報 ●Japan Earthquakes 出版 ●合同出版 安保・大学・研究団体 ● 安全保障関連法に反対する学者の会 ●安保法制と憲法を考える首都圏大学・市民有志連絡会 ●リデモス ●軍学共同反対連絡会 ●安保関連法に反対するママの会 ●解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会 ※全国に点在する映産労の組合員の皆さんへ ・身のまわりのニュースや情報を編集部あてに送ってください。ネット版アニメレポート掲載用の記事もお待ちしています。メールで可。 ※「アニメーション」とは…ラテン語のアニマを語源とする仏・英語。生気,活発,活気,快活,元気などの意味があり、のちに映像用語としての意味がつけ加えられる。「アニメ」は、日本におけるアニメーションの略称で、フランス語のアニメとは異なる。英仏圏以外の国での発音は「アニマシオン」など多種が存在する。(アニマの語源はインド‐ヨーロッパ語族の「ane-」=呼吸)。 カテゴリ
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アニメの作り方の奇妙な変化が顕著となった2000年 1990~2000年頃に生まれた方は気づかないかもしれませんが、それ以前からアニメーションを見続けてきた方の中には、商業アニメーションが「1990・2000年を境に大きく変化した」と聞くと、いろいろ思い当たる点が出てくるのではないでしょうか。 特徴的な点としては、IT・デジタル化、海外下請化のさらなる拡大などがあげられます。 デジタル化によって、動画の作画手順が煩雑になりました。(線をとぎらせない、色鉛筆を自由に選べない、影の指定を裏から塗る、など。単価は変わらぬままです)。 海外下請けの動画ミスを未然に防ぐため、参考(動画の下描きのようなもの)の作画が、さらに原画マンにおしつけられました。(単価は上がらないままです)。 過密スケジュールはますます過密になり、本編の前後の脈略無くばらばらに寸断し原画にばら撒く多人数制原画が波及しました。それがさらに第一原画・第二原画などに寸断されたりもしました。 当初はオンエアに間に合わない時の緊急手段である「動仕」(日本側のチェックを通さず、原画から動画まで海外に任せること)が、あたりまえの制作法のように慢性化しました。 最初から白味・線撮りを予定に組み込んだスケジュールの中で、原画マンは「ラフ原」(どのような動きにするか、ラフな原画を最初に納品させるやり方。手間は2倍ですが、単価はそのままです)の作画がおしつけられました。 製作クレジット表記にも変化がおきました。ほとんどの作品が、(C)原作・放送局・製作会社 から、(C)○○製作委員会(あるいは別の複合団体名)、に変化したのです。市民の側からすると、ひとめで参加企業名(責任の所在)がわかりません。現在では、まるで架空団体のような名義もあります。 著作権上、二次使用料の支払いをごまかせない原作・出版社・脚本・音楽のパート・人間関係などは、製作委員会など製作側が直接管理し、それ以外のパートを制作現場(元請・下請)に任せるという方法があたりまえのようになってしまいました。 現場と製作(制作)会社が話し合ったり、議論しながら作ってきた戦前・戦後(戦時を除く)の実写映画、アニメーションなどの土壌は消し飛び、かんじんの作品の魂より、いかに安く早く作るかだけが推し進められてきました。そして高騰する物価に対して制作費は何十年間も実質据え置いたまま、動画というパートに関しては43年間100円しか単価が上がっていません。 主に2000年以降には、さらに国によるアニメーションへの介入がありました。アニメーション業界・商業アニメーションの作り方のどこかに矛盾があると感じても、新しい国の政策・戦略を推進させる巨大な空気は、批判しづらい環境を作ってしまいました。国と経済界は、史的資本主義の根本原則にのっとり、若者を応援し、熟練職能者をムーブメントの外に追いやったため、矛盾点はしっかり分析・解決されないまま、新しい次元に移り変わってしまったわけです。 ちなみに日本の商業アニメーション界の持つ矛盾は、日本独自のもので、特にヨーロッパなどに比べ、日本の商業アニメーションの問題は、日本の労働の問題(非正規と規制緩和拡大)とも同一の構造を持っています。さらに「人々のための作品作り」より「アニメ利権によるお金儲け」という点で、日本の原発利権の構造、原発利益共同体の問題にも類似します。 なぜ主題歌と本編は分断されたのか 主題歌の扱い方も変わりました。例えば、映画やアニメーションのCMやテレビの予告編などを見ると、スタッフ・キャスト名は出なくとも、主題歌のクレジットだけはいつもしっかりと入っています。作品は多くのスタッフ・キャストによって作られていますが、まるで、その作品で重要なのは主題歌であるかのような印象を持ってしまいます。しかし多くの場合、本編のストーリーと歌の内容とは直接的な関連が無く、主題歌制作は、作品制作と別ルートで進められたり、主題歌作りに携わる人達は、本編制作のスタッフはおろか、本編の音楽担当者とさえ密に打ち合わせをしていなかったりします。 しかし、これらの映像や情報が繰り返し・繰り返し流されると、国民は慣れてしまい、現場に入ってくる新人たちも、それが普通の考え・常識的なフォーマットだと認識してしまいます。製作委員会や代理店側は、このような作品制作にかかわる案件を、現場に暗黙承認させるためにも、各話演出のみの体制から、直接交渉(接待や指示)できるチーフ・ディレクター制(監督制)へ移行させる必要がありました。(代理店など製作側が、コントロール目的でチーフ・ディレクター制への移行を元請会社に要請したのは1970年代、軌道に乗ったのは1980年代、テレビアニメ=監督を情報宣伝し、一般にもテレビアニメ=監督のもの、というイメージが定着してきたのは1990年代です)。 全国公開の日本映画で、本編とは無関係の詞・曲による既成楽曲を複数挿入し、ユニークな効果をあげた初期の試みとしては、1979年の「戦国自衛隊」(製作:角川春樹事務所)があげられますが、これは表現・実験の一環として意図的に行なったものです。(同作品は、スタッフ・キャストのクレジットを映画中に一切出さないという試みも行なっていますが、これには先例がいくつもあります。) 1930年代、ロシア(旧ソビエト)の映画監督:セルゲイ・エイゼンシュテインは、作曲家:プロコフィエフらなどの協力も経て、映像と音楽の密接なつながり「垂直のモンタージュ論」を提唱しました。それを自ら実践した映画「アレクサンドル・ネフスキー」がロシアで公開されたのは1938年です。 日本でも、戦後、故・早坂文雄氏(1914―1955年)らをはじめ、多くの映画音楽作曲家や、監督をはじめとする制作現場の技術者たちが、映像と音楽(曲や歌)などの結びつくことによる効果・表現をお互いに工夫しあい、さまざまな実験・実践を行なって、国内外で高い評価を受けました。 音楽が儲けの道具に 例えば、昔のアニメに関する楽曲が長い年月、高い人気を保持している理由のひとつに、作品の方向性や内容に沿って歌詞・曲が作られている点があります。 実写映画も同様で、早坂氏の後を継ぐように、故・佐藤勝氏や故・武満轍氏らは広範囲の実験やアプローチを試みたりしました。 しかし近年、タイアップの主題歌ばかりで、企画当初から主題歌のタイアップが組まれるケースがほとんどです。(もちろん例外もあります。)2000年以降の経済産業省の公文書PDFファイルや、広告代理店のウエブサイトなどを細かく見ていくと、これらは国家的な推奨方針から派生した現象でもあることがわかります。 近年タイアップは小学校という義務教育の現場にまで及んでいます。 映画『SPACE BATTLESHIP ヤマト』とのタイアップについて~実写版「宇宙戦艦ヤマト」と協力し広報強化!(文部科学省のウエブサイトより) これらを公然と推進している理由は「お金」です。創作や表現から雇用形態に至るまで、「儲けの対象にならないもの」は、どんどん切り捨てられ、「儲けにつながるもの」だけがどんどん推奨・推進されます。2000年以降、国や経済界は「アニメを使ったお金儲け」を推奨、絶対的・安定多数意見として存在させているので、批判するには勇気がいります。 「勝ち組=応援、負け組=自己責任」という、戦後アメリカの新自由主義にならった日本の政治・経済路線は、貧困格差・不安定な雇用(非正規化推進)、保障のない生活を生み出し、世界同時不況にまで至りました。 仕事が少なく不安定になると、生活を守るため、どんな条件でも、仕事を発注する側の意見に従属してしまいますので、他人を顧みる余地のない閉塞的な悪循環が続きます。この社会的閉塞感の影響をもろに浴びてしまうのが子供や若い世代です。原発利益共同体も、アニメ利益共同体も、利益だけを第一にして弊害を生んでいる点で、根本は同一といえます。 アメリカをはじめ各国に、大量・安全に商品を売りさばくには、一切クレームが来ないよう、内容・表現の規制も必要です。テレビアニメでいえば、アメリカのゴールデン・タイムに合わせた規制が目標となります。 一見、「子供にとって安心な作品作り」に変わったかのようにも見えますが、製作目的はあくまで「企業の利益」ですから「儲かること」であれば、どんなことでも遂行されます。子供を含む視聴者は、麻薬のように物事の判断基準をたくみに麻痺させられ、時間とお金を必要以上に浪費させられることになります。 さらに、従来の日本のアニメが持っていたメッセージ性、生命力、国に管理されない自由さ(庶民主体による真のカルチャー性)は作品から消え、国や大きなシステムを批判したり、不正を追及できる勇気、大きな逆境・障害を乗り越えられる精神性・自主性もスポイルされます。これはパチンコなど、依存性のある浪費装置とも構造が似ています。 戦後~1990年の大きな流れ 日本が、軍国主義・侵略戦争・敗戦・アメリカによる占領などを経て、高度経済成長をひたはしろうとしていた1954年、映画評論家:故・今村太平氏(1911―1986年)は、一般的に初めて「アニメーション」という海外での呼称を日本で使用しました。それまでは、影戯(江戸)、新画、線画、線画映画(明治)、漫画映画・テレビマンガ(戦後の昭和)などと呼ばれていたのです。 数々の歴史的文献から、アニメーションの語源である「アニマ」などの語が、「生き物のように動く・生命・快活」などをあらわす「アニメーション」に変化したのは、1960年代頃。それをさらに映像アニメーションに充て始めたのはフランスで1900年代、アメリカでは1910年以降と推測されます。 アメリカで商業アニメーションの技術システム(セル、タップ、BOOKなど)が整備され、PAN、FOLLOW、T・U、クローズアップ、クロスカッティングなど、映画の技法が発展したのは1910年代。編集による心理的な効果・モンタージュがソビエト(現ロシア)で研究されたのが1920年代です。 日本で「アニメ」という略称(フランスにおけるアニメとは別経緯)が使われだしたのが1965年以降、一般に波及したのは「宇宙戦艦ヤマト」がヒットした1974年以降で、1975年に発刊された映産労機関紙「アニメれぽーと」でも「アニメ」の略称を多用、1978年には本格的商業アニメ誌「アニメージュ」が発刊されアニメブームとともに「アニメ」とう略称はさらに定着していきます。だたし、商業主義的なアニメブームに対し、アニメーション、もしくは漫画映画の呼称を強調する作家・組織もあり、アニメーションの世界は複数の潮流に別れ現在に至ります。 1956年、石原慎太郎・原作 「太陽の季節」など、いわゆる太陽族映画がマスコミなどから批判を受け、文部省(現在の文部科学省)は表現規制法案を準備します。自主規制機関「映倫管理委員会」が発足したのが1956年です。同じ年、高い技術力を持ったアニメーション制作会社「日動映画」を買収した東映は、東映動画(現・東映アニメーション)を発足させます。 その東映動画が、日本初の本格長編アニメーション映画「白蛇伝」を完成させたのは1958年です。1960年には故・手塚治虫氏が虫プロを設立。NHKでも短編アニメーションの放映が始まります。また同年、九里洋二、柳原良平、眞鍋博らがアニメーション3人の会を結成、手塚治虫、横尾忠則、宇野亜喜良、和田誠、月岡貞夫、横山隆一、島村達雄などが集まり、商業アニメとは別の、作家によるアニメーションの潮流が本格的にスタートします。 1961年には、アニメーション映像を含む「みんなのうた」(NHK)や、おとぎプロ制作による短編「インスタントヒストリー」の放映がスタート。アニメ界初の企業内労働組合・東映動画労働組合が結成されます。そして1963年、「鉄腕アトム」の放映がはじまります。 1965年にはフリースタッフを対象としたオープン・ショップ「映産労」が結成、1970年代には、早くもテレビ局などに対し、制作現場や労働組合による制作費引き上げの運動が開始され、それは現在でも続いています。 1970年代の日本列島改造論などを経て、1980年~1990年には、政府と、経団連を筆頭とした経済界のよって、セネコン・軍拡・臨調行革・大型公共事業優先など、いわゆる財政再建の名のもとの大量浪費路線が推進されます。 1990年代後半、日本の商業アニメーションの制作現場は、過密スケジュールと安い制作費・低賃金などにより、オンエアにまで影響を及ぼすほど苦境を極め、各労働組合は、下請けのアニメーション経営者、声優、市民団体などと広く共闘し、デモ行進や集会、さらに声優による初のストライキを決行するにまで至りました。(このアニメデモには、前述の「白蛇伝」の原画を担当したベテラン・アニメーター:故・森やすじ氏も賛同者の一人として名を連ねています。) しかし制作費の問題などは、実質的には解決されませんでした。 その後、デジタル化、中国・韓国・フィリピンなど、海外への労働力依存が拡大。毎日番組は放映され、一方、制作現場の問題はほとんど外部に露出しないので、一般の視聴者からすると、問題がおさまったか、あるいは無かったかのようにも感じるかもしれません。しかし、アニメーション映像の根幹を成す、肝心の動画の1枚単価は、いまだに平均190円、40年以上たった今も、わずか100円程度しか値上げされていないのが現実なのです。 合言葉は複合 2000年以降、国と財界・経済界は、営利目的で商業アニメーション界に介入しはじめ、かつての現場主体の商業アニメーションの作り方を、肯定も否定もできないような複雑な手段と、急きょ作ったアニメ関連法によって、市民主体ではなく、国・財界主体で大きく変えていきました。 この変化は、一部の消費者・視聴者・観客には気づかれにくい側面を持つ一方、一般のアニメ・ファン層には数々のメリットがもたらされます。そのメリットや、商業アニメーション界の「育成」や「助成」など公的方針・用語の一般的浸透は、制作現場を除外した構造の問題点を、逆に見抜きづらくなる状況を作ってしまいました。 文化(メディア芸術・メディアアート)と産業(ビジネス・コンテンツ)と、2つの法律によって両面から重複定義化することで、広告代理店が自社の利益追従を語るときは「産業」、労働者性や違法雇用・偽装請負を追求されたテレビ局は「文化」と、たくみにカテゴリーを使い分けることに成功しました。 劇場公開はだいぶ前に終わりましたが、マイケル・ムーア監督のドキュメンタリー映画「キャピタリズム」を見ると、これまでに述べてきたような、カオス化した複合形態、否定も肯定もできない不可解な現象を、わかりやすく読み取ることができます。 アメリカでは、心よりお金、公益や貧困の救済より一部の富裕層の利益、とにかくお金儲けが良いことであると推進してきた結果、貧困の格差などをはじめ、さまざまな矛盾が露出し、経済が破綻しました。大量の国民の税金がつぎ込まれ補填されますが、取材しても、関係者の誰一人、つぎ込まれた税金の行方がわかならいのです。 映画ではこんな場面があります。 元リーマン・ブラザーズ管理職の人が「デリバティブ(金融派生商品)」について説明するのですが、経済(ビジネス)専門用語の羅列が続き、その仕組みは非常に複雑怪奇です。 今度はハーバード大学経済学部教授が「クレジット・デフォルト・スワップ(複合金融商品)」について説明しますが、これもよくわからない内容です。 (※ウイキぺディアによる解説>「デリバティブ」、「クレジット・デフォルト・スワップ」) ムーア監督は、観客に対し、近年の経済界の複合的な構造、新しい経済用語の難解さについて「理解不能かい?それが狙いさ。不正を逃れられるための。」と、語りかけます。 2000年以降作られたアニメ関連の法律も、美辞麗句と厳しい規定(責務)、専門用語が抽象的に混在、経済産業省も含む近年の経済界(ビジネス界)には、大量の横文字・カタカナによる専門用語の洪水。政府や財界・経済界にとって、ITや、アニメを含むいわゆる「クールジャパン」(マンガ・ゲームほか)は、新しい形の産学官協同体(利益共同体)にとって「ゼネコン」(税金を利用し、大多数の市民には無縁の、お金儲けや政治献金を生む大型開発)なのですが、情報と一読で理解困難な書類の大量氾濫させることで、一般国民(特にお年寄りや子供、主婦、経済の専門知識をもたない普通の人々)からは、いったい何か進行しているのか、一目瞭然にわからない仕組みになっているのです。 つまりこれも、ムーア監督の言うように、彼らの「狙い」なのです。 商業アニメーションの制作単価や動画単価が、物価の上昇に対して実質上、何十年も上がっていないことや、現場では偽装請負や違法労働がまかり通り、その一方、一部の富裕層だけでお金儲けをしていることは、単純に国民・一般市民に知られてはまずいことなのです。 「心・優しさ」より「お金優先・弱者嘲笑」の政治・経済・文化 日本ではこれらの「お金・利権」中心の利益共同体を確立し、今まで以上に推進したのが小泉純一郎元総理、小泉内閣の経済・金融政策閣僚で、日本経済の「聖域なき構造改革」を断行した竹中平蔵氏で、大量の資料やPDF公文書などを調べれば、その事実が明らかなのですが、多くの国民はその時間的余裕を持てません。まさにそれも彼らにとっては「計算済み」のことです。 その記録・事実を覆い隠すように、共同体に参加する個人・研究グループなどから、小泉路線をサブリミナル的に擁護する文章・書類が大量に流布されています。 こうして日本でも、「ブッシュ大統領のペット」とまで言われている小泉内閣を中心として、戦後のアメリカと同じような、福祉・弱者切り捨ての弱肉強食・新自由主義、市場経済絶対主義が日本に定着してしまったのです。 「勝ち組・負け組」などという言葉が流行りました。福祉・弱者(自己責任による負け組)切捨て、自己責任論がメディアや経済金融界を通して日本列島を覆うと、それまであった、日本の弱者や子供、お年寄りなどをいたわる優しい日本は一変してしまいました。 これらの変化(小泉氏による自己責任論)を、国民に恐怖とともに徹底させたのが、2004年10月におきたイラクテロ攻撃の指揮とイスラム過激派を名乗る海外組織による日本人青年・香田証生さん(24歳)を拉致事件に対する小泉氏の態度です。 日本政府に泣きながら助けを請う香田さんの家族に対し、当時の小泉純一郎首相は、危険な地域に足を踏み入れた「当人の自己責任」という見解を下し、家族の申し入れを拒否しました。 一転して家族は「国民に迷惑をかけて申し訳ありませんでした」と謝罪しなければなりませんでした。しかし、心の中では、どれだけ自分の子供の命を救ってほしかった事でしょう。 その後、朝の子供向けアニメ番組(テレビ東京系)の中で、香田さん殺害のテロップが流れ、その後、公開処刑のビデオ映像がインターネットで世界に配信されました。 日本国民は潜在的に恐怖の意識とともに、この自己責任論を受け入れることになったのです。 そういう勝者のみの社会的空気は文化や娯楽にも影響を及ぼします。 テレビのバラエティ番組やお笑いのコントなどで、容姿や肉体や精神のコンプレックスやハンディキャップを持つ者の頭を叩き、馬鹿にし、それを笑いにつなげます。それを見て、子供が学校や子供社会の中でそれをまねします。 体も大きく腕力もある「強いアメリカ」と「日本」の歴代首相が、お互い対等の人間(真の友人)としてではなく、命令(要請や圧力)・追従という関係、そしてその結果を国民にしわ寄せ負担させるという構造が持続する限り、子供社会のいじめは無くなりません。 別の選択肢 お金や儲けだけを考えて物事を進めていけば、庶民の生活の安定と経済の乖離(かいり)が進むどころか、最終的には、戦争や資源枯渇・環境破壊・健康破壊をつぎつぎ肯定・推進・合法化してしまいます。このことを、映画「キャピタリズム」で取材される人々はみな心配します。 では別の選択肢はあるのか。この映画では、その答えをわかりやすく出しているのです。 ムーア監督は「キャピタリズム」の中で、協同組合システムや、民主主義化された企業への取材を実例に、「資本主義(capitalism)」から、真の「民主主義(democracy)」への選択・移行を呼びかけているのです。 堂々とアメリカの不正を追及し、資本主義を真っ向から批判、それを日本にも輸入できるような商業映画に仕上げた監督の出現は稀有な例で、まさにアメリカ全人口:3億分の1の確率です。しかしそのリスクは膨大で、ムーア監督は、今も24時間、自ら委託した民間警備員に囲まれた生活を送っています。 ヨーロッパ(フランスやイギリス)と、労働・社会保障・医療・文化政策などを比較してみると、日本の社会がどれだけ異常で、いかに「日本の常識は世界の非常識」かがわかります。このままいけば、経済も人間同士のコミュニケーションも破綻し、事実上孤立してしまいます。 これからが、誰もが等しく情報を共有でき、世界基準で話し合える社会、国家・企業機密や潜在的恐怖の無い、オープンな社会が必要です。誰でも幸せに生きることが保障されるセーフティネットと、個人の意識や意見が寛容に受け入れられる社会的空気の確立が必要です。 ムーア監督は、日本に来日した際、「日本人はかつて弱いものをいたわる優しさを持っていた。アメリカの悪い部分をまねしないで、優しかった日本に戻ってほしい。」と語っています。(文責・アニメ点在有志) (↓)この本も否定も肯定もできない仕組みのからくりをわかりやすく解説しています。 ノーム・チョムスキー著「メディア・コントロール」(集英社新書) ※薄くコンパクトな新書判なので、通勤途中でも手軽に読めます。
by anirepo
| 2011-09-02 18:11
| コラム
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