空の太陽が落ちる前に -144ページ目

やっと1週間!

なんとかブログを始めて1週間が過ぎました。
まあ、ブログといっても今迄たまっていた空想と妄想を
ひとりよがりな物語みたいな物にして、
だらだらと書き連ねているだけですので、
せっかく見に来ていただいた皆さんには、
申し訳なく思っています。
皆さんのように、時事ネタをパッと文章化できる、
表現力と素早さがあればいいのですが・・・
そういう形式のブログには、当分なれそうもありません。
何しろ、文をまとめるのがヘタクソで・・
あ~ちゃんと同じく、気持ちが前へ前へ出過ぎてしまい、
説明過多の長いセンテンスになるタイプなんです。

で、今週はのっちの誕生日。
皆さん大阪、東京とのち爆で盛り上がってらっしゃる
ようで。
で、誕生日といえば、さる2月。
私あ~ちゃんに、こんなのを送らせて頂きました。
空の太陽が落ちる前に
これでA4サイズありまして、透明の封筒に入れて送りました。
ま、大きなハガキですね。
空の太陽が落ちる前に
3人の重ねた手。色の濃いのはファンの手という事で。

空の太陽が落ちる前に
あ~ちゃんは、キラキラ好きという事で。
数字は1~20、今迄の年月ですね。木を削ったり、金網切ったり、
消しゴムくりぬいたりして、各数字は出来ております。
私、完全にアナログ人間でして、手紙等は手の物に限る派です。
出来るだけ簡単な材料で、手の感じを残してって思ってます。
年賀状もこんな事やってるので、80枚限定で4-5日徹夜という
バカヤロウです。
切手を貼る部分の裏にケーキ。


空の太陽が落ちる前に
で、のっちにも誕生カードを!っと想い・・
空の太陽が落ちる前に
な、何するの?
空の太陽が落ちる前に
見た事あるなー!
でも、今日はもう18日!!!
間に合うのか?!俺?!大丈夫か?!

2010年11月3日 ドームの情景-梨理 –1

2010年11月3日 ドームの情景-梨理 –1

どうしてここにいる皆はこんなに目が笑っているんだろう。
楽しくて、嬉しくて。その想いが自然に満ち溢れ出た顔ばかり。
高揚して少し上気ぎみでほんのりと染まった頬。
冷静を装いながらも、落ち着かなげに周りをキョロキョロ見回す目。
抑えきれない興奮にじっとさせられない手。
何かを聞き取ろうと緊張している耳。
遠くの舞台を見つめ会場の大きさを眺め、頷きながらタオルを
目にあてる人。

開演を待って、何万人もの人達の熱気でむせ返りそうな場内は、
期待となぜか温かさに満ちていた。
人気もののアーティストのコンサート(ライブ?)っていうのは
みんなこんな感じなんだろうか。
今までこのような場所や機会に縁のなかった梨理にとっては、
初めての経験ばかり。
テレビの情報番組や芸能ニュースなんかで、
目にしたことはあっても自分が行く場所じゃないと思っていた。

たまたま天気予報を見ようとつけていた、テレビに映った彼女たちの姿。
複雑な振りとステップのダンスに目が吸い寄せられた。
心の底から楽しそうな、少しはにかんだ笑みをうかべた3人の女の子。
彼女たちの動きからは、リズムと歌詞が感じられる様な気がした。
リズム。音楽を避けようとしてきた自分がそんなことを思うなんて。
今の私に音楽なんて、わかるわけがないのに。
そうつぶやきながらも何故か、彼女たちにうたがみえた。そんな気がした。

130db、スケールアウト。
重度の聴覚障害を患った彼女は、13歳の時から
音の無い世界で暮らしてきた。
勉強は得意ではなかったが、音楽と図工は大好きな子供だった。
ある日、先生の伴奏の一部の音が聞こえない事に気がついた。
治療をうけたが病気の進行は止まらなかった。
次にお父さんの声が聞こえなくなった。まるでジグソーパズルの
ピースが欠け落ちていくように聞こえない音が増え続け、
あとには音の無い空白が広がっていった。

健常者とかわらない外見ゆえの、聞こえない事に対する誤解や不理解。
授業中や放課後に執拗に繰り返されるからかいや嘲り、いたずら。
いたたまれなさ。学校はどんどん苦痛になっていった。
変な音をだしてないか、ちゃんと発音できているのか。
聞けない為に抱く、声を出すことへの不安と恐怖。
聞こえず出さない。生活は音の無い世界で閉じようとしていた。
でも梨理の中で音や音楽が死にたえた訳ではなかった。
頭の中では小学生の頃大好きだった、うたが繰り返し流れていた。

絵本作家として物語を書く上で、様々な動作や動き、
情景を表すための、音や空気感の表現はとても重要な部分。
梨理は小説やマンガを読み、動作や声、風景、音を表す
いろんな表現に出会った。
世界は音に満ちている。
自分でそれを表現する立場になって改めてそう思った。
自分が動くたびにたてていた衣擦れの音、首を掻く音、息をする音。
窓の外の街の音、風が草や木を揺らす音、名も知れぬ鳥の鳴き声。
聞こえた頃、常に身の回りにあたりまえにあった音、

あたりまえすぎて聞いていなかった音がいかに沢山あったかを、
聞けなくなってから知った。
自分が間違いなく聞いていたはずなのに、記憶に無い音たち。
聞いていなければ、聞こえないのと同じなのかもしれない。
自分の中に無い音。想像のつばさを拡げて、
みえない声に触れ、聞いた事のない音を包む。
そして、音を、空気を、気持ちを、見えるものとして描き出す。
聞こえない故に、常識に縛られることのない彼女は、
とてもユニークな独自の世界を拡げていった。

小学生の頃までに、日常生活の中で経験した音は
ある程度はストックされていた。
だけど初めて見る物や事の音はわからず、
全くの想像の世界の音となる。
今日もパソコンをのキーを打ちながら、キーを打つこの音は、
本当はどんな音なんだろうと考えていた。いつも思う、
解けない疑問のひとつ。
漫画やなんかでは、「カタカタ」という音が良く使われている。
私が憶えている音で、「カタカタ」という音が
あてはめられていたのは、
振動でテーブルの上のコップなんかが揺れる音やミシンの音。
でも、あの音とは違うよなー。
指の感触だとお母さんが使っていた電卓に近いかな。
だとするともう少し軽い感じの音で「チャカチャカ」とか。

他にも最近登場したいろんな電子機器の出す音は、
梨理には謎だらけ。
愛用のMACの起動音。「ジャーン」ってどんな音?
携帯のバイブの音。振動はもちろんわかるんだけど、
どんな音を出してるんだろ。
振動の感じだと、怒ってるような感じがするんだけど。
「ガオォーーーー!ガオォーーーー!」とか?
あ、これじゃ怪獣かー。うーん。どうなんだろ。


2009年9月某日 俊の手紙-5

2009年9月某日 俊の手紙-5

あ~ちゃん、のっち、かしゆか、こんにちは。
俊です。

今日は、ぼくがこのあいだ見た、とってもたのしいゆめの話を
きいてください。
そのゆめは、ぼくがロッくスのスタジオにいて、
いっしょにロッくスをほうそうしているゆめなんです。
ちょうど、しつもんどろっぷのこーなーをやっていて、
いつもきいてるみたいに、みんなと声をあわせて、
「しつも~ん、どろっぷ!」ってさけんで。4人ともおおはしゃぎ!
しつもんもこたえもわからないんだけど、あ~ちゃんのはんのうに
みんなでだいばくしょう!。したことはおぼえてます。
あれは、なんのしつもんだったんだろ。

3人の声が前からきこえたから、テーブルをはさんで
むきあってすわってたみたいです。
のっちがむかって右、あ~ちゃんがまん中でゆかちゃんが左。
ぼくにはゆめの中でも、みんなのすがたやけしきは見えないので、
ぜんぶ声と音からのそうぞうなんだけど。
ざつ音のしないしずかなかんじと、声のひびきかたが
スタジオの中ってこんなかんじなのかなーっておもいました。

でもほんとうはむかいあって3たい1でみんなに見られてたら、
はずかしくってしゃべれないよね。
いまも、そのゆめをおもいだすだけで、たのしさとはずかしさで、
あせがでます。

その日は、あさからニコニコしてたみたいで、お母さんとかんごしさんに、
なにかいいことあったの?ってきかれてしまいました。
ぼくのゆめには、すがたもいろもひかりもないけど、
さんにんの声があります。

いつでもぼくを元気にしてくれて、ニコニコさせてくれて、
ウキウキさせてくれる声が。
いつまでも、この声がきえることなどありませんように。
かみさまにそれだけは、おねがいしたいです。
もうすぐつあーも、ありーながはじまりますね。
みんなのことだから、じゅんびはばっちりだとおもいます。
でも、むりしたりしないで、いつも元気な3人でいてください。
 また おたよりします。  
                         俊