コメント
天皇、天皇制をタブーにするのは止めましょう
>現憲法が絶対的な価値をおいているのは国民主権のほうであり、本当なら天皇制は国民主権と論理的に矛盾する存在です。
しかし主権者たる国民が「国民主権と論理的に矛盾するけど、ま、いいか、認めてあげよう」と決めたのだから、天皇制があるわけです。
天皇制が存在できるのは、あくまで主権者たる国民のこのような総意があるからなのであって、天皇の神聖性が前憲法的に存在するわけではありません。
このように捉えるのが正しいと、私も常々考えておりました。天皇はいわば主権者である国民が雇っている世襲の「国家公務員」に過ぎないと思っております。
現在行われている開会式のやり方は、かって天皇専制軍国主義時代の戦前の帝国議会において行われていた儀式に過ぎません。現行の日本国憲法の理念、条項そして政治にはそぐわないやり方です。主権在民の日本国憲法は既にこの日本の歴史において半世紀以上にわたって市民権を得て来ているのにです。
日本国憲法では、天皇の国事行為を定めていますが、このなかに国会の開会式への出席・発言は含まれていません。また、日本国憲法は「公的行為」なるものなども認めておりません。
天皇、天皇制の問題については、ターブー化せずに、主権者国民の感性に裏打ちされた理性を働かして、様々な角度から主権者国民が皆で話し合っていく時期に来たのではないでしょうか。
天皇は敬して政治から遠ざけるべし
私は権力と権威を分離した立憲君主制という形での天皇制は、日本にとってベストな政治形態だと考えていますので、こういう騒ぎはちょっと不快ですね。
そもそも、「天皇を政治利用してはならない」はずなのですが、時折、政治家がそうした「悪戯」をする。
それは大抵、「天皇を政治利用するな」という”言いがかり”をつけることで、政敵を陥れようとする、いわば「政治的に逆用」するという形ですね。
今回の岡田外相も不用意な発言をしたものですが、それを逆手にとって政治利用する政治家も、天皇の権威を傘にして相手をバッシングしようとしているのがあからさま過ぎです。
天皇は敬して政治から遠ざけておけばよいのです。
権力と権威をはっきり分離する為に。
そこのところをわきまえていない、もしくは分かった上で利用する政治家が存在していることがいけないと思いますね。
もちろん、そうした危険に無頓着な岡田外相のような人間も、政治家としてはセンスが欠けるといえるのではないかと考えます。
>天皇はいわば主権者である国民が雇っている世襲の「国家公務員」に過ぎない
ぴったりの表現ですね、是非今後使わせてください^^
現在国会開会式は必ず参議院で行われますが、それは戦前貴族院に天皇を迎えた名残だそうです。
なんだかな・・ですね^^;
国事行為でない「公的行為」については学説上も争いがありますが、憲法6条、7条以外には儀礼的社交的行為を憲法は認めていないと解すべきかと思います。
中間の曖昧な部分を際限なく拡大解釈するのは日本の十八番ですが、それでは「象徴天皇制」が「天皇制」になりかねません。
天皇制については過去にこんなエントリーを書きました。よろしければ、ご覧下さい。
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/?q=%BC%AB%BD%CD
ぶしつけながらトラバを送らせていただきましたm(_ _)m
>一知半解さん
憲法は天皇に「権威」を与えていません。本文でも書きましたが象徴規定にそのような意味はないのです。日本国憲法を「権力と権威を分離した立憲君主制」ととらえるのは不正確です。権威と権力を分離したという考え方は現在の天皇制は戦前の天皇から政治的権力を除いただけという、まさしく戦前と戦後の天皇制に連続性をもたせる考え方ですから。
「天皇の権威」にひれ伏したりあやかりたがるのは国民主権、民主主義の精神を遠ざける作用があり、望ましいことではありません。
今回の岡田発言を逆手にとって政治利用する政治家も、天皇の権威を傘にして相手をバッシングしようとしているのがあからさま過ぎ←はて?誰がこんなことしてましたっけ?
天皇、天皇制の呪縛から解き離され、真の民主政治をつくるために
エントリー、「自粛」を読ませていただきました。
>現在天皇は戦前のように政治的権力はもっていませんが、だからこそこういう不合理な精神構造を浸透させやすくするのに一役買っているのでしょう。時の権力がなんとしても天皇制は守り抜こうと聖域にしてる理由はここにあるのではないかと私は感じます。
これまでの私の体験を通じても、ほんとうにそうだなぁと実感いたしました。主権者である国民を内心から支配しようとしているのですね。学校の儀式で天皇を讃える歌「君が代」を違法に強制するまでに、自公政権、日本の支配層は焦っていたのですね。主権者国民が自公政権を退場させ政権を交代させたのですから、民主党・社民党・国民新党の政権はこのような違憲、反民主の「君が代」強制を即時止めるべきです。これなくして、真の主権者を学校教育で育てることは出来ません。
また、主権者国民も自覚的に豊かな感性を培い、それに裏打ちされた悟性そして理性を身に付けなければ、永遠に天皇、天皇制の呪縛から解き離されないでしょう。
それにしてもテレビ・新聞・マスコミ等が主権者国民を蔑ろにして、皇族に対してはやたらに歯の浮くような特別の敬語を使うのは日本の社会、日本の政治の自殺行為だと思っております。
この葉月さんのエントリー・コメントにも、
>「天皇の権威」にひれ伏したりあやかりたがるのは国民主権、民主主義の精神を遠ざける作用があり、望ましいことではありません。
と、ありますが。ほんとうにこのことは主権者国民が自覚的に銘記しておかなければならない、民主政治の発展にとって、重要な欠かせないヒラメキだと教えられました。「天皇の権威」にひれ伏したりあやかったりすることは、主権者を内心から殺してしまうという積極的な働きがあることに今目覚めました。
#エントリー「自粛」の私のblog宛TBの配慮を有難うございます。回線の都合でしょうか、まだこちらには届いておりません。老婆心までにご連絡しておきます。
天皇制という「不合理」が必要な理由
>はて?誰がこんなことしてましたっけ?
自民党の政治家もそうですし、ネトウヨもバッシングしてませんでしたか?
それはそうと、天皇に権威を持たせたとして、民主主義が保てなくなるわけではありません。
むしろ、権威と権力は分離した方が、独裁者が現れにくくなるというメリットがありますし、民主主義にとってもそのほうがよいと思います。
そりゃ、今の世の中に昔ながらの君主というものは絶対必要不可欠とは私も思いませんが、統治行為には何らかの権威が必要になります。
合理的であったはずの共産国家ですら、レーニンのミイラや毛沢東のミイラを祀るといった宗教的な「祭儀」をおこない権威を必要としてきたことを考えれば、日本のそれが、過去の歴史からいって天皇の役割であるのは自然なことだと思います。
また、現憲法には、象徴としてしか規定されていないかもしれませんが、実際には外国での扱いは、日本国の元首という扱いになります。
歴史的に見ても、昔から日本は朝廷が祭儀権を持ち、時の幕府が行政・司法権を持つという「朝廷・幕府併存」というシステムで7百年以上やってきました。
こうした歴史から見ると、明治政府における天皇制というのが「異様」なのであって、戦後は、それが元に戻ったといえるでしょう。
もし、仮に天皇制を廃止するようなことになれば、日本社会は統治に必要な権威軸を失い、恐るべきカオスの世界に陥るでしょう。
フランス革命のように血で血を洗うような政争の挙句、ナポレオンのような独裁者の出現を許すことにもなりかねません。
立憲君主制が時代錯誤だと言われるかも知れませんが、人間社会は必ずしも合理的に割り切れるものではありません。
一見、不合理な部分にもそれなりの存在理由があり、それが合理的な面を支えていることもあるのです。
天皇制も不合理かもしれませんが、憲法に象徴としてしか規定されていないからといって、「国民が雇っている世襲の「国家公務員」に過ぎない 」と考えるのは、日本の歴史的な経緯を全く無視した「拙速な判断」というべきだと思います。
天皇の権威というものは、過去の歴史が積み重なって現在存在するわけで、アメリカが押し付けた憲法がこうだから…という単純な理由でそれを否定することには私は反対です。
というわけで私は、「天皇は政争の具として利用せず、政治の世界から敬して遠ざけるべし」と考えているわけなのです。
ブログサイトがちがうと時々トラバが通らないようです、すみません。のちほどもう一度トライしてみますね。お送りしようとしたのは、普天間に関するエントリーです^^
>また、主権者国民も自覚的に豊かな感性を培い、それに裏打ちされた悟性そして理性を身に付けなければ、永遠に天皇、天皇制の呪縛から解き離されないでしょう。
そういう自主的な精神を育てる民主主義教育が改悪された安倍教育基本法のもとではかなり悲観的にならざるを得ません。
なんでも天皇在位20周年のDVDを国は各学校に配ったらしいです。
君が代は国歌国旗法が制定されたときに小渕内閣が「君が代の‘君’は天皇を指す」と明言しています。
その上で「この法律は何が国旗で何が国歌かを示すだけのもので、これを義務づけるものでは絶対無い」と言っていたのに、実際はどうでしょうか。
こんど11/12に天皇在位20周年記念行事が行われますね。自民の中山サンやシンキローサンが中心となって祝賀行事を推進してるとこからも、天皇制の本質が見えます。民主党が11/12を臨時休日にしなかったのは評価しますが(ちょっとだけですけど)
たしか昭和では行事が盛大に行われたのは50年、60年だけで、あとは金貨発行ぐらいじゃなかったかと思いましたが・・確実に一億総出で「天皇ヘイカバンザーイ」の雰囲気を10年ごとに焼き付けようとしてるんじゃないかという気がします。
この記念行事に一体いくらかかるんだか・・財政難なのに。
>一知半解さん
あなたが天皇制に対しそういう風に思われるのはあなたの思想信条の自由ですからそれはそれでよろしいかと思います。
ただ、憲法は天皇をそのようなものとはしていませんので、国がそのような天皇観をもつのは間違いだと思います。