コメント
大多数の国民は“愚か”です
これが全てを物語っていると思います。日本人の国民性です。何度でも騙され、またそれを恥じないと思います。
だから戦前戦中の支配層の末裔みたいな自民党がいつまでも権力の座にあり続けられるんです(あと40年で55年体制成立から100年になりますね)。
こんな国がサミット参加資格を持つ「先進国」「主要国」であるというのが信じられません。本来ならロシアみたいに資格停止になるべきなのに。
花森安治の言葉(詩?)
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さて ぼくらは もう一度
倉庫や 物置や 机の引き出しの隅から
おしまげたり ねじれたりして
錆び付いている「民主々義」を 探しだしてきて 錆びをおとし 部品を集め
しっかり 組み立てる
民主々義の「民」は 庶民の民だ
ぼくらの暮しを なによりも第一にする ということだ
ぼくらの暮しと 企業の利益とが ぶつかったら 企業を倒す ということだ
ぼくらの暮しと 政府の考え方が ぶつかったら 政府を倒す ということだ
それが ほんとうの 「民主々義」だ
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No title
個人的にはずっとtwitterを拝見しておりましたので、お久しぶりという感じはしないのですけども(^_^;)
精力的に記事を挙げられている事は嬉しいのですが、同時にそれだけ状況がひどいということでもあり、複雑な気持ちです。
おっしゃる通り、この国の国民に限らず、人間というのは、それがどんな異常な状態であっても慣れてしまうものです。
あとはおそらくそれに経済的な”恩恵”も加われば、ますます実際に戦争が起きても、反対の声をあげづらくなっていくのだろうな、とも思います。
経済的徴兵制に象徴されるような、公共事業としての戦争、失業対策としての戦争、国威発揚の手段としての戦争…などなど。
“恩恵”を受け取ることができるならと、反対の声を飲み込んでしまう人は少なくないのだろうなと思います。戦争に賛成するくらいなら路頭に迷ってもいい、飢えて死んでもいい、という人はそう多くはないでしょうし。
そして戦争の”収益”が国富を支えるようになれば、戦争依存経済の出来上がり。アメリカのように経済を維持するためには常時どこかで戦争をしていないといけない国に成り下がります。
それは「他人の死で飯を食う」という事なのですが、「自分たちの豊かな生活のために他国の人間を殺す」というおぞましさにさえ、人はいずれ慣れてしまうのかもしれません。
憲法はそんな危険にもきちんとタガをはめてきたのだなと、今更ながらにその有能っぷりを実感しています。
法案は今日にも強行採決される見込みですけれども、それで国会前をはじめとした各地の反対運動が継続していけるかどうかが、本当に重要ですね。
この反対の声が一時の”祭り”として消費されるのではなく、「権力には常に国民の監視が必要」「国民の意思を無視する政府は国民の手で倒してよい」という認識が少しでも社会に根付く、そのきっかけになってほしいと切に願います。
あと、余談ですがtwitter上で、「強行採決で政権支持率は下がるだろう。支持率を回復するのにもってこいなのは、件の”新国立競技場”の計画見直しを政府主導で行うこと。自分が安倍ならそうする」という趣旨のつぶやきを見、なるほど”英断”ひとつで”自民党感じ悪いよね”の印象を吹き飛ばしうるとしたら、(たとえ実態が伴わない一時しのぎとしても)それを表明する事は、ありうるかもしれないと思いました。
しかしこれも「国民舐められてるよね」。
戦争法案への非難も、ちょっと別の餌をちらつかせればうやむやにできると思われているのですから。